逆さの砂時計
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語り継ぐもの 2
「美味しいっ!」
「ありがとうございます」
白い男性クロスツェルさんが作った野菜たっぷりの炒め物は、しゃきしゃきと歯応えが良く、噛めば噛むほど野菜特有の甘さや旨味が口の中にじゅわあっと広がり、適度に加えられた調味料や香辛料が混ざり合ってそれを引き立て、唾液を誘う調和を奏でてる。
鮮やかな色合いもそうだが、火を通して立ち上った芳ばしい匂いが、普段は大人しい腹の虫をきゅうきゅうと騒がせる。
いや、此処は敢えて短く纏めよう。
旨い。
しかも、彼が作ったのは野菜の炒め物だけではない。
一品分の材料を器用に使い熟して、サラダやスープまできっちり三人分用意してしまった。
いつもなら棄ててしまう根菜類の皮まで食べられる物に仕立てる腕を見せられてはもう、帽子を脱いで額を地面に擦り付けたい気分になってしまう。帽子なんて被ってないけど。
「料理をするのは久しぶりで……お口に合って良かったです」
「久しぶりでこれですか。一個人の好みで言わせていただきますけど、其処らの街の食堂よりずっと美味しいですよ。特にスープの塩加減が絶妙です。干し肉が入ってる訳でもないのに、物足りないと感じさせない。素晴らしい」
「ふふ……其処まで気に入っていただけると、嬉しいですが少し照れてしまいますね」
微笑みながら落ち着いた様子で丁寧に食を進めるクロスツェルさんに対し、黒い方のベゼドラさんは黙々と匙でスープを喉に流し込んでる。決して不味くはないが、特別美味しい物でもない……そんな感じ。この味に慣れてるんだろうか。
「肝心の主食が乾燥肉を焼いただけの質素な物で申し訳ないです。と言っても、お二人が来なければこれだけで済ませるつもりだったので、私的には労せずして巡り逢った幸運ですが」
「旅をしていると予算の都合もあって、なかなかお肉を頂く機会は無いのです。貴重な栄養を分けてくださった貴女の善意に深く感謝します。ですが、野菜もきちんと摂らなければ体の働きが鈍くなってしまいますよ?」
まるで野菜嫌いの子供を諭す母親の口振りだが、くすくすと笑ってるからか、嫌味には感じない。
「生来の不精なもので……お恥ずかしい限りです」
修行中に肉食の癖が付いた所為かな。野菜嫌いではないけど、調理の幅が無くて大体サラダか煮物になってしまう。一人暮らしが長いと味付けを是正する相手も居ないから、どうしても似たり寄ったりになるし。新しい味付けに挑戦しようと思わなかった辺りが怠け者だ。
「旅をされている方にこんな事をお願いするのはどうかと思いますが、差し支えなければ、朝食も手伝っていただけますか? クロスツェルさんの手際の良さを勉強したいのです」
クロスツェルさんはちょっとだけ目を丸くして、にこっと笑った。
「私で良ければ、喜んで」
よし。明日の朝食はいつもの倍以上、美味しくなりそうだ。期待しよう。
夕食を残さず平らげて洗い物を済ませた後、二人を二階に案内した。
二階には自室の他に三つの部屋がある。一つは散らかった物置状態なので決して入らぬようにと警告しつつ、他の二部屋へそれぞれを招き入れた。
元々大家族が建てた物を中古で購入したので、一人暮らしにはちょっとした豪邸だ。こういう突然の来客にも対応できるのは利点だな。自室以外には必要最低限の家具しか置いてないし、中身は空っぽだから盗みも心配しなくて良い。
……多少埃っぽいかも知れないが、其処はご愛嬌と流してもらおう。
「準備しておきますから、入浴がご入り用でしたら一声下さい。浴室へ案内します」
「何から何まで、お世話になります」
「いいえ。ごゆっくりどうぞ」
律儀に頭を下げるクロスツェルさんをそこそこ広い個人部屋に残して、一階へ降りる。
調理場の奥に在る浴室で浴槽を洗い、半分より上程度に湯を張った。一杯にすると流れてしまうから勿体無いのだ。いついかなる時も質素倹約を忘れてはならない。
その代わり、体を洗浄する為の湯は専用の大きめな甕になみなみと用意しておく。
濡れた手足をタオルで拭き取り、浴室を出て二階へ戻る。
明日からの予定を話してるのか。別々に通した筈の二人の声がクロスツェルさんの部屋から聞こえる。ちょっと聞き耳を立ててみたい気もするが、それは礼儀に欠ける行いだ。恥ずべき衝動を抑えて自室に向かう。
外からも内からも鍵を掛けられる便利な扉を開いて入り、後ろ手に閉めた。問題無いとは思うが一応……と、扉に向き直って鍵を掛けて……背後に気配を感じた。
「!?」
勢いよく振り向いた先に、髪の長い女性が俯いて立ってる。入った時は誰も居なかったのに。
「……誰?」
驚きで爆発しそうな心臓を抑えながら不審者に身構えると、女性は白金の緩やかな髪を揺らして顔を上げ、水色の目で部屋の奥にある机を見た。
……水色?
「……宝石の、関係者?」
あの石と同じ澄んだ水色。それだけで判断するのは早計なのだろうが、勘がそう告げてる。
これは自慢だが、私の勘は滅多に外れない。武芸の師範がとても優秀だったから。
気配を読む力と人を見る目は、師範が育ててくれた数少ない長所だ。
女性は袖が無い真っ白なワンピースの裾をふわりとなびかせ、素足でペタペタと……待て。足音はしてない。よく見ると体も透けてないか? まさか、幽霊とかじゃないだろうな。
私に背を見せて机の前に立ち、引き出しをすぅ……と指して、そのまま持ち上げた腕を壁に向けた。
……違うな。
多分、壁の向こうの二人だ。
隣の部屋に居る二人を指してる。
「宝石を……二人に渡せと、言ってるんですか?」
指先を壁に向けたまま肩越しに私を見つめる。
唇が動いてるが、何も聞こえない。注意深く観察して読み取ってみる。
「あい、あ……お、あ……う……え……え?」
あいあ お あうええ?
違う。
あうええは、た、す、け、て、じゃないか? お、は、を?
あいあ を 助けて?
「あ」
女性が目蓋を伏せて、溶けるように消えてしまった。
ヤバいなこれ。本格的に幽霊の類いじゃないか。殴れないものは苦手なんだけど……なんでかな。今の女性に恐怖は感じなかった。
悲しそうな顔をしてたからか?
「フィレスさん」
「っと……はい?」
背後の扉を叩かれ、慌てて鍵を外す。
掛けたり外したり忙しい。
「浴室へ案内しましょうか?」
クロスツェルさんに室内を見られないよう、素早く部屋を出て扉を閉める。
「あ、いえ……はい。お願いします」
? 何か言いたそうにして止めた?
「……此方へどうぞ」
手で階段を示しながら一階へ誘導する。
大人しく付いて来る辺りは、特に用事があった訳でもなさそうだが。
「では、私はこれで眠らせていただきます。ベゼドラさんは貴方が案内してあげてください」
「ありがとうございます。お休みなさい」
「お休みなさい」
浴室にクロスツェルさんを置いて二階に上がると、廊下でベゼドラさんがじっと私の自室を見てた。
……何なんだ?
「私の部屋に何か?」
「白金の髪と薄い緑色の目を持つ女に心当たりはあるか?」
白金の髪? さっきの女性か?
いや……
「薄い緑色の目には会ってませんね」
「本当に?」
「旅人に嘘を吐いても楽しくはないです」
でも多分、関係者だな。金髪はごろごろ転がってるが、白金の髪なんてそうそう居るもんじゃない。
「……そうか」
不満を隠さず部屋に戻るベゼドラさんを見届け、自室に入って鍵を掛ける。今度は誰も現れない。
が、落ち着いて寝られる状況でもない。
「これ以上の怪奇現象は勘弁してください」
溜め息混じりに呟けば、沈黙が返事をしてくれた。
朝食を楽しみにベッドへ潜り込んで、無理矢理意識を沈める。
こういう時の対処法も教えて欲しかったです、師範。
誰かの泣き声で意識が浮上した。
目が覚めたのとは違う。夢だ。
随分と感覚がはっきりしてる夢だな。
周りは真っ暗で何も見えない。ただ、女性の泣き声が聞こえる。
「ごめん、なさい……ごめんなさい……」
切ない声色。か細い謝罪の言葉は誰に向けた物だろう?
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「ま……り……に、……ひか……、てらせ」
繰り返し呟く女性の声に、小さな音が重なる。
音はどんどん大きくなって、聞き覚えのある旋律になった。
そして、中盤最後の言葉が泣き声と重なり、ぴん! と時が止まる。
「あいの、うた」「私の、アリア」
パッと目を開く。これは現実だ。
見慣れた天井がベランダからの光を跳ね返して、室内を微かに明るくしてる。
そういえばカーテンを引いてなかった。
もう朝か。急いで身仕度して旅人達の朝食を用意しなくては。
「おはようございます」
「おはようございます。遅くなってすみません」
応接用の部屋に腰掛けて待ってた二人に頭を下げると、いいえ、とクロスツェルさんが微笑んでくれた。
家人が客人より後に起きるなど恥でしかない。もう一度頭を下げて、調理場へ向かう。
「この香辛料は此方の調味料と相性が良いので、合わせて使うと……」
「なるほど。では、こっちは……」
「あ、それは合わないと思いますよ。苦くなってしまいますから」
クロスツェルさんの丁寧な料理指導を受けつつ、朝食をテーブルの上に並べていく。
全部が揃って全員が席に着いてから、三人で美味しく頂いた。
ベゼドラさんが卵焼き入りのサンドイッチを一人占めしてぺろりと食べ尽くしたのが、ちょっと笑えた。
「いきなりこんな事を訊かれても困ると思いますが……」
洗い物を片付けてもらってる最中、クロスツェルさんが言い難そうに話掛けてきた。
「この辺りで、不思議な現象を見たり聞いたりしませんでしたか?」
見ました聞きました。昨日の夜だけで、二回も。家の中で。
あいあを助けて……あれは「アリアを助けて」って言ってたんだな。夢の中の声が女性と同一人物なら、だけど。
最後の皿を棚に戻し、クロスツェルさんに向き合う。
「直ぐに発たれますか? それとも、少し休んでから?」
「特に何も無ければ直ぐに発つつもりですが」
「では、玄関先で少々お待ちください。お渡しする物があります」
クロスツェルさんは首を傾げ、ベゼドラさんを伴って素直に従った。私も自室に戻って袋を手に取り、旅支度を済ませて扉の外で待つ二人に駆け寄る。
「多分、伝言です。アリアを助けて……だそうですよ」
二人の顔色が変わった。
そうか。二人の旅の目的は「アリア」に関わる事なのか。
「誰にそれを!?」
私に噛み付きそうなベゼドラさんを制して、クロスツェルさんが身を乗り出してくる。必死だな。
「私も詳しくは……。この宝石と同じ色の目を持った女性が、貴方達にこれを渡せと言うので。あ、なんとなく関係してるっぽいので、この歌も覚えておくと良いですよ」
子供達の歌を歌って聴かせる。
人前で歌うって結構恥ずかしい。得意じゃないんだけど。
「……こんな感じ……って、 え?」
手に持ってた袋から水色の光が溢れてる。
石を取り出すと、光は直線となって東を示した。
「えーと……」
光はやがて小さくなり、石に吸い込まれて消えた。
また怪奇現象ですかそうですか。
「……あっちへ行けって意味じゃないでしょうか? 多分」
袋に戻してクロスツェルさんに手渡すと、二人は顔を見合わせて「昨日のはこれか」とかなんとか言いながら互いに確認し始める。
「私が任されたらしいのは此処までです。これ以上は本当に何も知りません」
石入りの袋をじっと見てたクロスツェルさんが、ありがとうございましたと頭を下げて目を細めた。冷静な振りをしてるけど、相当混乱してるな。
「お気を付けて、良い旅を」
ベゼドラさんの腕を引いて東に足を運ぶクロスツェルさんを見送り、やれやれと家の中に引き返す。
これで女性も未練は無いだろう。私も変化の無い日常に戻れて嬉しいです。
お願い致します、二度と現れないでください、怪奇現象。
「さて。お仕事に戻りましょうかね」
自室に戻ってクローゼットから銀色の鎧一式を取り出し、厚手の普段服から無骨なそれに着替え直す。
この真っ赤なマント、もう少し落ち着いた色調にならないだろうか。都でならともかく、村でこの色彩は無い。派手過ぎる。
クローゼットの横に立て掛けた細長い剣を腰に下げて、外へ出る。
今日も、青い空と白い大地が目に痛い。
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