逆さの砂時計
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魔窟の森
「悪魔が住んでるんじゃないかって噂だよ」
「悪魔、ですか?」
一泊一食分の宿代を支払って出発しようとしたクロスツェルとベゼドラに、女将がそっと耳打ちした。
クロスツェルは後ろに立つベゼドラに目を向けるが、彼は肩を持ち上げるだけで何も言わない。
「まさか、そんな非現実的な奴が存在する訳ないと思うだろ? けどさ、その森に入った人間は誰一人出て来ないんだよ。中がどんだけ複雑なのか調べようとした国の偉い人達も、結局戻って来ない。地元の人間も気味悪がって近寄らないのさ」
比較的国境に近い場所を旅して来た二人は、国内最北端の地でドンと構える巨大な森に行き当たった。両脇を高すぎる雪山で固め、旅人や商人の足を竦ませるその森は、地元の人間でも恐怖で震え上がる魔窟になっているらしい。
昨夜、最寄りのこの村に辿り着いた二人は、充分な装備を整えてから森を抜けることにしていたのだが……早朝から良い話を聞いてしまった。
普通の人間なら困ったり怯えたりする情報だろうが、二人にとっては非現実的な話こそ重要な手掛かりだ。
「あんた達も、森を抜けるのは諦めな。どうしても向こうへ行きたいなら雪山を進んだ方がまだ安全だからね」
「お気遣いありがとうございます。充分に気を付けますね」
厚手の服を着たふくよかな女将にふわりと微笑み、一礼して宿を出る。
当然、忠告に従うつもりはない。
悪魔、怪現象、神秘は大歓迎だ。
「貴方は何か感じますか、ベゼドラ」
ブーツだけを防寒の物に履き替えた二人は、まだ眠っている村を後に、辛うじて道になっている雪の上をさくさくと歩く。
朝陽に照らされた雪原が目に痛いほどキラキラと輝いている。
「さぁな。自然現象で地形も変わってるっぽいし、人間が所構わず切り拓いて家建てまくってるから、俺の記憶と合致しねぇ。北の森ってヤツには覚えあるが、此処がそうなのかと尋かれても答えようがない」
「北の森……どのような場所だったのですか?」
「引き籠りの集落」
「……はい?」
「傲慢と自尊心を形にした、ほぼ全身真っ白な絶滅危惧種が身内だけで集まって作った陰険な場所だ」
傲慢……自尊心……陰険……?
「悪魔の集落とは珍しい」
「喧嘩売ってんなら買うぞテメェ」
「違いましたか」
悪魔に真っ白な印象は無いか……と思ったが、アリアと共に消えたあの男は金髪だった。
悪魔だから黒いという事もないのか。
「悪魔にも陰険と言われる方々とは、一体」
どんな種族なのですか? と尋こうとして、途切れた雪道に足を止める。
村に近い範囲は人の往来があったようだが、森の周辺は避けているらしい。膝の高さまで積もった綺麗な雪が、二人の進行を阻んでいた。
「チッ……面倒臭ぇ」
ベゼドラが先に立って雪を蹴潰し、クロスツェルが歩ける道を作って行く。腐乱死体を持ち歩くのがよほど嫌なのだろう。
美意識……みたいなものだろうか。ベゼドラは腐る物を醜悪と言って避ける傾向がある。発酵食品を見せた時などは、それはもう面白いくらい顔を歪めて全力で拒絶していた。
発酵と腐蝕は違うのだが、神代に発酵食品は無かったと聞く。彼が理解できないのも仕方なかった。
「ありがとうございます」
ぶつぶつと文句を言い続けるベゼドラの後に付いて森の中へ入って行く。
密集して生える木々の葉に遮られているからか、森の中の方が歩きやすかった。奥へ進めば進むほど積雪量は減り、光が通らなくて薄暗いのに不思議と暖かく感じる。
「止まれ」
突然、ベゼドラがクロスツェルの前に腕を伸ばして動きを止めた。
首を傾げて彼の顔を覗くと、何処か緊張した面持ちで周囲の木を見回している。
「……なるほどな。まだ生きてやがったのか、アイツら」
「アイツら?」
「さっき言っただろ。此処は北の森で間違いない」
「……傲慢と自尊心を形にした絶滅危惧種が作った陰険な集落?」
クロスツェルが呟きながら木々を見上げると
「誰が傲慢と自尊心と陰険の塊じゃと!? この、無礼な不法侵入者共がぁあ!! ……あ?」
何かが、ひゅるるる……べしゃ! と、薄ら雪に顔面から墜落した。
独特な紋様を縫った衣装を身に着けた何かは、暫くうつ伏せで痙攣し……ムクッと起き上がって、二人を睨んだ。
「誰が傲慢と自尊心と陰険の塊じゃと!? この無礼な不法侵入者共が!」
「いや、言い直さんで良いから。」
「な、何を言うておる!? 今初めて口にした言葉であるぞ!? さてはお主、幻聴でも耳にしおったか! ふはははは、それも仕方あるまいな! 我ら上位種の聖なる気に当てられたのであろうよ!」
背筋をぴん! と伸ばして立ち上がった何かは、人間のような両腕を人間のような胴体部分に当て、人間のような両の素足を肩幅分開いて、人間のような顔を少し上に向け、声高らかに笑った。
人間とは思えない透き通るような白い頬が微妙に赤く染まり、腰まで伸びる純白の髪と一緒に、細長い耳と薄い金色の目が落ち着きなく泳いでいる。
「……ベゼドラ?」
何かご存知な様子の悪魔に目を向けてみると、彼は緊張を捨て去ってあさっての方向を見ていた。
「さて、そんな哀れなる下等な愚か者共よ! 我らエルフの聖なる森に侵入した罪、軽くはないぞ! 今直ぐ我らと」
「お怪我はありませんか?」
何かが二人にビシッと突き出した左手の人差し指を両手で柔らかく包み込み、クロスツェルが微笑む。
「雪が緩衝材になったとはいえ、痛かったでしょう? ああ、少し傷になっていますね」
見た目はあどけない少女の顔に付いた雪や泥を優しく払うクロスツェルに、何かはぽわんと目を蕩けさせ……
「か、かっこいい…………っじゃなくて! お主ら今、我に幻惑の術を掛けおったな!? 卑怯者共め! だが、我ら誇り高きエルフにそのような品性の欠片も無い愚劣な技は通用しないものとしっ」
「ウゼェ」
「あ。」
何かの頭に、ベゼドラの手刀がストンと落ちた。
仰向けにパタっと倒れる何か。
「暴力はいけませんよ、ベゼドラ」
「臭い物と煩い物には蓋をしろ」
「それで解決するなら、世界はもっと愚かしく平和だったでしょうね。……大丈夫ですか?」
地面に膝を突き、昏倒した小さな体を抱えて頬を軽く叩いてみる。反応は無い。
「……どうしましょう?」
「丁重にお引き取り願え。お前ら! コイツを回収してとっとと塒へ帰れ! 俺達はただの通行人だ! お前らに用は無い!」
ベゼドラの大声に反応した何かの仲間らしき影が、一斉に木々から降りて二人と何かを囲んだ。
その数、十人。
例外無く同じ容姿の彼らに、クロスツェルは少しだけ驚く。
「お前、悪魔だな」
その中の一人がベゼドラに歩み寄って、鋭い目付きで睨んだ。
「悪魔は総てあの女が駆除し、封印した筈だが」
ベゼドラの目がすっ……と細くなる。
「ほお……お前、生き残りか?」
「違う。私は母より記憶を継いだ。母はその父より継いだ」
「不老長寿のお前らでも世代を重ねる程度には時間が経ってる訳か」
苦笑するベゼドラに、クロスツェルは首を傾げた。
「何故、悪魔が人間を連れている? 契約者か」
「似たようなものだ。お前らはいまだに聖域守の真似事か?」
何かと同じ容姿の者達が険しい顔になる。
「勇者が遺した結界は、終末の刻が訪れるまで護らねばならない約束の地。人間や悪魔が汚して良い場所ではない!」
「アイツも人間だったろうに」
勇者。魔王を異空間に飛ばしたという英雄の事か。
なにやら因縁ありげに話すベゼドラを、クロスツェルは黙って見守る。
「正統なる神々の洗礼と守護を受けた唯一の救世主たる者達だ。恩恵を忘れた愚かなる人間と一緒にするなど、言語道断」
「結局、お前らも人間と変わらないんだよな。自分達を護ってくれたから感謝し崇めてる。毒は元より薬にもならない雑草は、邪魔で邪魔で仕方ないわけだ」
クスクスと肩を揺らして笑うベゼドラに、何かの仲間達が怒りを表し始める。
だから言葉は選びなさいと言っているのに……内心で頭を抱えるクロスツェルの腕から、何かが目を覚ましてガバッと跳ね起きた。
「痛い! お主、いきなり何をするのじゃ! 謂れなき暴力は聖天女の怒りを買うぞ!」
ベゼドラに向けて再び突き出された人差し指を、彼は鼻先で笑う。
「異空間に吹っ飛んで久しい奴が、生きてこの現場を見てたら……そうかもな?」
「聖天女は生きておられるわ無礼者!! 彼の御方は天神の一族でありゃしゃりぇりゅぞ!」
「リーシェ。噛んでる噛んでる」
「はぐ! ……うぐぐぐぅ」
顔を真っ赤にして口元を両手で抑え、仲間達の背後に回り込む。
……なんだろう、ちょっと可愛いな。
なんてクロスツェルは微笑ましく思いつつ、立ち上がる。
「ベゼドラ。彼らは何者なのでしょうか? 人間と違うのは、耳や肌で分かりますが……」
悪魔に問い掛ける人間に、耳長の彼らは一斉に溜め息を吐いた。
呆れ、嘆き、諦め。そんな感じの、深い溜め息。
「毎回そうだが、人間が此処まで無知に成り下がっていると思い知ると、何の為に彼らが命を懸けてこの世界を護ったのか……分からなくなるな」
ベゼドラと話していた相手が、クロスツェルに正面から向き合う。
「我らは天神の次席を任された聖なる一族・エルフ。神々より遣わされた勇者一行が遺した聖地を代々護り継ぐ者だ」
「天神……? アリアとは違うのですか?」
「あの女は紛い物だ」
「紛い物? アリアは女神では」
「不遜な。真の神は既に、この世界には存在しない。神々は世界を離れ、天神一族最後の一柱であった聖天女もまた、勇者一行と共に異空間へ飛ばされてしまったのだから」
「アリアは天に属する女神だと、ベゼドラに聞きましたが」
ベゼドラに目を向ける。彼も首を傾げた。ベゼドラも詳しくは知らないのだろうか。
「力は確かに一族の気配を感じさせた。だが、あの女は女神などではない。その証も持っていなかった」
「証?」
「神々の力の象徴。純白の翼だ」
ベゼドラの目が丸くなる。
「あれ、全員に付いてるもんだったのか」
「……ベゼドラ……」
神代に居た悪魔とは思えない一言に、クロスツェルを含めたその場の全員が呆れる。
「ンなもんに興味無かったんだよ」
よくよく考えれば、魔王を退けた勇者を知りつつもアリアに封印されるような悪魔だ。神々と一戦交えるなどはしていなかったのだろう。
「もしかしてお主……雑魚……」
「殺す。」
哀れなものを見る目で口元を抑えるリーシェに、袖を捲って威嚇する大人げないベゼドラ。
「止めなさい、ベゼドラ」
クロスツェルも同じ事をちらりと考えてしまったが、胸にそっとしまう。
「人間。お前からも、僅かだが一族の力を感じるな」
「?」
クロスツェルが自らを指して私ですか? と目を瞬かせた。
「一族の力を帯びた人間は、聖天女以降初めてだ。……通りすがりと言ったな、悪魔よ」
「ああ。俺達は旅をしてるだけだ。アリアに関係しないなら、此処に用は無い」
エルフは、袖を戻して腕を組むベゼドラに向き直る。
「ならば、この先へはお前一人で行くが良い。人間は通さないが、悪魔を我らの里に入れるなど汚らわしい」
「断る、と言ったら?」
「この場で人間の首を落とす」
「ほぉー。なら、大人しく従ったら? クロスツェルをどうする?」
「我らが長に会わせて、判断を仰ぐ。この人間は他と違う。放置できない」
エルフ達がクロスツェルの両腕を捕まえて動きを封じる。
その光景に、ベゼドラが噴き出した。
「なんだったか……保父? みたいだな。クロスツェル」
身長差がありすぎて、子供にたかられている保護者に見えたらしい。
なんだかよく解らないが莫迦にされたようだと、エルフ達が不機嫌になった。
「弱りましたね。私はまだ死ねませんし、ベゼドラが居ないと困ります」
「我らの知った事ではない」
「通りすがりの私達も、貴方達の事情など知った事ではありません」
「……逆らう気か」
肩越しに目だけで睨むエルフに、クロスツェルはにっこり微笑んだ。
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