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王道を走れば:幻想にて

作者:Duegion
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第三章、その3の1:遠因の発生

「しっ!!」

 威勢よく横振りに放たれた剣は虚しく空を切り、それを放った男は必要以上の力で動きを引き止めた。目の前に佇む騎士はまるで初心の輩を弄ぶかのような余裕を持ちながら、悠々と距離を開けようとしている。

「ぃぃっ、こんのぉっ!」

 靴で土煙を巻きながら男は接敵し、再び両刃の剣を振っていく。勢いを付けた上段斬りも易々と避けられ、下段からの切り返しもひょいとかわされる。一向に手応えを受けぬ事態に男は段々と余裕を失い始める。体幹を軸に置こうとしていた考えは剣の空振と共にどこぞへ消え去ってしまったのか、縦横無尽に、正に闇雲といった形で男は凶刃を振り抜いて行く。しかしそれでも敵対する騎士は手馴れた動きでそれを回避し続ける。しかも剣を使わずに、だ。それがまた男に強い腹立たしさを産み付けていた。 

(あと一歩・・・あと一歩なのにぃっ!!)

 巧みな足捌き、体裁きが毒のように男の冷静さを崩していった。胴体を狙う動きから変則的に足を薙ぎに行くも、それすらあっさりと読まれていたか、軽快で無駄の無いステップで避けられる。

「くそっ、このっ!当たれよっ、この!!」

 思いつく限りの剣閃を放ってきた。だが指を締めて投げるように振っても当たらず、握りと手首を固定した回転斬りも相手の動きについていけず、楕円軌道による切っ先落しもまた騎士の鋭き一閃を前に臆してそもそも放たれる事が無かった。知識として知っている全ての斬り方、その一つ一つが騎士の技量と読みの前に為す術無く無駄と化していた。
 心身窮し男は開き直り、剣を右腰に構え、相手へと我武者羅に突進する。斬りが駄目なら、突きで決める。その思いの篭った一撃はまたしても騎士の回避でかわされるが、男は相手と擦違った瞬間に無理矢理足を返し、回避した硬直で足が動けぬ騎士の胸目掛けて猛進した。絶対に避けられぬタイミングである。

(っしゃっ!これは避けられーーー!?)

 瞬間、足が一気に払われるのを感じて男は前のめりに倒れこむ。だがそれを許さず騎士が詰め寄って男の腹部と肩口辺りを掴み取り、己の身体を反転させ、男を宙で引っくり返すように投げ飛ばした。勢いを逆手に取られた男は背中から勢い良く地面に叩きつけられ、砂がばさりと宙を舞う。苦悶の息を飲み込みながら男は立とうとする。

「っっっっ、ってぇぇっ・・・ま、まだ終わってーーー」
「終わりだ、ケイタク殿」

 起き上がりかけた直後、目前に凛と構えられた剣の腹に硬直する。引き攣った頬をそのままに地面に転がされた男、慧卓はそろそろと剣の握り主をの方を見遣った。汗一つ掻かぬ涼しげで凛然とした表情のまま栗色の髪を靡かせるのは、近衛騎士であり慧卓の鍛錬相手、白銀の鎧姿のアリッサであった。彼女は小さく落胆の息を漏らして言う。

「身体を少しばかり鍛えていると聞いて期待していたのだがな・・・」
「す、すいません・・・でも俺、鍛えているっていっても山登りくらいしかやってないし、ほら、剣とか握った事無いですから・・・」
「それは言い訳にならん。戦士になる者も騎士になる者も、最初から身体が強健な者など居ないし、そもそも剣や槍を使える人間とは限らんのだ。全員が同じ始発地点に立ち、其処から研鑽を積んでいく。ケイタク殿も同じ地点に立っているのだ。もう一度言うが、言い訳にならん」
「・・・はい」

 それはそうだと、慧卓は思う。聞くに王国軍の兵士達等は、多くの者が徴兵により入隊しており、勧誘や徴募によって軍に入った者というのは少数に留まるという。強制に近い状況で武器を握られる、確かに始発地点は同じだ。だが一縷の不満もある。彼らには無い知識が慧卓にはある。史書を啄ばむ小鳥のようなささやかな知識であるが、それは確かに武の世界に、そして文の世界に通用するものだと確信できるのだ。それが故に不遜な自信もまた生まれてしまうのが厄介な所である。
 慧卓が起き上がるのを待ってからアリッサは剣を鞘に収め、再び言う。

「さぁ、おさらいだ。構えから確りやってみよう。大丈夫だ、私もこれと同じ遣り方で鍛えてきた」
「分かりました」
「先ずは握りだ。此処を持て。力は抜いて」

 アリッサは彼の手を取り剣の柄を持たせる。片方は鍔の直ぐ下を、もう片方は柄頭の直ぐ上を。握り自体は長剣のものとさして変わる事は無く、身体全体の力を発揮するに相応しい握りだ。グラディウスにも似た剣の重みは慧卓の手を伝わり、腕と肩をがっちりと捉えているかのようだ。 

「この剣はケイタク殿に会う大きさのものだ。我等にとっては小振りに類するものであまり使用する機会が無いが、しかしその俊敏性と応用性は無視出来ない。これを扱って戦うに必要なのは技量もまた然りだが、もっと大事なのは二つの心構えだ。先手を取れ。距離を離すな」
「分かってます。相手に詰め寄って、それで切伏せるんですよね。相手が反応するよりも早くに」

 当然とばかりに力強く放たれた言葉にアリッサは目を細めた。極みを追い求める騎士としての直感が働き一つの危うさを感じたのだ。慧卓にも見られたのだ、新兵特有の無謀さが。実戦無き演習から来る無用な自信により齎される、とても不条理な惨禍。新兵にとっての鬼門に慧卓もまたぶち当たり、そして粉々となる様があっさりと想像できてしまった。
 アリッサは声を低く、威圧感を込めて言う。
 
「・・・ケイタク殿、一つ試しに聞くぞ」
「は、はい、なんですか?」
「戦いと聞いて、貴方は何を思い浮かべる?」
「・・・凄惨で、ある意味予定調和なもの。でもその中に、沢山の人々の沢山の思いが込められている。戦うまでの前提は違うけど、戦地に赴けば、皆死と隣り合わせの平等の存在になる。・・・そんなものです」

 戸惑いを覚えながら慧卓は応える。ゲーム如き、読書如きで培った知識を統合して放った言葉は悲しきかな、アリッサに苛立ちを沸かすに相違ない弱気でおぼろげな声色であった。

「ケイタク殿、私から言わせればその応えは半分以上は正鵠を射ている。確かに、戦いに赴く人達はそれぞれ重い覚悟を背負っているだろう。故郷や家で待っている家族の為、友人の為、国の為、そして何より自分自身の為だ。財貨に目も眩む者も居るだろう。だが彼らとて、己の命を散らす決意で戦いに臨み、貪欲に勝利を、己の生存を望んでいる。皆が皆、戦いの中では平等だ。覚悟の差異など其処では推し量れん」

 熱のある口上に慧卓は閉口して思わず剣を下ろし、その一言一言を静聴する。とても口を挟めるような雰囲気ではなかった。

「そして戦いは熾烈を極めるものだ。命や家や名誉、そして時には国家の興亡が掛かっているのだからな、必死になるさ。相手を殺さなければ自分が死ぬ。だからこそ皆が皆、相手の死を希求するのだ、手段を問わずして。その情景は・・・酷いものだ。
 貴方は戦に関してはとても現実的だ、ケイタク殿。もし実戦が起こって誰かが死んだり殺されても、心の何処かでは冷静さを保てる、そんな才があるに違いない。だがな、ケイタク殿、これだけは言っておくぞ・・・」

 慧卓の肩をがっしりと掴むアリッサ。思いの外強く込められていた力に一瞬慧卓は痛みを覚えてしまう。が、苦痛の声を漏らす事をアリッサの燃える瞳と、そして情が入った声が許さない。積年の思い出を想起して、それを何処か後悔するかのように言葉は続けられる。

「予定調和な戦いがあるものかっ・・・戦いとは偶発的で、それであるがゆえに、戦局の行方など誰にも予想できないものだ・・・。
 何が起こるかなど、誰が死ぬかなど、そんなものっ、人間に見通せる筈が無い!だから聞きなさい、ケイタク!常より全てに備えておきなさい!最悪の事態を常に予想して動くの!さもなければ貴方が慕う、貴方を慕う全てを失くすわ・・・いい?」
「は、はい・・・」

 言葉の冷徹さが消え去り、騎士としてではなく、一人の女性としてアリッサは警告を顕にする。慧卓は勢いに押されて思わず瞠目しながら首肯した。
 その言葉の真意を理解できたか確認を取る事無く、アリッサは常の冷静さを徐々に取り戻し始めた。慧卓を諭す心算が、どうも己が思う所を刺激してしまったようだ。気まずげになりながらも彼女は鍛錬を続けようとする。

「感傷的になって、すまない。鍛錬を再開しよう・・・察するにケイタク殿は武具の振りが些か拙い。というよりも、身体がそれについて来ない。これで間違いなかろう」
「鍛錬に鍛錬を積めば何れは出来るようになりますって」
「なるだろうが、私の域に達するまで軽く十年は掛かるだろうな。何せ体力も無く、膂力も無い、おまけに武術の経験無いと来れば、な」
「うぐっ・・・」

 苛烈でありながら現実的な指摘に慧卓は反論の口を閉ざしてしまう。確かにその通りである。今の慧卓には膂力も無く技量も無い。この世界では一介の農夫の方が力仕事に卓越している。
 だがもしも、もしも自分が神官のように魔法を使える身となれば。熊美と山賊団の棟梁の一騎打ちの前に神官が唱えていた物を思い起こす慧卓。あのような呪術的な存在が認められるなら、きっと其処には神聖な意味を持つ誓約の魔法だけではなく、肉を焦がす攻撃の魔法も存在する筈だ。
 その考えを見透かしてか、アリッサは頸を振って言う。
 
「己が無双を誇る場面を思っているな?だが私が知る限りそれが出来る唯一の可能性は魔道のみであり、おまけにその術式は魔道学院や教会が秘匿して独占している。我等騎士であってもそれを学ぶ事は適わなず、伝手も無い。諦めるべきだ」
「んじゃぁどうしろと?やられる前にやるのが戦いの基本ですよね?」
「その通り。ようは相手が実力を出す前にケリをつければ無双を誇れる、こういう事だ。だからケイタク殿が取る手段はこれになる」

 言うなりアリッサは慧卓から距離を取りながら抜刀する。

「ケイタク殿。私が貴方に向かって走るから、それ目掛けて全力で剣を振り下ろしてくれ。肉を断ち切る勢いでな」
「ええっ!?でもこの剣、刃は潰してますけど鈍器に変わりないですよ?当たったら怪我しますって!」
「心配するな。貴方では傷つけられんよ」
「・・・それもそれで腹立つ返し」

 説教にも似た忠告を受けたばかりの慧卓は息を吐きながら素直に剣を正眼に構えて、脇を開いて右足を一歩退きながら上段に構えた。自分の膂力と精神の全てをつぎ込める一撃、それが飾りの無い上段斬りである。
 アリッサは慧卓に向き直る。距離は20メートルほど。彼女であるなら鎧を着用していても数秒内に詰め寄れる距離だ。

「準備はいいな?行くぞっ」
「往っ!」

 言うなりアリッサは剣を真っ直ぐに突き立てながら疾駆する。猛然と走り眼光を光らせる姿は獣のようで、眼前の敵に恐怖心を抱かせるに充分過ぎるものだ。
 剣は届かないだろう。届く前に斬られる。散々に打ちのめされた今の彼ならばそれは当然過ぎる推測だ。だがせめて、せめて一矢でいいから彼女の肝を冷やしてやりたい。現役の騎士に己の力量と一抹でいいいから認めて欲しい。
 思考を巡らす内に、剣の距離にアリッサがぐいと踏み入った。

(今っ!!)

 全力で剣を振り下ろす慧卓。足腰を強く踏ん張った一振りは彼の中ではこれ以上無い程のものだ。
 だがアリッサはその上を遥かに行く。両手に持った剣を下から払い上げて、慧卓の剣を唾に近い部分で受け止める。全速を出す前に剣の勢いが削がれた。そのまま彼女は詰め寄り、左手をぐんと伸ばした。
 二人の動きが静止する。アリッサが己の体躯を自制させ、尚且つ慧卓の行動を止めたのだ。彼女の左手は慧卓の頸元を掴んでいる。親指は喉仏を、あとの指は首筋を。

「・・・凄い、機敏ですね」
「騎士であるなら皆これくらいは当然出来るさ」
「それで、今の攻めは何を目的として?」
「単純だよ。相手の剣が自分に振りかかる前に、相手の頸を潰す。膂力があるなら素手でもいいが、無ければ短剣を引き抜いて裂いてもいい。それが私がケイタク殿に伝授する必殺技だ」
「・・・えっ、地味すぎやしません?」
「戦いに地味も派手もあるか。どうせ血が出る瞬間にどよめくんだから」
「いやでもさぁ・・・」
「必殺技だぞ。決まったら格好いいぞ。私なら惚れるぞ」
「・・・こ、心で理解しました。今日中で完璧に仕上げてみせましょう、アリッサさん。惚れさせて魅せます」
「その言葉を待っていた」

 にやりと笑みを浮かべるアリッサ。その歪み、体育祭に人一倍張り切る鬼の体育教師を彷彿させるものがあり、慧卓は引き攣った笑みを返した。
 その後、昼食を挟んで鍛錬を励む二人。筋肉痛と強烈な疲労に苛みながら、慧卓はどうにかこの技を習得する事に成功し、アリッサの歓心と喜色に富んだ可愛らしい笑みを買うのにも成功した。万々歳の結果である。それが実戦に使うにはお世辞程度の質の悪い技であり、その後数日筋肉痛に悩まされる事を除けば。




 慧卓が鍛錬に励む刻と同じくして、一人の若い青年が緩いロープ姿で王都の通りを、宮殿の方角に向かって悠々と歩いていた。内壁と外壁に挟まれたこの場所では貧困と切っても離せぬ関係であり、そこかしこにおんぼろの木の家や、貧相な見た目の屋台が並んでいた。路地裏へ迷えば一巻の終わりであり、今日も今日とてある場所では血潮の香りが、ある場所では憲兵に嬲られる浮浪者の肉の音が響いていた。国王の膝元ではこのような事態が頻発し、未だ改善の手が加えられていない。国王がやる気になれば話は別であろうが、それを許すほど帝国が派遣した傀儡達は優しさを持ち合わせていない。それが青年が今の王国を嫌う理由でもあった。
 ふと、青年がぴくりと眉を跳ね上げる。入り交う民衆に混じって剣呑な気配が漂ったのだ。

(・・・ふん。二人か)

 品の良い口元に嘲りを浮かべながら、青年は黙々と歩く。頸元に掛かっていた趣味の悪い髑髏の飾りがきらりと光った。それに寄せられてか、無精髭を顔に沢山生やした商人が屋台から声を描けた。

「おい兄ちゃん、そっち行っても肩が苦しくなるだけだぜ。なんせそっちは貴族のモンしか住めない格式ばった区画なんだからよ。んな思いするよか、どうだい、こいつで一服してみないか?」

 青年は近付いて、商人が指差すものを見た。白くさらさらとした小山を築いた粉末。一つ摘むと、見た目にあるまじきざらついた感触が伝わってきた。まるで角ばったものが肌に刺さるかのような感触。青年は知っている、それは王国に広く流通する麻薬、マウンテンシュガーであると。そして青年は知っている、この商人が渡したいのはこんなちんけなものではないと。

「ふむ、マウンテンシュガーか?生憎だが、私はその種の快楽に悦を覚えんのだ。浮世を忘れて脳を彼方へと飛ばすような悦にはね。心遣いだけは受け取っておくよ」
「そうかい、そりゃ残念」
「だがもし貴殿が、懐の内に『白金の鍵』を持っているのであれば、私はそれを戴きたいな」
「・・・果実ね?さぞかし素晴らしい思いが込められているんだろうな?」
「そうだとも。先人達の思いもまた、ね。『白の塔よ、震え慄け。紅の西日はお前を睨み、お前の身体に弔炎を燈すだろう』」

 実に剣呑な文句を青年は嬉々として告げた。途端、商人の作り笑みが消えてさっと懐から一通の封筒を取り出した。それを青年に渡しながら商人は不安げに言う。

「尾行は?」
「うん、二人居るよ。・・・ああ、そんな心配げな顔をするな。あいつらの後ろに私の仲間が居る。ちゃんと始末するさ」
「そう願っている。結構ヤバイもんだって俺でも分かるぜ、こいつは。ほら、受け取ってさっさと消えてくれ」

 青年は商人を鼻で笑いながら通りを歩き始め、ものの十歩も歩かぬうちにさっと路地裏へと消えた。
 数秒後、二人の男が商人の屋台の前へと現れる。全身を鋼鉄の無機質な色をした鎧で覆った、悪名高き王国憲兵だ。

「・・・あの男は何処に行った?」
「そ、そこの通りでさ・・・」
「後で逮捕しに来るぞ。其処で待っていろ、下種め」

 侮蔑を隠さずに言うなり男達は駆け出し、青年が消えた路地裏へと入り込む。既に片手は腰の剣に伸ばされており、何時でも抜き打ちが出来る状態だ。細道が多い路地裏でも隙無く抜き打ちを出来る自信が男達にはあったのだ。 
 しかしそれは獲物を見つけての話。入り組んだ路地裏を進む二人は何時の間にか王都の穢れである、貧民窟へと足を踏み入れていたのだ。貧家と倉庫がまるで身を寄せ合って作られたこの地域は憲兵はおろか王都の臣民であっても中々に理解し難い造りをしている。よって二人が獲物を見逃すのも自然な話といえた。
 昼過ぎに関わらず、常に薄暗い森林のような闇を持つこの地域。一角に佇む大き目の倉庫の前で二人は足を止めた。鎧がやけに重く感じるのは何も疲労だけの話ではなかった。

「あ、あの男、何処に消えたっ!気配は此方に向かっていた筈なのにっ!!」
「ちっ、自分の街で獲物を見失うとは・・・!」
「まるデなっていない。猟師失格ダナ」

 鈍りのある声が背後から、濃密な殺意と共に掛けられた。憲兵の一人が抜き打ちをしよう剣を滑らせて、その顎を強く横合いから殴られた。もう一人の憲兵は声が掛かった直後には既に抜刀していた。そして仲間を襲った不埒な輩に斬り掛かろうとした瞬間、頭上に気配を感じて、そして己の頭頂部から熱く鋭いものが侵入してくるのを感じたまま意識を閉ざした。
 憲兵の身体が倒れる。一人は気絶し、もう一人は頭から刃を埋め込まれている。脳髄を二つに裁断されて中脳を抉られている、即死だ。その裁きを下したのは二人の男。一人は野生的な蛮人服を纏う男、もう一人は全身をロープで隠した鱗面の男だ。

「片付いたカ?」
「当たり前だ、相棒。お前さんも片付いたカーイ?」
「・・・問題ナイ」

 茶化す口調に応える度量を、鱗男は持ち合わせていないようだ。
 ぱちぱちと、拍子抜けのする拍手の音が響いた。倉庫の影から先の青年の姿が現れる。憲兵達の勘は正しかったようだ。青年は蛮人風の男を見て賞賛の声を掛けた。

「諸君っ、見事な手並みであった。アダン殿、流石は腕利きの盗賊だ。元教会騎士であった私でさえ気配を掴めなかったぞ。倉庫の屋上から飛び掛って刃を埋め込むとは、見事な曲芸だな!」
「稼業だったんでね。この辺習熟できなきゃ、お終いさ。盗賊なんかしてないで、今頃墓地で女の司祭に種を蒔いているよ」
「そ、その不道徳な冗談は止め給え、非理性的な!・・・そして君にも勿論感謝しているよ、ビーラ殿」
「・・・ふん、当然の事ヲしたまでダ」

 誇る事無く、ビーラと呼ばれた鱗の男は素っ気の無い返事をした。それに青年、チェスターは肩を竦めて応える。
 彼等にとって憲兵の殺害というのは実に容易い事であった。憲兵を巧みに奥地へと誘い込んだ後に殲滅する。憲兵が技を鍛えていようと、接敵のその瞬間まで気配を消せる腕利きの男二人にとっては実に御しやすい相手である。仮に逃したとて、教会出身の騎士の一撃を回避する事も適わないだろう。それを成し得る力量と技量が彼等には存在していた。
 チェスターは不思議でならぬといった表情を浮かべて一人昏倒したままの憲兵を見下ろし、ビーラに尋ねた。

「しかしだね、なんで彼を生かしたままなのかな?こいつは所詮は憲兵。斬り殺しても、数日後には貧民窟から直ぐに補充される程度の輩だぞ?」
「すぐにっておい・・・抜刀は結構早かったからそれなりの腕なのは違い無かったぜ?で、どういう意図があったんだい、ビーラよ?」
「・・・こいつ等ハ憲兵ではない」
「・・・如何いう事だね」
「普通の憲兵ナラバ重装の鎧姿で武装してイル。鋼鉄製デ、グリーヴの踵の部分にハ樫の文様が刻まれてイルものダ。だがこいつヲ見ろ」

 頭から鉄を生やして鮮血を零している憲兵の踵部分を指す。ビーラの言葉の通りならば樫の花特有の、垂下するわたあめのような文様が刻まれている筈である。而して其処に刻まれていたのは、燦と花開く赤い百合の文様だ。
 チェスター達の表情が険しくなる。その花は美しさ以上に、とても強い意味が篭っているのだ。

「・・・見覚えガあるだろう?とてもよくナ」
「俺もだ。何度か見た事あるぜ、特にこいつはな。こいつがある家は本当に警備が厳重だったぜ」
「『赤百合の紋章』。神言教ノシンボルだ」

 神言教。建国の祖と賛美されるグスタフ卿の加護の下繁栄した一大宗教。帝国からの独立において革新派と保守派に分断され、革新派の協力の下に王国は成長し、そして敗戦した。今では過去の悪名を掘り返すが如く腐敗の一途を辿る存在であり、此処に佇む三名にとってはそれぞれ因縁浅はかならぬ相手であった。

「どうするよ。こいつが来てるって事はよ、チェスターさん、あんたもう教会に目を付けられているって事だぜ」
「そそ、そ、そんなじ、事態が起きている筈な、ないだろう!!全ては計画通りに進んでいるんだ!不測の事態など、微塵も起きる訳が無い!!」
「チェスターよ、仮にモお前は我等の棟梁ダ。ならば今ノ情況を冷静に見詰める責務ガあるのではないカ?」
「そうだぜ。俺達の行動は既に露見している。だったらそれを見越した上で行動するべきだ、あんたが望むのならな。・・・んでどうするよ、こいつ。このまま野放しですか、棟梁さん」

 チェスターはその上品に整った顔を一瞬歪める。屈辱と苛立ちに歪んだ、実に醜悪な目つきを浮かべたのだ。彼は荒立つ心を落ち着けるように、ビーラに問う。

「・・・私が答えを出す前に聞かねばならぬ事があるぞ、ビーラ殿。生かしたからには何かしら考えがあるのだろう?」
「無ければ殺ス。まぁ見ていロ。アダン、こいつの鎧を脱がすカラ、少し手伝ってクレ」
「あいよ」

 二人は死体の傍らで生き残った憲兵の鎧を脱がしに掛かった。がしゃがしゃと歪な音を立てながらも鎧が手早く脱がされ、憲兵の隆々とした肉体が下着一枚を残して顕となった。

「んで、どうするんだい?」
「術を施ス。我等の役に立つようニ」
「術だと?な、何の術かね?『記憶消去』かな?或いは『疑心の拡充』かい?」
「そんな高度二陰険な術、期待してもらってハ困ル。もっと単純デ、役に立つモノダ」
「あ、そうかい」

 拗ねたような口調のチェスターに構う事無く、ビーラは懐から一本の羽ペンを取り出した。黒インクを付けたりもせずビーラはその筆先を憲兵の身体に手馴れた手付きで走らせた。円を描き、紋様を描き、そして流れるような文字を走らせる。それが終わるとビーラはペンを仕舞い、己の両手を掌で合わせて指で絡めた。途端に彼の手の内、そして憲兵に走った筆跡から赤黒い光が放たれて、彼の翠色の鱗肌、そして爬虫類のような鋭い黄色の瞳孔をを顕にした。まるで人間の執拗な悪意と陰険さを現すかのような神秘の光に、連れの二人は瞠目して眺める。

「『起きろ、人間』」

 ビーラの訛りの無い威圧的な声色に憲兵は目をばっと見開いて、その眼光を支配する貪欲な赤黒い光を見せ付ける。

「『貴様は誰の前に立っている』」
「ヒューリヒ・・・魔道の中の魔道」
「『貴様の意識は誰のものだ』」
「ヒューリヒ・・・魔人の中の魔人」

 ビーラの言葉に、憲兵は夢心地で億劫さを隠さぬ声色で応える。見開いた瞳は光を零している一方で虚ろであり、口元も死人のように力無く開け放たれていた。ビーラは厳かに続ける。

「『貴様はこれから何事も無く兵舎へと戻り、疑われる事の無いよう任務を終える。そして我が呼び出す時には、何事にも優先して、我も元へと駆けつけよ。我の有能なる下僕としてその才を示せ』」
「委細を・・・把握した」

 その言葉を聴きビーラは掌をそっと離す。始めの唐突さと同じように、剣呑な赤黒い光が瞬く間に消えていく。憲兵の瞳もまた閉じられ、その代わりに落ち着いた寝息が聞こえ始めた。
 ビーラは息を一つ吐いて連れを見やる。

「これで大丈夫ダ。其の時が来たら俺ガこいつを呼ブ。良いナ?」
「・・・は、初めて見る魔術だ・・・。ど、如何いう代物なのかね?さぞかし気品と高貴さが溢れる方が生み出した魔法なのだろう!?少しばかり教えてくれないか?」
「止めろよ、棟梁さん。俺達、結構騒ぎ過ぎたと思うぜ、住人の奴等が気付き始めちまう。此処でお喋りする時間はもう無い。時間の無駄だ」
「無駄っ!?き、君は、崇高なる知識欲の充足を、唯の時間の無駄とーーー」
「んじゃ俺は今日の分が終わったし、娼館にでも出掛けて来るわ。種は溜め込むものじゃないしよ」
「分かっタ。俺も俺デ用がある場所がアル。其処で最後の準備ヲ整えよウ」
「うっし。んじゃまた塒でな」
「聞いているのかね、君達は!?というか、この死体はどうすればよいのだっ!?」
「死体など珍しくも無い。憲兵であってもだ。そのための貧民窟、だろっ?」

 いうなりアダンは機敏に駆け出し、薄暗闇に行方を眩ませる。言葉通りに娼婦と遊戯に戯れるのであろう。ビーラもまた欠伸をかみ殺しながら倉庫内へと消え去り、中の地下通路から塒である宿屋へと向かった。残されたチェスターも後を追うように倉庫の中へ消えていく。
 惨憺たる血潮の香りが漂う中、術を施された憲兵は健やかに、まるで赤子の如く眠りに就いていた。





「・・・げほっ、げほっ・・・んっく、ごくっ」

 内壁に覆われた王都の一角。周辺に佇む清廉で高貴な館の陰にひっそりと佇むのは、他のそれと比べて一段貧相の階段を降りている、ブランチャード男爵の館である。常日頃より階位に不相応な貧しさ故の静けさが漂うこの家には、更に貧相さを増すかのように、ふしだらな酒の香りが立ち込めていた。その発生源は、己の寝室で酒瓶の蓋を幾つも開けているミラー=ブランチャード男爵、その人であった。顔はすっかりと赤く出来上がっており、吐き出す息には隠しようのない酒臭さと、被虐的な億劫さが混ざり合っていた。
 とんとんと、不意に扉が叩かれる。びくりと目を向かわせたミラーは、その眼に伴侶であるミントの姿を捉えた。

「っ、み、ミント・・・」
「ミラー様、お酒は控えるよう再三申し上げておりますのに。もう若いとはいえぬ身体なのですから無理は御禁物です。御身体に障りますよ」
「これはこれは・・・中々に妙な事を言う。私が酒を愉しむのは詩を吟じ、美を詠うのと同じ心さ。疚しい理由があろうか?」
「・・・私の旦那様は確かお酒に弱かった、と記憶しておりますが」

 静かに言う彼女は、床に、そして駕籠の中に転がる幾つもの酒瓶を冷ややかに見下ろす。『暁の蜂蜜酒』。宮廷内でも人気を誇る、至極の一品である。値段も相応だ。

「・・・高級なお酒をお好みなのは昔を変わりませんわね・・・懐かしいですわ・・・。最後にこれに飲んだのは三年前ほどでした」
「そうだったな。お前が思いの外酒癖が悪くて、夜遅くまで付き合わされたよ。酒の席の同伴から寝台の同伴まで。正直あの時は、ハハ、枯れるかと思った」
「誤魔化そうとしては駄目ですよ、赤顔の御主人様。今の私共の家にこんな高いお酒を買う余裕などある筈が無い。なのに貴方はこれを飲んでいる。これは一体どういう事でしょうか?」

 ミラーは何も言わずに杯を呷る。濃厚な葡萄酒を髣髴とさせる一方で柑橘類のような甘みを残す味わいであり、度数の高さとは裏腹に喉越しが非常に良い。酒類としての長所を充分に発揮した一品である。だからこそ値段が吊り上るのだ。
 ミントは手を前に組んで、冷ややかな視線を夫に注いだ。彼が何時この酒を手に入れたのか、それについての心当たりが彼女にはあった。

「お酒を手に入れたのは、キーラにドレスを渡した後ですね?」
「・・・」
「沈黙は何よりも雄弁に語りますわよ、貴方。・・・あの時、外で馬車が二台留まっていましたけどーーー」
「何でその事を知っている!?」

 言葉を遮るように騒々しくミラーが立ち上がる。沈黙を保っていた瞳は動揺している。

「御様子を、カーテンの隙間から見ておりましたわ。其処で誰がどんな事をしていたか、そして荷台に何が積まれていたかも、はっきりと見ております」
「・・・っ・・・」

 身体に走っていた心地良い酔いが冷や汗が走るように醒めるのをミラーは感じていた。ゆっくりと椅子に腰掛け、杯を棚の上に置く。

「ミラー様」
「皆まで言うなっ!・・・全部分かっているさ」
「いいえ、分かっていません!!」

 ミントが声を荒げる。温厚さをかなぐり捨てた彼女の目元は怒気と心配に歪み、ミラーの不甲斐無き横顔を見下ろしている。

「何故もっと全うな方法でお金を得ようと考えないのですか!?私共は取るに足らぬ端くれといえども、栄誉ある貴族の一員なのですよ!自らの矜持を品位を外道に貶めるなんて、御父上がお嘆きになっていると思わないのですか!?
 加えて・・・なんですか、この酒瓶は!?ブランチャードの家督を辱めるような酒乱癖に陥るほど、私共は貧窮しているとお認めになる御積りですか!なんと情けない!宮廷には貴方の席がまだ残っているのでしょう!?」
「知ったような口を聞くな!!」

 激高した口調でミラーは立ち上がる。その勢いに椅子が横に倒れ、背凭れの部分が床の酒瓶に直撃した。両者の怒りの視線が交わりあい、騒然たる修羅場の様相を呈した。

「我が使命は詩にこそある!酒と女を愉しむ下賎なものではなく、世の移りを受け入れ、権威の腐敗を留まらせる崇高な詩だ!だが宮中の連中はその精神を微塵も理解せず、私を憚っているのだぞ!?父祖三代、王国に命を捧げたこのブランチャードをだ!!・・・今更戻っても、私に宛がわれる職務など無きに等しいのだ」
「彼らに理解を頼めば宜しいではないですか!一つの詩に拘るから、いつまでもいつまでも受け入れられないのではないのですか?」
「おっ、お前っ・・・例え妻であろうともそれだけは許さんぞっ!!我が詩の精神を侮辱するなど言語道断っ!!撤回しろっ!!!」
「いいえ、撤回致しません!貴方が宮中に戻り、己の為すべき事を為さぬまで、絶対に撤回しませんからね!」

 ミントはふんと鼻息荒げにミラーを睨み、足早に扉の方へと身体を向けた。長丁場の喧嘩をする気は無かったようだ。 

「私がこのままこの場にいたら、今度はその心だけではなく、拳まで傷つけてしまいますわ。ですから早く、冷静に、御自身をお見詰め下さいませ」
「お前とてそうだ!自分に出来る事を確りと理解しておけ!!この世の中、財貨もまた命の詩なのだ!!」

 最後に放たれた言葉にミントは秀麗な顔付きを一度引き攣らせ、そして荒々しい足つきで部屋の外へ出て行った。
 ミラーは開け放たれたままの扉を閉め、そのまま寝台に腰を落とす。怒りに澱んでいた顔は何時の間にか、己に対する後悔の色に染まっていた。深い自嘲気味な溜息が漏れる。

「はぁぁ・・・なんて事を、私は・・・」

 酒気を帯びていたとはいえ、ミントの言葉に激発したのは紛れも無く彼自身の理性によるものである。なまじ詩人としての矜持を怒りの手で撫でられただけに、氷細工のように繊細で刺激を受けやすいその詩の精神が反応してしまったのだ。それに加えて彼を悩ませたのが最後に放たれた一言。貴族にあるまじき俗物染みた発言。
 ミラーは己に失望する。なんと浅はかで軽率な言葉であったろうか。嘗て宮中で責務の深き政務の傍らで美しき詩を吟じていた頃の自分に比較すると、堕ちる所まで堕ちてしまったものだと思えてくる。昼間から酒瓶の束を担ぎ込み、その麻薬のような豊潤な味わいにのめり込んでしまっていると思うと。
 そして心配が重なる。最後の言葉にミントは随分と気を害してしまった。その時の歪みが怒りのためではなく、寧ろ覆せぬ図星を差された時特有の引き攣りに見えてしまったのだ。ミントは深く家族思いの気質である。言葉に対して、何か発作的に要らぬ方角へ足を踏み入れてしまうのかもしれなかった。

(・・・・・・だが、今更どうする事も出来ないのだ)

 寝台に己を埋めるミラー。酒気が篭った息は震えている。きつく閉ざされた瞼からは涙が一つ、そして二つと毀れて皺が寄せられた顔から、温かみのある布団へと伝っていく。今はどうにもこの布団の中に埋もれてしまいたい気分であった。
 震える息を隠すようにミラーは寝具に身を落ち着ける。西日が空を赤く染める頃には、彼の口元からは静かな寝息が毀れていた。

 
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