逆さの砂時計
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異国の大地
国と国の境目にある、巨大な石造りの建造物。
上空から遠目に見た関所は、まるで瓢箪のような形をしていた。
一口大の果物に串を通して水飴を掛けたお菓子にも似ているか。
くびれた中央部分を、国境線の真上に乗せて。
両端に位置するそれぞれの出入口から長い行列を二本ずつ伸ばしている。
行列の大半を占める馬車の主達は、おそらく商団か芸団だろう。
楽器の音や、大勢の話し声が重なり合った賑わいが伝わってくる。
個人旅行者は少ないようだ。
夜の闇に乗じて跳躍してきた自分とベゼドラは、近くの林へと降り立ち。
町から歩いてきた旅行者を装って、出国する列の最後尾に加わった。
数十分後。
出国手続きを経て滑り込んだ屋内は、真昼並みに明るく広々としていた。
大きなシャンデリアが、仰ぎ見るほど高い天井からいくつも吊るされ。
壁や床に置かれた大小形状様々な燭台と共に、白い空間を照らしている。
どんな加工が施されているのか、壁も床もツルツルで。
間近で覗き込めば、自分の姿がぼんやりと映り込んだ。
ちょっとした鏡になりそう。
列に合わせて進むと、右手側には警備兵に護られたはばかりの入り口が。
左手側には、鉄格子を挟んで入国者の列を見送る休息空間があった。
正面にも、国境を示す白線の上に、扉を一枚付けた大きな鉄格子がある。
出国者と入国者を混ぜないよう、建物内部を十字で仕切っているらしい。
腕一本も通せない鉄格子の周辺には、やはり複数の警備兵が立っている。
数年前に改修工事が完了したとは聴いていたが。
ずいぶん大きく変わったものだと、苦笑いが溢れる。
国境線の真上に立つ、見るからに頑丈な鉄格子の扉。
その扉の脇に設置された受付で入国手続きを済ませ。
今まで居た国の関所役員と警備兵達に見送られて出国。
隣国の関所役員と警備兵達の歓迎を受けて入国した。
扉を潜って右手側には、やはり警備兵に護られたはばかりの入り口が。
左手側には、水や食料などを売る露店がびっしり並んでいる。
今出た国と入った国、両国の特産品や工芸品も揃えているようだ。
少し覗いていきましょうと、ベゼドラを連れて一旦列を離れる。
お土産目的なのか、露店の周りには結構な数の客が集まっていた。
店主達のものらしき聴き慣れない言葉が、あちらこちらから飛んでくる。
「ーーーーーー? ーーー!」
「ーーー! ……ーー? ーー!」
「ーーー。ーーー?」
「おおー……すげぇ。何を言ってんだか、さっぱり解らん」
ベゼドラが唖然とするのも無理はない。
たった今踏み込んだばかりのこの国は、他の大陸の民族に侵略された後で発展してきた歴史的背景がある。
その為、今まで居た国とは、公用語も公用文字も、主要宗教も違う。
理解できないのは当ぜ………… ん?
しかし、よくよく考えてみればベゼドラはそもそも神代の存在だった筈。
「私達の国の言葉や文字は、何故か通じてますよね? 貴方もリースも」
自分の隣で興味深げに商品を見渡している真っ黒な悪魔に顔を向ければ。
彼も ん? と眉を寄せた。
「いや、あれは人間の標準語だろ? 文字は違ってたから、お前が持ってた教典で覚えたが」
「人間の標準語、ですか?」
「私は文字は読めないけど、クロスの……国? で聞いてた言葉は、昔からほとんど変わってないの。使い方や単語の意味はちょっと変化してるけど、眠りに就かれる前のアリア様が教えてくださった響きとよく似ているのよ。だからクロスと話が通じるのは少し嬉しかった。逃げてた時、たまに遠くで喋ってる人間を見かけたけど、最初は言葉なのかどうかも判らなかったわ」
ポケットの中から、リースが潜めた声で疑問に答えてくれた。
アリアが眠る前。
つまり、数千年も前から、あの国の言葉に大きな変化はなかった?
エルフ族やリース達人外生物とも普通に話せているのは、そのおかげか。
ただ、文字だけは変わっていたと。
面白いな。
どういう経過でそうなったのだろう。
アリアや悪魔は眠っていたから知らないとしても、リースは
……泉からずっと離れてなかったのかな?
異種言語を理解できなかったというなら、多分そうだ。
こうした変遷を見届けた人物がいないのは、少し残念かも知れない。
あ、レゾネクトは除く。
これまでの流れからして、彼なら知っていそうだし。
なんとなく、尋けば教えてくれそうな気もするが。
のんびりと会話を楽しみたい相手ではない。
「私も、こちらの国の言葉はあまり得意ではないのですが、少しずつ慣れるしかありませんね」
「言葉に慣れるより、泉へ向かうほうが先だろ。とっとと行くぞ」
「……ええ」
露店を一通り見終わり、用事を済ませた後。
入国の列へと歩く速度を速めるベゼドラの数歩斜め後ろに付いて行く。
それにしても、本当に賑やかだ。
周囲を見渡せば、自分達とは逆に進む人のほうが断然多い。
中には宗教関係者と思しき団体も見えた。
聖職者が集団で国境を越えるなんて珍しい。
集会でもあるのだろうか?
それなら解る。
要職に就いた聖職者達は、手持ちの情報を交換する為、たまに周辺国から一ヶ所に集まって会議を開くのだ。
小規模な会議は大体不定期だし、いつどこで行われても不思議はない。
皆さん、ご苦労様です。
「関所を離れたら跳んでいきましょう。リースは道案内をお願いしますね」
「……うん……」
小さな体が硬くなって震える気配。
レゾネクトが居るかも知れないと思うと、怖くて仕方ないのか。
心身共に弱っている状態で、圧倒的な力を持つ敵と対面する可能性……
彼女の心に掛かる重圧は計り知れない。
会いたくないのは自分も同じだが。
現状、リースには共に戦える信頼した仲間が居ない。
その仲間の無事すらも確認できていないとなれば、心細いのは当然だ。
「……大丈夫ですよ」
恐怖で体まで凍え切ってしまわないように。
コートの上からそっと、彼女を手で包む。
自分達も、レゾネクトに対しては無力に等しい。
それでもせめて、ひとりきりではないと伝われば良いのだけど。
入国を果たしたほとんどの人は、近くにある街を目指しているらしい。
行列は大体の形を維持したまま、同じ方向へと流れて行く。
自分達は、露店で手に入れたカンテラと周辺の地図で現在地を確認。
リースが示した、列とは違う方角へと歩きだす。
が、少々困ってしまった。
列を離れてしばらく経っても。
自分達と同じ一本道を進む徒歩の集団が、自分達の前後に居るのだ。
脇へ逸れてやり過ごそうにも、時刻は真夜中、周囲は森。
人間的に不審な行動で目立つのは、今後の為にも避けておきたい。
「面倒くせぇな。休むフリして後ろの奴らを先に行かせりゃ良いだろうが」
「こんな細い道一本しかない場所で、ですか。私達を見る彼らの好奇の目は貴方も感じているでしょう? 迂闊に足を止めたら、声を掛けられますよ。それは困ります。他人に顔を覚えられる状況はできる限り避けたいです」
「なんで」
「どこで誰に見られて不審に思われるか分からないからですよ。ただでさえ人間には不可能な旅路を進んでいるのです。余計な追っ手が付いて妙な噂にでもなったら、アリアの後を追う障害になります。ましてここは異国の地。さっきも話した通り、私達はこちらの言語に不自由です。国境沿いならまだなんとかなるでしょうが、基本、対話は通用しないものと考えてください」
「つまり、お前得意の説教も」
「ええ。ほぼ無力です。だからこそ、法律を遵守する必要があるのですよ」
どんなに内容で言い包めようとしても。
言葉そのものが伝わらなければ意味がない。
残念ながら、自分が操れる言語にこの国の公用語は含まれていなかった。
幼少期のつまらない意地が、こんな形で足を引っ張るとは。
皮肉なものだ。
「つくづく面倒くせぇ」
「しばらくの間はこのまままっすぐ進んで、どこかの分かれ道でそれとなくやり過ごしましょう。リースの朝露も確保しなくてはいけませんし」
もう一度ポケットに手を添えてみる。
震えは止まったようだが、反応もしない。
……眠っているのか。
意識を手放す時間が日に日に増えてきた。
リースの力が残り少ないことの表れだろう。
急いで帰してあげたいのだけど……
順調にいかないからと、苛立っても仕方がない。
慎重に、丁寧に、確実に。
重大な判断だけは誤らないよう、進む。
繁る森に両脇を囲まれた、舗装されていない細い道の上。
前後を数人ずつの集団に塞がれたまま、砂を蹴ってひたすら歩く。
バラバラな足音。
獣の遠吠え。
鳥の羽ばたき。
四方八方から響く葉ずれの音。
生き物の気配は、こんな夜中でも絶えず溢れている。
不思議な感覚だ。
この場所はリースと出会ったあの森と何も変わらない。
陸続きなのだから、当然と言えば当然だ。
もしかしたら、繋がっている一つの森かも知れない。
ただ、人間が敷いた境を越えただけ。
人間しか使わない境界線を越えただけなのに。
緊張を高めなければいけない理不尽さとバカバカしさを痛感する。
『勝手に線引きして陣争いとか、お前らいったい何様のつもりだ?』
……そうですね。
世界は陸で、海で、氷で繋がっている。
切り分けたのは人間だ。
他の生物がそれに従う義理は無い。
一方的な規範の押し付け。
なんて虚しい意識の境界。
この世界は誰の物でもなく。
こんなにもたくさんの命が溢れていて美しいのに。
「悪魔に言われると、より滑稽さが増しますね」
「あ?」
「いえ。なんでもありません」
浅く笑う自分を見たベゼドラが。
また何か文句でもあるのかと、不機嫌な顔になった。
文句はありませんよ。
ほんの少し、貴方寄りで人間観を見直してみただけです。
それでも、すべてを否定する気にはなれませんけど。
朝が近寄ってくる。
多くの人間や馬車に踏みならされた細い道は、時折曲線を描きながらも、一筋のまま延々と前方に伸び続けていた。
地図上ではもう少し先に分岐がある筈と、手元で再度確認していると
「あの」
「……はい?」
後ろを歩いている集団の一人が、突然話しかけてきた。
額と首筋を露出する短い茶髪と紺色の目を持った、色白で痩せ型の男性。
年の頃は、十代後半から二十代前半か。
青いセーターに白いズボンと焦げ茶色のブーツを履いて。
大人一人は余裕で入れそうな黒いバッグを背負っている。
視力が弱いのだろうか?
着用している眼鏡のブリッジを、指先で掛け直した。
「何か御用でしょうか?」
やり過ごす作戦は失敗した。
無視して愛想を悪くする手も考えたが。
職業病とでも言おうか、それはできなかった。
やむなく足を止め、笑顔で振り返る。
そんなあからさまに口の中で苦虫を粉砕しないでください、ベゼドラ。
「ええと。おかしなコトをお尋ねしますが、笑わないでください、ね?」
「?」
関所からずっと同じ道を進んできた、同郷の人らしき彼と。
彼の背後に並んでいる、彼の仲間? の、男性二人と女性二人。
合計五人が、真剣な顔で自分達を見据えた。
前を歩いていた集団は別口だったらしい。
こちらを気にする様子もなく、スタスタと遠ざかっていく。
「内容にもよりますが。とりあえず、お聞きしましょう」
「ありがとうございます。では」
彼は、数歩後ろに控えた仲間達と目線で頷き合い、自分を正面に見つめ。
すぅっと伸ばした右手の人差し指で、自分の胸元を指した。
「貴方のそこに、精霊が居ませんか?」
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