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逆さの砂時計

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Side Story
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 「一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
 「なんだよ」
 陽光が射し込む窓際に横付けされたベッドの上。
 両腕を組んで私の腹部に跨り直したロザリアが、赤く染まった頬を不機嫌そうに膨らませる。(すぼ)めた桃色の唇が非常に愛らしい。
 思わずぎゅっと抱き締めて頭を撫でてしまいたくなるが、私の両腕は布団を挿んでロザリアの両膝に踏み潰されている。成長した小悪魔に抜かりは無いようだと微笑ましくなる一方、そんなところで感心してる場合じゃないでしょうと自分自身に突っ込まずにはいられない。
 「此処で何をしているのですか、ロザリア」
 彼女との旅には、幾つかの守るべき約束と避けられない制限がある。
 例えば「二人分の生活費用は全額私の手持ちで(まかな)う」とか「一日三食・きっちり同じ時間に私が用意する」とかは「守るべき約束」で、不測の事態等々に見舞われて達成できない際には、事前か事後のデコピン一発で赦される。
 しかし、「私ができる限り人里に足跡を残さなければいけない」半面「ロザリアは極力人目に付かない場所でしか行動できない」等、女神アリアと人間との関わりを最小限に抑える意味で課された「避けられない制限」は、許す赦さないの個人的な話で収まる問題ではない。下手をすれば全世界を巻き込むロザリア(アリア)争奪戦が始まってしまう。
 だからロザリアは普段、自身が作った結界の中に調理器具や寝具といった生活必需品を持ち込み、其処で寝起きしている。こんな風に人里内部で姿を見せたり、間違っても私と同じ宿・同じ部屋・同じベッドで寄り添ったり眠ったり着替えたりはしなかった。
 是非、想像してもらいたい。
 先日の夜、一人で泊まった宿の一室。一人で目覚める筈の朝。息苦しさで目蓋を開いた瞬間、己の顔の両横に手を突いて真上から覗き込んでいる愛しい存在とバッチリ視線が重なった驚きを。
 いったい、何の試練なのか。
 「腹へった」
 「はい?」
 「待ち合わせの時間、とっくに過ぎてんだよ! いつまで寝てるつもりだ!? 変態キング神父改め、寝坊助無職大王クロスツェルって呼ぶぞ!」
 無職で大王とは、此は如何に。しかも語呂がちょっと悪くなった。
 「昼になる前にさっさと起きろ! そして飯を作れ! ……軽めの物で良いからなっ」
 私の胸を布団越しにポスポス叩いた後、鼻先に人差し指をビシッと突き付け、返事も待たずに消えてしまった。
 「……はぁ」
 驚きやら戸惑いやらで乱れた心拍を整え、軽くなった布団を捲って上半身を起こす。
 窓の向こうは青い空。石造りの街中は、行き交う人々の話し声や馬車が駆ける音等でとても賑やかだ。加えて、夜明けを告げる鳥の気配が殆ど無い。朝には違いないが、どちらかと言えば昼に近い頃合いか。こんな時間まで寝入るなんて初めてだ。
 要するに
 「いつもとは違う私を心配してくださったのですね。ありがとうございます、ロザリア」
 私の生命力は先が見えている。いつ、何処で、何があってもおかしくはない。
 彼女はそれを恐れているのか、時折、分かり易いようなそうでないような気遣いを見せてくれる。寝坊分のデコピンを免除したのも、わざわざ(作業負担が少ない)軽めの物で良いと言い残したのも、不安と安心が()い交ぜになった結果だろう。今回は単純に昨日の疲労(あるきすぎ)が原因だと思うが……申し訳ない事をしてしまった。
 「直ぐに行きます」
 ロザリアが聴いている前提で言葉を残し、ベッドを降りて即、引き払う準備に入る。
 と言っても、宿に持ち込んだ荷物は一日分の飲食代と宿泊費、渡国許可証と入街許可証を詰めた革袋一つだけ。梳いた髪を首の後ろで一つに束ね、備え付けの寝間着から普段着ている服に着替えれば支度は終了だ。他の金銭や非常食等は総て、盗難防止の為、私に何かあった時の為、彼女の結界内に預けてある。
 身軽さを得られた分、助かってはいるのだけど……倉庫代わりに使ってる感は否定できない。
 すみません、ロザリア。



 街から東へ十分程移動した所に在る森の中で、考え事でもしていたのか殆ど喋らないロザリアに朝食を振る舞い、人通りが多い一本道の手前で再度別れ、以前はべゼドラ達と共に訪れた役所を一人で潜り抜ける。
 昼間でもやはり盛況だった石造りの瓢箪型一層建築物を一歩外へ踏み出せば、其処はもうアルスエルナ王国の領土内。愚かな私を拾い上げ、慈しみ育ててくれた故郷だ。年単位で離れていた訳でもないのに、こうして無事帰国できた事実が感慨深い。
 ……バーデルへ入国した時も思ったが……所詮は人間が敷いた境界線の上を行き来してるだけ。それだけの事に気持ちを左右されている自分は「彼女とは違う」。どうしようもなく人間なのだと再認識させられる。
 「……珍しく寝坊した所為で、弱気になってるんでしょうか?」
 宛先が無い問い掛けに唇の両端を持ち上げ、頭を振って前進する。
 此処から更に東へ一時間歩いた先で、もう一度ロザリアと合流する予定だ。朝食は本当に軽い物しか用意できなかったし、昼食はしっかりした物を早めに作ってあげたい。私に立ち止まっている余裕など無いのだ。
 「急ぎましょうかね」
 私が作った料理を一口一口大切に、時には嬉しそうに幸せそうに食べてくれる彼女の笑顔が見たい。毎食後律義に添えられる「ありがとう」が聴きたい。
 彼女と過ごせる人生最後の幸福期。一秒たりとも無駄にはしたくない。

 したくない、の、だが。

 待ち合わせ場所の湖畔。立ち並ぶ木々の中でも一際目立つ大木に背中を預けて立っていたのは、殺気に近いものを放ちつつ腕を組んで むう とか くそぅ とか零してる(うつむ)き気味なロザリア。帽子のつばで顔が隠れてる所為もあってか、彼女の周辺だけが剣呑な雰囲気になっている。
 時々、苛立ちを抑えきれない様子で地面を蹴ってるんだけど……近寄っても大丈夫なのかな、これ。
 んな面倒臭いコト実際にやってられるか! と見送られていた往復平手打ち千発が、遂に実行される?
 「なぁ、クロスツェル」
 ふと顔を上げたロザリアが、投石してもギリギリ届かないであろう距離で立ち尽くす私に向けて「いつも通りの」声音を放つ。
 どうやら、怒りの矛先は私ではないらしい。木の陰に隠れている必要は無さそうだ。良かった。
 「どうしたんですか?」
 「お前、とりあえず猪の姉ちゃ……じゃない、プリシラ? だっけ? に、会いに行くっつってたけどさ。ソレ、後回しでも良いか?」
 「できれば顔を合わせたくないので彼女にも通じる正当な理由(いいわけ)が有るなら私としては引き伸ばしも後回しも有れば有るだけ大歓迎です。お好きなだけどうぞ」
 「……本当に苦手なんだな、あの二人……。まぁそりゃ、寝てる間にあんなコトされたら普通は……」
 「その記憶はルグレットさんに跡形も残さず全部消してもらってください。良いですね。」
 「ふぇっ!? ぃや、えと! ごめんなさい!?」
 顔を間近で覗き込んだ途端、涙目になったロザリアが自らの両肩を掻き抱いた。
 そんな、全身でぴるぴる震えなくても……。
 べゼドラといいアーレストといいロザリアといい、私の真顔はそんなに怖いのだろうか? いつもなら不意に近付いてしまっても、赤くなるか睨むか両手で顔を押し退けるか、なのに。此処まで露骨に怯えられると、少々切ない。
 「私の過去はどうでもいいとして。何処へ行くのですか?」
 「あ、あー……うん。お前も知ってるトコ……」
 私が一歩退いて安心したのか、両腕をだらりと落として息を吐く彼女。
 「私が知っている所?」
 「残りは私に付き合ってもらうって言っただろ? 借りを返しに行くんだよ。ちょっとした騒ぎになると思うけど、お前は一切口出しするな」
 「!」
 白い指先が私の鎖骨付近に触れた瞬間、喉と耳奥に違和感を覚えた。聴こえる音に変化は無いが……声を封じられたらしい。試しに発声してみても、自分の耳には届かない。どういう仕組みなんだろう?
 (昼食は良いのですか?)
 「終わったら人数分作れ」
 おお。思考は繋がってるのか。面白い。
 ……って
 (人数分?)
 「ん。行くぞ」
 答えになってない答えが返ってきた直後、目に映る景色が形を変えた。
 千切れ雲が浮かぶ青い空は、繁る枝葉で覆い尽くされ。
 歪な楕円形の湖は、齢何千の域を軽く超越しているであろう巨木の幹に。
 辺り一帯を見渡せば、遠く離れた場所で半透明な人間や動物が一列に並んで木の周りを歩き。
 正面へと向き直れば、地中から出た大きな根のうねりを二・三登った先に石積みの小さな祠が見える。
 確かに、私が知ってる場所だな。一度来たきりで滞在時間も短かったが、こんな独特な空気は忘れようと思ってもなかなか忘れられるものじゃない。
 かつて勇者一行が結界を張り、祝福を分け与えて護った世界樹。アリアの手掛かりを求めてべゼドラと一緒に飛び込んだ北の森。
 エルフの里だ。
 「あっちに一体と、こっちに三体……よし、見っけ……ん? あれ? なんで…… あー……ま、良いか。さっさと登れ、クロスツェル」
 (? はい)
 祠を目指してひょいひょい跳んで行くロザリアの後に続き、たまに手を突きながら滑りやすい根の道を慎重に登る。待っていたのは、当然
 「はじめまして。ようこそ、我らが里へ。貴女が直接お見えになるとは思いませんでしたよ、女神アリア……いいえ、魔王レゾネクトと聖天女マリアの娘・ロザリア」
 自らの長すぎる白い髪で祠の内部を埋め尽くした、エルフの長。
 その外見は相変わらず、十歳前後の子供にしか見えない。
 「ハジメマシテ、エルフの長サン。クロスツェルに手を貸したくらいだ。予想はしてたんじゃないのか?」
 「……そうだね。貴方とはもう一度会いたかったよ、クロスツェル。祝福はもう必要無いのかな?」
 虹色の目を開いた長が首を傾げ、ロザリアの隣に立つ私を捉える。
 ああ、なるほど。
 (借りを返すって、この力を長へ返すという意味ですか)
 「ソイツを返すかどうかはお前の判断に任せる。好きにしろ」
 (え?)
 「本来は、時司の神が世界樹の為に残した大事な宝物だからね。憂いが無事に解消されたのなら、返してくれると助かるよ」
 にっこり微笑む長と、彼を無表情で見つめるロザリアの横顔を交互に窺い……何にせよ、借りたままにするのは良くないかと考え、長の手前で片膝を突く。
 「ありがとう」
 長が私の胸元に右手を翳して目を閉じる。と、私の全身から溢れ出した虹色の光が長との間に集まり、くるんと丸まって、彼の手のひらに すぅー…… と溶け込んだ。
 授かった時同様、私達の外見にも体調にも変化は無い。
 「これで聖樹は今後も護られる。貴方のおかげだよ、クロスツェル」
 「……はは。おかげ、ね。んじゃこっちも、お前らの働きに相応しい礼をさせてもらおうかな」
 真っ直ぐ私を見据える笑顔に微笑み返すと、ロザリアが物凄く低い声で笑った。一緒に過ごしてきた時間の中でも聴いた例が無い、怒りを隠そうともしてない乾いた笑い声。
 (ロザリア……?)
 初対面の彼に、本気で怒ってる? 何故?
 「貴女に感謝されるような事は何も」
 「いいや? お前は的確で適切な判断を下してくれたよ。素晴らしい機転だった。思わず顔面を殴り付けたくなるくらいにな。だから、遠慮せずに受け取れ。クズ野郎」
 「「!?」」
 肩越しに振り返った途端、不敵に笑うロザリアが右手を掲げ、いつの間にか頭上に浮かんでいた薄緑色に輝く十三個の球体を彼女の周りに引き寄せる。成人女性を余裕で包み込める大きさのそれらの内一つが彼女の手前で破裂し、中から真っ白な……長と全く同じ容姿のエルフが滑り落ちた。
 「あ、……あぁ……」
 膝立ちの姿勢でロザリアの左腕にしがみ付いたエルフは、生気の欠片も無い顔で、聞き覚えがある高めの声を小刻みに震わせている。
 (……リーシェ?)
 見た目には判断し難いが、声の感じからしてエルフ族の中で唯一の女性体だというリーシェで間違いない。
 しかし、前に会った時とは様子が違う。
 「リーシェに何を!」
 異変に気付いた長が声を荒げると同時に
 「ひっ! やっぁ、っぐ、うぅ…… げふっ かはぁっ」
 耳を押さえて(うずくま)ったリーシェが嘔吐した。まるで、長の声を拒絶するように。
 困惑した長が手を伸ばそうとするが
 「いやぁッ! や、ご、ごめんなさ……ごめんなさいぃ!」
 その動作を気配で感じ取ったリーシェは悲鳴を上げて萎縮し、今度はロザリアの腰に抱き付いた。涙やら鼻水やらで汚れた顔をロザリアの白いワンピースに(うず)めて泣き喚く様は痛々しく、理解の範疇を超える何かと遭遇して恐慌状態に陥った幼い子供を彷彿とさせる。出逢った当初の元気一杯なリーシェが嘘みたいだ。
 「っ、彼女に何をした!?」
 「大声を出すなよ、猿山の大将。リーシェが余計に怯えるだろ。生憎、私は特に何もしてない」
 「何もせずに、彼女がそうなるものか!」
 「お前らじゃあるまいし、女に危害を加えて喜ぶ趣味は無ぇよ。ただ、お前らがリーシェに何を望んでるのか教えてやるっつって、母さんがバカ親父にされた事、バカ親父が人間の女達にしてきた事、私や人間の女達が人間の男共やべゼドラにされた事を、「お前らの顔に置き換えて」「見せてやった」だけだ」
 「なっ……!?」
 動揺した長が言葉を詰まらせ、勢いよく立ち上がる。
 ……立てたんですね、長。動けないのかと思ってました。
 「なんという、ことを……! リーシェはまだ!」
 「エルフの年齢では幼いほうだって? はっ! 笑わせてくれる。そうやって、大切にするフリで極限まで甘やかして。自分達への警戒心や反抗心を育てさせないように、自分達にとって都合が悪い事や苦痛が伴う醜い側面はギリギリまで隠し続けて。他に居場所は無いんだと疑わなくなるまで心底懐かせて、逃げ道を断って。んで、適齢期になったら「お役目」とか言って問答無用で押し付けるつもりだったんだろ? ホント胸糞悪ぃな、お前ら」
 「……!」
 「私は私を自覚した時点で結構散々な目に遭ってたし、世界の汚らしさに対する耐性も警戒心も対処方法も諦めも反抗心も実地で学んで身に付いてたから、今でも平然としてられるけどさ。リーシェは無知なまま三百年間も大切に大切に囲い込まれてたおかげで……ほら見ろよ。この、恐怖と嫌悪に染まり切った弱々しい姿。お前らの顔なんざ汚くて見たくもないんだと。こうなったのは私が「見せた」からじゃない。お前らがコイツを道具扱いして現実を教えず学ばせず、自分自身で考える力を削ぎ、選択肢すら一つとして与えてこなかった結果だ。子供を産ませるどころの話じゃなくなっただろうが、完全に自業自得だよ。バァーカ!」
 震え泣く肩を抱えて純白の髪を優しく撫でていたロザリアの手が、長へ向かって邪魔者を追い払うように「しっしっ」と動く。莫迦にされた怒りで血の巡りが偏ったのか、彼の顔が瞬時に赤くなった。
 「曲がりなりにも神々に遣わされし聖天女の娘でありながら、我ら世界樹の護り手を滅ぼすつもりか!」
 「お前らなんかどうなろうが知ったこっちゃない。けど、お前は「聖杯」を使わなかった。手順を省けばどうなるかを知ってて、敢えてそうした。(アリア)とクロスツェルが接触する機会を増やす為だけに、弱ってたクロスツェルの魂を餌として更に弱らせたんだ。……そうだよ。私達はクロスツェルもべゼドラも絶対に死なせたくなかった。其処を突いたお前の判断は憎たらしいほどに正しい。だから、コイツはその礼だ。利用して消耗させたクロスツェルの魂の分だけ、お前らも焦り苦しめ! くそったれ!!」
 聖杯? ……もしかして、あれの事だろうか。
 クロスツェルの記憶よりもずっとずっと遠くに感じる心当たり。
 騎士団長を通して国王陛下に呼び出された王城の一室で、神々に直接「使命を果たす覚悟が有るなら飲め」と言われて授けられた、無味無臭で半透明な赤い液体を湛える銀色の杯。
 飲み干した直後、心臓を無理矢理拡げられるような激痛と、体内を燃やされているような高熱に襲われ、一昼夜ひたすら転げ回ってた。治まった時には既に退魔と治癒の力を自在に使えていたから、あれが祝福なのかと、後日振り返って納得したものだ。
 ……そうか。
 あの液体は「神の血」。人の身には余る強大な力を負担無く扱う為に授けられた「神の魂の欠片」だ。
 力の源とも媒体とも言えるあれを生命核(しんぞう)に直接取り込んだから、アルフリードさんは勇者でいられた。
 逆に、私が時間を止める度に消耗していたのは、神か若しくは神に匹敵する悪魔の力を操る為の下地が与えられなかったから。その割に何度も使えたのは、女神(ロザリア)の守護と悪魔(べゼドラ)の支配が私に掛かる負担を軽減していたから。
 「外付けの癖に」じゃない。
 「外付けだからこそ」消耗したんだ。
 祝福を授かるなら、私は最低でも現代の力の保有者……長の血を飲まなければいけなかった。でも、長は「敢えて」そうさせなかった。私を護っていた女神を、私達の手が届かない遠くへ行かせない為に。
 ロザリアが怒っている理由がこれなら、切っ掛けは私の寝坊か。彼女は「死」に対して極端に臆病だから。残された時間の少なさを実感して、いろいろと我慢の限界を超えてしまったのだろう。
 (うーん……)
 正直血液なんか飲みたくないし、私が人間を超える生命力と自己防衛手段を得ていたら、それこそ彼女達はレゾネクトを遠ざける為に糸口すら残すまいと、私達への守護や繋がりを総て断ち切ってたんじゃないかって気がする。
 であれば、私は長の決定に感謝こそすれ怒ったり恨んだりはしない。寧ろ、よく其処まで考えてくれたなぁと薄ら感動したのだが……ロザリアが私の事で怒ってくれるのが嬉しいから黙っていよう。
 リーシェの件でも考えがあるらしい彼女の邪魔はするまいと静かに立ち上がり、ふわふわ漂う球体と三人からこっそり距離を空ける。
 「人間一人の消耗を早めさせた程度の些事で我らに報復などと……先も読めぬ、下賤な小娘が!」
 長の目がギラリと光った。時間干渉を狙ってるなぁと察しても、無力な私にはどうしようもない。両腕を腰上に回し、成り行きを見守る。
 「下賤で結構! お前らに高貴だ何だと敬われても、私は全然嬉しくない!」
 ロザリアの瞳も光った。私に感知できてないだけで、何らかの攻防が始まっているようだ。三人共、全然動かないけど。
 「第一! この期に及んでもまだリーシェに一言も謝らない、説明さえ一切しない自分勝手なお前ら如きに、何が護れるってんだよ! バカバカしい! 世界樹がどーのこーの言う前に、その歪み切った世間知らずな使命感と正義感を世界の果てで見直してこい!! 母さんの力に頼ってるだけの引き籠りがッッ!!」
 「っ!?」
 長の足元で薄い緑色の閃光が弾け飛び、何百もの細い槍となって彼の体を刺し貫く。思い掛けない方向からの攻撃? でよろけた隙を衝き、ロザリアの右手が新しい球体を作って素早く放つ。球体は長の体を祠ごと難無く呑み込み……数秒後 ぽむんっ! と、妙に可愛らしい音を立てて長と祠を吐き出し、霧散した。
 根の上に ごろりと横たわった長は
 (……あの。ロザリア?)
 「なんだよ」
 (長、ぴくりともしないんですけど。気の所為でなければ、呼吸まで止まってませんか?)
 「体の時間を止めてるからな。ちなみに、分離させた意識は結界の外へテキトーに放り出した」
 (分離?)
 「だってソイツ、人の話なんざ聞く耳持たない、お仕事第一、寧ろ仕事にしか興味が無い熱血漢だもん。こうでもしなきゃ、いつまで経っても水掛け論じゃん。一回外で揉まれて、柔軟な思考を身に付けてくれば良いんだ。ま、社会勉強ってヤツだな」
 (……幾百年を生きた人外生物が、社会勉強……)
 「どんだけ長く息をしてきたかよりも、どれだけの物を見て聴いて触れて感じて見極められるかが重要なんだよ。言われた事だけを熟す努力(笑)で満足してるガキに、これ以上付き合ってられるか。時間の無駄だ」
 かっこわらいかっことじ って。
 不機嫌で辛辣さが増してますね、ロザリア。
 「外を知っても変わらないなら、それはそれで良い。そう在るべき種族なんだろうさ。でも、自分達以外の在り方を知ろうとせず、個人の気持ちを考えようともしないで引き継がせる義務なんか、クソ喰らえだ。守護者だろうと護り手だろうと関係無い。根こそぎ引っこ抜いて抹消してやる。……だからお前も、自分で学んで、自分で考えて、自分で決めろよ、リーシェ」
 「…………ロ……ザ、リア……さま……」
 頭頂部を撫でられたリーシェが顔を上げ、恐怖と戸惑いに濡れた目でロザリアと私を見る。
 「わ、我……は」
 「此処に居たければそうしろ。さっき「見せた」通り子供を産む道具にされるだけだが、お前が本心から納得した上で受け入れるんなら、こいつらを解放して私達はこの場を立ち去る。後はお前らの好きにすれば良い。けど、ほんの少しでも迷いがあったり、嫌だと感じてるんなら……一緒に来い。外の世界と、自由に選び取れる無数の未来を、お前に見せてやる」
 良い事も悪い事も無意味に思える事も、たくさん経験しろ。目に入る総ての事象と向き合いながら、お前自身の将来をどうしたいのか考えれば良い。
 真顔でそう告げるロザリアに、リーシェは眉をぐっと寄せる。
 「し、しかし、聖樹が」
 「此処の結界は私にも扱える。幸い、二方向が高い山に挟まれてるし。東と西の出入口を直接繋げば、粗方の侵入は防げるぞ。里の空間を閉じれば完璧だな」
 え。
 (空間を完全に閉ざすのは不味いです、ロザリア。世界樹には万物の魂を修繕する役目も有るんです。接点が小さいほど世界の衰退を加速させてしまいますよ)
 これはレゾネクトの中で得た「彼女」の知識だが、勇者一行も知っていた情報だ。だから当時のマリアさんは、侵入者を防ぎ切れないと判っていても、目眩まし程度の結界しか張れなかった。
 「ふーん。よく解らんけど……なら、里の上下を開いとけば良いんじゃないか? 少なくとも人間は遮断できるぞ」
 「……遮断、できる……? 侵入者を?」
 「ああ、そうだ」
 抱き付いたままの両腕を外させ、リーシェが吐き出した物は気にも留めずその場で膝立ちになり、彼女と目線を合わせて、その両肩をしっかり掴む。
 「よく考えてみろ、リーシェ。神々は現代でも母さんが作った異空間で惰眠を貪っててこっちの世界には我関せずだし、世界樹を実際に害した莫迦親父は猛省中。害しそうな悪魔共も半分寝てる状態だから手の出しようが無いし、人間は新しく組む私の結界で阻んでやる。動植物は循環の輪を踏み出してないから脅威にはならんよな。そもそもこんだけデカく成長してんだし、世界樹はとっくに回復済みだろう。つまり、だ」
 一旦目を閉じたロザリアが息を大きく吸い込んで、リーシェの顔を覗き込み

 「お前らが此処に居続けても、やる事が無い!」
 
 きっぱりはっきり、断言した。
 「…………やることが……ない……」
 涙も止めて茫然と呟くリーシェに、ロザリアは真剣な顔でこくりと頷く。
 「私はな。ごく一部とはいえ、人間世界を歩き回って知ったんだ。お前達みたいに、他者を認めず理解しようともせず交わらず、一定の場所から動こうともしない存在を、何と呼ぶのか」
 「……引き籠り、ではなく……?」
 「ああ。勿論それもあるが、厳密には少し違う。お前らは」
 「我らは……?」
 薄い緑色の目力に気圧されてか、リーシェの喉が浅く上下する。
 そして

 「『昼行燈』だ」

 「うわああああーーーーーーーーん!!」

 「(あ。意味、知ってたんだ)」

 昼行燈(ひるあんどん)。明るい場所とか時間帯に灯りを点けてどうする。燃料の無駄遣いは勿体無いからお止めなさいの意。転じて、生産性の欠片も見えない無意味なコトばかりしたがる人や、誰にも何にも、自分自身にすら貢献しようとしない、ただ其処に在るだけの、全面的に役立たずな人を揶揄う言葉。
 ちなみに、行燈とは東大陸の一部の国で使われている照明器具で、素材や形状や囲いの有無に違いはあるが、他大陸でのランプや燭台とほぼ同じ役割の品だ。

 「我らは! 我らは役立たずなどではぁあーっ!」
 「そうか? 私の目には、母さんの結界の中でのんびり畑を耕しつつ、警戒と称して散歩してるだけの暇人に見えたけどな。他に何かやってたか?」
 「せ、世界樹に、害意有る者を近付けぬように迷わせたり!」
 「うん。ちょっとした悪戯気分の散歩だな」
 「彷徨える魂を世界樹の元へ誘導したり……!」
 「世界樹の循環は世界中に及んでるんだろ? ってことは、お前らが居なくても勝手に集まる仕組みじゃないのか、それ。精々到着までの時間を里幅分短縮する程度?」
 「ぐ……! あぅううー……っ」
 返す言葉が見付からないのか、悔し気に唇をパクパク動かすリーシェ。
 「他には? 何をしてた? それらはお前が……お前が将来産み育てる子供達が、あんな目に遭わされてでも継続しなきゃいけない事か? お前は、本当に、納得できるのか?」
 「っ!」
 追い討ちをかける問いに小さな体がガタガタと震え出し、戻りかけていた生気が鳴りを潜めてしまった。
 (…………。)
 リーシェの恐怖は、ロザリアの経験と記憶から来るもの。ならば今のリーシェは、べゼドラに監禁されたばかりの頃のロザリアそのものだ。
 あの激しい拒絶と嫌悪と涙はロザリアの物。
 泣きながらも気丈に振舞っていた彼女の「本心」を自分の意識と目で直に見て、心臓が鋭い痛みを訴える。
 それでも傍に居たいと願うのだから、私という人間は本当に……
 「選んだのは私だ。お前の後悔なんざ知るかよ、バーカ」
 コートの胸元を握りしめていたからか、ロザリアが怪訝な顔で私を見て、鼻で笑った。
 (……以心伝心?)
 「お前の顔が分かりやすいだけだっての。良心の呵責に苛まれるのはザマーミロだけど、また逃げ出そうってのは絶対に許さないからな。死ぬまで放さないし、離させない。解ってるよな」
 (……はい)
 「なら良い」
 本当に……彼女には、死んでも敵いそうにない。
 「で。答えは? お前自身は、どうしたい?」
 俯いた頬を両手で包んで掬い上げ、恐怖に揺れる薄い金色の目を覗き込むロザリア。
 長い沈黙の後、エルフの少女は
 「……………………………………じゃ……」
 今までで一番大きな滴を落としながら

 「いやじゃ……っ、嫌じゃ嫌じゃ! 我は、あのような扱いなど、受けとうない!」

 助けて と、叫んだ。

 「任せとけ」
 ニッと歯を剥き出しにしたロザリアが すくっ と立ち上がり、九個の球体を右腕の一振りで里中にばら撒いた。
 「お前の仲間も、体の時間を止めて意識を結界の外へ放り出した。今日以降、エルフ族の大半は(しばら)く冬眠させる。その間に、お前はお前自身が納得できる生き方を探すんだ。結果、エルフ族存続を選んで里に戻って来るも良し。全く別の場所での新しい生活を選ぶも良し。自分の意志で、好きな道を進め」
 ロザリアに支えられてよろよろと立ったリーシェは、陰りを見せながらも決意を窺わせる強い眼差しで里を見渡し、深く頷く。
 血縁者に子供を産めと望まれていた点で自身にそっくりなリーシェを助けられたからか、ロザリアの横顔がとても満足気で、私まで嬉しくなる。
 しかし。
 十三個からリーシェを引いて十二個。更に九個を引いて、三個残った球体。エルフの総人数は十二人の筈。数が合わないような。
 (それ、残りの三個には誰が入っているのですか?)
 ふよふよ漂う球体を指して尋ねると、微妙な顔で振り向いたロザリアが頬を掻く。
 「んー……。一つは、エルフの中で唯一まともなネールってヤツ」
 ネール。前回、凄まじい敵意を放ちながら案内役を務めてくれたエルフだ。
 「全員を行動不能にしたら、里の畑が荒れ放題になっちまうだろ? 勿体無いから留守番させようと思ってさ。本人も中で話を聴いて同意してるし、私達が里を出た後で開放するつもりだったんだけど……出て行く前に会っておくか?」
 コイツだけはお前の扱いに疑問を持ってたぞ、と前置いた上で尋ねられたリーシェは、一瞬表情を強張らせ……頭を振る。
 「今は、会えぬ。だが……もしも、我が帰って来たら……、一番最初に会うてくれるか? 兄上」
 手前に降ろされた球体に触れて微笑むリーシェ。ネールが答えたのか、球体は二回ほど点滅し、畑へ向かってゆっくり飛んで行った。
 (彼、リーシェに関して何か言ってますか?)
 「手を出したら赦さない。だってさ」
 ……彼は私をどういう人間だと思っているのだろう。ロザリアの件があるから、警戒されても仕方がないのだけども。
 (ありえない。とだけ伝えておいてください。其方の二個は?)
 ちょっと遣り切れない感じになりつつ、今だに浮いている球体へ目を向ける。と。
 此方を目指してふよんふよん飛来し、数歩先で突然、二個同時に破裂した。
 中から現れたのは
 「あ、どうも。お久しぶりです、クロスツェルさん」
 足裏で着地後、背筋を伸ばして深々と腰を折り、丁寧な挨拶をくれたフィレスさん。
 それに
 「よっ! 間近で会うのは初めてだな。すっげー待ちくたびれたぞ? 元・神父のクロスツェル君!」
 顔の横で手を泳がせている金髪緑目の青年…… って!
 (まさか、アルスエルナの第二王子殿下!?)
 直接対面した記憶は無いし、服装も王族が着用するような物とは程遠いが、その顔は何度か遠目に見ていた。
 此処は人間を忌避するエルフの里。マリアさんとの繋がりを持つフィレスさんならともかく、超常の力を持っていない筈の人間……しかも、現在ロザリアが最も警戒すべき「権力者」が何故、内部に居るのか。
 「まあまあ。捕まえに来たとかじゃないから、とりあえず落ち着けって。な?」
 瞬きの間で接近してきた彼の両手に肩を掴まれ、驚きと焦りで退きかけた足がその場に縫い留められる。
 落ち着けと言われても、これは非常に不味い状況なのでは。
 (ロザリア? 彼は、いったい)
 「人外生物の知り合いがいる人間代表として、事の次第を問い質しに来た、だとさ。メンドクサイから結界の中で私達の記憶を全部見せといたんだが、あと一つ、どうしてもやりたいコトがあるらしい」
 やりたいこと?
 「そ。現状、俺の最重要目的がソレなもんでね」
 左腕で私の肩を抱いたまま振り返り、若葉色の目がロザリアを捉えて愉快そうに歪む。
 フィレスさんに何事かと視線で尋ねても、彼女もよく解ってないのか、首を傾げられてしまった。
 「レゾネクトに会えるか?」
 (レゾネクト?)
 「今、此処で?」
 「問題が無ければ、此処で」
 「別に、呼んでも悪さはしないだろうけど」
 腕を組んだロザリアが不思議そうに殿下を見返し、……開き直った。殿下が何を考えていても、レゾネクトが相手なら人間にはどうにもならないと判断したのだろう。
 「聴いてたか、レゾネクト」
 長の近くへ目配せしたロザリアの声に、遅れること数秒。
 「…………何のよ、う?」
 私の肩を離した殿下が、現れたかどうかの際のレゾネクトに手を伸ばして頭を鷲掴み

 「「「(!!?)」」」

 口付けた。
 思いっ切り。
 唇に。

 「…………ふっ。どーよ、見知らぬ相手にいきなり口付けされる気分は! さぞ気持ち悪かろう! ざまぁみろってんだ! フィレス達が抱いた嫌悪感を思い知れ!」

 「……あ。ああ……、あれ、ですか…」
 一同の理解が追い付かず、なんとも言い難い沈黙が垂れ込む中、もう用は無いとばかりにレゾネクトを放置してフィレスさんの横に並び立つ殿下。彼の宣告で真っ先に正気を取り戻したフィレスさんが、それでもまだ戸惑いを隠し切れてない表情で頷く。
 「あのですね、師範。驚きは有っても恐怖とか嫌悪感は無かったから、私は「ひっくり返せなかった」んじゃないかと思うんですが……」
 「だろうな。お前が根っからの騎士で、こういう方面に疎いのはよく知ってる。どうせその時は、まさか自分に口付ける異性が存在するとは思ってなかった。だから驚いた。程度だったんだろ?」
 「はい」
 「認めちゃうんだ……」
 ロザリアが引き攣った顔で一歩下がった。
 似たような状況? で嫌悪しか感じなかったであろうロザリアには、フィレスさんの反応が信じられないのかも知れない。
 「大多数の人間は、出会い頭に口付けなんかされたら著しく気分を害するモンなんだよ。相手が異性なら尚更な。お前もその内解る。つか、解れ。んで、(俺以外には)二度と誰にもさせるな! 俺が不愉快だ!」
 「はぁ。元よりそのつもりですが……(何故、師範が不愉快に?)」
 「ならば良し!」
 お二人共、心の声が駄々洩れです。なんて解りやすい構図。
 殿下の最重要目的とはつまり、想い人がされた事への仕返しだった、と。
 アリア信仰や国政に関わる仕事で来た訳ではないのだろうか。
 「「男」のままで良いのか?」
 「……へ?」
 棒立ちで殿下を見ていたレゾネクトが、小首を傾げた。
 「お前の言い分は、見知らぬ「異性(おれ)」に突然口付けられた人間(フィレス)の気持ちを考えろ、という物だろう? だったら、「男」のお前が思い知らせるべき俺は、「女」じゃないのか?」
 「「「「……は?」」」」
 (…………あ。しまった!)
 いけない、と焦って足を動かすが。
 時、既に遅し。
 目が点になった一同の前で、持ち上げられたレゾネクトの右腕が正面の空間を割くようにストンッと下ろされる。その動作で目を奪われた隙に
 「これなら条件に合うか?」

 レゾネクトの体が、ゆったりした黒い長衣の上からでも判るほどはっきりと、女性の形に変わった。

 (……実の所、「彼女」の意思を受けて男性になっていただけで……「彼女」と、「彼女」を映した「鏡」に、確固たる性別は無いんですよねぇ……)

 マリアさんや、レゾネクトの娘に当たるロザリアが知ったらどうなるか。想像も及ばなかったので、いつか可能な限り穏当に、さりげなく教えるつもりだったのだけど。こうまで堂々と衆目に曝されてしまっては、誤魔化すのも難しい。
 諦めよう。
 「…………マヂか」
 「えぇー……」
 「……ま、魔王が……女、じゃと……」
 背後に聴こえる、殿下達の呆気にとられた声。元の造形美を絶妙に残しながらも妖艶な雰囲気を醸し出す絶世の美女と化したレゾネクトが、私を見て不思議そうに瞬く。
 「おかしいか?」
 (ええ、まあ。現代人には結構な非常識だと思いますよ。他ではどうか知りませんが)
 「植物や虫や微生物の世界では普通だが」
 植物や虫や微生物と貴方を同次元に並べるのはちょっと……なんて考えていたら、少し離れた場所から重い荷物を地面に落としたような、鈍い音が聞こえてきた。
 まさかと振り向いた先で、ロザリアが仰向けに倒れている。
 (ろ、ろざりあーっ!)
 慌てて駆け寄り、肩を抱き起こしてみるも、彼女の意識は完全に飛んでいた。
 「幻の類じゃないんだな……。ご愁傷様、としか言えん。」
 「無性別なのか、両性具有なのか。子孫を残してるから両性具有かな」
 「口伝では魔王は男だと……では、あれは偽物か!? しかし、あの気配はっ」
 「それで? 俺はどうすれば良いんだ?」
 本来居てはいけない場所に居る人間の権力者と、女神の力を封印している人間の女性と、落ち着き無くあたふたしているエルフの少女と、真実の衝撃に耐えきれなくなった女神と、天然な一面を見せつけてくれる元魔王と、根っこを降りるのも一苦労な無力すぎる私。
 なんかもう、滅茶苦茶だ。
 こんな調子では、ロザリアを強引に起こしてもレゾネクトを見た瞬間に気絶、を延々と繰り返しそうな気がするし、どうすれば良いのかと尋かれても……どうすれば良いんでしょうね?
 (とりあえず、私の声を戻していただけますか? 今後について殿下方と話し合わなければいけませんし。一応、貴方も参加してください)
 「分かった。ところで、口付けがどうとかはもう良いのか?」
 まだ引きますか。その話。
 「どっちにもなれるヤツに対応する「異性」は無いだろ。消化不良は否めないが、教育的指導にならないんじゃ意味が無い。誰彼構わず喰らい付くもんじゃないってコトだけ覚えとけば良いさ。ああでも、ロザリアとアリアが起きてる間は男になっとけ。さすがに気の毒だ」
 「前半はともかく、後半は気にする事でもないと思うが……そうしておこう」
 「いや、娘の気持ちくらい気に掛けてやれよ。幾らなんでも不憫が過ぎるぞ」
 その娘の前で父親に口付けた男性について、突っ込んで良いものなのかどうか。悩ましい。
 ロザリアがいつ目を覚ますか判らないからか、殿下の指摘を受けたレゾネクトが大人しく男性の姿に戻った。見慣れた姿に、私も安堵の息を吐く。彼が彼の姿であれば、ロザリアが気絶し直す心配も無い。多分。
 「結界はどうなってますか?」
 解放された声でレゾネクトに状況を確認すると、彼は辺りを見回して何かを探り出した。
 「……ああ、ロザリアが張り替えるつもりだったのか。俺が代わりに閉じておこう。東と西を繋ぎ、里の周辺を歪曲させた多重空間で円状に囲んでおけば良いのだろう?」
 「世界への影響は?」
 「無い」
 「では、お願いします。終わり次第、全員で場所を移りましょう。リーシェとロザリアをこのままにしておくのは忍びないので」
 「あ……」
 帽子を拾い、ロザリアを抱えて立ち上がった私を見て、リーシェが気まずそうに後退る。種族が違っても男性は怖いのか、顔色が下降気味だ。それに気付いたらしいフィレスさんが歩み寄り、自身の上着から取り出した手拭いでリーシェの顔を優しく拭う。
 「んじゃ、行き先はアルスエルナの中央教会、次期大司教サマの執務室で」
 「え。」
 想像してなかった殿下の提案に、体が硬直する。
 折角遠退いたのに……
 「何故、中央教会へ? 私達人間だけでならまだ解りますが、リーシェやロザリア達は」
 「宗教方面で大混乱になってる現代、アンタ達に迂闊な言動で存在を匂わされたら、俺達統治者側も大いに困るんでな。予想外の展開を防止する為にも、アンタ達の行動はコッチでもある程度把握しておきたい。その為には、情報を制御できる高位且つ無欲な人間との連携が必要なんだよ。俺が知る限り、あいつ以上の適任者は居ない……っと。……そうか、アンタも「生贄」……」
 私を見る殿下の目に生温い温度が雑じった。居た堪れなくなって視線を逸らすが……はたと気付いて静止する。「生贄」の意味を理解できる人間は、彼女の洗礼を受けた者だけだ。それはつまり
 「……殿下も、ですか」
 そろりと持ち上げた視界。殿下の目に「諦め」が宿る瞬間を、私は見逃さなかった。
 「ははははは。寄らば大樹の陰だ。観念しろー」
 「ふ、ふふふ。ニゲナイデクダサイネ、デンカ」
 彼女、本当にアルスエルナ王国の支配者になるつもりか? 権力者(おうぞく)にまで手を伸ばしていたとか……もう、彼女を止められる立場の人間は国王陛下しか思い当たらない。けれど、陛下であってもアリア信仰は不可侵領域の筈。
 悪夢だ。
 「終わったが。中央教会で良いのか?」
 「おー。よろしくー」
 レゾネクトの言葉を合図に、フィレスさんが手拭いを預けたリーシェと手を繋ぎ、殿下が私の隣に並ぶ。逃げ場は無い。
 虚ろな目に映る景色が、緑豊かな大自然から真っ白な建物の内壁に変わる寸前。
 「神に悪魔に、エルフに人間に、ドラゴンに精霊。この世界は複雑怪奇で面白いな。これからも楽しめそうだ」
 殿下が、好奇心と期待で瞳を輝かせる少年のように、無邪気な声で呟いた。
 「……はい」
 肩の力が抜けていくのを感じつつ、薄く笑って首肯する。
 世界は様々な色を織り交ぜ、千差万別の音色を絡ませながら、昨日とは違う今日、今日とは違う明日へと形を変えて行く。それは「彼女」の願いであり、私の祈りだ。
 嫌な事も辛い事も苦い経験も、これから先まだまだたくさん控えているだろう。
 それでも。
 いつか別れの日が来ても、終末の刻が訪れるまでは。
 愛しい少女の心が、悲しみで折れてしまわないように。
 あなたの生きる時間が喜びと幸せで満ち溢れたものであるように。

 「精一杯、今を楽しみましょう」








 ……そういえば。
 私は結局、何人分の昼食を作れば良いのでしょうか…?


 
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