| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

逆さの砂時計

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

翔べない鳥の翼

 ベゼドラが不機嫌だ。
 理由は判ってる。重要そうな手掛かりを見付けたのに、深く追及もせずあっさりと其処から離れたからだ。
 しかし、あの場合は無理矢理にでも引き剥がさないと、ベゼドラが彼女に襲い掛かっていた。自分も一瞬、本気で問い詰めそうになったのだ。彼が冷静でいられたとは思えない。彼女から渡された水色の宝石と不思議な歌が無ければ、暴力に訴えてでも根掘り葉掘り総てを話させていただろう。自分がそれを止められたかどうかは怪しい。本音では、今直ぐ引き返して順序良く丁寧に納得いくまで訊きたいくらいなのだから。
 ただ……彼女にベゼドラの声は通じなかったらしい。
 彼の声は心の隙間に滑り込んで直接語り掛ける物。つまり、彼女の心には曇りも迷いも空白も無かったのだろう。自分も接してみた限り実直で素直な女性だと感じた。これ以上は何も知らないという言葉に、裏も表も偽りも無い気はする。仮にベゼドラが彼女を瀕死に追い込んでも、多分新しい情報は期待できない。
 ……と、自分に言い訳しながら、宝石が示した東へと足早に向かう。
 「アリアを助けてとは、どういう意味でしょうね。彼女に伝言を託した女性……何者なのでしょう?」
 「それをアイツから聞き出せば良かったんだろうが! 何考えてんだテメェ!? 遊んでんじゃねぇんだぞ!!」
 苛立つのは当然だ。苛々……は、とっくに突き抜けているか。完全に、とまではいかないにしても、我を忘れかけて怒っている。
 「……言葉は選びなさいと常々忠告している筈ですよ、ベゼドラ。貴方がどう思おうと勝手ですが、ロザリアを捜す邪魔だけはしないでください」
 「邪魔してんのはテメェじゃねぇか!」
 「いいえ。彼女をどうにかするよりもまず、これの意味を考えるべきです」
 袋に入った小さな宝石をベゼドラに掲げて見せる。
 「「アリア」を「助けて」。つまり、これを託した女性はアリアを好意的に知る人物だ。先程の光にしても、神代に繋がる背景の持ち主なのは間違いない」
 「だから何だ」
 ……神代の悪魔でありながら、落ち着いて物を考えられない自分よりも鈍いのか……。
 「確実にそうとは言えませんが、あの光はアリアを指している可能性があります。そうでなくてもアリアに直接繋がる道かも知れない。急がなくては見失ってしまいます」
 「可能性? かも知れない!?」
 「言いたい事は解りますが、彼女を締め上げても同じだと思います。彼女の意思の強さは貴方のほうが理解している筈だ。違いますか? 悪魔ベゼドラ」
 射殺さんばかりの殺意溢れる瞳で自分を睨み……舌打ちしながら積もった雪を蹴り上げた。
 「……あの歌にも意味があるのでしょう。所々、気になる言葉が混じっていましたし。貴方は聞き覚え」
 「知らん!」
 「……でしょうね」
 この様子では今の彼に何を言っても訊いても、まともな答えは返って来ないな。思案を放棄してロザリアだけを想っているのだろう。羨ましいほどに愚直だ。そうしていてロザリアに会えるなら、自分もこんなに悩んだりしないのだが。
 「なんだ。貴様等か」
 「…… っ!?」
 突然。
 目の前に、黒い影が現れた。
 金色の短い髪、紫色の目。アリアと共に教会から消えた、悪魔の王。
 「レゾネクト!?」
 ベゼドラの手が瞬時に自分の腕を引っ張って背後に庇った。力の加減ができなかったのか、勢いで転びそうになるのをなんとか堪える。立っていた場所にレゾネクトの手が走った。
 「ボサッとしてんじゃねぇぞ、クロスツェル!」
 いえ、見えませんから。
 普通の人間に、あんな素早い動きは絶対追えませんから。
 「仲良くアリアを追い掛けている訳か。悪魔としては減点だぞ、ベゼドラ?」
 「悪魔に採点などあるのですか? ベゼドラ」
 「アホか。余裕こいて下らねぇ話に乗ってんじゃねぇ。殺されるぞ!」
 そうは言われても……愉しそうに微笑む悪魔を見れば確かに危険だと思うのだが、殺されかけた記憶の所為で圧倒的な力の差を自覚してしまっている。調理台に乗せられた魚の気分だ。諦めて命を差し出すつもりは毛頭無いが、笑うしかない心境に近い。
 「安心しろ。神父はまだ殺さない。アリアがそう願っているからな。だが、その結晶は欲しい。面白い事に使えそうだ」
 結晶?
 手に持ったままの袋を見る。
 袋から出さなくても、レゾネクトには中身が見えているのだろうか。
 いや……何処かでさっきの光を見た? それで光の源に転移してきたのか?
 「これがなんなのかを、知っているのですか」
 「ああ。貴様等以上にな」
 「そうですか……。分かりました。では、これはお渡しできません。絶対に」
 ベゼドラのコートの背面を少しだけ摘まんで軽く引っ張る。
 振り向きはしないが、多分意味は通じた……と、思う。
 「ロザリアもそうだが、現代の人間には面白い奴が多いな。アリアが姿を隠して(しばら)くの間は絶望と空虚しかなくて飽々していたんだが」
 「お褒めいただき光栄です」
 にこっと微笑むと、レゾネクトも ふっと笑って再び動いた。私に向かって伸びる腕をベゼドラが弾く。その背後で黒い本を両腕でしっかり抱え、袋を落とさないようにコートの内ポケットに仕舞った。
 「その日記……持ち出したのか」
 全く本気ではない様子で素早い拳と蹴りの攻防を交わしながら、王がチラリと黒い本を見た。
 この本の存在まで知っているのか。
 「集まれば集まるものだ。皮肉な」
 「ぐ……っ」
 ベゼドラの腹部にレゾネクトの右手が沈む。
 衝撃で吹っ飛ばされた褐色の体を避けて、悠然と立つレゾネクトと対峙する。
 「もう少し頑張って欲しかったんですけど、仕方ありません」
 「ベゼドラ程度では盾にもならないぞ?」
 「ええ、まあ。教会で瞬殺されてますしね」
 「……てめ……ざけん な、よ クロス……」
 肩を持ち上げて苦笑すると、斜め後ろからベゼドラの文句が混じる呻き声が聞こえた。
 事実でしょうに。
 「自らで強ければ良かったな? 神父クロスツェル」
 ゆっくりと手が近付いてくる。
 さて、自分は間に合うだろうか?
 「神父はもう辞めています。そうですね。これからは……」
 レゾネクトの指先が本に触れるかどうかの際で……あぁ。なんとかなりそうだ。
 「魔法使いとでもお呼びください」
 しゃらん……と軽やかな音を立てて虹色に光る羽根が自分の周りに集まり……
 ぱん! と弾ける。
 世界がピタッと静止し、色を失った。
 「……あ。こういう事ですか」
 無色の世界で白黒のレゾネクトが固まっている。ついでにベゼドラも、苦悶の表情で地面に転がったまま。
 光は断続して降り注ぎ、屈折して人の目に色を認識させるという。
 つまり、時間が止まった世界に色は無い、と。
 光源が無い状態なのに無色で済んでいるのは、自分の時間が動いているからだろうか。
 ご都合主義だな。
 「……ベゼドラ、動けますか?」
 靴跡が残らない雪の上を歩いて、ベゼドラの肩をぽんっと叩く。
 「……っが、はっ」
 急に咳き込み出したベゼドラにも色が戻る。
 あ、なるほど。この場合の光源は自分になると考えれば良いのか。
 「な、んだ……こりゃ……。耳が痛ぇ」
 「振動が殆ど無い状態ですからね。静寂が耳に痛い、を極めてますよ。貴重な体験です」
 呼吸の為にベゼドラと自分の周りの空気だけは動かしているが……水中に居るような、奇妙な感覚だ。
 「は……っ 出鱈目も良いトコだな。さすが世界樹の授け物」
 「ええ。本当に滅茶苦茶です。どんな力だろうと思ってましたけど、世界規模で時間を止めるとか……びっくりしました」
 使い方は自然と理解できる。ええ……確かに解りましたが。
 すっごいギリギリで、内心とても焦りましたよ、長様。
 「アリアに敵う力……か。そりゃそうだ。こんな反則、何処のどいつが持ってたんだか」
 「普通に考えて神でしょう。神々に仕える誇り高い一族が護っていたのですから。それより、急いで此処を離れますよ。長く止めてはいられません。正直もう辛いです」
 今の隙にレゾネクトをどうにかできれば良いのだが、戻りも進みもしない体は多分、傷一つ付かない。柔らかい筈の雪に足が沈まないのと同じように。
 時間の静止は変化の停止、か。興味深い。
 「外付けの癖に消耗すんのかよ! 面倒臭ぇな!」
 ベゼドラが慌てて立ち上がり、自分の腕を肩に掛けて背負っ…… え?
 「言っとくが、衝撃の緩和とか期待すんなよ!」
 「っわ ……っ」
 ドンッと地面を蹴って飛び上がる。
 なんだろうこれ。物凄く高い。二階建ての家とか余裕で足下に小さく見える。遠くに街とか山とか川とか……
 ええ? 此処は何処?
 「ベゼ……」
 「口開くな。舌噛むぞ」
 ぶわっと飛び上がったと思ったら、今度は急降下!?
 って、これはもしかしなくても跳躍!?
 ただの跳躍なのですか、ベゼドラーッ!?
 「…………ッッッ!!」
 ベゼドラの背中にしがみ付いて衝撃に備える。
 柔らかな物が無い世界でそれは自爆行為だと思いながら、目蓋をきつく閉じた。
 着地の瞬間、音が殆ど無いのに内臓を撃つ振動がベゼドラを通して伝わり、凄まじい吐き気が襲ってくる。
 たった一度の跳躍でこれって、どういう生物なのか悪魔。
 「……痛って……ぇ……!」
 ベゼドラが震えている。
 「お前、重い!」
 それはそうでしょうね、と思っても言葉にする余裕は無い。口を開いたら待っているのは惨劇だ。
 すみません。今ので限界振り切りました。
 「どわ……っ」
 着地点の雪にベゼドラの足が脛まで埋まった。
 此処は先程の村を遠く眺める雪山の中腹。歩きなら軽く半日は要する距離だ。
 凄い。悪魔凄い。
 「体力無し」
 雪に座って(しばら)く休んでからベゼドラに肩を担がれ、ゆっくりと東方向に歩き出した。
 「……体力の問題……ですかね……?」
 世界に時間の流れが戻った。レゾネクトは何故か追って来ない。
 村が近くに在ったから逃げただけで、どれだけ距離を置いても彼なら一瞬で現れるだろうと覚悟していたのだが。
 来ないなら来ないで助かります。
 会いたいのはロザリアであって、貴方ではない。
 「でもこれで、私の仮定は現実に一歩近くなりました。この宝石は……どうやらこの本も、アリアに繋がっているらしい」
 レゾネクトが現れたのが良い根拠だ。遭遇したくはないが、彼もアリアに繋がる道の一つ。彼の言動は大きな手掛かりになる。
 「褒めろよ」
 「……本を持ち出した事ですか?」
 そんな、得意満面に泥棒行為を誇られても。
 溜め息を吐いて、本を持った手で頭を撫でてみる。鬱陶しそうに払い退けられた。
 ロザリアに撫でられるなら喜びそうだな。
 「とにかく、宝石や歌について考えながら東へ向かいましょうか」
 「ああ」
 水色の光が示す先にアリアが居れば嬉しいのだけど……。


 「!」
 二人の姿が一瞬で消えた。そう見えた。
 ベゼドラだけならまだ解る。だが、ただの人間が瞬時に消えるとはどういう事だ。
 辺りを見回すが、足跡が増えている様子もない。
 「アリアか? 違うな」
 消える寸前、クロスツェルの周りを虹色の光が覆っていた。
 「虹……奴の力か」
 顎に指先を当てて記憶を探る。
 無様な姿で彼女と共に戦い、呆気なく死んだ愚かな男。
 本来の力では無いだろうと思っていたが……なんらかの形で遺した物を、クロスツェルが引き継いだ、か。
 本はともかく、結晶や奴の力まで集めているとなると少々厄介だ。逃げたのは力の使い方が不明瞭だからだとして、覚えられるのは風向きが悪い。アリアはまだ完全ではないし、完全になるのを拒んでいる。
 「甘やかすのも問題ありだな」
 あと一息の所まで辿り着いておきながら、するりと逃げ出した可愛い小鳥。
 今は手元に戻って、以前と変わらない振りをしているが……さて。
 「アリアは神聖なる女神でなければならない。だが、人間は信仰による救済も利用し始めている。現代の人間を掌握する物は何だ? 人間を動かす衝動は何処に在る?」
 軽く地面を蹴って垂直に跳び上がり、地平線を望む位置でふわりと浮かぶ。
 ああ……やはり、この世界は時を超え形を変えても美しい。美しい物は尊ばれるべきだ。
 「声が聴きたいな。きっと、この世界のどんな音より繊細で力強いのだろうに」
 久しぶりに会うのも良いと思ったが、結晶はもう少し後にしよう。
 楽しみはゆっくりと……だ。

 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

感想を書く

この話の感想を書きましょう!




 
 
全て感想を見る:感想一覧