逆さの砂時計
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向かう先は
フィレスは呆然と呟いた。
「これは、どうしたら?」
師の助言に従って羽根に念を込めた彼女が、空間移動した先で見た物は。
他に形容する言葉が見つからないほど見事な廃墟だった。
折れた巨大な柱。
崩れ落ちた分厚い壁。
ひび割れて風化した石塊の群れ。
所々に太く高く幹を伸ばし、枝と葉を元気いっぱいに繁らせる木々。
雰囲気から察するに、教会のような物だったのだろう。
壊れて色褪せてもなお、厳かな空気を漂わせる壁画の数々が、旧き時代の在り様を現代に訴えかけている。
当然ではあるが、その場所にクロスツェルとベゼドラが来ていたことなど彼女が知る由もない。
自身に何が起きているのかを探る目的で、羽根が導くまま移動した先が、廃墟だ。
正直、頭を抱えて泣きたくなった。
もちろん、彼女はそんなに簡単に泣く女性ではない。
あくまで気分の問題だ。
「ふむ」
どれほど周囲を見渡してみても。
手近な木の何本かによじ登ってみても。
瓦礫を取り除いて、その下を覗いてみても。
手掛かりになりそうな物は、何一つ見当たらない。
あらかた探索を終えた後、彼女が出した結論は。
「……次に行くしかないか」
この場所は無視、だった。
羽根が導く先へ逃げてと言われてはいるものの、こんな廃墟のど真ん中で漫然と時間を潰すだけの忍耐力は持ち合わせていない。
お断りだ。
首にぶら下げている羽根のネックレスを軽く握り、もう一度移動する。
が。
「…………本当に……どうしろと?」
次に靴底を着けたのも、やはりこの廃墟。
しかも、先ほど移動してきた時と寸分違わず同じ場所。
どうやら羽根はここに用があるらしい。
フィレスは腕を組んで首を傾げた。
聴こえてくるのは、鳥の声と、木の葉が風に揺れるざわめき。
木洩れ日が地面に光の波を描いている。
危険な獣の気配はしない。
山奥にある穏やかな、至って普通の廃墟だ。
試しに、もう一度移動して。
やはり少しのズレもなく、最初とまったく同じ場所。
羽根が移動を拒み、彼女を一点に立たせている。
土が剥き出しだったら、掘り返すくらいはできただろうが。
どう見ても、比較的綺麗に残ってる石床の上だ。
つまり、ここには何らかの怪奇現象があるのだろう。
耳に聴こえる物ではなく、目に映る物でもない『何か』が。
「……誰も居ない分、多少はマシかな」
師範の協力もあって感覚は掴んだが、実際に外で使うのは緊張するなあと肩を持ち上げ。
意を決して肺いっぱいに空気を取り込み、一拍置いてから唇を開く。
「『潜みしもの、隔たりしもの、この場に繋がりしすべてのもの。表れよ、現れよ、具現せよ。形を成せ、音を纏え。光と影の狭間に、在れ!』」
耳に聴こえないなら、聴こえるように。
目に映らないなら、映るように。
隠れているものも、閉ざされているものも。
羽根がこの場所にこだわるのなら。
この場所に繋がるすべての怪奇現象を実体化させてしまえ。
そんな、なんとも大雑把で、投げやりな。
的確な力の行使だった。
「え?」
彼女の言葉に応じ。
ポンッ! と水面で弾けた気泡の如く軽やかな音を連れて彼女の目の前に現れたのは、パッと見、五歳前後の可愛らしい女の子。
白金色の短い髪を揺らし、薄い水色の大きな目を真ん丸に見開いて。
くびれが少ない、子供特有の柔肌のすべてを空気に曝して。
女の子はそこに、ペタンと座り込んだ。
「え……えええぇっ!?」
女の子は酷く慌てた様子で、自らの体をペタペタと触って確認する。
両手両足を忙しなく見比べ、肩を頬に寄せ、最後に頭部の輪郭をなぞって髪をくしゃくしゃと掻く。
「何故!? どうして私に実体が!?」
「えー、と」
自分でそうさせておいてなんだが、あまりにも予想外な形が現れたので、フィレスも両目を真ん丸にした。
非現実的な『何か』を形にしたら、幼い女の子?
そんなバカな、と目蓋をこすってみるが。
女の子は変わらぬ姿でそこに居る。
「…………とりあえず、これ、着ますか?」
「え? あ、えー……と。ありが、とう?」
丈が長い上着を脱いで、立ち上がった女の子に着せ掛ける。
幼い子供にはかなり大きめだが、肘と膝の辺りでそれぞれ端を巻き上げてリボン縛りにすれば、なんとか服の体裁は保てた。
着付けを終えて少し落ち着いたらしい女の子が、ふとフィレスを見上げ。
また、目を丸くする。
「翼!? 羽根!?」
「あー……、はい」
怪奇現象そのものでも、翼には普通に驚くのかと苦笑した。
しかし、女の子の顔に見覚えある気がするのは何故だろう。
自宅で見た女性の幽霊と同じ色彩のせいか?
「本物の女神が居るなんて。ああ、だから私の羽根が」
「羽根? これですか?」
ネックレスの羽根を手に取って見せると、女の子はこくりと頷いた。
「その羽根からは、弱いけど私の力を感じる。私の翼の一部だわ。そう……その羽根が、貴女をここに喚んだのですね」
「そのようですね」
女の子の背中に翼など無いが、羽根に導かれて来たことは間違いない。
フィレスも浅く頷き返した。
すると、女の子がネックレスから離したフィレスの手を真剣な顔で引く。
「私はマリア。 天神の一族の末裔で、『空間』を司る女神です。貴女は?」
「フィレスと申します。実はよく解ってないのですが、もしよろしければ、状況整理にご協力いただけませんか?」
「ええ。私が知る限りを、すべてお話します。ですからどうか、貴女の力をお貸しください、フィレス様」
「私にできることであれば」
フィレスは、これまでの経緯をマリアに語る。
それを受けたマリアも、自分のこと、アリアのこと、レゾネクトのこと、神々のことなど、あらゆる情報を開示した。
結果フィレスが知った世界は、想像以上に現実離れしていて。
ただでさえ混乱気味の脳内を、更に掻き回してくれた。
人間の常識は一旦忘れろ、と言った師範の判断は、やはり正しかった。
『人間としての自分』に固執していると、とてもじゃないが、感情処理が追いつかない。
「つまり、私の部屋に現れた女性は『結晶』に姿を変えた貴女自身であり、夢の中で泣いていたのも、やはり貴女自身であると」
「ええ。あの『結晶』は時間を操る力がわずかに残っていた彼の眼球を元に『空間』の力でマリアの意志の欠片を固定させた『鍵』。この私も、二人の血液を混ぜて作った時空に意志の欠片を固定した『扉』。現界に名残は無いけれど、この場所には、彼と私の血液が染み込んでいたのです」
「それを、私が実体化させてしまった?」
「私自身は可視可触化しただけで変質したわけではないから『扉』としての機能は果たせます。この場所でなければ、神々が眠る世界へは繋げられないけれど……アリアがレゾネクトの元に居るのだとしたら、『鍵』は回収したほうが良いかも知れません。アリアを通したレゾネクトが、何をしでかすか分からない」
気になるのは、アリアの力を使っていたレゾネクトと。
レゾネクトからフィレスを逃がしたアリア。
魔王であるレゾネクトに、アリアの力が使える筈はない。
それを可能にできるとしたら、悪魔としての契約だろう。
レゾネクトとアリアは、なんらかの契約を交わしている。
だが、アリアは自身の意思でフィレスを逃したように見えた。
アリアの意思を奪う内容ではないのか、それとも、契約が未完なのか。
事情を知ったフィレスとマリアは、二人揃ってそれは後者だと確信する。
内容までは分からないが、彼の目的からしてレゾネクトはアリアを確実に手に入れる為の契約を持ちかけた筈だ。
であるなら、アリアが自由意思で動いている間は、まだ助けられる。
「契約を完遂してしまう前に私達で『鍵』を回収し、アリアとレゾネクトを引き離します。急がなくては。きっと、アリアは何も知らない」
「アリアの許へは移動できないのですか?」
フィレスの言葉に、マリアは目蓋を伏せて、しばらく沈黙する。
「……やっぱりダメ。今の私が探知できる範囲は、とても狭い。翼があれば世界中どこでも行けたのに。あるいは、アリアが私の羽根を持っていれば、フィレス様がそうして私に辿り着いたように、引き合う力で跳べると思うのですが」
アリアに羽根を持たせれば、彼女の許へ直接跳べる。
アリアとマリアが対面できれば、彼女を導きやすくなる。
しかし。
なんとかしてアリアに羽根を送り届けるまでと、アリア本人を捜し出して接触するまでとに、どれほどの時間差があるのか。
「地道に捜すほうが無難ですね。行きましょう。行動は早いほうが良い」
「ええ。まずは、私より本体に近しいその羽根に委ねます。弱っていても、思念でしかない私よりは、確実に必要な場所を選んでくれるでしょう。私は貴女が持っている羽根を追いますので、先導をお願いします」
「分かりました」
フィレスは目蓋を閉じて、再び羽根を握る。
マリアが実体を持って動けるようになったからか。
今度は別の場所に移動したらしい。
一歩退いたマリアを残して、彼女は廃墟を去った。
マリアも、その場に屈んで石床を撫で。
フィレスの羽根を目指し、空間を跳んだ。
「……というわけで、その後にお邪魔した世界樹の根元で、エルフの長様に頭を下げられ、世界の現状や貴方達の記憶を拝見した直後に、水鏡の泉へと跳んできました。貴方達の行いに対しても思うところは多々あるのですが、私達の意見は、ただ一つ」
子供姿の聖天女マリアにしがみついて泣き喚くリースリンデの横で。
フィレスは俺に、深々と頭を下げた。
「一刻と言わず、可能な限り一分でも一秒でも速く、レゾネクトとアリアを引き剥がしたい。私達に協力してください、ベゼドラさん」
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