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逆さの砂時計

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解かれる結び目 12

「マリ っ!?」

 キスの間に、二人を包む空気が変わった。
 屋内の静寂は川のせせらぎに。
 屋内の薄暗さは、陽光を遮る鈍色の雨雲が引き継いだ。
 ほんの数分前、仲間が全員揃って居た、最後の場所。

「…………ありがとう、アルフ」

 貴方がくれた言葉。
 貴方がくれた想い。
 全部、私の勇気に変わってた。
 だいっきらいなんて言って、ごめんなさい。
 本当は……

 …………言えないわね。
 私は嘘吐きだから。

「さよなら」

 貴方の姿を。
 真昼の陽光のような金色の髪と(だいだい)色の虹彩を。
 しっかりと目に焼き付けて、目蓋を閉じる。

「! マリア!」

 アルフの手を避ける為に背を向けて駆け出し。
 思い浮かべるのは、仲間が二人も殺された場所。
 魔王を結界で閉じ込めている、隣の国の王城内部、玉座の間。

「痛っ?」

 一瞬、ズキ、と翼が痛んだ。
 足を止めて開いた視界は、薄暗い屋内を捉えて。

「勇者アルフリードを逃がしたのか? 女神マリア」

 階段の一番下に座り直していたレゾネクトと、目が合った。
 コーネリアとウェルスを一瞬で殺した男悪魔は。
 本当に何の悪意も害意も持たない瞳で、涙が伝い落ちる私の顔を見てる。

「何故、泣く?」
「……悲しいからよ」

 不思議そうに首を傾げる様子は、まるで無知な幼子そのものだ。
 実年齢は私より遥かに上の筈で、容姿も人間で言えば三十代ほどなのに。
 見目が並外れて美しいだけの、可哀想な青年。

「貴方を愛し、貴方が愛せる誰かが、貴方の傍にいれば、良かったのにね」

 両手を合わせて、王城全体を包む空間を想像する。

 ごめんなさい、エルンスト。
 こんな使い方をするとは、私も思ってなかったの。

「一緒に来てもらうわよ、魔王レゾネクト」

 私の左肩にある、片翼を広げた形の銀製ブローチ。
 薄い水色の宝石の内側に、『空間』の力で包み込んだ王城を圧縮して……
 移す!

「……ああ。城を丸ごと空間転移させたのか。すごいな。真っ暗だ」

 元々薄暗かった空間が、自分の体も見えないほどの真っ黒な闇に染まる。
 私の肩から消えたブローチは王城跡の抉れた地面に転がっているだろう。
 風化するなり、いっそ神々が拾って壊すなりしてくれれば良いのだけど。

 大切にするから、なんて、本当に酷いわね。私。
 また一つ、気持ちを嘘にしてしまった。

「それで? 貴様は何故、こちらに残ったんだ?」
「この空間を完全に閉ざす為よ。私が外界に出たら道が出来てしまうもの。貴方をあの世界から完全に隔離(かくり)して対話するには、他に方法が無かった」

 予定は狂ってしまったけど、結果としては神々の世界で眠るのと同じだ。
 内側から閉めた扉は、外側からでは開かない。
 私と同じ『空間』を司る力か、それ以上に強い力が無い限りは。

「隔離して、対話? 殺しにきたのに?」
「アルフは貴方を殺そうとしなかった。だから、隔離したのよ」
「理解できないな。魔王(おれ)の抹殺が勇者一行の役目だろう。放棄したのか?」
「アルフは貴方の疑問に答えようとしたの。貴方と向き合おうとしただけ。彼は、向き合える相手なら殺す必要はないと思っているの。それがたとえ魔王(あなた)であっても」

 その優しさがアルフの強さで、弱さだった。
 彼は今、コーネリアもウェルスも失って、とても悲しんでる。
 護りたかった世界の欠片を目の前で砕かれて、心が悲鳴を上げている。
 それでもまだ、レゾネクトとの対話を望んだ。
 レゾネクトの心を助けようとしたんだわ。

 でも、アルフの言葉がレゾネクトに届くとは思えない。
 彼の闇は深すぎる。
 あのままじゃ、アルフまで殺されてた。
 私なら、いざとなれば新しい空間を作って逃げ込めるけれど。
 アルフには、それができないから。

 私は、貴方だけは死なせたくなかった。
 どの道、傍には居られないとしても。
 貴方の死だけは、絶対に見たくなかったのよ、アルフリード。

「疑問? ……ああそうだ。疑問だ。俺は何故、この……いや、あの世界に居たんだ? 貴様でも構わない。教えてくれ」

 レゾネクトが、くり返し口にする疑問。
 自分は何故生まれ、どうして生きているのか。

 ……目的が見つからないのね。
 どこへ行って、何をしたら良いのか。
 どこへ行きたいのか、何をしたいのか。
 与えられる(しるべ)も無く。
 自らで獲たい物も見つからず。
 ただただ強大な力だけが手元にあって。

 もしかしたら、そのせいで余計に解らなくなっているのかしら。
 既に強いから強くなりたいとも思わないし、欲しい物や護りたい物は? と言われても、この様子では触れたものを片っ端から壊してきたのだろう。
 あっさり壊れるものに、興味を抱く余裕がなかったのかも知れない。

「その疑問には誰も答えられないわ、レゾネクト」

 法衣の袖で涙を拭う。
 こすれた目蓋がちょっと痛い。

「勇者は、教えると言っていた気がするが」
「そうよ。彼は教えようとしたの。貴方が見落としてきた世界を、もう一度ちゃんと見せることで、貴方自身が気付けるように。貴方が抱いた疑問は、貴方にしか解けないのよ、レゾネクト」

 たくさんのものを見よう。
 たくさんの音を聴こう。
 たくさんのものに触れよう。
 感じるのは、その目と鼻と耳と……とにかく、貴方自身のすべて。
 誰かからの言葉だけじゃ伝わらない熱を、貴方自身で感じ取るの。

 その中に、心を動かす何かがきっとある。
 それを見つけて、初めて気付けるのよ。
 貴方が、世界と、どんな風に関わりたいのか。
 どんな風に生きていきたいのか。

 それが、貴方が生まれた理由になる。
 それが、貴方の存在を形作るの。

「貴方の目に美しいと感じるものは無かった? 心地好いと感じる音は? 手当たり次第に壊して、その記憶に、心の中に、何か一つでも残ってる? 何も無いでしょう? 貴方が探してる答えは、その手で掴み取りたいもの、包みたいものだったのよ」
「何かを掴む為、包む為に、居た? 美しい もの?」

 闇に沈んだレゾネクトは、動こうとする気配もなく、ぽそっと呟いた。

「……触れてみたい、美しいもの……なら、ここにもあるな」
「?」
「貴様は美しい」
「……っ!?」

 真っ黒な闇の中、離れた場所に、透き通るような紫色の虹彩が浮かぶ。
 美しいと誉められたのに、全身で悪寒が走ったのは。
 それが決して好意から来る言葉ではないと理解しているからだ。

「薄い水色の女神マリア。その純白の翼を裂いたら、どうなるんだろう?」

 心臓が凍る。
 体が勝手に震えだす。

 純粋な興味。
 敵意も殺意も、悪意や害意すら無い、ただの好奇心を向けられることが、こんなにも恐怖を感じさせるだなんて、思ってもみなかった。
 今すぐ逃げなきゃ、殺され

「温かいな」

 …………なん、で?
 ()()()()()()()()()()のに。
 何故か私の背後に立っているレゾネクトの手が、私の左の翼を掴んだ。

「血が通っているのか?」

 レゾネクトの手が、翼に食い込んで、

「――――っうあ、ああ、あぁぁあああああああっっ!!」

 痛い。痛い、痛い、痛い痛い痛い!!
 心臓が背中から引き抜かれていくような。
 全身に細い針を大量に突き刺されているような。
 頭の中をぐちゃぐちゃに掻き回されているような。
 鈍くて鋭い痛みと恐怖が、私に悲鳴を上げさせる。
 涙が散った視界に、白い閃光が明滅する。

 翼が……、私の力が、無理矢理、引き千切られっ……!

「あぁあああ……っ!!」

 激痛に堪えられず床に転がった私の肩を、両手でうつ伏せに押さえ付け。
 馬乗りになったレゾネクトが、翼があった場所を興味深そうに見下ろす。

「血が出るわけではないのだな。そういうところは神々と同じ造りなのか。人間の器と大差ないように見えるんだが」
「!? っいやあああああ!!」

 傷口を確かめるように法衣を裂いた冷たい指先が、無遠慮に肌をなぞる。
 翼の痕跡は完全に失われても、力の切断部がビリビリと痛みを訴えた。
 切り傷に高濃度の塩水を塗り込んだ刺激に似てる。
 でも、それはすぐに治まって。

「く……ぅ っあ、あ……」
「面白いな。翼の欠損は、神力だけでなく体力にも影響が出るのか」

 急激に思考が落ち込む。
 視界で弾けていた光が、少しずつ小さくなって、消えていく。
 痛みも吐き気も、焦燥感も(しぼ)んで、消えて。
 残ったのは、小刻みにくり返す呼吸と、目の端から床へ伝い落ちる涙。
 それから、明確な喪失感。

 私は、『空間』を司る力を、半分失った。
 もう、この空間からの移動は……できない。


「マリア――――ッ!!」


 ……え……

「! 勇者?」

 レゾネクトが私から飛び退く。
 私の背中の上を、ヒュンと音を立てて白い剣光が走った。

「マリア……!」
「……ど、し……て……」

 闇の中でも眩しく輝く太陽が、私の上半身を仰向けに抱き上げて。
 今にも泣きだしそうな悲痛な表情で、私の目を覗き込む。

「置いて行くな! 俺を一人にするな! もう誰も裏切らせないでくれ!!」

 私の頭を抱えた手に、純白の羽根が一枚、握られてる。

 まさか、王城に移動してきた時の、あの翼の痛みは……

 ……そんな……そんな!
 私は、もう……!!

「い、や……っ! アルフ……!」

 死んでしまう。
 死んでしまう!
 貴方にだけは、生きていて欲しかったのに!!

「レゾネクト」

 アルフが怒ってる。
 私を傷付けたレゾネクトに、泣きながら怒ってる。
 今までにない、険しい表情で。

「翼と羽根は引き合うのか。力は、より強い力に惹かれる。なるほど」

 離れた場所からレゾネクトの声が聴こえる。
 アルフが私を床に横たえて、立ち上がる。

「貴方を、可哀想だと思う」

 アルフの全身が純白の光を放つ。
 暗闇に慣れた目には痛いほどの眩しさが、玉座の間全体を照らし出す。
 また、玉座への階段の一番下に座っていたレゾネクトへ。
 神々の祝福を授かった剣の切っ先を向ける。

「できるなら、助けたかった。一人であることがどれだけ恐ろしいか、俺はよく知ってる。でも、貴方はマリアを傷付けた。それだけは……それだけは絶対に赦せない!」
「アルフ!」

 起き上がろうとする私の側で剣を構え、跳ぶようにまっすぐ走る。
 白い閃光が、赤い絨毯の上を滑って。
 首を傾げるレゾネクトの目前まで迫った。

「助ける? 恐ろしい? 貴様の言葉は、どうにも不可解な物ばかりだ」

 アルフの切っ先が、レゾネクトの額……の、残像を貫く。
 冷静に剣身を返し、上半身をひねる勢いで背後に腕を回すと。
 ギリギリの距離でかわしたレゾネクトの横髪が数本、床に落ちた。

「それに気付けていない貴方が哀れなんだ、レゾネクト!」

 足先を反転して、間合いを詰めるけど。
 アルフの、振り下ろす斬撃も、薙いだ一閃も、素早い刺突も。
 レゾネクトはすべて、少ない動きで(きわ)を避ける。

「貴方は探してるんだ。自身が存在してる理由を。生きても良いと言われる理由を!」
「生きても良いと言われる理由?」
「自身を知りたいってのは、そういうことだ! 世界中のどこにも居場所が無いと感じてる。それが寂しいんだ。恐ろしいんだ。貴方は、誰かに孤独を埋めて欲しかっただけ!」

 何の為に産まれたのか。
 何故この世界に居るのか。
 どうして生きているのか。
 存在する理由が知りたい。
 存在し続ける意味はどこにあるのか。

 ……教えてくれないか。

「誰かに尋こうとしてたのは! 教えて欲しいと思っていたのは! 誰かに貴方の存在を認めてもらいたかったからなんだよ!」

 剣で斬る。
 突く。薙ぐ。
 軽々と避け続ける黒い影を、光る刃が追いかける。

「貴方は可哀想だ! 自分で自分を孤独に追い込んで、それでも求めてる。居場所を求めてるんだ!」

 だから、教えてあげたかった。
 見過ごしてきた物事の中に、きっと答えはあったんだと。
 気付かせてあげたかった。

 アルフは怒りを隠そうともせず、それでもレゾネクトを憎んだりはせず。
 まだ、向き合おうとしてる。
 レゾネクトの問いかけに答えようとしてる。

 でも。

「何かを獲る為に、居た? それを得ることが、俺の存在を確定させる? それは後付けじゃないのか? ……いや。勇者達も、使命を与えられたのは生まれた後だから、そういうものなのか?」

 難しい問題を解こうとしてる子供みたいな表情で。
 レゾネクトは、アルフの攻撃をかわし続ける。

「自分で決めて良いんだよ。生まれた理由も生きる意味も。でも、一人じゃ絶対に見つけられない。鏡になる物が無ければ自分の姿を見るのも叶わないように。誰かや何かを通して初めて、自分の形を知るんだよ、レゾネクト。答えが欲しいなら、世界を壊すのではなく、向き合えば良かったんだ!!」
「ぐ……っ」

 ヒュ、と。
 アルフの剣からムチのように放たれた閃光が。
 レゾネクトの体を(したた)かに打ちつける。
 左肩から右の脇腹にかけて、黒い法衣が斜めに斬り裂かれる。
 隙間から覗く白い肌に、鮮血が一筋滲んで、零れ出した。

「そうか……。つまり」

 腕を返し、続けて攻撃を繰り出そうとするアルフの前に。
 身を低くしたレゾネクトが すぅっと滑り込んだ。

「貴様は、俺の疑問に答えられないのだな。勇者アルフリード」

「――――っ!」

 腕が届く距離。
 アルフは一瞬、躊躇した。
 その一瞬が命取りになると知っていても。
 アルフの強い優しさが、腕を引き止めてしまった。

「なら、もういい」

 レゾネクトは、ためらわない。
 欲しいものをくれない相手に用は無い。

 引いた右腕がアルフに狙いを定めてる。
 踏み留まりかけたアルフの心臓へと、まっすぐに突き出され……

「…………っだめえぇええええええええ!!」

 アルフの横に瞬間移動する。
 アルフの体を突き飛ばす。

 レゾネクトの腕が。
 私の体に、脇腹に。
 深く、突き刺さった。


 
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