さて、どうしたものか。
レゾネクトとの決着を経て教会に現れた私達を、疲れてるだろうからまずは休めとベッドを譲り一泊させてくれた後。
改めて事情を聴き終えたアーレストさんは、椅子に座ったまま両目を限界まで見開き、周囲の空気と一緒にガッチリ凍り付いてしまった。心拍停止に陥ってないか、ちょっと心配になるくらい動かない。
彼の正面に座ってる師範も、テーブルの上で肘を立て、重ねた両手の甲に額を押し付けて溜め息を盛大に吐き捨てたと思ったら、かれこれ数十分間、身動き一つせず沈黙を保ってる。こんなにも長時間、無言で思案に没頭する師範は初めて見た。
聴けば、二人はそれぞれ教会を預かるほどの敬虔なアリア信徒だ。主神にまつわるあれやこれやを聴かされた衝撃は相当なものだとは思うが……ふと見上げたガラス張りの天井からは、真っ黒な空と白い星月が顔を覗かせてる。一般信徒は帰宅済みだから礼拝関係の業務に支障は無いとしても、執務のほうは放置してて大丈夫なのだろうか。
書棚と二人を見比べて首を傾げると
「……確信犯、か。行くぞ、フィレス」
「はい?」
師範が唐突に立ち上がり、クローゼットから一般男性向けの上下服と革靴を取り出して浴室へと滑り込む。どうやら神父としてではなく、一般民として教会を出歩くらしい。
こんな深夜に? と訝りつつ、私もクローゼットに歩み寄り、失礼を承知で中身を拝見する。
ざっと見では、着替え用の真っ白な長衣の他にも着古し感漂う外出着が数枚と、傷みが目立つ革靴が三足と、本体が小さめな肩下げ型の黒革製バッグが二つ。神聖な教会には相応しくない抜き身の剣が一本入ってた。二人が「聖職に関わる事以外の目的で」教会を頻繁に出入りしてる証拠だ。
まぁ、師範だし。何処にどのような立場で居てどんな武器を隠し持っていても、別に驚きはしない。殴られれば痛い程度に殺傷能力を削いであるだけまだ良いほうだろう。
それより、クローゼットの側板に立て掛けられた剣の奥から此方を凝視してる、妙に丸っこい物体が気になる。
本体らしき青い半円の正面中央付近に付いた黒い二つの点。下部から伸びる四本の白い棒。
なんだろう、これ? 造形を極端に簡略化したくらげのぬいぐるみに見えなくもないが……何故こんな所にくらげ? しかも、親子のつもりなのか、大小二体で仲良く横並びしてる。
確か、執務室の机の上にもそっくりな形の燭台が置いてあったな。あちらは本体の半円下部から伸びて上向いた四本足が蝋燭立てと受け皿になっていた。最初ちらっと視界の端に映った時は、随分愉快な物が売られてるんだな程度にしか思わなかったが……ふむ。
なるほど、二人共くらげが好きなのか。新発見だ。
「
何方へ行かれるのですか?」
やや間を置いてから手ぶらで出て来た一般民姿の師範に、彼用と思われる黒い外套と
鈍な剣を手渡す。
「安直な手段でアリア信仰の禁忌を犯したド阿呆の所だ。女神アリアが……いや、今はロザリアか? 彼女が人間と変わらない思考回路の持ち主なら、三人……違うな。多分、ロザリアはべゼドラを嫌ってる。同行はしてないだろ。恐らく、べゼドラを除いた二人で其処へ向かう。話を聴くのに丁度良い」
あ。教会の外じゃなくて、街の外を出歩くのか。だったらバッグも必要かな。
どちらも同じ造りだけど、師範の所有物ならこっちか? と、傷が多いほうのバッグも追加で手渡し。違うとも何とも言わずに受け取った様子から、間違えてないと見えてほっとする。
しかし。
「禁忌を犯したド阿呆?」
ロザリアさんに暴行を加えたべゼドラさんやクロスツェルさんではなく、他にアリア信徒を怒らせる何かをやらかした人物がいた? 心当たりは無いが、誰の話だろうかと首を捻ると
「貴方は、真相を知ってもまだ、あの子の信徒を続けるの?」
ベッドの端で両足を下ろして座ってるマリアさんが師範に声を掛けた。その隣で猫の如く丸くなって寝てたティーも顔を上げ、師範の動きを目で追い掛ける。
受け取った剣を鞘には収めずそのままの状態で腰帯に挿し込み、バッグを肩に掛けて外套を羽織り、廊下へ続く扉の取っ手を掴んだ師範が
「今のところ、辞める理由が見当たりませんので」
マリアさんに振り返って頷く。
……師範の言葉遣いが丁寧だ。珍しい。
「あの子は自らを創造神と偽り、自分本位な願いの為に世界を作り変えようとしたわ。それは赦されざる事よ」
「はっきり言えば、遣り方自体は褒められたものではありません。人間には無い力を所持していても人間と大差無い方法しか選べなかったのかと、落胆を覚えたのも事実です。しかし、魔王レゾネクトと契約した当時の彼女の状況、推定年齢、知識量、成長度や世界情勢を考慮した場合、私には彼女を責められない。彼女の選択を助長したのは悪魔の囁きなどではなく、他ならぬ私達人間の愚行だ。正直、呆れましたよ。何千年と歴史を重ねても人間の本質は変わらない物なのかとね」
確かに。
アリアがレゾネクトと契約するに至った直接的な原因は、人間同士の争いに因る親しい者達の理不尽な死だった。悪魔による被害も勿論あっただろうし、そうした事実は確実に彼女の心を痛め付けただろう。だがそれ以上に、悪魔に脅かされてる状況下で同じ種族同士が命の奪い合いを続けてた現実が、アリアに強硬な手段を選ばせたと言って良い。
人間同士が助け合う世界だったら、アリアが創造神を目指す
理由は殆ど無かったのだ。
だが、アリアの思想を天意と掲げてもまだ、人間は人間と争い続けてる。寧ろ、天意を戦因にして被害を拡大させたようにも見える。
誰も殺さないで。誰もそんな風に死んでいかないで。
アリアの、悲痛としか表現できないあの嘆きと願いは、残念ながら人間には届いてなかった。
「人間に対して呆れる事が、アリア信徒で居続ける理由になるの?」
「学も何も無い幼子が、そういう環境に置かれても尚みんなで一緒に生きたいと願い、実際にどうすれば良いのかを考え、自身に降り掛かる苦痛を承知で実行に移した。いつでも誰かがなんとかしてくれると無条件で信じ込んでいる其処らの他力本願共とは比べようもない覚悟と気高さだ。敬意を抱きこそすれ、愚かしいと切り捨てる要因には成り得ません。それに……」
神父服を脱いでも首に掛けたままだったペンダントを外套の上から押さえ、師範の唇が弧を描く。
「助け合いで廻る世界を目指すことが、誰か本位で身勝手な願いだとは思いません。志そのものは間違っていないと思うからこそ、
静観を選んだ彼女の祈りを引き継ぎたいのですよ」
「……貴方は……アリア本人ではなく、アリアの願いを信仰しているのね?」
顔を上げた師範は、マリアさんの問いには答えず、白い歯を剥き出しにして ニッ! と笑った。
「ほれ行くぞ。さっさと動け、フィレス」
おっと。話が此方に戻った。
「すみません、師範。その前に一度、領主の館へ顔を出しておきたいのですが。休暇の無断延長と一時帰還を謝罪・報告しなければ」
「必要無い。お前は現在、「私」とアーレストの護衛騎士として教会に貸し出されてる状態だ。無断で休んでるどころか、特別手当が日毎に積まれてるぞ」
なんですって。
「それはもしや、前回此処でお世話になった時から?」
「ただでさえ失踪事件が続いてたんだ。お前まで消えたら、もっと
大事になるだろうが」
…………あ、そうか。
不可解な出来事に遭遇した所為で一時的に離脱してはいたが、私は元々領土内の失踪事件を追ってたんだ。休暇を申請してあるとは言っても、
怪奇現象が相手ではいつ解決できるか判らなかったし、担当騎士が長期間行方知らずとなれば、失踪事件を知る領民達に余計な不安を根付かせてしまう。でも私が師範達の護衛であれば、例えレゾネクトに殺されたとしても、「任務中に命を落とした」とそれらしい理由で誤魔化せる。
師範の嘘は私の為じゃない。領民達への配慮だ。
こんな深夜に外出するのも、何らかの気遣いか。
「……っ ありがとうございます……!」
常に冷静な視点で、大局を見ながら些事に気を配って行動する。
やはり、師範は素晴らしい。この方にお会いできて良かったと心から思える。
この方に追い付きたい、とも。
「待って」
気持ちが高揚するのを感じながら鞘付きナイフを腰帯に備えて上着を纏い、扉を開いた師範の後に続こうとして、マリアさんに呼び止められた。
「普通に行っても入れてくれないと思うわ。手伝いましょうか」
おや。マリアさんには師範の行き先が判るのか。普通に行っても入れない場所とは……?
「いえ、結構。相手が相手だけに、立場上貴女は居合わせないほうが良い。それに、道中はフィレスと二人で話したいので」
話?
「っちょっと待ちなさい、ソレスタ! アンタ、教会の業務を投げ出すつもり!?」
今の今まで凍り付いてたアーレストさんが急に動き出した。光の速さで師範の傍らに立ち、取っ手を掴んでないほうの手首を握る。
……アーレストさんも時々超人的な動きをするな。師範並みか、或いは師範以上に鍛えてる?
聖職者なのに?
「人聞きが悪いぞぉー。主神に関わる真相の探求と証明も聖職者の役目だろ。業務は本来一人でも熟せる程度の量だし、優秀な教師であるお前にならぜーんぶ任せちゃっても安心だ。違うかね? 新米神父の世話役君」
「ふざけんじゃないわよ、このバカッ! 何の為に私が派遣されたと思ってるの!? アンタを見す見す危険な場所へ送り出すワケないでしょうが!」
「なら、お前が行くか? 今の二人は、お前が最も苦手とする人種の筈だが。そうと分かってて冷静に対応できるのか?」
「!! そ……っ……、れは……」
「無理だろ。彼女の話を聴いただけで固まってるお前じゃ何もできん。倫理に則った怒りをぶつけることも、寄り添って心を安らげることも」
ぐっと言葉を詰まらせたアーレストさんからマリアさんへ視線を移し、もう一度アーレストさんを見た師範が、今度は私を見て小さく笑う。
「コイツ、小さい頃に性的な意味で男から暴行されそうになってな」
「「「は?」」」
マリアさんと私、マリアさんの首元でずっと黙ってたリースさんの、呆気にとられた声が重なった。
「その時は自前の力で撃退したんだが、以降、暴行された経験を持つ女にどう接して良いのかが解らなくなってるんだ。下手な言動で恐怖を思い出させたり傷付けたりしないか、無神経な態度を見せてはいないかって、な?」
返す言葉が見付からないのか、アーレストさんは唇を噛みながら師範の手を離して立ち尽くす。
「さっきまで固まっていたのは、クロスツェルさんの事やアリアの真実だけではなく、マリアさんの過去を気にして……?」
「……よく間違われますが、私は女性ではありません。私が男性に襲われかけた時の恐怖と、女性が男性に襲われた時の恐怖は、似て非なるものでしょう。「襲われかけた」と「襲われた」の違いも大きい。だから私には彼女達の気持ちが解らないし、どうするべきなのかも判らないんです。聖職に在る者としては、情けない限りですが……」
意外だ。アーレストさんなら、どんな相手にも躊躇い無く手を差し出せると思ってた。
「そうだな。迷いや戸惑いってのは、隠そうとしても周囲にはしっかり伝播するモンだ。中途半端な介入は言葉通りの「大迷惑」。お前自身の確固たる指針が立てられない内は、お前と二人は会うべきじゃない。俺の護衛はフィレスが居れば十分だし、お前は此処で大人しく書類と感情の整理でもしてろ。俺とフィレスが此処に居るって偽装工作も必要だろ?」
「……っ、だからって!」
「アーレストさん」
ベッドを降りて近付くマリアさんの声に、アーレストさんの両肩がビクッと跳ねた。
そろりとゆっくり振り返る様子は……なるほど。怯えにも似た何かを感じさせる。本当に、どうしたら良いのか判らないんだな。
そんなアーレストさんを見上げて、マリアさんが柔らかく微笑む。
「大丈夫。フィレス様が傍に居れば、ソレスタさんの安全は保障されるわ。彼女を信じて帰りを待ちましょう。その間に貴方と話してみたいの。付き合ってくれる?」
「話、ですか」
「ええ。何故かしらね? 貴方をじっと見ていると、とても大切な人達を思い出すのよ。雰囲気が何処と無く似てるから、かしら」
精一杯伸ばしたマリアさんの両手に、腰を曲げた姿勢で自らの両腕をおずおずと預けるアーレストさん。傍目には親と娘に見えなくもない。親を母と見るか父と見るかは人次第だ。
「……私もね。彼の行動には感情面で付いて行けなかった。頭では仕方ない、感謝するべきだと理解してるつもりよ。結果的には、彼の判断と行動があればこそ「
現状」に落ち着けたんだもの。でも、もっとよく考えていれば他に方法があったんじゃないかって、身勝手な怒りを捨て切れないでいる。貴方がそれに気付いてくれたこと、心から嬉しく思います。ソレスタさん」
アーレストさんと手を繋いだまま、師範に顔を向けて軽く一礼するマリアさん。
「女神を崇拝する者としては当然の話です。念の為に最終確認ですが、「勇者アルフリードは、退魔の力を使った直後や回復中、吐血したり異常な苦痛を訴えたりはしてなかった」……で、間違いありませんね?」
「ええ。間違いないわ」
強い眼差しで頷く彼女に「了解です。では、また後日」と言い残し、私達は足早に部屋を、教会を後にする。
扉に阻まれて見えなくなるまで、アーレストさんは困惑した視線を師範の背中に注ぎ続けた。
「……お二人を同じ場所に残して来て大丈夫なのでしょうか、師範」
「んー?」
暗闇の中でも黒い輪郭を現す建築物と建築物の間を、師範の一歩後ろに付いて歩く。
今のような草木も寝静まる時間帯になると、街灯は一部の区域を除いて全部落とされてしまう。経費削減……ではなく、火を灯す為の油が北方領全域で不足してる所為だ。
ほぼ万年雪に囲まれていれば、民の暖を確保する為に日々膨大な量の資源が消費されていくのは必然で。松明との併用にも管理と人員の面で限界があるし、商人達が運び入れる燃料を如何に巧く活用できるかが、北方を預かる各領主の腕の見せ所だったりする。
この街では深夜の不要不急な外出を条例で規制し、経済と防衛の主な活動領域だけを一晩中ぽつぽつと丸い灯りで照らしてる。当然、現在二人で歩いてる裏路地や水路脇には星と月の明かりしか射してない。仕方がない話ではあるが、いつ・何処からでも好きなだけ掛かって来なさい、不審者さん! といった様相だ。
「アーレストさん、失神寸前の病人も驚く酷い顔色になってましたが」
「二人揃って抱えてる事情がアレだからなぁ……。けど、互いに妙な親和性を感じてるみたいだし、彼女の精神は現代人よりずっと強い。問題は無いだろ」
親和性? 先日のアーレストさんの涙と、先程のマリアさんの言葉か。
マリアさんに懐かしさを感じたらしいアーレストさんと、彼を見ていると大切な人達を思い出すと言ったマリアさん。
二人が生まれ育った時代には数千年分の隔たりがある上、マリアさんは私が川で結晶を拾うまで殆ど幽霊状態だった。接点など皆無に等しい筈だが、何かしらの繋がりがあるとしたら……コーネリアさんとウェルスさん、だろうか?
アルフリードさんの仲間になった時点で、あの夫婦には既に子供が二人もいた。神々と魔王が姿を消した後の行方は知れないが、片方、若しくは二人共無事に生き延びていたとして、アーレストさんはその子孫だったり、とか。
コーネリアさんとアーレストさんは共に金髪金目で、不思議な力を発揮する歌と音楽の共通点も有るし。それならマリアさんは、彼らの子孫にかつての仲間の面影を見出した、とも考えられる。
ただ、この場合アーレストさんが感じた懐かしさは説明できないな。聴いた限り、子供達とマリアさんに面識は無さそうだったし、会っていたとしても数千年前の繋がりが人間側に残ってるとは思えない。
子孫説は当たらずとも遠からずな気がするのだけど。
「それより、フィレス」
「はい」
石造りの水路をさらさら流れる生活用水を横目に、両手を広げて五段程度の低い階段をひょいっと飛び降りる師範。首筋で一つに纏めた長い金髪が宙を泳ぎ、その内の数本が右から左へ真横に靡いた。靴裏と地面が接触すると同時に、右横の狭く真っ黒い建物の隙間から何かが倒れたような物音が聞こえる。
うん。物が壊れたような音でなくて良かった。
「お前、今は死因も普通の人間と変わらないんだよな?」
「ええ。飲食を断てば衰弱で死にますし、致命傷を与えられれば勿論死にます。出血多量でも、まず助からないでしょう。万が一死病を
罹患した場合も同様かと」
倒れたらしい何かには一瞥もくれず歩いて行くと、今度は頭上から大きな皮袋が降って来た。歩調を速めて躱してみれば、私の背後でズドンッ、バラバラバラ! と、けたたましい音を立てて路上に散らばる大量の「何か」。
小石、か? 石畳が壊れてたら大変だ。無許可で出歩く私達では役場に報告できない。配達人が早朝の仕事を始めてうっかり負傷する前に、夜警が気付いて注意してくれれば良いんだけど。
「覚醒と睡眠の時間比率が身体に与える影響は?」
「先日からの実感では、人間と全く同じです。過度な睡眠や寝不足は体と思考を鈍らせます」
街をぐるりと囲む石壁へ近付くにつれ、物陰から飛来する矢だの足元にピンと張られた細い縄だの、子供の悪戯かと疑いたくなる幼稚な罠の数々が勢いを増して次々に襲って来る。余程構ってもらいたいらしい。
が。
此方に付き合う義理は微塵も無いので、
悉く無視して先を急ぐ。
「人間との生殖は?」
「可能です。私か相手の生殖機能に重大な欠陥が無い限りは」
「お、お前ら!」
壁沿いでも特に
人気が無い場所を選んで来たのは判るが、此処からどうやって外へ出るのだろう? と師範の背中を眺めていたら、物言いたげな男四人が現れて私達を円く囲い込み……
「いったい、何ものぐぁっ!」
「ぎゃっ」
「ぐぉ」
「ふぐ……っ」
私が腰を屈めた途端、一斉に吹っ飛んだ。
ふわっと広がった黒布の内側で、腰帯に戻される
鈍な剣。
見事です、師範。
「その場合、生まれた子供は十中八九、ただの人間だよな」
「神の力を潜在的に引き継ぐ可能性は大いに有りますが、表層的には普通の人間でしょうね。私が知る限り、私の一族には代々普通の人間しか生まれてませんから」
壁に手を当てて歩きながら何かを探る師範が、ある一ヵ所で立ち止まり、壁をぐっと押し込んだ。すると、大人一人分に相当する範囲の壁が四角い形で外側に開き、小さな物音一つだけで街の外と内を繋いでしまった。外側に積もってる雪は、壁の上部に張り出した横長な見張り台のおかげで、扉の開放を妨げる量にはなってない。
緊急避難用の出入口? 形状からして一方通行か。こんな仕掛けがあるなんて知らなかった。別の場所なら領主から聴いてたんだけど。
側頭部強打で昏倒した盗賊と思われる四人を素早く引き摺り出し、壁を元に戻した後、見張りが気付かないように近くで繁っていた森の少し奥へと纏めて放り込む。周辺の雪に残った足跡を消しておくのも忘れない。
酷いと恨むなかれ。人間、誰かに危害を加えるつもりなら、それ相応の危害を加えられる覚悟も必要だ。
恩には恩を。無関心には無関心を。害意には害意を。
当然の報いでしょう?
街を離れ、サクサクと鳴る雪原を山方面へ、
暫くの間無言で進み……
「……やっぱり、俺にも可能性は有るんだな」
「は?」
「神化の可能性」
ピタッと止まる。
「……何を、お考えで?」
上擦った声に振り返った師範は、上機嫌な顔でとんでもない台詞を繰り出した。
「俺の心臓を退魔の力で貫いてもらったら、お前と同じになれるかもなって」
「っ……」
信じられない発言に息を詰まらせた、瞬間。
『くぉんの、おおバカモンぐぁああーッ!』
「ぃでっ!? な、っんだぁあ!?」
私の背後から一陣の風が凄まじい勢いで奔り抜け、師範の顔を猛攻撃する。
いや、風じゃない? 薄い桃色の光を放つ……小鳥?
白っぽい小鳥が翼を引っ切り無しに動かして、師範の顔と腕をバッシバシ叩いてる。容赦が無い。
『さっきから! 黙って! 聴いて! いれば! 私のフィレスに向かって! 配慮の欠片も無い暴言ばかり! 吐きおって!! 途中で聴くの止めてたらセクハラとモラハラで彩られた究極の変態親父だぞお前ぇえっ!!』
せくはら? もらはら?? どういう意味だろう。
というか、小鳥が普通に喋ってる?
……違う。鳴き声そのものは疑う余地も無く「鳥」だ。耳奥で人間の言葉に変換されてるのか。
だとすると、これは……
……なんだかんだ言って、結構残ってるんですね……怪奇現象……。
咄嗟に構えたナイフは必要無さそうだし、仕舞っておこう。
「誰が親父だ、誰が! 俺はまだ酒を片手にグータラする年齢じゃねー……って、ちょっと待て! フィレスは俺のだっ! なんだか知らんが、譲る気は一切無いぞ!!」
はい?
『変態の部分は否定しないのか! このたわけッ!』
「残念だったな! 自覚済みだ!」
あ、そう……なんですか?
『開き直るんじゃない! もうお前、フィレスに近寄るな! この子が穢れる!』
「嫌ですぅー! 寧ろ穢しますぅー! お前こそ、フィレスとの貴重な二人きりの時間に割り込むな!
野良鳥!」
『野っ!? 何処までも無礼な奴だな、ソレスタ=エルーラン=ド=アルスヴァリエ! この鳥形は世を忍ぶ仮の姿で、本当の私はアーレストにも引けを取らぬ美しい容姿をした、アリアシエルとアルスエルナ王国とフィレスの(自称)守護女神だぞ! 敬え! 感謝しろ!』
今、小さく「自称」とか呟いたような。
「現実・現在、俺の顔を突いてんのはどう見たって鳥じゃないか! 過ぎ去りし日の姿形を自画自賛してりゃ世話ねぇな! 生憎、実質がどうあれウチの主神は女神アリアなんだよ! フィレスへの御加護がどんな物かは知らないが、今迄ありがとうございました! 今後の娘の成長に乞うご期待!」
『お役御免な言い方をするな!』
「子離れは親の義務だろぉが! つーか、いい加減鬱陶しい!!」
顔を庇ってた両腕を横へ開き、飛び回る小鳥の体を拝み手の要領で ぐわしっ と挟み込んだ。翼を封じられた小鳥は、首だけを忙しなく動かしてピー! ピー! と非難の声を上げる。
どさくさ紛れに足爪で引っ掻かれてたのか、師範の顔は細線だらけだ。
「ったく。どうしてくれようか、この光る鳥。見世物小屋に売り払うか? 丸焼きか? それとも、丁寧に解体した後で串に刺してやろうか」
「師範、それは」
止めたほうが良いのではと言いかけて、パタリと鳴き止んだ小鳥に目を向けた。小鳥は師範の顔をじぃっと見つめてる。
「なんだよ」
『……フィレスが退魔の力で覚醒したのは、この子が女神の子孫で、魂の本質も生粋の神々と同じだったからだ。お前の場合は間違いなく、死ぬ。絶対に止めろ、ソレスタ』
「魂の本質?」
『種族の種族たる特徴は、魂の質と、生物が受け継ぐ外殻と、それを維持するに足る熱量……生命力の分量に左右される。フィレスは両親の情報から人間の器と生命力を構築したが、魂そのものは退魔の力に触れるまで限り無く人間に寄せていただけで、元々は神の物と同質だった。だから退魔の力と共鳴、血にも残っている神の性質を利用して存在を変質できたんだ。残念だが、お前の先祖も魂も神のそれではない。神の力なんぞ喰らったら、生命力はともかく器と魂の大部分が損壊するぞ』
「器と魂の大部分が損壊する?」
『ああ。最低限の生体活動だけを繰り返す、短命な寝たきり人形の出来上がりだ』
「ふぅーん。それはそれは……」
数秒目を伏せた師範が、何かに気付いたのか、私を見てにやりと笑う。
凄いな。私ではさっぱり付いて行けない内容にも、師範は理解を示してる。
「「退魔の力が」フィレスの魂を神の物に覚醒させて、人間部分を変質した?」
『正確には、「覚醒した魂のほうが」アーレストの力を借りて、生命力と外殻の構成を神の物に自主修正したんだ』
「つまり、退魔の力は基本的に人間部分を害さない?」
『あれは悪魔を退ける為の力だからな……って…… あ。』
あ。
「へぇえええー。そーかそーか。俺の魂は限り無く人間寄りな悪魔で、ご先祖様は神でも人間でもないのかあ。道理で昔、初対面のアーレストに開口一番「悪魔の仲間?」とか訊かれたワケだ。俺の鍵にはレゾネクトかべゼドラが合うってことだよなぁ?」
師範が……アルスエルナ王国の第二王子である師範が、悪魔の子孫? それはもしや……
『い、いや、ちょっと待て、早まるな! 神と悪魔は別物だ! 今まで悪魔に覚醒した人間はいないし、フィレスと同じ経過を辿っても、同じ結果を得られる確証は何処にも無いんだぞ!? 好奇心で自殺するつもりか!?』
手の中で再度暴れ出す小鳥。見下ろす師範の顔は、なんだかとても悪人ぽい。
「失礼だな、野良鳥。あいつじゃあるまいし、俺は好奇心だけで動いた例は無いぞ」
『まさに今! 物は試しだやってやろう! って顔してるだろうが! あと、私は天属こそ抜けたが、生粋の女神だから! 外見は鳥でも、野良ではないからな!?』
「俺は元々こういう顔だ。楽しんではいるけどな。お前、守護女神とか言ってずっと潜んでたクセに「今」姿を現したってことは、フィレスを迎えに来たんだろ? 場外から飛び込んで来た見物客が、我が物顔で獲物を掻っ攫って行くとかさぁ。そういうの、許し難いんだよなぁー」
えーと……私は獲物なんですか? 師範。
『現段階で表に出る気は無かった! フィレスが人間世界を離れるまでは今まで通り見守っててやろうと思ってたのに、お前があまりにも莫迦な事を言うからっ!』
「俺にも可能性が有ると言っただけだ。実際にこれからやってもらおうとは明言してない。やる気も無いし」
「『え』」
「えって何だよ、フィレスまで。当たり前だろ? 「私」を誰だと思ってるんだ。現在は北区でそこそこ大きい教会を預かる神父、アルスエルナ王国の第二王子・ソレスタ=エルーラン=ド=アルスヴァリエだぞ。
騎士以上に、いきなり消えたら「大勢の民が」困る立場の人間なんだ。簡単に棄てて良いワケないだろうが」
「それは、そうですが」
師範は責任感が強い人だ。面倒臭い事は面倒臭いと言って避けたがりはするが、一度背負ったものは絶対に投げ出さない。気紛れに見える騎士団長の辞職と神父への転職にも、裏にはそれなりの理由が有る筈だと私は踏んでる。クローゼットに仕舞われてた剣が良い証拠だろう。
だからこそ、先程の台詞には驚かされたのだ。
彼が自身の立場と責任を切り捨てるような、ありえない事を言うから。
『本当に? 本当に、試す気は無いんだな?』
「くどい。俺はフィレスの師だ。次期メルエティーナ伯爵・フィレス=マラカイト=メルエティーナを導き、立たせる者。失望なんか、させて堪るかよ」
大人しくなった小鳥を空へ解き放ち、私達に背を向けて歩き出す師範。
私は
『……フィレス、私は……』
「一緒に行きましょう。私の守護女神だという貴女の話も聴いてみたいです」
パタパタと飛んで来た小鳥を右肩に迎え入れ、ふわふわな体毛を一撫でしてから師範の後を追う。
……いや。
「構いませんよね、師範」
師範の左横に出て、並んで歩く。
師範は、私の顔を少しだけ驚いた目で見て
「付いて来れるならな」
優しく微笑んだ。
「はいっ!」
師範は素晴らしい。師範以上に出来た人間など、私は知らない。
理想で、目標な……常にそう在ろうとしてくれてる、私の恩師。
そんな彼の振舞いが。一言が。
私の頬に熱を集め、心臓を高鳴らせ、血液を沸き立たせてくれる。全身の毛が逆立ち、山岳地帯を叫びながら全力疾走したくなるような私の闘志を、際限無く燃やしてくれる。
私こそ、この方を失望させてはならない。
いつの日か必ず追い付き、追い越さなければ。
『……』
「どうしました?」
不意に小鳥の視線を感じ、首を傾げる。
『……気にするな。天然と鈍感は遺伝するんだなぁと思っただけだ』
「はい?」
天然? 鈍感?
『改めて名乗ろう。私は音を司る女神アオイデー。フィレスの先祖、言霊を司る女神メレテーの親友だ。アルスエルナの王族に繋がる古き友との約束でお前達人間を影から見守ってきたが、こうなっては仕方ない』
「仕方ないも何も、完全にお前の早とちり」
『喧しい! いいから聴け!』
「へいへい」
なんという雑な返し。自称とは言え「女神」を相手にしてる筈なのに、アリアへの理解やマリアさんへの丁寧な態度とは大違いだ。これが信仰心の表れか。
『私は、現時点からフィレスが人間世界を離れるまでの間、レゾネクトの一件を知る者達に直接付く守護者となろう。特にソレスタ! お前は悪魔化を試す気は無いと言うが、過去の所業を考えると全く信用できん! 生きてる限り何処までも延々と付き纏って、夜となく昼となく
具に監視させてもらうからな!』
「うわ、すんごい邪魔…… ん? 音を司る女神? お前、アーレストの先祖か」
『私に子孫はいない。あれはお前と同じ、古き友の血筋だ。一応言っておくが、あれの魂は人間で、あれが使う力は神や悪魔の物とは違う。強いて分類するなら「創造神お抱えの調律師」。私が把握している全生物の歴史の中では二人の人間にしか現れていない、ありとあらゆるものを創世当時の旋律へ導く希少な指揮者だ』
調律師で指揮者。それっぽいを通り越してそのままだ。
「ふーん? じゃあ、あいつ……プリシラは?」
『ただの人間』
「納得いかん! あいつのほうが俺よりよっぽど悪魔だろ!?」
『情報収集と分析能力の話なら、答えは単純に人海戦術と人間観察だぞ。人脈作りとか人材育成とか諸々の実行手段とかは見てるこっちの心臓に悪い事だらけだが、それも大きく長い目で見れば基本に忠実なだけで、時と場合と相手さえ考慮しなければ、大した事はやってない』
「各国の主要組織に背景を隠し通せてる時点で「大した事」なんだっつの。やっぱりバケモンだな、あれは」
腕を組んでうんうんと頷く師範。
この方がバケモノ呼ばわりするプリシラさんとは、いったい。
「ついでに聴くが、お前が本物の堕天使なら勇者アルフリードを知ってるよな? 彼もフィレスと同じ要因と過程で神化したのか?」
『……お前、本当に悪魔化は……』
「しつこい。誤認を避ける為の質問だ」
『…………少し違う。勇者の魂は、祝福を受けて神々の眷属と化した元・人間だ。お前が考えてる通り、あれは「わざと」「そうした」と考えるべきだろう』
「なんだ。俺の考えが読めてんなら、現状で俺が悪魔化を狙う訳が無いのも解ってるだろうが。とりあえず、情報提供には感謝するぞ、アオイデー。これで二人の足取りは確定だ。はは! どっちが先に着くか、競争だな」
師範が物凄く嬉しそうに目元を歪めた。気に入らない相手の懲らしめ方を考えてる時の笑顔だ。本気で怒ってる。
ロザリアさんとクロスツェルさんが必ず足を運ぶ場所、か。神化の話に拘りを見せてる辺り怪奇現象と深い関わりが有って、且つ普通に行っても入れないとなると……師範が目指してるのは多分、あそこ、かな。
「私達が先に着いたらどうするんですか?」
「ヤツを殴る」
『おい』
「冗談だ。此方からは何もしない。連中の話を聴きながら当事者二人の到着を待つさ。この件に関しては、どんな結末であれ、決めるのは二人の裁量だ。其処に
部外者の感情は関係無いし、必要も無い。この件に関しては、な」
『お前は潔いのか何なのか……何十年と見ていてもイマイチ解らん』
「俺は、必要だと思う事を必要な時にやるだけだ。十分潔いだろう?」
「そうですね」
実際、やれると思えば必ずやり、やれないと思ったら絶対にやらない師範の判断力と決断力は、アルスエルナ国内随一と言ってもきっと過言ではない。
深い同意を込めて頷くと、アオイデーさんにとても心配げな目で見られた。
「ところで、本当に付いて来る気か? 対レゾネクトの戦力に数えられてたフィレスはともかく、お前は連中にとって排除の対象だろ?」
『私の安全は考えなくて良い。今は私の力で存在を認識させているが、普段の私は古き友の力で生物の気配を消している。音に敏いアーレストでさえ、現在に至るまで目と鼻の先に居ても気付けぬほど完璧にな。仮に見付かったとしても、私の力量のほうが上だ。あれには負けんよ』
そういえばアーレストさんは前回、私に向かって「こんな音は聴いた例が無い」と言ってたか。アオイデーさんが雑じり気無しの
堕天使で、短時間でも彼の間近に居たのなら、アーレストさんが「神に類する音を聴いたことが無い」のは不自然に思える。
しかし、アオイデーさんが敢えて気配を消していて、それが悟られてないとすれば……なるほど、筋は通るか。
で。
何故、数歩分後ろで立ち止まっているのでしょうか、師範。
「お前……見守るって、対象に気付かれずに四六時中貼り付くって意味か! フィレスの食事にもフィレスの憚りにもフィレスの入浴にもフィレスの寝床にもずっとずっと……とんでもない偏執狂だな!」
えぇー……
『……大概にしとけよ、このクソガキ……ッ! そんな下らない考えを巡らせるのはお前くらいのものだぞ、莫迦者が! フィレスの寝顔が可愛いのは認めるがな!!』
ええぇー…………
「うわ、マジモンか! 俺だってまだちゃんとは見てないのに……っ お前こそフィレスから離れろ、変態鳥!」
『断る! 私のフィレスに邪な虫を近付けさせるものか! お前は特に許さん!』
「なんでだよ!」
『人間のお前と女神のフィレスが契りを交わしても、悲しむのは取り残されるフィレスだけじゃないか! 人間のままでいると決めたんなら、この子に余計な情を掛けるな! その分フィレスの後悔や絶望が深くなるんだと、莫迦なお前でも想像は可能だろう!?』
「「!」」
頭を低く、両の翼を広げて師範を威嚇するアオイデーさんの思い掛けない切り口に、私の指先がピクリと動いた。師範も、片方の眉を跳ね上げる。
「……後悔も絶望も、するかどうかを決めるのはお前じゃない。フィレスだ」
『絶望は、来ると解って待ち構えていても受け入れられないから「望みを絶たれた」と言うんだ。避けられるなら避けるべきだ。せめてフィレスだけは……』
「貴女が誰の話をしているのかは知りませんが。もしも絶望を避ける手立てがあるとしたら、それは誰とも関わらず、何も望まず、無為に時間を遣り過ごすことだけでしょう。生きながら死んでいるのと何一つ変わらない。逆に言えば、私の後悔と絶望の深さは、私がどれだけ真剣に生きて来たかを自らに示す証です。何事からも目を逸らし、耳を塞ぎ、意欲の欠片も無く得た薄っぺらい証など、私は要りません。第一、私が人間世界を離れるのは無用な混乱を生じさせない為であって、逃げる為ではない。後々が楽だから早めに関わりを断てと言われても、余計なお世話ですとしかお答えできませんよ」
『……っだが』
私の顔を覗き込み、か細い声で ぴるる と鳴くアオイデーさん。
生物の気配を消して何千年か、もっと長く世界を見守り続けて来たらしい女神は、たかだか二十年とちょっとしか生きてない私では決して量り切れない思いを抱えてる。口惜しい生き別れも遣り切れない死に別れも嫌になるほど経験し、見送ったに違いない。
でも。
誰かは誰かであり、私は私だ。
「貴女が知る誰かは、立ち直れないくらいの絶望に堕ちてしまったんですね。不謹慎と思われるかも知れませんが……其処まで強く深く誰かや何かを愛せたその誰かを、心から尊敬します。自分を殺せるだけの熱情を、私は未だに知らないから」
『……そんなもの、知っても辛いだけだ』
「知らないものを知りたいと思ってしまうのは、生物の本能なんですよ。それに」
落ち込んでしまったアオイデーさんの足元に左手の人差し指を宛がい、ちょんと乗り移った小鳥を右手で包み、胸元でそっと抱き締める。
「いつか人間世界を離れて親しい人達を亡くしても、私には貴女が居てくれるのでしょう?」
アオイデーさんの言葉を全面的に信用するなら、彼女は私の成長を見守ってくれた親も同然の女神だ。傍に居てくれるなら、それはそれで心強い。
食事や寝床はともかく、他は遠慮していただきたいけれど。
『フィレス……』
心做しか潤んだ瞳に見上げられ、にこりと微笑んだら
「はい、其処まで。」
大きな手に遮られた。
愕いて指先から落ちかけた小鳥を、手のひらでなんとか掬い上げる。
「此処から先は有料です。いっそ立ち入り禁止です。変態を司る偏執狂な女神サマは接近しないでクダサイ。」
持ち上げた目線の先で、にんまりと意地悪い笑みを浮かべる師範。普段の鋭いつり目が細くなってる所為で、悪ふざけ中の悪役にしか見えない。
『……っお……っまえぇ……!』
「目の前の花をよく見ろよ。ソイツ、心身共に足掻いてもがいて諦めても立ち上がって、より高い場所を目指しながら必死で前へ進んでる、掛け値無しのカッコイイ女だろ? 生温い湯に浸けて腐らせるにはまだまだ早い。散り際まで美しく咲かせ続けてやるのが俺達の役目だと、そうは思わないか?」
手を外した師範が顎で雪山を示し、さっさと行くぞと再び歩き出す。
目が点になった私と、
『なっ、何がカッコイイ…… っふぎゃう!?』
「! すみません、つい」
私の両手で圧死寸前の危機に追い込まれた小鳥を置いて。
『び、びっくりした……。どうした、フィレス?』
「いえ、なんでもないです」
なんでもない。
そう、なんでもない。
あんな褒められ方は初めてだったから驚いただけだ。
驚きすぎて……心臓が破裂するかと思った。
何気無く触れた耳が、熱い。
『……………………有罪。』
「はい?」
『有罪有害有罪有害女誑しは断乎撲滅懐柔篭絡絶対阻止』
「はぁ…… ??」
鳴り止まない規則的な爆音を収めようと、右肩に乗り直したアオイデーさんの苛立たし気な呟きに耳を傾けた私は、だから気付けなかった。
言葉巧みに真意を隠し、私達に背を向けたまま勝ち誇った笑みを浮かべている、師範の一人言に。
「悠久の時を生きる女神とやらも、案外大したことはないな」