逆さの砂時計
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Side Story
少女怪盗と仮面の神父 50
「それからは、ミートリッテが知っている通りよ」
疲労のせいか、砂浜で高熱を出して倒れた貴女を抱えて家に戻った後。
私は貴女を引き取る為に、村長様を仲介してエルーラン殿下からこの家の所有権を買い取り、アルスエルナ王国軍所属騎士の称号と任務を授かった。
貴女には、犯罪抑止を目的とする後催眠暗示と健忘暗示を施した。
私が騎士の仕事を始めたのは、貴女と二人で南方領を巡り出した頃から。
最初は、南方領各地の防衛体制を密かに視察。
次はネアウィック村の自警団と村外に配置されている騎士達の訓練模様を観察し、組織運営に関する改善策を提言。
騎士候補生達の訓練にも、指導役として参加。
「そして……私自身が真剣を握り、振るう訓練」
一時期凄まじい勢いで甘くて辛くて酸っぱいのか苦いのかよく分からない未知の料理を量産していたのは、そのせいだった。ごめんなさい。
と、そう謝るハウィスに、ミートリッテは無言で頭を振る。
彼女は剣を、人を傷付ける刃そのものを怖がっていた。
第三王子と騎士達の指導で少しは慣れていた、とはいえ。
刃物を扱う料理で集中力が欠けるのは、どうしようもない。
しかも、同居人には事情の一切を隠していたのだ。
自身が抱えているものを悟られまいと、毎日毎日必死だっただろう。
そんな彼女を、今のミートリッテが責められる筈もない。
「……家事の一つもまともにこなせない、物凄く情けない状態だったから。実を言うとね、貴女が南方領内を一人で旅して回りたいって言い出した時、ちょっとだけ気を抜いてしまったのよ」
『幼い子供の一人旅』という体裁を除けば、貴女は村の外で好きな物事に思う存分触れて、学べる。
私は訓練の現場を見られる心配が減り、鍛錬に集中できる。
どちらにとっても都合が良い話だなって。
「そういう安易な考え方をしたから。貴女にも、ブルーローズと同じ過ちを犯させてしまった」
南方領貴族の所有品が消失する事件は当初、貴族の間で秘匿されていた。
ブルーローズが姿を消して数年。上がり続けた税金への不満が社会全体に蔓延する中で、またしても義賊が現れたとなれば、治安や経済や人心の面で厄介な事態を招くのは目に見えていたからだ。
最悪の場合、税金を投じて強化した筈の防衛力にまで、他領の人間からも口出しされかねない。
自国の人間に侮られれば、他国にも甘く見られるのは必然。
『政治能力への疑問視』
執政者にとってそれは、なんとしても避けねばならない進退問題だった。
しかし。
一度目は沈黙、二度目は静観。
三度目は水面下の対策、四度目は近辺の調査。
五度目は罠を張り、六度目は警備を増強して怪しい影を追走。
そうやって、南方領内の各地で高級品が消える、消えないようにする、をくり返せば当然、異常事態に気付く者も徐々に増えていく。
一般民の間で、使い古していた道具がいつの間にか新品に変わっていた。生産者に入る売上金が微妙に増えている。などと噂が立てば、貴族の所有物消失事件と話が混ざり、義賊が活動しているらしいと結論付けられるまで、そう長い時間は掛からなかった。
一件や二件程度であれば、盗まれた貴族を責めるだけで終われるが。
五件も六件も立て続けに奪い取られた挙句、己が預かる領地にまで現れたとなれば、最早他人事では済まされない。
そして、自分以外にも被害を被った者がいるなら、自分だけが能力不足を責められる道理も無い。
盗難被害者である貴族達は、裏で密かに会談を重ね。
怪盗の存在を一斉に公表した。
それが通称『山猫』だ。
彼らは、自分達が大っぴらに恐れてみせることで『山猫』の能力を非常に高いものであると喧伝した。
自分達は悪くない、相手の手口が想定よりずっと巧妙だっただけだ。
という保守的な構えに他ならないが、シャムロック本人も盗みをくり返す力量を見せつけていたので、あながち、ただの言い訳とも言えず。
結果、被害に遭ってない貴族達にまで過剰な警戒感を植え付けてしまう。
かつてのように盗人の好きにはさせまいと考える貴族達にとって、自分の采配で怪盗を取り押さえる事実は、なによりも重要で。
その為の戦力の出所には、さほど拘れなかった。
アルスエルナ王国に籍を置いていない護衛兵を雇う南方領貴族の増加は、運営費全般の微妙な変動から、すぐさま王室の耳にも届く。
南方領南西部のリアメルティ領を預かるエルーラン王子も、義賊の出現を察した時点で、被害の実態調査とハウィス・アルフィン両名の監視強化を、ネアウィック村周辺の騎士達に命じていた。
不幸だったのは、外出時のミートリッテに付けていた監視が一人だけで、シャムロックの活動開始時刻が、ブルーローズの活動開始時刻よりもずっと夜遅く、むしろ早朝に近かったこと。
それは、しっかり鍛えた大人でも、抗いがたい眠気に襲われる時間帯。
昼間に商いを展開して深夜に移動する行商人ならともかく、子供が一人で動き回ったりはできないだろう、という侮りと偏見、貴族達の自尊心による被害の公表遅れ等々が、シャムロックの正体を、エルーラン王子の目からも遠ざけてしまっていた。
「観光から帰ってきた貴女が、心臓を止めて倒れた時もそう」
通常なら、帰り着く頃には監視者から鳥を使った連絡が届く筈だった。
いいえ、届いてはいたのよ。
でも、貴女がリアメルティ領から離れた隙にと、中央広場で対武装勢力を想定した実地訓練をしている中、夢中で剣を振るっていた私を含む全員が、上空を旋回し続ける鳥に気付けなかった。
「真っ先に気付いた彼が、貴女の帰村を止めようと動いたみたいだけど」
「……私が、振り切った」
村の入口まで戻った時、やけに賑やかな気配がするなあとは思ったのだ。
それがまた、男女入り混じった歓声に聴こえたものだから。
芸人を招くような楽しい何かをしているのかと。
なのに、出迎えてくれた『彼』は、慌てた様子で自分を引き止めていて。
早くハウィス達に会いたかった自分は、『彼』の制止を振り切って騒ぎの中心へと向かい……
「……貴女のせいじゃないし、彼の不手際でもないわ。私が油断したのよ。真剣を握ってる時は相手から目を逸らしてはいけないと、解っていたのに。突然聞こえてきた貴女の名前に、気を取られて……そうして、今度は貴女を死なせてしまうところだった」
ハウィスの右手が、自身の左脇をそっと撫でる。
奇しくもマーシャルが負傷した箇所と同じそこには、ミートリッテを呼ぶ『彼』の声に反応し、振り向きかけた時に刻まれた傷の跡が残ってる筈だ。
「おにいさん……ベルヘンス卿が助けてくれたあの後からの私の記憶が一部曖昧なのは、風邪をひいて寝込んでたから、じゃなくて、本当は桃の暗示で眠らされてたせい、なんだね?」
「正しく言えば、それもある、ね。貴女に蘇生処置を施したベルヘンス卿がエルーラン殿下へ鳥を飛ばした後、貴女は実際に三日間くらい、熱を出して寝込んでいたから。桃の果汁が私の手元に届いたのは熱が治まる頃だった。それで、怪我に関する記憶は忘れさせようと、私達三人で決めたのよ」
「『彼』とベルヘンス卿とハウィス、で、三人?」
「そう」
「……そっか……」
浅く頷くハウィスに、ミートリッテの拳がきゅっと固くなる。
鮮血を散らしながら地面に転がっていくハウィスと、剣を滑らせた勢いで倒れ伏す騎士候補生らしき男性と、周りで見物していた村の人達の悲鳴と。
いくら記憶を封じる暗示が掛けられていたと言っても、大切な人のあんな惨劇を綺麗さっぱり忘れていた自分が信じられない。
「……あれ? でも、あの状況だと村のみんなは騎士団の存在もハウィスの仕事も知ってたんでしょ? 七年間ずっと私の耳にそれらしい会話が一つも入ってこなかったのは、エルーラン王子が口止めしてたから?」
「いいえ。あの日の出来事は、あの場に居合わせたみんなの総意で自主的に口を閉ざしてもらってるし、元義賊やネアウィック村周辺の秘密に緘口令を出していたのは、エルーラン殿下ではなく国王陛下と王太子殿下よ」
「こ、国王陛下と王太子殿下ぁ⁉︎ なんでそんなに偉い人がぞろぞろと!」
「エルーラン殿下は第二王子で、王太子付きの第一騎士団団長よ? 国軍の上に立つ王族付きの騎士団を、ひょいひょい動かして良い立場ではないわ。不用意な戦力移動は国内外で余計な不安を煽ってしまうもの。バーデル側に話を通すのも、かなり苦労してたみたい」
「バーデルも知ってるの⁉︎ って、だから自警団員に直接請願してたのか」
「隠して行えば大事になる話でも、最初に打ち明けておけば、有利な条件で不可侵の約束を勝ち取れる場合がある……ですって。ただ、国境の危うさを考慮した結果、特定人材の小規模軍事訓練場に指定するまでが、許容範囲内ギリギリだったそうよ」
「国際標準規定の国境警備規模より大きくするな! って話?」
「ええ」
ちなみに、村の人達が知っているのは
『ネアウィック村周辺が騎士達の軍事訓練場に指定されていること』
『村近辺のどこかに騎士達の隠し拠点があること』
『私達十四人の移住民が、元は国内で自警団に類する仕事をしていたこと』
『エルーラン王子に実力を買われて騎士職を宛がわれたこと』
それと『私が騎士達と自警団に剣術を教える立場を与えられたこと』。
バーデルが知っているのは
『現リアメルティ領主が第二王子であり、前領主を代理に据えていること』
『ネアウィック村の周辺が王族付き騎士団の小隊と騎士候補生達の訓練場になっていること』
『王族付きの騎士団員が自警団に少数混ざっていること』
『私が騎士達の剣術指南役を務めていること』だけ。
どちらも、私達移住民が元義賊だったり、私が領主の後継者だったり。
第三王子と、第二・第三騎士団の小隊隊員数名が、自警団以外でも村民に紛れ込んで普通に生活している、とは、夢にも思ってなかったわ。
「アルスエルナへの入国許可をバーデル軍に出す代わりとして貴女を国外へ逃がした時も、私とベルヘンス卿は教官役の騎士隊長、貴女は私の養女で、暗殺組織に狙われているアリア信仰の関係者、としか説明してないし」
「真実はほとんど話してない⁉︎」
「重要なのは通した話の真偽だけ、その他はバレなきゃ良し。だそうです」
「暴論にもほどがある‼︎」
確かに、誰にも何も悟られなきゃ良いだけの簡単な話だとか言ってたが。
まさかあれ、本気じゃなかろうな?
シャムロックが言えた義理じゃないが、バレなきゃ平気平気~!
なんて甘い考え方をしてたら、いつか国単位で痛い目を見るぞ!
と、急激な悪寒に襲われて震える体を抱えつつ、頭を数回横に振り。
肩を落として、ため息を一つ零す。
でもこれで、みんながアルフィンを探してる間ですら言葉や態度に何一つ裏事情に関する情報を出さなかった理由が分かった。
(そりゃあまあ、お黙り! なんて勅令や上命を喰らってたら、どこに誰が潜んでるか分かんない危うい状況下で、助けて騎士様! とは口が裂けても言えないよねぇ。その時は助けられたとしても、後々情報漏洩と勅令違反と命令無視の罪で処刑されちゃうもん。それに多分、私を心配してくれてた。だからこそ、アルフィンと私の確保を一層急いでたんだ)
ハウィスが負傷し、ミートリッテの心臓が止まってしまったあの一幕は、村の人達にも少なくない衝撃を与えただろう。
役職上、騎士と剣は切り離せない関係だ。
万が一、ミートリッテと任務遂行中の騎士が出会して、また怪我人が出る瞬間を見てしまったら……そう考えてもおかしくはない。
(怖かったよね、みんな。目の前で人間が同時に二人も死にかけるなんて。しかも私は、どうして、どの程度の怪我を見たら心臓を止めてしまうのか、ハッキリしてなかった。いつ何がきっかけで倒れるか分からない人間なんか面倒くさいし、精神的な負担を思えば私とはあまり関わりたくなかった筈。それでも、私を避けたりはしなかった。みんな、優しくしてくれてたんだ。私が感じてたよりも、ずっと)
「暴論……そうなのよね。エルーラン殿下のやり方は真相を知れば知るほど暴力的に大雑把なのよ。なのに、導き出される結論はいつだって最善なの。今回の件だってそう。アルスエルナを快く思わないバーデル軍と暗殺組織を相手にしながら、いきなり始まらせて、あっという間に片付けてしまった。アルスエルナ全土を巻き込む大騒動になってもおかしくなかったのに、ね」
あらかじめ結末を知ってたんじゃないかと疑いたくなる伏線の張り方は、人間業とは思えない豪快さと精密さで。
怒りに身を任せたハウィスが全滅させようとしていた暗殺者集団でさえ、全員は殺さなかった。殺させなかった。
すべては母子を護る為。
延いては、アルスエルナ王国の防衛力を維持する為に。
「私が知る限り、殿下が判断を間違えた例はない。彼はいつも正しかった」
でもね。
七年以上殿下の庇護下に置かれていても、一つだけ腑に落ちないの。
力無い者達はどうすれば良いのか。
その疑問に、私は今でも答えを出せないでいる。
それだけはどうしても、殿下に教わった方法が正しいとは思えなくて。
ずっとずっと考えていて。
だけど、全然分からない。
「だからって、貴女にすべてを託すのは卑怯、なのでしょうけど」
力ある者達にも、すべてを救えるほどの力は無く。
けれど、彼らと彼らに護られた者達は、社会の恩恵を受けられない者達が生きようと必死で足掻くほど、秩序を乱すなと、容赦なく責め立てる。
差別的で冷たく、閉鎖的で残酷で、どこまでも理不尽に穢された世界。
それでも生きたいと願う者達は、どうすれば良い。どこへ向かえば良い。
できるなら、その答えを見つけて、進むべき道を示して欲しい。
「んー、と……」
少しの沈黙を挿んだ後。
話せることは全部話したと、深呼吸を数回くり返すハウィスに。
ミートリッテは、きょとんとした顔を傾けた。
「もう出てるじゃない。ハウィスの答え」
「…………え?」
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