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逆さの砂時計

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北の騎士の選択

 教会前の階段が賑やかだ。
 全開にされた出入口を塞ぐように、若い女性達が厚い壁を形成している。

 きゃあきゃあと、嬉しそうにはしゃいだ様子で何を見ているのだろうかと不思議には思ったが、特に用事は無いので通り過ぎ……
 ようとしたら、どうやら注目の的であるらしい人物が教会から出てきた。
 分厚い壁が波を打って真っ二つに割れ、その人物に階下への道を開く。

 有名な芸人か何かだろうか?
 いやしかし、彼? 彼女? は、長身に真っ白な長衣を纏わせている。
 教会の関係者で間違いなさそうだ。
 腰上までまっすぐ伸びる見事な金髪と、これもまた見事な金色の虹彩は、どことなくクロスツェルさんを思い出させる。

 女性達に愛想を振りまきながら、やや高めの階段を降りた人物が。

「…………!」

 何故か私を見て目を丸め、小走りで近寄ってきた。
 いや、単に足が長いだけで、本人は歩いてるつもりかもしれない。
 驚いたような顔をして、私の一歩手前で立ち止まる。

「……?」

 近くで見ると、本当に背が高い。
 ベゼドラさんと同じくらいか。

「私に、なにか御用でも?」

 正面に立って、じぃっと見下ろしてくる、不自然なほど整った顔。
 なんだろう、この感じ。
 探られてる?

「失礼いたしました。私の名はアーレスト。先日から、この街の新任神父を補助している者です。貴女のお名前を伺ってもよろしいでしょうか」

 左手を胸に当て、一礼した。
 無言で他人の顔を覗き込むなど、不躾(ぶしつけ)な態度だと思いきや。
 礼儀には心得がある人物だったらしい。

「私はフィレスと申します。この辺り一帯の領土を預かる伯爵の一人娘で、休暇中ではありますが、騎士の称号と位を授かっています」
「騎士フィレス様……フィレス? ああ! 貴女がフィレスさんですか!」

 目を大きく見開いて、両手をぽん! と鳴らした。

 確かに、私は領主の娘で、領主の館もこの街にあるが。
 私自身の知名度はそれほど高くない筈。
 この反応はなんだろう。

「私をご存知で?」
「ええ。ここでは落ち着けませんし、少々私にお付き合い願えませんか? ぜひ会っていただきたい者が居るのです」

 会わせたい人?
 私に?

「それは、構いませんが」

 別段気にならないとはいえ。
 女性達の敵意に満ちた視線をいつまでも浴びていたいとは思わないし。
 山賊騒動の事後処理が一段落して、残してきた馬も無事に回収できた今。
 これからの予定も、大雑把に「東へ行ってみるか」程度。
 レゾネクトなる人物が追ってくる様子はなく。
 急ぐ必要もなさそうなので、とりあえず頷く。

「では、こちらへ」

 差し出された手を取って、導かれるまま教会へと上がる。

 ……たった今、降りてきたばかりだと思うのだけど。
 外に用事があったわけではないのか?

 嫉妬剥き出しの女性達に見送られつつ。
 中心に赤い絨毯を敷いた左右対象の造形が美しい礼拝堂を、左奥へ進む。
 いくつかの木製の扉と、関係者以外立ち入り禁止! と書かれている札をしれっと無視しているが。
 部外者の私を招き入れて大丈夫なのだろうか?

 緩やかに曲がった廊下を歩いていくと。
 ちょうど礼拝堂の祭壇裏に位置する部屋があった。
 豪華な装飾が施された両開きの扉を押し開いて、室内へと招かれる。

 きらびやかな礼拝堂とは正反対に、裏の部屋は驚くほど質素だ。
 書棚三つとクローゼットが一つ。
 手持ち燭台を乗せた四角いテーブルに添えられた椅子が二脚。
 ベッドが二台と、その間についたてが一枚あるだけ。
 部屋の左右に片開きの扉が一枚ずつあるが……
 多分、浴室と執務室だな。
 窓も暖炉も無いのに、息苦しさも寒さも感じないのは。
 床に対して傾斜がついているガラス張りの天井が妙に高いからか。

「ここでお待ちいただけますか? すぐに呼んできますので」

 アーレストさんに椅子を勧められ、大人しく着席する。
 すぐに呼べるということは、会わせたい人とは教会関係者なのか。
 『宗教に携わる知人』に心当りなどないのだが、はて?

 静かに扉を閉め。
 出て行ったかと思えば、本当にすぐ戻ってきたらしい。
 凄まじい轟音(ごうおん)を伴って廊下を走る気配がする。
 何事かと腰を浮かせた瞬間、ダンッ! と扉が開かれ、

「フィぶっ!!」

 壁にぶつかった反動で、また閉まった。
 閉じた扉で顔面を盛大に打たれた人物の潰れた悲鳴が……

 ああ、なるほど。

 椅子から立ち上がって、扉をそっと開けば。
 鼻血が流れる顔を押さえてひっくり返った真っ白な長衣姿の男性が一人。
 アーレストさんにも劣らない長さの金髪を絨毯の上に散らして。
 若葉色の目を潤ませている。

「だから落ち着きなさいと言ったでしょう、ソレスタ」

 廊下をゆっくりと歩いてきたアーレストさんが、呆れた表情で頭を掻く。

「どぅっぶぇ! ぶぃぶぇぶぐぁ!」
「まずは鼻血を止めてきなさい。聞き取りにくいったらありゃしない」
「ぶぅーっ!」

 ガバッと立ち上がり、また廊下を戻っていった。
 そして、光の速さで私の前に立つ。
 鼻血の処置は完璧で。
 おそらく全力疾走の直後だろうに、呼吸がまったく乱れていない。

 相変わらずの超人ぶり。
 さすがです。

「よお! 元気だったか、フィレス!」

 片手を上げ、青年らしい爽やかな笑顔を見せてくれた、この方こそ。

「お久しぶりです、師範」

 学徒だった私に武芸と生き方を伝授してくださった恩師、ソレスタ様だ。



「いやあー、ビックリしたぞ! まさかアーレストがフィレスを連れてくるとは思わなかったからさぁ~。なになに? 休暇中? 自宅は放置してきたワケ?」
「あのねえ、ソレスタ。同じ神父でも、一応私が面倒を見てる側なのよ? 『様』を付けなさい。『様』を」
「良いじゃないか。年齢は俺のほうが上なんだから」
「年齢よりも勤続年数や立場が物を言う世界なのよ、ここは」
「せっまいなあ~。そんなんじゃ大きくなれないぞ、アーレスト……って、もう十分大きいか。はっはっはっ!」
「アンタね……」

 テーブルの角に腰掛けて。
 椅子に座ってるアーレストさんの背中をバシバシと叩く。

 懐かしいな。
 私も、学徒時代はよくあんな風に背中を叩かれていたものだ。
 顔や体つきは中肉中背の……そこらにいる三十代の青年そのものだが。
 師範の腕力は並じゃない。
 うっかり力を抜いてる時にあれをやられると、本気で息が止まるのだ。
 もちろん、あれくらいで本当に死ぬことはないが。
 ちょっとした臨死体験ができると、学校中で評判だった。

「師範は騎士団長を辞めて、今度は神父に挑戦ですか?」
「ああ。世界を知るには、何事も下調べと実行が肝要だからな!」
「楽しそうでなによりです」
「おう。ここはここで、なかなか面白いぞ!」
「興味本位で転職して、短期間で教会を預かる神父になるなんて。こっちは頭が痛いわよ、もう」

 アーレストさんが両手で頭を抱えてる。

「……それは異例なのですか?」
「ソレスタは、修了まで最低でも五年は掛かる修行期間を全部すっ飛ばして役職に就いたの。前例が無いわ。本当にありえない。それでいて、信仰心はきっちり認められてる。こんなこと、真面目な修行徒達が聞いてしまったら涙で滝が出来上がるでしょうね」

 ふむ。
 それは、つまり。

「やはり、師範は素晴らしい!」
「だろ? もっと褒めれ」
「はあ。まあ、良いけど。ソレスタが何かにつけて貴女の自慢ばかりするわ気に掛けているわで、毎日毎日鬱陶しいくらい落ち着かなかったので、ぜひこの機会に会ってもらいたかったのです。余計なお世話かも知れませんが」

 アーレストさんが私を知ってたのは、師範が私の話をしてたからか。

「いえ。再会できて嬉しいです。ありがとうございます、アーレストさん」

 騎士学校を卒業した後、直接顔を合わせる機会は無いと思ってたから。
 嬉しい……というよりも、今の状況ではありがたい。
 師範になら、諸々を相談しても良い気がする。


「ところで、フィレスさん。貴女は何者なのでしょうか?」


 …………え?

「貴女から、人間とは全然違う音が聴こえるのですが。かといって悪魔とも違う、清らかな音色だ。こんな音は聴いた例がない」
「……『音』?」

 アーレストさんの瞳が、すぅっと細くなる。

「強いて喩えるなら、焔。蒼い焔だ。猛る赤い炎よりも熱く、青い炎よりは静かに燃える光。暗闇に凛と響く、澄んだ音がします」

 意味は解らない、が。
 蒼い焔……『蒼』?
 怪奇現象の最中に自分を包んでいた光の色を思い出す。

「アーレスト。多分、フィレスは自分で理解してないと思うぞ」

 まさにその通りです、師範。

「師範には解るのでしょうか?」
「いーや? さっっぱり解らん!」

 きっぱり、さっぱり、すっきり答えてくれるのは気持ち良いのですが。
 残念です、師範。
 だが、話すきっかけは貰えたようだ。

「実は……先日から奇っ怪な出来事に巻き込まれているのです。自分一人の手には余る内容なので、よろしければ相談に乗っていただけませんか?」

 二人は顔を見合わせ。
 揃って笑顔を返してくれる。
 私はこくりと頷いて、これまで体験した怪奇現象の数々を打ち明けた。

 まずは、川で綺麗な宝石を拾ったこと。
 白黒の男性二人が訪れた夜に、自宅で見聞きしたすべて。
 宝石から虹のような曲線を描いて伸びた、薄い水色の光が示した方角。
 山賊のアジトで起きたことのすべてを。

「それで、白黒の二人組が居るかも知れない東へ行こうとしてた、と」
「他に手掛かりが無かったので」
「ふーん……」

 顎を撫でつつあさっての方向へ視線を泳がせる師範とは対象的に。
 アーレストさんの金色の眼差しは、正面に座る私を見据えてる。
 やはり、何かを探るように。


「お前、死ぬぞ」


 顎を撫でていた手で自身の後頭部を掻く師範に、顔を向ける。

「やはり、師範もそう思いますか?」
「ああ。話を聴いた限りじゃ、お前に勝ち目は無い。瞬きの間にズドン、で終わりだ。でなきゃ、捕まって慰み者になるか」

 ふむ。
 どうやら、師範の意見と私の実感に開きはないらしい。

「師範なら、どうしますか?」
「素直に逃げる」

 貴方の潔さは他の追随を許さぬ完璧さで、いっそ神々しいです、師範。

「それが嫌なら仲間を集めて刃を磨く。事情を知ってる可能性がある二人を探すのは正しい判断だろう。だが、方法と順番を間違えてるな」
「方法と順番、ですか」

 テーブルから降りた師範が、私の横に回り込み。
 突然、私の胸倉を掴んで引っ張り上げる。
 少しの揺らぎもない瞳が、呼吸を感じるほど間近に迫った。

「……冷静な判断はできてるな」
「師範に教わったことですから」

 数秒前まで私の腰に下がっていた短剣の、柄頭が。
 師範の脇腹にめり込んでいる。
 かなり強く打ち込んだ筈だが、師範は苦痛を表に出さない。
 見事です。

「だが、俺に捕まった時点でお前は死んだも同然だ。一旦飛び退いて距離を置くか、先に俺を斬るべきだった。俺だって、いつお前に危害を加えるか、分かったもんじゃないんだぜ? 油断するなよ、お嬢」
「ソレスタ。神聖な教会での不穏な言動は控えてちょうだい」
「はっはっはっ。この程度じゃ騒ぎにはならないさ。なあ、フィレス?」
「ええ。そうですね」

 師範が手を離してくれたので、私も短剣を収める。

「まずは、刃をもっと磨け。今のお前程度じゃ、仮に仲間を得てもまとめて殺られるのがオチだ。仲間ってのはお前の盾じゃない。お前自身がしっかりしてなきゃ、仲間にされたほうが大迷惑だからな」
「はい」
「それと、移動は羽根を使え。持って念じれば使えるって言ったんだろ? 理窟は解らなくても、現象を確認したんなら、関係者の意見に耳を傾けろ。聴ける物はすべて聴け。情報の精査は状況が勝手にしてくれる。後回しだ。人間の常識は一旦忘れろ」

 そんな難しいことを、さらりと。

「とは言っても、フィレスより強い奴なんてそうそういないんだよな……。刃を磨こうにも相手が不足してるし……なにより、剣じゃないだろ、多分。必要な力ってのは」

 ガリガリと頭を掻く師範。
 アーレストさんは目蓋を閉じて、背もたれに体を預けた。

「ある程度の調律なら可能だと思いますが、なにせ未知の領域ですからね。正しく奏でられるかどうかは保証しかねますが、試してみますか?」
「調律?」
「人間には人間の。植物には植物の。生物にはそれぞれ独特な音楽が宿っているのです。その音が乱れると、体調を崩したり怪我をしやすくなったり、著しい不調が出てきます」
「音楽……ですか?」
「貴女の場合、人間の音と別の音が混じって不協和音になっている。それを別の音に寄せて、人間ではない音楽に変えるのです」

 言ってることが既に人間の常識を越えてる気がする。
 まさか、アーレストさんも怪奇現象の仲間なのだろうか。

「あまり難しく考えないでください。特別おかしなことでもなんでもなく、日常的に『体の調子が悪い』とか『ふとした拍子に』とか言うでしょう? つまり、そういうものを調()()()()しましょうか、という話です」

 解るような、何か違うような。
 ちらりと師範の顔を覗くが……
 自分で判断しろ、という意味だろう。
 横を向いてしまった。

 そうですね。
 自分で考える頭があるのだから、頼るべきではない。

 正直、要領は全然掴めてないのだが。
 師範は「情報の精査は状況が勝手にしてくれる」と言った。
 それは結局、

 頭で考えるな。
 感じろ。

 ということですね、師範。

「……よろしくお願いします、アーレストさん」
「善処はしましょう」

 アーレストさんは、にっこりと綺麗に笑って、応えてくれた。



 
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