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逆さの砂時計

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Side Story
  インナモラーティは筋書きをなぞるのか 1

 さて、どうしたものか。

 レゾネクトとの決着を経て教会に現れた私達を、疲れているでしょうからまずはゆっくり休んでくださいとベッドを譲り、一泊させてくれた後。
 私とマリアさん達から改めて事情を聴き終えたアーレストさんは、椅子に座ったまま両目を見開き、周囲の空気と一緒に凍り付いてしまった。
 心拍停止に陥ってないか、ちょっと心配になるくらい動かない。

 彼の正面に座ってる師範も、テーブルの上で肘を立て、重ねた両手の甲に額を押し付けてため息を盛大に吐き捨てたと思ったら、かれこれ数十分間、身動き一つせずに沈黙を保ってる。
 こんなにも長時間、無言で思案に没頭する師範は初めて見た。

 聴けば、二人はそれぞれが教会を預かるほどの敬虔なアリア信徒だ。
 主神にまつわるあれこれを聴かされた衝撃は相当なものだろうと思うが。

 ふと見上げたガラス張りの高い天井からは、真っ黒な空と、星月の瞬きが顔を覗かせてる。
 一般信徒達は帰宅済みだから、礼拝関係の業務に支障は無いとしても。
 執務のほうは放置してて大丈夫なのだろうか?

 心の中で首をひねりつつ、書棚と男性二人を黙って見比べていると。

「確信犯……か。行くぞ、フィレス」
「はい?」

 突然立ち上がった師範がクローゼットから一般男性向けの上下服と革靴を取り出し、それらを持って、浴室へと滑り込む。
 どうやら神父としてではなく、一般民として教会を出歩くらしい。

 こんな深夜に外出? と訝りながら、私もクローゼットに歩み寄り。
 失礼を承知で、中身を拝見する。

 ざっと見た限りでは、スペアと思われる真っ白な長衣の他にも、着古し感漂う外出着が数枚と、傷みが目立つ黒っぽい革靴が三足と、本体が小さめな肩下げ型の黒革製バッグが二つ。
 そして、神聖な教会には相応しくない、抜き身の剣が一本入っていた。
 二人が()()()()()()()()()()()()()()教会を頻繁に出入りしてる証拠だ。

 まあ、師範だし。
 いつ・どこに・どのような立場で居て・どんな武器を隠し持っていても、別に驚きはしない。
 殴られれば痛い程度に殺傷能力を削いであるだけ、まだ良いほうだろう。

 それよりも。
 クローゼットの側板に立て掛けられた剣の奥から、こちらをじいいいっと凝視してくる、妙に丸っこい物体のほうが気になる。

 本体らしき、青い半円の正面中央付近に付いた二つの黒い点。
 本体下部から伸びる、四本の白くて丸っこい棒。

 なんだろう、これ?
 造形を極端に簡略化した、くらげのぬいぐるみに見えなくもないが。

 何故、こんな場所にくらげ?
 しかも、親子のつもりなのか、大小二体で仲良く横並びしてる。

 確か執務室の机の上にも、これとそっくりな形の燭台が置いてあったな。
 あちらは、本体の半円下部から伸びて上向いた四本足が、ロウソク立てと受け皿になっていた。
 最初ちらっと視界の端に映り込んだ時は、愉快な物が売られてるんだな、程度にしか思わなかったが…………ふむ。

 なるほど。
 二人共、くらげが好きなのか。
 新発見だ。

「どちらへ行かれるのですか?」

 やや間を置いてから手ぶらで出て来た一般民姿の師範に、彼用と思われる黒い外套と、(なまくら)な剣を手渡す。

「安直な手段でアリア信仰の禁忌を犯したド阿呆の所だ。女神アリアが……いや、今はロザリアか? 彼女が人間と変わらない思考回路の持ち主なら、三人……は違うな。ロザリアはべゼドラを嫌ってる。同行はしてないだろ。おそらくべゼドラを除いた二人でそこへ向かう。話を聴くにはちょうどいい集合場所だ」

 あ。
 教会の外じゃなくて、街の外を出歩くのか。
 だったらバッグも必要かな。

 クローゼットの中にあるバッグは、どちらも同じ造りだが。
 師範の所有物ならこっちかな? と、傷が多いほうを追加で手渡し。
 何も言わずに受け取った様子から、間違えてないと見えてほっとする。
 しかし。

「アリア信仰の禁忌を犯したド阿呆?」

 ロザリアさんに暴行を加えたべゼドラさんやクロスツェルさんではなく、他に、アリア信徒を怒らせる何かをやらかした人物がいた?
 心当たりはないが、誰の話だろうかと小首を傾げた途端。

「貴方は、真相を知ってもまだ、あの子の信徒を続けるの?」

 ベッドの端で両足を下ろして座ってるマリアさんが、師範に声を掛けた。
 その隣で猫のように丸くなって寝ていたティーも顔を上げ。
 師範の動きを目だけで追いかける。

 受け取った抜き身の剣をそのままの状態で腰帯に挿し込み、バッグを肩に掛けてから外套を羽織った師範は、廊下へ続く扉の取っ手を掴んだところでマリアさんへと振り返り、頷いた。

「今のところ、辞める理由が見当たりませんので」

 師範の言葉遣いが丁寧だ。
 珍しい。

「あの子は、浅はかにも自らを創造神と偽り、自分本位な願いの為に世界を作り変えようとしたわ。それは決して赦されざることよ」
「はっきり言えば、やり方自体は誉められたものではありません。人間には無い力を所持していても結局人間と大差ない方法しか選べなかったのかと、少なくない落胆を覚えたのも事実です」

 しかし、魔王と契約した当時の彼女の状況、推定年齢、知識量、成長度や世界情勢を考慮した場合、私には彼女を責められない。
 彼女の選択を助長したのは、悪魔の(ささや)きなどではなく。
 他ならぬ、私達人間の愚行だ。

「正直、呆れましたよ。何千年と歴史を重ねても、人間という生物の本質は変わらないものなのかとね」

 確かに。
 アリアが魔王レゾネクトと契約するに至った直接的な原因は、人間同士の争いによる親しい者達の理不尽な死だった。
 悪魔による被害もそれはもちろんあっただろうし、そうした事実は確実に彼女の心を痛めつけただろう。

 だがそれ以上に、悪魔達に(おび)かされている状況下で、同じ種族同士が命の奪い合いを続けていた現実が、幼い頃のアリアに強硬な手段を選ばせたと言って良い。
 人間同士が互いに助け合う世界だったなら。
 アリアが創造神を目指す理由(きっかけ)は、ほとんどなかったのだ。

 けれど結局、女神アリアの思想を天意と掲げて幾千の時を重ねてもまだ、人間は人間を相手に争い続けてる。
 むしろ、天意を戦因にして被害を拡大させたようにも見える。

 誰も殺さないで。
 誰もそんな風に死んでいかないで。

 アリアの、悲痛としか表現できないあの嘆きと願いは、残念ながら肝心な人間には届いてなかった。

「人間に対して呆れることが、アリア信徒であり続ける理由になるの?」
「学も何も持たない幼子が、そうした苛烈な環境に置かれてもなおみんなで一緒に生きたいと願い、実際にどうすれば良いかを考え、自身に降り掛かる苦痛を承知で実行に移した。いつでも誰かがなんとかしてくれると無条件で信じ込んでいる、そこらの他力本願共とは比べようもない覚悟と気高さだ。敬意を抱きこそすれ、愚か者と切り捨てる要因には成り得ません。それに」

 神父服を脱いでも首に掛けたままだった信徒の証のペンダントを、外套の上から指先でそっと押さえ、師範の唇が弧を描く。

「助け合いで廻る世界……それを目指し、理想を掲げて立ち向かうことが、誰か本位で身勝手な願いだとは思いません。志そのものは間違っていないと思うからこそ、静観を選んだ彼女の祈りを引き継ぎたいのですよ」
「貴方は、アリア本人ではなく、『アリアの願い』を信仰しているのね?」

 顔を上げた師範は、マリアさんの問いに答えず。
 白い歯を剥き出しにして ニッ! と笑った。

「ほれ行くぞ。さっさと動け、フィレス」

 おっと。話がこちらに戻った。

「申し訳ありません師範。出立する前に、実家である領主の館へ顔を出しておきたいのですが。休暇の無断延長と一時帰還を謝罪、報告しなければ」
「必要ない。お前は現在、『私』とアーレストの専属護衛騎士として教会に貸し出されてる状態だ。無断欠勤どころか特別手当が日毎に積まれてるぞ」

 なんですって。

「それはもしや、前回ここでお世話になった時から?」
「ただでさえ原因不明の失踪事件が続いてたんだ。次期伯爵として自警団に所属してるお前までが消えたら、もっと大事(おおごと)になるだろうが」

 …………あ、そうか。
 不可解な出来事に遭遇したせいで一時的に離脱してはいたが。
 私は元々、領土内の失踪事件を追ってたんだ。

 休暇を申請してあるとは言っても、怪奇現象(レゾネクト)が相手ではいつ解決できるか分からなかったし。
 失踪事件を担当する騎士が長期間行方不明となれば、事件を知る領民達に余計な不安を根付かせてしまう。

 しかし、師範達の護衛に就いているのであれば。
 たとえ私がレゾネクトに殺されたとしても、賊や敵対勢力などから王国の要人を護って命を落としたのだと、それらしい理由で誤魔化せる。

 師範の嘘は、私の為じゃない。
 領民達への配慮だ。
 こんな深夜に外出するのも、なんらかの気遣いか。

「……っ ありがとうございます……!」

 常に冷静な視点で、大局を見ながら些事(さじ)に気を配って行動する。

 やはり、師範は素晴らしい。
 この方にお会いできて良かったと、心から思える。
 この方に追い着きたい、とも。

「待って」

 気持ちの昂りを感じながら、鞘付きのナイフを腰帯に備えて上着を纏い。
 扉を開いた師範の後に続こうとして、マリアさんに呼び止められた。

「普通に行っても、彼らは招いてくれないと思うわ。手伝いましょうか?」

 おや。
 マリアさんには師範の行き先が判るのか。
 普通に行っても招いてくれない場所とは?

「いえ、結構。相手が相手だけに、立場上貴女は居合わせないほうが良い。それに、道中はフィレスと二人で話したいので」
「話? 私にですか?」
「ああ。ちょっとした確認だ」
「っ、待ちなさい、ソレスタ! アンタ、教会の業務を投げ出すつもり⁉︎」

 今の今まで凍り付いてたアーレストさんが、急に動き出した。
 光の速さで師範の傍らに立ち、取っ手を掴んでないほうの手首を握る。

 アーレストさんも、時々超人的な動きをするな。
 師範並みか、あるいは師範以上に鍛えてる?
 反戦主義のアリア信仰に席を置く聖職者なのに?

「人聞きが悪いぞおー。主神に関わる真相の探求と証明も、聖職者の立派なお役目だろ? 業務は本来一人でもこなせる量だし、超・優秀な教師であるお前になら全部任せちゃっても安心だ。違うかね? 新米神父の世話係君」
「ふざけんじゃないわよ! 何の為にこの私が派遣されたと思ってるの⁉︎ アンタを見す見す危険な場所へ送り出すわけがないでしょうが!」
「なら、お前が行くか? 今の二人はお前が最も苦手とする人種の筈だが。そうと分かってて、冷静に対応できるのか?」
「‼︎ そ……っ……、れは……」
「無理だろ。話を聴いただけで固まってるお前じゃ、二人には何もできん。倫理に則った怒りをぶつけることも、寄り添って心を安らげることも」

 ぐっ、と言葉を詰まらせたアーレストさんからマリアさんへ視線を移し、もう一度アーレストさんを見た師範が、今度は私を見て小さく笑う。

「コイツ、子供の頃に性的な意味で男から暴行されかけた経験があってな」
「「「…………は?」」」

 マリアさんと私、マリアさんの首元で黙って座ってたリースさんの呆気にとられた声が重なった。

「その時は自前の力で撃退したんだが、それ以来暴行された経験を持つ女にどう接して良いのか解らなくなってるんだ。ヘタな言動で恐怖を思い出させ傷付けてはいないか、無神経な態度を見せてるんじゃないか、ってな」

 返す言葉が見つからないのか、アーレストさんが黙って師範の手を離す。

「さっきまで固まっていたのは、クロスツェルさんのことや、アリアの真実だけではなく、マリアさんの過去を気にして……?」
「よく間違われますが、私は女性ではありません。私が男性に襲われかけた時の恐怖と、女性が男性に襲われた時の恐怖は、似て非なるものでしょう。()()()()()()()()()()の違いも大きい。だから、私には彼女達の気持ちが解らないし、どうするべきかも解らないのです。情けない限りですが……」

 意外だ。
 アーレストさんなら、どんな相手にも躊躇なく手を差し出すと思ってた。

「そうだな。迷いや戸惑いってヤツは、どんなに隠そうとしても、周囲にはしっかり伝播するモンだ。中途半端な介入は、言葉通りの『大迷惑』。お前自身が確固たる指針を立てられないなら、お前と二人は会うべきじゃない。俺の護衛はフィレスが居れば十分だし、お前はここで大人しく書類と感情の整理でもしてろ。俺とフィレスがここに居るって偽装工作も必要だろ?」
「……っ、だからって!」
「アーレストさん」

 ベッドを降りて近付くマリアさんの声に。
 アーレストさんの肩が、ビクッと跳ね上がった。
 そろりとゆっくり振り返る様子は……
 なるほど。怯えてるようにも見える。
 どう接したら良いのか、本当に解らないんだな。

 そんなアーレストさんを見上げて、マリアさんが柔らかく微笑む。

「大丈夫。フィレス様が傍に居れば、ソレスタさんの安全は保障されるわ。彼女を信じて二人の帰りを待ちましょう。その間に貴方と話してみたいの。付き合ってくれる?」
「話、ですか」
「ええ。何故かしらね? 貴方をじいっと見ていると、とても大切な人達を思い出すのよ。雰囲気がどことなく似てるから、かしら」

 精一杯伸ばしたマリアさんの両腕に、腰を曲げた姿勢で両手をおずおずと預けるアーレストさん。
 傍目には親と娘に見えなくもない。
 親を『母』と見るか『父』と見るかは、観測者次第だ。

「私も()の行動には感情面で付いて行けなかった。頭では感謝するべきだと理解してるつもりよ。現状に落ち着けたのは()の判断があってこそだから。でも、他に方法があったんじゃないかって身勝手な怒りを捨て切れないの。貴方がそれに気付いてくれたこと、心から嬉しく思います。ソレスタさん」

 アーレストさんと手を繋いだまま、師範に向けて頭を下げるマリアさん。
 師範も、マリアさんに向かって軽く頷いた。

「女神を崇拝する者としては、当然のことです。念の為に最終確認ですが、勇者アルフリードは、退()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……で、間違いありませんね?」
「ええ。間違いないわ」

 強い眼差しで頷く彼女に「了解です。ではまた後日」と言い残し。
 師範と私は足早に部屋を、教会を後にする。

 閉まる扉に(はば)まれて見えなくなるまで。
 アーレストさんは、師範の背中に困惑した視線を注ぎ続けていた。

 
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