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逆さの砂時計

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魔窟の森 1

「悪魔が棲んでるんじゃないかって噂だよ」
「悪魔、ですか?」

 一泊一食分の宿代を払って出発しようとしたクロスツェルとベゼドラに、厚めの防寒具を羽織っている小太りな女将がそっと耳打ちした。
 緊張感が滲む険しい表情を見る限り、嘘や冗談のつもりではなさそうだ。
 クロスツェルは、何か感じますか、と背後のベゼドラに目で確認するが。
 彼は肩を持ち上げるだけで、何も言わない。

「まさか、そんな非現実的な奴が本当に居る筈ないと思うだろ? けどさ、あの森に入った人間は誰一人出て来ないんだよ。国から派遣された調査隊も結局は戻ってこない。私が生まれる前からそんなもんだから、地元の人間はもう気味悪がっちゃってね。好奇心旺盛な子供でも近寄ろうとしないのさ」
「そう、なんですね」

 クロスツェルが預かっていた東区の教会から北へ向けて、国境にほど近い場所を旅してきた二人は、国内最北端の地で巨大な森に行き当たった。
 北と南を高すぎる雪山で固めて東から西へ横たわる冠雪した奥深い森は、旅人や行商人や芸団のようなある程度の危険に慣れた人達はおろか、昔から地元に住んでいる人達でさえ、恐怖で震え上がる魔窟となっていたらしい。

 昨夜、森の端が見える場所まで辿り着いた二人は、クロスツェルの服装が深夜の森を抜けるには心許ないからと、近くにあったこの村で宿を取り。
 翌日充分な装備を整えてから、改めて森を通り抜ける予定だったのだが。
 朝も早くから、幸先が良い話を聴いてしまった。

 悪魔だ行方不明者だと聴かされれば、一般民なら、困ったり怯えたりする場面なのだろうが。
 人間ではない相手を捜している二人にとっては、そういった、非現実的な話題こそ、重要な手掛かりだ。

「あんた達も、森を通り抜けるつもりなら諦めな。どうしても森の反対側へ行きたいってんなら、雪山を進んだほうが、まだ安全だからね」
「お気遣いありがとうございます。充分に気を付けますね」

 クロスツェルは、親切で心優しい女将に微笑んで一礼し。
 ベゼドラと一緒に宿を出る。

 二人共、当然ながら忠告に従う気はない。
 せっかく見つけた、アリアに繋がっているかも知れない有益な手掛かり。
 微に入り細に入り、しっかりと、念入りに精査しなくては。



「あの様子では相当昔からあるようですが。覚えはありますか、ベゼドラ」

 こうなっては装備品を選ぶ時間すら惜しいと、ブーツだけ防寒仕様の物に買い替えた二人は、まだ微睡んでいる村を背に、踏みならされた雪道の上を森へ向かって歩いていく。
 朝陽を受けてキラキラと輝く雪原が、ちょっとばかり目に痛い。

「さあな。見てきた限りじゃ、自然現象とかで地形が変わっとるし、人間が所構わず切り拓いて家だのなんだのをバカみたいに建てまくってるせいで、余計に俺の記憶と合致しねぇ。『北の森』ってヤツには覚えあるが、ここがそうなのかと尋かれても、入ってみなけりゃ答えようがない」
「『北の森』? どのような場所だったのですか?」
「引き籠りの集落」
「はい?」
傲慢(ごうまん)と自尊心を形にした、ほとんど全身真っ白な絶滅危惧種(ぜつめつきぐしゅ)が身内だけで集まって作った陰険(いんけん)な場所だ」

 傲慢、自尊心、陰険?

「悪魔の集落とは珍しい」
「ケンカ売ってんなら買うぞテメェ」
「違いましたか」

 悪魔に真っ白な印象はないか、と思ったが。
 アリアと共に消えたあの男は金髪で、肌も色白だった。
 悪魔だから黒い、というわけではないようだ。

「悪魔にも陰険と言われる方々とは、いったい」

 どんな種族なのですか?
 と尋こうとして、途切れた雪道に足を止める。

 村に近い範囲には、まだ人の往来があったようだが。
 やはり、森の近辺は避けているらしい。
 膝上の高さまで積もった綺麗な雪が、二人の進行を阻んでいた。

「チッ。面倒くせえ」

 ベゼドラが先に立って雪を踏み、クロスツェルが歩ける道を作っていく。
 腐乱死体を持ち歩くのが、よほど嫌なのだろう。
 美意識、みたいなものだろうか?
 ベゼドラは、腐る物を醜悪と言って避ける傾向がある。
 豆粒で作られた発酵食品を見せた時などは、それはもう、面白いくらいに顔を歪め、全身全霊でもって激しく拒絶していた。

 発酵と腐敗は違うのだが、神代に発酵食品は無かったと聞く。
 ベゼドラにしてみれば、わざわざ見た目を悪くさせる未知の料理法。
 理解できないのは無理がなく、受け入れがたいのも仕方ないことだった。

「ありがとうございます」

 ぶつぶつ文句を言い続けるベゼドラの後に付いて、森の中へ入っていく。
 密集して生える木々の枝葉で上空が(さえぎ)られているからか。
 意外にも、森の中のほうが雪や雑草が少なくて歩きやすい。
 奥へ進めば進むほど積雪量は減り、薄暗いのに不思議と暖かく感じる。

「止まれ」

 ベゼドラが突然、クロスツェルの前に腕を伸ばして動きを止めた。
 クロスツェルが首を傾げてベゼドラの横顔を覗くと。
 彼はどこか緊張した面持ちで、周囲の木々を見回している。

「なるほどな。まだ生きてやがったのか、アイツら」
「アイツら?」
「さっき言っただろ。ここは『北の森』で間違いない」
「傲慢と自尊心を形にした絶滅危惧種が作った陰険な集落?」

 クロスツェルが、ぽそっと呟きながら頭上の枝葉を見上げた途端。

「誰が傲慢と自尊心と陰険の塊じゃと!? この無礼な不法侵入者共があ!! あ?」

 木の上でそう叫んだ、人間っぽい形をした()()が。
 ひゅるる……べしゃ! と、二人の手前で、顔面から薄ら雪に墜落した。

 山菜と思しき何らかの(つる)と葉をモチーフにした独特な紋様の衣装。
 素材は麻、だろうか? 見た目にゴワゴワしている。
 それを身に着けている()()は、しばらくの間うつ伏せで痙攣し。
 ムクッと起き上がって、二人を睨んだ。

「誰が傲慢と自尊心と陰険の塊じゃと!? この無礼な不法侵入者共が!!」
「いや、言い直さんで良いから」
「なっ、何を言うておるか!! 今、初めて口にした言葉であるぞ!? さてはお主、幻聴でも耳にしおったか! ふはははは、それも仕方あるまいな! 我ら上位種の聖なる気に当てられたのであろうよ!」

 背筋をぴん! と伸ばして立ち上がった()()は。
 人間とよく似た両腕を、人間とそっくりな胴体部分に当て。
 人間みたいな両の素足を肩幅分開いて、人間に見える顔を少し上に向け。
 人間と同じように高らかな声で笑った。
 人間とは思えない、透き通るような白い頬が微妙に赤く染まり。
 人間とは明らかに異なる細長い耳と、薄い金色の目が、腰上までまっすぐ伸びる純白の髪と一緒に、右へ左へと落ち着きなく泳いでいる。

「……ベゼドラ?」

 クロスツェルは、何かしらご存知な様子だった悪魔に顔を向けてみるが。
 ベゼドラは緊張を捨て去り、あさっての方向を見ていた。

「さて、そんな哀れなる下等な愚か者共よ! 身の程もわきまえず、我らの聖なる森に侵入したその罪。決して軽くはないぞ! 今すぐ我らと」
「お怪我はありませんか?」

 二人に向けて突き出された、()()の左手の人差し指。
 それを、微笑むクロスツェルが両手で柔らかく包み込んだ。

「薄ら雪が緩衝材になったとはいえ、痛かったでしょう? ああ、鼻の頭に少し傷が付いていますね。人間用でも傷薬があれば良かったのですが」

 あどけない少女の顔に付いた雪や泥を、伸ばした指先で優しく払い落とすクロスツェル。
 ()()は、ぽわんと目をとろけさせた。

「か……かっこいい………… っじゃなくて! お主ら今、我に幻惑の術を掛けおったな!? 卑怯者共め! だが、誇りも誉れも高き我らにそのような品性の欠片も無い愚劣な技は通用しないものとし「ウゼェ」るぇっ」
「あ」

 ベゼドラの手刀が、()()の前頭部にストンと落ちた。
 仰向けでパタっと倒れる()()

「暴力はいけませんよ、ベゼドラ」
「臭い物とうるさいものにはフタをしろ」
「そんな方法で万事が円満に解決するのなら、世界は今頃、もっと愚かしく平和になっていたでしょうね。……大丈夫ですか?」

 クロスツェルが地面に膝を突き。
 昏倒した()()の小さな体を抱えて、頬を軽く叩いてみる。
 反応はない。

「……どうしましょうか?」
「丁重にお引き取り願え。木の上に居るお前ら、コイツを回収してとっとと(ねぐら)へ帰れ! 俺達はただの通行人だ! お前らに用は無い!」

 こちらは、ベゼドラの大声に応じてくれたのか。
 複数の人影が一斉に降ってきて、二人と()()を取り囲んだ。
 その数、十人。
 ()()と寸分違わぬ容姿の彼らに、クロスツェルは目を丸くした。
 似ているなんてものじゃない。複製品を並べているようで現実味がない。

「お前、悪魔だな」

 その中の一人がベゼドラに歩み寄り、鋭い目つきで睨み上げた。

「悪魔はすべて、あの女が駆除し、封印した筈だが」

 相手を捉えたベゼドラの瞳が、すっ……と細くなる。

「ほう……? お前、生き残りか?」
「違う。私は母より記憶を受け継いだ。母は、その父より受け継いだ」
「……不老長寿のお前らが世代を重ねる程度には、時間が経ってるのか」

 苦笑うベゼドラの横顔を、クロスツェルは不思議そうな目で見上げた。
 一瞬垣間見えたのは、過ぎ去った時間への、哀愁……寂寥(せきりょう)
 人間には想像も及ばないほど長い長い寿命を持っているらしい悪魔にも、そんな感傷的な思いを抱く時があるのだろうか。

「何故、悪魔が人間を連れている? 契約者か」
「似たようなものだ。お前らは、いまだに聖域守の真似事か?」

 ()()と同じ容姿の者達が、ベゼドラの言葉で険しい顔になる。

「勇者が遺した結界は、終末の刻が訪れるまで護らねばならない約束の地。人間や悪魔が汚して良い場所ではない!」
「アイツも人間だっただろうに」

 勇者……魔王と一緒に異空間へ消え去ったという英雄か。
 なにやら因縁ありげに話すベゼドラを、クロスツェルは黙って見守る。

「真の神々の洗礼と守護を受けた、唯一の救世主たる者達だ。恩恵を忘れた愚かな人間共と彼らを同一視するなど、言語道断!」
「はっ! なんだかんだ言って結局、お前らも人間と変わらないんだよな。()()()()()()()()()()()()、感謝し、崇めてる。()()()()()()()毒は元より薬にもならない雑草は、邪魔で邪魔で仕方ないわけだ。この世界にはお前ら以外にもいろんな事情を抱えた奴が居て、そいつらにしてみりゃ、お前らが雑草扱いする奴も掛け替えない至宝かも知れないってのに、なあ?」

 肩を揺らして嘲笑うベゼドラに、()()の仲間達が怒りを表し始める。

 だから言葉は選びなさいと、常日頃から言っているのに。
 クロスツェルが内心で頭を抱えていると。
 その腕から、目を覚ました()()が勢いよく跳ね起きた。

「痛い! お主、いきなり何をするのじゃ! いわれなき暴力は、聖天女(せいてんにょ)の怒りを買うぞ!」

 自身に向けて突き出された()()の人差し指を。
 ベゼドラは鼻先で軽く笑い飛ばす。

「異空間に吹っ飛んで久しい奴が生きてて、このやりとりを直に見てたら、そうだったかもな?」
「聖天女は現代も生きておられるわ無礼者!! 彼の御方は貴き天神(てんじん)の一族でありゃしゃりぇりゅじょ!」
「リーシェ。噛んでる噛んでる」
「はぐ!? ……うぐぐぐぅ~っ」

 口元を両手で押さえ、顔を真っ赤にして仲間達の背後へ回り込む()()

 ……なんだろう、ちょっと可愛いな。
 なんて、クロスツェルは微笑ましく思いつつ、立ち上がる。

「ベゼドラ。彼らは何者なのですか? 人間と違うのは、耳の形や肌の色で分かりますが」

 悪魔への問いかけに、耳長の彼らが息を吐いた。
 呆れ、嘆き、諦め。
 そんな感じの、深いため息。

「毎回そうだが……人間がここまで無知に成り下がっていると思い知ると、何の為に彼らが命を懸けてこの世界を護ったのか、分からなくなるな」

 ベゼドラと話していた相手が、クロスツェルと正面から向き合う。

「我らは、天神(てんじん)の次席を任された聖なる一族、エルフ。神々より遣わされし勇者一行が遺した聖地を、代々護り継いでいる者だ」
「天神? アリアとは違うのですか?」
「あの女は、紛い物だ」
「紛い物? アリアも女神なのでは」
不遜(ふそん)な。真の神々は既に、この世界には存在しない。神々は世界を離れ、神の血脈の半分を継ぐ天神(てんじん)の一族、最後の一柱であった聖天女もまた、勇者一行と共に異空間へ飛ばされてしまったのだから」
「……アリアは天に属する女神だと、ベゼドラに聞きましたが」

 ベゼドラに目を向けるが、彼も首を傾げた。
 ベゼドラも詳しくは知らないのだろうか。

「力は確かに一族の気配を感じさせた。だが、あの女は女神などではない。その証も持っていなかった」
「証?」
「神々の力の象徴。純白の翼だ」

 ベゼドラの目が丸くなる。

「あれ、全員に付いてるもんだったのか」
「…………ベゼドラ…………」

 神代に生きていた悪魔とは思えない一言に。
 クロスツェルを含めた、その場の全員が呆れ返る。

「ンなもんに興味なかったんだよ」

 よくよく考えてみれば、魔王を退けた英雄を知りながらも、後々アリアに封印されてしまうような悪魔だ。
 神々と一戦交えるなどは、していなかったのだろう。

「もしかして、お主、……雑魚……?」
「殺す」

 哀れなものを見てしまった目で口元を押さえるリーシェに。
 袖をまくって威嚇(いかく)する大人げないベゼドラ。

「おやめなさい、ベゼドラ」

 クロスツェルも同じことを考えてしまったが、胸の奥にそっとしまう。

「人間。お前からも、わずかだが天神(てんじん)の一族の力を感じるな」
「?」

 クロスツェルが自らを指して私ですか? と、目を瞬かせた。

「一族の力を帯びている人間がここを訪れたのは、聖天女以降、初めてだ。通りすがりと言ったな、悪魔よ」
「ああ。俺達はアリアを捜して旅をしてるだけだ。アリアと関係ないなら、ここに用は無い」

 エルフは、袖を戻して腕を組んだベゼドラに向き直る。

「であれば、この先へはお前だけで行くがいい。人間は通さないが、悪魔を我らの里に入れるなど、考えるだけでも汚らわしい」
「断る、と言ったら?」
「この場で人間の首を落とす」
「ほおー。なら、大人しく従ったら? クロスツェルをどうする?」
「我らが長に会わせて、判断を仰ぐ。この人間は他と違う。放置できない」

 エルフ達がクロスツェルの両腕を捕まえて、動きを封じる。
 その光景に、ベゼドラが「ぶふぅっ!」と噴き出した。

「なんだったか。保父? みたいだな。クロスツェル」

 身長差がありすぎて、子供にたかられている保護者に見えたらしい。
 よく分からないがバカにされたようだと、エルフ達が不機嫌になった。

「弱りましたね。私はまだ死ねませんし、ベゼドラが居ないと困ります」
「我らの知ったことではない」
「通りすがりの私達も、貴方達の事情など知ったことではありません」
「……逆らう気か」

 肩越しで睨むエルフに。
 クロスツェルは、人好きのする柔らかな笑顔を返した。

 
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