逆さの砂時計
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「クロスツェルを生き返らせる、ってことか?」
ベゼドラや金髪頭のコイツの話は、いまいち要領が掴めない。
女の信徒達やウェーリは、ベゼドラに喰われたから灰になって消えた。
クロスツェルの場合は、契約とやらで魂を喰われて体を乗っ取られた。
けど。
クロスツェルの魂は喰い切れなかったとか言ってた。
喰ってはいたけど、完全には消えてないって意味なのか?
消えてないなら、契約は? 今のクロスツェルはどういう状態なんだ?
「生き返りとは違う。お前やアリアが振るう主な力は『時間』と『空間』を操るものだ。生命を左右する事象に最も近いが、死は取り消せない」
アリアの力かどうかは知らないが、時間はともかく、空間は跳んでるな。
「じゃあ戻すってなんだよ。クロスツェルは生きてるのか? 生きてるなら意識はあるのか?」
苦しそうに呻いてるベゼドラを見る。
体はクロスツェルの物。
中身はクロスツェルを喰ったベゼドラ。
その間に、クロスツェルが居る?
「生きてはいるが、死にかけて朦朧としている……といったところだろう。そうだな。例えば、お前が今しているそれは、厳密に言うなら『負傷箇所に限定した空間内の時間を、負傷する前の状態まで巻き戻しているだけ』で、蘇生に分類する『治癒』とは別物だ」
え?
「結果、その空間は負傷する前の状態まで戻るが、負傷したという事実は、異なる時の流れ……自分自身の記憶、他者の目などに観測されている以上、なかったことにはできない。壊れた物なら修理できるが、失われた物には、戻すべき時間の概念が無いからな」
「失われた、もの?」
「人間の世界には砂時計とかいう物があるだろう? あれはひっくり返せばまた同じように降り積もるが、本体の一部が壊れて砂が溢れ出せば、その分砂の量と計測時間が減る。ただ溢れただけならまだ戻せるが、別の物質……水や油に混じって変質した場合は二度と復元できない。人間も同じ。神父を契約前に戻しても、喰われた分の魂は失われたままだ」
「それ、って」
「人間に戻っても、長くは生きられないだろうな。このままでもベゼドラに吸収されるから、どっちにしても、何もしなければ近いうちに死ぬが」
クロスツェルはまだ死んでない。
けど、放置したら消える。
戻しても死ぬ。
なんだそりゃ。
なんだよ、それは。
「今のお前は不完全だ。この程度の物量の時流も戻せず、抗うので精一杯。だが、アリアなら一瞬も必要とせずに戻せる」
「アリアなんて知るか!」
「当然だ。お前はアリアになる前まで戻って、アリアとは違う時間を進んだ記憶だからな。『ロザリア』にアリアが振るっていた力はほぼ使えないし、名前で意識を固定したから、『ロザリア』と『アリア』は別の人格になる」
「お前、言ってることが滅茶苦茶じゃないか。難しい理屈は解んないけど、アリアなんて奴はもういないって話だろ? いないヤツがクロスツェル達をどうこうできるわけないじゃないか!」
「言ったろう。異なる時間に観測された事実はなかったことにはできない。ベゼドラと神父にも契約を交わした記憶と損失が残るように、俺とアリアで交わした契約も消えてない。俺はアリアの力の一部を自由に使える。俺が、お前という空間をアリアだった頃に戻せば済む話なんだよ、ロザリア」
頭が痛い。
なんだコイツは。何を言ってるんだ?
アリアとか『時間』とか『空間』とか契約とか。
要するに、何がどうなってるんだよ。
クロスツェルを助けられるって話なのか?
クロスツェルをクロスツェルに戻せば、やっぱりクロスツェルは死ぬって話なのか?
「……ロ ザリ、ア……」
「っ?」
ベゼドラの右手が、私の左手を掴んだ。
まだ怪我が塞がってないからか、あっさり振り払えそうな弱々しい力で。
「よ、け いな こと、する な」
ムカ。
「余計とはなんだ! お前がとっとと逃げないから、クロスツェルがこんな深傷を負ってるんだろうが!! いいから、治るまで大人しくしてろ! このどアホ!!」
「……っ、さっさとどこかへ行け! 喰われたいのか!!」
何を焦ってるのか、ベゼドラが苦痛とは違う緊張を顔に滲ませて。
また、血を吐いた。
「! ど、怒鳴るな、頂点バカ!!」
ああもう、なんかすっごく腹が立つ。
何の為にこんなことしてるんだ私は。
耳の奥では警告音が鳴りっぱなしだし。
治そうとしてる奴にはどっか行けとか言われるし。
お望み通り、放っておけば良いじゃんか。
ベゼドラは気持ち悪いし態度悪いし乱暴だし殺したいとかばっか言うし。
クロスツェルのバカは一応、まだ居るんだろうけど。
それなら、今まで愛してるとかほざいて散々私を抱いてたのも、やっぱりクロスツェル本人の意思なのか。
なんだそりゃ。
どっちも変態色欲魔か!
最低だ。最悪だ。
心底、腹の底から気持ち悪いわ、ボケ!
「いいかよく聴けバカ男共。私はお前らなんか大っ嫌いだ! 愛してるって言えば好き勝手できるとか、勘違いしてんじゃねーぞ! こっちは汚い思いばっかさせられて、もう本当にうんざりなんだよ! 特にクロスツェル! てめぇ、何が善きように導きます、だ。大嘘吐きが! お前の行為のドコに善いものがあったんだよ、え? 引きこもってないで直接文句言わせろ! んで、一発ぶん殴らせろ! 一言の弁明もなく楽になれると思うなよ!!」
ムカツク、ムカツク、ムカツク、ムカツク!
なによりムカツクのは。
こんなバカで身勝手な男共を見捨てられない、私自身の甘さだ。
「……っロ ザ」
警告音が大きくなる。
心臓がうるさい。
ベゼドラが何か言おうとしてる。
金髪男の顔が愉しそうに微笑んだ。
全部にまとめて返答してやるよ。
やかましい! ってな!
「……アリアだかなんだか知らないが、私がそれになれば、クロスツェルの魂だか意識だかを取り戻せるんだな?」
私の顔のすぐ横にある、男の笑い顔を睨みつけた。
勝手に溜まる涙のせいで輪郭が歪んでる。
「お前がそれを望むなら」
「じゃあ、やれよ」
「即答だな。アリアに戻れば、『ロザリア』の記憶は消えるんだぞ?」
そうだよな。
なんかまだよく分かってないけど、そういう流れっぽい気はしたんだ。
けど。
「私はロザリアだ。ここで現実逃避してやがるバカがくれた名前がある限り私は消えない」
紫色の吊り目が、ほんの少し丸くなった。
「なんだっけ。違う時間に観測された事実はなかったことにはできない? んじゃよく見てろよ、ベゼドラ。私は、私の名前と契約する。ロザリアって自我は、『ロザリア』って名前がお前の記憶に残ってる限り、何があっても消えない。この名前が、私の記憶と存在を証明する!」
「……ロ……ザっ」
ベゼドラが驚き。
金髪男が小刻みに肩を揺らして。
唐突に笑いだした。
「く……っは! あっはっはっ!! 面白い性格になったな、アリア。いや、ロザリア。なら、その契約が果たして有効となるかどうか、試してやるよ」
男が、私の肩に回していた手のひらで首輪に触れて。
淡い光を放った瞬間、頑丈だった筈の鉄の首輪がボロッと崩れ落ちた。
『時間』と『空間』を操る力、とか言ってたからな。
多分、首輪の時間を朽ちるまで進めたんだろう。
久しぶりに首周りが軽くなった。
「戻ってこい。俺のアリア」
首輪を壊したその手が、私の額を柔らかく覆う。
私はベゼドラの手を払い、両腕をだらりと落とした。
ベゼドラが何か言おうともがいてるが、知らん。無視だ無視。
後でちゃんと治し……いや、戻してやるから。
とりあえず待ってろ、バカ男共。
金髪男の手から、薄い緑色の淡い光が放たれる。
目蓋を伏せた私は、その光を黙って受け入れた。
光は額から広がり、頭頂部から足先までをくまなく包み込み。
肩甲骨を覆うほど長い白金色の髪を更に長く、緩やかに伸ばした。
小振りな胸は張りよくふっくらと膨らみ。
四肢も、魅惑的な成人女性の物へと変化していく。
光はやがて女性の体に溶けて消え。
ゆっくり開いた薄い緑色の虹彩が、額から離れていく男の手を見上げた。
「レゾ……ネクト……」
金髪の男が、紫色の目を細めて美しい女を見つめる。
「……お帰り、アリア」
レゾネクトの右手のひらが、アリアの頬をふわりと包み込み。
涙で濡れた両の目元に口付ける。
「アリア……ッ!」
ベゼドラが、殺意溢れる瞳で二人を睨みつけた。
怪我が治りきってないせいか、まだ身動きはできないらしい。
唇や顎の周りを神父の血でベットリと濡らしている。
アリアは静かな瞳で彼を見下ろし。
レゾネクトから離れて立ち上がると、何もない空間に右手を掲げた。
宙空にふわりと、薄い緑色の光の繭が現れる。
その内側で。
漆黒の短い髪と褐色の肌を持つ、三十代前半くらいに見える男が。
目蓋を閉じ、膝を抱えた姿勢で丸くなっていた。
まるで、胎児のように。
「ベゼドラ。貴方を封印から解放し、人間の器の主導権を神父に返します」
「…………ッ!!」
ベゼドラの目が、これ以上ないほどの憎悪で満たされる。
必死で上半身を起こそうとするが。
神父の体は今、彼の意思に従える状態ではない。
無駄に足掻こうとする姿を横目に、レゾネクトがくすくすと。
とても愉しそうに肩を揺らしている。
「……アリアぁあ……ッ!!」
まさに血を吐く叫びが、礼拝堂中に響き渡った瞬間。
アリアの全身から淡い光が溢れ出し。
教会の敷地内を余すところなく照らした。
数秒後に光が消え去ると、礼拝堂はすっかり元通りに整えられていた。
引き裂かれたタペストリーも、吹き飛んだ椅子も、裂かれた祭壇も。
一連の騒ぎのせいで辺りに舞い散っていた砂埃でさえ。
何事もなかったかのように、早朝の暗闇の中で鎮座している。
「では行こうか……アリア。俺達の契約は果たされていない。世界はまだ、お前の物ではない」
アリアは宙に浮かぶ光の繭を解き、褐色の男の体を手元に引き寄せて。
気を失っている神父の体の横に並べて寝かせた。
赤黒く染まっていた長衣が、新品と見紛うほど真っ白に戻っている。
「…………」
細い指先で、神父の黒い前髪をそっと撫でて立ち上がったアリアは、
「……ええ。行きましょう。私の契約者、レゾネクト」
レゾネクトが差し出す右手に左手を重ねて、目蓋を閉じた。
その瞬間に二人の姿が消え、礼拝堂は早朝の静寂に支配される。
そして……
夜明けを迎え、世界に光と色彩が戻り切った頃。
いつも通りの時間に訪れた礼拝客が見た教会は。
どこもかしこも鍵が開かれたまま。
蛻の殻になっていた。
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