逆さの砂時計
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解放
ベッドで眠らない理由は単純。
この、バカげてるくり返しの毎日を否定する為だ。
朝起きて、いつの間にか用意されてる三食分の飯を好きな時に食べて。
立って、座って、寝転がりながら、外の様子を映像で自由に眺めて。
夜には必ず、ベゼドラに抱かれる。
考えようによっては、贅沢で楽な暮らしかも知れないが。
生憎、囚われの身分を満喫できてしまう図太さだの。
将来を悲観して自分の殻に閉じ籠る繊細さだの。
そんな物、私は持ち合わせてない。
力は使えない。
首輪も鎖も外せない。
蹴り上げようがぶっ叩こうが罵ろうが、ヤツはちっとも動じない。
だから、現状で私にできる抵抗といえば、食べ物拒否だの寝床拒否だの。
その程度しかなかった。
食べ物拒否は、卑劣極まりない脅しで妨害されてしまったが。
こうなれば、意地でもベッドだけは使うもんか。
とはいえ、いい加減、背中も腰も辛くなってきた。
ほとんど一日中、床に座ってるか寝転んでるかしてれば当然なんだけど。
「っつ……。んぁあーもう、気持ち悪ぃ」
事後の怠さを堪えて上半身をひねり起こした途端。
ベゼドラが残していった体液が、内腿を伝って床に零れ落ちた。
行為そのものもそうだが、内側から溢れるこの感触は本当に気持ち悪い。
ベゼドラは、クロスツェルの望みだから、とか。
クロスツェルが『ロザリア』を愛してるからだ、とか言うが。
こんなことが、本当に、あのバカの欲求なのか?
だとしたら、とんだ変態野郎だな。
変態の中の変態。変態キングと名付けてやる。
変態キング神父クロスツェルだ。
バーカバーカ。
「………………はは……アホか。私は」
笑いながら泣くって、他人事としては何回か見て器用だと思ってたけど。
結構、簡単にできるらしい。
「くっだらねえ」
気持ち悪さを我慢して立ち上がり、手洗いの水を使って、頭と体を洗う。
首輪と鎖が邪魔だし、重いし、鉄臭い。
浮浪時は川か雨の水で充分だと思ってたが、今は切実に風呂に入りたい。
ウェーリに教えられて、何度か入ろうとはしたんだけど……
熱い水ってのがどうしても苦手で、ゆっくり浸かれなかったんだよな。
今にして思えば、めちゃくちゃ勿体ない。
テーブルの隅に畳んであったタオルで髪をガシガシ拭きながら、やっぱりいつの間にか新しい物に代えられていた食べ物を、適当に口に放り込む。
……果物とか野菜は切るだけにしても。
スープとパンは、クロスツェルが毎日作ってた筈だよな?
準備してるところは見てないが。
まさかこれ、ベゼドラが作ってるのか?
毎朝、誰の手も借りずに、自分で?
「なんだかなあ……」
私に関することと、礼拝堂でのことを除けば。
クロスツェルの行動はあの夜以前のまま、何一つ変わってない。
毎日来てるらしい信徒達も、すっかり騙されてる。
騙す目的で演じてるにしても、妙に手慣れてる。
『体が覚えてる』ってやつか?
こういう、どうでもいい小さな点に気付くと、あの夜からの出来事が全部ウェーリとクロスツェルが仕組んだ狂言なら良いのにと、思わなくもない。
……いや。
それも嫌だな、やっぱり。
変態キングの格が上がったら、次はなんて呼べば良いんだよ。
そしてそっちは本当にどうでもいい。
パイプベッドの横に移動して、あくまでも床に座る。
タオルを頭に掛けたまま膝を抱えて、その上に顎を乗せた。
今頃、ベゼドラはどうしてるだろう。
食事を置いてったなら、そろそろ夜明けの時刻。
教会の門や扉を開錠しながら礼拝客を迎え入れる準備を始めてる頃か。
目蓋を閉じて、頭の中に礼拝堂の内部を思い浮かべる。
そこに立ってると錯覚するほど鮮明な映像が、目蓋の裏に映し出された。
「………………?」
神父じゃない人影が、祭壇の前に居る。
真っ黒い上下服と黒い靴で白い肌を覆う、短い金髪の男。
足が長い。クロスツェルと同じくらいの身長だ。
教会のシンボルと同じ、葉っぱをくわえた鳥の形のペンダントをしてる。
信徒?
にしては、ずいぶん早い礼拝だな。
何の気なしに紫色の目を覗き見て。
全身に寒気が走った。
思わず目蓋を開いてしまっても、映像は視界に留まってる。
ベゼドラが礼拝堂に入ってきた。
早朝の訪問者に首を傾げてる。
「ダメ……」
男に近寄ろうとするベゼドラを遮りたくても。
伸ばした手は、映像の中には届かない。
膝立ちになった勢いで、タオルが音もなく床に落ちた。
「ダメだ!」
私は、この男を知らない。
会ったことも、見たこともない。
なのに、解る。
この男に関わってはいけないと、心臓が早鐘を打って警告してる。
ベゼドラが驚いた様子で、数歩分飛び退いた。
何か言ってるが、耳鳴りが酷くて聞こえない。
男が真顔になって……
「離れろバカああっ!!」
礼拝堂内に紫色の雷が落ちる。
地下室にも、振動と爆音が直接響く。
吹き飛ばされたクロスツェルが、背中から壁に激突して。
少なくない量の、黒っぽい血を、吐いた。
あの色と量は、ヤバい。
絶対に内臓がやられてる。
ガラス瓶で突き刺した手の感触を思い出して、肩が震えた。
「! やめろ!」
男が床に倒れたクロスツェルの腹部を蹴飛ばして、踏みつける。
また、血を吐いた。
顔が青ざめて、脂汗が滲んでる。
ダメだ。
このままじゃ、ベゼドラが。
クロスツェルが死んでしまう。
男を止めようと、立ち上がって走り出すが。
扉に指先が届く寸前で、壁と首輪を繋ぐ鎖に食い止められる。
前へ走った分だけ首に圧力が掛かり、咳込みそうになって。
突然、全身の力が抜けて、膝から崩れ落ちた。
ほぼ同時に、男の手から薄い緑色に光る弓矢が現れる。
力を、持っていかれてる。
理屈はわからないが、そう感じた。
クロスツェルに、その心臓に、狙いを定めてる。
「……やめろ……っ」
心臓が爆発する。
耳鳴りが更に酷くなる。
頭まで痛み出した。
弓が引き絞られて……
「やめろ! クロスツェルを殺すなあぁぁああああああッッ!!」
映像が、薄い緑色の閃光で埋め尽くされる。
それは一瞬の間を置いて飛散し。
光る雪となって、礼拝堂の床一面に降り注いだ。
男の手から弓矢が消え。
二人の男の驚いた表情が、光る雪を仰ぎ見る。
「………………神父を、護りたいのか? アリア」
男の言葉が、すんなりと耳に入ってきた。
耳鳴りが消えてる。
頭痛もしない。
代わりに、大粒の涙が勝手に溢れ出した。
「……そうか」
クロスツェルの体から足を退けた男の右手が。
今度はクロスツェルの額を鷲掴み。
二人の間に、小さな光が弾け飛ぶ。
手を離されたベゼドラの目が、丸い。
「っ……?」
頭の奥で、澄んだ鈴の音がする。
一度目は りん! と短く。
二度目は りぃーん…… と尾を引くように。
響きがかすれて消えると、全身に力が戻ってくるのを感じた。
「小賢しい封印は元に戻した。おいで、アリア」
振り返った男が、映像の向こうから、まっすぐに『私を』見てる。
礼拝堂に居る男が。
教会の地下で鎖に繋がれている私を。
その手を取れとでも言うのか、笑顔で右手を差し出しながら。
解る。
私はもう、跳べる。
跳び方を思い出した。
だから。
「クロスツェル!」
男の手を無視して、その背後。
倒れたままのクロスツェルの横に向かって、転移した。
鎖自体は体に触ってなかったからか、付いて来たのは首輪だけ。
いきなり横に現れた私を見て、ベゼドラが動揺する。
「……な、ぜ」
「うるさい黙れ、バカ! この体はクロスツェルの物だ! クロスツェルを傷付けるな! クロスツェルを殺すな!!」
「……バカ は、どっちだ……っ。神 父は、とっく に 死んで……っ」
また、血を吐いた。
生気を失くしつつある顔は、青白いどころか土気色になってる。
早く治さないと、本当にヤバい。
「黙ってろ!」
両手をクロスツェルに翳して、意識を集中する。
ここまで酷い怪我は治した経験が無い。
完全に治せるかどうか、自信も無いし、分からない。
でも、ここでやらなきゃ、クロスツェルが死ぬ。
「……死んでる? 神父が?」
とにかくやるしかないと思った、その時。
私の背後から、不思議そうな男の声がした。
「そこに居るだろう」
横に立って屈んだ男が、私の肩を馴れ馴れしく抱きながら指を立てる。
その指先が示したのは、仰向けに倒れているクロスツェルの体。
「これは、クロスツェルの体だ。中身はベゼドラで」
「ベゼドラの精神体と器の間に、神父の魂が形を残しているんだが」
………………え?
って、ちょっと待て。
どうしてお前まで驚いてるんだ、ベゼドラ。
「ベゼドラと器の間って、どういう意味だよ? クロスツェルはベゼドラに魂を喰われて消滅したって話じゃ……」
頬がくっ付きそうな距離の男に目を向ける。
関わるなと頭の片隅で警告が聴こえるが、今はそれどころじゃない。
「……なるほど。言動が繋がらない理由は、自覚が無いせいか」
男が何かに気付いたのか、クスクスと笑いだした。
「ベゼドラよ。貴様、アリアにはこう言っていたようだな。愛してると叫ぶクロスツェルの声がする。だからアリアを殺せないと。それは半分正しく、半分は誤りだ」
「……な、……に……?」
「アリア……いや、ロザリアか。彼女を愛しているのは神父だけではない。貴様自身もだ」
………………は?
「……ふ……ざ けた、こと を……!」
「貴様は神父を通してロザリアを見ていた。アリアだと気付いていながら、『アリア』とはまるで違う『ロザリア』を。暗い地の底から見上げた光は、さぞかし眩しいものだったろう? 貴様が神父を喰い切れてなかったのは、本当に消滅させれば『ロザリア』が教会から消えると理解していたからだ。ためらった挙げ句に器を共有し、感情に共鳴して、余計に思慕を募らせた。神父にせっせと刷り込んだ声は、『ロザリア』に対する貴様自身の欲求だ。体を重ねて悦楽と歓喜を得ていたのも貴様自身。愛を知った悪魔は滅びるというが……いや、貴様が神父に責任を押し付けて苦悶する様は、なかなかの見物だぞ。貴様の中で『アリア』と『ロザリア』は既に別個だというのに」
「……レ ゾ、ネクト……貴、様……っ がはッ」
「……! もういいから、黙ってろベゼドラ! 治すのが先だ!」
さっきよりも、吐いた血の量が多い。
話に気を取られてる場合じゃなかった。
薄い緑色の淡い光を放って……
ああ、やっぱり、あっさりとは治せないのか。
血が消える早さも、いつもより遅い。
「体を戻すだけで良いのか?」
男が肩をさすってくる。
鬱陶しい。
「お前、うるさい! どっかにぶっ飛ばすぞ!」
こっちは必死なんだよ。
あの、なよっちいクロスツェルを、こんなに痛めつけやがって!
「お前が望むなら、クロスツェル神父を元に戻してやっても良いんだが?」
「だから黙れ……って、……なに?」
男に顔を向けると、澄んだ紫色の目が、ふわりと細められた。
「クロスツェル神父を人間に。ベゼドラを悪魔に。二人が契約を交わす前の状態に戻そう、と言ったんだよ。ロザリア」
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