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逆さの砂時計

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不透明な光

 紅い髪を肩まで伸ばした少女は、他と比べて少しばかり背の高い木の上で、麗らかな午後の陽射しを浴びていた。建物の二階部分に相当する高さから見渡す景色は、少女の蟠る思いを僅かに紛らわせる。
 一人になって漸く落ち着いてきたばかりだというのに、またしても不愉快な雑音が足下から響いてきた。
 「レネージュ! いつまで拗ねてるんだ! 早く降りて、支度しなさい!」
 鼻下と顎に黒髭を生やした、体付きと今日の為の衣装だけは立派な中年の男が、ガミガミと擦れた声を張り上げて少女を叱っている。
 両手の甲を腰に当てて胸を突き出す格好を見て、熊みたいだなと、レネージュは思った。
 「……わかってるわよっ!」
 不満を隠さず見下ろせば、だったら降りて来いと地面を指し示される。
 癖が無い真っ直ぐな髪をガシガシと両手で掻き乱し、心の底から息を吐き捨てた。
 一点の曇りも無い蒼穹の眼差しを、遠く続く水平線に向け……視界に焼き付けてから、ひょいっと飛び降りる。
 「わ! こら、莫迦者! 天辺から飛び降りるヤツがあるか! 体に傷が付いたらどうするんだ!」
 着地の時に屈んだ姿勢を戻し、膝を払う。
 「父さん、うるさい。あたしが木登りしてるのは昔っからでしょうが。向こうもそれを承知でバカな提案してんだから、今更傷もへったくれもありゃしないわよ」
 「だからそれは……」
 「あーあーあー。聞きたくなーい。行くわよ、行きますわよ。大切な船の為だもんね」
 両耳をパタパタと叩きながら、レネージュは既に準備が始まっているであろう、寂れた海辺の教会へ向かう。
 予定までまだ数時間はある筈だが、教会の前では、めでたい席に並ぼうと集まった村の衆が、勝手に持ち込んだ酒を片手に談笑していた。
 何処から集めて来たんだそれは。
 喉に押し込んだ言葉の代わりに、こめかみ部分に筋が浮かぶ。
 「ありがたいねぇ。これで心置きなく漁に出られる」
 「明日から早速、網の手入れをしねぇとな!」
 「あのじゃじゃ馬も、これでちったあ娘らしくなるだろ」
 「見たか今朝の若様。よほど嬉しいのか、ずっと笑ってたぜ」
 ほう、アイツは笑ってるのか。きっとニヤニヤ笑いなんだろうな。権力と財力を使って手に入れる玩具だもんね。そりゃあ嬉しいでしょうよ……と、レネージュは奥歯を噛み締めた。
 レネージュは今日、村の近くに在る屋敷に住む貴族の御曹子に嫁入りする。
 二人は一般に幼馴染みと言われる間柄だが、決して仲は良くなかった。少なくともレネージュが法的に結婚できる年齢になった、去年までは。
 男に混じって自由気儘に遊んでいた頃は、殴り合い蹴り合った。
 村稼業の漁を手伝い始めてからは、役立たずだの、これだから女は……だのと、毎日のように因縁を付けられた。
 そして、一年前。
 大嵐に襲われ、村が所有する船総てが使用できない状態にまで破壊されてしまい、困った村人に御曹子が突然こう告げたのだ。
 『村の損害を総て引き受けます。代わりに、レネージュを私に下さい』と。
 父親からその話を聞いたレネージュは、口を開けたまま目を点にした。
 彼女の認識では、喧嘩友達ですらない相手だ。その提案はあまりに突拍子もなく、最初は意味不明だった。そういう話にまるで興味が無いと言えば嘘になるが、相手が悪すぎる。
 当然、レネージュは断固拒否の構えを取った。
 ところが、話を聞いた翌日に現れた御曹子はレネージュの耳に唇を寄せて、こう囁いたのだ。
 『ザマーミロ』と。
 レネージュに好意がある訳ではない。彼女を貶める材料に結婚を選んだだけ。しかも、村稼業が危機に陥っている事まで利用した。
 御曹子の提案を受け入れてくれと、村人達は必死になって訴える。
 海辺で上質な山菜が採れるのなら、レネージュも迷い無く御曹子の顔面にウニの殻でも投げ付けて高笑いしてやっただろう。
 が、現実はそう優しくない。
 財政が圧迫されて生活が困窮していく様を直に見て……頷くしかなかった。
 「あ、レネージュお姉ちゃん!」
 「ホリィ」
 日焼けして浅黒くなっている上半身を潮風に晒した黒髪の男の子が、両手一杯に色とりどりの貝殻を持ってレネージュに駆け寄った。
 「あのね。これね。しあわせのかいがら、なんだって。ネックレスにして、首にかけて、神さまにお祈りすると、一生しあわせになれるんだよ!」
 「ホリィが集めてくれたの?」
 「うん! ボクとエミィで集めたの」
 見れば、教会の入口扉の影から黒髪の少女がチラチラと恥ずかしそうにレネージュの様子を窺っていた。
 無邪気に笑うホリィの手には、所々擦り傷や切り傷、刺し傷まである。
 貝殻は色こそ美しいが、欠けた部分は鋭利な刃物同然だし、加工前にはトゲだってある。拾い集めて抱えて持つなんて、相当痛いだろうに。
 「ありがとう、ホリィ。エミィにも伝えて。あたしが喜んでたよって」
 「うん! 式に間に合うように、お母さんにおねがいして来るね!」
 体を反転させ、駆けて行く小さな背中を見送り……溜め息を吐く。
 まだ五歳になったばかりの双子の気持ちまで欺いて、レネージュは好きでもない男と結婚する。
 村稼業を再開させる為とは言え、晴れ晴れしい気分にはなれなかった。



 「ほんと、女の子らしくなったものねぇ」
 「………。」
 御曹子側が用意したという純白のドレスを着せられ、レネージュは何とも言えない気分になる。
 サイズも形の好みもど真ん中。採寸した記憶は無いし、好みを尋かれた覚えも無いのだが。肌触りの良さまで計算されているのが、微妙に気持ち悪い。
 「じゃ、これを付けて」
 ドレスを着付けてくれた近所に住むふくよかな体型の婦人が、加工した貝殻のネックレスをレネージュの首に掛ける。表面を丁寧に磨いて独特の光沢を与えられた貝殻が五枚、薄く焼けた首周りを美しく彩った。
 「さあ、行こうか」
 可愛い盛りの子供達を思い浮かべている間にヴェールを被せられ、背中を軽く押される。
 仕方ないとは言え、容赦も無い。
 「……はーい」
 ふわりと咲いたチューリップを逆さにしたような形のスカート部分を片手で摘まみ、もう片方の手にブーケを持って、教会の礼拝堂へ向かう。
 式は村の様式とも貴族の様式とも違う、一般的な形式で行われる。
 貴族式で行う場合は準備期間を長く取らねばならないし、村の様式では簡素過ぎるから……が、理由らしい。
 これにはレネージュも納得した。
 村の様式は、結婚する男女が村の衆に見守られながら手を繋いで、二枚貝の上を新郎が。下を新婦がそれぞれ同時に海へ放り投げる……だけ。後は法に則って役所で籍を書き換えるのみ。非常に質素かつ味気なかった。
 堅苦しい場所で知らない人間に囲まれて挨拶に終始するなんて面倒な事もしたくない。
 しかし。
 「顔を上げろ、レネージュ」
 傲慢を絵に描いたらこの男になるな。
 そう確信したレネージュは、言われた通りに大人しく顔を上げる。純白のヴェールを除けられ、夫となる男の顔を正面からじっと見据えた。
 海の近くで暮らしているとは思えないほど白い肌に、透き通るような青みが混じる銀の髪。長い睫毛から覗く海の碧色は、黙っていれば綺麗だと思う。黙ってさえいれば。
 その顔が視界を埋め尽くし、紅を塗ったレネージュの唇を塞ぐ。後頭部に回した手が逃げ道を奪って、男の舌が無理矢理口内に侵入した。
 「っ……んん!?」
 レネージュと同じ純潔を示す白を纏う男は、軽く触れるだけで良い筈の口付けを、深く長くねっとりと、厭らしい音を立てて味わった。
 「……っ、……!」
 息苦しさで倒れそうになるレネージュの腰を引き寄せて支え、男はうっとりと微笑む。
 神前で誓いを立てた夫婦は肩を寄せ合い、関係者に祝福されながら、ゆっくりと礼拝堂を後にした。


 「なっ……、んじゃありゃーッッ!」
 レネージュは怒りを込めてヴェールを床に叩き付ける。
 ヴェールはふぁさ……と柔らかな絨毯の上に落ちただけで、妙な空振り感が余計に腹立たしい。
 教会の外でブーケを村の衆に向けて放り投げた後、そのまま御曹子とは別の馬車で屋敷に連れて来られた。天蓋付きのベッドしかないあからさまな寝室だが、外はまだそんなに暗くもない夕暮れ時。男が来るまではそう緊張することもない。
 ベッドの端にどっかりと腰を下ろし、腕を組んで「ふん!」と開き直った。
 「グリークめ! 人前でする事じゃないでしょ、あんなの!」
 吐き捨てるように呟いて、うっかり感触を思い出してしまう。
 耳まで赤く染め、身悶えつつ頭を抱えた。
 「……っ、初めてだったのに……!」
 容姿だけは一級品の幼馴染みと、脅迫紛いの結婚。人前で恥ずかしい口付け。
 とんでもない最低な式だ。このドレスだって、できれば着替えてしまいたい。
 そう思って胸元に手を運び……
 「おい、アンタ」
 「…………っ!?」
 突然響いた声に驚いて顔を上げた。
 正面にある、そろそろと黒くなり始めた空を切り取る縦長な窓枠に、いつの間にか黒い人影が立っている。肌も髪も、着ている服まで全てが真っ黒。
 唯一、目だけがレネージュの髪と同じような紅色だ。
 「だ、誰!? なんで窓……此処、三階よ!? バルコニーも無いのに!?」
 レネージュが慌てて立ち上がっても、黒い人影は微動だにせず冷静に言葉を続けた。
 「銀髪男と本気で結婚したいと思ってんのか?」
 「銀髪? グリークの事?」
 「名前なんぞ知らん。ただ、本気じゃないなら止めとけ。喰われるぞ」
 喰われる? 妙な言い回しだなと、レネージュは首を傾げる。
 「あたしだって、別にアイツと結婚したい訳じゃないわよ。でも、村の死活問題なんだもん。仕方ないじゃない」
 ぷぅっと頬を膨らませると、相手はほんの少し目を丸くして笑った。
 「なんだ。人身御供か」
 「そうだけど……改めて言葉にされると、なんとなく虚しくなるわね」
 「人間問題に絡めて手に入れた、か。此処のヤツはそこそこ賢いらしい」
 クスクスと肩を揺らして笑ってる。何が面白いというのか。
 「生憎、俺達がどうにかできるのはアンタ一人に限られてる。今、この場で選んでもらうしかないが……喰われるのと逃げ延びるのと、どっちが良い?」
 「? 意味が解らないから、答えようがないわ」
 「生きて村を見捨てるか、死んで村を助けるか」
 黒い人は紅い瞳でじっとレネージュを見つめ、冗談を感じさせない声色で問い掛ける。
 レネージュは(しばら)く考え……
 「生きて村を助けたい」
 真面目に答えた。
 「強欲だな」
 「その為に此処に居るのよ、あたしは」
 黒い人は口元に薄く笑みを浮かべる。
 「なら、多少の苦痛は我慢しろ。さすがに一日二日で喰い尽くされる事は無いだろうが、間に合うかどうかは運次第。うっかり殺されても俺を恨むなよ」
 「だから、いったい何の話を……って、ちょっと!?」
 影がふわりと飛び上がって、外側に落ちる。焦って窓から顔を出すが……影は消えていた。
 「……な、なんだったの、今の?」
 喰われるとか死ぬとか生きるとか、なんだか物騒な事を言っていた。
 レネージュは不気味なものを感じつつ、ベッドに戻って座り直す。
 「でも……、ちょっと格好良かったかも。どうせ結婚するなら、ああいう人のほうが良かったなぁ」
 今更愚痴ってもしょうがないかと体を伸ばした瞬間、部屋の扉が開かれた。現れた幼馴染み改め夫は、濡れた銀髪に着崩したローブ一枚という、見る人間次第では黄色い悲鳴を上げそうな、艶めいた姿をしている。
 「レネージュ」
 「……なんか、来るの早くない? 気持ち悪いんですけど」
 嬉しそうな上品な笑みが、逆にレネージュを不審がらせた。
 彼女が知る幼馴染みは、彼女にこんな笑い方をしない。
 「気持ち悪いは心外だな。ずっと、お前だけを見ていたのに」
 グリークが一歩近付く。
 レネージュはなんとなく座った事を後悔した。この姿勢では逃げようがない。
 ……元から逃げられないのだが。
 「お前が俺に赦しを乞いながら屈辱と快楽に溺れ、生きたまま死んで行く様を見るのだけが楽しみだったのに」
 「……っ!?」
 海の碧が急速に濁っていく。レネージュの背筋に冷たいものが這い上がった。
 「あんた……、誰?」
 阿呆な問い掛けだと思う。目の前に居るのは先日まで幼馴染みだったグリークだ。見間違えようがないほど見慣れた美しい容姿の男。
 なのに何故か、違うと感じる。

 これは、グリークでは、ない。

 「……グリークだよ。お前の夫で、お前の主人。さぁ、始めようかレネージュ。村を助ける為に」


 
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