王道を走れば:幻想にて
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第一章、その6:血潮、ハゲタカの眼下に薫る
『我が武勇と山賊の誇りを賭けて、豪刃の羆殿、尋常なる一騎討ちを願いたいっっ!!!!』
高々と張り上げられた名乗りに、そして一騎討ちの願い出に諸兵らは困惑を抱いてそれぞれの陣営ごとに固まっていく。血気に猛る兵達であっても、己より明らかに膂力に優れる者を見れば、その戦意も萎縮せざるを得なかった。大して賊徒達は何の脈絡もなく、ただ突然と一騎討ちを申し込んだ己の棟梁に驚く。
そしてその両者の視線を一身に集めるのは何も山賊の棟梁、カルタスだけではない。彼に指名された熊美はそれ以上の注目の対象となっていた。三十年前に顕現した異界の猛き戦士、『豪刃の羆』。時を経た今の姿を見て、兵も賊も驚愕に胸を騒がせて口々に言い合う。
『おい、本物か?本当にあの方なのか?』
『なんか変なもん着てるから本当だろ!昔顕現された時もそうだったらしいけどな!』
『今時の若いモンは外見で判断するのか!?こういうのは雰囲気で悟れ!見よ、あの男だか女だか分からん意味不明な闘気を!あれは本物の羆殿だ』
「ほぅ...随分な命知らずが居るらしいわね?結構、結構...」
熊美は額に青筋を立たせてひくひくと痙攣させる。それでも憤懣たる思いを抑えてカルタスの叫びに傾聴する辺り、場の雰囲気を掴んでいるといえよう。カルタスは胸を張り上げて叫ぶ。
『寛容な心をもちてこの申し出を受け入れる事適うならば、勝敗に関わり無く、我が山賊団は王国の威光の前に膝を屈そうっ!!!』
その一声を聞いて兵達は尚一層の驚きの表情を浮かべ、山賊らは矢張りとばかりに諦観の息を漏らす。
未だ抵抗の動きがあると思っていただけに兵達は動揺を覚えざるを得なかったが、大して山賊らは交戦の最中に何処か諦めめいた気持ちを浮かべていたのだ。数は負け、兵士の質も、武器の質も負けている。加えて情勢を打破できる秘密兵器も、ただ一人の青年の機転により為すがままに山賊らの寿命を縮めるに至らしめていた。事此処に至っては、棟梁の一騎討ちにより雌雄を決するのも一つの慈悲であろう。そんな思いも芽生えていたのだ。
『王国軍よ、羆殿よ、返答やっ、如何に!?!?』
裂帛の如き一声が宙を裂き、改めて人々の関心を惹きつけた。互いの顔を見合わせてそれぞれの思いを探る兵達の後方から、蹄が地面を鳴らして近付く音が聞こえる。見遣れば、アリッサを護衛として引き連れたコーデリアが馬を進ませており、其の隣には確りと指揮官の男の姿がある。兵達の間にて馬を止めて、コーデリアは凛々しい声で言う。
『...我はマイン王国第三王女、コーデリア=マイン也!!』
「あっ、コーデリアってあの人か...綺麗だな」
海のような色をした軽やかで淡い髪の毛、陶磁器のような美白の肌。そしてそれらを彩るは教会の鐘の音の如き凛々しい声と、煌びやかに作られた純白の鎧。慧卓は現世に舞い降りる天使の如き可憐なその者の姿に、思わず見惚れてしまう。
コーデリアは続けた。
『数々の狼藉を働きし山賊の棟梁の言葉、果たして信ずるに足るといえようか!?』
『誓う!!我、鉄斧のカルタスは王国の樫を仰ぐ者として、亡きクウィス男爵殿の名誉にかけて誓う!正々堂々と、戦士の武技によりて尋常なる勝負をすると!この誓約を霊魂に刻むものである!!!』
クウィス男爵、そして誓約。其の言葉が走った途端にアリッサの表情が一気に鋭くなり、諸兵らに波を打つような静けさが走る。心成しか、山賊達の幾人に至っても鋭い視線を棟梁に向けている。困惑に満ちた雰囲気が、一気に殺気染みた緊張感へと変貌し、光景を眼下に見下ろす慧卓に鳥肌を立たせた。
慧卓は急な空気の変容に戸惑い、一縷の怯えを抱きつつも一つだけ理解できる事があった。口走った二つの言葉に込められた思いは、自分が想像できぬほどに重く、彼らの心を捉えているのだ。まるで足枷に嵌められた鉄球のように。
『我は豪刃の羆、クマ也!!』
熊美の雄雄しい叫びに諸人の視線が集まる。其の声は、性別を曖昧に装った理解の及ばぬものではない。一介の勇士の如く猛々しく、出陣の角笛の如く高々と張り上げられたものであった。
『我が武勇の名誉と騎士の誇りに誓い、この勝負、相受けたいと願う!殿下よ、返答や如何に!!』
両者の闘志は此処に相交えた。後は許しを待つのみとなり、両者は視線を其方へと向ける。コーデリアは逡巡しながら指揮官に問う。
「...この決闘、どう思います?」
「受けて宜しいかと。幸いにして賊徒共も動きを止めています。部下を使って彼らを目の届く所へと誘導し、勝負が付き次第一気に捕縛致しましょう。砦の内部は一騎打ちの間に制圧させる事もできますが」
「既に制圧は半ば完了しています。此処まで来ておいて、態々卑劣な手段で勝利の美酒に泥を混ぜなくてもよいでしょう」
「言葉が過ぎました。お許しを」
コーデリアは鷹揚に頷き、背後を振り返って言う。
「...神官よっ、かの者共に決闘の呪印を結ばせよ!」
「円陣を敷け!」
「円陣を敷けぇぇぇっ!!!!」
コーデリアの言葉に続いて出た指揮官の言葉、それに続いた鬼の小隊長らの大声に兵達は脊髄反射の如く反応し、広場の中心に大きな円を開けるように展開していき、コーデリアらが居る方向には一つの道を開いていく。砦の外に溜まっていた兵達もまた内部へと足を踏み入れていく。円を展開する兵以外の者は、壁際や木壁にて硬直していた山賊らへと瞬く間に近寄り、牽制の刃と視線を向ける。賊徒らは反抗するような視線で之に応えたが、やがてどうにもならぬと悟ったのか、視線を円の方向へと戻した。
コーデリアの背後より、一人の老人が現れてきた。老練さを示すような皺が顔に幾本も走り、白髪を伸ばしたその厳かな顔付きをより厳格に際ださせている。口元はきりっと引き締まり、その手元には一冊の厚い本が握られていた。老人は深海のような深い紺碧の司祭服を纏い、その端を地面に引き摺りながらゆっくりと兵達の間より姿を見せた。兵達はその表情に敬服の念を現す。従軍神官の前では、例え乱暴の気を持つ者であっても、父親の面罵を受けたかのように大人しくなる。
老人はコーデリアに深々と一礼をすると、円の内へと足を踏み入れた。それに合わせて熊美とカルタスは歩みを始め、円の中心へと進んでいく。両者は三メートルほどの距離を開けて立ち止まり、互いの戦意に昂ぶった瞳を睨む。老人が両者の間に入るように歩を進め、その手前にて立ち止まる。まるで、格闘技の試合が始まる前に行うルールチェックのような光景である。
「両者、武器を交わされよ」
静かに繰り出された低い声に合わせて、両名は己の得物を両手で掲げて刃を交えさせた。熊美の大剣の腹がカルタスの斧槍の穂先に触れて、僅かに金属の涼やかな音が走った。神官は手にした本を広げてページを捲ると、片手を翳して鷹揚に言う。
『セラムが清廉なる神官が、霊魂の世におわす偉大なる主神に申す。神の博愛は偉大にして雄大であり、諸人の御魂を現世に棄て置かず、等しく楽園へ導き給うものなり』
開かれた本に走る、流麗な文字の羅列が淡く光り、翳された掌全体に星のようにうっすらとした紫の光が宿る。光が一つ煌いた思った瞬間、まるで蛇の如くするりと伸び、熊美とカルタスの腕から得物の刃先にかけて巻きつく。蛇が紫から血の赤に変じて、老人の言葉とともに巻いた部分に溶け込んでいく。
『されば我らは主神に乞い給う。汝ら戦人の御魂を刃に縛り、今生ただ一度の剣戟を交わし給う事を』
本と老人の掌から光が消えうせ、蛇が完全に熊美らの腕と得物に溶解する。そして衆目を集める中、刃の腹に赤い紋様が浮き出た。幾つもの枝に別れて伸びる、一本の枝だ。枝先が鋭く尖り、まるで血潮のように赤く、赤く輝いている。老人がそれを確認して本を閉じ、静かに踵を返した。
コーデリアが静かに指揮官に告げる。
「賊徒が妙な事をする素振りを少しでもしたら、一気に制圧しなさい」
「承知」
老人が円より外に出ると、開けられた道を閉ざすように兵達が互いの距離を詰めた。老人はコーデリアの後ろに控えて円形の中央へと振り向く。円を象る兵達が獲物を両手で握り締め、天へ切っ先を向けるように己の眼前に構える。諸人の視線が中央の二名の戦士に向かって注がれた。
かくして『決闘の誓約』は成り、戦士の舞台は整った。円形に閉じ込められた二人の戦士は、最早其の場所より抜け出す事は出来ない。どちらかが地に伏せて死するまで、剣戟を交えて武を競うのだ。
カルタスが熊美に言う。
「聞き届けてくれて感謝する、羆殿」
「気にするな。私とて、久方ぶりに強敵と相対して胸を躍らせておったのでな。願ってもない申し出ゆえ、受けたまでよ」
「...此方とて感激しておる。子供の頃より音に聞いた、『豪刃の羆』と死合う夢想が叶うとはな。世は本当に、面白いものだ」
互いに一つ、勇壮な微笑を零す。二人は武器を下ろして数歩距離を取り合うと、場に居るもの全てに聞こえるように、堂々たる名乗りを挙げた。
「マイン王国黒衛騎士団、『豪刃の羆』、クマミ=ヤガシラ」
「鉄斧山賊団、カルタス=ジ=アックス」
両名ともに隆々たる肉体を見せびらかすように身体を広げ、赤く輝く得物を構えた。大地を駆る風音以外の雑音が消え失せる。熊美の大剣が切っ先を天へと伸ばす上段の構えをし、カルタスの斧槍が穂先を下ろす下段の構えを取る。互いの瞳を見据える。一分の油断もない戦意に満ちた瞳だ。胸の内に興奮が宿り、血潮の流れを意識させる。口の中が緊張に乾くが、それが逆に心地良いとばかりにカルタスは静かに息を吐いた。木壁に腰を下ろす慧卓も身を乗り出して真剣にその様子を見詰めていた。
其の時、鋭く風が靡き、睨み合う両名の間を駆け抜けた。
『尋常に参る』
『勝負っ!!!』
疾風の如く二人は詰め寄る。先に得物を繰り出したのは速さに勝るカルタスだ。下段に下ろした斧槍を勢いのままに刺突する。
「しぇぇぁぁっ!!」
唸りを上げた穂先を剣を翳して受け流し、膂力を以って熊美は剣を斜めに振り落とす。風を切り裂くその素早き一振りをカルタスは地面に這うように身を屈めて避けて、振り向き様に幾度も斧槍を刺突させる。熊美は剣を立て続けに横に振ってこれを振り払い、様子を窺うように後退していく。カルタスはそれを追尾して槍を突き出し、執拗に鮮血の漏出を狙う。両者の足元で弱く砂塵が巻き上げられた。
熊美が右に左に剣を振り、上に下に剣を翳して刺突を払いのける。単直な攻撃故に繰り出す速さに勝り、且つ一撃一撃が鋭利であるがために、一度の負傷で想像以上の出血が危惧される。それを狙ってであろう、カルタスは斧槍の刺突に交えて突起や刃を用いた払いを繰り出してくる。突起で肩を引っ掛けるように槍を引き戻し、頸を裁断せんと刃が振るわれる。膂力に支えられたその一振りが熊美の肌を捉えんと唸りを伴って宙を裂く。
而して熊美は冷静さを保ち、その一撃一撃全てを剣にて弾き、身を竦めてこれを避けた。三十年の年月を経て尚鋭敏な感覚が身体を支配し、カルタスの攻撃の先読みを容易とさせていた。
「ちぃっ!」
一向に攻撃が決まらぬ事に舌打ちし、カルタスは攻め手をより熾烈とさせた。攻め手の最中に一気に槍を体躯の後ろへと引き戻し、足を進めて身体を回し、反対側の脇下からこれを下段に突き出す。熊美の剣の意識が其処に奪われた瞬間にカルタスは斧槍を跳ね上げた。顎先を突起が掠め、熊美の肌を裂く。思わずたたらを踏みながら後退する熊美は、思い直したかのように踏ん張り剣を構えた。
熊美の足は既に円の端へと及んでおり、冷血な鉄剣の棘がそれ以上の後退を阻んでいた。事を早々に決めんとカルタスは気を燃やし、剣の利を奪う槍の刺突と斧の払いをさらに繰り出していく。熊美もまた反撃の手を緩めず、幾度か歩を進めてカラタスに剣を振るうも、斧槍のリーチを生かして遠目遠目に牽制するカルタスに届かず、再び鉄の棘に向かって追いやられる。
その一進一退の攻勢が何度か続き、熊美が幾度も縦横無尽に走る斧槍の刃を払い除けた後、カルタスが斧槍を引き戻し様にこれを振り上げて、熊美の膝を割らんと叩き落す。而してこれは過ちの一手であった。熊美は大剣で攻撃を払い落とすと、一気に距離を詰める。得物のリーチの差分だけ開いていた距離が瞬く間に埋まり、勢い良く振るわれた剣先にカルタスの頬を捉えた。回避が充分に間に合わず、一文字に頬から血潮が溢れた。
「おおおおおっっっっ!!!!」
熊美は最早遠慮は無用とばかりに剣を幾度も振るい、間合いとカルタスに迫る。カルタスは斧槍の柄を半ばより握り締め、後退しながらこれを振り回すようにして攻勢を受け流す。後退をしながら斧槍を棒のように振り回し、柄頭による打撃をも含めて反撃の手を緩めない。だがそれ以上に、熊美の猛攻の前に防戦を一方的に展開していた。カルタスが握る獲物は斧槍。力任せに振るうも良く、鉤で以って足や方を引っ掛けるも良し、或いは突起にて串刺しにするも良い等と非常に広範な攻め方が可能となる獲物である。その巨体から発する重量に依れば革の鎧等といった軽装ならば容易く裁断され、貫通する。鎧の中の頭蓋や肉の層が断ち切れるほどの一点に集中した振りは、それだけで脅威であった。だがこれを十全に扱えるようになるには、咄嗟の判断が可能となる俊敏な判断力と、何よりそれを可能とする強靭な体躯が必要であった。重量と巨体にに振り回されれば容易く態勢が崩れ、看過し難き隙を露見させる。だがカルタスは身体のパーツ一つ一つを遊ばさず、歯車の如く互いに噛み合った動きをしてその振りを可能とさせていた。腕のみにあらず、腰も足も一連の意思の下に連動し、槍の威力を高めている。正に経験の賜物である。
大して熊美が手にするは大剣。刀身だけで1メートル近くもある巨剣である。重量も宛ら大木の如きものであり、腕のみで以ってこれを支えるは至難の業といえよう。故に、その圧倒的な一振りは体躯を輪切りにし、その一突きはまるで一矢の矢のような鋭利さを兼ね備えている。重厚な鎧を纏うといえども、これを前にすればいとも容易く血華を咲かせるは畢竟。但しそれは当たればの話である。質量に大きく依存したその一振りはそれ故に大降りにならざるを得なく、カルタス程の熟練者であれば避けるは容易い事といえる筈。それを容易にせしめぬは偏に熊美の常軌を逸するほどの鋭敏な感覚と、強靭な体躯の成し得る業であった。
剣にとって強い威力を発する方向である右斜め前に常にカルタスを置くよう、カルタスの動きに合わせて左右に足を運んで剣を振るう。先のお返しとばかりに放たれる熊美の剣閃の数々は槍の刺突もかくやといわんばかりの鋭さを兼ね備えている。眼前に翳された刃の先に剣が当たり、腕に諸に振動を伝える。足先を狙った剣の払いを、カルタスは足を高く上げて回避する。腕の返しの勢いを利用した払い斬りを胸先にて避ける。
一直線に押しかかる攻勢を耐えながら、カルタスは己の腕に伝わる一手一手の重さに驚愕の念を覚えた。まるで錘を落すかのような重み。一手一手を受ける度に重い金属音が鳴り、彼の筋肉に疲労を与える。『豪刃』と畏怖されているだけあってか、老いて尚その一撃一撃が、肉体の最盛期を迎えたカルタスから余裕を奪おうとしていた。
(おのれっ、衰えた身でこの俺を圧すだと!?羆殿、全く以って素晴らしいぞ!!!)
改めて相対する相手に敬意の念を覚えて、カルタスは膝を狙って払われる一撃を跳躍して避ける。そしてその勢いを生かすように斧槍を振り落とし、熊美がこれを横っ飛びに避ける。地を回転して勢いを殺した熊美にカルタスが踊りかかる。その無骨な顔付きには、猛然として高揚した笑みが浮かべられていた。両者の剣戟の度に金属質の高調子が鳴り響き、テールランプのように誓約の赤光が尾を引いて戦闘を彩った。
その目まぐるしい交戦をコーデリアが驚きつつ見遣っていた。老いて尚豪腕を振るう熊美の実力に。そしてそれに堂々として対抗しているカルタスの底力に。武に関して未だ幼き視線を持つ彼女にとって、二人の実力は伯仲しているようにも見えた。
「...拮抗しているようですね...山賊とはいえ、侮れないものです」
「...いいえ、羆殿が力で圧しています。今は棟梁が己を奮い起こしているが為に拮抗が生じているだけです。気の巡りが途絶えれば、直ぐに勝敗は決するでしょう」
「流石は豪刃殿だ、油断も隙も見られん。カルタスも敵ながら見事な腕前だ」
瞳を細めて冷静に情勢を分析する指揮官。興味深げに目を開いて武の鬩(せめ)ぎ合いに感心するアリッサ。それぞれの思いを胸中に抱いていたが、而して心の内では一つの共通認識が生まれていた。『この勝負、熊美に転ぶ』と。
両者は爛々とした瞳で互いを見据えて戦意を湛え、疲労のために大粒の汗を流している。此処までは普通であるが、肝心なのは攻撃のキレだ。筋肉の疲弊一つが顕著に其処に現れ、精神の磨耗一つが技の冴えを狂わす。いわばそれは精密機械。一寸の狂いですらその趨勢に如実に影響を及ぼすのだ。
戦闘を注視する。汗を振るいながらも熊美は一分の油断も疲労も身体の動作に出す事無く、始めのそれと全く同じ速さで攻撃を捌き、剣を振るっている。対するカルタスといえば息を切らし気味であり、不敵に浮かべられた笑みも熊美の攻撃を受け止める度に歪み、一瞬ではあるが笑みが滅失する。何時までも状況の拮抗が続く訳ではないと、アリッサらは読み切っていた。
一方で熊美もそれ相応の疲労を覚えていた。丸太の如き足を踏み出して縦より一刀両断の袈裟懸けを繰り出した時、それを著しく感じていた。若き頃はこの袈裟懸けを何度も何度も振るっていただけに、流石に老化に勝てぬという事なのだろう。
(...流石に老いが来ているわね、私にも。この程度しか動いていないのに、汗びっしょり)
水平に払われる斧を受け流し、返す刃で逆袈裟に胸に向かって凪ぐ。身を引いて避けたカルタスの胸先を剣が掠め、切っ先が彼の服を裂いた。カルタスが唸りを漏らして振るった斧槍を、熊美は素早く返した剣で跳ね除ける。牽制に一つ、二つと勢い良く剣を振るってカルタスを遠ざけると、荒げた息を落ち着かせようと小さく深い呼吸をする。
(体力が無くなっている証左ね。案外、雑兵相手でも油断ならなくなってーーー)
「うおおおおおっっっっ!!!」
カルタスが間を一気に詰めて得物を振るう。一瞬であっても熊美に休みを入れる事を畏れるが如く、矢継ぎ早に斧槍を振り抜く。柄を半ばより握り締めて刺突を繰り返し、最後に柄頭近くを持ってリーチを生かした薙ぎ払いを振るう。遠心力を十二分に生かした振るいを、熊美は両手で握り締めた剣で以って受け止める。そのまま熊美は剣を滑らせて一気に詰め寄り、大振りの縦振りの一刀を狙う。咄嗟にカルタスは斧槍を手放して指の切断を逃れると素早く身体を倒して、大振りの一刀を避けた。そして倒れ行く最中に片方の手で得物を再び握り締め、螺子を捻るように手首を返す。斧槍が大きな弧を描いて宙を裂き、頭上より熊美に振るわれる。熊美は身体を反転させてその一撃を払う。
「くそっ!?」
毒づいてカルタスは体勢を立て直し、再び熊美へと迫る。柄半ばを持って決闘の始めと同じように刺突を繰り返す攻めだ。体力の消耗の激しさのために身体を無理に使った技は最早禁物となっている。熊美は慣れた動作で剣を返してこれを幾度も受け止め、弾き飛ばす。そして斧槍の突起の部分を受け止めると、素早く得物を離して穂先のすぐ近くを握り締め、満身の力を込めて斧槍を二つに折る。
「ぃっぃっっ!?!?」
得物の刃を奪われて瞠目したカルタスは、即座にささくれ立って鋭くなっている槍の先端を振り回して熊美を牽制し、ついでとばかりに慌てた様子で地面に捨てられた剣に向かって槍を振り回し、遠くへと弾き飛ばす。妖艶な赤光を照らしながら剣が地を滑っていく。斧を折られて槍となったそれを刺突させるカルタスより熊美は離れ、油断なく眼光を鋭く光らせた。距離を置く事により、息の荒ぶりも徐々に回復していく。
「はぁ...はぁ...はぁ...!」
カルタスは心を動揺させて、熊美に悟られぬようにちらりと己の得物を見る。穂先の近くの部分を力点として槍が折られており、無機質な鉄の刃が奪われ、藪の如く穂先が幾本にも分かれている。人体を傷つけるに不足は無いがそれでも致命傷まで及ぶかどうか、怪しいものがある。熊美の大剣を拾えば良かったと、後悔が込み上げて彼の胸中を締め付けた。得物を破壊されてカルタスは完全に余裕を欠くに至り、その結果がこれだ。カルタスは救いを求めるように周囲を見渡し、鬼気迫った声で言う。
「剣を、誰か剣を!!!」
その言葉が厳粛な静謐さを保った広場に木霊し、諸人の顔を撫でていく。山賊らの一部が諦観の色を浮かせて息を吐く。彼らなりに、勝敗の行方を見出したのであろう。決闘の趨勢を見詰めていたコーデリア冷静に、その答えを指揮官に向かって吐いた。
「剣を仕舞いなさい」
「剣を仕舞え!」
『剣を仕舞ええぇぇええ!!!』
指揮官から小隊長へ、小隊長から兵士らに有無を言わせぬ命令が下される。兵士達が寸分の狂いも見せぬ統一された動きで剣の構えを解き、腰の鞘にそれを納めていく。鞘の口に鍔が当たる音が立続けに響き、カルタスを追い詰める。彼は目を見開き、木壁の上に立っている己の部下の方へと見遣る。王国兵らに剣を突きつけられた状態の彼らは何ともいえぬ表情で、遠くに居るカルタスに分かるように頸を横に振った。それを見た途端、カルタスの瞳に失望と絶望が駆け抜け、直後に自暴自棄なまでの憤怒が支配した。
「っっっっ、あああああああああっっっっ!!!!!」
獣の如き蛮声を吐いてカルタスは熊美に襲い掛かる。槍を両手で掴み、乱暴にそれを振るって熊美を攻める様に最早悠然さは欠片も無い。熊美は振るわれるそれを身を竦めてかわし、時折に手にした斧を槍に向かって振る。空を凪いだ斧が冷徹に槍の穂先を捉えて、更にリーチを奪っていく。
槍を振るう度に穂先が少しずつ斬り飛ばされ、槍が短くなる事に更に怒りを募らせるカルタス。その槍が2メートル近くまで短く成った時、彼は再び獣の叫びを吐きながら、猛然として熊美に迫りかかった。
「ふんっっ!!」
熊美はカルタスの突進に合わせて距離を詰めるように跳躍して身体を反転させ、跳び後ろ蹴りを彼に見舞わせる。真正面から胸部に蹴りを入れられたカルタスは衝撃に目を晦ませて、勢いを受けるように後方へと後ずさる。
肺の息を全て吐き出させるような強い衝撃を受けながらも必死に顔を上げたカルタスに、一つ軽い衝撃と、焼けるような熱が走る。それに彼は目を瞠目させ、衝撃が走った部分に目を遣った。隆々と張った胸部に、先に叩き折られて奪われた、斧槍の斧が深々と突き刺さっていた。刺さった部分から鮮血が漏れ出しおり、艶やかに光り輝く刃を紅に染め上げ、地面に点々と斑点を作り上げていく。意識を焼き切るような灼熱が胸部の奥、刃が穿った肉の層と臓腑から感じ、流血をより鮮明に意識させた。呆けた表情で再び顔を上げると、熊美が物を振り投げた格好で己を見据えている事に気付いた。
「......ごはっ...かぁ...」
カルタスは槍を必死に握り締めて、ゆっくりと歩を進める。胸部からの血潮に腹部が、腰部が血濡れに変じていく。喘ぎを漏らすように口を開けて、嗚咽のような息を吐いて歩を進める。そして数歩を時間を掛けて進んだところで、崩れ落ちるように前のめりに倒れ込んだ。倒れ込んだ衝撃で斧がより深くへと食い込む。喘ぐように何度か息を零した後に、カルタスの咽喉が動かなくなる。
熊美は警戒した様子を見せて大剣の下へと歩みを進め、それを掴み取る。其の間、終ぞ、カルタスが微動だにする事は無かった。彼の身体の下に鮮血が池を作っていく。熊美は一つ息を吐くと、剣を両手掴み、それを掲げて厳かに言う。
「我、此処に勝利の栄光を主神に捧げん」
言葉と共に、大剣に象られていた赤光が、カルタスの胸に突き刺さっていた斧の光が煌き、弾け飛ぶように霞となって雲散霧消する。広間に無言が流れ、諸人は息を呑んで決着を見届けた。地に伏せるカルタスの瞳からは生気が消え失せ、体躯の下に血が濁流のように溜まっていた。
熊美が軽い息を漏らし、声を張り上げて賊徒らに言う。
「如何するかな、賊徒達よ。まだ抵抗するというのなら、相手になるぞ」
堂々たる視線を受けて賊徒らは硬直する。熊美の瞳は未だ戦意に昂ぶっており、大剣は鈍く光沢を放っている。それに己の血液と臓腑を吸われると想像すると、賊の面々は顔を青褪めさせて言う。
「...こっ、降伏だ...降伏する!」
「そうだっ、俺達は、武器を捨てるっ」
「...頭も死んだから、俺達は追従する必要が無い。それに、誓約は絶対だ」
「『決闘の誓約』の名に於いて、俺ら一同は王国軍に降伏する」
山賊達が己の得物を地に捨てて、観念の意を挙げて両手を上げた。コーデリアはそれを見て鷹揚に頷き、指揮官に言う。
「彼らを捕縛しなさい。しかしまだ抵抗するのならば、斬りなさい」
「承知致しました。では殿下、私は砦内の火薬の方を調べて参ります。殿下におきましては逸早く、村へとお戻り下さい」
「えぇ、此度の活躍を湛えるよう、宴の準備でもしておきましょう」
「は、有難う御座います!では殿下、近衛殿、神官殿、これにて!」
「あぁ、ご苦労であった」
指揮官が馬を進めて声高に命を下す。それに合わせて兵達が一斉に動き出し、山族らの捕縛、砦の完全な制圧へと動き出して行く。熊美らを包囲していた円陣も解かれて、カルタスの亡骸を兵士らが丁寧に運び出して行った。神官は深々とコーデリアに礼をすると、戦闘の後始末に追われて慌しくなる砦から背を向けて、そそくさと外へと足を運んでいく。
額の汗を拭っていた熊美に、何時の間にか木壁から降り立った慧卓が近付いて労いの言葉を掛けた。
「お疲れ様です。見た目通り、貴方って物凄い強いんですね」
「当たり前よ。心身ともに充分に鍛えられなければ、漢を名乗るに相応しいとはいえないでしょう」
「まぁ、そうですね。流石に剣まで扱えるとは予想外でしたけど」
苦笑気味に言う慧卓はちらりとカルタスの死骸へと視線を走らせた。
「満足して死にましたか?あの人は」
「そうだといいんだけどね。...あの人、昔の私を見て武道を進もうと決めたんでしょうね。すくすくと、純真に武に心身を費やしてきて、只管に道を歩んできた」
「それが今では山賊で、決闘の敗北者ですか...世知辛いですね」
「クマ殿、ケイタク殿」
二人は声をした方に振り向く。馬に騎乗したコーデリアがアリッサを伴って彼らに近付いてきた。熊美が彼らに刃を向けぬよう、大剣を逆手に持った。コーデリアが馬上より声を掛ける。
「私は、グスタフ=マイン王国第三王女、コーデリア=マインです。此度は我が臣下、アリッサ=クウィスを救っていただきまして有難う御座います。加えて、砦の攻略も手伝っていただき、感謝の言葉もありません」
「殿下、私はヨーゼフ=マイン国王の臣下、黒衛騎士団団長でした、クマミ=ヤガシラであります。我ら王国の戦士にとって、殿下の御言葉はまさに神の寵愛の如く尊く、有難き事。御言葉をいただきまして、誠に感激であります」
一礼をして熊美は言葉を述べる。背筋をきりっと伸ばした泰然たる一礼である。コーデリアがそれを見届け、そして微笑を浮かべながら慧卓を見詰めた。慧卓の心に大きな緊張の波が走る。
「そして、貴方がケイタク殿ですか?」
「...はっ。私は御条慧卓であります。微力では在りましたがクマ殿とアリッサ殿に協力致しておりました。また、王女殿下からお声を掛けられる名誉に預かりまして、大変光栄であります」
妙にかくついた動きで慧卓は膝を突いて頭を垂れる。王女と騎士なら普通はこういうもんだ。思うが侭の臣従のポーズを取る慧卓。それを熊美が半ば呆然として見遣っている。
「...ぷっ、ぷふふっ」
始め目を真ん丸とさせていたコーデリアが耐え切れぬとばかりに口元に手を当てて、くすくすと笑い声を漏らす。何が可笑しいか理解出来ぬ慧卓の前でアリッサもまた笑い声を漏らした。
「でっ、殿下、駄目ですよ...くくく、笑っては、くくっ!!」
「そ、そういうアリッサも、ふふ、笑っているではありませんか...!」
眼前で毀れるように笑みを浮かべる二人に理解が及ばず、慧卓はおずおずと声を掛けた。
「あ、あの、私何か間違いでも?」
『おい、あの白いの見てみろよ。戦場で跪いてるぜ』
『すげぇなぁ。敵に背を向けて膝付いてるよ。よくあんなこっ恥ずかしい事が出来るよな』
『ほんと、ほんと。ひょっとして王女様に遭えて感激してんじゃねぇの?』
『それでも凄いっつうの!ああいうのは純朴すぎるか、よっぽど馬鹿なのか、どっちかさ』
『『『だな!!ハハハハハ!!!!』』』
背後から掛かる兵士達の声に納得がいく。仕事は最後まで油断せずに完遂しろという事なのだろう。故に、最後に至って反抗するやも知れぬ賊に背を向けて、あまつさえ膝を地面に突く慧卓は滑稽であり、無知であるというのだろう。慧卓の顔に一気に羞恥が込み上げてきた。
「あー、慧卓君。あんまり気にしちゃ駄目よ?貴方が此の世界に無知なのは仕方の無い事なんだからーーー」
「俺...馬鹿なの?」
「知らないわよ」
熊美の投げ遣りな突き放しに慧卓はがくりと肩を下ろした。其の様子をコーデリアとアリッサが和やかな表情で見守っている。
「面白い人達ですね、彼らは」
「えぇ、とても陽気な方々ですよ」
燦燦と輝く太陽が真上へと差し掛かる。からからとした日差しを浴びて、地面に撒かれた血潮は徐々に乾き、人々の肌に水玉を浮かせていく。一つ、緩やかに靡いた順風を浴びて、宙を舞っていたハゲタカが降下を始めていく。眼下の大地に倒れ込む死骸を見詰めて、高い鳴き声を上げた。
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