逆さの砂時計
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解かれる結び目 9
私を加えた魔王討伐の一行は、海辺の村から旅を再開した。
晴れた日の海の青は、確かにエルンストの目と同じ色をしていたけれど、鮮やかさは桁違いだったわね。
エルンストの青のほうが深くて、じっと見てたら吸い込まれそうだった。
陽光を浴びて波立つ海面ほど、きらきら光ってはいなかったけど。
「くおら、アホリード! お前、また好き嫌いしてるだろ。イルマばっかり残しやがって!」
「イルマだけはどうしても苦手なんだよ。苦いし青臭いし……コーネリアのポトルと交換してくれ」
「断る。貴重な作物を分けていただいてる分際で、贅沢を言うな!」
「アルフの舌ってお子様だよな~。そんなんじゃ女をイカせられないぞ?」
「「食事中の下世話厳禁!!」」
海から平原へ。
平原から地底へ。
地底から山奥へ。
私達は、魔王レゾネクトが世界各地に残していく傷跡を辿り。
他の生物に危害を加える悪魔達を退けながら。
見知らぬ世界の形に感動しながら。
少しずつ、少しずつ、互いを知っていく。
三人は本当に仲が良かった。
というより、アルフリードが微妙に子供扱いされていた。
それは、私と同じ年齢のコーネリアが、一歳年上のウェルスとの間で既に子供を二人も生み育てていたことと関係していたのだと思う。
「あ、俺だけじゃないぞ、ほら。マリアは食べないのか? 全然手をつけてないじゃないか」
「露骨に誤魔化そうとするんじゃない、ドアホリード!」
「あ……ええと、食べようと思えば食べられるんですけど、基本的には何も摂取する必要がなくて」
「ウソ!? 一応は人間混じりだろ!? 食事無しで生きていけるもんなの!?」
「おい、ウェルス。女性ににじり寄るな! 失礼だろうが!」
「はあ……そう、ですね。昔から、たまに水を飲むくらいです」
「すげぇ! 女神すげぇ!! 体の構造はどうなってんの!? 子作りとかど」
「「お前は一回死ね!!」」
「ぷぎゅす!」
コーネリアとウェルスは、単身旅をしていたアルフリードが何度も何度もめげずに誘いかけたことで仲間に加わったらしい。
アルフリードは、悪魔退治を通じて知った二人の力と人柄に惚れ込んだと言っていた。何十回もの声掛けを経て、これが最後と決めた勧誘をした時、初めて子供達の存在を明かされた、とも。
十代半ばで結婚して子供までいれば、魔王討伐の旅などできる筈もない。
事実を知って諦めかけたアルフリードだけど。
最終的に折れたのは、コーネリア達だった。
二人が幼い子供達を実家に預けてまでアルフリードに同行した理由は、
『アルフリードが、アホリードすぎるから』
私がその言葉の意味を理解したのは、旅を始めて少し経った頃。
そこそこ高い山の斜面にあった、名も無い小さな村に着いた時だった。
村は、私達が辿り着く前日の夜に、複数の悪魔の手で焼き払われていて。
広範囲に渡って焼け焦げ、剥き出しになった地面には、元は生物だったと思われる黒い塊が点々と転がっていた。
悪魔達から逃げようとしたのだろう。
口を大きく開いて手を伸ばしたまま力尽きているものや、身を寄せ合って固まっているものもいた。
人間も動物も植物も、悪魔にとっては、ただの玩具か食料でしかない。
そういう知識はあっても、そこまで酷い惨状を目にするのは初めてで。
私は、込み上げる嫌悪感と驚愕と恐怖と吐き気に耐えられず。
しばらく身動きが取れなかった。
「アルフリード。こっちに来い」
一歩も近付けない私を、少し離れた場所の難を逃れた木にもたれかけ。
三人は、バラバラに転がっていた遺体達を集め、黙々と埋葬していた。
その中で一人だけ。
折り重なる二人に包まれ、辛うじて命を繋いでいる子供が見つかった。
けれど、わずかな隙間から覗くその顔は憔悴し切っていて。
固まって貼り付いた、子供の両親であろう二人を無理矢理引き離し。
なんとか引っ張り出した小さな体には、ほとんど意識がなかった。
髪先は焦げて縮れ。
衣服で護られていない皮膚の所々が青や紫に変色して異常に膨れ上がり。
手足にはおびただしい数の水疱を作って。
それでもまだ生きていた小さな命を、アルフリードは。
「頑張ったね。よく頑張った。もう、大丈夫だからね」
そう言って、しばらくの間笑顔で、額に額を重ねて……看取った。
いつもはふざけているウェルスも。
こういう時ばかりは、静かに唇を噛んで目蓋を伏せていた。
流れ落ちることはなくても、その目を濡らす哀切が確かにあったことを、私達は知ってる。
だから。
立ち上がったアルフリードの表情が。一言が。
信じられなかった。
「ちょっと所用してくる。これも始末しといて」
「…………っ!?」
私が直視できなかった子供の凄惨な姿を見て触れたアルフリードが。
たった今まで笑顔を注いでた相手を指して、これと呼び。
いつもと変わらない笑顔で、始末してと言った。
自分の目と耳を疑ったわ。
私が少し距離を置いた場所に座っていたから。
そのせいで聞き違えたか、見間違えたんじゃないかって。
でも。
「ああ。漏らすなよ。汚いから」
ウェルスが普通に答えて。
「失礼な奴だな。当然だろ」
アルフリードも、さらっと笑顔を返して。
彼はいつもと変わらない歩調で、無事だった木々の隙間に姿を潜らせた。
いつもと変わらない。
本当に、神殿で出会った時と何一つ変わらない笑顔と仕草で。
「え? あ! マリア、ちょっと待っ」
「いい、ウェルス。行かせてやれ」
アルフリードは笑顔が良いと言っていた。
いつだって、どんな時だって、笑ってるほうが良いと。
だけど、こんな時にまで朗らかに、爽やかに笑うの?
命が失われた瞬間にまで笑って、死んだら廃棄物のように扱うの!?
そんなのってない!!
おかしいわよ!!
私はアルフリードへの気持ち悪さと怒りを胸に抱えて、彼を追いかけた。
吐き気で目の前が不自然に揺れていたけど。
そんなことはもう、どうでもよくて。
ただ、彼に面と向かって言いたかった。
貴方はおかしい、狂っている、と。
「アルフリード!」
私に背を向けて立っていた彼は、声に驚いて振り返り。
私の姿を認めた瞬間、ふにゃりと気が抜ける笑顔を浮かべ。
「…………あーあ。所用だって、言ったのに」
一粒だけ。
頬に雫を伝わせた。
「アル、フ?」
「本当にしてたらどうするんだよ。恥ずかしいじゃないか」
彼の横に生えていた木の幹へ、ズルズルと。
背中をこすりつけながら、地面に座り込む。
そんなアルフリードの姿に、いつもと同じものは、無かった。
「これ扱いが気になった? ごめん。酷いとは思うんだけど割り切らないと頭がついていかないからさ。世界中で、普通にあるんだよ、こういうコト。マリアはまだ知らないだろうし……知らない人間は、知らないままでいても良いと思うんだ。そういう場所もあるんだって……、それはそれで良いっていうか……、俺にとっては、それが救いになってる、っていうか……」
アルフリードは片足を伸ばして、もう片方の足を胸に寄せて抱える。
正面を遠く見つめる目から、また一粒、透明に光る雫が零れ落ちた。
「……マリアさ、神殿で尋いただろ? どうして笑っていられるのかって。俺はね、あの時ちょっとびっくりして……嬉しかったんだ。ああ……俺は、まだ笑ってるんだなって。笑ってるように見えてるんだなって」
「…………」
「笑っていたいし、笑っていて欲しいじゃないか。そうじゃなきゃさ……、護りたいものとか……、帰りたい場所とかが……わからなく、なるんだよ。見失う……から……」
底抜けに明るい、太陽みたいな勇者アルフリード。
どんなに痛くて苦しくて辛い目に遭っても、いつだって笑顔で。
魔王討伐の対価でさえ、皆に笑顔を要求した、おかしな人。
だけど。
「……マリア?」
子供だ。
まだ、十代の子供なんだ。
拠り所が無い旅へ、たった一人で送り出された、幼い少年。
覚悟があったって、怖くない筈がない。
寂しくないわけ、ないじゃない。
私が神殿で神々に護られ、人間達に愛されてぬくぬくと育っている間に。
この人は、どれだけの傷を負ってきたの?
それをずっと、こんな風に隠してきたの?
……一人で、泣いてきたの……?
「私を……私を護ってください、アルフ」
アルフリードの前に立って、地面に両膝を突き。
木陰にあってなお陽光のように眩しい金色の頭を、そっと胸に抱える。
私はこの時、他に言葉を見つけられなかった。
本当は言葉なんて要らなかったのかも知れない。
でも、何かを言わずにはいられなかった。
初めて見る世界で。
初めて見るアルフリードの弱い姿が、怖いくらいに頼りなくて。
そよ風に揺れる灯火よりも儚く見えて。今にも消えてしまいそうで。
だから、繋ぎ留めておきたかった。
私が繋ぎ留めたらどうなるか、なんて、深く考えもせずに。
「私が貴方の帰る場所になります。だから、貴方が笑っていられるように。貴方が迷わず帰ってこられるように。私を護ってください、アルフリード」
この人を護りたい。
笑顔一つで自分の世界を護ろうとしている、強くて弱いこの人を。
護りたい。
護りたいと、強く思った。
「……なんか、求愛されてるみたい」
「! ち、違います! そんなつもりは……っ!!」
慌てて離れる私の手を取り。
甲に唇を軽く押し当てた彼はもう、いつものアルフリードだった。
いつの間に拭ったのか、頬を伝い落ちた涙の筋は消えて。
赤みを帯びた橙色の目を緩く細めて、彼は微笑んだ。
「護るよ。俺が触れた物、心。俺の手が届く限りの、すべてを。……君も。必ず護り抜くと、神々に誓おう」
実直で。愚直で。
自分にも他人にも厳しくて、優しい人。
きっと、どこの誰よりも強い人。
だけど、指先で簡単に割れてしまう薄ら氷のような脆さを隠してる。
その危うさに気付いたから、コーネリア達も彼を放っておけなかった。
『アホリード』は、弱い彼に与えられた、二人なりの激励と抱擁の意味を込めた愛称だったんだ。
「はい。護ってください。貴方の世界を」
私はさすがにアホリードとは呼べなかったけど。
アルフリードの傍で、彼の支えになれればと思った。
これ以上、この人を悲しませてはいけない。苦しませてはいけない。
彼の隣に立って、彼を傷付けるものすべてから、彼を護りたかった。
それからも旅は続く。
ある時は、とある王国の転覆を企む悪魔に突然強襲され、返り討ちに。
またある時は、神の力によって時間の流れを緩やかにされてた枯れかけの世界樹周辺に私が結界を張り、アルフリードが祝福を分けて再生を促した。
この頃だったわね。
時々、奇妙な視線を感じていたのは。
襲ってくるでもなく、関わろうとしてくるでもなく。
遠くから黙って様子を見ているだけの、真意が読めない気配と視線。
なんなのかしら? と、視線の主が居る辺りを『空間』の力で探って。
見つけたのは、真っ黒な短髪と褐色の肌と紅い虹彩を持つ男悪魔。
いつしか、空間越しに何度か視線が重なるようになって。
そのたびに面白くなそうな顔をして、どこかへ跳んで消えてしまう。
そんな彼の話をアルフリードにしたら。
アルフリードは悲しそうに、ちょっとだけ嬉しそうに、笑っていた。
「良いんだ。あいつは本当に、ただ見てるだけだから。放っといて大丈夫」
「なんだ? あの悪魔、また来てたのか。いっそ一緒に来ればいいのにな」
「あいつは来ないよ。そういう奴だ」
私が仲間に加わる前からの、わけありな知り合い?
と、首を傾げてから思い出したのは、神殿で聞いたアルフリードの言葉。
親友を裏切ったと言っていた、あの時と同じ表情を見せたアルフリード。
もしかして、彼が?
そう思い至った頃にはもう、現れなくなっていた。
貴方を恨んでいるわけでも、責めるつもりでもないけれど。
もしもこの頃に、貴方とアルフリードが直接言葉を交わしていれば。
あるいは、私達と行動を共にする機会があれば。
アルフリードの未来は変わっていたかも知れないわ。
ねえ、ベゼドラ……
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