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逆さの砂時計

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不透明な光 4

「なんだアイツ? 結局、屋敷に戻るのか」

 レネージュから預かった書状を持って、村長の元へ走っていった村人。
 その村人とすれ違い、ベゼドラが頭を掻きながらのそのそと歩いてきた。
 レネージュより先に村へと戻っていた彼は、簡単な報告をしてくれた後、面倒くさい。死ぬ。寝る。と言って、宿で横になっていたのだが。
 悪魔でも睡眠が必要なのかと、こっそり笑ってしまったのは秘密だ。

「貴方が彼女のご友人を目覚めさせてくれたから、でしょうね」

 レネージュの腕に刻まれていた切り傷や爪跡が痛々しかった。
 男から惨い仕打ちを受けたのだろうに、それでも、その妹である友人を
 ……いや、自分の義理の妹を護ると決めたのだ。

「強い女性です。子供達が慕う気持ちもよく分かります」
「別にどうでもいいがな。契約はちゃんと履行したんだし。だが、野良魂は二度と喰わん。クソ面倒くせえ」
「貴方の悪食が、結果的に彼女達を助けたのだと思えば、責めて良いものかどうか、ちょっと迷ってしまいますね」

 クロスツェルは両肩を持ち上げ、苦笑いを浮かべた。



 アリアを捜す旅の途中。
 クロスツェルとベゼドラは一時(いっとき)足を休める為に、とある街へ立ち寄った。
 その街の宿のロビーに貼ってあった地図で気になる村を見つけた二人は、そこへと向かう道中で不思議なものと遭遇する。
 通常であれば人間には見えない筈の魂が複数、森の中を漂っていたのだ。

 ベゼドラによると、強い意志を持ったまま肉体を失くした魂は、稀にだが普通の人間の目にも映ることがあるらしい。
 人間の世界では、『幽霊』や『霊魂』と呼ばれるものだった。

 労せずして食事ができると大層喜んだベゼドラは、クロスツェルの反対を無視して、その中の一つをペロリと平らげてしまう。
 すると、他の魂達が急に「助けて」と叫びながらベゼドラの周りを囲んでぐるぐると走りだした。

 実際は、白っぽく光る手のひらほどの球体が宙を飛び回っていたのだが。
 クロスツェルの視界では地に足を着けて走る人間の姿に見えていたので、この場合は『走る』が正しい表現だろう。

 ちなみに、頭の天辺からベゼドラの口の中へと吸い込まれていく半透明な人間の図、というものは、なかなかに気持ち悪かった。
 普通に立っていた人間が、ベゼドラの口の大きさに合わせて頭から骨格を無視して圧縮されていき、最後の瞬間、足先はゼリー状になってプルンッと弾み、ツルッと呑み込まれるのだ。
 生理的嫌悪とでも言おうか、これにはクロスツェルも背筋を粟立てた。
 生きた人間の首筋に噛みつかれたほうが、絵面的にはまだマシである。
 もちろん、喰わせずに済むならそれが一番良いことは、言うまでもない。

 しかし、魂達はそんな風に喰われるのが嫌で暴れ出したわけではなく。
 自分達は全員喰われても構わないから、その代わりこの森の近くの屋敷に住んでいる男の、海辺の村の人達に対する暴挙を止めてくれと訴えていた。

 ベゼドラは露骨に嫌そうな渋い顔をしたが、実際に彼が魂を喰った瞬間を目撃してしまったクロスツェルが、せめて食べた分だけでもお返しするのが筋というものでしょうと説教した。
 耳を塞ぎ、目を逸らして逃げようとするベゼドラの背後から、それはもうしつこくしつこくしつこくしつこくしつこくしつこくしつこく(以下略)、話を聴いて差し上げなさい。と。

 熟練度が異様に高いクロスツェルの説教に根負けしたベゼドラは、嫌々で仕方なく、魂達が導くまま、森と平野の境に建っている屋敷へと侵入する。
 見た目は壮大で豪華な石造りの屋敷には、使用人と思しき屍が十数体と、悪魔憑きの男が一人。
 ついでに、複数の生命力を注ぎ込まれながらなんとか生き永らえている、抜け殻のような女が一人、居た。

 真昼だというのに、男は動かない女の体を夢中で抱いていた。
 男の中身が悪魔だとは一目で判ったが、それは思いもよらぬ光景で。
 ベゼドラは不思議そうに目を瞬き、それから、少しだけ笑った。

 高い柵も鍵も通用しないベゼドラにだけ屋敷の中を隅から隅まで案内した魂達は、裏口で待っていたクロスツェルと合流し、魂達が知る限りの過去を零から百まで懇切丁寧に説明する。
 屋敷の所有者や男と女と村の関係、魂達が屋敷の使用人だったことなど。
 その上で、二人が訪れたちょうどその日、紅い髪の少女が、男から本気で憎まれているとも知らずに嫁いでくるから、助けてあげて欲しいと願った。
 男は婚姻を利用して少女を屋敷に閉じ込め、人知れず殺すつもりでいる。
 けれど幼馴染である少女が殺されてしまったら、女がとても悲しむから。
 どうか少女自身の為にも、女の為にも、紅い髪の少女を助けて欲しいと。

 魂達は、男に悪魔が憑いていることを理解できていなかった。
 男は女を……実の妹を愛するあまりに、心が壊れてしまったのだと言う。
 病に人生を狂わされた、とても可哀想な子供達なのだと。

 とりあえず、屋敷の様子を窺う役目はベゼドラに任せて。
 クロスツェルは海辺の村まで紅い髪の少女を見に行くことにする。

 元々訪れるつもりだった海辺の村では、結婚式の準備が整いつつあった。
 木造の住宅が建ち並ぶ小さな漁村の民達は皆、船が出せなくて困っていたところを屋敷の男に助けられたと、この結婚を心から喜び、祝福していた。
 あんな器量が良い男に嫁げる少女は幸せ者だ、と。

 村と屋敷。
 人間と悪魔。
 少女と兄と妹。
 それぞれの事情の表裏を知ったクロスツェルは、複雑な思いで宿を探す。
 祝賀の空気に包まれた村は、来訪者を快く迎え入れてくれた。

 結婚式が始まると、こっそり男の後を尾けてきたベゼドラが、花嫁の首を飾る貝殻のペンダントを見て、「アリアの力を感じる」と言い出した。

 クロスツェルにペンダントの出所を詳しく調べろと言い残し、村の事情も聞かずに急いで屋敷へ戻ったベゼドラは、魂達を喰う代わりに少女を助ける契約を交わした。
 そしてそれは果たされ、少女達は悪魔から解放されたのだ。



「まあ、悪魔が自分の生命力を人間の娘に分け与えるなんて、珍しい場面も見られたしな。その点じゃ愉快だったが」
「悪魔の生命力? グリークさんの生命力ではなく?」

 皮肉な笑みを浮かべるベゼドラに、クロスツェルは首を傾げる。

「両方だ。男の生命力だけじゃ足りなかったし、悪魔の生命力を注ぐ為にも男の体を維持する生命力まで使い切るわけにはいかなかった、ってトコか」
「もしかして悪魔が二度も同じ人物と契約したのは、グリークさんの肉体を保持する為でもあったのでしょうか?」
「ああ、多分な。実体が無いってのは、マジで不便なんだよな。っつーか、人間の為に自分の命を削る悪魔自体、初めて見た。おかげで、紅毛の小娘の生命力を喰らっても持ち直せないほど弱り切って、終いには銀髪男の体から逃げ出せなくなってたみたいだが……。そこまで愛する女に殺されたんだ。本望だろうさ」
「貴方も、ロザリアになら殺されても良い、と?」
「断る。誰が殺されてやるか。俺が殺すんならともかく」

 そんなことはできないでしょうに……と、クロスツェルは苦笑する。

「それより、貝殻のほうはどうだ?」
「当たりです。あの貝殻のペンダントは、アリア自身が直接、村の少年へと託した物でした。幸せの貝殻だと言って渡したようですが、この村にそんな伝承や願掛けは存在しません。大人達は、子供の作り話だと思っています」
「やっぱりな。だが、屋敷中を調べ回っても、他に仕掛けらしい仕掛けは、一切出て来なかった。何かしらの事情は知ってても、自分の手で直に助けるつもりはなかったってことか」
「アリアの真意は読めませんが……単純な人助けをするつもりはないのかも知れません。今の彼女なら、少女一人を助けるなど造作もない筈ですから」

 村に振り返って、古びた教会を見つめた。
 屋根も外壁も酷く傷んで、全体的に色がくすんでいる。
 かつてはもっと多くの信徒が居たというアリア信仰の教会には、今はもう在任の神父すら居ない。
 祭事を行うなどの一時、街から派遣される代理神父がいるだけらしい。
 屋敷の男に憑いていた悪魔は、この無人教会に封印されていたのだろうとベゼドラは言う。
 自分の他にも封印された悪魔が居るとは思わなかった、とも。

「俺が知ってる限りじゃ、俺が封印される前はどんな辺境へも飛んでって、悪魔相手に大袈裟なほど暴れ回ってたらしいがな」
「……アリアは、人間に愛想を尽かしたのでしょうか」

 アリアとしての記憶を失っている間に、自分(ロザリア)を貶めていた私とベゼドラ。
 偽りの神を祀り、人間同士で争い、かつて世界を救った者達への感謝すら忘れているという、現代の人間達。
 呆れてしまったとしても、仕方ないのだろうけれど。

「どうだかな。それなら、悪魔避けの力を込めた貝殻なんぞ残していくとは思えんが。なんにせよ、アリアの影は掴んだ。予定通り『村』から手当たり次第に行くか」
「……そうですね」

 アリアはまだ、人間の世界に関わっている。
 それが判っただけでも、充分な収穫だ。
 離れていかないうちに手を伸ばさなくては。



「お世話になりました」
「また来てくださいな」

 適当に歩き回って眠気を覚ました後、宿に戻って朝食と支払いを済ませ。
 ふくよかな体型のご婦人に穏やかな笑顔で見送られながら、村の入り口へ二人並んで歩いて向かう。

 途中、玄関扉が開いたままの家を見かけた。
 横目でちらりと覗いた屋内では、木製の四角いテーブルに上半身を預けて酒を飲んでいるらしい黒髪の中年男性が、立派な顎髭(あごひげ)が特徴的な顔を真赤に染めながら、声を押し殺して泣いていた。

「お兄さーん!」

 あと一歩で村の外、というところで、活発な幼子の声が背中を叩く。
 振り返ってみれば、黒髪の可愛いらしい双子が大きく手を振っていた。

「また、アリア村に遊びに来てねーっ! まってるからねーっ!」

 波の輝きを背負う無邪気な笑顔に手を振り返して。
 二人は、忘れられゆく女神の村に別れを告げた。

 
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