逆さの砂時計
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それゆけ! べぜどらくん。
「……。」
ベゼドラは内心、溜め息を吐いた。
目の前には、薄紅色の花を一輪差し出す人間の少女。
傷んだ赤いワンピースを纏い、両耳の裏辺りでボサボサの短い金髪を括った金色の瞳の……顔はまぁまぁ整っている、可愛らしいと表現して良い部類の子供だ。
五歳か、六歳か……十歳にも満たってないのは間違いない。
下町育ちなのだろう。何処もかしこも泥やら何やらで汚れて、靴すら履いていない。
人間世界には数多の国が濫立し、権力と領土と資源を奪い合う戦争が繰り返し勃発している。国境に近付くにつれてこうした子供の姿を見る機会は増えていた。
なので、その身形や子供に対して今更どうこう思う事は無い。そもそも興味も無い。
問題なのは、その少女の発言だった。
国内の隅を巡り、小さな村や集落を転々と渡り歩いて来た白黒コンビが何気無く立ち寄った街で、突然この少女が駆け寄って来て二人に放った言葉。
「花を、買ってくれませんか!」
花を売る……とは、要するに隠語。売春婦の台詞だ。
戦地の近くではよく聞く一言らしいが、顔を真っ赤にして肩を震わせている少女は、どう見ても未経験。
ベゼドラの目には、ご馳走である処女か否かよりもまず子供にしか見えなかったし、子供を抱く趣味は無い。
悪魔にだって好みの対象範囲くらいはある。
「……これ、喰って良いか?」
勿論、抱くという意味ではない。
自ら体を差し出そうとしてるんなら、生命力くらい頂いても構わないだろうと、少女を指して半眼で振り向くベゼドラに、クロスツェルは当然、首を横に振った。
「いけませんよ、お嬢さん。事情があるにしても、そうした行いは無闇にするものではありません」
ベゼドラの太股より少し低いくらいの背丈で懸命に腕を伸ばす少女に目線を合わせて屈み、クロスツェルはふわりと微笑んだ。
「お前が言うと冗談に聞こえるな」
「お黙りなさい実行犯」
ふわふわと頭を撫でられた少女は困った顔をして、でも……と呟いた。
「お金が要るの。リリンが病気なの」
「リリン?」
「リリンは友達。ずっと一緒に居たけど、凄い熱で、動け……ない、のっ」
少女は堪えていた涙をポロポロと溢し、ふえぇええん、と声を上げて泣き出した。
「なるほど。お友達を助けようとしたのですね」
「リリン、死んじゃう……っ! お金、無い、から……誰も、助けて、くれ……ないのぉっ」
「そう……辛いね……」
クロスツェルはわんわんと泣き喚く少女の小さな体を抱き締めて、背中を擦った。
助けてあげたいとは思うが、治療費を融通してあげられるだけの余裕は無い。少女を買うなど以ての外だ。
街を見渡せば、薄汚い物に対する目線が少女に集まっていた。
通りを往く人々は綺麗な装いをして、上品に笑い合い、下町の人間など素知らぬ振りで充足した生活を謳歌している。
「放っとけ」
ベゼドラも、面倒臭そうに頭を掻いた。
「喰って良いってんならともかく、基本ガキは嫌いなんだよ。うるせぇし、我が儘だし、汚ぇし。そいつ一人助けてなんになるってんだ」
「ベゼドラ。言葉は選びなさい」
へいへい、と肩を持ち上げて横を向くベゼドラを見て……クロスツェルはふと思い付く。
「働きましょうか」
「あ?」
「路銀を調達してください、ベゼドラ」
少女の肩に手を置いたまま立ち上がったクロスツェルは、爽やかな笑顔でベゼドラと向き合った。
「俺か!? これまで通りお前がやれよ! 皿洗いとか介護とか、ぜってー断るぞ俺は!」
「それでは間に合わないから貴方にお願いしているのですよ、ベゼドラ。もっと大きな報酬を得る為には重労働でなければいけません。私では体が耐えられませんから。あ、当たり前ですけど、人間に危害を加えてはいけませんよ」
「お前、本ッ当に良い度胸してるよな。悪魔に日中から労働しろとか、アホか!」
「ですが路銀が無いと私は死んでしまいます。ロザリアに会える確率が格段に落ちてしまいますね」
「死体を持ち歩くから問題無い」
「私は結構重いですし……腐る前に会えると良いですね?」
ベゼドラの顔が思いっきり苦虫を噛み潰した。
「……覚えとけよ、この似非神父!」
「私はもう、神父ではありません」
「喧しい!」
ふんっ!と鼻息を吐いて、ベゼドラは街中に踏み込んで行く。
夜、此処で待ち合わせましょうと手を振るクロスツェルの横で、少女が不安そうに彼を見上げた。
「大丈夫ですよ。障りが無ければ、貴女の名前を教えていただけますか?」
少女は苦しそうに肩で息を整えながら、クロスツェルのコートにしがみ付いて答えた。
「……レネ」
「それなら荷物運びの仕事があるぜ」
街の役所に入ったベゼドラは、案内人の紹介で日払いの仕事を引き受けた。
この一連の流れは、路銀を稼ぐ為にクロスツェルがしていた事だ。ベゼドラが働いた経験は無い。
案内人が手配した紹介状を片手に指定された現場へ行ってみれば、厳つい体型の男達がニヒルな笑顔を浮かべて彼を歓迎した。
「ようこそ、若人よ。今日から君も素敵な運び屋だ。体を酷使して良い汗かこうぜ!」
「うわ。ウゼェ。」
思わず回れ右して飛び去りたくなったが、クロスツェルの説教に比べればまだマシ……と自分に言い聞かせて、大人しく男達から仕事内容を聞く。
この日の荷物は、外国から海を跨いで届いた織物や家具等の生活用品。
これらを街中の商家に配達するのが役目だ。
街内の一部を赤い丸で囲んだ地図と商家のリスト、荷物の宛先リストを手渡され、二階建ての民家三軒が余裕で収まりそうな倉庫一棟に山程積まれた荷物を託された。
配達道具は、手引き式リアカー一台。のみ。
「三台有る荷馬車の内、二台が過積載でぶっ壊れちまってよぉ。人手が全く足りてねーのよ! よろしく頼むわ」
全部ぶっ壊してやろうか。
……と思ったが、なんとか堪えた。
ふつふつと沸いて来た感情は全部ロザリアにぶつけてやると心に決めて、荷物に手を掛ける。
リアカーに積めるだけ積めて、指定域の一番遠い場所から届けて行く。
配達予定時刻は一軒目から既に遅れていた為、届け先でいきなり苦情を貰った。殺してやろうかと思った。
二軒目にも少しの遅れがあったものの、淡々とした受け渡しで済んだ。
三軒目は、ほぼ予定通りに届けて感謝もされた。当然だと思う一方で、お疲れ様と差し出された水が甘く感じた。
その後も着々とあり得ない速さでミス無くやり遂げ、男達から称賛されまくったベゼドラは、明日も来いよと誘われつつ大幅に割り増しされた報酬を手に、クロスツェルとの待ち合わせ場所へと戻った。
街灯がぽつぽつと光り出した夕闇の中で、街を護る大門に寄り掛かってクロスツェルを待つ。
くだらない。実にくだらなくて面倒臭い事をさせられた。人間の生活ってヤツはなんて不便なんだ。……などと愚痴を溢していると、少女を連れたクロスツェルが現れた。
「お疲れ様です、ベゼドラ」
「ケッ」
微笑む元神父の胸に報酬が入った茶封筒を投げ付けると、それを手に取ったクロスツェルは中身の確認もせず、丸ごと少女に手渡した。
「……本当に、良いの……?」
少女はベゼドラとクロスツェルの顔を交互に見て、戸惑いを見せる。
「良いのですよ。その代わり、明日もリリンに会わせてくださいね」
俺の意思はまるっと無視かよ。と睨むベゼドラを躱して微笑むクロスツェルに、少女は瞳を輝かせて抱き付いた。
「ありがとう! リリンを助けてくれてありがとう! お兄ちゃんも、お金をくれてありがとう!」
少女はベゼドラにも駆け寄って、足にぎゅうっと抱き付いた。
意外にも、ベゼドラは蹴飛ばしたり突き放したりはしない。
「ウザイとは言わないのですね?」
「誰かさんの我が儘の所為で疲れただけだ」
両目に涙を浮かべて喜ぶ少女は、急ぎリリンを預けた病院へ戻って行った。どうやらクロスツェルが前金を支払って看てもらったらしい。
「どうでしたか? 初めてのお仕事は」
「暑い、疲れる、鬱陶しい、煩い、むかつく、面倒臭い、二度としたくない」
躊躇無くポンポン飛び出す文句に苦笑すると
「だが、飯は旨い」
最後に思いがけない言葉が飛び出した。
クロスツェルは目を丸くして……くすくすと笑う。
昼食に出された卵焼き入りのサンドイッチは、この日以降ベゼドラの好物になった。
翌日の朝。
「はい、お兄ちゃん!」
「やぁ、リリン。すっかり元気になったみたいですね」
病院の入り口の前には、医者と少女とクロスツェルと……呆然とするベゼドラが居た。
「いや、アンタが来てくれて良かったよ。いろいろ目が覚めた。今日から頑張ってくれよ、レネ!」
白い診察用の服を着た中肉中背で金髪碧目の男医者が、同じく白い診察用の服を着た少女の肩を叩く。
「うん! ……じゃなかった、はい! よろしくお願いします! 一緒に頑張ろうね、リリン」
少女はリリンの真っ白で小さな体を抱え、元気一杯に笑う。
リリンは、少女と同じ金色のくりくりとした目をベゼドラに向け
「ニャアオ」
とても愛らしい声で鳴いた。
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