王道を走れば:幻想にて
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第二章、その6:王都
「・・・・・・成程。面白い話だ」
「祝祭はかなりの盛況でありました。あれを行った結果、街に活気が漲り、今では物資や財貨がより勢いを増して流通している模様です」
王都の己の執務室にて、レイモンド執政長官は応用に頷く。夏の熱々とした日差しはカーテンにより遮られているがその熱気までは防げてはいないようであり、焦げ目のある皺のよった額に汗が浮かんでいた。隣に立つ美顔の少年、そして彼に報告する小太りの男もまた同様である。吹き込む夏風がばたばたとカーテンを揺らし、少年の髪をひらひらと揺らした。
「噂を聞きつけて今は各地の商人等もあの街に向かっているとか。而して残念ながら、あのような大規模な活動を行う事はワーグナーの手腕だけでは不可能でしょう。もっと肝心なものが必要です」
「うむ。あれは貴族が行う事ではない。寧ろ民草が主体となって行う事だ」
「・・・如何なさいますか。あれは徒に民草の勢いを後押しする活動になり兼ねません。仮に過激派につけこまれれば、それこそ奴らの助長に繋がるでしょう。此処は一つ、祭事の恒久的な中断をーーー」
「それこそならん。衆目が集まっている中、我等中央が露骨に介入したとなれば、唯でさえ強硬的なあ奴らを説得する事も適わん。それだけは避けねばなるまいて。・・・それに祭りを愉しみにしておるのは何も商人や民草だけはない。そうだろう?」
「・・・奇天烈な仮面ですね?」
「・・・」
少年の言葉に対して小太りの男は妙な目つきで、腰に吊るされたうざくも愛敬溢れる顔仮面を見遣る。祭りの土産とばかりに帰還してきた間諜から渡されたものだが、男の価値観からすればいたく不可思議な面相をしたものである。眺めているうちに愛くるしく思えてくるらしいが、少し理解出来ない。
レイモンドは切り上げの口上を言う。
「報告御苦労。今しばらくは要たる用事も無い。お前は常の職務を遂行しながら、王都にて待機せよ」
「承知いたしました」
「それとお前が食ったという焼き鳥。美味かったか?」
「は?」
「美味かったか?」
「・・・は、はぁ。大変な美味でありました。肉もさることながら、矢張りタレがなんとも美味で御座いまして」
「そうか・・・。任務ご苦労であった、下がってよい」
「はっ!」
小太りの男は胸に右手を当てて足を鳴らす敬礼をすると、少年を一つも見遣る事無く背をくるりと回して部屋を早々に退出していった。
「奥方に作らせる気ですな?」
「あ奴の話を聞いているうちに、美食家としての欲が沸いて来たのだよ。しかし焼き鳥か・・・どのようなものだろうな?」
「鳥類を焼いたものならば既に我等も常日頃から幾つか食しております。鳥を扱う以上、外観は大して変わりがないでしょう。となると、問題となるのは矢張り・・・」
「・・・・・・タレだな」
老人の言葉に少年は、了解したとばかりに強く頷いた。
「・・・それにしても、ワーグナーの街を賑やかした祭事か。御面に焼き鳥、愉しきかなと。中々どうして奇抜な事を成功させる。矢張り異界の者は面白いな」
「彼らが街を出立したのは、確か四日ほど前。そろそろ王都に到着する頃合でしょう」
「うむ。事を確かめるはそれからでも遅くは無いさ」
老人はそういうなり立ち上がり、カーテンをばっと開いて夏風を全身に浴びる。眼下の整然として美麗な街並みの先には質素な家屋の集まり、そして田園地帯が順々と広がる。その向こう側、今年で丁度樹齢百年の樫の木が聳える丘の辺りから、彼らの姿が見受けられる事であろう。
「さてさて、どのような男であるのかな」
愉快げに口元を歪める老人を見て、少年はすこぶる機嫌悪そうに丘向こうの異界人を睥睨した。
「・・・さて。これでよろしいか、ケイタク殿」
「待って待って待って、ちょっ、ちょっと待って!もっかいおさらいしときましょう!!」
「落ち着きなさい。どんなに焦ろうとも、来る時は来るんだから」
行軍最終日。時刻は正午過ぎ、街の人々は丁度腹が満ちた頃合であろう。その満腹感を肴に、彼らは誉れ高き王国塀の凱旋を見遣る事となろう。兵達の中にもそれを見越してうきうきとする者や緊張する者が見受けられるが、全体としては何時も通り堂々とした様子である。況や高位の者達も肩を張る事無くリラックスした様子だ。
だがその中で、今日の慧卓は一味違う。見栄えがするようにとコーデリアの強い押しがあった結果、拙い手捌きではあるが、一人で馬を乗っているのだ。急な雨にも見合うような天候でもなく、また今日は己の存在を誇示するために走駆する必要も無い。故に堂々であるべく、馬を一人で操るのだ。
そんな彼が行っているのは知識の総確認。特に、王都で過ごす以上知っておくべき常識云々である。
「ええっと、王都には色んな人達が居て、王様が居て、それから王都は大きくて...」
「はぁ・・・王都の中心部には城や貴族の屋敷、それに軍事施設がある。それを囲むように商人や民草の住宅が軒を連ね、城壁と門を隔てた外縁部には町が広がり、更に外側に農園部がある」
「其処は実物を見れば分かるから大丈夫。それより、他の方が大事よ。例えば、歴史とか」
「またですか、クマ殿?」
「歴史に身を連ねない国家や都市なんて・・・蛮族の国だけよ」
そういうクマを理解できなくも無いのか、アリッサは納得の首肯を何度かして語っていく。
「まぁ、聞くまでも無いがおさらいだ。三十年前の戦争の後、帝国の傀儡となった王国を牽引したのが新国王となったヨーゼフ執政官。その後、十数年近くを王国再建に費やした後に崩御。新たに当時の国務大臣であり、ヨーゼフ国王の朋友であったニムル大臣が国王と成った」
「しかしニムル国王は薄志弱行にして親帝国派。唯々諾々と帝国側の要求を呑み、国政の一切を帝国から遣わされた宦官達に信託。此処十年近くは、実際は彼らが国を治めている・・・そうでしたよね?」
「あぁ、そうだ」
「思ったんですけど、今の王都はどんな感じなんです?役人達の収賄や汚職、民草達への侵害というのは?」
「確かに存在している。だが主要な街には裁判所が設けられ、治安維持のために憲兵隊も各街々に駐屯し、警邏に当たっている。お陰で秩序維持に支障を来す事は無く、街を脅かすといった程に汚職が多発している訳でも無い。ヨーゼフ国王の賜物だよ」
感慨を受けるように紡ぐアリッサであった。彼女は表情を引き締めて続ける。
「ですが御両名は充分お気を付けを。憲兵隊の一部には職権濫用の多い者達が居り、度々に住民に危害を加えているようです。お二人は異界の者とはいえ、彼らの目に留まれば等しく暴虐の対象となるやもしれません」
「私は大丈夫そうだけど、慧卓君はね?」
「そうですね。一応街を歩く時は人目の多い場所を選ぶように心掛けます」
行軍する人並みの中で一際華奢な体躯であろう慧卓は重々しく頷いた。それに向かってアリッサは更に言った。
「王都に付けば様々な民がいる。貴方が先ず真っ先に気を付けて欲しいのが、エルフやドワーフ達への配慮だ」
「・・・両民族は王国内の内乱でエルフが改革派、ドワーフが保守派に分かれて対立。帝国との戦争が勃発した途端に手を引いたけど、今でもその怨恨が続いている・・・」
「彼らの前で迂闊に歴史を口にしてはいけませんぞ。我等王国兵といえども、彼らの怒りを抑制する事や、諍いの仲裁などは困難を極めますからな。それこそ、怪我人覚悟で挑まなくてはなりますまい」
「特に王都では力者のドワーフが出稼ぎに多く来ている。旧保守派、つまり軍務大臣派を侮蔑したり、揶揄するような事は無いようにね」
「・・・ドワーフかぁ・・・力持ちって印象があるんですけど、やっぱりそうなんですか、熊美さん?」
「其の通りよ。人間のそれよりも何倍も膂力に優れているわ。彼らにとっての唯の戯れあいが、人間にとっての人殺しとなるくらいにね」
「あはは・・・すごいですね」
慧卓の中でプロテイン常用タイプのプロレスラーが高校生相手に、クラッチスラムからバックドロップ、ジャーマンスープレックス、そして止めにパワーボムを叩き込む映像が映し出された。如何考えても致命傷を飛び越して即死技である。
引き攣った引き笑いを零す慧卓を安心させるように、二人の大人は揃って言う。
「ま、何はともあれ実物を見ない事には始まりませんな。ようはまともに相手にしなければよいのです」
「えぇ。口喧しく言っちゃったけど、まぁ大丈夫でしょう。貴方は利口だから、きっとこれくらいは出来る筈」
「はえっ!?あっ、と、当然じゃないですか!それくらいのルールの一つや二つ、絶対に破らないように気を付けますから、どうぞ御安心を!!」
((嗚呼・・・この口振りは駄目だな))
無理して笑みを湛える慧卓の顔に説得力の一字も見受けられない。きっと彼の事、どうしようもない事態に陥ったら喧嘩の一つや二つ、要らぬ方角へ発展させかねない。だがそうでなくとも、華奢で武に精通せぬ彼であるからそもそもまともな喧嘩も出来ないだろう。彼単独で行動させてはならないと、熊美らは自然と視線を通わせて頷きあった。
からからと晴れた空を担ぐように眼前に丘が広がり、一本の大きな樹木が聳え立っている。兵等の先頭で悠然と馬を進めるコーデリア王女の背を見詰めている中、アリッサが慧卓に声をかけた。
「此処を越えれば、いよいよ王都だ」
「そ、そうですか・・・あぁぁ、緊張してきた・・・」
「そんなに気張らなくても良いわよ。どっしりと、男らしく構えていなさい。・・・懐かしいわ・・・此の木、まだ立っているのね・・・」
木を見て懐かしむ熊美。きっと王都からこの木を何度も見た事があるのだろう。笠の様に盛り上がった緑葉がひらひらと風に棚引く様は、自然と心に癒しを届ける静謐さを抱いていた。成程、戦に明け暮れていた熊美が好くのも当然の風景といえるだろう。
足を進ませて横に並べばその巨体がより理解できた。高さは優に10メートルは越えている。さながら酒樽を幾つも積み上げたが如き逞しき姿であり、癒しとは相反する雄大さを併せ持つ姿でもあった。
それに見とれていると、ふと馬脚の進みが変化したのが感じられる。勾配を上るその感覚が一転、坂を下るようなえもいえぬ浮遊感に転じたのだ。詰まる所を、アリッサが代弁する。
「見えたぞ。マイン王国が王都、『ラザフォート』だ」
視界がばっと開けた先に、慧卓は大いなる都の全貌を捉えた。
元々は丘陵地帯であったであろう、その土地は中央が盛り上がった形をしており、其処を中心として幾多の軒を生やしている。丘陵地帯に聳え立つ白き城壁に取り囲まれて、その都は壮麗な姿を照らしていた。
その都の中央には、まるで心臓の如く、都の柱ともいうべき高さを誇った一本の白金の塔が聳え立っている。その塔のひとつ奥に、遠目からでも分かるほどの清廉な白に磨かれた宮殿が建立している。その二つの建造物を取り囲むように煉瓦の屋根を頂く街並みが広がり、中央北側の部分のみが幾分か開けたスペースを持っている。其処が恐らく集兵場、或いは広場なのだろう。整然として乱れの無い街並みはそれだけで規律と由緒の正しさを物語るかのようであり、燦燦とした日光が街並みを白く輝かせている様は、正に清廉、その一字に尽きる美しさである。
高貴な家々を取り囲むように石造りの内壁が円を描き、その外側にはもう一つの街並みが広がっている。石材の白色も見受けられるが、それ以上に所々で茶褐色の木の屋根が広がっており、内側の街とは一転したみすぼらしい街並みといえよう。王都には立派な城壁を隔てて富裕と貧困の歴然たる差が存在しているという事実を、慧卓は目に映る風景から見て取った。
そしてその風景全域を取り囲むように厚みを保った外壁が聳え、そして更に外側には広大な田園地帯が広がっている。今が夏の待ちに待った収穫時であったのだろうか、四方へ伸びる大きな街道を挟み込むように、小麦色に色付いたライ麦畑が夏風に靡いている。街道には商人が馬車を回した痕であろう、土の路面に轍(わだち)が深く走っている。交易盛んな王都である事が窺えた。
「うーん・・・記憶が正しければの話だけど、塔がああ見えるって事は、こっちは北側かしら?」
「はい、その通りです」
「東門から入っても良かったんじゃない?」
「其処は少々些末な事情がありまして。王都の内壁を潜れば、直ぐに分かります」
街道を真っ直ぐに王都へと進んでいけば、畑にて農作業に励んでいた農民等がそれを見遣って口々に言う。
『おっっとぉ、討伐軍が戻ってきたぜ』
『本当か!お帰りっ、コーデリア様!!』
『・・・なんなんだ、あのごつい男?いや、女?』
『漢じゃよ、漢』
入り混じる声の中、一際大きく若い男の声が響いた。
『おいミシェル!!てめぇ此の前に貸したバックパックを早く返しやがれ!!利子付いて三倍返しだ!!!』
『馬鹿言うんじゃねぇですよ!!借りた直後にこの任務なんだぞ!三日くらいしか使ってないわ!!!』
『それでも期限過ぎてんだよ!!!早く返さねぇとてめぇの姉貴に言いつけるぞ!!!!』
『ちょっ!?わ、分かった!!明日中には返すから絶対に言うなよ!?姉御に言いつけたらマジでお前殺すからな!!!』
『殺すんじゃない、ふざけんじゃない、商売できないでしょ!!兎に角、明日、何時もの場所だ!!分かったな!!!』
やけくそに木霊する喧しい口喧嘩に、並居る兵員は揃ってにやけ面を浮かべていた。指揮官たるハボックもそれを聞いてか苦笑気味に頬を歪めていた。
やがて一軍は大きく構えられた城門へと近付いていく。城壁の上からその泰然たる様子を見詰めていた守衛の者達は頷きあう。
「うっし、王女様達が来たぞ」
「よし。じゃぁ、通達通りに」
守衛等は街の方向へと足を進め、胸を大きく膨らませて、城壁から猛々しい咆哮を吐いた。
『コーデリア王女殿下、山賊討伐軍、御帰還である!!御帰還である!!!』
その大音声は今し方城門を仰ぎ見ていた慧卓の下へと届き、鼓膜を大いに驚かせた。ふと慧卓は思い出す。
「・・・そういえば、なんで王女様がこっちに居るって皆分かっているんですか?」
「私が使いを放っておいたからな」
「あぁ、そういう事」
慧卓が呆れを僅かに含めた視線を向けた先では、宮廷を抜け出したお転婆娘が華のような笑みを浮かべ、街中を埋め尽くす臣民に向かって気品溢れる手を振り続けていた。臣民等は歓声を叫び、口笛を鳴らし、花びらを宙にばら撒いて兵達の無事の帰還を祝っていく。
『お帰りなさいっ、姫様!!!』
『山賊退治っ、良くやった!!よく戻ってきたっ!!流石は誉れ高い王国兵だ!!』
『ねぇ、あの人よ!!あの人!私の婚約者!!ほらあそこ、あの列の一番右の人!!!』
『ヒューッ!いっちょ前に決めたな!!ちゃんと止めを刺したか!?』
『・・・良かった。怪我が無いようで』
『ハボックっ!!!軍を解散した後で後で飲み比べだ!!!聞こえたかぁぁっ!?!?』
「・・・やれやれだ」
王女と馬を合わせるハボックは何時もながらの気の良い声々を聞いて呆れるように言いながらも、胸に一縷の温かみを感じて爽やかな笑みを零して歓声を受けた。
彼らの後背には軍旗を掲げた小隊長等が、そして此度の遠征中において討伐軍の中でも抜きん出て戦果を上げた精鋭等が続く。それら精鋭陣を過ぎた後に、慧卓等の馬が並んで歩いていく。衆目の視線は、最も体躯の立派な熊美を中心として注がれていた。
『おいっ。あのデカイのが豪刃の方か?あの王冠喰らいの?』
『でなきゃあそこまで鍛えないだろ!!クマ様っ!!!お帰りなさい!!!』
『クマ様ぁぁあっ、俺ですっ!!黒衛少年騎士団のっ、炊事係のヨブです!!!覚えていますかっっ!?!?』
『まぁまぁまぁ、随分大きくなったわねぇ、あの人もっ』
指揮官たるハボックに勝るとも劣らぬ熱気に慧卓はたじろぎ、顔に降りかかる花びらを払いながら、横合いにつけるアリッサに問う。
「あの、もしかして俺達の事も言ってます?」
「ん?言っては拙かったか?」
「・・・いいえ、別に。もう開き直りましょう!堂々と凱歌を頂戴します!」
慧卓が背筋を伸ばし、胸を張って馬を進める。自然と引き締められた表情に向かって、民衆がそれぞれ好奇に満ちた視線を向ける。
『ん~、あれがそうかな?黒髪の異界の若人って奴は』
『でしょう?しっかし見れば見るほど変わった風貌よねぇ?・・・結構頭抜けてそうな顔つきね』
『セラムによく来たっ、異界のっ!!歓迎するぞ!!!』
『ラザフォードにようこそっ!!愉しんでいって頂戴っ!!!』
『・・・堂々としているな。良い男子だ』
『ふん。あんな奴、二・三日すれば直ぐに化けの皮が剥がれるわ。其の時の吠え面が愉しみだな』
歓迎する者に歓迎せぬ者、半々といったところか。歓迎しない者の視線は所謂見縊りや興味の無さからいったところから生まれるモノであろう。片や歓迎する者の視線といったら、神秘の到来を歓喜するようなものではなく、寧ろ噂の種が目の前に現れる事に単に喜んでいるだけのように見えた。民衆にとって異界の若人という存在は、存外特別視されるものではないらしい。
二人の異界からの訪人の間を、アリッサは馬半身抜きん出るようにする。途端、その美麗な姿を捉えた民衆、とりわけ若い女性等から黄色くも獣染みた歓声が轟いた。
『お姉さまぁぁぁっっ!!アリッサ様ぁっ、こっち向いてぇぇ!!』
『きゃああああっ!!!御姉様ぁぁっ、こっちに手を振ってぇぇぇ!!!』
『ねぇ見たっ!?見たぁっ!?今私に微笑んだわよ!!絶対微笑んだ!!』
『あれは私に向かって微笑んだのっ!!あんたに向かってやったんじゃないの!!アリッサ様ぁっ、私を抱いてぇぇぇ!!』
『ちょっと!!自重しなさい、この馬鹿痴女!!アリッサ様ぁぁっ、私をなじってぇっっ!!』
「・・・うっはっ、こえぇ・・・」
その勢い、行き遅れとなる事を畏れて男を心身的な意味で貪る雌豹に似ても似つかじ。而して顔は喜色に満ちている。目の前に現れた新たな人種に慧卓の顔は引き攣り、アリッサはアリッサで同様の表情を浮かべているのだが何処か得意げな雰囲気を醸し出す。人気なのが嬉しいのは分かるが、あんなファン層相手に大丈夫なのだろうか。
(それにしても、結構大きくて複雑な街だな)
民衆に対する様々な思いを抱きながら慧卓は一方で、ちらほらと街並みを見詰め直す。
外延部に近いほど木の造りをした家が、内縁部、即ち宮殿に近付くほど石造りの家々が立ち並ぶ王都。謳い文句を記したり、或いはどの店か分かるよう簡単なマークが書かれた看板が目立つ。剣と盾なら武具店、薬瓶なら薬品店、酒瓶や豚のマークならば宿屋等。所々横合いに通りや細道が貫かれており、また別々の通りと繋がっているのが見える。円形状に広がる王都は思いの外入り組みが激しい都でもあるようだ。
(・・・ってか皆、夏服みたいな格好だな)
民衆の格好を見て、ふと慧卓は思う。討伐軍の帰還とあってか公私や貴賎の違いも問わず多くの者達が通りに出たり、或いはバルコニーから顔を出している。貧しき者達、というよりも一般庶民の多くがは古びれた麻服を纏っているようだ。それが慧卓にとっては、夏服に何処か似ているような格好に思えた。
少し遠めに目を遣れば、一般庶民から距離を置いたところに高貴な身分らしき者が居た。何故判るかというと、麻服の上に上質そうな毛織物を羽織っていたからだ。庶民の只中で逆に浮いている格好をしているその小太りの男は、禿げが侵攻している額に皺を寄せながら、熊美を厳しい視線で見詰めていた。慧卓の視線に気付くと、男は白い帽子を被ってそそくさと背を向けて去っていった。差し詰め商人か、或いは役人。もしかすると教会の手先なのだろうか。
(でも、ファンタジーといったらやっぱりこれだよな。やっぱ格好いいや)
だがそんなものから直ぐに興味が逸れた慧卓は、視線を衛兵や騎士に向かって注いでいく。彼らは兜は被らず、鈍色の重たそうな鉄鋼鎧を纏い、腰に一振りの両刃の剣を吊るして凱旋を見詰めている。常と変わらぬ涼しき表情は研鑽された精神の賜物。衛兵は視線をするりと周囲に巡らし、悪事の働きを防止せんと威圧を掛けているようだ。
家屋の二階のバルコニーに立っていた騎士が一人、アリッサに向かって軽く手を振った。赤髪のサイドポニーが印象的な、怜悧な美貌を持つ女性であった。アリッサはそれに気付き、慧卓がこれまでに一度も見た事が無いような実に嬉しき表情で手を振った。騎士はくすりと笑みを零すと、慧卓や熊美に向かって軽く一礼をして、家屋の中へと消えていく。
「・・・今のどなたです?」
「ああ、私の妹、みたいなものだよ」
「・・・みたいなってなんです?弟子とか舎弟とか、そんな感じですか?」
「そういうものとも言えるかな。まっ、後でわかるさ」
慧卓が肩を竦めるとアリッサはくすくすと笑みを零し、徐々に近づいてきた第二の城門へと目を向けた。
街の一口に建立していた城門と比べて、より一層の堅牢さを湛えたものである。扉は見るからに厚く、敵除けの仕掛けもとりわけ多く潜んでいそうな感じがする。櫓の数も見た感じ多く設置されているように見える。
「開門しろっ!」
扉の近くで待機していた衛兵が、城壁の方へ鋭く言う。数秒遅れて、ごごごと、地響きがしそうな重厚な音と共に城門が開いていった。
凱歌を受けた兵達が胸を張ってその中へと潜ると、大きく開けた広場が出迎えた。正面奥の建物には高らかに、樫の花を描いた旗がひらめいている。周囲を見やれば、壁際には赤と白の円を交互に描いた的を貼り付けた大きな藁人形が所々に設置されたり、或いはそれに似た鎧人形が置かれたりしている。
「・・・此処って、訓練施設か、或いは集兵施設かしら?」
「両方です。つい最近、王都にて区画整理がありまして、それまで彼方此方に置かれていた軍施設を北方に集合させたのです」
「成程、だから北側から入門したのね?」
「はい、その通りです」
行軍する兵団が広がっていく。まるで体育祭の如く、まるで夏の高校球児の如く兵員が横広に整列していき、自然と慧卓や熊美達が最前列へと進んでしまう。ふと目を向ければ兵団より幾分か離れた所で、コーデリアが一人の熟年の女性と礼を交わしていた。静かな雰囲気が似合う、落ち着いた所作の女性である。
「お帰りなさいませ、王女様」
「ただいま、クィニ」
馬上より声を掛けたコーデリアは、再び兵員の方へと身体を向けた。設えられた石壇に上った小隊長の一人が猛々しく叫ぶ。
『総いぃぃぃぃん、気を付けぇぇっっっ!!!!!』
瞬間、広場に集う兵達が息を合わせて背筋を正して軍靴を鳴らす。その轟音に慧卓の背筋がびびびと震えた。
『これより、鉄斧山賊団討伐隊の、解散式を行うっっっっ!!!!!!』
がしがしと草むらを強く踏みしめる音が響く。横倒しとなりつつある燦燦とした西日が大地に注いでおり、ライ麦畑を黄金色に靡かせている。街道に繁る名も無い草を踏みしめながら、やけに露出度の高い黒服を召した銀髪の女性は声高く言う。
「ほらっ、あれです!あれが王都です!ちゃんと着きましたよ!」
「分かっているから叫ぶな!」
後に続いて現れるのは、茶褐色のロープを纏う者だ。何処か血生臭い雰囲気が漂う剣をベルトに吊るしており、男は遠くを見るように額に手を当てた。
「・・・随分と久しい姿だ。かれこれ、もう十年か」
「さ、さぁってと!!それでえは私はそろそろお暇させて戴きましてっ、仕事の方に戻らないとならないので!!」
無理に張られた笑みを湛えて女性は男に背を向けた。男は間髪入れず鋭く言う。
「待て、女盗賊」
「へっ!?いいやっ、私は別に盗みをしているわけじゃないですよ!?唯貴族さんの御恵みを掻っ攫うだけのしがない女子で御座いましてーーー」
「自分から言っておるではないか」
「・・・嗚呼」
瞳を逸らして力無い笑みを浮かべた彼女に向かい、男は少し間を空けた後に言う。
「・・・パウリナよ。俺は少し王都で用がある。お前も付き合え」
「えぇぇぇぇえええええっ!!!!」
「・・・その、なんだ。其処まで嫌がられると傷つくんだが」
「いや大丈夫ですよ!私も王都での仕事ですから!!だから剣を抜こうとしないでっ、本当お願いっっ」
いたく必死な形相で、パウリナと呼ばれた女性は頭を下げて助命する。それの男は何も言わず、余りに大袈裟な彼女の所作に呆れるように息を吐き、そそくさと王都へ歩を進めていった。パウリナもそれに気付いて慌てて彼の下へ向かう。
「早く来い、パウリナ。記憶が正しければ、王都の外門は夕焼け前に閉じるぞ」
「知っていますよっ、了解です!ってかパティって呼ばないんですね」
「其処まで仲良くなって無いだろう?」
「まぁ確かに」
愛称を呼ばれたら呼ばれたらで、パウリナは親しみとは別の意味が言外に含まれているとして、男に対して危険を感じるであろう。
彼女は自分の顔を両手で軽く叩き、己の意識をばっと改めようとする。
「・・・それで、御主人は王都にはどんな用があるんですか?」
「ごしゅ・・・。そうだな、あえて言うならば」
男は一瞬の間を生み、血潮が似合う枯れた草木のような鋭い表情で、王都に輝く白の塔を睨みすえた。
「昔仲間とけじめをつける。そのために来た」
「・・・・・・流血は厭ですよ」
「善処するさ」
そういいながらも男の左手は自然と剣の柄に吸い寄せられ、冷えた鉄をそろそろと撫で下ろしていた。パウリナは胸に不安を抱えながらも得体の知れぬ新たな主に気付かれぬよう、細い溜息を零す。麦畑を駆け抜けてきた夏風も、彼女の不安を煽るだけであった。
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