逆さの砂時計
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Side Story
アンサンブルを始めよう 1
「……え、と……。一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「なんだよ」
カーテンの隙間から陽光が射し込む窓際に横付けされたベッドの上。
両腕を組んで私の腹部に跨がり直したロザリアが、真っ赤に染まった頬を不機嫌そうに膨らませる。すぼめた桃色の唇が小鳥のようで実に愛らしい。
思わずぎゅっと抱きしめて、白金色の髪を撫でてしまいたくなるが。
私の両腕は、掛け布団の上からロザリアの両膝に踏み潰されている。
成長した小悪魔に抜かりはないようだと微笑ましく思ってしまう一方で、そんなところに感心してる場合じゃないでしょうと、自分に突っ込まずにはいられない。
「貴女は、ここで何をしているのですか? ロザリア」
彼女との旅には、いくつかの守るべき約束と、避けられない制限がある。
たとえば、二人分の生活費用は私の手持ちで賄うとか、食事は一日三食、きっちり同じ時間に私が用意するとかは『守るべき約束』で、不測の事態に見舞われて達成できない場合には、事前か事後のデコピン一発で赦される。
しかし、私のほうができる限り人里に足跡を残していく必要がある半面、ロザリアは極力人目につかない場所でしか行動できないなど、女神アリアと人間との関わりを最小限に抑える意味で課された『避けられない制限』は、許すとか赦さないとか、そんな個人的な話で収まる問題ではない。
下手をすれば、全世界を巻き込むロザリア争奪戦が始まってしまう。
だからロザリアは普段、自身が作った結界の中に調理器具や寝具といった生活必需品を持ち込み、そこで寝起きしている。
こんな風に人里内部で姿を見せたり、間違っても私と同じ宿、同じ部屋、同じベッドで寄り添ったり、眠ったり、着替えたりはしてこなかった。
ぜひ、想像してもらいたい。
先日の夜、一人で泊まった宿の一室。翌日、一人で目覚める筈だった朝。
胸が圧迫されたような息苦しさで目蓋を開いた瞬間、己の顔の両横に手を突いて真上から覗き込んでくる愛しい存在と視線が重なった驚きを。
これはいったい、なんの試練なのか。
「腹へった」
「はい?」
「待ち合わせの時間とっくに過ぎてんだよ! いつまで寝てるつもりだ⁉︎ 変態キング神父改め、寝坊助無職大王クロスツェルって呼ぶぞ!」
無職で大王とは、これいかに。
しかも、語呂がちょっと悪くなった。
「昼になる前にさっさと起きろ! そして飯を作れ! ……昼食もあるし、とりあえず、軽めの物で良いからなっ」
私の胸を、掛け布団越しに両の拳でポスポス叩いた後。
私の鼻先に人差し指を突き付け、返事も待たずに消えてしまった。
「……はあ────……」
唐突すぎるあまりに驚きやら戸惑いやらで乱れた心拍を、深呼吸で整え。
軽くなった掛け布団をめくって、上半身を起こす。
紺色のカーテンを開いて覗くガラス窓の向こうは、透き通るような青空。
石造りの建物が所狭しと建ち並んだ大きな街は、行き交う人々の話し声や馬車が駆け抜ける音などで、今日も非常に賑やかだ。
加えて、夜明けを告げる鳥の気配がほとんどない。
朝には違いないが、どちらかといえば昼に近い頃合いか。
こんな時間まで寝入るなんて、ロザリアとの旅の中では初めてだ。
要するに。
「いつもと違う私を心配して、慌てて様子を見にきてくださったのですね。ありがとうございます、ロザリア」
私の生命力……寿命は、既に先が見えている。
いつどこで、何があっても、おかしくはない。
彼女はそれを恐れていて、時折、分かりやすいようなそうでないような、微妙な気遣いを見せてくれる。
寝坊した分のデコピンを免除したのも、わざわざ(作業の負担が少ない)軽めの物で良いと言ったのも、不安と安心がない交ぜになった結果だろう。
今回は、単純に昨日の疲労が原因だと思うが。
申し訳ないことをしてしまった。
「すぐに行きますね」
ロザリアが聴いている前提で言葉を残し。
ベッドを降りて即、部屋を引き払う準備に入る。
とはいえ、宿に持ち込んだ荷物は一日分の飲食代と宿泊費、渡国許可証と入街許可証を詰めた革袋一つだけ。
梳いた髪を首筋で一つに束ね、備え付けの寝間着から、普段着ている服に着替えれば、出立の支度は完了だ。
他の金銭や非常食などはすべて、盗難防止の為、私に何かあった時の為、彼女の結界内に預けてある。
身軽さを得られた分、助かってはいるのだけど。
倉庫代わりに使ってる感は否定できない。
すみません、ロザリア。
街を出て東へ十分ほど移動したところにある森の中で、結界内に招かれ。
考えごとをしていたのか、ほとんど喋らないロザリアに朝食を振る舞い。
食器類の片付けを終えてから、人通りが多い一本道の手前へ送り出され。
以前はリースやべゼドラと共に訪れた関所を、今度は一人で潜り抜ける。
昼間でもやはり盛況だった、石造りのひょうたん型建築物から一歩外へと踏み出せば、そこはもう、アルスエルナ王国の領土内。
愚かな私を拾い上げ、慈しみ育ててくれた故郷だ。
年単位で離れていたわけでもないのに、こうして無事に帰国できた事実が感慨深い。
……バーデルへ入国した時も思ったが……。
所詮は、人間が敷いた境界線の上を行き来しているだけ。
それだけのことに気持ちを左右されている自分は、彼女とは違う。
どうしようもなく人間なのだと、改めて再認識させられる。
「珍しく寝坊したせいで、弱気になっているのでしょうか?」
宛先がない問いかけに唇の両端を持ち上げ、頭を振って前進する。
ここから更に東へ一時間歩いた先で、再度ロザリアと合流する予定だ。
朝食は本当に軽い物しか用意できなかったし。
昼食は腹持ちが良い、しっかりした物を、早めに作ってあげたい。
私には、立ち止まっている余裕などないのだ。
「急ぎましょうかね」
私が作った料理を大切に、時には嬉しそうに、幸せそうに食べてくれる、彼女の無邪気な笑顔が見たい。
毎食後、律義に必ず添えられる「ありがとう」が聴きたい。
彼女と過ごせる、人生最後の幸福期。
一秒たりとも無駄にはしたくない。
したくはない……の、だが。
待ち合わせ場所の湖畔。
立ち並ぶ木々の中でも一際目立つ大木に、背中を預けて立っていたのは。
殺気に近いものを放ち、腕を組んで「むう」とか「くそぅ」とか零してるうつむき気味なロザリア。帽子のつばで顔が半分隠れてるせいもあってか、彼女の周辺だけが酷く剣呑な雰囲気になっている。
時々、苛立ちを抑えきれない様子で地面を蹴ってるんだけど……
今、近寄っても大丈夫なのだろうか?
そんなクソ面倒くさいコト、実際にやってられるか! と見送られていた往復平手打ち千発が、ついに実行される?
「なあ、クロスツェル」
ふと顔を上げたロザリアが、投石してもギリギリ届かないであろう距離で立ち尽くす私に向けて、いつも通りの声音を放つ。
どうやら、怒りの矛先は私ではないらしい。
木の陰に隠れている必要はなさそうだ。
良かった。
「どうしたんですか?」
「お前、とりあえず猪の姉ちゃ……じゃない、プリシラ? だっけ? に、会いに行くっつってたけどさ。ソレ、後回しでも良いか?」
「できれば顔を合わせたくないので彼女にも通じる正当な理由があるのなら私としては引き伸ばしも後回しも大歓迎です、お好きなだけどうぞ」
「……本当にあの二人が苦手なんだな、お前……。まあそりゃ、寝てる間にあんなコトされてたら、普通は」
「その記憶はルグレットさんに跡形も残さず全部消してもらってください。良いですね?」
「ふぇっ⁉︎ い、ぃや、えと! ごめんなさい⁉︎」
顔を間近で覗き込んだ途端。
涙目になったロザリアが、自らの両肩を掻き抱いた。
そんな、小動物みたいに全身でぴるぴる震えなくても……。
べゼドラといい、アーレストといい、ロザリアといい。
私の真顔は、そんなに怖いのだろうか?
いつもだったら不意に近付いてしまっても、赤くなるか、睨むか、両手で顔を押し退けようとするか、なのに。
ここまで露骨に怯えられると、少々切ない。
「私の過去はどうでもいいとして。どこへ行くのですか?」
「あ、あ~~……うん。お前も知ってるトコ……」
私が一歩退いて安心したのか、両腕をだらりと落として息を吐く彼女。
「私が知っている場所?」
「残りは私に付き合ってもらうって言っただろ。借りを返しに行くんだよ。ちょっとした騒ぎになるとは思うけど、お前は一切口出しするな」
「!」
ロザリアの指が私の鎖骨付近に触れた瞬間、喉と耳奥に違和感を覚えた。
聴こえる音に変化はないが……どうやら、私の声が封じられたらしい。
試しに発声してみても、自分の耳には届かない。
『空間』の力なのだろうけど、具体的にはどういう仕組みなんだろう?
(今すぐ行くのですか? 昼食は?)
「用事が終わったら、人数分作れ」
おお。思考は繋がってるのか。
面白い…………って。
(人数分?)
「ん。行くぞ」
答えになってない答えが返ってきた直後、目に映る景色が形を変えた。
千切れ雲が浮かぶ青い空は、瑞々しい緑色に繁る枝葉で覆い尽くされ。
歪な楕円形の湖は、齢何千の域を軽く超越しているであろう巨木の幹に。
辺りを見渡せば、遠く離れた場所で、半透明な人間や動物が一列に並んで木の周りを左回りでのっそりと歩き。
正面へと向き直れば、地中から出た大きな根のうねりを二、三登った先に石積みの小さな祠が見える。
……なるほど。
確かに、私が知っている場所だ。
一度来たきりで、滞在時間も短かったけれど。
こんな独特な空気、忘れようとしてもなかなか忘れられるものじゃない。
かつて、勇者アルフリードが神々の祝福、『治癒』の力を分け与え。
聖天女マリアが、『空間』の力で結界を張って護った聖樹……世界樹。
女神アリアの手掛かりを求めて、べゼドラと一緒に飛び込んだ北の森。
エルフの里だ。
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