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逆さの砂時計

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ベゼドラ

 耳に残っているのは、甘く涼やかな声。
 目に焼き付いて離れないのは、膝裏まで伸びる緩やかな白金色の髪と、薄い緑色の澄んだ虹彩。
 圧倒的な力を放つ、整った容姿の美しい女。
 彼女はいとも容易く悪魔を倒しておきながら、消滅させようとはしなかった。
 それが赦せない。
 彼女は悪魔の自尊心を粉砕した。赦せる筈がなかった。
 「眠りなさい、ベゼドラ」
 「アリアああッ!!」
 あと指一本分の距離まで迫った所で、薄い緑色に光る渦に足下から呑み込まれる。円状に狭まっていく視界の中心に、憂いを帯びた女の顔があった。
 「殺してやる! お前は俺が、必ず殺して……ッ!!」
 「無様だな、ベゼドラ」
 渦が閉ざされる寸前に耳を打ったのは、聞き覚えがある愉しげな男の声。
 それが誰かを思い出す間も無く、悪魔の意識は途切れた。

 悪魔を封印した地に教会を建てて信徒を集めた女神は、代理人として選んだ神父に信仰心を束ねさせ、その祈りによって教会を護る結界を維持するようにと告げて去った。
 それからどれだけの時が経ったのか、眠っていた悪魔ベゼドラには判らない。
 ただ、目を覚ましたと自覚した瞬間に込み上げたのは、女神に対する激しい殺意と嘲笑だった。
 静かな瞳で事も無げに悪魔を下した忌々しい女も、まさか自分を想うが故に結界を壊す神父が居るとは思わなかっただろう。
 そう。
 ベゼドラを封印から呼び覚ましたのは、他ならぬクロスツェル神父の揺らいだ祈りだ。
 神父は、相手が女神だとも知らずに女を愛していた。
 人間としてはごく普通の感情を持て余し、聖職者だからと自らに枷を填めて懸命に祈る様の、なんと滑稽なことか。
 ベゼドラは神父の心にそれとなく、少しずつ語り掛けていった。
 お前はあの女が欲しいのだろう? 白い首筋に指を這わせたらどれだけ気持ち良いか……あの虹彩が潤めば、胸が高鳴って落ち着かないのだろう?
 手に入れてしまえ。自分だけの物にしてしまえば良い。
 その気持ちを認めた瞬間、教会を護る結界は壊れる。
 お前は愛しい女を選び、女神を裏切るのだ。
 愚かなる敬虔なクロスツェル。
 長い時間を掛けてクロスツェルを堕としたベゼドラは、彼の魂を喰らって器を我が物とした。
 女神の封印はまだべゼドラの実体を捕らえている。女を殺して自由を取り戻す為に得た、これは仮の体。
 だが、ベゼドラは人間の妄執の深さをこそ侮っていた。



 「礼拝堂? なんでそんな時間に」
 掃除を終えて報告に来たロザリアは、神父の寝室の手前で突然告げられた内容に首を傾げた。
 「面白い物を見せてあげようと思いまして。きっと驚きますよ」
 「ふぅーん……? ま、別に良いけど」
 頭を掻きながら隣の寝室に入って行く彼女を見送り、礼拝堂へと足先を向ける。
 この教会の住民は、クロスツェル神父以外ロザリアしか居ない。擦れ違う信徒は全員通いの者だ。時刻が過ぎれば皆自宅へと帰って行く。何をするにも都合が良かった。
 クロスツェルの皮を被ったベゼドラは、礼拝堂に居る人間達と適当に話しながら、着々と準備を整える。
 ロザリアが教会に来て一年と四ヶ月目の深夜。
 宴は幕を開けた。



 「おーい、クロスツェル?」
 呼び出しに応じたロザリアが、月明かりだけが照らす薄暗闇に足を踏み入れる。
 絨毯の上を歩いても足音が響く静寂の中、祭壇の前に黒く浮かぶ人影が彼女に振り向いた。
 「チビ?」
 「え あれ、ウェーリ? どうしてこんな時間に居るんだ?」
 褐色の肌に銀色の髪と目を持つ好青年は、自身の肩を持ち上げて「さぁ?」と首を傾げた。
 「帰り際、神父様に呼び止められてさ。チビが来るまで此処に居ろって言われたんだけど……お前が用事あるんじゃないのか? そろそろ本格的に眠いんだが」
 「はあ? 私はクロスツェルに呼ばれて来ただけで……って、なんか変な匂いがするな。甘いような酸っぱいような……」
 「ああ、これだ。さっき、神父様が緊張緩和の効果がある香だとか言って焚いてった。何かの花かな」
 ウェーリが祭壇の上に置かれた白く小さな香壷の蓋を開くと、漂う香りが濃度を増して二人の鼻を突いた。ウェーリは平気そうに中を覗くが、ロザリアはその場に膝を落とし、床に両手を突いてしまった。
 「おい? 大丈夫かチビ……」
 振り向いたウェーリが慌てて彼女の肩に手を置き……数歩退いて、どすん、と祭壇手前の低い階段に転がった。
 伏せていたロザリアの目に、少し離れた場所で仰向けに倒れたウェーリの体と、心臓の位置に突き立てられた短剣らしき物の柄が映る。
 「…………ウェー……リ?」
 「触るな」
 愕然としながらウェーリに右手を伸ばしたロザリアの背中を、神父が覆い被さるように抱き締める。
 「な んだ、これ……。なに、が」
 「ロザリア……」
 ウェーリに伸ばしたロザリアの手を、神父の右手が掴む。
 その白い指先を顔に引き寄せて口付けると、脇を通して腹部に当てた左手が白いワンピースに皺を刻みながら這い上がり、控えめな膨らみの右片方を乱暴に鷲掴んだ。
 「痛ッ!? ……な、に……何してんだよ、クロスツェル!?」
 痛みで正気を取り戻したロザリアは腕を振り回して抵抗するが、ぴたりと寄せた神父の体は剥がれない。
 「離せ、バカ! ウェーリが!」
 「黙れ!!」
 「!?」
 胸を掴んでいた左手が下着ごとワンピースを引き裂き、白い柔肌を冷えた空間に曝した。
 右手を離してその背中をドンと押し、伏した彼女に神父の体が伸し掛かる。
 手を伸ばせば届く距離に、ウェーリの足があった。
 彼はピクリとも動かない。
 「何処までも忌々しい。……が、それも今日で終わりだ。全部喰らってやる」
 絨毯との隙間に差し込んだ手が、ロザリアの胸や腹部を撫で回す。
 倒れた時、僅かに開いた足の間に神父が膝を入れた所為で、暴れれば暴れるほど彼女はみっともない格好になっていく。
 「離 せッ! ウェーリが……ウェーリを治させろ、クロスツェル! お前は神父なんだろ!? 人を助けるのが役目なんだろ!? 困ってるヤツが目の前に居るんだから、助けさせろよバカ野郎ッ!!」
 ロザリアは泣いていた。力が使えないと気付いたのだろう。相当焦っている。
 だが、神父は止まらない。
 さらりと流れる白金の細糸を顎で払い落とし、露になった首筋に血が滲むほどきつく犬歯を食い込ませた。
 皮膚を破る瞬間、痛みで掠れた悲鳴を上げ……抵抗がぱたりと止まる。
 「っ!?」
 「……どうだ? 身動きが取れない屈辱は。これがお前が俺にした事だ。その体で思い知るが良い」
 上半身を起こした神父は、破いたワンピースを乱暴に剥ぎ取り、最後までロザリアを護っていたショーツをも引き裂いた。
 「やっ! なに!?」
 長衣の袖から涙型の透明な小瓶を取り出して、ぬるりとした中身を直接ロザリアの臀部に垂らすと、小瓶の底で円を描くようにそれを塗り広げる。そのまま普段は隠れている割れ目を辿り、奥へと繋がる入口付近をぐっ、と圧迫した。
 「やめろ! そんな事してる場合じゃな……ッ! クロスツェル!」
 本人の意思では指一本も動かせない体が、神父に押し付けられる小瓶に反応してビクビクと小刻みに跳ねる。そうしている間もウェーリの心配をするロザリアに、神父は小さく舌打ちした。
 「いッ……」
 小瓶を投げ捨て、右手の人差し指が入口を浅く抉る。塗り付けた液体で多少湿ってはいるが、難無く総てを受け入れられるほどには濡れてない。
 なにより、
 「お前が男を知らなかったとは、意外だ」
 「なっ…… あッ!?」
 左手が隙間を開き、指を入れたままの場所にヌルヌルと舌を押し付ける。
 下半身を襲う未知の感覚に、ロザリアの全身から汗が噴き出した。
 「やめろ、何をして…… っ!」
 熱い吐息が、唾液が、指を伝って内側へ流れ落ちる。淫らな音を立てつつ異物を拒んで縮む壁を、濡れた指先でゆっくり丹念に解しながら探るように奥へとうねり進む。届く範囲を余す所無く何度も何度も擦り上げ……やがて、ある一点を突いた瞬間。ロザリアの脚が大きく跳ねた。
 「此処か」
 「や めろ! やめろクロスツェル! いやだ! やっ……ああッ」
 刺激に応えた体が、其処に透明な蜜を大量に溢れさせる。
 より滑らかに動き出した二つの侵入者が内側で暴れ回り……動かないウェーリを涙目に映したまま、ロザリアは初めての快感に仰け反った。
 「ッ ウェー……リ……」
 荒い呼吸で震え、それでも男の名前を呼ぶロザリア。
 神父は体を起こして長衣を脱ぎ捨て、彼女の細い腰を引き寄せる。
 熱いものが濡れて乱れた場所に入り込み……強引に裂かれた膜がブツッと断末魔の叫びを上げた。
 声にならない悲鳴が、礼拝堂の空気を揺らす。
 「ははっ………力が無ければ所詮、ただの小娘だな」
 「いっ あ……っ」
 激痛に慣れない内に、穿ったそれを更に奥へとゆっくり押し進める。
 根元まで呑み尽くしたのを確認し……乱暴に引き抜いた。
 赤色混じりの蜜がとぷりと掻き出され、絨毯にぱたぱたと落ちて染みを作る。
 一呼吸置き、今度は勢い任せで一気に貫く。
 「ひぃッ! あぐっ うっあ……あ……っ」
 先端際まで引き抜いて貫いて、もう一度引き抜いて深く抉って。
 少しずつ間隔を狭めて繰り返せば、ロザリアの悲鳴が色を帯び始める。
 「あ あ……っ! い、やあっ あ やめッ」
 ロザリアの顎を左手で掴んで上半身を抱え起こし、右手の指先で繁みに隠れて堅くなっていた小さな突起を捏ねると、汗でしっとりした胸先が反って跳ねた。
 首筋に薄い唇が這う。体内を容赦無く掻き回すものが質量を増す。ロザリアの本能は焦燥を訴えるが、体は己の意志を拾ってくれないまま揺すられ続け……
 「い や ッッ いやだぁあああ……ッ!」
 小刻みな律動の後、熱を持った何かが胎内で弾けてじわりと拡がった。
 操り糸を切られた人形は、カチカチと歯を鳴らしながら絨毯の上に転がり落ちる。
 離れた拍子に、繋がっていた場所から つぅ……と白いものが零れた。
 「……ウェー、リ……」
 見開いた瞳は光を失って涙が溢れるばかり。
 だというのに、まだその名前を口にするのかと神父は苛立った。
 ロザリアを仰向けにして腹部に座り、細い首を両手できつく絞め上げる。
 「これで……俺は自由だ……っ!」
 苦痛でロザリアの顔が歪む。空気を求めて唇を開いて……
 「……く、ろす……ツェ る」
 「……!?」
 動かない筈のロザリアの右手が動いた。
 首を絞める手を掴もうとするでもなく、神父の心臓がある辺りに指を開いて……「(かざ)している」。
 「………………ッ!!」
 その意味に気付いた神父はロザリアから飛び退き、苦しげな表情で頭を抱えた。
 咳き込むロザリアの姿に涙を流したのは、紛れもなくクロスツェルの意思だった。
 「……うるさい……うるさいうるさいうるさい!! 黙れクロスツェル! お前との契約は果たした! 殺させろ! アイツは……俺は!!」
 ぱたりと手を落としたロザリアの姿に、涙が止まらない。寒気が走る。胸が痛い。
 ロザリアの名前を叫ぶクロスツェルの声が、ベゼドラの意識を侵食する。
 「黙れぇぇ!!」
 ロザリア。ロザリア、ロザリア、ロザリアロザリア。愛してる。愛してる。愛してる。
 …………死なないで。
 「……っロザ リ ア」
 神父が少女の体を抱き起こして濡れた頬を引き寄せ、薄く開いた唇に柔らかく触れるだけの口付けを落とした。
 「ロザリア……」



 神父の祈りの力を、ロザリアの力を封印する物に変換した。アリアへの信仰心が集まれば集まるほど、ロザリアの封印は強固になっていく。
 女神が不完全な状態だからこそ。
 神父として洗礼を受けた器が有ればこそ、できた事だった。
 クロスツェルの血液にベゼドラの力を混ぜた香と媚薬は、ロザリアを地下室に繋いでからも二、三日の間活用した。その後は信徒の信仰心が勝手に協力してくれている。
 だが、ベゼドラは不満だった。ベゼドラの本体に掛けられた封印は解かれていないのだ。
 女神を殺してしまえば解放されるのは確かだが、それはできない。
 自力で解くしかないが、その為に必要な力は圧倒的に足りていない。今は不完全でも、女神の力が強力なのは事実だった。
 其処でベゼドラは「食事」という手段を選ぶ。
 人間が持つ生命力……特に、他者と交わった経験が無い者のそれは、悪魔には極上の栄養となる。
 復活の宴は、そうして狂乱を深めていった。

 
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