逆さの砂時計
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忘却のレチタティーボ 3
今更だけど、この書蔵館東方支部はかなり規模が大きい。
街の四分の一を占める敷地に半円状で建られた、外観はまるで白亜の宮殿。内部は二層構造で、真ん中辺りが円状に高く吹き貫けてる。
二階は壁に一体化した書棚と、手摺付き廊下と梯子と丈脚の長い燭台しか無い。光源は燭台と、なんと主にガラス天井だ。
いやー……最初の頃は割れたら怖い。割れたら怖い。と思いながらびくびく仕事してたよ。凄いよね近代建築。
一階は総合入り口付近右方向に受付が在って、あとは読書用の机と椅子、手持ち可能な燭台と無数の本棚が主。受付の後ろに回ると複合事務所が設置されてて、其処はお客様から見えないようになってる。
その先を奥の奥まで真っ直ぐ進むと、私が勤める管理室を右目に正面は突き当たりの壁。壊せば倉庫に出られるけど、普通に管理室の扉を開いて室内左側から倉庫へ突入できます。
管理室を正面から見ると、まず背中を向ける形で私の椅子と机があって、人一人挟むくらい奥に向き合う形で室長の机と椅子があります。
そう。恐ろしい事に、基本管理室に居る間は室長と睨めっこ状態! 何の罰なのか!
まぁ、室長は大体倉庫側に体を向けて天井見てるんだけどね。
右側は書類入れ一つで壁が埋まってる。光源は室長の後ろのガラス窓。私はそっち向きだから良いけどさ。上司殿は逆光なのよね。見辛くないのかな。
あ。だから体を横向けてるのかひょっとして。
机の配置を変え……たら不便か。狭さ故の悩みよ。
「明日から暫く外出禁止」
……はい?
「自宅待機だ」
ちょっと待って? 出勤早々、なんの宣告受けてるのかな? 私。
「外出禁止って……買い出しも禁止って話ですか?」
「買い出しは今日中に済ませておけ。荷物持ちが必要なら俺が付いて行く。差し当たって……一週間くらいか」
いっ!? 長っ!
「あの……一体、なんなんでしょうか? 急に帰りを送っていただいたり、今度は長期休暇って。さすがに生活に支障が出ますよ、一週間とか」
「上層には掛け合っておいた。給料に障りは無い」
わぁーい、楽してお給料だ。それはありがたい……じゃない。
上層に掛け合ったって事は、この休暇は室長が仕組んだんでしょ?
なんで?
「まさか、職を切られる準備段階」
昨日も怒らせちゃったみたいだし。居眠りなんかしてたから、遂に……
「違う。気にしなくて良いから、一週間家で自由気儘に過ごしていろ」
無茶言わんでください上司殿。
「納得できません。理由を説明してください!」
自分の机に荷物を置いて、室長の机に詰め寄る。
部下は休暇を取る為に理由を逐一説明させられると言うのに、上司は理由無く休みを押し付ける。理不尽じゃないか! 嬉しいけど気持ち悪い!
「ステラ!!」
「っ!?」
室長が椅子に座ったまま机をドンッと叩く。
びっくりした……。今までこんな事、一度だってしなかったのに。怒鳴られるような訊き方だった、今の?
「……頼む。従ってくれ」
頼む……って言われても……。どうしたら良いんだろ、これ。
仕事の域を越えて干渉されるなんて気分悪いんだけど。しかもこんなやり方で。
上司権限で休暇中の外出まで制限されるとか異常でしょ、どう考えても。
公私混同じゃないの? 私が職場に居ちゃいけない何かでもある訳? 外出したら問題あるって言うの?
私はそんなに目障り!?
「……っ邪魔なら邪魔と! 率直に言ってくれたほうがまだマシなんですよ! 室長のバカ!!」
あーったま来たーっ!! 休みをくれるってんなら休んでやろうじゃないか! 今日から一週間と一日、お望み通り目の前から消えてやるわよ!!
「ステラ!」
「今からお休みを頂きます。給料は無くて結構! ちゃんと家で大人しくしてますから、どうぞその間、私の存在は忘れてください!」
「待て、家まで……」
「送らなくて良いです! 室長は今からお仕事でしょ。二人分頑張ってくださいね!」
荷物を持って管理室を出る。
あーっ! いっそ辞職すれば良かった! こんな扱いされるくらいなら家を売って実家に帰って、お父さんお母さんに馬鹿にされたほうがよっぽど良いわよ!
それはそれで絶望的な気分に陥りそうだけど!
「……っと?」
あ。俯いて歩いてた所為で、開館したばかりの総合入り口でお客様と激突してしまった。
いかん。
「すみません、お客様。お怪我はありませんか?」
肩がぶつかった程度で怪我するとは思えないけど、一応ね。
「あー。全然?」
おお……今度は真っ黒な人だ。目だけ赤い。
って、此処、結構北寄りの地域なんだけど。コートを羽織ってるとはいえ、上半身裸で寒くないのか。
「離れろ、ステラ!」
へ?
「室長……っ?」
お、追い掛けて来てたんですかーって、
なんで背中に庇われてるんですかね? 何事?
「お前……ルグレット?」
黒い人がちょっと驚いて室長を見てる。
あれ、知り合い?
「……ベゼドラか」
知り合いなのね。
え、じゃあ、なんでそんなに恐い顔で睨んでるの?
「ふぅん? 実体持ちは初めてだな」
「話す事は無い。用事が済んだらとっとと街から出て行け!」
「言われるまでもない……が、こっちには事情があってな。この際だ。後でちょっと来い。その人間……」
「っ! 分かった。彼女には手を出すな」
後ろ手に引き寄せられて動けません。逃げるなって意味ですか?
もう、本当に、何がどうなってるの?
「……来い、ステラ」
「! だから、室長は仕事」
「来るんだ!」
痛い! 腕痛いってば! 引っ張らなくたって行きますよ、もう休みって決めたんだから。
だけど、貴方までが職場を離れたら他部所に迷惑でしょうが! 仕事人間の癖に……
…………?
「……離してください。痛いです」
私、頭に血が上って忘れてた。上司殿は仕事人間じゃないか。仕事に対してはとことん厳しい人だ。
そんな人が部下に無駄な休暇を与える筈が無い。理由は説明しないんじゃなくて、したくてもできないんじゃないの?
邪魔とかじゃなくて、言いたくても言えないから「頼む」って……。
「……すまない」
ほら。ちゃんと向き合う姿勢を見せれば態度を軟化させてくれるじゃない。離そうとはしないけど、力で無理矢理引き摺るのは止めてくれた。
「……説明はもういいですから。荷物、持ってくださいね。とにかく量が必要なんですから」
足を止めて振り返った上司殿から、困ったような嬉しいような……素敵な笑顔の洗礼を受けました。
やめて。
放射熱で溶けるから、本当やめてください。
「ありがとう」
「感謝される事なんですか?」
「……どうかな」
「根拠がはっきりしてないと、反応に困りますねぇ」
仕事に関係してるとは思えないけど、まぁなんだ。必要な休暇なんだな、きっと。うん。そう思うしかない。
「あ、教会には寄らせてくださいね。一週間分置いて来なきゃ」
「ああ、勿論」
しかし、一週間か……長いなぁ。
どうやって過ごそう?
一旦家に帰って仕事用の荷物を置き、買い物用の手提げ袋を持って商店街に出た。露店が開くには早い時刻だけど、店舗型はちらほらと開き始めてる。
一週間ともなると、干し物系食材が重要になってくるかな。傷みやすい葉物野菜は、買っても良いけど一日二日で使い切らなきゃ。後半は必然、肉が主になっちゃうわぁ……なんて思いながら買い物を進めていたら、室長がいきなり小さな白い紙袋をポイッと投げ渡してきた。
「やる。家で開けろ」
「? あ、ありがとうございます?」
なんだろ? 休暇手当ての一種? 持った感じ軽いし、微かにコロコロと音がする。鈴か何かかな。
とりあえず、服のポケットに入れとこう。
「……それで終わりか?」
「あ、はい。これだけあれば多分」
食材や生活用品を袋いっぱいに詰めて、よいしょと肩に担いだら、ひょいっと奪い取られた。
「や、自分で持ちますよ?」
「荷物持ちに来たんだ。俺が持つ」
むむー……それはなんか申し訳ない気がするぞ?
でも、持ってくれるって言うんだから、上司殿の顔を立てる意味も込めて厚意に甘えるべきなのか?
でも、あれ全部私のだし……むーんん……。
いいや。投げた。
「ありがとうございます」
改めてお礼だけは言って、上司殿の隣をてくてく歩く。
青空の下を誰かと一緒に歩くなんて、どれくらいぶりだろ。友達と買い物した記憶は無いし、上司殿とも夕暮れ時しか出歩かないし、昼休み明けの連行は数に含めません。一人暮らしを始める時にお兄ちゃんとちょっと移動したくらいかな。
日中、仕事場以外で隣に誰かが居るって、変な感じー。
人通りが増えてきた頃、波に逆らって自宅到着。
「ありがとうございました。お手数を掛けてしまって、すみません」
「いや。……一週間、何があっても絶対外に出るなよ。良いな」
「承知してます」
その為に大量の買い物したんだから。片付けるのが地味に大変だ。
家の前で職場に引き返す上司殿を見送って、荷物を運び入れる。
まずは昼食の仕度から始めますかねー!
何事も無く、ぐうたらと過ごしてあっという間に夕飯時。
休みってさ、前もって予定を組んでれば有意義に楽しめるもんだけど、突然ドワッと押し付けられても結構困るよね。逆に疲れるっていうか。
休みなのに疲れるとは、なんちゅー贅沢な。
「こんばんは」
「? はーい?」
突然、玄関扉を叩かれた。来客?
小走りでお出迎えすると……んん? 何故メアリ様が我が家なんぞへおいでになられたのか?
金色が眩しい巻き毛を揺らして、にっこりと微笑んだ。
「今朝、出勤して直ぐお戻りになったご様子でしたので。体調でも優れないのかと心配になってお伺いさせていただきましたの。大丈夫かしら?」
ありゃ。見られてたのか恥ずかしい!
「あ、はい。体のほうは全然なんともないです。すみません、わざわざおいでいただいてしまって」
「いいえ。お元気なら良かったですわ。此方こそ押し掛けてしまって、すみません。……あ、そうですわ。ステラさんにお渡ししたい物がありますの。少しだけお邪魔してもよろしいかしら?」
え。家の中に入れろって事? どうしよ……新築だけど、相手は貴族のお嬢様なんだよねぇ。庶民の家なんかに上げて良いものなんか?
でも、此処まで来てくれた人を追い返すのも失礼だよね。
うぅー……仕方ない、か。
「どうぞ。狭い上に散らかってますけど……」
片開きの扉を全開にして招き入れると、メアリ様はにこりと目を細めて廊下に三歩くらい足を進め、扉を閉めた私に向かってくるりと転身した。
ち、近い! 綺麗な顔が近い!
「……本当に可愛い方ね、ステラさん」
「へ? かわ?」
待って。なんで顔寄せて来るんですかメアリ様!?
其処、首! 首ですってば、息掛かって……
「痛っ!?」
な、な……か、咬まれてる!?
嘘、なんで、どうしてメアリ様に首を咬まれてるの私!?
目の前がくらくらしてきたし、え? なに? どういう状況なの!?
「……ねぇ、ステラさん。一緒に来てくださらない? 私、貴女と行きたい場所があるんですの」
「……っ」
それは駄目。絶対駄目です! 室長に氷漬けにされてしまいます! 一週間後にしてください!!
……って言いたいし、思ってるのに。
なんで? 手が勝手に扉を開いてる。
足元がふわふわして、ふらふらと家の外に出ちゃう。
扉を開けたまま、メアリ様に手を引かれて離れて行く。
ちょっと待って、せめて戸締りさせて!
盗人とか食料が傷むとか、室長に知られたら本当に殺されちゃうんですけど私ー!
とか、頭の中だけで絶賛ぐるんぐるんしてます!
そんな楽しそうにくすくす笑われますけどメアリ様。被害は全部こっちに回って来るんですってば!
帰して! 今直ぐ家に帰してぇーッ!
……って、あれ? この道……。
「ふふ。ね、ステラさん。貴女は毎日此処に来ているのでしょう?」
来てます、ね。ええ。毎日必ず百合を置いてってますよ? 今日も午前中に来ましたし。
メアリ様に肩を抱かれつつ見つめる旧教会の正面扉の前には、私が捧げた百合が積み重なってる。
「それでもまだ思い出しませんの?」
メアリ様の瞳が暗く光った。
思い出す? 何を?
「この場所で野盗共に犯された……貴女自身を」
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