逆さの砂時計
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解かれる結び目 7
驚いたり、情けなくなったり、逃げたくなったり。
私の心は、ホリードさん達が来てからずっと落ち着かなかった。
エルンストの好意に戸惑って、動揺して、自分勝手に迷走して。
でも、本当の気持ちをきちんと伝えられたのが良かったのかも知れない。
とても静かだ。エルンストの青い目をまっすぐに見られる。
もう、嫌だとは思わない。
「ああ、あの歌? 聴こえてたんだ。そう。騎士達を鼓舞して欲しいって、ここの騎士団長様に頼まれたから、それで……え? 別に、構わないけど」
その後、ホリードさんの話を聴くという目的も達成した。
お客様とこっそり会って話なんかしてたら、問題視されるところだけど。
伴侶がどうとかいう立場を勝手に割り振られているなら大丈夫だからと、巫が判断したのよ。
この件に関しては毅然と対応する必要があるわね。
彼は、笑顔で話す内容でもないのに、頬を緩めっ放しにしたまま。
これまで辿ってきた旅路を丁寧に語ってくれた。
「森林限界の崖から突き落とされた時はいくらなんでも死ぬと思ったけど、人間って意外と頑丈なんだなって。目が覚めた瞬間に感心したよ。両腕と、肋骨が三本やられててね。吐血までしちゃって、もう、痛いのなんの」
そんなの、『痛い』で済む話じゃない。
「悪魔にも神にも、それぞれ個体別で『特性』や『性質』と呼ばれる能力が一つずつ備わっているのは知ってるよね? 君は……『空間』!? へえ! そりゃすごいな! 巧く使えば瞬間移動とかもできるんじゃない?」
私の力は、生まれた時から使えないように制限されていたし。
そんな使い方には考えも及ばなかった。
新しい空間を作ったり消したり、結界を張ったり。
悪意を持つ誰かに目を付けられたら困る物だ、とは思っていたけど。
「とにかく、それが物凄く厄介でね。当然だけど、賢い悪魔ほど反則に近い応用してくるからさ。『幻惑』特性の悪魔に見えない手で体を捌かれながら戦うってのも、なかなか貴重な体験だったな。はははっ」
だから。
笑い話じゃないと思う。
「俺が一番嫌だったこと? そうだな……」
その時。
一瞬だけ、明るい笑顔が暗く落ち込んだ。
「……親友を裏切った、自分」
裏切ったって言葉の意味は気になったけど。
とても寂しそうで、悲しそうな微笑みだったから。
その辺りは詳しく尋けなかった。
代わりに。
「どうしてそんな目に遭ってもまだ、明るく笑っていられるのですか?」
話の最後でそう問いかけると、ホリードさんはキョトンとして、笑った。
「そのほうが良いからに決まってるじゃないか」
幾度も死線を越えてきた人間とは思えない、けろっとした笑顔だった。
緊張と警戒で固まっていたエルンストでさえ。
毒気と肩の力を抜き取られて、苦笑ってしまうくらいに。
翌朝。
「……? よろしく、お願いいたします。マリア様」
「……ええ」
お世話係の女性に髪を整えてもらった後、中央口から直接祭壇裏を通ってお役目に出向いた私を、階段下に立つ大神官様が驚いた表情で見上げた。
短い髪にも驚いたんだろうけど……父さんと母さんが亡くなってからは、鍵を掛けたまま一度も使わなかった扉だもの。どんな心境の変化だ? って眉をひそめるのは当然ね。すぐに元に戻ったのは、さすが年の功。
この好好爺然とした笑顔の裏で、勝手なことを考えていたのよね。
大人って卑怯だわ。
「神々の導きのままに」
昨日と同じ顔ぶれが、昨日と同じ場所に揃って一礼し、着席する。
エルンストが私の左肩のブローチを見て、ちょっとだけ目を丸くした。
うん。これだけは受け取ろうと思うの。
気持ちは拒んだのに、ずるいかな?
でも、この片翼型のブローチは私の為に作ってくれた物だと思うから。
私の目と同じ色の宝石が、すごく嬉しかったから。
他の誰にも渡さないで。
捨てたりなんかしないで。
私に、ちょうだい。
大切にするから。
「皆様も、心静かにお祈りください」
胸元で両手の指を組み、目蓋を閉じて高い天井を仰ぐ。
神々に問う。
私が為すべきことを。
神々と人間の世界を繋ぐ巫として。
神々の末席に座を与えられている女神として。
神々に求められていることを。
私はマリア。
神々に仕え、その意思を言葉として人間に伝え、広める者。
そして多分、新たなる役目を賜った者。
どんなに怖くても、そこから逃げない。
もう、目を逸らしたりしない。
だからどうか、声を。
神々よ、今こそ、その真意をお示しください。
「………………………」
…………そう。
やっぱりそうなのね。
頭の奥に響く、柔らかな声。
女性とも男性とも思える、穏やかな、昔から聞き慣れている声。
やっぱり、神々は私を神殿の外へ導いている。
私は選ばれた。
昨日指示を下さなかったのは、私に覚悟が無かったからだわ。
神々は、私の決断を待ってくれていた。
「神託は下されました」
組んでいた指を解き。
両の手のひらをぴたりと合わせて、その隙間に新しい世界を想像する。
白い、無垢な空間。
神々が行き着く場所。
静寂が満ちる、この世界とは異なる、独立した世界を。
そうして手のひらを離し、創造した空間をここではない場所で拡げる。
『無事に帰り、扉を閉ざしなさい。我らが愛し子、『空間』の女神マリア』
私の新しいお役目は、神々を眠らせること。
勇者達と協力して魔王レゾネクトを討った後。
神々が眠る新しい世界を、私の力で遮断する。
私は、神々と共に眠る最後の女神。
神々の意思を受けて、正真正銘、天神の一族最後の一柱となった。
「女神マリアは、勇者一行と共に魔王レゾネクトを討つ使命を賜りました。巫マリアは本日をもって名誉を神殿に預け、席を外します。神々に仕える敬虔なる者達よ。巫無き後も、弱き者達の支えとして在り続けなさい」
「マリア様!?」
大神官様が慌てて立ち上がる。
騎士達も驚いてる。
表情を変えなかったのは、三人のお客様と……
静かに目蓋を伏せたエルンスト。
「お待ちください、マリア様! 神々の導きを我らに示す巫たる貴女が、神殿を捨て置かれるおつもりか!?」
「それが神々のご意思なればこそ。私は女神として託された使命を果たしに行かねばなりません。神殿を捨て置くのではない。より多くの命を救う為、貴方達を信じて巫の名誉と共に一時預けるのです」
「危険すぎます! そのようなことは彼らにお任せすれば良い!」
大神官様が指したのは、石柱二本を挟んで隣に座るホリードさん達。
「彼らは神々の祝福を授かった選ばれし者。貴女ご自身が出向かれずとも、立派に」
「お黙りなさい! 神々の決定に叛くおつもりですか、大神官たる者が!」
「ぅぐっ……」
昨日、良からぬ企みを聴いてしまったせいかしら?
大神官様の考えが手に取るように解る。
巫に万が一のことがあれば、人間に好都合な旗印が失われてしまう。
人間にとって、と考えているならまだマシ。
一番心配しているのは多分、大神官の立場を保証してきた、神殿の権威が失墜する可能性でしょう?
だからこそ、天神の一族が私の代で途絶えてしまうことを恐れてる。
自分を護るものが失われてしまうと怯えているのは、私と同じね。
それは仕方ない。私が責められた義理じゃない。
でも!
いい齢した大人が、子供に責任を押し付けて良しとする発言はどうなの!?
選ばれたから何!?
祝福を授かったから何よ!?
あの人達がどんなに危険で辛い目に遭いながら、ここまで来たのか!
昨日、この礼拝堂のすぐ近くで、たっぷりと聴いていたでしょうに!!
貴方達が束になっても敵わない相手に挑もうとしている子供達へ!
一人前の大人として向ける言葉が、そんなものなの!?
「マ、マリア様……っ」
「神殿は、貴方達が力を合わせて護りなさい。私は私の使命を果たします」
低い階段に足を掛け、ふと、祭壇へ振り返る。
ステンドグラスの輝きが照らし出しているのは、中庭側の壁一面を飾る、色鮮やかな壁画の数々。
神々がすべての生物に手を差し延べる様子と。
救われた者が感謝の祈りを捧げる様子を精緻に描いてる。
祭壇の下に隠れた翼の紋様は、天神の一族を表す御印。
ここは、ずっと小さい頃から見てきた私の家。
私が生まれ育った……故郷になるのね。
「私は無知で外界に不慣れです。足を引っ張ることも多いでしょう。ですが護っていただく必要はありません。どうか、共に行かせてください」
お客様達の前に立って、深々と腰を折る。
コーネリアさんとウェルスさんは顔を見合わせ、ホリードさんを見た。
ホリードさんは、姿勢を正した私の顔をじっと見上げて……
「嫌だ」
「え?」
「仲間を護れないのは、嫌だ。そう思われるのも心外。それは俺達に対して信用も信頼もしてないって意味になる。信用してくれないと、ちゃんとした仲間にはなれない」
「あ……」
ホリードさんが立ち上がって私の手を取り、朗らかに笑う。
「一緒に来るなら俺達を信じて。俺達も君を信じる。絶対に裏切らないし、裏切らせない。頼るよ。頼らせるよ。覚悟は良い?」
すごく難しいことを言われてる気がする。
私と三人は、ちょっとだけ会話をした? 程度の関係でしかない。
ほぼ初対面のようなもので、互いのことなんかほとんど何も知らない。
はっきり判っているのは、それぞれの立場と進む先。
神々から与えられた役目だけ。
それでも信じると……信じてくれと、まっすぐな目で言うのね。
貴方達と全力で向き合って、私にも対等であれと言うのね?
なら。
「すぐには無理です。旅の間に、私を信じさせてください」
私は嘘一つない心で、その強さに応えるわ。
「……合格! よろしく、マリア!」
取ったままの手をぶんぶんと上下に振って。
ホリードさんは笑みを深めた。
「気安い!」
そんな彼の頭を、立ち上がったコーネリアさんがいつの間にか脱いでいた靴の底で叩く。
ゴツって、かなり硬い音がしたんだけど……大丈夫なの?
ウェルスさんも立ち上がり。
コーネリアさんの肩を抱いて、楽しそうにケラケラと笑ってる。
……こういうのも、信頼あってこそなのかしら?
「騎士団! マリア様をお護りしろ! 拐かしを企む輩が居るぞ!」
え……
大神官様!?
「大神官様、何を!?」
エルンストが慌てて、大神官様を止めようと彼の前面に立ち。
腕で乱暴に払い除けられた。
大声に反応した騎士達が、詰所から一斉に飛び出してくる。
「天神の一族は……マリア様は、神殿にいらしてこその女神なのですよ! こうなった以上、エルンストでも他の騎士でも構わない。一日も早く一族の血を継ぐ子供を孕ませなければ……!」
「…………っ!?」
正気……? 正気なの、この人は?
神々に仕える者の言葉とは思えない。
気持ち悪い!!
「産ませて、それで?」
大神官様に振り向いたホリードさんが、笑顔で尋ねる。
「マリアに子供を産ませて、貴方は子供とマリアをどうしたいのですか? 神々はマリアに旅を指示した。つまり、これ以降の神託は期待できません。伝え広めるべき言葉が無いのだから、巫など、ただの飾り物だ。それを、貴方はどうしたいのですか?」
飾り物……ちょっと胸が痛んだけど、それは事実だわ。
これからの神々はきっと、巫としての私を認めない。
人間に強要されたものなら尚更。
神々は、人間にだけ都合が良い存在とかじゃない。
「元々、我らには神々の御声など聴こえていない。すべては巫マリア様の『お言葉』だ。マリア様とその子供が口にした言葉であれば、それが神々の託宣なのだよ! 例え真実がどうであろうとも!!」
全身の毛が逆立つ。
目の前の景色がぐるりと円を描いて歪んだ。
ふらつきそうになる肩をコーネリアさんが支えてくれなければ、床に倒れ伏してたかも知れない。
……こんな……
こんな風に思われていたの?
私は。私達、巫のお役目は。
天神の一族が代々受け継いできた、誇りある仕事は……!
「つまり、マリアとその子供に適当なことを言わせておけば体裁は保てる。神殿の看板として座っててもらえれば、貴方はそれで満足なんですね?」
「マリア様は元来そうしたお役目の方だ!」
「……って、大神官様はこう言ってるけど。マリアはどうしたい?」
肩越しに目線が送られる。
どうしたいか?
そんなの
「決まってます……。絶対に! お断り!!」
私は神々の指示に従うと、自分で決めたの。
これからを考えると、物凄く怖いし、目の前が真っ暗で。
心境としては震えが止まらない。
それでも、この道を歩いていくって決めたの。
自分の意志で決めたのよ!
「大神官様。いいえ大神官! 私は確かに言葉を伝えるしかできなかった。他に何もしなかったし見ようともしてこなかった。そのせいで貴方に一族のお役目を誤認させているとしたら、それは私の罪だわ。でも貴方のやり方は間違ってる! 真が通らない言葉をばら撒いたって、誰も救えないのよ!」
「人間には象徴があれば良いのだよ! たった一つでも目に映る確かな標があれば、人間は安心してすがり、頼れる! 偽りだろうと本物だろうと! 確かに在りさえすれば、それだけで救われるんだ!」
大神官が言ってる内容は、多分間違ってない。
神殿の権威の保持は、確かに人間の心の支えになる。
敷地の外でも礼拝に訪れる人間が途切れてないことがそれを証明してる。
でも。
「虚飾は一時しか効力を保てない! 偽りの皮が剥がれたら待っているのは手のひらを返した絶望と怒りと嘆きだけ! 尊敬は侮蔑に。信頼は拒絶に。神殿は全面的に人間の憎しみを買うでしょう。そのすべてを背負う覚悟が、貴方にはあるの!?」
「少なくとも女神マリアが本物であれば求心力に問題はない! 誰もお前の言葉を疑いはしない! 疑わなければ、偽りも真実も同じなのだよ!」
無茶苦茶だわ……
こんなのが、人間が求めている神の姿なの!?
神々の意思なんて、初めから無いも同然じゃない!
「……権威を落とさず、神々の指示通りマリアを旅へ連れて行く方法、か。無くもないな」
「な!?」
「え?」
ホリードさんが顎に手を当てて、ぽつりと呟いた。
それに、コーネリアさんとウェルスさんも頷く。
ホリードさんが「うんうん」と、何かに納得した様子で私に笑いかける。
「じゃ、ちょっと頑張ってみようか? マリア様」
……え……?
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