逆さの砂時計
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くろすつぇるさんのためいき
「ふーん。……ほー」
自分と並び立って歩く、全身真っ黒な男悪魔が。
同じく真っ黒な装丁の本を、興味深そうに読み込んでいる。
人様の家から勝手に物を持ち出すなと叱ってはみたものの。
廃墟同然なんだし要らねぇんじゃねーの? と言って、結局はこれだ。
人間社会の法規や配慮を理解していながら、あえて無視を決め込んでいる彼の行動に、やれやれとため息が溢れる。
そんな彼の存在に慣れ始めている自分も、十分に気を引き締めねば。
ご近所迷惑、即、予測不能事態の素、だ。
「あー面白ぇ。多分コイツ、堕天使だな」
「『堕天使』?」
アリア信仰の神父をしていた自分でも聞き覚えがない、知らない言葉だ。
「天に属していながら神々に背いたり役目を放棄して姿を消した奴の総称。大抵は力を隠して人間世界に紛れ込んでたが、コイツは人間も悪魔も避けて山奥で暮らしてたらしい」
「それはつまり、かつて神と呼ばれていた者が、人間に混じっていると?」
「堕天した時点で存在を否定されるから、もう神じゃないけどな。人間でもあるだろ? 社会の弾かれ者、社会の汚点、棄てられた人格権に、奪われた生存権利。堕天使も見つかったら即天罰とか言って殺された。自称聖者でも仲間内で殺し合いとか平気でやるんだぞ? それを祀る人間共も、そりゃあ見習うよなあ」
「…………」
旅を始めて見えてきた世界の輪郭は、あまりにも複雑だ。
聖なる者が絶対に正しいわけではないし。
邪とされた者が絶対に悪かといえば、それも違う。
見る角度を変えるだけで表と裏が覆される、歪で不条理な世界。
だがそれも、何かに答えを求めているからこその見え方だと気付いた。
ただそこにあるからあるのだと認めてしまえば。
世界はまっすぐ前へと伸びる道を指し示す。
歪や不条理を作り出しているのは、何かに寄り掛かろうとしている自分や誰かの心なのだろう。
それは誰にも責められることではないし、そこから抜け出した者を裁く、というのもおかしな話だと、今は思う。
「その本を書かれた方は、自らの意思で姿を消した元神なのですね。きっと神々とは違う道を選んだだけの」
「どうだか。天に属していたようだが、神とも違う気がする。もっと人間に近い感覚を持ってたっぽいな」
精霊か何かか?
それにしちゃ、神聖文字とか古すぎんだろ。
と謎の単語ばかり呟くベゼドラを横目に、雪道をさくさくと下っていく。
先ほどの家の周りには、人の気配などまったく感じなかったが。
点在する林をいくつか通り過ぎてからは、道らしき物が増えている。
人間の居住地が近くにあるのだろう。
道中で誰かと鉢合わせても、自分達が世界樹の森から出てきたことだけは絶対に隠し通さなければ。
要らぬ好奇心を煽って、森に迷い獣に食われる被害者を増やしかねない。
ベゼドラの口をどうやって塞ぐかが、頭痛を招く問題だ。
彼なら、悪意を持ってわざと連れて行きそうな気がす…………
「…………それは、ないですね」
「あ?」
「いえ。なんでもありません」
自分の呟きに反応して上げた顔を、あっそ。と、興味なさそうに下げ。
また、誰かの日記? を読み始めた。
ベゼドラと旅をして気付いたことの一つだが。
彼は、基本的に観察しているだけで、周りに対して無闇な干渉はしない。
自分の目的に関わることだけを選ぶ節がある。
悪魔といえば、手当たり次第に人間を堕落させたり喰い物にしたりという印象があった自分としては、かなり意外だ。
悪魔は全体的に面倒くさがりなのか、と尋いてみれば。
他のヤツのことなんぞ知らん! と、キッパリ切り捨てられた。
分別をつけられる大人ではなさそうなので。
要するに彼は多分、子供……なのだろう。
興味が向いた先にしか進まない、他を省みない、純粋でまっすぐな子供。
悪魔に純粋とは、これいかに。
そして、外見では想像もつかないが実年齢はおそらく四桁を越えている。
そんな相手を子供呼ばわりするのも、いかがなものか。
しかし、リーシェの例と併せて考えてみるに。
案外、長寿生物ほど精神の発達は遅いのかも知れない。
元々の感受性の違いなのか、単純に人間が生き急いでいるだけなのかは、微妙なところだが。
「クロスツェル」
「!?」
突然、黒い本を雑に投げ渡された。
慌てて両腕を伸ばして受け取り、落とさないよう胸に抱える。
「それ、持ってろ」
「自分で持ち出したのでしょう。貴方が責任を持って大切にしなさい」
「嫌だ。重いし、邪魔くさいし、面倒くさい」
自分の推測は正しそうだ。
ぷぃっと横を向く彼の顔は、玩具の片付けを拒む子供そのもの。
泣き喚いて嫌がらないだけ大人な気もするが。
この体格でそれをされたら痛々しいにもほどがある。
そこまで幼くなくて良かった、と心から安堵しつつ。
また一つ、ため息が溢れ落ちた。
「これ以上は持ちませんからね」
あれこれ言っても、彼が居なければ、自分はここまで来られなかった。
少しくらいは協力しても良い……が、甘やかしてもいけないのだろう。
多分。
神父を辞めて、悪魔の父親代わり。
頭の隅をよぎった言葉に、何の冗談かと笑いが込み上げてくる。
下った先では、巨大な石壁で円く囲まれている大きな街が構えていた。
唯一の出入り口となっている立派な門の周辺には、街への立ち入り許可を求めて馬車で並ぶ商団や芸団、個人旅行者らしき姿が見受けられる。
まだ、太陽が西に傾いて間もない頃。
『街』にアリアの情報は期待できないので、列には並ばず通り過ぎる……
「クロスツェル?」
……つもりでそのまま進もうとしたら、近くの馬車から声を掛けられた。
聞こえてきた音の並びが自分の名前だと気付くまでに数秒を要したのは、自分を気軽に呼ぶ相手が、最近ではベゼドラしかいなかったからだ。
こんな場所で。
しかも、女性の声で呼ばれるとは、思ってもみなかった。
「やっぱり! クロスツェルじゃないの!」
馬車をぴょんと飛び出し、足取り軽く走り寄ってきたのは、まっすぐ長い金色の髪と金色の目を持ち、自分より頭一つ分背が高くすらりとした体型で真っ白な長衣を着た、見た目だけは繊細美人な、アリア信仰の友人だった。
「アーレスト……?」
「やだわ、もお! 久しぶりだからって、そんな他人行儀で呼ばないで! 『アーちゃん』って呼んでっ」
唖然と立ち尽くしている自分の肩を、満面の笑みでバシバシ叩く友人。
その様子を見て、ベゼドラの顔が露骨にウゼェ……と訴えた。
「…………アー、ちゃん」
「なぁに? クーちゃんっ」
殴って良いか? と、身構えるベゼドラを半目で制しながら。
数年ぶりに会った友人へ、にっこりと作り笑いを返す。
「お久しぶりです。こちらの街へは、どのような御用向きで? 確か貴方が預かった教会は、南区の南西端にあった筈ですよね?」
「うーん。そうなのよ。私は今、担当教会を離れて出張中! 大司教様から直々の指令でね。この街の担当になった新米神父の補助役として来たの」
言動にこそ難はあるが、アーレストは群を抜いて優秀な教師だ。
この国にあるアリア信仰の全教会で最高位に立つ大司教様の信任も厚く。
彼が預かっている教会に通う一般信徒も多いと聞いた。
一度も見に行ったことはないが。
「あのハゲ頭、よくも! って思ってたけどお、クーちゃんに会えたから、海より深く空より高く大地より広い心で、仕方なく、赦してあげちゃう!」
「はあ」
頭を抱えて頬ずりしてくるアー……レストに、曖昧な返事をする。
「クーちゃんの教会は東区だったわよね? どうして北区に居るの?」
「……今は、巡礼の旅に出ていまして」
どう答えようか一瞬悩んだが。
これもある意味、間違いではない。
と、思う。
「は? なんでそんな修行徒みたいなこと……はっ!? まさかクーちゃん、その黒づくめに貞そ」
「ちょっと黙りましょうか、アーちゃん。赴任して早々に、いろいろ問題を起こしたくはありませんよね? い。ろ。い。ろ。」
「ごめんなさい」
パッと離れて素直に頭を下げるアーレスト。
と、自分の顔を覗いて半歩退いたベゼドラ。
……どういう意味だ。
「でもそれ、東区の司教様にはきちんと許可を取ってきたんでしょうね? まさか、貴方ほどの神父が教会を放置してきた、なんてこと……」
「事情がありましたので」
ばか正直に『信仰していた女神の本物を追いかけています』とは言えず。
この場は適当に誤魔化すしかない。
中央教会に真相を知られたら、それこそ面倒な事態を招いてしまう。
「ふぅん。まあ良いわ。クーちゃんにはクーちゃんのやり方があるものね。でも良い? 絶対に命を粗末にしてはダメよ。絶対に。生きて生きて生きて生き抜いてこその世界なんですからね!」
再び頭を抱えて頬ずりするアーレスト。
だから何故、毎回頭を抱えるのか。
「ええ。よく理解しています」
苦笑いを浮かべて、アーレストの背中をぽんぽんと軽く叩く。
「では、私達は先を急ぎますので」
「あ、ちょっと待ってクーちゃん。そっちの黒づくめの人と話をさせて?」
「あ?」
ベゼドラの顔が、心底嫌そうに歪んだ。
リーシェやアーレストのような賑やかな性格は本当に嫌いなのだろう。
既に逃げる体勢に入っている。
「すぐに済ませるから。ね?」
「……あまり追い詰めないでくださいね」
「もっちろん! さ、黒い人。ちょおーっとこっちへ来てちょうだい!」
背中を向けて走り去ろうとしたベゼドラよりも素早くその腕を捕らえて、二人は馬車の反対側へ回り込んだ。
ここで話せば良いのに、何故わざわざ移動するのか。
自分に聴かれては困る話でもあるのだろうか?
「お待たせ~! 引き留めちゃってごめんなさいね、クーちゃんっ」
本当にすぐ笑顔で駆け寄ってきたアーレストと。
疲れた様子で足取り重く戻ってくる、顔色が悪い? ベゼドラ。
「いじめてませんよね?」
「まっさかあ! 慈愛の女神アリアに仕える者として、そんな蛮行なんかはしていないと誓うわ! ま、ちょっとだけ脅し? とかはしちゃったけど」
「……アーレスト……」
軽快に笑う友人はずば抜けて優秀な教師だが、時々凄まじい毒を吐く。
中央教会に居た頃に『口達者』と嫌みを言われていた自分を軽くしのぐ、槍のような辛辣な物言いをするのだから、恐ろしい。
「クロスツェル」
不意に真面目な声で呼ばれ、アーレストの顔を見上げる。
芸術品を連想させるほどに整いすぎた顔立ちが、自分をまっすぐ見つめて目を細めた。
「貴方に女神アリアの祝福が舞い降りますように。願いが叶うと良いわね」
「……ありがとうございます」
冗談も茶目っ気も感じさせないアーレストの瞳に、自分は微笑みを返す。
頭にポンと置かれた手が、わしゃわしゃと髪を乱して離れた。
「良い旅をー!」
馬車へ戻って手を振るアーレストに、小さく手を振り返し。
再び、ベゼドラと一緒に歩き出す。
突然の再会に驚かされた一幕だったが……。
自分を育ててくれた国に居れば、こういうこともたまにはあるだろう。
できれば、教会関係の顔見知りとは、あまり会いたくないのだけど。
「アーレストに何を言われたのですか? ベゼドラ」
うつむいたままのベゼドラに目を向けると。
彼はギリッと歯を食いしばり、悔しそうに拳を握った。
…………?
悔しそう?
「あの野郎……。人間のクセに、俺が悪魔だと一目で見抜きやがった」
え?
「まさか。悪魔の存在なんて神代の寓話程度にしか伝わっていませんよ? 私も、貴方以前に会った経験はありませんし」
悪魔だけではない。
女神アリアだって、大半の信徒は象徴の扱いだ。
教えを形にした偶像の域を出ず、本当に存在しているとは思ってもいない様子だった。
この現代で、ほぼ空想上の生物を見抜いた?
アーレストが?
「少しでもお前に危害を加える気配があればここで祓うつもりだったが、今回は見逃してやる。お前を命懸けで護れ、だとよ」
「それで不機嫌なのですか? 非力な筈の人間に、正体を見破られたから」
「アイツ、お前以上に気持ち悪いっ!!」
「あ、はい。理解しました。聴いたんですね? 地声」
見かけは細い線の、場合によっては美しい女性に見えるアーレストだが。
彼は歴とした男性だ。
それはベゼドラも気付いただろうが。
まさか、声色を自在に操れる声帯の持ち主だとは思わなかったのだろう。
アーレストの声音は、人間の域を超えている。
同性から異性の声はもちろん。
動物の声や虫の聲、風の音や水流音まで、完璧に再現できてしまうのだ。
そんな彼の地声は、とっっても低い。
耳元で十秒間「あー」と言われるだけでも脳震盪を起こしそうなくらい、とんでもなく低い。
あの美しい顔で睨まれつつ、ドスが効いた声で脅されれば。
さすがの悪魔ベゼドラでも、怯えてしまうかも知れない。
「なんなの、お前ら。おかしいだろ、アリア信徒」
「私までひとまとめに評価しないでください。彼は特別なんです」
自分はあんな特技、持っていない。
「第一、貴方だって私の声を真似していたでしょう。教会で」
「悪魔の声と人間の声を一緒にすんな!」
それはそうだが。
悪魔にまで異常と言われるとは。
あらゆる意味で凄いな、アーレスト。
「男同士でベタベタと気持ち悪ぃし!」
「あれは私も理解不能です」
子供の頃のクセが残っているにしても、そろそろ卒業して欲しい。
いい齢した大人の男二人。
絵面が厳しすぎる。
そういえばもう一人、問題がある友人がいたな。
自分の周囲は、昔から問題人ばかりか。
苛立ちに騒ぐ悪魔の横で。
自分はまた、諦めによく似たため息を、心の底から長々と吐き出した。
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