逆さの砂時計
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始まりと終わりの地
旧教会でアリアと一瞬だけ再会した後。
自宅へ帰っていったステラさんに続き、自分達も一旦解散した。
自分とベゼドラは、落ち着かない気分のまま宿へ戻って食事を済ませ。
月が星々を従えて空を降りる頃、街の外で待っていたルグレットさんに、例の場所へと案内してもらうことになった。
女神が名乗りを上げた最初の地だという、山奥の廃墟へ。
北区内を東へ向けて横断している途中に、東区最大の書蔵館がある街へと立ち寄ったのは、通りかかった区境周辺が山脈で囲まれていたせいか、他に居住地が見当たらなかったからだ。
せっかくだし、フィレスさんから聴いた歌に関する情報を集めてみようと書蔵館に立ち寄った結果、思いもよらない収穫を得たのだが。
その為に、またしてもベゼドラが不機嫌になってしまった。
確かに、私が長様から授かった力をちゃんと使えていれば、世界まるごとアリアの時間も止めて、あの場で捕まえられたかも知れませんが。
彼女のほうが先に敷地内すべての時間を止めて逃げてしまったのだから、どうしようもなかったんですよ。
あまりにも唐突すぎる再会で動揺してしまったのは認めますけど。
一刻も早く、この力を完璧に使いこなさなくては。
ロザリアにはまだ、指先すらも届かない。
「もう知らん。お前を担いで跳ぶのは、これが最後だからな!」
あ、それも不機嫌な理由の一つですか。
「お手数をかけます」
「ケッ」
「……ずいぶんと様子が変わったな、ベゼドラ」
夜空を映す銀色の髪を掻いて、ルグレットさんが首を傾げた。
そういえば、この二人は知り合いだと言っていた。
ベゼドラに顔馴染みがいたというのも、なんだか不思議な気がする。
「お前ほどじゃねぇよ。不干渉の単独主義はドコに置いてきた?」
「さあな。忘れた」
ベゼドラの嫌みに肩を持ち上げたルグレットさんが、唇の端を軽く上げ。
誰も居ない方向、街の輪郭を丸く囲んでいる壁へと顔を向ける。
多分、その視線の先にはステラさんのご自宅があるのだろう。
悪魔も人間も関係なく、互いを想い合うルグレットさんとステラさん。
二人の姿は、自分にはうらやましい。
自分達が想いを寄せた女性は、自分達を嫌いだと言って消えてしまった。
自業自得ですけど、あれは胸が痛いです、ロザリア。
「行こう。廃墟は、この街から北東にある」
「はい。よろしくお願いします、ルグレットさん。ベゼドラも」
「ふんっ!」
苦虫を口一杯に詰め込んでいるベゼドラの背中に、黒い本を持ったまま、落ちないようにしっかりとしがみつき、跳躍の衝撃に備える。
私だって、自力で跳べるなら、そうしています。
我慢してくださ…………
あ、そうか。
「ベ、…………っ!」
ベゼドラが地面を蹴った勢いで、凄まじい突風に顔を殴られ。
せっかく思いついた言葉も喉の奥に押し込まれた。
コートがバタバタと忙しく波打ち、数秒の夜間飛行を経た後。
樹木が繁る山の中腹へ向かって急降下する。
適当な枝に着地したと思ったら、反動を利用して、また跳ね上がって。
それを、何度かくり返す。
レゾネクトから逃げた時と違い、世界の時間が動いているからだろう。
着地時の衝撃は枝のしなりに吸収されて、あの時ほど大きく感じない。
しかし、一蹴りの高度と距離が桁違いだ。
どちらも二倍……までいかなくても、それくらいは跳んでる気がする。
人間の力では決して体験できない、スリル満点の走り高跳び。
これはこれで、慣れれば楽しいかも知れない。慣れれば。
「体力無し」
「……否定はしません……」
目的地に着いた瞬間、地面に膝を落としてしまった。
悪魔の跳躍は、移動手段の自由度と時間短縮の面でこの上なく便利だが。
大気が動いている分、体に感じる風圧と揺れが凄まじい。
ベゼドラ酔いとでも言うべきか、降りた後も、頭と地面がぐらぐらする。
あまりに高い所では寒くて息苦しくなるのだと、人生で初めて体感した。
「あれだ」
自分達の数歩前に着地したルグレットさんが。
広大な面積に散らばっている瓦礫の山を指し示す。
この場所が廃墟となってから、どれほどの歳月が経過したのだろう。
地面が剥き出しになっている所だけでなく、かつて屋内だったと思われる場所にも点々と、幹が太くて背も高い、立派な木々が伸びている。
「アリアは、あの瓦礫の中心にある石床の上に立っていた。この辺り一帯をくまなく探せば、畑仕事の道具一つくらいは見つかるかもな」
「? 畑仕事?」
ルグレットさんは地面を蹴って、近くの木の上に飛び乗り。
自分達に背を向け、
「俺はここまでだ。せいぜい頑張るんだな」
そのまま、街へと引き返していった。
ああ、お礼を言い損ねてしまった。
自分達に感謝されても嬉しくはないか。
「何か、アリアに関する手掛かりがあると良いのですが」
「こんな石ころだらけの場所に…… ?」
ベゼドラが何かを見つけたのか。
スタスタと足早に、建物の入り口だったと思しき場所へ近寄る。
自分もふらふらと立ち上がり、彼の背中を追う。
ベゼドラがじぃっと見ているのは……
低い階段の上に崩れ落ちた、壁画?
「なんか、見覚えあるんだよな」
アリア信仰の物ではない、放射線を放つ丸い何かを掲げた……
手のひら?
いや、翼か。
初めて見るモチーフだ。
「貴方が知っているのなら神代の建築物で間違いないですね。アリアとして生きた時代に活用されていた、女神信仰とは別の教会や神殿でしょうか」
名乗りを上げたと言うから女神信仰原初の神殿か何かかと思っていたが。
どうやら、少し違うらしい。
ルグレットさんの話から推測できるのは、自らの死を願っていたアリアがこの場所で自身の時間を退行させてルグレットさんに記憶を消してもらい、浮浪児としてさ迷った末に自分と出会って別の人格になった、ということ。
アリア信仰を立ち上げた場所ではないとしたら、見るからに宗教色が強いこの廃墟は、アリアにとってどんな意味があるのだろう?
なんにせよ、アリアと深い関わりがあるのは間違いなさそうだ。
「この場所、あの村からちょうど東に位置してないか?」
「え? ……あ。そう、ですね。多分」
コートの内ポケットから白い布袋を取り出して、蒼色のリボンを解き。
中に入っていた薄い水色の宝石を手のひらに乗せてみる。
宝石は、フィレスさんに手渡された時以降、何の反応も示さない。
「もう一度光ってくれれば確認できるのですが」
「奥に入ってみるか」
階段を上がり、散らばる太い柱や壁を跳び越え。
ひょいひょいと、一人で先に進んでいくベゼドラ。
ああ、話を切り出す前に行ってしまった。
仕方ない。
自分は自分で、歩けそうな場所を探しながら、自力で付いて行こう。
本がお荷物です。
こんな時くらいは、貴方が自分で持ってください、ベゼドラ。
それにしても、大きな建築物だ。
ほぼ全体が風化しているとはいえ。
こんなにも巨大な建物があったとは聞いた覚えがない。
自分が預かっていた教区の隣の筈なのだけど。
勉強不足だったかな?
「……ここは……」
廃墟の中心と思われる、石床の上。
無惨に転がる石塊群が、そこだけを避けたように、丸くぽっかりと開いた不自然な空間があった。
その空間の中心に立ったベゼドラが、足下の一点を凝視している。
「かつてアリアが立っていた場所、でしょうか?」
アリアが過去の記憶を手放し、別人として始まった場所。
ひび割れた石床には、入り口で見たものと同じ翼の紋様が描かれている。
「神々の神殿」
「?」
「白い翼は神の力の象徴。だったら、翼の絵は神々を表す記号だろ?」
「……なるほど」
やはりここは、女神アリア以外の信仰の地。
今は世界を離れているという、天上の神々を祀る神殿か。
「思い出した。あれは勇者の剣だ」
「魔王と一緒に異空間へ飛ばされた英雄?」
「ああ。神々の力を込めた剣の形に似てた」
…………戦いはしなくても、剣の形を覚えるくらい近くには居たのか。
まさか、勇者を相手にベゼドラが敵前逃亡を……したとは思えないが。
どうも、ベゼドラと英雄の距離感が掴めない。
遠くから面白半分で観察していたのだろうか?
それなら分かる気はする。
「で。ここが光の目標地点らしいな」
「え? あ」
瓦礫を乗り越える時にしまった宝石が、ポケットの中で淡く光っている。
慌てて袋を取り出してリボンを解くと、今度は虹のような曲線ではなく、宝石自体が円く輝きながら宙に浮かび上がった。
「……前々から思っていたのですが、神々の時代において、こういう現象は日常風景だったのでしょうか?」
「まあな。人間以外には、日常風景だ。だからこそ、非力な人間には勇者が必要だったんだろ?」
薄い水色の尾を引く宝石が、踊るように自分達の周りを浮遊する。
ゆったりと二周してから、目の前に戻ってきて。
差し出した自分の手のひらにポスッと落ちた。
かと思えば、突然閃光を放つ。
眩しさで咄嗟に目蓋を閉じた、次の瞬間。
「貴方は、誰?」
少女特有の高い声が響いた。
耳に、ではなく、直接頭の中に。
驚いて目を開くと、銀色に光る魚が視界を横切った。
一匹ではない。
足下にも、右にも左にも、頭上にも背後にも。
群れが、単体が、無数の泡を引き連れて、ゆらゆらと泳いでいる。
「…………海?」
いや、海に潜った経験はないから、実際にはよく知らないのだけど。
聴いた話で想像していた海中が、ちょうどこんな感じだった。
足下の黒にも等しい青色から、頭上の薄い水色にかけての濃淡が美しい。
「貴方は、誰?」
呼吸は普通にできているものの。
時間を止めた時によく似てる、髪先まで水中を漂っているような感覚。
さて、会話はどうだろうか。
「私はクロスツェルと申します」
「……クロス ツェル?」
あ、ちゃんと通じた。
「クロスツェルは、どうやってここに来たの?」
「人捜しの旅の途中で、薄い水色の宝石を所有していた方と出会いました。なんでも宝石と同じ色の虹彩を持った女性が、宝石を私達に渡して欲しいと所有者の方に頼まれたそうで。その宝石が放つ光に導かれて、でしょうか」
ちょっと説明が大雑把すぎたかな。
「……そう。『結晶』は、あの子の手に残らなかったのね」
『結晶』?
レゾネクトも、あの宝石を『結晶』と言っていた。
そういえば、今は宝石も本も持ってない。
落としてしまったか?
「でも、貴方からは、あの子の力を感じる。だから『鍵』が動いたんだわ。貴方は、あの子を知ってる?」
自分から力を感じる?
それは……
「…………『アリア』?」
「! やっぱり! 貴方は、あの子を知っているのね!?」
この少女の声は、アリアを『あの子』と呼んでいたのか。
嬉しそうに、必死そうに、悲しそうに、弾んでる。
「あの子は、アリアは今、どうしているの!? 闇に堕ちてはいない!?」
「闇? どういう意味でしょうか」
「私はアリアの為にこの空間を残したの。『結晶』はアリアの力に反応して機能する、空間の扉を開く『鍵』。訪れたアリアを、天の高みへと送り出す必要があったから」
扉……天の高み?
「あの歌が示していたのは、ここですか?」
宝石と共に託された不思議な歌。
その中にあった単語を思い出す。
「そう。歌はアリアに残した導き。『鍵』が道を示す為の呪文。『光と夜の境に満ちて、巡る祈りは天の高みへ。辿れ、朽ち行く聖の先を。扉はきっと開くだろう』。ここは神々が眠る世界へと繋がる唯一の『階』。神殿は、アリアを神々の元へ逃がす聖地なの」
「逃がす?」
「私は……どうしてもアリアを殺せなかった。それがどんなに危険なことか判っていても。わずかな間だけでも、人間として生きて欲しかったの」
『殺せなかった』?
アリアを殺そうとした?
この、少女の声が?
「お願い、アリアをここに連れて来て! 万が一、あの子が闇に触れたら、世界が取り返しのつかないことになってしまう! そうなる前に、早く!」
「……事情は分かりませんが、それは難しいです。私達が捜しているのは、そのアリアなので」
少女の声が、息を呑んだ。
「……そう……」
しばらくの沈黙と落胆の後、魚達の姿がぐにゃりと歪んだ。
空間を閉じようとしている。
そんな気配。
「待ってください! 貴女はアリアの、なに」
「私は、アリアを眠らせる為の、『扉』。あの子に会えたら……『結晶』を必ず……アリアに……渡し て。アルフ 達 が 命を 懸けて 護った 世界 を…… たす け……」
少女の声が小さくなっていく。
耳鳴りがする。
空間が閉じる。
鉄鍋の底で殴打されたような、鈍い痛みが全身を襲って……
「いい加減に起きろ、クロスツェル! 蹴っ飛ばすぞ!」
パチッと目を開いた。
視界いっぱいに広がる青い空と、濃い緑色の葉っぱの波。
それと、呆れた顔のベゼドラ。
「……もしかしなくても、私は今、倒れてますか?」
「ああ。答えるのも面倒くせえくらい、分かりやすく倒れてんな」
どこかの空間に移動した、のではなく、意識だけが飛ばされた?
宝石も本も、両手でしっかり抱えたままだ。
「貴方は、少女の声を聞きましたか?」
あの場所には、自分の姿しかなかったと思う。
一応尋いてはみたものの、答えはやはり「なんだ、そりゃ」。
「どうやら、私だけが招かれたみたいです。詳しくは後ほど説明しますが、この場所にアリアを連れて来て、と頼まれてしまいました」
「はあ? アイツを捜してんのは俺らだっつーの」
宝石を袋に戻してポケットにしまい、本を片手に起き上がる。
「ええ。それに、神代に生きていた方々は、どうしても私達を世界の命運と関わらせたいらしい」
アリアを助けて、ならともかく。
世界を助けて、と言われても、自分達には結構な難題だと思うのだが。
苦笑いしか出てこない。
「世界なんぞ知らん。邪魔すんなら、ぶっ壊す!」
「まあ、そうですよね」
立ち上がり、服に付いた砂を払う。
さて、これからどうするべきか。
アリアの情報自体は少しずつ集まってきているが。
手掛かりと呼ぶには、少々頼りないものばかり。
ルグレットさんの件を考えても、『村』の捜索だけでは不足のようだし。
ただ……
「あ、そうだ。ベゼドラにお願いがあるのですが」
「あ?」
にこっと笑って告げた内容に、ベゼドラは少しだけ目を見開いて。
それから、うんざりした表情を返してくれた。
「くっそ面倒くせぇことばっか考えやがって」
「貴方にも利はあるでしょう? 手間が減って、おまけも付くんですから」
「どっこいどっこいだっての。……ったく……面倒くせぇな」
「とりあえず、今後は居住地の規模にこだわらず、アリア信仰の古い教会を中心に探してみませんか? 貴方もそうでしたが、ルグレットさんも、他の悪魔も、比較的古い教会に封印されていましたし。可能性ですが、また別の悪魔が封印されているかも知れません。貴方と同じように目覚めていれば、そこにアリアが現れるかも」
「あー……んじゃ、それで」
歌も宝石も本も、現在のアリアとは、結びついていなかった。
他に良案が出てこない以上、これが現状での最善策だ。
「行きましょう」
アリアが何かにこだわった地。
『アリアを知る何者か』の意志が、彼女の訪れを待ち続けている場所。
いずれまた訪れることになるかも知れないと思いながら。
自分達は、その場から立ち去った。
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