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BloodTeaHOUSE

作者:
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先生からの指導

曲の最後の一音を弾き終えて、弓をそっと下ろして、ほうっと息を吐く。
最近、あまりたくさん弾くことができないから、練習不足かな?なんて思ってると、
「随分仕上がってきましたね」
先生にそう言われて、安堵する。私のバイオリンとの付き合い方は間違っていないようだ。
「10月の発表会には、この曲を使いましょうか」
「えっ!わたしも参加するんですか!?」

この、のんびり屋のバイオリンの先生こと、樹先生は大学で助教授もやってる先生で、
お弟子さんなんかそれこそ掃いて捨てるほどいる。

それこそ、プロのバイオリニストを育てたこともある、偉い先生だから、発表会といっても
身内だけでなく、音楽関係者だって来るほど、かなり大々的なものなのだ。
才能のある子は小さい頃から毎年舞台に立たつのが当たり前だけど、私はまだ一度も
選ばれたことがなかった。

いきなり舞台に立てと言われても、どうしていいのかわかんないよ。
呆然として弓の松脂を拭うことも忘れて、眉を下げる。

当然だ。発表会に出るような子は、あちこちのジュニアコンクールで賞をもらうような
すごい子ばかりなんだもの。私なんか場違いもいいところだと思う。

「ただの発表会なんですから、そんなに気負わなくてもいいんですよ」

樹先生は軽い調子で言うけれど、私の頭は舞台で恥をかかないために不登校になってでも
練習しようかって考えちゃうくらい、プレッシャーでいっぱいだった。

「あ~~~~うぅ~~~~~~~~」
お店に来ても、元気なんかでなくて、カウンターと仲良ししながらうなだれてると、
飛白がホットミルクを出してくれる。最近の定番のハチミツ入りのそれは、身長のためと
密かに、女の子らしい体型を目指すため。
「そないに心配せんでもええんとちゃうか?嬢ちゃんのバイオリン評判ええんやで」
それは物珍しいだけだと思うんだけどな‥‥‥んごーのリクエストで演歌とか弾くからね。
「そうだぞー、せっかく弾けるんだからみんなに聴いてもらえよ」
裏子に言われたって、慰めにはならないよ‥‥音痴だし。
「そういえば最近ここではあまり練習曲を弾いてなかったね、聴かせてくれないかな?」
飛白ならいいアドバイスをくれるかもと、持ってきていたバイオリンケースを開ける。

丁寧に弓へ松脂を塗り、バイオリンを構えて調弦を済ませると、呼吸を整えて
甘やかな音色を奏で出す。
単純に音を出すんじゃなくて、バイオリンに歌ってもらうように弓を滑らせていく。

朝、散歩していたら、思いがけず好きな人に出会って、嬉しくって声をかけてしまうような
優しくて甘いひと時。少しのおしゃべりで心が浮き立つのを気取られないように、
態度はあくまでも何気なく、礼儀正しく。お天気や季節の話をするように歌う。

いつまでもぐずぐずしていたら、パン屋さんのお気に入りのパンが売り切れてしまうから
別れを言って散歩に戻る。今日は素敵な一日になりそうだ―――…

そっと弓を下ろして、飛白の方を見る。どう、だったかな?
「君の先生が発表会に、という気持ちが、僕にもわかるよ」
「ほんとに?どのあたりが?」
くすくす笑う飛白に聞いてみる。自分ではどう変わったのかよくわからないのだ。
もちろん暗譜だって完璧だし、間違えないからといっても、練習に手を抜いたことはない。
でも、特別上手になったとは思えないんだけど。

「僕がコンクールの審査員なら、花丸を上げだろうね」
「むぅ~…よくわかんないよ……」
弓から松脂を拭って、バイオリンをケースに仕舞うと、少しぬるくなってしまった
ホットミルクを飲む。カルシウムを摂って、せめて150cmは超えたいのだ。

「なら、僕とデュオで弾いてみるかい?」
モーツァルトのヴァイオリンとヴィオラの為の二重奏曲 ト長調 K 423、第一楽章。
前に合わせたときは伴奏のように飛白に合わせてもらったんだよね。
あれはちょっと悔しかったな‥‥‥
「……やってみる」

あれから結構この曲だって練習したんだし、合わせてもらうばかりなんて悔しいんだもん。
仕舞ったバイオリンを取り出して、準備をすると、
「またバイオリンパートわたしがやってもいい?」
いちおう聞いてみる。ヴィオラのパートは練習してないから、さすがに無理。
「もちろんどうぞ」
余裕の顔で飛白は言う。靴の鳴らす合図に合わせて二人で弾き始める。

ぅわ、なんだろ、気持ちいい。まだまだ飛白の予想の範囲から飛び出したりしてないのか、
ぴったりと寄り添うように合わせてくれる。音が絡み合って伸びやかに空へ登っていく。
私のバイオリンに答えてくれるような飛白のヴィオラパートの音。

絡み合い笑い合いながら、ひとつの曲を弾いているような感覚。
なんて素敵なんだろう。大好きな曲だけど、この曲ってこんなに素敵だったっけ?

あぁ、終わりが近づいてきた。もっと弾いていたいのに…
ヴィオラパートを抱きしめるように弾ききって、ようやく自分の変化に気がついた。

「素敵…」
弓を下ろして呟いた私に、んごーと裏子が拍手をくれる。

「きれいな曲やなー嬢ちゃんにぴったりっちゅう感じや」
「ホントに良かったぞ!」
裏子たちにお礼のお辞儀をする。そういえば2人から拍手を貰ったのって初めてだ。

「僕と合わせてみて、どうだった?」
「あのね、前とは全然違った!すごく気持ちいいの!すごく素敵だったよ!」
興奮冷めやらぬ感じで、感想を言う。響き合う、ハーモニーってこういうのなんだね!

「香澄ちゃんの音は1人でも十分に響き合ってるからね、僕は少しお手伝いしただけだよ」
「ほんと?」
「もう一度弾いてみてご覧」
「う、うん!」

さっきの感覚を忘れないようにと思いながら、呼吸を整えて弓を滑らせる。
あぁ、なんて気持ちいいんだろう。

僕の片思いの相手だけど、相手だって嫌っちゃいないよね。
だってこんなにも楽しくおしゃべりしてくれるんだもの。些細な日常の1コマだけど、
情熱的な運命の恋とは違うけど、僕はこんなにも君が好きです―――…

だから君――、どうか君も良い1日を過ごせるように僕は願うよ――…

エドワード・エルガーというちょっと堅物な、イギリスの紳士が恋をしたお嬢さんは、
きっと素敵な女だったんだろうな。音楽教師だった人の、百年以上も前の恋がこうやって
音楽として残ってるなんて、素晴らしいことだよね。

あぁ、それにしてもなんて気持ちいいんだろう。音は歌に、歌が愛になっていく――…

弾き終えても余韻に心が震えて、弓を下ろせずにいると、パチパチとたくさんの拍手を
もらってしまったから、慌ててお辞儀をする。

「あ、ありがと!」
「いやいや、よかったで!」
「お前にぴったりのきれいな曲だな!」
「とても素敵に弾けていたよ」

「うん‥‥自分でもよくわかんないんだけど、すごく気持ちよく弾けた気がする。
 変な感じだけど、楽譜の向こう側にある世界っていうの、かな?」
「作曲者の世界とのリンクがうまくいったってことかな?」
「そう!そんな感じだったの!」
はしゃいだ気持ちがなかなか収まらなくて、声もどうしたって弾んでしまう。

「君の先生も、それを感じたから発表会にって、言ってくれたんだと思うよ」
「そ、そうかな?」
それはあんまり自信がないなー。
「ところで、その発表会はもちろん一般でも聴きに行くことは出来るんだろう?」
「え、できるけど‥‥もしかして聴きに来る、とか?」
それはちょっと恥ずかしいかも‥‥だって、私より上手な子はいっぱいいるんだもん。
「お、それええな!みんなで応援しに行こか!」
えっ!んごーも来るの!?それはちょっと、知り合いだと思われるのが怖い‥‥気がする。
「いいな!みんな上手なんだろ!?」
「クラッシックの発表会だよ。私以外の人もたくさん演奏するし、
 裏子とんごーは、退屈して寝ちゃったりしない?」

応援は嬉しいけど、先生の生徒が何人も演奏発表するんだから、
途中で寝ちゃってイビキとかで、迷惑にならなければいいんだけど。

「それもそっか。お前の演奏ならいつでも聴けるんだもんな!」
「嬢ちゃんの演奏は気になるけど、ほかの子はどうでもええしなぁ‥‥」
「なら二人の代理で、花束くらいは届けておくよ」
「余計なことして香澄に恥かかせんなよ!」
「えっと、じゃあチケットは1枚でいいんだよね?」

若干ホッとしつつ確認しておく。
ちゃんとした音楽ホールでの発表会だから、音楽関係者用に販売もされるんだけど、
保護者用に用意される分があるから、そのくらいなら融通が利くのだ。

「花のリクエストはありますか?」
「ふふっ、おまかせしまーす」

飛白が聴きに来るんだから、恥をかかないように頑張って練習しなくちゃ、ね。










 
 

 
後書き
飛白は発表会にどんな花をプレゼントしてくれるんでしょうね?
それよりもクリスマスが心配になってきました。予定では5X話目に来るんですが、
どう考えても時期ズレズレですよね・・・
できればなるべく季節はずらしたくないので、更新速度を上げるかもしれません。 
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