逆さの砂時計
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異国の大地 3
暗闇の中、少しずつズレている七人分の足音が同じ方向へと進んでいく。
「ふむ。クロスツェルさんが見つけた精霊は、ハチミツでしのいでいだと」
「ええ。それも三日くらいで効果は無くなったみたいですが」
「鮮度の問題でしょうか」
「おそらく、そうだと思います」
「採取から瓶詰め、輸送から陳列。買い取りまでの間にもそれ相応の時間が経過している筈ですからね。それでも三日は保っていたと。王都には一週間居たのですよね? 二つ三つ買ったとして、残りはどうされたのですか?」
「残った分はすべて、宿の方にお願いして料理等に使っていただきました」
「ああ、残念です! 同じ製品を買って比べたり、実験してみたかった!」
「精霊を泉に帰した後で?」
「鮮度の違いや成分の変化を調べるくらいなら人間だけでもできますから」
「なるほど。花の種類や購入した店なら覚えていますが、役に立ちますか」
「ぜひぜひ! 教えてください!」
自分が持つカンテラの灯りを頼りに、マクバレンさんがメモを取る。
朝と呼ばれる時間帯とはいえ、まだ夜明け前。
普通なら、足元を見て歩かないと転びそうで怖かったりするのだけど。
紙を挟んだバインダーを左手で支えながら右手で文字を刻んでいく姿は、いかにも研究員らしく慣れているようで、違和感も危なげもない。
真剣に精霊族の将来を考えているのだろう。時折、眼鏡を掛け直しながら前屈みで歩いているマクバレンさんの横顔は楽しげで、どこか頼もしい。
精霊族が元居た『静謐の泉』へ向かうにあたり。
自分達とマクバレンさん一行は、ひとまず途中にある村を目指して一緒に行動することになった。
本音では、一刻も早く跳んでいきたいのだが……
リース以外の精霊族がふたりも同行しているとなれば、彼女達を無視して先に行くのもためらわれたからだ。
マクバレンさんに精霊の情報を激しく求められながら進んでいくと。
やがて、木々の隙間から朝陽が顔を覗かせた。
それが合図になったのか。
箱の中のふたりとポケットの中のリースが、同時に目を覚ましたようだ。
近くの木で朝露を見つけ、自分の手のひらへとリースを招き寄せれば。
仲間を見つけた精霊達と、何故かマクバレンさんが涙を流して喜び合う。
飛び込んだ箱の中で互いの無事を確認した後、慌てて朝露を飲んで。
落ち着きを取り戻してから、改めて再会の喜びを噛みしめる。
同じ声、同じ笑顔が三つ。
眠っている時は、どうやって個体を識別するのか疑問に思っていたが。
どうやら虹彩の色が違うらしい。
リースはベゼドラと同じ、ビロードのような独特の深みがある紅色。
マクバレンさんが連れてきた精霊達は、それぞれ黄色と碧色だ。
道中、しばらくは精霊同士で状況を語り合い。
一段落した後でマクバレンさんにうながされ、自分達に挨拶してくれた。
「私はリオルカーン。リオで良いわ」
花弁を思わせる鮮やかな黄色の虹彩が、リオルカーン。
「私はリーフエラン。リーフで良いわ」
アリア村で見た海のような碧色の虹彩が、リーフエラン。
「……リースリンデ」
笑顔で箱を持つマクバレンさんを警戒しつつも、仕方なく名乗るリース。
今まで、他人の前には姿を見せなかったから。
ほんの少しだけ、本当に人間嫌いなのか? と疑問に思っていたのだが。
なるほど。
自分やベゼドラ以外が相手だと、こういう反応になるのか。
表情だけでなく、全身から嫌悪と拒絶の気配を感じる。
「リースリンデ。リースですね! 良い名前です」
「やだ! 馴れ馴れしい!」
リオとリーフの背に隠れて。
キラキラと瞳を輝かせるマクバレンさんから逃げるリース。
彼に助けてもらった精霊達は、複雑な表情で彼女の頭を撫でる。
「大丈夫よ、リース。見るに堪えないほど醜くはないから。汚いけど」
「そうよ、リース。無遠慮にジロジロ見られることと鬱陶しい会話の強要にさえ慣れれば、ひたすら汚いだけで害は無いわ。一応。今のところは」
庇っているのだろうか。
貶しているのだろうか。
「入浴は毎日してるんですけどね」
マクバレンさんが苦笑する。
多分、そういう意味ではないと思います。
「研究者の方々は、時として業務に没頭するあまり何日も室内に籠る場合があると聞いていたのですが。身だしなみには気を使っているのですね」
「ええ。他の研究機関がどうかは知りませんが、生物学は多種多様な環境に生息する生物達に直接触れる分野ですからね。私達人間や多くの種は多少の変化にも対応して生き残る術を持ち合わせてますが、中にはわずかな気温の変化で死んでしまうものもいます。元の環境に異物を一つ持ち込んだだけで周辺の生態系が崩れ、複数の種が絶えた実例もあります。なので種の保持を目的とする私達には、非常に繊細な気配りが必要とされているのです」
「ああ……それで皆さん、髪を短くしたり、まとめたりしているのですね」
ベゼドラと自分とマクバレンさんの数歩後ろを黙々と歩いている四人を、肩越しにちらりと覗いてみたら。
ほぼ同時に、素早く顔を背けられた。
彼らが精霊達に関心を寄せているのは、痛いくらい伝わってくるのだが。
彼らはどうも、言葉を交わせる存在すべてが苦手なのだとか。
つまり、リーフやリオとも距離を縮められないままだ。
精霊にしてみれば、不用意に近付かれるよりは気楽だというが。
「髪だけではありませんよ! どこにどんな種が居るか、分かったものではありませんし。服もブーツも、バッグも水も全部、この国の商人から事前に買い求めておき、関所のはばかりで着替えてからこちらの土を踏みました。千里の道も心構えから。基本中の基本です。クロスツェルさん達も、少ない荷物で旅をされている辺り、大変素晴らしい!」
「はあ……ありがとうございます」
軽いほうが楽だから。
それだけの理由で、手に持っているのは黒い本を一冊。
加えて、ついさっき関所で買ったカンテラと地図のみ。
まさか、それを褒められるとは思わなかった。
「あ、見てください、クロスツェルさん! 村に着きましたよ!」
「そのようですね」
一晩歩き通した末。
木造の建物主体で構成されている、小さな村に無事辿り着いた。
見張りは居たが、村を囲む外壁が無い。
安全性に問題はないのだろうか?
研究員の皆さんは少しも疲れた様子を見せず。
今後の進行予定を立てる目的で宿を取る。
自分達も彼らの隣に部屋を借り、とりあえず食事しておく流れになった。
国境付近に構えているからか、この宿では自分達の言葉が通じるらしい。
想定通りではあるのだけど、この『想定通り』はとてもありがたい。
支払いや手続きに手間取る心配がないだけで、気分的にもかなり楽だ。
宿の女将さんに指定された部屋へ入る直前、
「マクバレン。私達、クロスツェルのほうに行きたい」
と、精霊達が揃って訴えたので。
衝撃を受けた研究員達がさめざめと泣き出してしまった。
「一ヶ月も一緒に居たのに!! やはり見た目か!? 乙女には見た目が重要なポイントなのか!? 綺麗じゃないお兄さんは嫌いなのですかーっ!」
などと廊下で総崩れされても、宿の方々に迷惑なのでは。
ベゼドラは我関せずを貫き、早速ベッドでごろ寝している。
「別にっ……! なんでもいいから、クロスツェルの部屋に行かせて!」
何かを強く要求されたのは初めてなのか。
彼らは一瞬きょとんとして……仕方なさそうに頷く。
「お願いします」
「はい」
マクバレンさんから精霊達を預かり、それぞれが部屋に入った途端。
壁の向こう側から、分かりやすい泣き声が聞こえてきた。
「…………ずっと、あの調子だったのですか?」
「そう。すっっごく鬱陶しいでしょう?」
「他の仕事中でも定期で様子を見に来たり、ちょっとしたことで喜んだり、泣き出したり。もう本当に、意味不明なの」
「なにそれ。監視?」
心底呆れた風な口調とは正反対に、ふたりの目元がうっすら笑う。
人間嫌いが収まっているわけではなさそうだが。
ここに来るまで、いろいろあったのだろう。
室内に設置されたサイドテーブルの上にカンテラと地図と彼女達を乗せ。
自分も、空いているベッドに腰掛ける。
「それで……。私達は、マクバレンさん達よりも先に、貴女達を連れて泉へ向かえば良いのでしょうか?」
精霊達が一斉に自分へ向き直る。
「彼らは知らないのでしょう? 泉で起きた出来事を」
「……ええ」
リオが重苦しく視線を落とした。
「私達がどこから来て、どうすれば生気を取り戻せるのか。それくらいしか話してないわ。普通の人間に言ったって、絶対信じないもの。それに……」
「本当は来たくなかった?」
今度はリーフが目を伏せる。
「だって! もし、まだ泉に居たら……私達が魔王に敵う筈ないじゃない。逃げる間もなく殺されてしまうわ。それくらいなら、いっそ…… っ!?」
「待って、リーフ」
その先はダメですよ、と。
リーフの口元に、人差し指の先端を軽く当てる。
「レゾネクトが現れたのはもう十何年も前なのでしょう? 大丈夫ですよ。命を諦めてはいけません。行ける所までは、行ってみましょう」
彼女達はリースと同じだ。
レゾネクトの影に怯え、泉への接近を恐れていた。
それに多分、マクバレンさん達にも危害が及ぶのではと心配している。
嫌いな人間を思いやる……心優しい精霊達だ。
「私も、彼らが一緒に行くのは好ましくないと思っています。行くにしても安全をしっかり確認してからのほうが良い」
「……うん」
「ただ、黙って連れて行くのは問題があります。彼らは、本心から貴女達を心配している」
先に行きますと話しても、目的地は同じだからと押し切られたら困る。
リースの話から考えて、人間の歩調ではギリギリか、最悪間に合わない。
正直、マクバレンさん達は足手まといだ。
かと言って、彼らに黙って出て行けば、精霊の為にとここまで来てくれた彼らの誠意をないがしろにしてしまう。
「なら、私だけ。マクバレン達と一緒に行くわ」
リオが顔を上げる。
リーフとリースが驚いて、目を瞬いた。
「でも、リオ……!」
「リーフとリースを先に連れて行って、貴方達なら絶対に間に合うでしょ。ふたりを助けて。お願い、クロスツェル」
リオの目が、まっすぐに自分を見つめる。
マクバレンさん達と行くか。
それとも、自分達と行くか。
彼らと一緒に行けば、泉に着く前に力尽きてしまうかも知れない。
自分達と一緒に行けば、泉でレゾネクトと遭遇してしまうかも知れない。
どちらにしても、彼女達にとっては心の負担と命を懸けた選択だ。
それなら。
「分かりました」
自分は、彼女達の意思を尊重しよう。
「リースとリーフは、それで良いですか?」
リースは、自分に付いて行くと決めていたから、と頷いた。
リーフは、少しの間リオと無言で向き合い。
「クロスツェルと、行く」
こくりと頭を下げた。
「では、朝食を頂いたらすぐに発ちます。リーフとリースはこちらへ」
箱に手を差し出し、リーフとリースをコートのポケットへ招き入れる。
ひとり残ったリオは手を振って、「またね」と笑った。
「あれ? リーフは?」
食堂へ向かう途中。
マクバレンさん達の部屋を訪ね、リオが入っている箱を返した。
ひとり欠けた中身を覗く彼らが、一斉に首を傾げる。
「クロスツェル達の部屋でリースと話してるわ。野暮なこと尋かないで」
「おお……っ! 久しぶりの仲間だからね。ゆっくり話したいのも当然か。それにしても、『野暮』なんて言葉まで使えるとは……っ」
嬉しそうに笑うマクバレンさん達と、彼らを適当にあしらうリオ。
微笑ましい光景ではあるが、のほほんと眺めている時間は無い。
「では、また」
「あ、はい。後ほど!」
一礼して彼らの部屋を後にする。
コートを着たままの自分に違和感を抱かれなくて良かった。
カンテラと地図を部屋に置いてきたのは正解だったかな。
リオが足止めしている間に、急いでベゼドラと一緒に食事を済ませ。
忙しいお客様達だねぇと、女将さんに笑われながら宿を出る。
まだ昼前の活動時間。
人の往来はそこそこあるが、賑わいと表現するほどでもない。
あえて見張りに挨拶を残し、足早に村を立ち去った。
これなら、彼らが気付いた時、一足先に向かったのだと伝わるだろう。
リオが説明しやすくなると良いのだけど。
「道沿いに歩いていき、村が見えなくなったところで森に入りましょう」
「へーへー」
時間が時間だけに、道の途中では人とすれ違うだろうが。
深い森の中でなら、跳ぶ瞬間を見られる心配はまずない。
しばらくは早足で進み。
周囲をよく確認してから、森の中へと踏み入った。
適当な木の上に飛び乗り、枝から枝へと、低い姿勢で移動を続けて。
人間が入った痕跡が無い場所で、リース達が示す方角へと高く跳躍する。
見下ろした大地は、先日まで居た国とは異なる領土で。
しかし、目に見える極端な違いなどはない。
ここは、どこまでも続く、繋がった世界。
かつてのアリアが愛して護った、生命達の揺りかご。
『生きているものはすべて! 大好きですッッ!!』
大小様々な差異はあるにしても。
マクバレンさんの精神は多分、アリアの気持ちに近いのだろう。
『どうです、貴方達が見てきた世界は!?』
『どんな風に見えましたか!?』
『美しいでしょう!!』
興奮のあまり飛び出したらしい彼の言葉を思い返して、微笑む。
「……そうですね」
世界は命の輝きに満ちていて、とても美しい。
儚いほどに。
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