逆さの砂時計
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解かれる結び目 8
人間は、自分の目に映らず耳に聴こえない神々を信じてはいなかった。
人間にとって本物だったのは、天神の一族と、その口が放つ言葉だけ。
なら、大神官が巫を神殿に縛り付けようとするのは当然のこと。
『神殿の象徴である巫の不在』と『権威の保持』は両立しない筈だわ。
なのに、巫が旅に出ても神殿の権威を落とさずに済む方法がある?
「ウェルス、耳栓。マリアは『空間』で耳から音を遮断。できる?」
『空間』で、音を遮断?
潜めたホリードさんの声を受けて、ウェルスさんがズボンのポケットから丸っこくて小さい木屑の塊みたいな物を四つ取り出し。
二つをホリードさんに手渡して、二つを自身の両耳に詰めた。
つまり、あの木屑の塊の働きを『空間』の力で再現すれば良いのね。
「できます、多分」
「じゃ、合図したらすぐにそうして。その後、正門の近くまで翔んでいく。翔べるだろ?」
……翼?
翼で翔べと?
試しに、軽く動かして……
うん。ちゃんと翔べそう。
「人間の手が届かない位置で静止した後『空間』を消す。騎士が出揃ったら皆に聴こえるように大きな声で宣言するんだ。必要な言葉は解るよな?」
必要な言葉?
私が旅に出る為、神殿の権威を保つ為に、人間の心に寄り添う言葉……
そうか! 難しく考える必要なんてないんだわ!
ありのままを、私が、私の声で伝えれば良いのね。
それなら。
「バカな。象徴である巫を失えば、救えるものも救えなくなるのだぞ!? 何をためらっている騎士団! 早くそいつらを捕らえろ!」
騎士達は遠目にも明らかに動揺してる。
それはそうよね。
いきなり「不審者だ!」なんて言われても。
三人は昨日、正式なお客様として彼らの前に姿を見せていたんだもの。
大神官が大声で訴えてる内容も不穏だし、混乱するのは当然だわ。
それでも私に危険が及ぶ可能性を危惧した真面目な騎士は、私を護る為にじりじりと迫ってくる。
「大神官。私は弱いわ。神殿に鎮座してても、神々の導きがなければ誰一人救えない。じゃあ外界で何ができるのかと言われたら、何も果たせないかも知れない。でも、虚言を操って誰かを苦しめるのは嫌。そんな責任なんて、絶対負いたくない! 私は、覚悟を伴わない偽りを拒絶する!!」
ホリードさんが両手を打ち鳴らした。
これが合図。
透かさず自分の頭の周りに空間を張り巡らせ、耳に入る音を切り捨てる。
大神官が何かを叫ぼうとして、騎士達と一緒に耳を塞いで膝を落とした。
コーネリアさんが大きく口を開いてる。
……歌ってるんだ。
すごい。
歌声は聴こえないけど、体全体で空気の振動を感じる。
ホリードさんとウェルスさんも。
耳栓をして、その上を手で塞いでいるのに、物凄く辛そう。
いったい、どんな声量をしてるの?
直に聴いてみたい気はするけど、今はそれどころじゃない。
コーネリアさんが騎士達の足を止めてくれてる間に、外へ出なきゃ!
「……! …………!!」
苦しそうな表情で耳を押さえつつ、唇をぱくぱくと動かしてる大神官を一瞥し、生まれて初めて……翔ぶ。
予想以上に羽ばたきが強くて、天井に頭をぶつけるかと思った。
床から見上げていた時は高すぎると思ってたくらいなのに。
翼で翔ぶとあっさり届いてしまうのね。
正面入り口に降り立って扉を開けようと思ったけど。
私はこれから、女神として人前に出なきゃいけない。
人間みたく普通に姿を現したのでは、威厳と言葉の説得力に関わる。
もっと別の形にしないと。
だけど、どうやって……
『巧く使えば瞬間移動とかもできるんじゃない?』
……瞬間移動、か。
私がいきなり空中に現れたら、誰でも驚くわよね。
印象付けには効果的かも知れない。
できるかしら?
正門の外に訪れている人達が気付ける位置で。
コーネリアさんの歌から解放された騎士達がすぐに駆けつけられる場所。
神殿の正面入り口から正門の間の、ちょうど中間辺りを想像する。
その場所に自分を繋ぐ感覚で、目を閉じて……
肌に触れる空気が質を変えた。
目蓋を開くと同時に、音を遮断していた空間も消し去る。
「……マリア、さま?」
「と……飛んでる……!?」
翼を広げて宙に浮かぶ私の姿を見留めた人達が戸惑い、ざわめく。
本当に瞬間移動ができてしまうなんて。
神々が制限するわけだわ。
こんな力、野放しにしておいたら、悪用されても仕方がない。
応用次第では万能に近くなってしまう。
もしも何かのきっかけで悪魔に利用されていたら……背筋がゾッとする。
「マリア様!」
背後から、大神官が騎士達を引き連れて礼拝堂を飛び出してきた気配。
何事かと、敷地の外に居る人達が閉ざされた門扉の隙間から首を伸ばして敷地内を覗き込んでる。
注目されるのって好きじゃないし。
すがる声にも目にも、あんなに怯えていたのにね。
……ううん。
今も怖い。
怖いよ。
一言でも、一素振りでも失敗したらと思うと、すごく怖い。
だからって、退くに退けないでしょ、もう。
「神々に祈りを捧げる者達よ」
神殿を囲む木々の先端ほどの高さで、翼を全開にしたまま空中に留まる。
目線の先には、正門を護っている守衛の男性が二人と。
正門の前まで礼拝に訪れていた、数人の男女。
私の背後には、神殿騎士が数十人と大神官。
「この世界は今、魔王レゾネクトの脅威に震撼しています。あらゆる種族に牙を剥く彼の者の凶行は、神々の御心を酷く痛ませている」
これでは少し人数が足りない。
せめて敷地内に居るすべての人間が聴けるように、空間を把握して。
全体に声を響かせる感覚で。
できているかどうかは分からない。
とにかく大きな声を心掛けて、この場に居る全員に訴えかける。
「それ故、私は神々の祝福を賜れし勇者達と共に、件の魔王を退ける使命を授かりました。天神の一族最後の一柱マリアは、本日より神殿を離れます」
「マリア様……っ!!」
どよめきの中に聴こえる、大神官の掠れた怒声。
……貴方が言ったのよ?
私が口にすれば、それが神託なのだと。
誰も私の言葉を疑いはしない、と。
私は、巫の声で、神殿の内外へ向けて宣言した。
神殿の象徴である私は、神々のご意思に従い、神殿を出ると。
大神官であろうと神殿騎士団であろうと、巫の言葉には逆らえない。
私を閉じ込めれば、それこそ人間達の不信を買ってしまうということよ。
強行しようものなら、権威以前の大問題になるわね。
そして。
「本日以降の神殿での務めは、女神マリアの名と権限において一時大神官の位に委譲します。神々の託宣は得られずとも、日々真摯に祈りを捧げ、私が帰還するまでは皆で協力し合い、座を汚すことなく守護し続けるように」
権威の拠り所を、巫から大神官の位を与えられた者へ移し替える。
天神の一族が権威の象徴なら。
巫に直接選ばれた者は、巫と同等の地位を得ることになるでしょう?
加えて、私の帰還までと期限を設けておけば人間を見捨てるのではないと対外的にも意思を残せるし、離反はある程度防げる筈。
貴方達がよほど酷い過ちを犯さなければね。
「健やかな時も苦難の時も。すべての生命に神々の御加護があらんことを。日々の善き営みを望み、この言葉を贈るものとします」
完全に言葉を失った大神官の顔を、肩越しでちらりと覗き。
もう一度正門に視線を移して、微笑む。
「命あるすべてのものに、幸よあれ」
誰かが何かを言う前に。
ホリードさん達が居るであろう礼拝堂の中へ瞬間移動する。
やっぱり、三人が立っている位置は移動前から少しも変わってなかった。
「お疲れ様!」
迎えてくれた笑顔は明るいもので。
正面から頭を撫でられてようやく、やり遂げたんだと自覚する。
き……、緊張した……っ!
これが正しい選択かどうかは分からない。
ただ、私にとっても神殿は特別な場所だもの。
嫌なことも数え切れないくらいあったけど。
喜びも嬉しさもたくさん詰まってる。
無残に廃れて欲しいとは思わない。
「あの人達が気付く前に、早く出ていこうか。大々的に表明した後で女神がのんびり歩いていくのは格好がつかないからね。裏門を使うとか……、と」
ホリードさんが率先して動こうと足を持ち上げかけ。
私の肩を、とんとん、と軽く叩いた。
なに?
「マリア」
「! ……エルンスト」
背後から自分を見つめていた青い目に振り返る。
騎士達と一緒に飛び出さなかったのね。
エルンストが立つ位置も、やっぱり全然変わってない。
少しの沈黙の後。
不意に、微笑んでくれた。
昔と変わらない、友達の顔で。
「気を付けて。行ってらっしゃい、マリア」
ブローチには、触れない。
…………そっか。
「行ってきます。元気でね、エルンスト」
いっぱい迷惑を掛けてごめんなさい。
振り回してごめんなさい。
すぐに戻ってくるのは無理だと思う。
だから、旅の最中にも、貴方の幸せを一番に祈っているわ、エルンスト。
今までありがとう。
大好きよ。
私の、たった一人の友達。
「急いで荷物を持ってこないと。マリアはそのまま行くつもり?」
「ええ。私の持ち物なんて、これだけだもの。これだけがあれば良いわ」
真っ白な法衣を飾っている、銀製のブローチに右手を添えて。
ホリードさん達に晴れ晴れと微笑む。
三人も、私に優しく微笑み返してくれた。
「マリア様――っ!」
正面入り口のほうから、足音がバラバラと迫ってくるのを感じる。
ここで姿を見られても厄介なのよね。
静かに佇むエルンストをその場に残し。
三人が泊まっていた客室へと、荷物を取りに走る。
見張りが一人も居なくて助かった。
「ホリードさん、コーネリアさん、ウェルスさん」
荷物を手に取って客室を出ようとする三人を呼び止め、両手を差し出す。
さっきの感じだと、多分できる、筈。
「私の手を掴んでください」
「? こう?」
コーネリアさんが、右手首を。
「手首と言わず、なんなら全身を」
「浮気。即。滅殺。」
「ごめんなさい」
コーネリアさんに鋭い目つきで睨まれ顔面蒼白になったウェルスさんが、左手首を。
「よろしくお願いします!」
無邪気に笑うホリードさんが両手の指先を握って、準備は整った。
行く先をどこにしようかと考えながら、未知の空間を思い浮かべ。
「あ。でもね。一つだけ訂正させてくれる?」
「え?」
昔、エルンストから話に聴いていた『海』を選んで、移動した。
生まれて初めて見る、大きな大きな水溜まり。
それを背負った太陽のような男性が、橙色の虹彩を柔らかく細める。
「俺の名前は『アルフリード』。アルフって呼んでくれると嬉しいな」
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