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王道を走れば:幻想にて

作者:Duegion
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第三章、その4の3:サバイバル、オンボート

 
前書き
 中世的な世界観を完全に無視するような描写が話の中核を為してしまいました。しかし内容的には意外と面白い方向に転がってくれたので、今回はこのままで通します。 

 

 
 剣呑な鉄同士がぶつかり合う高調子が、埃舞う古びれた建物の中に鳴り響く。一方のそれは空気を紙の如く裂く鋭き一閃。もう一方は膂力任せの強靭なる一閃。鋭きものもまた膂力に凄まじきものであったが、後者のそれに圧されて俄かに弾かれる。後者の剣を振るった者、アダンも腕に大きな震動を受けて歯を食い縛った。

「ぃぃっ!おらぁっ!」

 而して躊躇う余地もなく剣を更に振りぬく。袈裟懸けの一刀を対峙する猛者、熊美は素早く返した剣で防ぎ、床に散らばる破砕した剣の破片を踏みつけながら後退する。無論の事近付いてくるアダンに熊美は、ひょいとばかりに剣を振るった。予備動作の全く見えぬ剣にアダンは慌てて足を止め、身をそらしてそれを避ける。熊美がそれに付け入るように接近し、肩口から撫で斬りにしようと切り下ろす。アダンはそれを剣で防ぎ様、不意に違和感を感じてそれを手放し様に勢い良く後退する。足を引くのと同時に剣に皹が入って瞬く間に大きな欠片が毀れた。
 アダンは後ずさりしながら近くの武器棚から剣を奪い取ろうとして、猛進してくる羆の殺気に手を引っ込めた。瞬間、手を伸ばしかけた武器棚が真っ二つに裁断される。アダンは素早く踵を返し、近くにあるキャビネットに足をかけて飛び越え、裏手にある武器棚の剣を今度こそ掴み取った。
 キャビネットを回り込んできた熊美はそれに向かおうとするが、アダンは用無しとなった武器棚を掴むと遠慮なく熊美に投げつけた。

「しぃあああっ!!」
「むっ!」

 熊美は飛んでくる凶刃を剣で弾き、左の裏拳で武器棚を粉砕する。破砕する木片に目を窄めつつ、螺旋階段へと逃走するアダンへと迫っていく。
 走力だけならば、その老いに関わらず威勢の良い体力を誇る熊美が勝る。熊美は疾駆し、ジャンプで螺旋階段の手摺へと手をかけたアダンの足を狙って、大きな横振りの一刀を薙ぐ。凄まじき速さの一刀は而して手摺の柱により俄かに速度を落とし、紙一重というタイミングでアダンの足を外した。熊美は無言で不満げな睨みを利かせる。

(邪魔だなぁっ!)
「あ、あぶねぇっ!?」

 アダンは思わずそう零しつつ階段を登り切る。熊美もすぐさまにそれを追わんと螺旋階段を登りつつ、一階部分をちらりと見やる。先までの闘争により、武器棚の大半は損壊し、宝物を仕舞い込んだキャビネットも大きな傷をつけてばかりだ。今一階に付しているのは兵達の身体に加え、陶芸品の残骸に凶刃の破片、調度品の欠片、そしてずたぼろとなったフローリングだけであった。
 一階フロアの隅にて縮こまっていたパウリナは嵐が僅かに遠ざかった事に、安堵の息を漏らす。
 
「・・・ふうぅっ・・・こわいなぁ・・・」

 突っ伏す兵達が時折身動ぎするのを見遣りる。息もしているようだし、取り敢えずは死亡を心配しなくてもいいだろう。キャビネットの下敷きとなったままの兵達が苦しそうなのが哀れである。そう思っていると、今度は二階から発生する惨憺たる破壊音にびくりと怯えて、パウリナはそれに向かって戦慄の視線を移した。
 辛うじての秩序を保っていた宝物庫の二階が凄まじい速度で荒らされている。アダンが近くのものを掴み取っては投擲し、或いは倒壊させて道を妨げていく。それに呼応するように熊美は飛来するものを丁寧に裁断しては、倒れたキャビネットやチェストを跨ぎ、踏みしめて接近していく。二人の乱暴の後には、その価値を古びれた下着並に落とした塵屑の小山だけが積もっていた。思い入れの強き職人が見たら憤慨の余り目を飛ばしそうな野蛮な光景である。
 アダンは花瓶を投げつけると奥の部屋へと消えていく。熊美はそれを追わんと駆け出し、中に入った途端に目の前を通過する鉄斧に瞠目する。

「っっっおおっ!?」

 壁に深々と突き刺さる刃、それに撒き散る埃の束。矢張り膂力は凄まじいものであるようだ。熊美は半ば武器庫同然となった室内にてアダンと相対する。
 先に動いたのは熊美であった。

「はぁっ!!」

 詰め寄っての袈裟懸けの一振り。アダンは横へのステップでそれを避け、背についた武器棚からナイフをむんずと掴み取る。熊美ははっとした面持ちで仰け反り、その顎の近くをナイフが勢い良く通過した。先までの得物とは切れも伸びも全く違う。これこそがアダンの真の得物か。
 密室内において刃物で斬り合う以上、リーチが長いと却って不便である。熊美は剣をアダンに投げつけながら急ぎ屋内を探し回る。後背から迫るアダンの殺気をひしひしと感じながら熊美は小刀を見付けてそれを取り、振り向き様に二度左右に振り抜いて、腕を伸ばしたアダンを牽制する。

「うっほ!?」

 腕先に俄かに感じた鋭さにアダンは声を漏らして足を止める。両者は蜂のような視線で見詰め合い、攻撃の隙を窺おうとフェイントを入れながらナイフを繰り出していく。
 両者の意図はいたく簡易なものであり、それが故に躊躇いのないものだ。アダンにとっては己に対して膂力で劣るも速さで勝る熊美に、得意の得物であろう剣類を使わせぬがための行動。即ち己の得意とする閉所という戦場へと引き摺り出し、ドワーフの膂力を小さな一刀に込めて熊美の速さを殺そうという魂胆だ。一撃当たれば必ず致命傷となるだけの威力が、アダンの振るナイフに込められていた。
 対する熊美にとっては、例え相手の戦場という不利な状況に突入しようと、その利を覆せるほどの技量が己にあり、そして余裕があると確信していた。山賊団との戦と騎士達の鍛錬において既に戦士としての勘を取り戻している。更にいえば、もう直ぐにでも援軍の兵が此処に来るであろう。そう考えるとなれば敵対する強敵をもっと消耗させるべきだと熊美は考え、敢えて不利な戦場へと身を投じたのだ。

「ちっ・・・」

 アダンは舌打ちする。互いに言葉通りの一進一退の様相を呈しており、決め手に欠ける勝負となっていた。相手の動きを読んでナイフを払い上げても手を引っ込められ、更に動こうとして足首を回そうとするならば熊美のナイフが飛んでくる。ナイフを返して柄でそれを受け止めて反撃の刃を振る頃には、既に熊美は得物が届かぬ距離に身を置いていた。このような攻勢の移動が幾度も、述べ二十合近くも斬り合えば流石のアダンといえども苛立ちは募る一方であった。
 薄暗き密室の中にそれが埃のように積ってか、或いは余りあるドワーフの力の耐え切れなかったか。アダンのナイフが熊美のナイフの柄に当たった瞬間、柄がばきっと破損し、ナイフの切っ先がパズルのピースのように欠けた。アダンは折れたナイフで熊美を牽制しながら身を退いて行き、後ろに伸ばした手が掴んだものをむんずと前に振り回す。

「えいやあああっ!!」
「きっ、貴様っ!!!」

 熊美は焦燥に駆られてナイフを捨て、自分へと回されるそれを両手と身体で受け止めた。アダンも己が振った物を見て思わず驚愕の念を覚える。己の胴体ほどの大きさもあろうかという程の、重々しい色合いをしたチェストであった。だが直ぐに思い直して両手でそれを押しやろうとする。信じられない事に、目の前の壮年の羆はドワーフの膂力に拮抗できる程の実力を持つらしい。アダンは歯を食い縛ってチェスト越しに熊美を後退させる。
 螺旋階段をそろそろと登ってきたパウリナが見たのは、木箱一つを挟んで汗を垂らし、歯茎を見せて筋肉を盛り上げる、実に雄雄しき男達であった。 

「うっわ・・・なんてむさ苦しい・・・」

 その手の者からすれば涎を零す光景を吐いて捨てる。
 熊美は精一杯に己の全力を出さんと気張り、顔面に玉の汗を流すが、而して矢張り種族の差であろうか、若々しきドワーフの押しを前に足を滑らせるだけであった。

「ふんごぉおおおっ・・・!!」
「踏ん張りがぁぁぁっ、足らんぜっ!!!」

 アダンは咆哮と共に種族の極限たる膂力を発揮した。握り締められたチェストがめきめきという音と共に軋み、熊美が壁に背を着けた途端、その厳しき顔に木箱が恐ろしき勢いで叩きつけられた。アダンの左腕が木箱を貫き、その奥に隠れる熊美の右肩をがっしりと掴み取って壁へと押し付ける。  

「むぐぉっ!!」
「おらァァっ!!」

 覇気を込めたアダンの右の拳が、空気を裂かんといわんばかりに熊美の側頭部を殴り抜ける。鼓膜と脳を揺さぶられて目の奥に星を弾かせる熊美。しかし無意識の内に抵抗するように掲げていた手が、アダンの両手をがっしりと掴み取っていた。
 アダンがそれを引くよりも先に、熊美の反撃の左の拳が彼の顎を殴り飛ばす。一瞬脳を左右に揺さぶられて足元が覚束無くなるのに付け込み、熊美は彼の手を払い除け、そのがら空きの腹部に己の拳を叩き込んだ。

「っっぐっ・・・!?」

 息を詰まらせるアダンの顔を更に殴る。後ろ足に身体を進ませるアダンの顔を更に殴り抜ける。彼の背が壁にどんと勢い良く衝突して、堆積した埃が宙に舞った。それ目掛けて、熊美が己の身体を丸めて突進していく。

「ちぇいさあああっ!!」

 裂帛。熊美の丸太のような巨体がアダンの体躯にぶつかり、その背に置いていた木の壁を突き破った。大小の木片が彼らと共に宙を裂いて落下し、二人はがっしりと組み合いながら一階フロアへと落下していく。
 パウリナが呆気に取られた様子でそれを見ている中、二人は木片の小雨と共に床に倒れこみ、その衝撃で圧し掛かった熊美の身体が別の方向へと転がっていった。フロアの壁際で動きを止めた熊美は、フロア中央近くで仰向けに倒れたアダンを見据えた。

「観念しろっ、凶賊っ!!!」
「へ、へへ・・・あんたも結構な悪だぜ・・・こんだけ暴れてぇ、宝物をぶち壊しておいてさぁ・・・。教会の爺共の毛根が、どんどん死滅していってるぜ」
「この惨禍、元はといえば全ては貴様が因となっている。貴様が大人しくしておれば、此処まで被害は拡大しなかった。大人しく鎖に繋がり、そして罰を受けよ。盗賊としての名誉を断頭台で全うするのだ」
「はぁ・・・はぁ・・・」

 選択の余地を与えぬ羆の睨みにアダンは荒げた息を零す。そして煤けた顔をちらりと入り口に向けて、不敵な笑みを熊美に戻した。

「そうは主神が卸さない、ってか」
「・・・っ!!!」

 熊美が疑問符を浮かべると同時に、其方目掛けて一つの火球が飛来してきた。熊美は俊敏な動きでキャビネットの陰へと隠れ事無きを得、舌打ちをした。

「ちっ、この火球は魔道士かっ!!」
「アダン殿っ、逃げるぞ!!こっちだ!!!」
「早くシロ!騎士団が来てイル!」

 若々しい男の声が聞こえて、アダンはさっと身を起こして駆け出していく。熊美が追跡しようと顔を出すも飛来する火球に身を竦める一方であった。
 アダンが建物の入り口へと辿り着いた時、若い男は手に持った杖に更なる赤い輝きを抱かせた。

「土産だっ、地獄の炎をとっておき給え!!」
 
 杖が勢い良く振られ、男の胴体ほどの大きさもある火球が繰り出される。男達はさっと逃げ出し、火球は古びれた本棚にぶち当たって爆発した。爆ぜた火花と共に本棚が引火し、そして皹が目立つ床にも炎が伝わっていく。

「拙いっっ、火が!!」

 熊美の悲鳴を他所に灼熱の手はぐんぐんと伸びていく。本棚があっという間に火に包まれ、火種となる破砕した木片を頼りに業火が広まっていく。このままでは自分達も、そして未だフロアに打ち伏せる兵達も危うい。
 熊美は弾かれたように、螺旋階段の頂上に居るパウリナに向かって叫ぶ。

「おい娘ぇっ!お前も消火を手伝え!全員焼き鳥になるぞ!」
「えええっ!?で、でもぉ、あたし関係無いですよぉぉ!」
「此処で火を食い止めればお咎め無しだ!!お前が盗賊だという事を黙っていよう、私が保障するっ!!」
「うそっ!?い、いえっさー、頑張ります!!!ほらあんたらっ、さっさと起きろぉ!!焼き豚になっちまうぞ!!」

 パウリナは威勢良く駆け出していき、打ち伏せた者達へと声をかけていく。熊美もまた床に転がるキャビネットを放り投げ、その下に組み敷かれた三人の男達を両手と背に担ぎ上げる。壮年の逞しき身体に鞭打つように、火の手の熱さを肌に感じながら熊美はその足をさっと運んでいった。





 古びれた建物の天井を突き破る、ぼぉっと燃え盛る赤い柱が現れた。人々の悲鳴が建物の林を伝わって聞こえてくるのを尻目に、三者は路地を駆け抜けていく。 

「こっちだっ!!船を用意してある!!」
 
 先頭を走るチェスターは杖を片手に、急ぎ足でその方向へと疾駆する。それぞれの目的を果たした三者は一列となって駆けていく。列の殿を受けるはビーラである。その背に向かって一筋の声が掛けられた。

『ビーラァァっ!!!!』
「ちっ!そう簡単ニ逃げレンか!!」

 ちらりと視線を向ける。怒りの表情を浮かべたユミルの姿が見て取れた。チェスターも同様に視線を向けて、塵の小山を跨ぎながら問うた。

「誰かねアレは!?」
「古い友人ダ!現在職業ストーカー!!」
「つまり変態か!!棟梁、あいつを焼き殺せ!!」
「もう魔力がほとんど無いんだっ!これ以上はポーションを飲まんと撃てない!!」
「ちっ、都合の悪い!!」

 アダンがそう愚痴を零すのを他所に、ビーラは俯き加減の面持ちで数秒、思考の中に沈み込んだ。そしてはっとして顔を上げた時、その面妖な鱗面には一つの決意が浮かんでいた。

「俺ガあいつヲ食い止メル。奴ノ狙いは俺だからナ。皆は先に行ってクレ」
「あれだけに留まらんぞ!!騎士団や憲兵も狙ってくるっ!生き残れる保障など何処にも無いぞ!!」
「無くて元々ダ!頼む、俺の覚悟を信じてクレっ!!」

 爬虫類の瞳、鈍い光を放つ鏃の切っ先のような眼光がチェスターを真っ直ぐに見詰めた。チェスターは何か言おうと口を開きかけ、而して顔を前方へと戻した。それが彼なりの合意であると、ビーラは確信する。

「っ!チェスター、アダン、生きてまた会オウ!!」
「当たり前だっ!!」
「てめぇの取り分ちゃんと持ってるからなっ!!」

 懐の貴金属の重みをアダンは伝え、ビーラは一つ強く頷く。そして通りかけた別の路地裏へと曲り、その姿を薄暗闇の世界へと消そうと疾駆していく。

「ちっ、逃がすかよっ!!」

 ユミルは歯噛みするように呟き、ビーラが消えた路地裏に差し掛かる。三角飛びの要領で壁をたんと蹴り、疾駆の勢いを殺さずにビーラの後を追わんと走っていく。
 たんたんと石畳を叩く音が二つ、後背から消えていくのを感じてチェスターは振り向きもせずに問う。

「撒いたか!?」
「・・・もっとストーカー気質の奴等は来てるけどな!!」
『止まれぇぇっ!!この反逆者ぁあああ!!』

 轟くような蛮声に驚きは無いが苛立ちは沸いた。明らかな憲兵の粗野な声であったからだ。チェスターはそれに対して足を速めるという返しを選ぶ。

「こっちだ!」

 建物の間にある細道へとチェスターは入り、アダンもそれに続いていく。建物の壁に幾本もの木の柱が立て掛けられていた。幾本は小船の舵に使うであろう舵櫂のためか、また幾本は不測の事態に対する予備のためか。何れにせよ小川は益々に近くなっている。これ以上憲兵を近づけさせては拙い。
 アダンは足を止めて踵を返し、柱の一本を掴み取るとそれを憲兵達目掛けて真っ直ぐに投げつけ、同時に憲兵目掛けて疾駆していく。細道ゆえに憲兵達は慌てて足を止め、身体を目一杯に壁に押し付ける。二人の間を柱が通過し、二秒も経たない内に両者の側頭部にアダンのラリアットが衝突した。

「ぶごっぉぉ!」
「あがああっ!!」

 くぐもった悲鳴と共に憲兵は伏して気を失う。柱が地に落ちてがらがらと音を立てるのを他所に、アダンは再びチェスターの下へ向かい始めた。
 真上から西へ傾く陽射。建物の影が俄かに形を変えており、アダンは建物の隙間より、朝であってはありえないであろうより深い位置から光を視認し、其処へ身体を浴びせていった。きらりと反射する小川の光。其処へ築かれた小さな桟橋に小船が停泊しており、チェスターがその船尾に立っていた。

「これだっ!!こいつを動かすぞ!!」
「ま、まさか人力じゃねぇだろうな!?」
「ふ、心配するな。こいつを使う」

 チェスターが指差すのは、小船の船尾に取り付けられた二本の杖であった。先まで携帯していた杖とはまた別のものであるが、宝玉自体に何ら変わりは無い。赤く煌くそれからは勢い良く炎が出るであろう。アダンはこの時点でさっと顔色を変えていた。

「さぁ、激しく動くぞっ!舵取りを任せる!!」
「・・・嗚呼、嫌な予感しかしねぇ」

 アダンが船尾側のベンチに腰を下ろし、備付けられた杖の柄を片手に一本ずつ掴み取る。杖の間にアダンが挟み込まれる状態であり、ボートの櫂を漕ぐような形である。柄半ば辺りが船尾部分に固定されており、ある程度の小回りが利くようであった。
 チェスターは持ってきた杖を床に下ろして身をぐっと沈めると、杖の先端の突起部分を掴む。新緑の中でするような落ち着いた深呼吸の後、その掌を通じて神秘的な光を抱いた赤色の古めかしい文字列が、杖を蛇のように走っていく。一秒も満たぬ内に光は杖の宝玉へと辿り着き、チェスターが手を離した瞬間、宝玉から火薬の爆発のような炎が噴出した。

「ふぉごっっっっっ!?!?」

 強烈な重力を感じながら、アダン達を乗せた船が滝のような飛沫を立てながら前へと進んでいく。手で漕ぐような速さではなく、まるで駿馬の疾駆のそれに近い速度であった。魂を後ろへ引き剥がされるかのような真新しい感触に耐えながら、アダンは必死に杖を制御して、怒鳴り散らす。

「なななななっ、なんじゃこりゃああああっ!?!?」
「フハハハハハッ!!凄まじい火力だっ!最高じゃないかあああ!!きっと飛龍よりも速いぞおおっ!!」
「あんたなんてものを開発してくれたんだ、この馬鹿ぁぁっ!!!」

 肺活量を最大限に生かす罵声も、今日の天気のような高笑いを零すチェスターには届かない。そもそもこの速度で届いているかどうか怪しい。言葉も唸りも、鼓膜を揺らしながら後ろへあっという間に消えていく。船首が掻き分ける水が豪雨のような飛沫となって二人の顔を濡らしていく。針のような鋭さであり、目も碌に開けていられない。手から伝わる振動は人を超越する膂力を持つドワーフの心胆を寒くさせる程度のものだ。業火のような炎が宝玉から断続的に続き、それが推進剤となって船を前へと押しやっているのだ。
 勢い盛んに進む船は、石橋の下を風の如き速さで潜り抜け、其処をゆっくりと歩いていたハボックに大量の水飛沫をぶっかけた。祭事ゆえに届出を提出して休日を貰ってお気に入りの私服、水色のチュニックと黒革のベルトを身に着けていたのだが、すっかりと水分を吸って皺を作っている。ぼたぼたと髪から水滴を垂らし、ぽつりと呟く。

「・・・此処を、セラムを何だと思っているんだ・・・」

 清らかな小川を轟音と炎と共に駆け抜ける小船の存在は、余りにも時代を感じさせぬ、極めて不可思議な光景である。その光景は聖鐘の高みから良く見えるものであった。 

「・・・・・・なんですか、あれ」
「なんで中世な街中でボートレースが出来るんですかねぇ・・・」

 呆気に取られる中年の騎士と最早何もいえぬ慧卓の表情は、言葉に出来ぬほどだ。強いて言うならそれは、人々の憐憫を否応も無く誘うような、いたく微妙な表情といえるのであった。小川に近き場所で爆走する小船を見た市井の者達も、同じような顔を貼り付けるのであった。
 ボートは水路の真ん中を絶え間なく進む。杖を握るうちにそのこつを掴んできたか、船首が被る波が俄かに小さなものとなっていた。お陰で飛沫の鋭さは大分和らいでおり、視界が狭窄に悩むような事が無くなった。その代わりとして彼はより物騒な蠢きを捉える。差し掛かった内壁の水門の上に幾十人もの兵達が見受けられたのだ。
 兵等の幾人は想像通り弓矢を持っているようであったが、他の幾人は錫杖のようなものを持っているようであった。チェスターが叫ぶ。

「頭を伏せろぉっっ!!」

 水面を爆走するボートに向かって弓矢が吹き荒れ、そして振り抜いた錫杖から火球が放たれて襲い掛かり、二人の空を剣呑な色に染め上げた。アダンが腕と胸を盛り上げて、暴れ馬に等しき杖の向きを変える。

「ふんのぉぉおおおおっ!!!」

 右に小さな軌跡を描いてボートが進み、降り立つ矢雨を回避していく。幾本のみが船のあらぬ場所に突き刺さるばかりで、人体にも船体の急所には当たっていない。而して火球は違った。幾つかは水面に着地して強烈な勢いを伴う水蒸気を撒き散らし、そして幾つかは水面に辿り着く前に爆発した。術式の構築が脆かった証左であるが、その勢いは水面に落ちたものよりも激しい。小さな星が破裂するかのような煌きが水面で生まれ、そして遂にその一つが船尾の近くで弾けて船をぐらぐらと揺らした。
 水門を通り抜けて、ボートは元の軌跡へと戻っていく。アダンは左手に伝わる振動に違和感を感じて振り返る。宝玉から放つ火が爆発のそれから、放屁のような形と変じていた。

「おいっ!!一個すかしっ屁になってるぞっ!!」
「うん?・・・おお本当だ。魔力の充填は上手くいっていた筈・・・成程、衝撃の強さに術式が破壊されかかっているのか。いやぁ大変だなっ、ハハハ!!」
「・・・破壊されたらどうなんだ?」
「爆発する」
「爆発ぅっ!?」

 アダンが声高く叫ぶと共に杖の宝玉に一筋の皹が入り、其処から火が波のように漏れ出して、ごぉんという轟音を響かせて勢い盛んに爆発した。
 杖が半ばより吹き飛び、隣の宝玉が爆風を受けて揺れ、何ゆえか更に強い火を噴出し始めた。暴れ馬が暴れ熊となった瞬間であった。杖の震動がより激しくなる。

「あばばばばばばばばばっ!!!」
「ふ、踏ん張りたまえ!!舵を放すなっっ!!此処で離したら死ぬぞっ!!溺れる針鼠になる!!」
「誰のせいだと思っているんだ、この鼻糞野郎っ!!!」

 目を怒らせてアダンが叫び、両手で必死に杖を制御する。推進剤を一つ破壊されてかボートの進みは緩くなっているのだがその走りは荒くなってしまい、船の跳ねるような動きによって、被る波は一気に増えてしまう。チェスターが備付けの桶で必死に水を汲み取り船外へと捨てていく。
 数分の格闘の末にボートは、外延部のみすぼらしき街並みを横目に、外壁の水門へと到達する。だがアダンは驚きに声を漏らした。

「!!おいおいおいおいっ、水門が閉まっちまうぞっ!!」

 水門の上に登っているのは明らかなる王国の憲兵達だ。水門を閉ざす鎖に駆け足で向かっているようである。このままではボートが水門を通り抜けるよりも前に、水門が閉ざされてしまうであろう。
 チェスターが歯噛みしてその光景を見やっていると、憲兵の列の最後尾から、不自然な赤い飛沫が上がった。

「あれは・・・!」

 水門の上に走り出す悲鳴と飛沫にアダンは目を凝らす。そしてその騒ぎの中心に立つ者に見覚えを感じた。今一振りの剣閃で憲兵の胴を薙ぎ払ったのは、いつぞやビーラが魔術で洗脳した哀れな憲兵の男であったのだ。

「き、貴様っ、一体何を!!!」
「裏切りだっ!!こいつは内通ーーー」

 叫びかけた憲兵の胸部を、赤黒い瞳をした男が切伏せた。無機質な反応のままに血潮を顔に浴びて、その残虐な鉄の刃を生き残った男達に向けて走らせる。
 ボートを進ませる二人は顔を見合わせ、快活な笑みを浮かべた。

「ビーラの置き土産ってか!!最高!!」
「ああ、最高に素晴らしいな!!ふははははっ!!」
「ハハハハハハッ!!」
『ふははははははっ!!』

 三段の笑いを空に響かせていると、洗脳を受けた男が薙いだ兜を被った憲兵の頸が床を転がり、水門の縁から水面へと落ちていった。虚ろな瞳をした頸はくるくると回りながら、丁度水門に差し掛かったボートへ落ちていき、高々と笑うチェスターの頭頂部に激突した。

「ぶごぉっっ!!」

 兜の鶏冠(とさか)のような突っ張りが骨にがつんと当たり、目から星を散らしてチェスターは昏倒する。アダンが片手で上手く彼を支え、床に下ろした。

「ほ、本当あんた締まらないなぁ・・・」

 水門を抜けていくと杖の火噴きは大分治まり、船の揺れも治まっていく。惰性のままに水を掻き分ける船の行く先には、黄金色に揺れる麦畑の世界と、其処に被さる広々とした爽快な青空が存在していた。
 水門の上にて一人の憲兵が、腹から夥しき血潮を零し、腸を引き摺りながら這っている。

「く・・・そめ・・・逃して・・・な、るーーー」

 その首筋に一本の剣が突き刺さり、憲兵の息の根を止めた。剣を引き抜きながら男はとろとろと呟く。

「始末終了・・・任務を続ける・・・」

 そう踵を返す男の背には幾本の剣筋の痕が走っている。だが憲兵達の必死の抵抗に関わらず、男は常と変わらぬ様子のままであった。水門に転がる死体が血潮の池と作り、眼下の水路に良く似た、明るい太陽をその水面に浮かべた。それは水路の神聖な煌びやかさとは打って変わり、澱み荒んだ黒色に染まった太陽であった。





 鳥達の甲高い呟きが茜色の空に溶け込んでいる。薄らと掛かる雲の下、王都の一角に立ち込めていた噴煙もかなり治まった様子であり、騒動自体も沈静の一途を辿っていた。 
 その王都の内壁の内側、聖鐘の近くにある薬屋、『薬瓶ジョニー』の前に二人の若々しい男が座っていた。

「それで、一体どうなっているんです?」
「どうにもこうにもっ、あるかよっ!教会の儀式は中断だっ!!教会と、ついでに俺の面目丸潰れ、ぃぃっっっっつ!も、もうちょい加減してくんない?」
「よくそのような事が言えますね・・・警護任務を全うできなかった挙句、聖鐘を叩き落した癖に」
「あ、あれは不可りょくぅううううっ!?!?!?」

 腕に走るびりりとした痛みに慧卓は悲鳴を上げて悶絶しかける。赤く染まった火傷にゼリーのような葉肉を塗っていたミルカは、手についたそれを拭い落として麻の包帯を手際よく巻いていく。そして薄い緑色の液体を納めた薬瓶を彼に渡した。

「アロエの葉を傷口に塗りこんであります。この治癒のポーションを飲めば、明日の朝には完治するでしょう」
「さ、サンキューな、ミルカ」
「・・・副官ですから、臨時ですけど」

 慧卓は一つ深呼吸をしてぐいっと薬瓶の中を飲んでいく。そして目を吃驚とさせて指を震わせつつも、それを嚥下し終わってげほげほと咳き込んだ。以前と似たような、舌根が縮まってしまうかのような強烈な苦味であった。
 慧卓は一つ息を吐いて、仄かな噴煙が上がっている教会の裏手へと目を遣りながら問う。

「そっちはどうだった?群集は落ち着いて・・・いないよな?」
「騒動自体は大したものではありませんでしたよ。ですが聖鐘が落下した時と火の手が上がった時には、ほんと、酷い有様でしたよ。中には喝采を挙げた奴も居ましたが」
「後で説教してやろうぜ」
「もうやってあります。・・・勢いの割には随分と鎮火が早いようで。てっきり後三棟は焼かれて、被害者も増えるものかと思ったのですが」
「騎士団の応援が早かったのと、熊美さんと一人の若い女性が尽力してくれたお陰だそうだ。死者が出なかったのも二人の素早い対応のお陰だよ」
「そう思うなら、もっと労ってくれると嬉しいのだけれど」

 掛かった壮年の声に二人は顔を上げる。頬に薄く煤を張った熊美であった。黒色のチュニックを召しており、中々に威厳のある姿である。
 二人は直ぐに立ち上がって、熊美に向かって労うように頭を垂れた。そして気付く。熊美の後ろには露出大目の黒々とした衣装を召した銀髪の女性が立っていた。

「誠お見事な活躍で御座いました」
「熊美さん、お疲れ様です。今度ご飯奢りますね」
「ふふ、有難う慧卓君、ミルカ君」
「・・・その人が、例の方でしょうか?」
「ええ、とても実直で機敏な子よ。パウリナっていうの。人命救助も手伝ってもらって、それに消火活動にも一役買ってもらったし、今日の英雄は彼女かしらね」
「いやいや、あたしはそんな英雄だなんて・・・」

 可憐な顔の前でパウリナは手を振る。猫っぽい顔立ちは困惑を浮かべているようだ。謙遜しているだけだろうと思った慧卓は、ミルカと共に彼女に向かって真摯に言う。
 
「教会の警護任務に就いていた者として感謝致します。パウリナさん、有難う御座いました」
「私からも礼を述べさせて下さい。有難う御座いました、パウリナ殿」
「ああっ、そんな頭まで下げられるだなんて・・・あたしは、その、ねぇ?」
「ええ、貴女はとても立派な事をしたのよ。貴女の勇気のお陰で被害が此処まで抑えられたわ。本当に有難う」
「あ、あははは・・・そうですか」

 頬をかりかりと掻く彼女はどうにも居心地が悪そうな格好であり、微笑を浮かべながら上目遣いに熊美の様子を窺っているようだ。慧卓は真剣な色を浮かべて熊美に話し掛ける。

「熊美さん、あいつらは一体なんなんでしょうか?」
「此度の事件を起こした者達、ですか?」
「そうだ。確か全部で二人だったような・・・」
「三人よ。二人は慧卓君が警護していた聖鐘へ、一人は宝物庫へそれぞれ狙っていたようね。何れにせよ、かなり計画性のある行動だったのは間違いないわ。
 ミルカ君が駆けつけたあの建物のバルコニー落下、職人の間では自重で崩れたんじゃないかって見方が強いわ。でもバルコニーに重みが掛かるのって当たり前じゃない?それが人が数人乗ったぐらいで壊れる方が奇妙だわ」
「では、其処に故意があるとお考えに?・・・矢張り彼らか。騒ぎを一方で起こして、本命の盗難に集中したかったのでしょうか」
「順当に考えるなら、そうだろうな。俺達が居たってのは計画の範囲外だったようですけど」
「・・・狙いは何だったんでしょうか。金銭か、宝飾品か?それとも教会の宝具?」
「そうねぇ・・・両方じゃないかしら?奪い方には些細な問題があったけど」
「些細じゃないでしょ、あれは!」

 慧卓は苦笑気味にそう言う。確かに、些細な問題の末に宝物庫が宝物ごと炎上したとあっては可笑しな話である。
 慧卓は言葉を言った後、考えに耽るように視線を俄かに落とした。その脳裏の映像で動いていたのは、理想の炎を目に宿した、チェスターという青年であった。

(・・・あの男。地図の北嶺をじっと見ていた・・・。もしかしたらあいつが本当に狙っていた物は、アクセサリーでも宝具でもない、此処には無い別の代物なのか?)
「あのぉ・・・ちょっといいですか?」
「ん?どうしました?」

 ふと掛けられたパウリナの言葉に反応して三者が見る。パウリナは居心地の悪さを払拭したがってか、そわそわとした様子で言う。

「実は、あたし知り合いと一緒に此処に来ていたんですけど・・・ちょっとさっきの騒ぎで逸(はぐ)れちゃいまして・・・。でもあたし、あの人がどこをほっつき歩いているかあまり心当たりが無いものなので・・・」
「あらら・・・じゃぁ一緒に探しましょうか?」
「・・・あの、いいんですか?」
「ええ・・・この程度の怪我ならまだ動けますし」
「ちょっと、ケイタク殿・・・もう少し御自愛してもらわないと・・・」
「今は動きたい気分なんだ。皆責務を全うしているのに俺だけ格好悪いまんまだし。せめて最後くらいは格好つけさせてよ」

 尻についた汚れを落とそうとぱっと払った時、慧卓の顔が思わず歪んでしまう。聖鐘に打ちつけた際の痛みがひりひりと皮膚に思い起こされたらしい。ミルカは溜息を吐く。

「・・・はぁ。仕方ありませんね。私も付き合います」
「うっし!流石話が分かるぅー!副官マジ最高ぅー!」
「大丈夫なの?警護任務は」
「ええ。聖鐘騎士団の副団長と事件の経緯について話をつけてあります。後始末は聖鐘騎士団が責任を持って見てくれるそうなので、警護任務は実質解かれたようなものですよ」
「・・・そう。なら私も残るわ。力仕事に手を貸せそうだからね」
「お疲れ様です、熊美さん。・・・んじゃパウリナさん、いきましょか」
「は、はい・・・」

 パウリナは一つ頷いて慧卓達に付いて行こうとする。熊美がそれを見て小さく笑み、踵を返していく。その背中を見てパウリナは立ち止まり、声を掛けた。 

「あ、あの!!」
「ん?」
「・・・有難う御座いました!」

 ばっと頭を垂れて礼を述べる。盗賊としての身分を隠してもらった恩義だけに留まらぬ、純真な謝意を篭めた礼である。熊美はそれを受け取って皺の入った頬を緩めた。

「・・・ふふ。早く行きなさい」
「は、はいっ!!」

 足を止めていてくれた慧卓達に追い付くために、パウリナは急ぎ足で向かっていった。騎士の一人が熊美に近寄ってにやりと言う。

「中々女誑しですな、クマ殿。お人が悪い」
「よせよせ。私はもうそんな欲張りではないよ。・・・さて、仕事に取り掛かるかな」
「はっ!御案内します、此方です」

 兵士の威勢の良い声に表情を引き締めて熊美は足を進ませる。眩いばかりの紅の空から危難の発生を告げる噴煙を断ち切るために、熊美は勇ましく王都の街中を歩いていく。
 慧卓達もまた赤く染まった内縁部の街並みを歩く。慧卓は問う。

「で、一体どんな人なの、探し人って」
「肝っ玉の女房の尻に敷かれていそうな、がたいの良い大男ですっ」
「・・・ふ、ふーん。そうなの」

 妙に熱の篭ったパウリナの口調、思いの外親近感が沸きそうな探し人に戸惑う慧卓。ふわっと込み上げた欠伸を閉口して噛み殺し、慧卓はぼんやりと空を見上げる。茜色の空は昼間に見た剣呑な炎よりも尚赤い、まるで身体に流れる血流のような赤を帯びて空を広々と飾っていた。 

 
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