ヤザン・リガミリティア
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宇宙の暗がりで企む獣
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ヤザンがリガ・ミリティアにいる 作:さらさらへそヘアー
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宇宙の暗がりで企む獣
シャッコーとガンイージとヴィクトリー。
その3機が偵察の末に発見したのは
コロニー内の居住施設の一部だったと思われる住居の残骸であった。
だが、ただの大きな漂流物デブリというだけでは無さそうなのは確実だ。
シャッコーが複合複眼式マルチセンサーを走査させてスキャンをすれば
内部には複数の生体反応がゆっくり動いているし、
ウッソはそのデブリの割れた窓に人影が映るのを見ていた。
それにデブリにはぶら下がるようにしてMSが張り付いており、カテジナは
「…あれは……モビルスーツ?」
ガンイージを緑の大型MSへと無防備に近づけた。
だがその動きを遮るように、直後シャッコーがガンイージの肩を掴み止めた。
「カテジナ、迂闊に近づくなよ。MSの残骸をトラップに使うこともある」
「え…トラップ?」
「だが…まぁこの場合は大丈夫だろうがな。
いつでも感覚をシャープにしろという事だ」
「は、はい」
「…ウッソ、俺が先行する。お前はカテジナとここで待て。ライフルは構えておけよ」
「わかりました!」
何か言いかけたカテジナを置き、ウッソに任せてシャッコーが単身緑のMSに肉薄する。
常にセンサーは走らせているが頭のとんがった猫目のそいつは全く起動する気配も無い。
(…こいつはベスパのMSだろうが…見たことがないな。新型の事故か)
両手をバンザイのようにして漂流物に取り付いているベスパのMS。
そのコクピットハッチは開放されていて空っぽだ。
シャッコーは漂流物の外壁に
指の付け根から射出したワイヤーを貼り付けて外部音声をONにする。
「聞こえているな!中の漂流者!
俺はリガ・ミリティア所属MS戦隊統括官ヤザン・ゲーブルだ。
南極条約慣習法により人道的配慮に基づいて貴君らを救助する用意がある。
武装を解除し投降しろ!」
ヤザンはシャッコーのモニターの熱源センサーを油断なく見ていると、
やがて一人の熱源がのそりと動き出したのが見えた。
その熱源は壁際まで来ると、
「貴様らリガ・ミリティアは正規軍ではない!
なにが慣習法だ…!無法のゲリラ共になど…助けられる謂れは無い!
すぐに立ち去れ!」
オール状態の無線と触れ合い通信の二重で
実に頑固そうな声できっぱりとそう言ってきたのだ。
「ほォ…だが、虫の息の奴もいるようだが」
「我らは名誉の戦死の覚悟はいつでもある。
さっさと消えろ!」
「いい度胸だが、貴様のご同胞は同じように無駄死にしたがるのか?」
「無駄死にではない!私の部下に死に怯える腑抜けは一人もおらん!」
「貴様が隊長だと言うなら部下に死を強要するならば場面を考えたらどうだ。
隊長一人の意地に巻き込んで孤独に窒息死とは余りに無様な死に様だな?」
「貴様!!」
陰から飛び出したベスパの兵が対人用のハンドガンでシャッコーを威嚇する。
あまりに非力なその威嚇に何の効果も無い等、
互いに嫌というほど分かるのに相手は意地からそれをせずにはいられないらしい。
銃を構えるベスパのパイロットは確かに戦士としての矜持を持っているようだが、
戦士としての在り方はヤザンの考えるそれとは相容れない。
闘争心を萎えさせぬその男の心意気は買うが、
(…馬鹿な奴!生き延びるチャンスを自分からふいにしようと言うのか!?)
だがその行為は余りに頑固で向こう見ずだとヤザンには思えた。
そんな愚かと思える銃を構えるベスパの兵は、
投降を促してくるMSを見て言葉に詰まり動揺をしているようであった。
「…!シャッコーだと!?
く……そうか、貴様がジェヴォーダンの獣か!
我が軍に痛撃を与え続けるゲリラの英雄…忌々しい!
尚更投降などできるものか!!」
シャッコーのカメラが男を拡大する。
青筋を立てて怒鳴り散らすその男をからかうようにヤザンは笑った。
「クックックッ…そうかい、ならばそこで野垂れ死にな。
あのMSはリガ・ミリティアが頂いていくぜ」
「…ぬ、うぅ!勝手にしろ!ろくな性能も出なかったシロモノだ!」
「…フンッ」
鼻で笑い、ヤザンはシャッコーを廃墟から飛び立たせ、
そして放置されていたグリーンの大型MSへワイヤーを打ち込んで絡め取る。
そのままシャッコーのバーニアを吹かし去るのだった…。
と思いきや、ヤザンは数m離れた所で…つまり直ぐに停まってシャッコーを振り返らせた。
それを見、残留していたベスパ兵は躊躇なく引き金を引き弾丸をMSへ見舞い退去を促す。
「さっさと去れ!」
しかし男の叫びも撃った弾もヤザンには届いていないのは明らかで、
ヤザンはこの男の要請になど最初から従う気が無かった。
「貴様の思い通りにしてやる義理はないんでな。
貴様が吠え面かく様を拝みたくなったよ」
「何だと!?」
男がもう一発銃を撃つ。
当たり前のようにシャッコーの装甲がいとも簡単にそれを弾いて、
そしてシャッコーは素早く左腕を腰に回すと
腕に掴んだ柄の先端を漂流施設へと撃ち込んだ。
廃墟が揺れる。
「ッ!?な、なんだ!」
シャッコーが握る赤い柄と、打ち込まれた〝鏃やじり〟は
人間の目で間近で見れば分かる程度の超細径の高硬度ワイヤーで繋がっている。
ゾロアットで一人前になるザンスカール軍人たるベスパの男…
ゴッドワルド・ハインはそのワイヤーを良く知っていた。
ゾロアットのビームストリングスの鋼線と非常に良く似ている代物だ。つまり…。
「で、電磁ワイヤー!」
「そこは浮遊する微細物で満ちているからな。
放電現象が貴様らを適度にボイルしてくれるだろうぜ!
強情を張る貴様がいけないんだよ。
これも人道の配慮ってやつだ…感謝して欲しいものだな」
口の中で笑うヤザン。
大声で怒りの叫びをあげ銃を乱射する男を無視し
電撃ワイヤー・海ヘビを起動してその廃墟中に死なぬ程度の電撃をばら撒くのだった。
ヤザンが廃墟に海ヘビを使うのを見たウッソは
待機命令を守りつつも慌ててヤザンへと通信を入れ、
「ヤザンさん!?大丈夫なんですか?
ミノフスキー粒子は散布していないようですけど!」
出よう出ようと血気に逸るカテジナを必死に抑えながらヤザンを心配している様子である。
カテジナというじゃじゃ馬を抑えて良くやっていると
ヤザンもウッソの判断を秘かに喜び彼へ応えた。
「問題ない。漂流者は3名…ベスパだ。
ウッソ、そいつらを確保しろ。海ヘビで眠らせたが油断するな」
「えぇ!?生身の人間に海ヘビを使ったんですか!?」
「心配するな!ちゃんと出力は抑えてある。
もっとも…死んでいるかもしれんがな。それは抵抗したあいつらの自業自得だ」
「抵抗したんですか?この状況で?」
「軍人の意地という奴だよ」
せせら笑いながらヤザンがシャッコーを駆り、戻る。
その手に第1期MS並みに大きいトンガリ頭のMSを引きずりながら。
無事戻ったのを見たカテジナがホッと息を吐いたのを
装甲越しの接触通話でウッソは聞いて頬を緩めた。
ヤザンと接しているとウーイッグのお嬢様時代が嘘のような苛烈さをカテジナは見せてきて、
その様は余りウッソは好きではなかったが逆にお嬢様時代の優しい笑みを引き出すのも
少年が尊敬し懐いているヤザンという男だった。
安堵したカテジナがシャッコーの肩へいそいそと組み付く。
「ヤザン…隊長。そのMSは大丈夫なのですか?」
「ポンコツらしいが新型だ。持って帰っても無駄にはならん。
オーティスとストライカーに見せればこちらの戦力になるかもしれん。
ダメでも最悪部品取りに使える」
リガ・ミリティアは貧乏所帯でいつだって物資と金と人員は大歓迎だ。
ちょっとした散歩が良い拾い物をしたと笑うヤザンを見て、
次いで漂流廃墟へ向かったヴィクトリーの背を見ながら
カテジナはそれにしても…と思った。
「シャッコーとあのクロノクルといい、
その大きな緑のカブトムシといい…あなたって呆れた人ね、ヤザン」
よくもまぁ敵の物を分捕る男だとカテジナは評すれば、
そうだなとヤザンも肯定してまた笑った。
「俺の普段の行いが良いのだろうよ。良く道端に落ちているのさ」
「よく言うわよ、まったく」
「貴様ァ…口の利き方を忘れておるぞ。帰ったら折檻が必要か?」
「これは失礼しました、隊・長・」
こいつ、とヤザンが薄く笑った時に
ウッソのヴィクトリーが両手にぐったりした人間を3名抱えて戻る。
ウッソは少し慌てているようだ。
「ヤザンさん、怪我をして…死にそうな人がいますよ!酸素ももう無さそうで!」
「それで死ねばソイツの運が無かったまでだ。
だがまぁ、急いでやるとするか……死なぬ程度に加速して帰投する!」
――
―
「こりゃ驚いたな。また隊長はMSを拾ってきた」
ロメロ爺さんがすっかり抜け落ちた白髪頭をポリポリ掻いて感心するやら呆れるやらだ。
ストライカーもクッフもネスも無言で同意する。
「爺さん、ストライカー!その緑のカブトムシ、頼んだぜ!
ベスパの新型だ。上手くすりゃこちらの戦力になる」
シャッコーからワイヤー昇降機で降り、
ノーマルスーツを緩めながらヤザンが整備陣へと懇願すれば
「カブトムシねぇ…頭の先に二股角でもつけますか!?」
クッフがお調子よくそう言って皆は笑った。
ヤザンもだ。
そんな場には医師のレオニードも慌ただしい駆け足で飛び込んできていて叫んでいる。
「隊長!やり過ぎだぞ!これじゃクロノクル君の二の舞だ。
全員大火傷じゃないか…!」
「ぶつくさ言うなってんだ。
そうでもしなきゃその頑固者はデブリの仲間入りで死んでいた。
俺の優しさに感謝して貰いたいぐらいだよ…フッハッハッハッ!」
「遭難者に電撃を浴びせるなんて…まったく!」
「電撃は扱い慣れてる。そうヘマはせんよ」
「そういう問題じゃないぞ、隊長!みんな、手を貸してくれ!急いで医務室に運ばんと!
オデロ、そっちを!クロノクルは彼を頼むぞ。
ウォレンとスージィとシャクティさんは彼だ。そっとだぞ!」
担架に乗せ、子供らの助力を得ながら
レオニードは3人の重症患者に処置を施しつつ去っていくが、
整備班はバタバタとフル回転で降って湧いた敵新型の解析と調査に忙しい。
それに訓練帰りのカテジナのガンイージを見た整備兵は卒倒しそうな悲鳴を上げている。
「装甲がボコボコだ!!こんなの全とっかえしかないじゃないか!」
「今から取り替えるんだよ!急げ!」
「そんなこと言ってもオーティスさん!これじゃあオールの作業ですよ!」
「半日で済ませるんだ!明日にでもバグレ隊と合流するかもしれないんだぞ!」
「ストライカーさん、こっち見て下さい!」
「無理だよ!シャッコーのマニピュレーターも歪んでるんだ。
隊長殴りすぎだ!」
「ネス!さっさとそっちのハンガー開けろって!」
「うるさいよクッフ!自分でどかしゃいいでしょ!」
MS隊の任務後の格納庫は整備班にとって地獄の戦場である。
こうなるとさすがのヤザンも気を使って大人しく引き上げるしかない。
こういう整備兵達の雰囲気というのは一年戦争時の連邦も、
グリプス戦役のティターンズでも同じでヤザンはこの空気が好きだった。
もっとここに入り浸りたいがパイロットが整備の邪魔をしちゃ話にならない。
シャッコーとガンイージのダメージについては
心でペロリと舌を出して悪ガキのように謝ってさっさと立ち去るのだった。
◇
リーンホースと僚艦のサラミス2隻。
一介のゲリラ組織としては過剰な戦力とも思えるが、
リガ・ミリティアの実態は今では反ザンスカール勢力の連合だ。
数年前までは正真正銘ただの過激派ゲリラ組織だったが、
近年は反ザンスカールの狼煙が次々に上がって勢い付いている。
本当の総戦力は真なるジン・ジャハナムしか知り得ぬが、
ヤザンや伯爵は少なくとも
リーンホース1隻、僚艦のサラミス2隻、
バグレ隊、そして連邦軍第1艦隊・通称ムバラク艦隊を把握していた。
バグレの艦隊規模は10隻の艦と30~40機のMS隊と聞いているし、
正規軍であるムバラク艦隊は
補給艦等合わせて30近い艦艇を所持しMSの数は100近いという。
つまりリガ・ミリティアは
今ではザンスカール帝国とまともに殴り合える力をつけつつあるということだ。
もっとも、ムバラク艦隊は積極的に連携行為を行ってくれているだけで
リガ・ミリティア所属ではない。
だが今まではフェイントのように艦隊を動かしてザンスカールを牽制しているだけだったが、
数日前には艦隊を直接動かしたという情報まであって非常に心強い。
狙いはサイド2内で最活発化した反ザンスカール運動の後押しだろう。
無敵と謳われるズガン艦隊も、ムバラク艦隊の動きを気にして
再結成した反ザンスカール・コロニー連合艦隊に対して思い切った動きが出来ていない。
ザンスカール帝国の大佐たるタシロ・ヴァゴは、
当然リガ・ミリティアの戦力の全容を知りはしないが
大まかには〝そのようなものだろう〟と推測している。
敵戦力を正確に推し量るその慧眼はさすがザンスカールの大佐という所であった。
その彼は今、
カイラスギリー艦隊旗艦スクイードⅠの豪華なディナールームで食事を楽しんでいた。
タシロの背後には、本物の薪で暖を取る暖炉がパチパチと燃えていてその贅沢さを物語る。
貴族のように無駄な華美を楽しむ彼の目の前の長卓。
その向こうに座る美女をジロジロと舐め回すように見ながら、
甘いアイスとチョコレートソースのデザートで舌鼓を打っていた。
(地上のラゲーン失陥も、本国の苦戦も大いに結構…。
私と私のカイラスギリーの存在感が増すというものだ)
こういう状況では、寧ろ己の出世の緒いとぐちとなるとタシロ・ヴァゴは思っている。
タシロは優雅にスプーンでまた一口、とびきり上等の甘く冷たいクリームを口に運ぶが、
卓を共にする女性、ファラ・グリフォン中佐のアイスを掬うスプーンはかちかちと揺れていた。
「…どうだね、中佐。甘いアイスだろう?」
「……は、はい。
このような軍艦の中で、これ程美味しい嗜好品を楽しめるとは思いませんでした」
ファラの表情は冴えない。
美女の薄暗い薄幸の顔はタシロの欲情を誘うものだが、
今はまだその時ではないとタシロは滾りそうになる股間のものをグッと抑える。
「そうだろう?最後の食事だ…楽しむと良い」
「っ!」
タシロの言葉が暗に語るものにファラは一瞬目を大きくさせて言葉を失った。
「ぐ、軍法会議で…どのような判決が出ようとも私は受け入れ――」
正当な場で正当な判決を。
そうファラは言いたいが、喉と舌はこみ上げてくる恐怖で震えて上手く紡げない。
「会議?…そのようなもの必要ない。私が軍法会議だ」
「………っ」
俯いたファラの手は更に大きく震えてしまって、
中佐にまで昇り詰めた気の強い才女の怯えはもうとても隠せていない。
「ファラ中佐。君は漂流刑だ。
見届人は、そうだな……君と付き合いの長いゲトル少・佐・にやらせるよ。
少しでも見知った者の方が君も安心だろう?」
「しょ、少佐…?」
「そうだ。君の尻ぬぐいで、彼は頑張ってくれたからな。
君の後任となってこれから色々動いてもらう」
これが理不尽というやつか、とファラは怯える心を塗りつぶすような怒りが湧いてくるが、
それも一瞬の事ですぐに萎えて怒りの炎は頼りなく吹き消えた。
もはや何もかもどうでもいい。
そう諦観したいのに、しかし広大過ぎる宇宙に独り放り投げられる恐怖を思うと、
どうしても死の恐怖が自分を襲ってきた。
メッチェの元に行きたい。
だが、それにしても方法はこのように無慈悲な物でなくとも良い筈だ。
即死を与えるギロチンの刃は、
実はとても慈悲があるものなのだとギロチンの家系の彼女は熟知していた。
それをショーに使うガチ党が悪いのであって、
ギロチンの家系は慈悲の家系なのだ。
その理論が、ファラ・グリフォンの…血塗られた己の血筋を肯定するせめてもの救いだった。
コロニーの広場で民衆の見世物になっても良い。
最後はギロチンの刃で一瞬で死にたいという願いは、
眼前の男タシロ・ヴァゴによって容易く打ち砕かれた。
「ゲトル大・尉・は、条約違反をしジブラルタルを独断で占領しようとした男です!
あまり大権をお与えになるのは如何なものかと思います」
「………少佐だよ、ファラ。
それにおかしなことを言う。ジブラルタルの無断占拠は君の独断だよ。
君の責任なのだ…女王の弟を死なせたのも、欧州戦線で停滞を続けたのも、
永世中立の約定を違えて帝国の権威を失墜させたのも全て君のせいだ。
だからこその漂流刑なのだ。分かるかな?」
タシロは血のように紅いワインを片手で弄んで、そして唇を潤し微笑んだ。
その笑みは穏やかであったが欠片も優しさを感じない。
メッチェの優しい笑みをもう一度見たいとファラは思う。
「……分かり、ました…」
油断すれば目から涙が零れそうになってファラはまた俯く。
もうアイスの蕩けるような甘さも舌は感じてくれない。
ただその冷たさだけがはっきりとファラには感じられた。
――
―
儀仗兵が無機質な廊下に整列している。
30名程が礼服に身を包み実弾が抜かれた旧世代の飾り豊かなライフルを抱えていた。
宇宙服に身を包んだファラ・グリフォンが笑う膝を叱咤して歩を進めるが、
一歩一歩を意識しなければ千鳥足になってしまいそうであった。
2、3年ばかり副官を勤め上げ続けたゲトル・デプレ少佐が
複雑な表情で彼女の横を共に歩く。
宇宙の虚空に独り投げ出される漂流刑は、
宇宙世紀史上でも上位に位置するむごい刑といえた。
自分の吐息しか聞こえぬ静寂。
押し潰されそうな程に圧迫してくる無限の黒い暗黒景色。
徐々に衰弱していく自分。
飢餓。
窒息。
助けなど来ない。
広過ぎる宇宙で己は身一つで漂う。
運が良ければ、飢餓と窒息で死ぬ前に…
正気を失う前にデブリに直撃して瞬時に圧死できるかもしれない。
そういう想定外の事故だけが、
真綿で首を絞められるような忍び寄る死の恐怖から解き放ってくれる。
ファラの呼吸は荒い。
そんなファラの背へ、ゲトルは〝人道的な規定〟に基づいて
3日分の酸素ボンベと食料を背に括り付けてやる。
腰のパック内にはいざという時のナイフもある。
「…法により、腰には3日分の食料と酸素を付けました」
「……すまない」
ファラの声は泣きそうに震えていた。
「………」
ゲトルは何を言えばいいのかも分からないが、
何か声を掛けたかった。
だが、結局彼は元上司に何も言えやしなかった。
ファラが独り言のように呟いた。
「…ギロチンの家系が…ギロチンに掛けられてはお笑いだものな…。
ふ、ふふ……ゲトル…わ、私は………私は、こんなにも悪い上司だったろうか」
「それは…」
はっきり言って良い上司だったとゲトルは思う。
だが、彼自身の出世と、そして女に顎でこき使われるという事が男のプライドを刺激して、
ゲトルはファラ・グリフォンを毛嫌いしていた。
褒めたくもあるが、先のジブラルタル戦ではタシロの口添えがあったとはいえ
大暴れして彼女の経歴を傷つけ追い詰めた主犯格の1人なのは揺るがない。
「…」
「いや、忘れてくれ。…そうだ、これで、良いんだ。
お前の武運を祈ってやる気にはなれん……だが、お前は…こうならぬよう、気を付けろ」
「ファラ中佐…」
結局、ゲトル・デプレが彼女に送った言葉は終始形式張ったものだけである。
ミサイルの射出口に覚束ない手足でよじ登り、細く長い筒にファラは閉じ込められる。
重々しいハッチが閉じられて厳重に鍵を掛けられれば、
もう暗い筒から見えるのはずっと向こうの宇宙の暗黒だけだ。
「ファラ・グリフォン中佐に…礼!」
ゲトルの合図で儀仗兵の空のライフルがカチリと鳴り響けば、
射出口が高圧ガスでサイロ内のファラを虚空に向かって打ち出す。
そこでようやくファラ・グリフォンは
思いの丈の全てを叫んで世の理不尽を吐き出す事ができる。
「ッ!…く、う…クソおおォォォォォッッ!!!」
ファラ・グリフォンの孤独な叫びは、宇宙の真空に木霊することもなく虚しく消えていった。
――
―
「宜しかったのですか?確実に回収できるとは限りませんが」
ファラのいなくなったディナールームで、
タシロ・ヴァゴは今度は違う者をファラが座っていた席に座らせてアルコールを嗜む。
極上の香りを漂わせるウィスキーの友はやはり極上の生のサラミやハム。
趣味が良いと言えるが、戦時の前線司令の食事としてはやや豪奢に過ぎた。
タシロは問うてきた男を見る。
会談相手はスーツ姿でいかにもインテリ風の壮年の男性であった。
「問題無い。あれのノーマルスーツにもバックパックにも発信機は仕込んであるからな」
「しかしいくら素養があるからと、ああまでして中佐を手駒にしようとは大佐も恐ろしい方だ」
「サイコ研の君が太鼓判を押すものだからな。
それにファラは美しくもある。
が…少々彼女は頑固でなぁ…正攻法では私に靡いてくれなかったのだよ。
けれどレジスタンスが良いように動いてくれた。
邪魔な若い燕メッチェも獣が始末してくれて感謝せねばならんぐらいだ」
タシロは片手でグラスを傾けて琥珀色の液の芳醇を鼻いっぱいに吸い込んで悦に入り、
そしてインテリは微笑んだ。
「確かにファラ・グリフォンは美しい。
脳波グラフの波形も実に整っています。
あと一歩…あと一歩で、彼女はニュータイプとして天然物になり得たと私は思うのですよ」
「切っ掛けは作ってやったよ。君の助言通りにね」
「はい。宇宙の広さと深みを知り、触れることがニュータイプの拡大に繋がる可能性がある。
きっとファラ・グリフォンは良いニュータイプになります」
「博士には期待している。スーパーサイコ研究所への支援は惜しまんよ。
後々、私があの老人を追い落とした後には君にも所長の席が待っている」
インテリの男は、いっそ爽やかに見える笑みを浮かべてグラスを掲げ、
タシロもそれに合わせて互いに目を弧にするのだ。
「乾杯」
阿漕あこぎな真似をする者はいつの世にもどこにでもいて、
こうして上手い酒を飲んでいるものらしかった。
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