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逆さの砂時計

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侵食する意思

 か細い喘ぎ声を狭い室内に響かせて、ロザリアの体が艶めかしくうねる。
 内側の弱い所を狙って執拗に責めれば、形良い胸先が小刻みに震え。 
 快感に耐えて歪む薄い緑色の目から涙が溢れて弾け飛んだ。
 打ち付ける腰を止めようとしているのか。
 必死に伸ばした両腕が頼りなく宙を掻いて、余計な支配欲を煽る。

「ロ ザ、リア……ッ!」
「ひぁッ あ……アァァ……ッッ!」

 俺が吐き出した熱を受けて。
 開きっぱなしになっていたロザリアの口から、一際大きな悲鳴が洩れた。
 全身がビクビクと跳ね……やがて、力なく落ちる。

「は……ぁ……、はっ…………」

 荒い呼吸をくり返す小さな体を正面から抱きしめて。
 鉄の輪で繋いだままの首筋に、汗が伝い落ちる神父(じぶん)の顔を埋める。
 妙に速い心臓の音は、神父(じぶん)のものなのか、ロザリアのものなのか。

「そろそろ……ベッドを使って眠ったらどうだ? こうしていても、背中も腰も痛むだけだろう」

 ロザリアは何故か、地下室に入れた時からベッドで眠ろうとしない。
 何度か強引に引きずり上げて抱き潰したが。
 毎回、目を覚ました途端に、ぎこちない動きで這いずり降りていた。

「……ほっとけ」

 ふいっと顔を逸らしたロザリアの頬を左手で包み、その目元に口付ける。
 紅潮した頬と、何度も吸い付いたせいで赤く腫れた唇が、堪らなく
 『愛しい』。

「……っ」

 また、だ。

 油断するとすぐに、神父(クロスツェル)の想いが前面に出てくる。
 ロザリアの体を労ろうという思考が、俺の意思とは関係なく勝手に働く。

 奥歯を食い縛り、ロザリアから体を離して立ち上がる。
 処理を適当に済ませ、脱ぎ捨てていた長衣を着直し。
 仰向けで倒れたまま動こうとしないロザリアを放置して、地下室を出た。



 正直、クロスツェルの想いがこれほど強くなるとは思ってなかった。

 心に語りかけた当初、クロスツェルは確かにロザリアを愛してはいたが。
 あの頃はまだ、悪魔の意思を(しの)ぐほどの強い感情ではなかったのだ。
 本当にささやかな、ただ傍らで見守っていられれば良い程度の……
 『親愛』、とでも形容すべきか。
 そういうものだった。

 それくらいの想いに動揺するのだから、神父とは生き苦しい生き物だなと嘲笑っていたのだが。
 それでは結界を壊すほどの反発力には、ほど遠い。
 もっと強くロザリアを求めさせなければと、働きかけたのは事実だ。
 禁欲的な奴には刺激が強めの言葉を選んで、からかってみたりもした。
 そのすべてを、クロスツェルは自身に生じた忌まわしい欲求として捉え、アリアに浄化を祈っていたわけだ。

 いわば、クロスツェルの想いの大半は捏造(ねつぞう)されたもの。
 虚構の筈だった。
 喰ってしまえばあっさり消化するだろうと踏んでいたのだが。
 何故か今、悪魔の意思のほうが、虚構である人間の想いに侵されている。

 偽りの想いが悪魔の意識を侵食し。
 アリアへの殺意が膨らむ一方で。
 それ以上に、ロザリアへの想いが胸を占めていく。

 礼拝堂で喰らう女達と同様に、壊れるまで犯して意思を奪いたい。
 身も心も、すべてを優しく包んで護りたい。
 地下室から解放して、自由に駆け回る彼女の笑顔を見つめていたい。
 殺意と同時に存在する、矛盾した複数の想い。

 それだけの想いを募らせたのは、禁欲の反動なのか。
 それとも、元々隠し持っていた衝動だったのか。
 どちらにしても、面白くはない。

 あれはロザリアだが、やはりアリアで間違いないのだ。
 殺しても殺し足りない、美しくも忌々しい女。

「……っくそ!」

 螺旋状の階段を上っていく途中、石壁で頭を叩いた。
 痛みは感じるが、苛立ちで濁った思考はまったく晴れない。

 力が要る。
 もっとたくさんの強い力が。
 少しでも早く、少しでも多く。

 だが。
 痕跡も証拠も残らないとはいえ。
 手当たり次第に喰らい続けるのは、利口なやり方ではない。
 できる限り顔見知りが少ない、唐突に消息不明になっても大事(おおごと)にならない女を選んではいたが、既に数人の信徒が失踪した形になっている。

 教会繋がりの失踪者が立て続けに出れば、教会に生活の拠点を置いている神父が不審に思われる。
 教会の近辺で必要以上に問題を起こせば人間共が寄り付かなくなり。
 信徒の減少はロザリアの封印に綻びを作ってしまう。

 そうして力が戻ったロザリアは、確実に教会から逃げ出すだろう。
 彼女を教会に繋ぎ止めていたクロスツェルはもう、いないのだから。

 そうはさせるか、と思った瞬間。
 鋭い痛みを訴えたのは、壁に叩き付けた頭ではなく、胸の奥。
 失う恐怖で締め上げられた心臓。

「……黙れ! お前が望んだことだ!」

 どこにも行かないで。傍に居て。
 どうか遠くへ逃げて。これ以上は傷付かないで。
 生きて。笑っていて。幸せになって。
 愛してる。
 ロザリア、君を愛してる。

「黙れ!!」

 もう一度壁に頭を叩き付けて、クロスツェルの声を掻き消す。
 額から伸びた赤い線が、頬から顎へと伝い、雫となって床に落ちた。

「面倒な……。殺してしまえば一夜と掛からずに終わらせられるものを」

 血が滲むほどの力で唇を噛み、地下室を睨むが。
 結局、クロスツェルの声が聴こえ続けている限りは、どれだけロザリアを殺したくても、絶対に殺せないのだ。
 こんなことは初めてで、声の消し方も分からない。

 なら、実体の封印を解くまでの間、ロザリアは玩具だと思えば良いのだ。
 愛する者と繋がっている間は、煩わしい叫びも多少なり大人しくなる。
 駄々を()ねる幼児に、玩具や人形を宛行う感覚でいれば良い。

 そう、自分に強く言い聞かせながら。
 長衣の袖で額の血を拭い、再び階段を上っていく。



 早朝。
 信徒を迎え入れる為、敷地内の各所で鍵を開いてから礼拝堂へ戻ると。
 祭壇の前に見慣れない人影があった。

 礼拝堂の鍵は既に開けておいたから、誰が居てもおかしくはないが……
 空が白みだすにもまだ早い、熱心な信徒でも来ない時間帯だ。
 この時間にクロスツェルやロザリア以外の人影があること自体、珍しい。

 首を傾げつつ、その人影に歩み寄ると。
 短い金髪をさらりと揺らして、澄き通った紫色の虹彩が振り返った。
 まるで遠景の麦畑に訪れた夕闇のような色彩だ。
 吊り上がった目尻が冷たい印象を与える、外見では二十代前半の男。
 体に沿う真っ黒な上下服と黒い靴で、均整が取れた輪郭を強調している。
 その胸元には、アリア信徒の証である銀製のペンダント。
 子供の拳程度の大きさで『月桂樹の葉をくわえた水鳥』の形をしている。

 やはり、信徒か?

 しかし男は、クロスツェルの真っ白な長衣を上から下まで観察し。
 突然、息を溢すように小さく笑った。

「……何か?」

 初対面の相手を見下す男の態度に、若干気分を悪くするが。
 ここに居るのは神父クロスツェルであり、礼拝に来た信徒らしき人間だ。
 それらしい言動と対応を心掛けねばならない。

「いや。なかなか面白い姿だと思ってな」
「面白い?」

 なんだ?
 クロスツェルは普通に神父の格好をしているだけだ。
 この姿のどこに、面白いと感じる要素が…………

 待て。
 この声には覚えがある。
 ずっと昔から知っている。
 芯が通った、力強くも甘い声。

 これは……この男は。

「そうだろう? 数千、数万の時を経ても滅多に見ない傑作だと思うがな。殺したい相手に仕える気分はどんなものだ? ベゼドラ」

 反射で数歩後ろに飛び退いた。

 やはり、そうだ。
 アリアに封印された時にも聞いた声。
 かつては悪魔の頂点に座していた男。

「貴様……レゾネクトか!!」

 髪の長さも容姿も、見知ったそれよりは、いくらか若いが。
 色彩と声だけは変わっていない。
 闇に属する者の、王。

「何故……何故貴様が、現代、この世界に居る!? アリアが現れる以前に、勇者一行共々、異空間へ飛ばされていた筈だ!」

 レゾネクトは両肩を持ち上げ、祭壇に向き直った。
 クロスツェルの体を利用して女の信徒達を喰っていた、まさにその場所を指先で正確に辿り、愉快そうに口角を上げる。

「神父の魂を喰い、その器で処女を犯していたか。悪魔としてはまずまずの働きだが、美しいやり方とは言えないな。……なるほど。急いていたのか」
「……!?」
「結界が壊れた理由は、『クロスツェル』と『ロザリア』………… っ!?」

 レゾネクトの口元から笑みが消える。
 細い目が、異様なほど丸く見開かれ。
 祭壇が音を立てて真っ二つに裂けた。

「貴様…………アリアを汚したか!!」

 レゾネクトの怒号に合わせて、礼拝堂内に紫色の稲妻が三本走った。
 凄まじい轟音(ごうおん)と風圧が木製の長椅子を弾き飛ばし。
 壁に掛けられていたタペストリーを千々に引き裂く。
 神父の体も軽々と吹き飛ばされ、入口付近の壁に叩き付けられる。

「が……っ! はっ」

 体の奥で砕け、潰れる鈍い音がして、喉から赤黒い血が噴き出した。
 稲妻が収まり、激痛に苛まれた体が崩れ落ちる。

「彼女を悪魔の力で汚すなど! 消滅する覚悟あってのことだろうな!?」
「っぐ……!」

 歩み寄ってきたレゾネクトに腹部を思いきり蹴られ、踏みつけられた。
 吐き出した血が宙に飛び散り、レゾネクトの靴を濡らす。

「貴様はアリアを憎んでいたな。封印された時は、さぞ屈辱だったろう? だから、()()で存在を消し去ってやる。死の間際まで彼女に敗北する苦渋を思い知れ」

 そう言って、レゾネクトが両手に構えたのは。
 ()()()()()()()弓矢。

「……な……んだ、と」

 ()()は、アリアの色。アリアの力。
 闇の王レゾネクトが持ち得ない筈の、神聖なる光。
 闇を滅ぼす、女神の力。

「眠りすらない虚無に散れ、ベゼドラ」

 光の弦が引き絞られる。
 見開いた金色の目に、(やじり)が煌めいて。
 薄い緑色の閃光が視界を埋め尽くした。

 
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