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逆さの砂時計

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想いの交差点

 「はい。一週間お疲れ様、クロちゃん」
 青空が照らすバルコニーを開放した、プリシラの執務室。
 机の上にドンと置かれた、両手に乗せ切れるかどうかの大きな布袋を見て、クロスツェルは唖然とした。
 「……一応お尋ねしますが……なんでしょうか、これは」
 「餞別よ。……なぁに? その不審な顔」
 「いえ、ちょっと予想外と言いますか……。まさか、教会の資金流用……」
 「貴方が普段どういう目で私を見てるのか、ちょっと理解したわ」
 「すみません」
 机に片肘を乗せて額を覆うプリシラに、クロスツェルは透かさず腰を折って謝意を示す。
 半眼でちらりと睨まれている気配が伝わり、内心冷や汗だらだらな彼に溜め息を吐いて「まぁ良いわ」と苦笑う。
 「渡国許可証も二人分一緒に入ってるから。必要があるかどうか知らないけど、アリア信仰が排斥されてない総ての国に適用する代物よ。大切になさい」
 「え!?」
 「何よ」
 「いえあの……それは、大司教様の権限と同等ではありませんか? 教会を放置して巡礼を始めた神父には行き過ぎた気遣いなのでは……」
 しかも、一人は教会関係者ではないと知った上でのこの対応。
 当然、異例中の異例だった。
 「ふふん。次期大司教を任されているこの私に、不可能は無いのよ?」
 暴理が暴利を押し付けてくる。
 やはり、この女性は無茶苦茶だ。いつか教会関係者の天辺から底辺まで全員を支配する暴君になるのではないか。そう思っても、これから先を考えれば有難い話ではあるので……彼はそれを謹んで受け取る事にした。
 「ありがとうございます、プリシラ」
 「本当にね。一生感謝なさい。あ、半分は通貨交換を済ませてあるから。役所での手続きは出入国時以外一切必要無し。ここまで快適な巡礼の準備をしてあげたんだから……解ってるでしょうね?」
 にーっこりと両目にアーチを描いて立ち上がり、恐ろしさで半歩退いたクロスツェルの両肩に腕を絡ませ……
 「あ、えーと…… え」
 背伸びして、彼の額に軽く口付けた。藍色の眼差しが、金色の虹彩を真っ直ぐに見据える。
 「絶対、無事に帰って来なさい。何があっても。例え信仰を捨ててでも。命を軽々しく扱うのだけは、許さないから」
 肩を抱いた手が後頭部を撫でる。
 それは、身長差が無かった頃からアーレストとプリシラが揃って繰り返した癖。クロスツェルが東区に赴任する少し前まで、度々与えられていた仕草。
 「……はい。必ず」
 クロスツェルも、プリシラの目元に口付ける。
 プリシラはギョッとして彼から腕を離し、目を瞬いた。
 「驚かせてくれるじゃない……。今までこんな事、一度だってしなかったのに」
 「そうですね。感謝の印です」
 「……貴方、変わったわね」
 「はい。大切なものが見付かったので」
 「そう……」
 薄く紅を塗った唇をふわりと綻ばせ、いつの間にか大きくなった友人の胸に、とん と頭で寄り掛かる。
 「行ってらっしゃい。貴方に、女神アリアの祝福が舞い降りますように」
 アーレストにされたように……と言っても頬擦りはしないが、小さな頭を抱えて軽く撫でてから
 「行ってきます」
 与えられた荷物を手に、クロスツェルは執務室を……教会を出て行く。
 旅立つ者の後ろ姿を笑顔で見送ったプリシラは、バルコニーに足を運んで「んー……っ」と全身を伸ばした。着崩した長衣の裾が風に揺れる。
 「彼の誠意を真の物であると認めていただき、感謝しますわ。大司教様」
 青い空を見上げながら、カーテンに隠れた大きな窓の外側に居る男性に笑う。
 真っ白な長衣をキチッと着こなした男性は、穏やかな表情で腕を組み、窓に背中を預けて立っている。
 「あれだけ嫌がる姿を一週間も公に見せられてはね。あの子は相変わらず、君の趣味本位だと思っているようだけど……悪者のままで良いのかな?」
 「あら。いやですわ、大司教様。私は最初から最後まで、自分が面白いと思う事しかしてませんのよ?」
 ただ、我が儘に振り回された人間は少ぉし可哀想に見えるかも知れませんけど。と、振り返った顔が嬉しそうに笑う。
 「ふふ……君は本当にあの子が好きだね」
 地方の小さな教区とはいえ、神父が務めを放棄するなど本来あってはならない。当然、懲罰は受けて然るべきだ。クロスツェルの場合、教会の鍵を総て開放したまま放置するという悪質さも問題視され、破門も検討されていた。
 それを水際で止めていたのは他でもない、プリシラだ。
 過去のクロスツェルの功績と敬虔さを主張し、確定している次期大司教の立場を活用して、反発が強くならないようにそれとなく彼を擁護し続けた。その上での、民衆と信徒を前にした女装被害騒動。
 多くの信徒は、昔から奇行ばかりが目立つ次期大司教様の被害者に好意的だ。彼女に大人しく従うとはつまり、信徒の同情心を買う事を意味している。本人が一番嫌がる的確な弱点を突いたその行い自体が、既に懲罰と同等の扱いなのだ。
 クロスツェルが一週間耐え抜いた結果、彼は大司教の名の下に赦された。
 餞別も許可も、大司教が有望な彼に再修行を命じた結果用意された物だとは……クロスツェルだけが知らない。
 「放っておけないだけですわ。あの子、孤児として教会に入った当初から既に半分死んでいましたもの。アリア様への信仰心が無ければ、とっくに自殺していたでしょう」
 全身傷だらけで、今は綺麗な黒髪もボサボサで。その鋭い金の目は、どれだけ酷い目に遭わされたのか……人間なんて信じていなかった。ただ、アリアだけを信じていた。アリアに仕える為だけに生きている……そんな子供だったのだ。クロスツェルは。
 だからアーレストもプリシラも、彼を構って構って構い倒した。人間は敵じゃないんだと信じて欲しくて、鬱陶しがられても逃げられても、ひたすらに追い掛け回した。
 友人だと認めてくれた時の喜びは、今もプリシラの内にある。
 「でも、もう大丈夫ですわね。あの子は強くなりましたわ」
 「男の子は護りたいものを見付けたら成長が早いからね。……寂しいかい?」
 「まさか。クロちゃんはちょっとお出掛けしただけですもの。「行ってきます」の後は「ただいま」を言わなきゃいけない義務がありますのよ。破ったら今度は本当に花嫁衣装でも用意しますわ。とびっきりのフリル付きで」
 くるんと大司教に向き直って高らかに宣言するプリシラは、やはり笑っている。
 「とても嫌がるだろうね」
 「それが面白いんですのよ。いちいち似合う所が微妙に女の自尊心を傷付けたりするのですけど」
 「君と同期じゃなくて良かったよ。近くに居たら、君という人間は見抜けないだろうから」
 大司教は、くすくすと肩を揺らして微笑んだ。
 「私は昔も今も、自分勝手で我が儘なお嬢様ですわ。これから先もずっと。……それより、状況に変化はありまして?」
 ころころと楽しそうに笑っていた表情が一転。次期大司教としての威厳と品格を備えた真剣なものに変わった。大司教も彼女の言葉を拾って、眉間に皺を寄せる。
 「正直、厳しいね。混乱は深まっているようだ。現地の信徒には、布教活動を慎むべしと伝えているらしい」
 「……そうするしかないでしょうね。下手に動けば異教徒達を刺激しかねませんもの。ただでさえ上層が落ち着かない状況ですのに、下層までが騒動を起こしたら、宗教戦争の切っ掛けを作ってしまう。この国はアリア信仰が中枢と繋がっているから良いものの、そうでない国では否定派に虐殺されかねませんわ」
 キリッと親指の爪を噛んで俯くプリシラに、大司教も深く息を吐き出した。
 「かと言って、事が事だけに我々としても放置する訳にはいかない。事実確認を急げと上からも指示されているし、私も大司教として召集されてしまったし……困ったものだねぇ……」
 「猊下の召集? こんな時に重役が一国集中なんて!」
 「こんな時だからこそだよ。情報共有と検討は必要だ。どの国にも一応大司教候補は居るし……大変だと思うけど、私が留守の間は君に任せるよ、プリシラ次期大司教」
 「……はい。心得ておりますわ」
 聖職者らしからぬ装いながらも背筋を伸ばし、腰を折って、上位に立つ敬愛する者への礼を執った。
 「どうぞ、ご無事で」
 「君も。……クロスツェルにも。女神アリアの御加護があらんことを」
 窓から背を離し、プリシラが下げた頭に手を翳す。やがて顔を上げた彼女と信頼し合った視線を交わし、互いに微笑んだ。
 「ところで、どうして踊り子だったんだい? 単純に女性の姿をさせて教会内外を歩かせるだけでも、相当な苦痛になったと思うのだけど」
 「昔、クロちゃんに同じ事をさせた時、変質者に追い掛け回されていたからですわ。並々ならぬ辛苦を思い出して、さぞ嫌だったでしょうねぇ」
 「……えーと……」
 妖艶に微笑む聖職者に、さすがの大司教も言葉を失う。
 「だから言いましたでしょう? 私は最初から最後まで、自分が面白いと思う事しかしませんの」
 アーレストとプリシラ。二人の賢く敬虔な問題児に囲まれていて、よくぞそこまで強くなれましたね……と。老齢の大司教は、クロスツェルに心からの賛辞を贈った。


 「これは教会からの善意の資金提供です。無駄遣いしないでくださいね」
 宿に戻ったクロスツェルはプリシラから貰った荷物を二つに分けて、片方をベゼドラに渡した。大きく見えた袋も、中身を小分けしてしまえば旅の邪魔にならない程度で収まった。鞄が必要だろうかとも考えたが、取り越し苦労に終わったようだ。荷物は少ないほうがなにかと楽で良い……とは、これまでの経験則だった。
 「教会放っておいた割には気前が良いな」
 「ええ。私もそれなりの処罰は受けるつもりだったんですけどね。友人がかなり頑張ってくれていたようです」
 その分、後が恐い……なんて思ってから、少しだけ恥じる。が、やっぱり恐いと思って、苦笑いが止まらない。
 「教会への対応はロザリアを取り戻してから考えるとして……昼間は商隊に馬車を借りるか、歩きで北西に戻りましょう。跳んで行くのが一番速いですが、人間に見られるのは大問題ですからね」
 「面倒臭ぇー」
 「我慢してください」
 ベッドの上でダラダラと転がっているベゼドラにも苦笑しつつ、窓際に置いた植木鉢をそっと手に取る。
 「私はポケットに入ってれば良いのね」
 花の上で首を傾げたリースリンデが、精一杯腕を伸ばしてクロスツェルのコートにしがみ付く。ポケットの内側に入ってから顔をひょこっと出して「ありがとう、元気でね」と、花に手を振った。
 「ありがとうございました」
 そんなリースリンデに倣って、クロスツェルも花にお礼を言ってからサイドテーブルにそっと置く。
 彼を見上げるリースリンデが、少し嬉しそうに微笑んだ。
 「さて、行きましょうか」
 目指すは隣国に在るらしい静謐の泉。アリアが数千年の間眠っていた場所。
 今現在アリアが居るとは思えないが……可能性と情報を求めて、三人は王都を旅立った。

 
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