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逆さの砂時計

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再会

 泉に落ちたクロスツェルと、泉の上に浮かんでニヤけてるクロスツェル。
 どっちが本物かなんて、考えるまでもない。

「……っの、バカが!」

 地面を蹴り、浮かんでるクロスツェルに飛びかかる。
 金色の目すれすれの距離を、右手の爪先が()いだ。
 くそ。少ない動きで避けやがった。一番ムカツク対処法だ。
 続けざまに左の拳を振り上げるが、今度は後ろに軽く跳ねて数歩退いた。
 触れてもいない水面に、靴跡みたく丸い波紋が点々と広がっていく。

「粗暴だな。姿勢にも振り幅にも無駄が多くて、連撃の意味がないぞ?」
「やかましい! 元々当てるつもりなんか無ぇんだよ!」

 無性に腹が立つ笑い顔の男を放置して ざん! と泉の中へ飛び込む。
 よどみ無い透き通った水中で、沈んだ筈のクロスツェルの体を探すが。
 外観からは想像できない深さと広さのどこにも、奴の姿は見当たらない。
 消えた? まさか。

 水底に屈み込み、勢いをつけて泉から飛び出す。
 後方宙返りで花園とやらに逆戻りして、また、花を何本も踏み荒らした。
 リースリンデに文句を言われるかと思えば、そんな余裕は無いらしい。
 男の手に収まった薄い水色の宝石を凝視しながら固まってる。
 飛びかかる寸前、気になる名前を呟いてたが……今はどうでもいい。

「クロスツェルをドコへやった!?」
「さあ? 魔法使いがそんなに心配か? ずいぶんと情を移したものだな、ベゼドラ」
「心底気持ち悪い言い方をするな!」

 指先で宝石を弄びながら、くすくすと肩で笑う。
 ただでさえ腹が立つ相手だってのに。
 その容姿がクロスツェルとまったく同じだと余計にムカツクのは……
 ああ。クロスツェルの性根が悪いからだ。
 人ウケが良い仮面を取ったらこうなるって印象がそのまま再現されてて、イライラ度が急上昇する。
 マジ、ぶん殴りてぇ!

「返せ!」

 再度駆け出そうとして、足が止まる。
 いや、止められた。
 目には見えない()()で、突然、強制的に。
 クロスツェルの姿をした男も、動きを止めて表情を変える。

「……歌?」

 唯一自由に動けるらしいリースリンデが。
 どこからともなく反響してくる歌声に視線をさ迷わせた。
 女の声だ。
 高く低く、伸びやかで力強い、女の声。
 呼応した周辺の空気が、不自然にざわりと動き出す。
 足を縛ったのは、この声か?

「『揺れ惑いし世界よ 今ここに来たれし者 害を為す存在と知り それを(はば)み 拒み足れ』」

 クロスツェルの姿が揺れる。
 本当の姿を暴こうとする外部からの力で、歪みが大きくなっていく。

「……ほう……?」

 背骨を覆う程度に長い黒髪が、耳に掛かるかどうかの短い金髪に。
 星明かりを連想させる金色の目が、夕暮れを思わせる紫色に。
 白いコートは黒く染められ、体の線に沿った上下服へと形を変える。

 その容姿がはっきりと固定された瞬間。
 旋律は叫びに変わり。

「『邪心ある者、何人(なんぴと)も泉を侵すこと(あた)わず! 以後、一切の接近を認めぬものと知れ! 聖なる力に満ちた大地よ大気よ湧水よ、弾け弾け弾け!!』」

 純白の翼を大きく開いた何者かが。
 男の背後から、銀色に鋭く光る剣を振り下ろした。
 右肩から斜めに斬られる筈だった男の体は、既に消えて。
 剣は虚しく空を裂く。

「残念。今回は時間切れのようだ。また遊んでやろう。生きていたらな」
「レゾネクト!!」

 鼻につく声だけを残して、レゾネクトの気配が完全に消えた。

 くそっ!
 クロスツェルの器だけでも回収しとかなきゃならんっつーのに!

「ああ……、喉が痛い……」

 現れた何者かが、その背中に生えてる翼をぱたりと羽ばたかせ。
 泉の手前、本物のクロスツェルが膝を突いてた場所に降り立った。
 喉元に左手を当てて、んん~っ! などと、のんきに調子を整える。

 …………なんか、どっかで見た覚えがある女だな。

 いや、待て。
 翼?
 純白の翼、だと?

「どうもお久しぶりです、ベゼドラさん」

 剣身を腰に下げてる鞘に戻しながら、女は何故か俺に向かって一礼した。

「……女、神……さま?」

 リースリンデが、女の背に白く光る翼を見て頬を紅潮させる。
 確かに、どう見ても翼だな。翔んでたし。

「はあ。自分ではまだよく解ってないし実感もあまりないのですが、どうもそういう話みたいですね。あ、この辺りには結界を張っておきましたので、レゾネクトは二度と現れませんよ。少なくとも、泉が見える範囲内には」

 腰までまっすぐ伸びる白銀色の髪を後頭部で一つに束ねた蒼い目の女は。
 一筋垂らした横髪を耳に掛け。
 足元に落ちてる黒い本を拾った。

「クロスツェルさんは間に合いませんでしたか。困りましたね……アリアに対する切り札を、半分以上レゾネクトに奪われたようなものだ。できれば、『結晶』も回収したかったんですが」

 『結晶』。薄い水色の宝石。

 …………そうか。
 確か、フィレスとかいう女だ。
 山奥の廃墟へ向かうきっかけになった……

「……ってぇ! やっぱり、あの場で訊いとくべきだったんじゃねぇか! クロスツェルの野郎!」
「はい?」
「アンタ、アリアを助けてとかいう伝言は誰から受け取ったんだ! 俺達に宝石を渡せっつったのは!? そもそも、その翼はなんだ!? あの時アンタはどっからどう見ても普通の人間だっただろうが!」

 この際だ、全部訊き出してやる!
 と、詰め寄ろうとして。
 だが、足裏が地面に縫い付けられたように剥がれない。

「実はその件でベゼドラさんにお話があるのです。ひとまず冷静に対応していただく為、失礼を承知で、貴方の行動を制限させてもらいました」

 行動を制限? どういう意味だ?
 そう重ねて訊こうとする俺を止めたのは、

「伝言も『結晶』も私が……正確には私の片割れがお願いしたの。貴方達がアリアの力に護られているから」

「!? お前っ……!」

 フィレスの隣に突然現れた、人間年齢なら五歳前後の小さな子供。
 耳を隠す長さの白金色の髪に、薄い水色の虹彩を持つ女。
 俺が知ってる背格好とはずいぶん違うが。
 遠目には、何度か顔を見合わせてた相手。

「うそ……」

 信じがたいものを見て愕然とするリースリンデに。
 女は笑みを浮かべた。
 子供らしからぬ穏やかさと、成熟した女特有の色香が混じる笑みを。



 生温い闇の中、自分の存在が溶けていくような、分解されていくような、名状しがたい感覚がした。
 次いで襲ってきたのは、自らの(せわ)しない鼓動。
 あまりに速く激しく脈打つせいで、息が詰まりそうになる。

「……っは、っ……あ……?」
「おはよう。それとも、久しぶり、かな」

 全身に汗が(にじ)んでる。

 …………『鼓動』?
 『汗』? 『体』?
 この()()、体がある?

「まだはっきりしないか……それも仕方ないな。その意識では数千年ぶりの実体だ」
「……レ ゾ…… ネク、ト……?」

 焦点が合わない視線を、よく知っている声が聞こえてくるほうへ向ける。
 自分の物ではないサラサラとした長い髪が、私の頬をくすぐった。

 私は今、どういう状態なのか。
 思考に掛かっていたもやが、少しずつ晴れていく。

 背中は柔らかなシーツに包まれている。
 後頭部を支えているのは、差し入れられた冷たい手。
 太股や胸先が露出するほど(はだ)けたローブ。
 目の前に居るのは、アルフリード達を殺して私の翼を引き千切った魔王、レゾネクト。

「……懐かしい。お前の声を聴くのも何千年ぶりか?」
「んっ……、ぅ」

 私の唇をねっとりと這うレゾネクトの舌が。
 後頭部を軽く持ち上げられた拍子に開いた隙間から口内へ侵入ってきた。
 柔らかな部分も硬い部分も余すところなく蹂躙(じゅうりん)され。
 溢れ出る吐息と唾液が顎を濡らしていく。
 絡めるように吸い出された舌がしつこく舐られる。
 苦しい。

「は……。意識の違いでここまで反応が変わるのも面白いな。俺への怒りと憎しみで生きていたお前は、壊れる寸前まで拒絶し続けたというのに」

 視界が確かな輪郭を取り戻す。
 レゾネクトの紫色の目が妖しく光る。
 その向こうにあるのは、深淵の闇。
 何も見えない真っ黒な世界。

 ……ああ……。
 私は()()囚われたのか。
 今となってはレゾネクトと私しか居ない、この閉ざされた空間に。
 あの子を導く役目も果たせないままで。

「もう、やめて、レゾネクト……。こんなことを続けても無意味だわ……。貴方の願いは、決して、叶わないのよ……」

 レゾネクトの表情がわずかに硬くなる。
 だが、それもすぐに歪んだ微笑みで消された。

「再会して早々に説得のつもりか? 初めて会った頃を思い出すな。お前は愚かなままの意識らしい」
「……っ」

 下腹部に違和感。
 彼と繋がっている場所から、粘度が高く卑猥な水音が聴こえる。
 息苦しさの理由はこれかと、どこか他人事のように受け流した。

 『結晶』に姿を変える前は、何度もくり返し強要された行為だ。
 甘んじて受け入れるつもりは毛頭ないが。
 涙を流しながら喉を痛めて拒むだけの嫌悪も恐怖も残ってない。

「……それとも……アリアを護りたいからか」

 全身が強ばった。
 さっと青褪めた私の顔を見て、レゾネクトの唇に酷薄な笑みが浮かぶ。

「心配する必要はない。彼女が今どうしているか、見せてやろうか」
「ん……っ」

 また、唇を塞がれる。
 今度は支配の為ではなく、彼と意識を繋ぐ為の口付け。

 頭の中に、真昼の陽光が降り注ぐ広大な草原が映し出された。
 少し強めの風が吹き抜けては、絶え間なく揺れる緑色の絨毯の上。
 私と同じ白金色の長い髪が……濡れてる?
 純白の法衣ごと、全身に大量の水を浴びたような姿で。
 ぴくりとも動かない誰かを抱きしめている。
 誰か……あの黒い髪の彼は、アリアの力が護っていた人?
 『結晶(カギ)』である私を所持してくれていた人だ。
 だけど、アリアの腕の中の彼は。

「あと少しだ」

 レゾネクトの目が遠くを見つめる。
 この空間ではない、元居た世界でもない、遥か遠くを。

「あと少しで、アリアは世界を手に入れる。俺との契約も果たされる」

 契約?
 アリアとレゾネクトが、契約を交わしてる?

「……何を、する、つもりなの? アリアを、どうしようとしているの!?」

 嫌な予感がする。
 接触があっただけでも恐ろしいというのに。
 アリアは、この闇に、何を願ってしまった!?

「お前は、ただ見守っていれば良い。俺が見せてやろう。お前が無意味だと言った、この行動の結果を」
「レゾ……ッ う くっ……」

 ゆるゆると続いていた内側をこする動きが、いきなり乱暴になった。
 私の言葉なんて求めてないとでも言いたげに。
 喉を潰すほど強く深く、奥を突いてくる。

「やめ……っレゾ、お願、い やめて……っ! ア リア……は……!!」

 頭の中はまだ草原を映してる。
 生気を失った男性の頬を手でさすりながら、アリアは泣いている。
 肩を震わせ、声を押し殺し、涙をぽろぽろと溢して。
 唇を噛んで、泣いている。

「ア、リ…… ア……」

 誰か……。
 誰か、アリアを助けて。
 彼女をレゾネクトから護って。
 これ以上、アリアを悲しませないで。
 お願い………!

「お前はここで、すべてを見ていれば良い。今度こそ見届けろ」

 天神(てんじん)の一族、最後の一柱
 『空間』を司る女神マリア


 
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