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逆さの砂時計

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解かれる結び目 6

 信じられない。
 自分の命の代償が、他人の笑顔だって言うの?
 魔王を倒してくるから、その代わりに笑って……なんて。
 そんなのおかしい。
 どう考えても釣り合わない。
 もしも本当に、本心からそんな風に思っているのなら。

「ホリードさん達のほうが、私よりずっと、本物の神様みたい」

 神々に祝福された人間。
 いきなり異種族間戦争の矢面に立たされた、まだ十代後半の少年少女。

 ……そうよ。子供なのよ。
 三人共、青年と形容してもおかしくない体つきになりかけてはいるけど。
 一人は男性の骨っぽさや女性のまろやかさが無くて少し判りにくいけど。
 年齢だけで言えば、きっと私と大して変わらない子供なのに。

 強い。
 三人は、すごく強い。
 ここまで生き抜いてきた力も、精神も。
 私と比べるなんて失礼だと思うくらい、強い。

「……仲間なんかじゃ、ない。私は……貴方達みたいに強くない……っ」

 皆が悲しむのは嫌。苦しむのも嫌。
 例えば、エルンストが苦痛に顔を歪めていたら、私は胸を痛める。
 どうしたの? どうしたら良い? って思う。
 でも、思うだけ。
 苦しんでる彼の目の前で、うろたえることしかできない。
 手を貸したくても、どう貸したら良いのか分からなくて。
 彼の「大丈夫だよ」って言葉と笑顔を待つだけで終わるんだわ。

 だけど、貴方達なら迷わずに手を差し出す。
 肩を貸して、適切な行動を取る。
 苦しむ彼に必要な処置と言葉を掛けて、ちゃんと安心させてあげられる。
 私にはできないことを、当たり前にこなしてしまうんだ。

 恥ずかしい。

 自分のこれまでの言動のすべてが。考え方が。
 周りに対してどれだけ不誠実だったことか。
 きっと、今この瞬間も、恥を上塗りしてる。

 なんて幼稚。
 なんて無様。
 なんて脆弱。
 こんな自分…………
 何の役にも立たない、他人にも自分にも誇れない私なんて、もう嫌だ!

「強く、なりたい……っ! 私も、変わりたい!」

 ほんの少しでも良い。
 今より強くなりたい。
 貴方達の強さに近寄りたい。
 貴方達みたいに、とは言わない。
 それは、貴方達のこれまでを軽く見るのと同じだから。

 でも、近付きたい。
 責任から逃れたがる意気地なしで情けなくて惨めな自分に勝ちたい。
 どんな恐怖も受け入れて、自分の力で前に進む、そんな私になりたい!



 小さな演奏会が終わって、どれだけの時間が経ったのか。
 集まっていた観客はまばらになり、三人も客室へと戻っていった。
 開いたままの窓から身を乗り出して辺りを見渡せば、もうすぐ夕暮れ。
 鮮烈な光で雲を焼いた夕陽が森へ沈み、西の空が澄んだ紫色に変わる頃。
 神殿騎士達が、中庭の各所に設置された松明(たいまつ)に火を(とも)し終えたようだ。
 神殿へ侵入するなら、今が好機。

 あの三人から話を聴いてみたい。
 歌で聴いた『冒険譚のあらすじ』じゃなくて。
 ホリードさん達が見てきた世界への感想とか心境とか、内面的な話を。
 あの三人に直接会って、表情や仕草を見ながら聴いてみたい。

 見回りの時間は大体決まっているから。
 それさえやり過ごせば、神殿に近付くのは難しくない筈。
 慎重に、バレないように移動しよう。

 お屋敷の中では、普段通りに振る舞う。
 このくらいの時間ならたまに出歩いてるし、不審には思われない。
 問題は、お客様が居る時に、お役目以外の目的で神殿に入ること。
 大神官様に見つかろうものなら、女神の品位を損なう行為は慎めと言って明日のお役目の時間になるまで自室に監禁されかねない。
 気を付けなきゃ。

 廊下をちょっと歩いたところで、周囲の無人を念入りに確認。
 遠くに立っている守衛達の隙を突いて、中庭の植物園へ走り込む。

 建物の外は侵入者への警戒が厳しいから、廊下を往き来する為の通用口と正面入り口は使えない。
 神殿に入るなら、狙いは礼拝堂の祭壇裏に直通している中庭側の中央口。
 パッと見では判りにくい場所にあるし、守衛も配置されてない。
 扉には常に鍵が掛かってるし、その鍵はペンダントにして私が持ってる。
 暗闇に紛れていけば気付かれないわ。
 多分。

 空が刻々と落ち着いた色調に変化していく。
 できるだけ噴水寄りに、素早く細かい移動を続けて。

「ダメだよ、マリア」
「!? エルンスト?」

 どうして貴方が、中央口の前に立って……

「君は、女神としてここに来たの? それとも、女性として?」

 ?
 女性として?

「意味が、解らないわ。私はただ」
「ダメだよ。君は人間に関わるべきじゃない。お屋敷へ戻って」

 ……私が神殿に来た目的を知ってる?
 私がここに来ると分かってて、ずっと見張っていたの?
 何故?

「お願い、エルンスト。私はただ、あの人達の話を聴きたいだけなの」
「聴いて、それで? どうするの?」
「どうって」
「一緒に行きたい?」
「え?」
「彼らと一緒に、神殿を出て行きたい?」
「三人と、一緒に……?」

 そんなこと、考えてなかった。
 ただ、あの人達の話をもっと詳しく聴けたら、神々に何を告げられても、頑張れる勇気を貰える気がして。
 それだけのつもりで。

「おいで、マリア」
「え? ま、待って、エル……」
「来るんだ」

 何? 掴まれて引っ張られる手首が痛い。
 神殿側の通用口を護る守衛二人に(かしこ)まられながら中庭を連れ出され。
 林に入ってお屋敷の方向へ、山頂の方向へと歩いていく。

 ……どうして廊下を使わないの?
 お屋敷へ戻れって言ったのは貴方なのに、どこへ向かってるの?

 硬い表情のエルンストが、私を半ば強引に引きずって。
 辿り着いたのは、誰も居ない裏門。
 閉ざされた鉄格子の扉に背中を押し付けられ。
 正面からエルンストの体が覆い被さって、私の動きを封じる。

「エルンスト?」
「僕は、君の伴侶候補だ」
「…………え?」

 伴……
 え? 何?

「神官と騎士の総会議で何年も前に決定していた。君が人間の法律で正式に結婚できる年齢になるまでは伏せていようとも決まってたけど」
「………………うそ」

 見上げた双眸が、すっかり暗くなった空の中で微かに青く光る。
 細めた目蓋が形作るのは、自嘲めいた微笑み。

「不思議だとは思わなかった? 礼拝堂やお屋敷の外で君と頻繁(ひんぱん)に会ってる僕が、何の戒めも受けていないこと。確かに、人前では極力敬語を心掛けていたけど、僕は神殿騎士として特別な位や権利を授かってるわけじゃない。普通に考えて、君の傍に居ること自体が不自然なんだよ」
「それは、貴方が私の幼馴染みで、友達だから」

 女神である私が、貴方の傍に居たいと願ったから。

「うん。僕が正式な伴侶候補に選ばれた理由もその辺りにあるんだと思う。でも、僕が候補に名乗りを挙げなければ君の願いであっても通らなかった。一族の血を絶やさない為に君は絶対不可欠な存在。不要な懸念は排除されて然るべきだ」

 一族の血を絶やさない為……不要な、懸念!?

「神々からの指示に、そんな話はないわ! 人間が勝手に私の結婚を決めて良い筈ない! それは神々がお決めになることよ!!」

 そうよ。
 私の未来は、天神(てんじん)の一族の力をどう扱うかは、神々が決めること。
 だから、私は恋を諦めて……

「たとえ神々の指示がなかったとしても、結婚はできるんだよ。実力行使。『既成事実』っていう暴力でね」
「…………ッ!?」

 なにを……エルンストは、何を言ってるの?
 それは神々の意に背く行為だわ。
 私に。人間の都合だけで、この(わたし)に、子供を産めと言ってるの!?
 神々に同意なんか求めてない!?

「だけど僕は、候補から外されるかも知れない」
「え?」
「神々の祝福を授かった彼が現れたから。神官側は、君と彼の間に生まれる子供こそ、次世代の(かんなぎ)に相応しいと言ってる」

 ……なに?
 なんなの、これは?
 私が知らない場所で。
 神々が見ていない所で。
 いったい、何が決められてるの!?

「私は!」
「僕はマリアが好きだ」
「……っ」

 喉が引き攣った。
 鼻先がくっつくほど間近に顔を寄せられ、息が詰まる。
 キスされると思って顔を逸らした瞬間、首筋に顔を埋められて。
 両腕ごと体を抱きしめられる。
 耳の裏をくすぐる髪が、私の背筋を(あわ)立てた。

「エルン、スト……っ」
「君が友達でいたいと望んでるのは知ってる。だからずっと言わなかった。君が少しでも僕を異性として認めてくれたら告白しようと思って。でも」
「……――――っ!?」

 首筋にチクリと痛みを感じる。
 何度も何度も同じ場所に吸いつかれて。
 そこから痛みがジリジリと広がっていく。

「やめ……っ、エルンスト、やめて!」

 抵抗するつもりで頭の向きを変えたのに。
 反対側にも、同じ痛みを植え付けられる。

「自由になった君はきっと、僕を忘れて彼方へ翔んでいく。恐怖でさえも、自分の(かて)にして。強い力と共に」
「苦、し……、離して……っ!」

 体を縛る腕がきつい。
 まとわりつくような得体の知れない悪寒と、エルンストの言葉一つ一つが私の心臓を凍らせていくみたいで、指先が震える。

「怖い? そうだよ。僕も怖いんだ。君が僕から去っていく未来が、怖くて堪らない。僕は、君と居る為に神殿騎士の道を選んだ。傍に居られるなら、どんな形でも良かったんだ。失うことだけが……ずっと、怖かったんだよ」

 エルンストの右手が、私の後頭部を捕まえて支える。
 上向きにされた視界を、暗闇で塗り潰されたエルンストの顔が占領する。

「や……っ」

 エルンストの息が熱い。
 唇が触れる。

 いや…………こんなの、嫌だっ!!

「なるほど。それが騎士殿の言い分か」

 え

「確かに、どんな形であっても身近な人間を失うのは怖いな。大切な存在であればあるほど、離れたくないと思うのは当然だろうね」
「っ!? 貴方が、どうしてここに……!?」

 エルンストの背後に突然現れたのは、カンテラを左手に持つ金髪の……
 ホリードさん?
 おかげでエルンストが離れてくれたから、呼吸は楽になったけど。
 本当に、どうしてここに?

「騎士の君が険しい顔でずっと女神様の部屋? を見てたから、気になって観察してたんだけどね。なんとなく不穏そうだったから、付いて来たんだ」

 私の部屋を、ずっと?

 ……あ。
 だから、私が神殿に行くって判ったの?
 私が窓から身を乗り出して、周りを確認してたから。
 大神官様の目を盗んで神殿に入るつもりなら、中央口しかないと読んで。

「さて。で? 彼は言いたいことを言ったと思うけど、君はどうしたい?」
「私?」
「! 貴方には関係な」
「関係ならあると思うよ。今の話だと、俺も彼女の伴侶候補なんだろう? 初耳すぎてびっくりだけどね」

 また、あははっ、と軽快に笑う。
 けど、なんだろう。
 朝の感じと、何かが違う。

「っ行こう、マリア!」
「! 待っ……」

 エルンストに引っ張られそうになった私の腕を。
 ホリードさんがエルンストの手首を掴んで、止めた。

「言葉は意志を交わす為のもの。相手に押し付けるものではない。一方的に想いを告げただけで逃げ出すのは、迷惑行為や精神的な暴行とも大差ない。彼女を一個の意思ある生者として見ているなら、想いを告げた君には彼女の考えと答えを聴く義務がある」

 ……目だ。朝との違いは、ホリードさんの目。
 表情は今朝と同じなのに、目は全然笑ってない。
 怒り? 呆れ?
 判らないけど、なんだろう……静かに圧倒される。

「君はどうする? 彼とどうなりたい? 迷ってるなら迷ってると答えても良いけど、この世界は数秒後に形を失うような(もろ)さで出来てる。その時になっても後悔しないように選択したほうが良いよ。どんな選択肢を選んでも大体後悔するとはいえ、選ばなかった後悔は結構キツイから」

 選ばなかった後悔。
 選ばない……エルンストの気持ちを無視して、逃げ出す?
 友達としての関係も、寄せてくれた好意も全部、見なかったフリをして、エルンストから逃げる?
 そんなの。

 そんなの、今までの自分と何も変わらないじゃない!

「エルンスト。私の話を、聴いてくれる?」

 私は強くなりたい。
 自分の責任から逃げたくない。
 自分に恥じない自分になりたい。
 だから、選ぶ。

「マリア……」

 向き合ったエルンストの手が、私の腕を離してくれた。
 ホリードさんの手も、エルンストの手首から離れる。

「ありがとう。貴方に好きって言われたことは、嬉しいわ。ううん。正直、驚いたり嫌だと思ったけど。それは私が貴方を友達だと思っているからよ。好意そのものは嬉しかった……と、思う」

 カンテラの光を浴びたエルンストの顔が強ばってる。
 酷いことを言ってるかな?
 言ってるよね。
 でも。
 想いに応えるって、こういうことでしょう?

 貴方の辛い顔は見たくないから。
 なんて理由で貴方の手を取るのは、全然誠実じゃない。

「私はエルンストと友達でいたい。まして神々の指示じゃない結婚なんて、相手が誰であっても絶対に受け入れないわ」
「! 何を」

 エルンストの腰に下げられた剣を引き抜く。

 う……。(これ)って、見た目で想像してたよりも、かなり重いのね。
 けど。

「私は強くなりたいの。だから、私の弱さを貴方に託したい」

 片手に剣を持ったまま、反対の手でエルンストが編んでくれた髪を掴み。
 肩の辺りでざくっと切り落とした。

 よ、良かった、翼まで切らなくて……。
 いえ、翼は生物が相手じゃないと物理的傷害を受けないけれど。

「私は天神(てんじん)の一族最後の一柱、最後の(かんなぎ)として、神々のご意思に従うわ。もしもホリードさんと結婚するなり旅へ出ろと神託が下るならそうするし、貴方と結婚しろと神託が下されても私はそれに従う。でも、ごめんなさい。神々の命令だとしても、すぐに気持ちを切り替えることまではできない」

 剣をエルンストに返して、髪を結んでいるリボンを解いた。
 それをエルンストの右手首に巻いて、結ぶ。

「今は貴方の気持ちを受け取ることはできません。それでもいつか、貴方を想える日が来たら。その時、貴方がまだ私を好きでいてくれたら。もう一度このリボンで私の髪を結んでください」
「……残酷なことを言うね。君は」

 泣きそうな顔で苦笑するエルンストを見上げて、私も苦笑いを返す。

「解ったよ、マリア。君の気持ちを預からせてもらう」
「うん。ありがとう、エルンスト」

 リボンを巻いた手首を、自身の胸にそっと抱いてうつむくエルンスト。
 ふと、彼から視線を横へずらすと。
 朝見たままのホリードさんが、カンテラをやや高めの位置に掲げ。
 私達二人を見て、心から嬉しそうに微笑んでいた。


 
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