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逆さの砂時計

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翔べない鳥の翼

 ベゼドラが不機嫌だ。

 理由は判ってる。
 せっかくアリアと関わりがありそうな手掛かりを見つけたのに。
 深く追及もせず、あっさりとそこから離れたからだ。

 しかし、あの場合は無理矢理にでも距離を置く必要があったのだ。
 あのままだと多分、ベゼドラがフィレスさんに襲いかかっていた。
 自分でさえ、一瞬本気で問い詰めそうになったくらいだ。
 短気なベゼドラが冷静でいられたとは思えない。

 少女(レネージュ)を護る為に貝殻(ちから)と気配だけを残していたアリア村の時とは違い。
 自分達への伝言という形で突然現れた、アリアを知る何者かの意思。
 不思議な歌と、虹のように空へと伸びていった薄い水色の光がなければ、暴力に訴えてでも根掘り葉掘り訊き出そうとしていただろう。
 そんなベゼドラを、自分が止められたかどうかは怪しい。
 本音では、自分も今すぐ引き返して、順序良く丁寧に詳しく納得いくまで説明を求めたいくらいなのだから。

 ただ、フィレスさんには、悪魔(ベゼドラ)の声が通じなかったらしい。
 悪魔の声は、対象者の心の隙間に滑り込んで直接語りかける物。
 つまり、フィレスさんの心には曇りも迷いも空白もなかったのだろう。
 自分も、接してみた限りでは、実直で素直な女性だと感じた。
 これ以上は何も知らないという言葉に、裏も表も偽りも無い気はする。

 仮に、ベゼドラがフィレスさんを瀕死に追い込んだとしても。
 多分、新しい情報は期待できない。
 だとしたら、今はこちらの手掛かりを追い、繋がりを解明するべきだ。
 と、後ろ髪を引かれている自分に強く言い聞かせながら。
 薄い水色の光が示した東の方角へと、足早に向かう。

「アリアを助けて、とは、どういう意味でしょうね。フィレスさんに伝言を託した女性、何者なのでしょう?」
「それを、アイツから訊き出せば良かったんだろうが! 何を考えてんだ、テメェは! 遊んでんじゃねぇんだぞ!!」

 苛立つのは当然だ。
 イライラ……は、とっくに突き抜けているか。
 完全に、とまではいかないにしても、我を忘れかけて怒っている。

「言葉は選びなさいと常日頃から忠告してきた筈ですよ、ベゼドラ。貴方がどう思おうと勝手ですが、ロザリアを捜す邪魔だけはしないでください」
「邪魔してんのはテメェじゃねぇか!」
「いいえ。フィレスさんを問い詰める前に、これの意味を考えるべきです」

 フィレスさんから預かった白い布袋を、ベゼドラに掲げて見せる。

「『()()()()()()()』。ということは、これを私達に託したらしい女性は、アリアを好意的に知る人物だ。先ほどの光からしても、神代に繋がる背景の持ち主であることは間違いないでしょう」
「だから何だ」

 曲がりなりにも神代に生きていた経験豊富な悪魔だろうに。
 落ち着いて物を考えられない今の自分よりも鈍いのか。

「確実とは言えませんが、あの光はアリアを指している可能性があります。そうでなくても、アリアが所持している、もしくは昔所持していた物品か、アリア本人と深い関係がある場所を示したのかも知れない。急がなくては、見失ってしまいます」
「可能性? かも知れない!?」
「言いたいことは解りますが、フィレスさんを絞め上げても結果は同じだと思います。彼女の意思の強さは、貴方のほうがよほど理解できている筈だ。違いますか? 悪魔ベゼドラ」

 ベゼドラは、急所を射抜かんばかりの殺意溢れる瞳で自分を睨み。
 舌打ちしながら、積もっている雪を蹴り上げた。

「あの歌にも、アリアに通じる何かしら重要な意味があるのでしょう。所々気になる言葉が混じっていましたし。貴方は聞き覚え」
「知らん!」
「…………でしょうね」

 この様子では、何を言っても尋いても、まともな答えは返ってこないな。
 思案を放棄して、ロザリアだけを想っているのだろう。
 うらやましいほどに愚直だ。
 そうしていてロザリアに会えるなら、自分もこんなに悩まないのだが。



「なんだ。貴様らか」



「……………… え!?」

 突然。
 本当に突然、目の前に黒い人影が現れた。

 さらりとした金色の短い髪、吊り上がり気味な紫色の双眼。
 引き締まった体の線に沿う黒い上下服に、黒い靴。
 教会で自分達を殺しかけた後、アリアと共に姿を消した、悪魔の王。

「レゾネクト!?」

 ベゼドラの手が瞬時に自分の腕を引っ張って、背後に庇った。
 力の加減ができなかったのか。
 振り回された勢いで転びそうになるのを、なんとか堪える。
 と同時に。
 寸前まで自分が立っていた場所で、レゾネクトの手の残像が走った。

「ボサッとしてんじゃねぇぞ、クロスツェル!」

 いえ、見えませんから。
 普通の人間に、あんな素早い動きは絶対追えませんから。

「神父と二人で仲良くアリアを追いかけてきたか。悪魔としては減点だぞ、ベゼドラ」
「悪魔に採点などあるのですか? ベゼドラ」
「アホか。余裕こいてくだらねぇ話に乗ってんじゃねえ。殺されるぞ!」

 そうは言われても。
 愉しそうに微笑む悪魔を見れば、確かに危険だとは思うのだが。
 殺されかけた記憶のせいで、圧倒的な力の差を自覚してしまっている。
 調理台に乗せられた魚の気分だ。
 諦めて命を差し出すつもりは毛頭ないが、笑うしかない心境に近い。

「安心しろ。神父はまだ殺さない。アリアがそう願っているからな。だが、その『結晶』は欲しい。面白いことに使えそうだ」

 『結晶』?

 手に持ったままの、白い布袋を見る。
 袋から出さなくても、レゾネクトには中身が見えているのだろうか。
 いや……あるいは、空に伸びた光をどこかで見ていた?
 それで、光の源に転移してきたのか?

「この宝石が何なのか、貴方は知っているのですか?」
「ああ。貴様ら以上にな」
「そうですか。分かりました。では、これはお渡しできません。絶対に」

 ベゼドラのコートの背面を少しだけ摘まんで、軽く引っ張る。
 振り向きはしないが、意味は通じたと思う。

「ロザリアもそうだが、現代には面白い人間が多いな。アリアが姿を隠してしばらくの間は絶望と空虚しかなくて、飽々していたんだが」
「お褒めいただき、光栄です」

 自分が にこっと微笑むと。
 レゾネクトも ふっと笑い。
 再び動いた。

 自分に向かって伸びる腕を、ベゼドラが弾く。
 その背後で黒い本をしっかりと抱え直し。
 袋を落とさないよう、コートの胸元にある内ポケットにしまった。

「その日記、あの家から持ち出したのか」

 まったく本気ではない様子で、ベゼドラと拳や蹴りを交わしながら。
 レゾネクトが黒い本をチラリと覗き見た。
 この本の存在まで知っているのか。

「集まれば集まるものだ。皮肉な」
「ぐ……っ」

 ベゼドラの腹部に、レゾネクトの右手が沈む。
 衝撃で自分に向かって吹っ飛んできた褐色の巨体を避け。
 悠然と歩み寄ってくるレゾネクトと向かい合う。

「もう少し頑張って欲しかったんですけど、仕方ないですね」
「ベゼドラ程度では、盾にもならないぞ?」
「ええ、まあ。教会で瞬殺されてましたし。騎士が使う盾のような頑丈さは最初から期待してませんでしたが」
「……て、め……、ざけん な、よ クロス……!」

 肩を持ち上げて苦笑すると、斜め後ろから苦情と呻き声が聞こえてきた。
 ふざけるなもなにも、単なる事実でしょうに。

「自らが強ければ良かったな? 神父クロスツェル」

 ゆっくりと、レゾネクトの手が近付いてくる。
 さて、自分は間に合うだろうか?

「神父はもう辞めています。そうですね……。これからは」

 レゾネクトの指先が、本に触れるかどうかの際で。
 ああ、良かった。
 なんとかなりそうだ。

「『魔法使い』……とでも、お呼びください」

 しゃらん、と軽やかな音を立てながら。
 虹色に光る無数の羽根が、どこかから自分の周りに集まってきて。
 一斉に、ぱん! と弾ける。
 そして世界がピタリと止まり、色を失った。

「なるほど。こういうことですか」

 無色の世界で、白黒のレゾネクトが石像のように固まっている。
 ついでにベゼドラも、苦悶の表情で地面に転がったまま。

 光は断続して降り注ぎ、屈折して、人の目や脳に色を認識させるという。
 よって、時間が止まった『あらゆる物が動かない』世界に色は無い、と。
 光源が存在しない状態なのに、真っ暗にはならず無色で済んでいるのは、自分と自分の周辺の時間を動かしているからだろうか。
 ご都合主義だな。

「ベゼドラ、動けますか?」

 靴跡が残らない雪の上を歩いて、ベゼドラの肩をぽんっと叩く。

「……っが、はっ」

 急に咳き込み始めるベゼドラにも、色が戻った。

 あ、そうか。
 この場合の光源は自分になる、と考えれば良いのか。

「な、んだ……こりゃ……。……耳が痛ぇ……」
「振動がほとんど無い状態ですからね。静寂が耳に痛い、を極めてますよ。貴重な体験です」

 呼吸の為に、ベゼドラと自分の周りの空気だけは動かしているが。
 まるで水中に居るような、奇妙な感覚だ。

「は……っ デタラメも良いトコだな。さすが世界樹の授け物」
「ええ。本当に滅茶苦茶です。どんな力だろうか、とは思ってましたけど。まさか、世界規模で時間を止めてしまうとか。びっくりしました」

 使い方は自然と理解できる。
 ええ、確かに解りましたけども。
 すっごくギリギリで、物凄く焦りましたよ、長様。

「アリアに敵う力……、か。そりゃそうだ。こんな反則技、どこのどいつが持ってたんだか」
「普通に考えるなら神でしょうね。天上の神々に仕えている誇り高い一族が護ってきたのですから。それより、急いでここを離れますよ。長く止めてはいられません。正直、もう辛いです」

 今の隙にレゾネクトをどうにかできれば良いのだが。
 戻りも進みもしない体には多分、傷一つ付けられない。
 柔らかい筈の雪に足が沈まないのと同じように。

 時間の静止は、変化の停止、か。
 興味深い。

「外付けのクセに消耗すんのかよ! 面倒くせえな!」

 慌てて立ち上がったベゼドラが、自分の腕を自身の肩に掛けて背負っ……

 え?

「言っとくが、衝撃の緩和とかは期待すんなよ!」
「っわ っ」

 ドンッと地面を蹴って飛び上がる。

 なんだろう、これ。
 物凄く高い。
 二階建ての家とか、足下に小さく見える。
 遠くに街とか、山とか、川とか。
 まるで子供の玩具みたいに、全部が作り物めいて見える。

 ええ?
 ここは、どこ?

「ベゼ……ッ」
「口開くな。舌噛むぞ」

 ぶわっと飛び上がったと思ったら、少しだけ浮遊して、今度は急降下!?

 って、これは、もしかしなくても『跳躍』!?
 ただの跳躍なのですか、ベゼドラーっ!?

「…………ッッッ!!」

 ベゼドラの背中にしがみついて衝撃に備える。
 柔らかな物が無い世界で、それは自殺行為だと思いながら。
 目蓋をきつく閉じた。

 着地の瞬間。
 音がほとんど無いのに、内臓を撃つ振動がベゼドラを通して伝わり。
 凄まじい吐き気が襲ってくる。

 たった一度の跳躍でこれって。
 どういう体の造りをしているのか、悪魔。

「……痛って……ぇ!」

 ベゼドラが震えている。

「お前、重い!」

 それはそうでしょうね。
 と思っても、言葉にする余裕はない。
 口を開いたら、待っているのは惨劇だ。

 すみません。
 今ので限界を振り切りました。

「どわ……っ」

 ベゼドラの足が、着地点の雪に(すね)まで埋まった。
 ここは、先ほど出たばかりの村を遠く眺める雪山の中腹。
 歩きなら、軽く半日は掛かる距離だ。

 凄い。
 悪魔凄い。

「体力無し」

 雪の上に座って、しばらく休んでから。
 ベゼドラに肩を担がれ、ゆっくりと東の方向へ歩き出した。

「体力の問題……、ですかね……?」

 時間の流れが世界に戻った。
 レゾネクトは、何故か追ってこない。
 村が近くにあったからひとまず逃げただけで、どれほど距離を置いても、彼ならば一瞬で現れるだろうと覚悟していたのだが。

 来ないなら来ないで助かります。
 会いたいのはロザリアであって、貴方ではない。

「でもこれで、私の仮定は現実に一歩近付きました。この宝石……どうやらこの黒い本も、やはりアリアとしっかり繋がっているらしい」

 レゾネクトの出現が良い根拠だ。
 遭遇したくはないが、彼もアリアに繋がる道の一つ。
 彼の言動は、何よりも大きな手掛かりになる。
 どうせならアリアも一緒に現れてくれれば良かったのに。

「褒めろよ」
「……他人様の家から無断で本を持ち出したこと、ですか?」

 そんな、得意満面で窃盗行為を誇られても。

 ため息を吐き、本を持った手で頭を撫でてみる。
 鬱陶しそうに払い除けられた。
 ロザリアに撫でられるなら喜びそうだ。

「とにかく、まずは宝石や歌について考えながら、東へ向かいましょうか」
「ああ」

 東の方角へと伸びて消えた、薄い水色の光。
 あの先にアリアが居てくれれば、嬉しいのだけど。



「!」

 二人の姿が一瞬で消えた。
 そう見えた。

 ベゼドラだけなら、まだ解る。
 だが、ただの人間が瞬時に消え去るとは、どういうことだ?
 辺りを見回すが、足跡が増えている様子もない。

「アリアか? ……いや、違うな」

 消える寸前、クロスツェルの周りを、虹色の羽根が覆っていた。

「虹色。『奴』の力か」

 顎に指先を当てて、記憶を探る。

 無様な姿で彼女と共に戦い、呆気なく消滅した愚かな男。
 本来の力量ではないだろうと思ってはいたが。
 なんらかの形で現界に遺していた力を、クロスツェルが引き継いだ、か。

 本はともかく、『結晶』や『奴』の力まで集めているとなると、少々厄介だ。
 逃走を選んだのは、力の使い方がまだ不明瞭だからだとして。
 自在に使いこなす程度まで覚えられるのは、風向きが悪い。
 アリアはまだ完全ではないし、完全になるのを拒んでいる。

「……甘やかすのも、問題ありだな」

 成就まであと一息のところに辿り着いておきながら。
 隙を突いて、するりと逃げ出した可愛い小鳥。
 今は手元に戻り、以前と変わらないフリを続けているが、さて。

「アリアは神聖なる女神でなければならないが、人間は信仰による救済をも利用し始めている。現代の人間を掌握する物は何だ? 現代の人間を動かす衝動はどこにある?」

 地面を軽く蹴って垂直に跳び上がり、地平線を望む位置でふわりと浮く。

 真っ青な空。遥か彼方に白い雲。
 空との境界を青白くぼかした山並み。
 各地に積もった雪は、陽光でキラキラと眩しく輝いている。

 ああ、やはり。
 この世界は時を重ね、形を変えても美しい。
 美しいものは尊ばれるべきだ。

「早く声が聴きたいな。この世界のどんな音よりも、繊細で力強いだろう」

 久しぶりに会うのも良いと思ったが、『結晶』はもう少し後にしよう。
 楽しみはゆっくりと、だ。


 
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