ヤザン・リガミリティア
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女王と野獣
空襲は一瞬で、襲ってきたのはやはりリガ・ミリティアだったがあっという間に首都防衛隊に蹴散らされた……放送でそう喧伝している。
そういう事だから、あの空襲警報から少し経った今では警報は解除されて、一般市民達は平穏を脅かすリガ・ミリティアへの悪態をつきつつ街を闊歩していた。
そんな民衆の中に、ジャンク屋一家も混じっている。
「伯爵達はいいタイミングだったな」
殴られ跡の治療をスージィから受けつつ、ヤザンはウッソ達と笑い合う。
オデロはエリシャから頬の治療をされていたが、腫れ具合は明らかにオデロの方がでかい。
「いちちっ、いたッ、ちょっとエリシャもうちょい優しくやってくれって!」
「男でしょ!我慢しなさいよ!」
「隊長も、もうちょい手加減してくれていいでしょ!まったくあんな殴らなくたってさ!」
ニヤッとヤザンは口の端を持ち上げた。
「お前だって俺を殴れてスッキリしただろうが。それに、あんだけよくも好き勝手言ってくれたなァ?」
「え、えぇ!?あれは…え、演技に決まってるでしょ!」
あの騒動の中で、オデロは「じこちゅー男」とか「短気野郎」とか「悪人面」とか言いつつ、父・ゲゼとの喧嘩を演・じ・て・いたわけだが、半分以上は普段言えなかった言いたいことをぶち撒けたのではないか…という疑惑が一瞬で仲間内で持ち上がっていた。
指摘されてオデロも引きつって笑って誤魔化す。
暫し睨んでいたヤザンだが、彼もすぐに再び笑って、オデロの額を小突きながら口を開く。
「まぁいい演技はしてたぜ。生意気なガキを演らせりャ、お前の右に出る奴はおらんな!」
「でしょう!」
鼻っ柱を自慢気に掻きつつ、胸を張るオデロ。
そんなオデロを、どこか羨ましそうに眺めるのは他の少年達で、ウッソもその一人だった。
ウッソは、オデロ達と違って親を失ってはいないが、関係が希薄だったという点では彼らよりも愛情に飢えているし、大人からの承認欲求も内心ではある。殆どの大人が尊敬できないから、心底では実は大人を見下している面もあるのだが、尊敬し、敬愛できる大人ならばウッソは寧ろ〝甘えん坊〟な一面が出てくる時がある。
そんなウッソにとって、ヤザンは言うまでもなく、両親を除いて最も甘えたい大人だった。
ヤザンに認められ、共に戦場を駆けるヤザン隊の名誉まで貰っているのは、ウッソにとって大きな心理的アドバンテージだ。
「それにしても、援護ってのは空襲あれの事だったんですね」
だから、こうやってヤザンの気をこちらに向けてくるのも、少年の可愛らしい悋気なのかもしれない。
「あぁ。シャッコーなら、ドライブの加速で、ちまちました強襲なら安全に出来る」
「シャッコー…じゃあさっきのはカテジナさんが?」
「そういうことだ」
めきめきとパイロットの才能を伸ばすカテジナは、今ではシュラク隊の面々をも超え始めているから、今回の大役に抜擢されたのもカテジナだった。
ミノフスキードライブ搭載機の超高速は、正直に言えばシュラク隊メンバーでは持て余すだろう。先の空襲の迅速さは、間違いなく並のエースを超えた光るものを予感させる。
長年、シュラク隊らの教官を務めたヤザンとしては、ぽっと出の少女に生徒が軒並み抜かされて少々悔しくもあるが、それだけカテジナの才能が突出している証拠だったし、その才能を見出したのもある意味でヤザンだ。
なかなか複雑な思いがそこにはあったが、「さて…」と切り替えて、ヤザンは皆を路地裏に招き入れてから、これからを伝えなければならなかった。
市民に紛れ込む事は成功したが、ここは敵地だ。油断などできない。
「伯爵の予想では、シャクティがいる場所は二通り考えられるそうだ…。宮殿もあり得るが、公的には女王は独り身で当然子供もいない。だからいきなり宮殿には招かず、まずはどこかで匿って、それから顔合わせだのをしてから…機を見て姫という事を周知していく可能性だ。…まぁ、こちらが妥当な線だな。ウッソ、お前の勘ではどうだ」
話を振られ、ウッソの顔が少し曇る。
というのも、このニュータイプの感覚という奴を利用されて、ファラ・グリフォンに一杯食わされたとウッソは思っているからだ。
実際には、伯爵やヤザン達の、大人達の駆け引き読み合いの末の事だったが、ウッソは自分がもっと優れたニュータイプだったら、まんまと誘い込まれる事など無かったと思ってしまう。
(たとえば…僕より優れているシャクティなら…きっと分かることが出来たのではなかろうか)
そう思うから、ヤザンにニュータイプ的な感覚を告げるのは躊躇われた。
言い淀んだウッソを見て、そんな感情を、ニュータイプとは真逆の感性でヤザンは見抜く。
「ビビるな。術スキルってのは何度も失敗して磨けばいいと、前も言わなかったか?こっちもあ・た・り・は付けているんだ。お前のスペシャルな勘に全部を頼ってるわけじゃない。気張らず言ってみろ」
「……は、はい。…あの、あっちの方角…あの建物の方に、シャクティの気配のような、そういうのを感じます」
「ほお…なるほど。宮殿ではなく、あの安アパート街の一角…つまりは後者の可能性か、やはりな。…お前がそう感じれたなら、今頃はシャクティもこっちに気づいているかもしれん。お前の言葉を借りれば、〝シャクティはウッソより、そういう感覚に優れている〟……そうだな?」
「はい」
フッ、とヤザンは薄く笑った。
「意外と近い。運が向いているようだなァ…!」
時間をそうは置かずの、二段構えの空襲がもうじきある。
度々アメリアで騒乱を起こすことで、ヤザン達の動きをアシストするという狙いだが、それを繰り返せば当然だがザンスカールも対応に本腰を入れるし、首都をカトンボに飛び回られるのは帝国の威信に関わる。怒りも凄まじい事になるだろう。
危険度が大きいからこそ、ドライブ搭載機であるシャッコーを、手足のように動かし始めているカテジナが自陣営にいるからこそ出来た強襲作戦だった。
だが、それもニ度目までが限界というのは、事前のブリーフィングで伯爵と決めた事だ。
ズガン艦隊が、マケドニア連合艦隊の追撃を取りやめて戻ってくる時間や、本国に帰還済みと思われるモドラッド艦隊の再出撃も考慮すれば、二度目の空襲がチャンスと同時にタイムリミットでもある。
「様子を見たい…早速行くぞ。…お前ら、適当に雑談しながら付いてこい。その方が怪しまれんからな」
言うと、一行はぞろぞろと、そしてだらだらと歩き出して、そしてリクエスト通りに振る舞って見せるのは流石だった。
「あ~~お腹すいたァ!ねぇー、お兄ちゃん~、今日の夕飯はさ、ビーフシチューにしようよ」
「ばっかだな、お前。オヤジがそんなもん食わせてくんねーよ。どうせ今日も固いパンだぜ。なァ、カレル」
「だよね~…父さんったら、稼いだって全部酒に使っちゃうんだから」
「だから新しい母さんにも逃げれちゃうのよ。ほんとダメ親父っ!」
トマーシュの弟のカレルや、マルチナまでが素晴らしい演技で、父への嫌悪感という奴を丸出しで言って見せて、ヤザンを感心させたが同時に「勘弁してくれ」とも思う。
(こいつら…また調子に乗りやがって)
リクエスト通りだが、大声の雑談を通りすがりに聞く通行人達からの、自分ヤザンを見る目が少々厳しい。
「うるせーぞ!ガキども!あんまギャンギャン喚くと、飯抜きだからなァ!」
「わぁ~~っ!とーちゃんが怒った!ごめんさなぃ~!」
しかしヤザンも悪ノリしつつ、スージィが大袈裟に喚いてエリシャの陰に隠れる。そうやって細い裏通りを練り歩き、そして子供達を睨み、怒鳴りつけつつ素早く周囲の様子を見て取った。
(黒服の男が二人…女が一人…。向かいの二階、窓際にも黒服)
この寂れた裏通りには場違いなスーツ姿の者が複数名。
ヤザンの鋭い目と視線がかち合っても、黒服の方が目線をそらすのは、子供に怒鳴り散らすようなゴロツキな中年男性との無用なトラブルを避けたいからだろう。
ビンゴだ。
そう思い、安アパートの前を通り過ぎていく、その最後。視線の端に車が映った。
やたら高そうな黒塗りの高級車両で、リムジン型のエレカ。
こんな下町の裏通りにあるのがおかしいくらいの代物で、ヤザンの思考に一つの予感が走った。
「アメリアの下町に…こいつは厄介なタイミングかもしれん。……女王がここに来ているかもしれんぞ……俺は裏に回ってみる。お前らはここで玄関を見張れ」
ヤザンが、ウッソに聞こえる程度の小声で言うと、ウッソの目が僅かに見開かれる。
もしも女王マリアが丁度面会に来ているとすれば、このタイミングでのシャクティ奪還は少々困難だろう。
「おい、おめーら!」
ヤザンが、黒服達に見せびらかすようにして子供達に怒鳴った。
「父ちゃんはな!ちぃっとばかし酒買ってくるからよォ!ここで待ってろ!いいかぁ!悪い大人に気ィつけて待ってろよ!ふらふらとどっか行くんじゃねぇぞ!てめぇらは大事な働き手なんだからよ!」
「悪い大人ってのはオヤジだろ!また酒かよ!クソ親父!俺のことなんて金稼ぐ道具程度にしか見てねぇんだろう、どうせ!オマケに、下の子の世話全部押し付けやがってさ!」
「ガキは黙って親の言う事聞いてろってんだ!クソ息子!」
オデロとのやり取りも大分スムーズで、そして迫真の喧嘩だろう。
チラリと見てきていた黒服達も、まるで溜息でもつきそうなしかめっ面で、飲んだくれのダメ親父ことヤザンを一瞬見た。
ヤザンは、演技もあるだろうが未だに骨折の治りきらない片足で不自由さを存分に発揮し、ふらふらと千鳥足で歩く。そして残された子供達は、安アパート前の玄関前の階段に座り込み、あるいは細い道で犬のフランダースやハロと堂々と戯れだすのだった。
それを黒服達は、ただ当たり前の光景として受け取っているようだったが、そのうちの一人が
「あ~…君達。身分確認させてくれ…市民IDの提出を頼む。…………サイド1からのジャンク屋、ね。うん…入国許可証を確認した。……居てもいいが、スマンが、そこに座り込むのはやめてくれないか。となりの階段にしてくれ………大変だな」
事情は全部見ていたので、そうやってやんわりと移動させた。
だが、そこで終わりだった。
それ以上は見咎める事もなく、安アパート近くで戯れる子供達を目溢した。
(シャクティ…君を近くに感じるよ…。でも、ここには君のお母さんがいるんだね、シャクティ…。君がここに残りたいと言うなら、僕は…)
安アパートを見る目に、思わず力が入る。
スージィが、ウッソの視線を遮るようにして身をねじ込んで、そしてウッソの顔を両手で包んだ。
「ちょっとちょっとウッソ…ダメだよ。それじゃあバレちゃうかもだよ…!もっと楽ぅーな顔して」
「あ、う、うん…そうだね。ごめん」
ウッソの頬をむにむにと摘んで、スージィがにこりと笑いかけると、ウッソもつられて笑顔になる。こういう事は、この爛漫な少女にしかできない芸当だった。
隊長から待てと言われたのだ。ならば待つのが、兵士となった己の使命だと、ウッソの歳不相応な信念が宿る瞳は強く光っていた。
さてこれから事態をどう動かすかと、ウッソも子供達も、ヤザンの動きに細心の注意を払おうとしたその時だった。
事態というのはこちらの都合お構いなく、どんどんと二転三転するものらしい。
玄関の扉を開け放って、目当ての少女が飛び出てきたのだ。
「っ!!シャ、シャクティ!!!?」
「…!ウッソ!ウッソ!!」
少女はスカートを翻して、一目散にパートナーたる少年の胸へ飛び込んだ。
驚いたのは、ウッソやオデロ達だけではない。
表を警護していた黒服達もだ。
「ひ、姫様!!?なぜその子供達と!!お前ら、何者だ!!」
そこら中から、身辺警護の黒服達が湧くように駆け寄ってきて、それだけの警備が敷かれていた事にウォレンなどは面食らっていた。
「う、うわわ!いっぱい出てきた!」
「黒いのが隙間からうじゃうじゃと!ゴキブリかってーの!!」
あっという間に囲まれて、そしてシャクティを皆で守るように囲む。その子供達を、さらに黒服達が囲んで、そこに二重の人の輪が出来上がる。
「お前達、何者だ!姫様と面識のある子供達が、こうも都合よくここで集まっているなんて不自然が過ぎるぞ!」
黒服の一人が銃を構えながら言うと、トマーシュが些かも怯むことなく口答えをしてみせた。
「さっき入国許可証を見せましたよ!そちらの人に!」
話を振られた黒服は、やや慌てたように仲間の黒服達を見て何度もうなずく。
「あ、あぁ確かに確認した。普通の入国許可証だったが」
「…もう一度見せなさい!いいか、おかしなマネはするなよ…!それと、そちらの少女をこちらに渡してもらおう。そうすれば悪いようにはしない。…本当にただの偶然というせんも、まぁ無いではないからな」
わかりましたよ、と不貞腐れながらオデロとトマーシュが互いのポケットを確認したりを繰り返し、しきりに無い無いとジェスチャーをしているのは、これは明らかな時間稼ぎだ。
「あれぇ~!?さっきはあったのに!ねぇあんたも見ましたよね!?入国許可証!」
「何をしている…!早くしなさい!本当にしょっぴくぞ!」
「えぇい、もういい!全員逮捕し、姫様を確保しろ!」
待ちかねた黒服が、とうとうウッソ達へ実力行使を試みようとした瞬間、
「ち…!シャクティがこうも向こう見ずに動くとはな!忘れてたぜ…意外と強情で突拍子もない奴ってことを!だが、まぁこいつをかっぱらってくる時間はあったからな!」
路地裏からヤザンが舞い戻った。
が、己の身一つではない。がっしゃがっしゃとけたたましい足音を響かせて、作業用ウォーカーマシン・通称〝プチモビ〟に跨ってやってきたのだ。しかも口にはチキンなど咥えて。
「あはははっ!父ちゃん、どこからかっぱらって来たんだァ!?」
ふざけて演技を続行しつつ、オデロが驚きつつ笑って、仮初めの父を歓迎する。
「プチモビだ!こ、こいつら、抵抗しようというのか!」
「やはりただの偶然ではない…!拘束しろ!!」
「う、うわーーー!?」
黒服は咄嗟に銃を抜いたが、プチモビが手に持つパイプにぶん殴られて、その銃弾は明後日の方向に飛んでいく。銃撃音だけが裏路地に響いた。
「く、くそ…所詮ただの作業用だ!落ち着いて対処し――どっわぁぁ~!!?」
「くはははは!プチモビ風情でも、使い方次第では人だって殺せるんだ!どけどけェ!」
鈍重な民間作業用とは思えぬ、素早くも精密な動き。
黒服をいっぺんに三人も持ち上げて、路地裏の寂れた商店にぶん投げれば、いかつい男達は薄汚れたショッピングのガラス壁に盛大に突っ込んでいく。
咥えていたチキンをとうとう食い終えながらの〝ながら運転〟で黒服達をちぎっては投げちぎっては投げの、圧倒的な強さを見せつけていた。
「まずいな…マクダニエルのバーガーの方がマシだったぜ」
グルメ評までしつつ、プチモビのミニバーニアで背後の黒服の尻を焼き払って、「あちゃちゃちゃっ!!」と狼狽える黒服を消火栓へと蹴り飛ばす。
「すっげー!やっぱあの人、何乗っても強ぇな~~!」
「プチモビって、あそこまで戦えるんだ…!」
「やっちゃえ、おっちゃーーん!」
オデロ達も思わず拍手喝采したくなる程の強さだ。
ヤザンが乗ると、ただの工事現場のプチモビ程度でもあれ程心強く思える。
黒服達も、暴れまくるプチモビに辟易し、これにはたまらんとお手上げ状態だ。
「な、なんだコイツ!!本当にただの作業用か!?こんな動きするプチモビは見たことがないぞ!」
「ただのチンピラじゃない…!まともに相手にするな!操縦者を殺せ!」
「子供を生かして捕まえるんだ!情報は子供に吐かせりゃいい!」
それを皮切りに、次々にヤザンそのもの目掛けて発砲を繰り返すが、プチモビは関節を軋ませながらも小さなバーニアで複雑なダンスを踊るかのような軌道を描いて、銃弾はパイロットにまるで当たらない。
「とろいんだよ!その程度の狙いじゃ―――んん!?…く、くそ!こいつは…ガス欠か!!」
燃料切れだ。
警告灯が忙しく点滅し、メーターはすっからかんとなっていた。
ウッソらを残してきた方で喧騒が聞こえたヤザンは、昼飯時で人気のなかった近場の工事現場に忍び込んだはいいものの、燃料メーターの確認までする余裕は無く、兎に角急いで物色を開始した。
小腹が減っていたので、現場作業員が戻ってきて食べるつもりであったのだろうチキンを掻っ払いつつ、操縦桿のロックがかけられていないプチモビを探し、急いで操縦桿近くの装甲板を引っ剥がし、配線直結でエンジンを動かして……そしてウッソ達の所へ舞い戻ったのだ。
そういうわけで、止まってしまったプチモビの操縦席に銃弾がしこたま撃ち込まれてしまったが、ヤザンはもちろん直ぐ様飛び退いて、黒服目掛けて逆に襲いかかる程度には獰猛な狂犬だった。
「ハハハハッ!久しぶりにこういうのも悪くないな!!」
本当にまだ片足が折れていてくっついておらず、背中やら腕やらにも結構な火傷がまだあって…治療中の怪我人なのか?とウッソですら疑問に思えてくる動きだ。喧嘩に慣れきっている。
良いタイミングのギブスキックで、黒服を複数人巻き込んで転倒させて、その隙を見逃さずカミオンの少年少女は、銃を使わせまいと黒服達にそれぞれが殴ったり石を投げたり蹴ったりだ。
すっかり乱闘騒ぎになってしまい、それでも子供達の大人顔負けの喧嘩殺法と、ヤザンの手練れじみたストリートファイト戦法は、プチモビ戦で疲弊した黒服を圧倒しそうではあった。
だが…。
「ここだ!あのガキ共だな!?全員動くな!拘束する!!」
「まずい!!警備隊の増援だ!!」
トマーシュが叫んだ。
黒服達が増援を呼んでいた、或いは銃撃音を聞きつけたか。
駆けつけた首都警備隊が、警備エレカに乗りながら小銃を構えて駆け寄ってくる。
それも一台ではない。ニ台、三台と続けてだ。
「動くな!撃つぞ!!」
警告が聞こえたが、ヤザンと子供達は構わず走り去ろうとしたが、走るマルチナの脚を、倒れていた黒服が掴めば、マルチナは「きゃあ!?」と派手に転ばされる。
「マルチナさん!?」
ウォレンが駆け寄ろうとし、
「構わん、撃て!!」
倒れた子供に銃を構える警備隊。
そこに、今更ながら、女王マリアが悠長に扉を開けて、乱闘現場の迫力に鼻白いでいるのを見たヤザンが、落ちていた黒服の銃を引っ掴むと、転がるようにしてマリアへ寄ると、そのままマリアを羽交い締めにし、まさに獣のような怒声で吠えた。
「全員動くな!!!」
瞬間、皆の手が止まる。
プチモビや、乱闘騒ぎで見せた、彼自身楽しんでいると分かるような、どこか小ざっぱりとしたコミカルな剽軽さは完全に消え失せていた。
ヤザンは、殺気放つ凶相でマリアの頭に銃を突きつけ、そして捻り抑えたマリアの腕を更に捻ってやって、女の口から苦悶の喘ぎを漏らさせる。
「この女の顔に見覚えがあるだろう!警備共!!」
場の空気が一瞬で変わり、そしてヤザンに抑えつけられる女性の顔を見た警備隊は、やがてその顔色を蒼白にしていく。
「あ、あれは…まさか、女王陛下!?」
「そんな…なんで、こんな場所に、女王陛下が!」
「に、似ているだけじゃないのか…!?」
「いや、あ、あの顔…見間違えるはずがない!俺は恩寵の儀で、最前列で陛下の顔、見たことあるんだぜ!間違いなく陛下だよ!」
マリアを捕らえたままに、じりじりと後退していくヤザンは、その足で子供達に合流して、そして皆でゆっくりと退がっていく。
ウォレンも、マルチナに肩を貸しながらすぐさま退くが、シャクティは思わずヤザンへと震えた声で言った。
「あ、あの…ヤザンさん、その人は――」
「分かっている…お前の母親だってンだろ。殺しはせん。だが…おい、マリア…娘のためだ。少々我慢してもらうぜ」
「は、放しなさい…!女王と知ってて、こんな狼藉をするなんて…!」
「あいにく女王陛下に対する礼儀なんて、スクールで教えて貰ったことはないものでな。それに、女王だなんだと言ってるが、俺にとっちゃただの女と変わらん…くくく、雌の匂いが濃いぜ、お前さん」
「なっ!?」
マリアの頬に朱が差して、妙な気恥ずかしさが込み上げてそれきり口を噤む。
その間も、ヤザン一行は少しずつ警備隊との距離を空けていく。
「よォし…いい子だ。貴様ら銃を下ろして隅に投げるんだ…次は床に腹ばいになれ!さっさとせんと、女王陛下のキレイな顔がふきとぶぞ!!」
忌々しそうに警備隊が憤るが、それでも彼らはヤザンの剣幕を見ると「本当にやりかねない」と、そこに狂気を見て取れてしまって、全員が為す術もなく言う通りとなった。
だが、ここを切り抜けても、このままいつまでも同じ手段で港まで行けるとは、ウッソ達には到底思えなかった。
「…どうするんです、ヤザンさん!」
「ウッソ、今何時だ」
「え?な、なんです、こんな時に」
「いいから、今は何時だ!」
「標準時間でなら、もうすぐ昼の1時ですけど…!」
「…もうじき、二度目の空襲がある。その時がチャンスだ。そうしたらとにかく港に向かって走るぞ、いいな!」
「わかりましたけど、でも…シャクティ…!君は、君はどうするの?本当のお母さんに、やっと会えたんだろ?ここに残ってもいいんだ」
ヤザンが警備隊を威圧する傍らで、ウッソは幼馴染の少女の手をしっかり握りながら、目を見つめて言う。
あれ程焦がれたシャクティだが、いざ実母と邂逅したシャクティを見れば、その表情と雰囲気からは満更でもないのだという感情は察せられた。
ウッソという少年はそれぐらいの洞察力はある。
月で、母のミューラと再開した時は、自分も幸福と充足で心が潤ったが、血を分け合った家族というのは、やはりそれだけ特別なのだと思い知れたのだ。
「ウッソ…」
「月でさ…母さんと会えた時に、やっぱりお母さんって、特別なんだって思ったんだ。本当のお母さんの元にいるのが、やっぱり子供にとっては自然な事だって思う」
ここには実の両親を失ったオデロもウォレンもスージィもいるが、それは承知でそう説得した。
寧ろ、友人達のそういう悲劇を知っているからこそ、まだ親のいる者はそれを大切にすべきとウッソは思うし、そしてオデロもスージィも、力強い瞳でしっかりと頷いていた。
「そうだぜシャクティ。母さんは大切にしなきゃ」
「そうだよ。生きていれば、私達とはまたきっと会えるから。だから、ここに残ったっていいんだよ?」
そんな暖かな言葉を交わす子供らを、ヤザンはマリアに銃をごりごり擦りつけながら溜息など吐いてチラリと眺める。
(…まったくウッソの奴、情に流されやがって…!誰よりもシャクティを欲しがっているのは貴様だろうが。こちとら、シャクティを奪還するためにこんな苦労をしてんだがな…!ここでシャクティが残ると言った所で、俺はそんな青臭い友情物語に手は貸せんぞ…―――いや、そうとも限らん。そうさ…!俺としては、究極的に言えばザンスカールが勝とうがリガ・ミリティアが勝とうがどちらでも構わんのさ。シャクティをここに残せば、ザンスカールが勢いづいて、戦争が世界中で続くなら、そいつは俺にとってご機嫌なんだ。ふん…こんな小娘、どうとでもしろってんだ)
ヤザンはそんな言い訳じみた事を思っていたが、しかし人質をやらされているマリアは違う。
子供らの、真心籠もる会話を耳にし、そしてシャクティが心底安堵しているのを見て、この子達はシャクティの大切な人で、そしてきっとこの野卑な野蛮人もシャクティを守ってきた大人なのだと知れた。
(…特に、あのウッソという子。シャクティ…あなたにとって、とても大切な人というのはその子なのね。でも――)
――だがこの男は、娘と一緒にいるのに本当に相応しい男なのだろうか。
いきなり銃を突きつけられ、女性の尊厳を無視するような無礼な事を言われ、今も人質にされて、それでもマリア・ピァ・アーモニアという人は慈愛の人だった。それに、今こうして自分を人質にとっているのも、この子供達の為なのだろうとは予想できる。
だからヤザンに対する怒り等の負のイメージは小さなもので、大きな感情はただ娘の心配であった。
後はというと、怒り以上に小さな所に、ヤザンの横暴さを〝男らしさ〟と感じる心で、それはヤザンの人外の嗅覚が指摘した通りに、どこまでも己に染み付く雌の本能でもあった。
マリアは、若い頃からの苦労人だった。
今の時代では珍しくもないが、マリアとクロノクルも孤児であり、実の姉弟と分かっていて、二人手を携えて人身売買にも会わずに生きていけただけ運が良かった。
そんなだから、マリアは学業に励むこともできず、サイド1のアルバニアで、付け焼き刃の占い師をして何とか食っていたが、それでも困窮した時は、幸いにして美しかったマリアは時折、体を売っていた。
弟のクロノクルだけでも、せめて真っ当な人生を送らせてやりたくて、学費を工面する為に売春も増えてしまい、しかも売春相手と肌を重ねるうちに性愛に流されて、それを本当の男女の愛と信じて男に尽くしてしまう情の深い女でもあったから、ろくでもない男に引っかかっては捨てられてマリアは常に男に泣かされてきた。そんな金で大学などに行きたくないと、クロノクルは〝姉の心弟知らず〟と言わんばかりに反発し、ストリートギャングとつるんで薬物の売買にまで手を出す始末。
そんな生活を続けていれば妊娠するのは当然で、そしてその頃からマリアは不思議な力に目覚めたのだ。
それは、癒やしヒーリングの力。
占いも、今までの確率論と話術で行うものから一変し、本当に相手の心や少し先の未来を読んだかのように的中させた。
そのうちに、癒やしと占いを信奉する者が増えて、お布施のような物まで集まりだして、裕福とまではいかなかったが、赤ん坊のシャクティと、汚い世界から足を洗い仕事を手伝うようになってくれたクロノクルとで、慎ましくも暖かな三人家族だった。
思えばその頃が一番幸せだったのかもしれないが、全てはフォンセ・カガチと出会った事で変わってしまった。
マリアの噂を聞きつけたカガチは、その力と慈愛のカリスマを、己の政党の躍進の足がかりとした。
シャクティを手放したのも、カガチの魔手から逃すためだし、優しくも弱い心を持っていてとても戦う人ではなかった弟のクロノクルが、軍人などを志したのも、老獪なカガチに対抗する力を蓄えるためであるし、マリア一家は裕福になるのと引き換えに、暖かでささやかな幸せというものを失っていた。
それでも、マリアが女王としてギロチンのガチ党と組んでいるのは、カガチの政治力があれば己の癒やしを世界に広げて、騒乱続きの地球圏を平和に出来ると信じているからだ。自分のような肌を売って泣く貧乏で不幸な者がいなくなる世の中にできると信じているからだ。
〝愛と慈悲が世界を救う〟と本気で信じているのがマリアであり、人は善性の生き物であるとも確信する慈愛の女王でありながら、娼婦としての経験により雌としてこれ以上ない程に熟れながら男運に恵まれない女…それがマリア・ピァ・アーモニアだった。
「私に銃を突きつける貴方」
マリアが毅然として背後の男、ヤザンへ言う。
「貴方は…こうまで闘争の炎を漲らせて何を望むのです。こんなやり方では、子供達を守れはしません。むしろ危険に晒してしまう。怒りと戦いの心は、憎しみを呼び寄せて血を流させる…こんな事はおやめなさい」
「なんだァ?貴様…状況が分かっているのか?この俺に、ここで説教垂れようってンなら、一昨日来いってなとこだぜ」
「頑なにならず、受け入れる心を持つことです。そうしなければ、他者と心を通わせ理解し合う事などできません」
「くくくくっ、理解し合うだと?クハハハハハッ!こいつはいい!おめでたい脳みそしてやがるな、アンタ。なるほど納得だ…こんなイカれた教団の女王に祭り上げられてる哀れな女だと思っていたが、貴様自身、祭り上げられるだけの理由があったようだな…!」
片目を引き攣らせて、銃をわざとマリアへ押し付けるヤザンに、ウッソとシャクティやオデロ達も、思わず言葉を失ってハラハラと見守っていたが、それは周囲の警備隊も近衛の黒服達も同じだった。
ウッソ達でさえ、凶悪な犯罪者が、可憐な女王を凶弾で弑しようとしているとしか見えないのだから、ザンスカール兵達から見れば、もはや一刻の猶予もない切迫した状況というわけだ。
「教えといてやるよ、マリア。世の中にはな、愛だの何だのを求めていない奴も一定数存在しているのさ。この俺のようにな」
「それは貴方が愛を知らぬからです」
「ほぉ?なら貴様が教えてくれるとでも言うのか?」
「もちろんです。私の言葉に耳を傾けていただければ――」
「そういう時は相手の流儀に合わせるものだぜ。俺は言葉など信じん。体で示して貰おうか」
「っ!」
わざと耳元に密着するかのよう囁き、そしてマリアの脇腹から指を這い上がらせ、乳房の輪郭をなぞって頂きへと指先を滑らせていく。
それだけでマリアの背がしなって、言葉を止められた。
「クックックッ…どうしたマリア?女王様ともあろう女が、たったこれだけの愛で腰砕けか?」
「は、破廉恥な…!こんなのは、あ、愛ではありません…!」
「こういう愛もあるって事だろう」
娼婦として性に熟れておきながら、シャクティを生んで以来、そういう事とはとんとご無沙汰だったマリアであったが、忘れ去りたかったイ・ヤ・な熱が女の器官に生まれたのを本能で分かる。
「ちょ、ちょっとヤザンさん!?」
ようやく実母かもしれないと理解できてきたシャクティが、母を口説くような行為を咎めるように慌てて、そしてウッソやオデロなどは(また女をからかう悪い癖だ)と表情をコミカルに歪ませた。
ヤザンは、カテジナの時もそうだったが、性格の激しさ云々よりも、融通の利かない生真面目な人間程からかいたがる性質たちがあるのは、既にリガ・ミリティアの人間なら誰もが知る。
「ヤザンさん…そんな事してると、いつかカテジナさんに刺されますからね」
ウッソが言ったが、この少年が言うと妙な説得力と迫力があるのは不思議だ。
「ヤザン隊長~、今そういう冗談はちょっとヤバいですって!見てくださいよ連中のあの顔!捕まったら絶対殺される…!」
オデロまで口を抑えて顔を真っ青にする程、ヤザン達の動きに合わせて一緒に動く遠巻き連中の怒りが伝わってくる。
だがヤザンは、こういう場面でも強気は崩さない。
「ハッ!ビビるな!戦場ではビビったやつから死ぬぞ!」
「ここは戦場…なのかなぁ?」
スージィがどこか呑気な疑問を呈する。
なんだかんだと子供達もある程度の余裕があるのは、やはりヤザン・ゲーブルという男が味方としてこの場にいるからなのだろう。
殺気渦巻く怒りの現場だが、マリアには相変わらず銃が密着していて、場は膠着状態を続けた。
(ちぃ…まだか!?いい加減時間稼ぎも限界だぞ…!!伯爵め、何かトラブったってのか!?)
すでに計画の第二段階開始時間のはずだったが、二度目の空襲はまだ起きない。さすがにヤザンの頬にも、隠せぬ焦燥の汗が一筋流れた。
そして最悪なことに、人質になっているのが女王だなどと知らぬ一台の警備エレカが通りの角から一気に走り寄ってきて、仲間が手こずっているという認識だけで一人が発砲した瞬間、場は動いてしまった。
――ダダダッ、ダーンッ
小銃から数発の弾丸が吐き出され、ヤザンの表情が少々歪むと共に「ぐっ!?」という苦悶が漏れ聞こえた。
「バカ!よせ、女王陛下がいるんだぞ!!」
「え!?へ、陛下が!?う、撃ち方やめーー!」
応援の警備達は慌てて射撃を止めたが、既に引き金は引かれた。
だが弾丸は、マリアにもシャクティにも、ウッソ達にも当たることはなかったのは、彼らには幸いだったろう。
ヤザンが、瞬間的に彼女らに覆いかぶさって、マリアも子供達も押しつぶす格好で這いつくばらせたからだった。
だがヤザンは巨漢でもなんでもない。
カバー出来ぬ範囲は、ウッソやオデロやトマーシュが、年下連中達を庇っていたのは見事な男の仕事をしたと言えた。
「あ、貴方は…私を盾にするのではなかったのですか!?なぜ…私を庇うのです」
驚いたのはマリアだ。
あれだけ野蛮に脅しをかけ続けて、自分にセクシャルハラスメントまで働いた無礼千万な男が、自分を守ってくれていた。
もっとも、ヤザンとしては人質というのは生きていてくれなければ意味がないから、本当の射撃があった時はこうして庇うのは予定調和に過ぎないし、いくら何でもシャクティの実母を、娘の眼の前で盾に使って死なすのは少々目覚めが悪い。それだけだった。
「…!血が…!」
組み伏せられる拍子にヤザンの背に回ったマリアの手が、べとりとした生暖かい液体で濡れて、さすがに闘争に疎いマリアでもそれが血である事はすぐに理解した。
マリアの心と肉体の奥が熱くなったのは、男が自分を庇ったからというだけではない。
最大の理由はもっとも単純で、そして浅ましい。
逞しい雄が、女の自分を押し倒した。それに尽きた。
マリアの鼓動が、まるで初めて男に抱かれた時のように高鳴ってしまう。
すぐ間近に、ハンサムとは決して言えぬが、どこまでも男らしく鋭いケダモノのようなヤザンの顔がある。
マリアは、野獣のように光る雄の眼光に吸い寄せられて、目が放せなくなっていた。
「あ、貴方の、名は―――」
思わず聞こうとしたその時に…大きな音と振動が場の全てを揺らした。
ズズズ、ズ、ズ…―――
アメリアが揺れる。
一度目の空襲とは違い、本格的な攻めを感じさせる爆発音までが響いた。
「来たか…!全員、走れ!!!」
ヤザンが叫ぶと同時に、蜘蛛の子を散らすようにしてウッソ達が駆け出す。
女王を誤って射撃したという衝撃に加わって、コロニーに響く爆発音まで轟いては、警備隊達も少々のパニックは妥当な所だが、彼らが口々に状況の確認を求めたりするうちに、慌てながらも再度銃を構えた警備兵に、犬のフランダースが一気呵成に飛びかかって牙を立て、そしてハロが立体映像のヴィクトリーやガンイージをそこらの宙空に投射。
パニックは一気に加速し、兵達はMSの映像に射撃をしたりと大慌てだ。
肩を少々撃たられたらしいヤザンだが、撃たれたダメージなど感じさせぬ生命力を見せつけたヤザンは悪辣に笑ってみせ、
「ボールハロに犬っころフランダースめ、いい仕事しやがるぜ」
直ぐ様立ち上がって、マリアなどほっぽっといて駆け出そうとする。
が、そこでマリアが、己でも良くは分からぬ内に反射的に手を伸ばし、彼の裾を掴んだ。
一瞬、忌々しげにマリアを睨んだヤザンだが、その目を見て〝なぜ自分を止めたか〟を理解して、再びほくそ笑んだ。
「この傷はお前の国の兵士がやったのだから、貴様のせいだなマリア。こいつは駄賃に貰っておくぞ」
「…っ」
女の瞳に情欲の火が仄かに揺らめくのを見抜いて、別れ際に唇を奪ってから走り出す。
(私は……私は、こうも女であるの?……シャクティ)
マリアは、己が娘よりも男へと先に手を伸ばしたのが、自分でショックだった。信じられなかった。
自分の中の浅ましい女が、こうも強く残っていた事に驚き、動揺し、去りゆく娘を止める資格が自分には無いと錯覚してしまった。
走り去っていくシャクティとヤザンを、母と女とを揺れ動く眼差しで見送るしかなく、シャクティは一度だけマリアを振り返ったが、ウッソの手をしっかり握ると、それきりもう振り返らなかった。
す。
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