逆さの砂時計
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忘却のレチタティーボ 2
「そりゃ、私は頭悪いし、要領も悪いし、不器用で可愛くもないけどさ! あんな言い方はちょっと酷くない? ふんだ。どうせ私なんかお兄ちゃんの出涸らしだよ!」
お母さんの口グセは、「どうしてこの娘は」。
次いで、「お兄ちゃんを見習いなさい」。
今日はついに、「良いところは全部お兄ちゃんが持ってっちゃったのね」と来たもんだ。
ええ、ええ。
多分きっと、そうなんでしょうよ。
お父さんは、努力が足らないから伸びないんだって言いますけどね。
お兄ちゃんは毎日机と向き合ってるけど、特別外で走ったりしないよ?
でも、いざ走ってみると、何故か人並み外れて速かったりしてさ。
毎日毎日、あちこち走り回ってる私なんか、目でもないって感じ。
これ、『努力』とやらで埋まるもんなの?
やればできるって、いろんな所でいろんな人からしょっちゅう聞くけど。
それって、生まれる前からある程度の下地が用意されてた一部の人にしか通用しなくない?
嫌でも毎日泣くまで走って、それでも人並みにすらなれなかった私には、ちょっと『努力』の意味が解んない。
お前は努力してないだろって言われれば、はあ、さようでございますか。としか答えようがなくってさ。
もー、だったらさあ~。
教えてよ、『努力』の仕方。
やれることをやって、やれないことも手探りで答えを探して。
こんな『努力』でもなんでもないらしいことを、この先もずっとずーっと頭を抱えながら一人で続けていかなくちゃダメなの?
まだだ、まだだ、まだまだ全然足りてないって言われながら?
なんなら死ぬまでずーっとコレえ?
「あ~あー。もう、いい加減にイヤだよ。疲れちゃったよ。面倒くさいよ。どうして、生まれたってだけで、生きていかなきゃいけないんだよぉーお」
将来なりたいものって何よ?
夢なんか持ったって、能力不足で門前払いは確定してるじゃない。
大部分の人間はそういうもんでしょ?
どこもかしこも『未経験者大歓迎!』の看板掲げてるクセにさ。
実際には即戦力しかお呼びじゃないのよ。
良くて、放置しておいても勝手に育つ予備軍。
芽ならともかく、種を育てるつもりなんか最初っからありゃしない。
需要と供給のバランスを維持する為に必要な選別だ、ってのは解るよ?
皆が皆やりたいことだけやって成立していられるほど、人間社会は寛容に出来てないもん。
手間暇掛けて育てた種が雑草だったら、そりゃガッカリするでしょうよ。
それでもやりたいって思うんなら、門番蹴り飛ばしてでも押し入るけど。
そこまで執着したい世界には、出会ってすらいないんですよ。
目標立てて、達成して。
それでなんになるの?
意味不明。
世の中、なるようにしかならないって教えてくれたのは。
他ならぬ大人達なのにね。
「あ~……、ひっどい考え方」
こんなコトばっかり考えてたら、そりゃ育つもんも育たないわ。
これ、完璧に自己擁護じゃん。
できないもんはできないんだから、しょうがないじゃない!
って、駄々っ子か私は。
前に進んでるつもりで、逃げ道だけをせっせと掘って、地中に潜り込んで「もーヤだー!」って、「誰か助けてー!」って泣いてるの。
バカみたい。
そんな所には誰も居ないのに、ね。
「ごめんよ、スイ。盛大に八つ当たりしちゃった」
古びた無人教会の、正面扉の前。
私の隣に座って首を傾げてる、可愛いウサギさんの頭を撫で撫でする。
真っ赤なお目目が愛らしい、真っ白な体毛のころころしたウサギさんは、最近懐いてくれた野生の子。
私が教会に来ると、必ずひょこっと顔を出してくれる。
オスなのかメスなのか、私には見分けがつかなかったから。
どっちでも通じそうな『スイ』って名前を付けてみた。
呼びかけには反応するし、受け入れてくれてるんだろう。多分。
「むぎゅーってさせて、むぎゅーっ」
膝の上に乗せて、背中から抱きしめると温かい。
もふもふは癒しだ、癒し。
白もふは私の友達……とか言ったら、迷惑かな?
どうなの、スイさん。
「うむ。なかなかに、寂しくなってきたぞ」
空もだいぶ赤くなってきたし、もうすぐ暗くなっちゃうな。
遅くなるとまた、お母さんの頭に幻の角が生える。
寝た鬼を起こすこともあるまいて。
仕方ない、帰るとしますか。
「また明日ね、スイ」
名残惜しいが、ウサギさんを膝から下ろして
「起きろ、ステラ」
うわぉビックリ。
「私、今、寝てました?」
「熟睡」
「すみません」
管理室で待機中、背もたれに頭を預けた姿勢で居眠りをしていたらしい。
首が痛い。
私の背後に立って上からまっすぐ見下ろしてくる氷色の目が怖い。
……っていうか……え? あれ?
ま、まさか私、室長に、寝顔を見られ……っ!?
「新しい書類要請がきた。三分以内に取ってこい」
「ぶ!?」
ばふっと、紙切れ三枚を顔に乗せられる。
三枚で三分!?
一つの用件につき、所要時間一分ですか!?
無茶を言うな、鬼ーっ!
「急いで行ってきます!」
慌てて立ち上がり、要請内容を確認しながら駆け出す。
ぅげ! ずいぶんと古い書類をご希望なのですね!?
三分とか無理ーっ!
「きっちり三分が余計だな」
「……すみ、ま、せん……っ」
六分ですか。
六分掛かりましたか。
単純に記録だけなら、最短を更新したと思います。
三分で取ってこれる内容と違うわ、あんなの!
「まずまずか。座って休んで良し」
「はー……い」
書類を提出する為に管理室から出ていく鬼室長の背中を見送って。
さっきまでベッド代わりだった椅子に、もう一度ぐったりと座り込む。
疲れた。
もおー、居眠りは絶対にしないぞーっ!
しかし、閑古鳥が鳴いてたとはいえ、仮にも仕事中に昔の夢を見るとか。
職場に慣れすぎたかのぅ?
スイ、今頃はどうしてるのかな。
あの日以降、全然姿を見なくなっちゃった。
友達だと思うなってコトかしら。
ぅぐっ。
そ、それはかなり心臓に厳しいぞ……っ。
悲しいじゃないか!
「口を開けば愚痴ばっかりだったしなあ。嫌気が差したとかかなあ。なら、仕方ないのかなあ」
もう十年以上経つし、野生じゃ生きてるかどうかも怪しいけどさ。
恋しいなあ、白もふ。
「何をぶつぶつ言ってるんだ、君は」
「あ。すみません、室長」
提出から戻ってきた室長に睨まれてしまった。
怒ってはいないんだろうけど。
足先とか背中とかが冷えるんで、ジト目はおやめください。
「お茶でも淹れてきましょうか」
室長専用の椅子に腰掛けた上司殿へ、笑顔で歩み寄るが。
結構だ。と、一言でスッパリ斬られてしまった。
「座って待機」
「はい」
大人しく指示に従って着席。
昨夕は、貴方はどちら様ですか状態で私を混乱に陥れてくれた上司殿も。
今朝からは平常運営です。
仕事に厳しく、仕事に熱心な、敬愛すべき仕事人間。
昨日のは本当に何だったのか。
慣れてる分、こっちのほうが安心するけどね。
あ。怒られるのだけはイヤよ、もちろん。
「はあ……」
室長が机の上に置いてあった書類を手に取って眺め、ため息を吐いた。
多分、お誘いの手紙だ。
上司殿は、他の部所どころか、書蔵館本部からも引く手数多なんだよね。
全部断ってるみたいだけど。
こんな、机二つと椅子二つ、書類入れ一つでいっぱいになっちゃう場末の狭い管理室より、もっと厚待遇な職場が山ほど用意されてるっていうのに。
なんだってわざわざ、こんな所に留まってるんだか。
頭が良い人の考えることは、さっぱり解らん。
「ステラ」
「はい?」
「今日も送る。俺の終業時刻になるまで、ここで待機」
「…………」
また、ですか?
また、あの謎の言動をされるおつもりですか、上司殿。
「返事」
「……あの、私なら大丈」
「へ、ん、じ」
「…………はい」
肯定しか認めないおつもりですか、そうですか。
いったい何なんですか。
これまで、仕事以外じゃこんな風に絡んできたりしなかったのに。
「しばらく管理室を空ける。留守は任せた」
「了解しました」
上司殿は、書類を持って再び外へ。
私はぽつんと一人、部屋の中。
むむむ……やることが無いぞー。お仕事来ーい。
ただし、急ぎじゃないやーつ。
「すみません、ステラさんはお仕事中ですか?」
うお!? 本当に来たか!?
扉を軽く叩いて入ってきたのは。
金髪の巻き毛が印象的な、青い目の受付嬢メアリ様。
様付けなのは、彼女の実家が貴族だから。
同期の間での密かな呼び方だ。
美女揃いな受付嬢の中でも一際目立つ容姿に加えて仕事もデキる淑女で。
上司殿と並んだら、それはもう眩しくて直視できない神々しい絵画だと、お客様方にも大変好評です。
「私は一応、待機中ですが。どのようなご用件でしょう?」
「ああ良かった。今、古書をたくさんご覧になりたいと仰っている旅の方が受付のほうにいらっしゃるのですが、人手が足りなくて困っているのです。代理書監として、ステラさんにその方の付き添いをお願いしたいのですが、よろしいかしら?」
古書を大量に読みたがる旅人?
考古学者の類いかな。
どうしたもんかな~。
本格的に管理室を空けちゃうけど、この場合は……うん。仕方ないよね。
お客様第一!
「付き添いはお引き受けしますが、管理室への用事があれば、そちらも私に直接持ってきていただけますか? 現在、室長が留守にしているもので」
「承知しましたわ。ありがとうございます、ステラさん」
うう。素直な笑顔が眩しい。
「お待たせしまし…… あ。」
管理室にしっかり鍵を掛けてから、急いで受付まで行くと。
そこでは、先日ぶつかった黒髪金目の男性が待っていた。
なるほど。
閉館間際に来てたのは、営業時間を知らない旅人だったからなのね。
「先日は失礼しました」
私が腰を折って謝罪すると、男性は微笑んで「いえ」と軽く首を振った。
「本日はお客様が申請されました古書の閲覧を許可する代わりに、館内での監視役として閲覧に付き添わせていただきます。ステラとお呼びください」
「承知致しました。私はクロスツェルと申します。よろしくお願いします、ステラさん」
口調も仕草も礼儀正しい人だなあ。
洗練されてて無駄がないって言うの?
女性にも見えそうな中性型だけど、これはこれで格好いいかも。
「では、クロスツェルさん。こちらへどうぞ」
古書っていうのは、確認されてる限りでは世界に一冊しか現存してない、希少性と歴史的価値で天文学的な金銭を流動させる貴重な書物達の総称。
活版印刷の世界的普及と、複数同時に製本できる技術の確立で大量生産が可能になる前の時代に手書きで記された、前文明の遺産と言われている。
つまり、傷を付けられたり盗まれたりすると、管理している側の関係者が全員大変なことになるので、閲覧には一定の条件が課されているのです。
付き添いは、その条件の中の一つ。
普通なら受付嬢が担当するんだけどね。
東方支部は来客が多い上に、受付嬢が少ないから。
たまには、こういうお役目代替もあるのさ。
「…………」
読書専用の机まで誘導しつつ古書の棚も案内すると、クロスツェルさんは持てるだけの本を両腕に抱えて着席し、黙々とそれらを読み始めた。
さて。
私の役目は、お客様が貴重品を乱暴に扱わないよう、元の場所に戻すまで見張っていることなのですが。
この人、乱暴な振る舞いとか絶対しなさそう。
なんなら本を一冊一冊丁寧に掃除してから返してくれる気がする。
要するに私、暇。
「ステラさん」
「はい?」
あら、いやだ。
顔に出てたか『ひま』の文字。
「いくつか、お尋ねしたいことがあるのですが」
違った。
「なんなりと、ご質問ください。ただし、私が知らない、私に回答の権限が無いことに関しては、お答えできませんので。その点はご容赦ください」
「はい。では……」
クロスツェルさんはどうやら、ここより北西の地域に伝わる民話や伝承を調べているらしい。
紙に書き出された謎の歌詞について、何か知りませんか? とか、他にもいろんなことを尋かれた。
答えはもちろん、お役に立てませんでした! ごめんなさーい!
……でも、話をしてて思ったんだけど。
この人、学者じゃないのにすっごく面倒くさいコトしてるんだよね。
好んで調べてる感じでもないのに、妙に必死だし。
不思議な人だな。
「ありがとうございました」
「いえ。お役に立てず、申し訳ありませんでした」
一通り目を通したところで、ちょうど閉館の合図が鳴り響いた。
気付けば、お客様は館内に数人しか残っておられない様子。
書類要請が来なかったのは良かったよ。
クロスツェルさんの話って、失礼かもだけど、ちょっと面白かったから。
旅かあ……。
この街を出るなんて想像もしてなかったけど、そういうのも良いなあ。
現実的に無理だけどさ。
「それでは、失礼します」
「またのご来館をお待ちしております」
総合入り口でクロスツェルさんを見送り。
上司殿の言いつけ通り管理室で待機しようと、奥へ入ったら……
え。
あれ?
いつの間に戻っておいででしたの?
「室ちょ…… !?」
ちょ、何!?
すっごく恐ろしい顔をした室長が、私の腕をいきなり乱暴に掴んだ。
管理室の扉を開いて、ポイッと放り込まれる。
私はボールでも廃棄物でもありませんが!?
「待機、と。指示した筈だが?」
自分の椅子に寄り掛かり。
私の背後で扉の内側から鍵を閉めた上司殿に振り返る。
ま、待って?
何故に鍵?
何故に密室??
「人手が足りなくて、代理を頼まれたんですが……」
「君は、誰かの頼みなら、自分の仕事を簡単に投げ出せるのか?」
そう言われましても、あの場合は不可抗力でしょ……
って、なになに!?
なして、正面から覆い被さってくるんですか!?
顔が怖い! 怖すぎる!!
「わ、私達の仕事は、直結してなくてもお客様の為の物です! 重要なのは目の前をどうするかではなく、お客様に必要とされる仕事をするかどうかだと思っていますが、何か問題がありましたでしょうか!?」
反りそうな背中を、椅子の背もたれに預けた両腕で必死に支えています。
腕も足もガクガクで、ブルブルしています。
せめて、その怒りを収めてはいただけませんかっ!
「…………はあ――――……っ」
……ため息?
「すまない。君はちゃんと自分の仕事をこなしただけだ。悪くはない」
??
離れてくれるのは、ありがたいのですが。
仰る意味がさっぱりです、上司殿。
「帰ろう」
「はあ…… ?」
それぞれ荷物を持って、二人一緒に管理室を出る。
昨日みたく女性陣に注目されるのは、個人的にすっごくイヤなので!
十分距離を取って、後ろを歩かせていただきますが!
よろしいですよね!?
ううう……、心臓が半分以上凍ってしまった気がする。
寒いよおーっ。
体の震えが止まらないじゃないかっ。
「では、明日」
書蔵館を出て、昨日と同じ道を辿り、家の前に着いた直後。
教会辺りから前後を入れ替わって、私の数歩後ろに控えていた上司殿が、サッと引き返していった。
……本当に、どうしちゃったの? 室長……。
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