逆さの砂時計
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それゆけ! べぜどらくん。
ベゼドラは、心の中でため息を吐いた。
目の前には、薄紅の花を一輪、両手に持って差し出している人間の少女。
砂埃や皮脂などが絡みついたボサボサの短い金髪を両耳の裏辺りで乱雑にまとめた、顔立ちはまあまあ整っている、可愛らしいと表現して良い部類の小さな子供だ。
細っこい手足に、二重目蓋の大きな金色の目。
均整の危うさから受ける未成熟な印象は、五歳か、六歳か。
十歳にも満たってないのは、間違いない。
下町育ちなのだろう。
赤いワンピースはボロ衣同然。
覗く素肌は、どこもかしこも泥やら何やらで汚れて。
足に至っては靴すら履いていない。
人間の世界では数多の国が濫立し。
権力と領土と資源を奪い合う戦争が、各地でくり返し勃発している。
この国も、現在は比較的落ち着いているように見えるが。
戦禍というものは、地中深くに隠れて伸びるしぶとい根だ。
どれだけ掘っても抜いてもキリがなく、後の世代へと受け継がれていく。
そして、その禍根によって真っ先に養分を奪われるのが女と子供だ。
住民が少なく、人や物の往来も少ない分だけ、救済の手が届きにくい。
そんな国端に近付くほど、こうした子供の姿を見る機会は増えていた。
ので、そんな子供の存在や身形に対して、今更どうこう思うことはない。
そもそも興味すらない。
問題なのは、目の前の少女が発した言葉の内容だった。
国内でも、比較的隅のほうを巡り、小さな居住地を転々と渡り歩いてきた白黒コンビが何気なく立ち寄った街で。
突然駆け寄ってきた少女が、二人に向けて放った言葉。
「花を、買ってくれませんか!」
『花を売る』とは。
要するに、人身売買を禁じた法律から逃れる為の隠語。
売春婦のセリフだ。
戦地の近くではよく聞く一言らしいが。
真っ赤な顔で両肩を震わせている少女は、どう見ても未経験。
ベゼドラの目には、ご馳走である処女か否かよりもまず小汚い幼女にしか見えなかったし、綺麗だろうが汚かろうが、幼女を抱いて悦ぶ趣味はない。
悪魔にだって、好みの対象範囲くらいはある。
「これ、喰って良いか?」
もちろん、抱くという意味ではない。
自分から体を差し出そうとしている相手だ。
生命力くらいは頂いても構わないだろうと、少女を指して半眼で振り向くベゼドラに。
背後で立つクロスツェルは当然、首を振って否と返す。
「いけませんよ、お嬢さん。どんな事情があるにしても、そうした行いは、相手を選ばず無闇にするものではありません」
ベゼドラの太股より少し低いくらいの背丈で、懸命に両腕を伸ばす少女と目線を合わせて屈み。
穏やかな表情でふわりと微笑むクロスツェル。
「お前が言うと冗談に聞こえるな」
「お黙りなさい実行犯」
ふわふわと頭を撫でられた少女は困った顔をして、でも、と呟いた。
「お金が要るの。リリンが病気なの」
「リリン?」
「リリンは、友達。ずっと一緒に、居たけど、今、すごい、熱で……、う、うごけ……ない、の……っ」
堪えていた涙をポロポロと溢し。
少女は、ふえぇええん、と声を上げて泣き出した。
「なるほど。お友達を助けようとしたのですね」
「リリン、死んじゃうっ! でも……、お金が、無い、からっ……。誰も、助けて、くれ……ないのぉお……っ!」
「そう。……辛いね」
クロスツェルは、わんわん泣き喚く少女の小さな体を抱きしめて、震える背中を優しくさすった。
助けてあげたいとは思うが、今現在、治療費を融通してあげられるだけの余裕なんて、旅人である二人にはない。
少女を買うなど、金銭面でも倫理の面でも論外だ。
何の気なく街を見渡せば、薄汚い物に対する目線が少女に集まっていた。
通りを往く人々は綺麗な装いで上品に笑い合い、下町の子供など見て見ぬフリで、充足した生活を謳歌している。
「放っとけ」
ベゼドラも、面倒くさそうに頭を掻いた。
「喰って良いってんならともかく、基本ガキは嫌いなんだよ。うるせぇし、ワガママだし、汚ぇし。第一、そいつ一人を助けてなんになるってんだ」
「ベゼドラ。言葉は選びなさい」
へいへい、と肩を持ち上げて横を向くベゼドラを見て。
ふと閃いた。
「働きましょうか」
「あ?」
「路銀を調達してください、ベゼドラ」
少女の肩に手を置いたまま立ち上がったクロスツェルが。
爽やかでありながらどこか胡散くさい笑顔で、ベゼドラと向かい合う。
「俺か!? これまで通り、全部お前がやれよ! 皿洗いとか介護補助とか、ぜってー断るぞ、俺は!」
「それでは間に合わないから、貴方にお願いしているのです。もっと大きな報酬を短期間で得る為には重労働でなければいけませんが、私ではこの体が耐えられませんから。ああ、当たり前の話ですけど、人間に危害を加えてはいけませんよ」
「お前マジで良い度胸してるよな。悪魔を捕まえて日中から労働しろとか、アホか!」
「ですが、路銀が無いと私は死んでしまいます。私が死んでしまった場合、ロザリアと会える確率が格段に落ちてしまいますね」
「死体を持ち歩けば問題ない」
「私は結構重いですし。腐る前に、会えると良いですねえ?」
ベゼドラの顔が、思いっっきり苦虫を噛み潰した。
「……覚えとけよ、このエセ神父!」
「私はもう、神父ではありません」
「やかましい!」
ふんっ! と鼻息を飛ばし。
ベゼドラは一人で雑踏の中へと踏み込んでいく。
「夜、ここで待ち合わせましょう」と、手を振りながらベゼドラを見送るクロスツェルの横で、少女が不安そうに彼を見上げた。
「大丈夫ですよ。障りがなければ、貴女の名前を教えていただけますか?」
少女は、息苦しさを抑えるように肩で呼吸を整えながら、クロスツェルのコートの裾をぎゅうっと握り締めて答えた。
「……レネ」
「そんなら、ちょうど荷物運びの仕事があるぜ」
役所に入ったベゼドラは、職と人との仲介役を専門とする部所の窓口で、特別身分証明を提示し、案内人から日払いの仕事を引き受けた。
この、仕事探しから請負までの一連の流れは、路銀を稼ぐ為に各居住地でクロスツェルがしていたことだ。ベゼドラが働いた経験は無い。
案内人が手配した紹介状を片手に、指定された現場へ行ってみれば。
いかつい体型の男達がニヒルな笑みを浮かべて、ベゼドラを歓迎した。
「ようこそ、若人よ! 今日からは君も、素敵な運び屋だ。体を酷使して、良い汗かこうぜ!」
「うわ。うぜえ」
思わず回れ右して跳び去りたくなったが。
異様なほどねちっこいクロスツェルの説教に比べればまだマシだ……と、自分に強く言い聞かせつつ、男達から大人しく仕事内容を聴く。
この日の荷物は、外国から海を跨いで届いた織物や家具などの生活用品。
これらを、街中に点在する商家へ迅速丁寧に配達することが、ベゼドラに与えられたお役目だ。
街内の一部を赤い丸で囲んだ地図と、商家のリスト、荷物の宛先リストを手渡され。
庭付き二階建ての民家三軒が余裕で収まりそうな倉庫一棟の中に所狭しと積まれている荷物を、全部、託された。
配達手段は、手引き式のリアカー一台、のみ。
「ウチには荷馬車が三台あるんだが、二台が過積載でぶっ壊れちまってな。人手が全然足りてねーのよ! よろしく頼むわ」
いっそ全部ぶっ壊してやろうか。
と思ったが、なんとか堪えた。
ふつふつと沸いてきた感情は全部ロザリアにぶつけてやると心に決めて、荷物に手を掛ける。
リアカーに積めるだけ積み、指定域の一番遠い場所から順に届けていく。
一軒目から既に配達予定時刻が超過していた為、届け先で苦情を貰った。
殺してやろうかと思った。
二軒目にも少しの遅れがあったものの、淡々とした受け渡しで済んだ。
三軒目は、ほぼ予定通りに届けて感謝もされた。
当然だと思う一方で、お疲れ様と差し出された水がやけに甘く感じた。
その後も着々と、ありえない速さで失敗一つなくやり遂げ。
男達から称賛されまくったベゼドラは、明日も来いよと誘われつつ大幅に割り増しされた報酬を手に、クロスツェルとの待ち合わせ場所へと戻った。
街灯がぽつぽつと光り出す夕闇の中、街を護る大門に背中を預けて立つ。
くだらない。
実にくだらなくて、とんでもなく面倒くさいことをさせられた。
人間の生活ってヤツは、なんて不便なんだ。
などと愚痴を溢している間に、クロスツェルと少女が一緒に現れた。
「お疲れ様です、ベゼドラ」
「ケッ」
ベゼドラが、微笑む元神父の胸に報酬入りの茶封筒を投げつけると。
それを手に取ったクロスツェルは中身の確認もせず。
少女にまるごと手渡した。
「……本当に、良いの……?」
少女は戸惑いながら、ベゼドラとクロスツェルの顔を交互に見つめる。
「良いのですよ。その代わり、明日もリリンに会わせてくださいね」
俺の意思はまるっと無視かよ。
と睨むベゼドラをかわして微笑むクロスツェルに。
少女は瞳を輝かせて抱きついた。
「ありがとう……! リリンを助けてくれてありがとう! お兄ちゃんも、お金をくれてありがとう!」
少女はベゼドラにも駆け寄って、その足にぎゅうっと抱きつく。
意外にも、ベゼドラは蹴飛ばしたり突き放したりしない。
「ウザい、とは言わないのですね?」
「誰かさんのワガママのせいで疲れただけだ」
涙を浮かべて喜ぶ少女は、急ぎリリンを預けた病院へ戻っていった。
どうやら、クロスツェルが前金を支払って医師に診せたらしい。
「どうでしたか? 初めてのお仕事は」
「疲れる、鬱陶しい、うるさい、むかつく、面倒くさい、二度目は断る」
躊躇なくポンポン飛び出す文句に、クロスツェルが苦笑すると。
「だが、飯は旨い」
最後に思いがけない言葉が飛び出した。
クロスツェルは目を丸くして。
それから、くすくすと楽しげに笑う。
昼食に出された卵焼き入りのサンドイッチは。
この日以降、ベゼドラの好物になった。
翌日の朝。
「はい、お兄ちゃん!」
「やあ、リリン。すっかり元気になったみたいですね」
病院の入り口の前には、和やかに笑い合う医師と少女とクロスツェル。
そして、狐狸に化かされたような顔で呆然と立ち尽くすベゼドラが居た。
「いやあ、クロスツェルさんが来てくれて良かった。いろいろと目が覚めた思いだよ。今日から頑張ってくれな。レネ、リリン」
白い診察服を着ている金髪碧目の男性医師が。
同じく、おろしたての診察服を着た少女の肩をポンと叩く。
「うん……! あっ、じゃなかった、はい! よろしくお願いしますっ! 一緒に頑張ろうね、リリン!」
少女はリリンの真っ白で小さな体を抱え、元気いっぱいに笑う。
リリンは、少女と同じ金色のくりくりとした目をベゼドラに向け。
「ニャアオ」
とても愛らしい声で鳴いた。
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