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王道を走れば:幻想にて

作者:Duegion
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第三章、その4の1:策謀の実行

 鶏も鳴かぬ時間、即ち朝焼けが照らぬ暗闇の世界。目をじっと凝らせば朧にも風景が見えるかもしれないが、人間、普段から闇を意識して見分けようとはしない。況や、その中で行われる行為など、物好きの中の物好きでしか興味をそそらぬ光景ともいえた。
 かつんと、暗闇に音が響いた。石畳の上に降り立った音に続いて、疲労感を抱いた声が響く。

「ふぅっ・・・ったく、重労働過ぎるぜ」
「アダン、声を余り大キクするなヨ。憲兵ニ嗅ぎ付けられタラ困ル」

 大通りに面する木造の建物、その二階バルコニーが生み出す闇に隠れるように二人の男、アダンとビーラの声が囁かれた。
 アダンはそっと、さっきまで張り付いていたバルコニーの裏の部分に目を遣った。見た目は変わらぬが、重みが掛かれば自重によりバルコニーが丸ごと外れて落下するように仕込んであるのだ。大通りでは働き者の商人の何人かが行き来していたが、ビーラの合図によってアダンは夏の蝉のように硬化して、事無きを得て作業を終えたのだ。

「いやぁ朝から商人の方々は、働き者なこってぇ。見ろよ。宿屋と酒場の主人に薬の調合師。それとぉ・・・雑貨商に古物商、武具屋のおっちゃん。うおっ、盗商のダリー婆まで居るぜ、すげぇな」
「よく其処まで見エルな」
「視力の良さも盗賊には必須なので、な。・・・ってちょっと待て」
「如何した?」

 険しき表情でアダンは一方を見遣る。遠く、通りを横断する小さな人影である。アダンはその卓越した視力を発揮して、薄暗闇に溶け込んだそれを、金髪碧眼の少年のものだと見極めた。そして闇中に靡く白蛇のマントもまた捉えたのである。

「・・・嫌なモン見ちまったよ、『コンスル=ナイト』の餓鬼だ」
「・・・執政官ノ手駒だと?何処ニ向かっタ?」
「もろ教会の方面だった、間違いないね。聖鐘の護衛につくためだと思うぜ」
「・・・厄介ナ。少年とはいえ騎士デ在る事に変わりは無イゾ。真正面から相対スレバ、我等が棟梁が苦戦するのハ必定」
「だな。あいつ、魔法は得意そうだったけどそれ以外の腕はなんか信用出来ないし」
「口振りもカ?」
「それはキャラだろ?」

 アダンはそう言って東方の空を見上げた。黒革のように染まっていた空に、俄かに蒼の兆しが走駆してきている。鋭敏な感覚が夏の朝の冷ややかさが温まり始めるのを嗅ぎ取った。  
 此処にこれ以上居られなくなったのだ。陽射は盗賊が最も嫌う光である。アダンはビーラに向かって言う。

「兎も角、仕事を上手くやるためには全員の注意を惹く必要がある訳だ。・・・俺が全力で奴らの注意を惹く。棟梁の援護を頼めるかい、ビーラよ?」
「造作も無イ。時が来れば必ずやり遂げヨウぞ」
「へへ・・・頼れる仲間って最高」

 快活な笑みを零したアダンは建物の間の裏路地へと足を進めた。後に続くビーラも、そのトカゲの顔付きににやりと微笑を浮かべている。奇縁による不可思議で法悦的な友情が、久方ぶりの温かみのある思いを彼の心に与えていた。





   

『・・・』
「・・・ふぅ・・・」

 朝食のフォークを進める手を止めて、キーラは朝焼けの差し込むリビングで小さな溜息を漏らした。好物である焼きマトンのローストも二切れほど食べて進まなくなってしまった。
 それには二つの訳があった。一つは、最近の寝不足のためだ。宮廷に赴けぬ以上主に魔道について勉励を重ねているのだが、如何せん応用知識が無いだけにその勉学も停滞気味なのだ。せめて教師が居れば話は別なのだが、彼女の家ではそれを雇う状況ではないのは火を見るより明らかであった。
 そして二つ目。この貧窮なる家庭内に漂う歪な雰囲気だ。思えば、それは母ミントが何処とも知れぬ場所に行った翌日から漂っていた気がする。あれ以降ミントは日をおいては家を空ける事が多くなり、其の度に帰宅時には妙に疲れた表情で帰ってくるのだ。その手に金貨の詰まった袋を持って。そのお陰で近頃は新鮮な食材や衣類を買える事が出来るのだが、如何にも納得のいかぬのがキーラの正直な心でもあった。

「・・・なぁ、ミント」
「なんでしょうか、旦那様」
 
 会話をしようとミラーが声を掛けるも、温かみの欠けた返事を受けて一瞬言葉に窮した。キーラは溜息を漏らしかける。

「・・・最近疲れていないか?どうにも、精彩を欠いているような印象を受けるのだが」
「旦那様。それは旦那様も御一緒に御座います。ほら、目の下に隈が出来ていますわ・・・。ちゃんとよく眠っていますか?」
「まぁその、最近は政務を頂けるよう務めているからな・・・。だがそのお陰でだ、今度ブルーム卿の政務に協力する事となったのだ」
「本当ですか?あの老練なブルーム郷と?」
「ああ、嘘は言わんさ!なんでも、北方領における治安情勢やエルフ達との外交関係を確認ようだ。彼らはどうにも詩的な精神を持つ種族。其処で、私の出番という訳だ」
「おめでとう御座います、旦那様。私達ブランフォード家の名誉は、旦那様の御活躍を以って回復する事でしょう」
「ああ!私達の生活も、もっと良い方向へと改善されるだろう!」

 喜びを上げて二人は笑みを浮かべた。それは確かに偽らざる本音から湧き出た笑みであろう。しかし如何にも取り繕った感じが否めない、瞳が微動だにしない微笑であった。
 キーラはその空気の中に飛び込む勇気を持って、おずおずと話し出す。

「・・・あの、お父様。お願いがあるのですが」
「うん?何かね、言ってみ給え」
「・・・今日、街では大きなお祭りがあるそうな・・・国王陛下が開きたいと仰せになられた」
「ああ、そうだったな。異界の若人がロプスマで開催したものをそのまま王都でやりたいのだろうと、ブルーム卿が申されていたな。それがどうかしたか?」

 ニムル国王による祭事は此処、王都の至る所で話題の肴となっていた。王都中を巻き込む一大規模の祝祭であると同時に、異例な事であるが、内縁部と外延部を隔絶する全ての門を開放するらしい。貴賎貧富の差も関係なく愉しめという心意気が現れたものであるが、而して臣民は素直にそれを喜べない。宦官の顔がどうにもちらつくためだ。また何か裏で企みを練り上げているに違いないと人々は噂する。

「私も参加してみても、良いでしょうか?」
「何故かしら、キーラ?今日は魔術の学習をする予定だったのではーーー」
「ミント。・・・キーラ、続けてくれ」

 だがキーラにとっては重要事はそれではない。重要なのは、その祭りがつい最近、ある者が地方で行った祭事を土台として展開されるという事であった。その者こそ、キーラにとっては重要事なのだ。

「・・・私、あの晩餐会の夜、ケイタク様と会ったのです・・・あの異界の若人様と。とても明敏そうで、素直な方だと思いました。自分の思った事をそのまま口に出せる方だなぁと。・・・正直ちょっと嫉妬しました。ほら、私なんかよりよっぽど自由で、そして周りの人から少なからず大事にされているんですから・・・王女様も、きっとそう思っています。仲良さそうでしたから、あの二人」

 脳裏に浮かぶ彼の笑顔は脚色も含まれるが、確かに想起されるものであった。澱みの無い溌剌とした笑み。闇夜に溶け込むような黒髪と綺麗な黒眼。そしてキーラが惹かれたのは物怖じのしない彼の勇気であった。貴族の娘である自分に対し、彼はおくびも見せずに手を差し伸べた。美麗なる舞踊への誘いの一手を。

「そして月明かりの下、花々が夜の香りを散らす庭園で、私はケイタク様と一緒に踊ったのです。たどたどしくも優しく手を合わせて下さって、自分勝手ですけどほんの少し、救われた感じたしたんです。この人と一緒に居れば、少しは心の棘が消えるかなぁって。自分から茨の道を進まなくても、この人が歩む道を辿れば、もしかしたら希望を見付けられるかなって・・・」
「・・・だから、この祭りか」
「はい、お父様。あの人が開かれたという祭りに参加すれば、きっと私、自分に出来る何かを見つけられそうな気がするんです。貴族ブランチャードの娘としてではなく、お父様とお母様の娘として!あの人の思いをもう少し理解できれば、きっとそれは素晴らしい事に繋がると思うんです!」

 正面より父君の瞳を見詰めてキーラは訴えかける。翠の瞳には燃えるような情熱が浮かんでいる。宛らそれは空へと登る太陽のようでもあり、日を浴びて輝く一輪の華のようでもあった。親心としては、後者であればこれに勝る嬉しさは無い。
 ミラーは感慨に耽るように笑みを浮かべた。

「・・・・・・キーラ。お前の気持ちはよく伝わったよ。とても嬉しい。親として此処まで思い遣りを受けるとはね・・・お前は本当に、良い娘に育ってくれたよ」
「そうね。とても思いが伝わってきたわ。その情熱、きっとお父様譲りね」
「ならその優しさはミント譲りだな」
「まぁ・・・ふふ」

 偽りの笑みである。正真正銘の笑みだ。口角と頬が優しくつり上がり、目は細くなって和んだ様子を見せている。それに言葉もまた棘はおろか、冷たさの感じぬ順風のような心地良さを感じさせた。これこそがキーラが望む、否、家族全員が望んでいるであろう団欒の情景であった。
 これを何時までも満喫したいのが本音であるが、キーラはそれを振り切るように答えを尋ねた。

「あ、あの、お父様・・・それで、祭りはどうなんでしょうか?」

 両親は互いに笑みを隠して視線を合わせてから、気まずげにキーラへと戻す。それだけで答えは分かってしまった。大きな落胆を覚える彼女に面と向かって父は言う。

「行かせてやりたいよ。個人的にはな」
「・・・・・・駄目、でしょうか」
「・・・少なくとも、今は駄目だ。すまない」
「・・・いいえ。私にも家の事情が分かりますから・・・。我侭を言って、申し訳ありませんでした」
「・・・すまない」

 座上で頭を垂れる父に向かってキーラは頭を振った。そして重くなったままの手を動かし、マトンのローストを切り分ける作業へと戻っていった。皆が皆浮かぬ顔でそれぞれの食卓を見詰め、口を閉ざしたまま盛られたものを頬張り、咀嚼して、嚥下する。
 何の妨げもなく続けられる食事は、舌に感じる筈の温かみと旨みが意識できなくなるほどの、無色の空気を醸し出していた。銀皿を擦るフォークとナイフの音色が静かに響き渡り、三者の懊悩に拍車を掛けていた。





 肌が焼け付くような強い日差しが燦燦と降り頻る。直上へと差し掛かった太陽は今この瞬間にこそ、その光の眩さを最大限に発揮しているのだ。お陰で空には雲が綿一つたりとも浮かばぬ事態となっている。正直、日光の下では暑過ぎて適わない。
 だがそれでも動くのが人間だ。とりわけ、気紛れより発した一大規模の祭事となれば、動かぬ理由などない。てんでやんやとあちらこちらの通りに張り詰めた路地に殺到する人々の姿は、まるで砂糖に群がる蟻のようであった。貴賎の違いも気にせず思い思いに道を歩き、背の高い建物が作り出す陰に身を置いていた。
 そんな中に慧卓もまた混ざっている。但し彼は歩くような真似はせず、日陰でのんびりと本を読誦していた。今日も紫紺色の宝玉をつけたアミュレットを頸に掛けており、警備兵の黒い外套を羽織っている。正直これが暑すぎるのだが、任務を続ける以上脱げないというのが悲しき所であった。

「『魔法には様々な種類があり、それぞれに特有の性質や使用方法がある。種類だけを述べるのであれば魔法は数えられるだけで五つに分別できる。破壊魔法、回復魔法、意識魔法、補助魔法、召還魔法。そしてこれらを理性の下に制御して使役する事を魔道と定義したのが、我等王国高等魔術学院である』」

 表題に『初めての魔法、その心得』と書かれた厚いブックカバーの本である。勉励の甲斐あってか、今では初歩的な学術書まで読めるようになっている。実際、彼が机に向かってする事はそれ以外に何も無い状態だったので、侍女や友人を見掛けては勉学をする事と相成っていたのだ。
 ペラペラと適当にページを送り、目当ての項を探り当てた。

「『・・・破壊魔法の使用において最も気に留めておくべき事とは、目標物との間に遮蔽物が無い事である。火球を放った場合に目標との間に遮蔽物、例えば柱等が存在すれば、火球が遮蔽物に遮られ目標に到達する事無く無碍な効果を発揮するだろう。仮に柱が近ければ、詠唱者自身を傷つけかねない。故に破壊魔法を扱う際には必ずーーー』・・・ちょ、ページ切れてるじゃん。なんでだろうね?」
「程度の低い人間に読まれたくないんでしょう」
「ふん。何時か魔法を使えるようになって無理矢理にでも読んでやる」
「本はそれを期待して無いでしょうけど」

 ふぅと溜息を一つ吐いて慧卓は本を閉じ、ミルカに返した。休憩時の暇潰しにと持ち込んでくれた本であるが、流石に読み疲れたのが本音であった。教会の庇の下、ただ直立不動の態勢を保つのはいたく辛い職務といえよう。こうも何も起きぬとなれば。警備任務を担当するミルカの他同僚も二人居るが、彼らもまた退屈そうである。
 欠伸をかみ殺すように口をへの字にした後、慧卓は涙を浮かべた顔で言う。

「にしても暇だな。警備任務ってさ、欠伸をかみ殺す以外に何かやる事無いのか?」
「仕事舐めているんですか?唯でさえ嫌われ者である教会の儀式ですよ?邪魔したい輩なんて幾らでも居ますって」
「ああいう連中とか?」

 慧卓が指差す方向には、屋台に凭れかかる様にして蛮声を放つ二人の男の姿があった。どちらも赤ら顔でどんぐり鼻をしており、手に持った酒瓶を当てもなく振り翳しては下ろしていた。

「昼間っから酒乱の態を晒す度胸があるなんて・・・大した奴らだ」
「・・・憲兵。あいつらをどっかに追いやって下さい。邪魔です」
『はっ!』
「相手は唯の酒好きのおっさんだぞ?」
「煩くされたら適いません。今頃教会の中じゃ、厳粛に儀式の言葉が述べられている最中ですよ」

 暇を持て余した憲兵二人が酒乱達の相手へと向かうのを尻目に、ミルカは後ろの重厚な扉に向かった親指をくいくいと向けた。
 慧卓は興味の鎌首を持ち上げて、その扉にそっと耳を当てた。抗議の口を開けかけたミルカを静かにさせ、慧卓は神経を聴覚に集中する。枢機卿の声のボリュームや、音の反響がし易い教会内の構造も手伝ってか、厚木の黒門を伝って厳かな声が聞こえて来た。

『主神の御言葉は偉大にして神聖のものにしてこれを侵す事能わず。季節に、年に、月に、遍く主神の御言葉は地を照らす光となりて諸人の命となす。然りて信仰せよ。汝らの信仰と祈りを捧げ主神を崇め奉るべし。主神の御意思は生命の理であり天地の動静であり、これを以って天地開闢となすものなり。反駁する事能わず、されば汝の魂は拭う事能わぬ穢れを纏いてその命は異物と化すものなり。人非ざる者に魂は宿らず、よって我等はこれを浄化せしめるべく信仰を捧げるべし』

 慧卓はぎょっとした面持ちを浮かべて黒門を見詰めた。凡そ崇め奉る主神に向かって言う言葉ではなく、信徒に更なる信仰を強制する言葉であったからだ。

「・・・やばい事唱えてるな、本当に」
「は?」
「なんでもないよ。・・・祭り、愉しそうだな」
「そうですね。矢張りなんといっても国王陛下が先導切って開催に乗り出したのが大きいでしょう。財貨の使い道が一挙に増えて、皆が皆浮かれ騒いでおります。これを機に王都がより活性化すればよいのですが」
「ま、それは皆のやる気次第だね」

 なんとなしに見詰める街の活気に見惚れつつ、慧卓は再び込み上げて来た欠伸を舌根辺りで食い止める。もうすぐ昼時である。昼食は何を食べようかなと悩み始めた頃に、酒乱を慰めに行って来た憲兵達が戻ってきた。その手に大きな鶏肉の串焼きを幾本も携えて。

「戻りました。これお土産です」
「おおっ、串焼きありがとー!あ、俺それが良いな!」
「5モルガンです」
「・・・お金取るの?」
「5モルガンです」

 納得のいかぬ表情で慧卓は懐の皮袋から銀貨一枚を取り出して、串焼き二本と引き換えに手渡した。ばっくりと頬張った鶏肉は焼き加減が丁度良く、タレの辛味と肉の旨味が混ざり合った、正月の屋台の味を髣髴とさせる味であった。詰まり美味である。
 小さく笑みを浮かべる彼の傍ら、ミルカもまた頬をハムスターのように膨らませて鶏肉を咀嚼していた。彼らの目前に広がる祭事は一つの頂点を迎えていた。昼食時の慌しさである。  
 そんな光景を時同じくして見詰めていた者が居る。その者は教会から数軒離れた家屋、その庇の下に設けられた酒類の屋台にて、丁度麦酒を一杯飲み干したようであった。

「おうおう、祭りは盛況してますなぁ」

 自慢の銀髪をひらりと喜びに躍らせる女性パウリナは、その大胆な格好を外套で隠しつつ、を通りを埋める群集と遠くの教会一度に見渡していた。懐にはスリで稼いだ路銀が入っている。邸宅で盗みを働くよりも懐からさっと金品を盗る方が得意なのも、彼女の取り柄であった。 
 何気となく道端に佇んでいると、目の前に商人風の男が止まった。全身茶褐色のローブで覆った怪しい大男であり、その者は懐から角砂糖のような白い塊を取り出した。

「お嬢さん。こいつで一服どうだい?」
「悪いけど、頭すっ飛ばす砂糖よりも普通の甘いお菓子の方が好きなんですよ、あたしは。・・・何時の間に商人になってんだか。似合いませんねぇ、御主人」
「ふん・・・」

 麻薬であるマウンテンシュガーをぽいっと捨てながら男はフードを取る。垂れ目と垂れ眉が似合う、ユミルであった。

「パウリナよ。あの司祭服、やっぱり加減を間違えてていたぞ。胴回りが窮屈で仕方なかった」
「あーりま。どうもすいやせん、御主人。山吹色の人面像で許してね」
「悪趣味な贈り物だ。趣味に合わん。出来ればそうだな・・・浪漫をそそる様なものが欲しいぞ。古代の宝石とか、一国を滅ぼした儀仗とか」
「そんな王道チックな代物を教会が持ってるわけないでしょう。あるとするなら、持つと体力が増えたり、人格を変えたりする指輪とか、履くと無性にジャガイモを尻で潰したくなる軍靴とか」
「・・・そういうのは教会ではなく、魔道学院が持ってる代物だろう。禍々しすぎる」

 まともな人間ならば想像にもつかぬ程の混沌とした異物が脳裏に過ぎった。過去の記憶をどうにも思い出してしまったユミルは頭を振り、懐から銀の鍵を出してパウリナに渡す。

「ほら。遺物や古物が保管されている倉庫の鍵だ。教会の裏側にある。戸口は二箇所あって、お目当ての物は二階部分に安置されているぞ」
「有難う御座います、御主人。では、ちょっくら仕事に行ってきますね。御土産のピッカピカの宝飾品を、興奮したまま待っていて下さいね!」
「ああ、期待している」

 ユミルの応援をはにかみで応えつつ、パウリナは颯爽と路地裏へと駆け出していった。割れた石畳を踏みしめ、道に転がるゴミを飛び越える。路地中の暗い世界を、パウリナは不敵な明るみを帯びた表情で走っていく。
 この地域の地理ならば既に把握済みである。駆け足は迷わずに、順風のような軽快さを伴って教会の裏手に建立する、木造二階建ての大きな建物へと辿り着いた。赤百合の旗が門前にはためき、其処が教会の所有物件だという事が分かる。
 パウリナは別の建物の影から様子を窺った。建物全体が木柵のような壁に囲まれている。そして正面には大き目の戸口があり、そして建物の横に階段が備えられ其処から二階部分の戸口へと繋がっているようだ。例の如く、警備の者が正面に立っている。
 ならばやる事は一つだ。

「さってとぉ・・・登るかね」

 パウリナは足音を立てぬ用心さでそっと木壁に近付く。警備の者が気付く様子はない。パウリナは壁に身を寄せると、警備の者が気を逸らした一瞬を突いて壁を両脚で飛び越え、その勢いで壁を垂直にとんとんと蹴り登り、あっさりと階段の手摺に手を掛けた。無論、頂上の部分である。そのまま身体を横倒しにするように捻り、静かに足を段に降ろした。

「・・・へへ、お宝ぁ~、お宝ぁ~。私を誘う悦びよぉ~い、今からお前を食べちゃうよ~」

 下手な歌を勤しみながらパウリナは鍵を戸口の錠に差し込んで捻り、それを外してからさっと戸を開けて己を滑り込ませる。最後の最後まで警備員の注意は向かなかったようだ。

(流石あたしっ!本当についてるぅ!)

 パウリナは幸運に足を進ませる。薄明かり、埃を粉雪のように散らす部屋には甲冑や刀剣の類が置かれていたが盗むには大き過ぎた。パウリナは部屋の本来の入り戸を開けて、更に奥へと進む。
 隣に設けられていたのは、見栄えを意識した開放的なフロアであった。まるで貴族の豪勢な館である。二階部分はバルコニーのように作られており、階下の大きな広間を見渡す事が出来る。二階最奥の部分に螺旋式の階段が備えられており、手摺には埃を被っていた。
 埃を被っていないものとしたら、つい最近運ばれたばかりの宝具の品々だけであろう。それらは一階には木箱として、二階にはチェストとして納められているようだ。パウリナは手近なチェストに近寄ってそれを開ける。目も眩まんばかりのアミュテットと指輪の光輝が、彼女を歓迎した。

「神様愛してるっ」「神様どうもっ」

 瞬間、何故か重なった言葉に硬直する。間を置いた後に其処へ向く。一階、壁際の木箱にて自分と同じような態勢をした、虎柄の刺青をした男と目が合った。

「・・・・・・」
「・・・・・・」

 思わず走る沈黙に閉口する中、一階の戸が勢い良く開かれた。焦燥と怒りを抱いたその顔は、警備の者特有のものである。

「おっ、お前達!!一体何をやっている!!」

 何をやっていると聞かれて、盗賊をしていますとは答えられない。そもそも初対面の相手には挨拶が肝要である。てんぱり始めた思考でパウリナはそう至って口を開いた。

『こ・・・こんんちわぁ~』

 時同じくして呟かれた虎男の声に、パウリナは奇妙な一体感を感じた。




 

「矢張り心配だな・・・何をしでかすか分からん」

 人混みの動きに合わせながら身を進ませるのは、ローブで己を隠したユミルであった。仕事をパウリナに託して通りをぶらぶらと歩いていたが、途中から彼女に対する不安が湧いて出たのを切欠に元来た道を戻っていた次第である。

(しかしなんだこの人混みは・・・。行軍中か何かか?信じられん密集率だ)

 時は昼過ぎ。人々が腹を空かせている頃合に幸いとばかりに空腹を誘う香ばしい薫りが、所狭しと設けられた屋台から立ち込めている。お陰で通りは網に掛かった小魚のようにごった返している。まともに歩くのすら難しい程である。
 自分には如何にも出来ぬ不可抗力に身を揉まれている内に、ユミルの肩が他人のそれとぶつかってしまった。
 
「っと」
「ム?」

 慌ててぶつかった方を見る。自分と同じ、地味なロープ姿をした男であった。 

「す、すまん、急いでいたもので」
「此方コソ。申し訳ナイ」

 言葉を交わしてさっと離れようとするユミルは、ふと足を止めて記憶を掘り返す。どうにも先の言葉、その独特の訛りに引っ掛かるものを感じたのだ。
 ユミルは踵を戻して再び男の下へと向かって声を掛けた。 

「すまない、少しいいかな?」
「ん?サッキの者カ。如何シタ」

 雑踏の波の端で、ユミルはその男のロープで覆われた顔を真っ直ぐに見詰めて言う。

「実は此処で旧知の知り合いを探しているんだ。よければその人物を知っているか尋ねても良いかな?」
「ふむ?どんな者ダ」
「そうだな・・・。分かりやすく言うとだな・・・妙に言葉遣いが片言、というより訛りが強い男でな。それに加えて、あまり大きな声で言えぬがその者は半魔人なのだ。蜥蜴の魔人と、人間のな。だから身体全体に蜥蜴のような深い翠の鱗が生えているのだ」
「・・・ソウカ。随分ト、変わった奴ダナ」

 男は言葉と共に俄かに頭を俯かせる。はらりと揺らめいたローブの裾から、人に非ざる翠色の肌がちらりと見えた。同時に角ばった鱗が犇き合っているのも見え、ビーラは驚きに目を見開いた。

「・・・まさか・・・ビーラ?」
「・・・久しぶりダナ、ユミル」

 懐かしみの混じった声でその者は呟き、そっと頭を上げた。先程よりも明らかに成った風貌に、ユミルは人知れず溜息を漏らした。翠色の鱗肌に爬虫類のような鋭い視線。トカゲのような形相ゆえに老化は目立たないようであるが、その頬には確りと薄い皺が走っているのをユミルは見抜いた。
 通りに蔓延する闊歩の音や人々の声が何処か遠くに感じつつ、ユミルはゆっくりと話し掛けた。

「・・・長らく探したぞ、友よ。あれから十年振りだ」
「・・・何時かきっと来ル、そう思ってイタ。色々ト準備までしてしまったヨ」
「人気の無い所へ行こうか」

 言葉に誘われるように、二人は路地裏へそっと抜け出していく。建物のバルコニーで繰り広げられる喚声を頭上で聞きながら、二人は歩く。
 建物一軒ほどの距離を歩いて二人は互いを見つめあった。雑踏の喧騒から離れてそれらの視線から逃れればいいのだ。話し合う分には問題等ない。

「元気にしていたか?俺はこの十年、狩人のような生活をしていたよ。野獣を狩り、夜盗を剥ぎ・・・はは、時には魔獣にさえ襲われた。お前はどうなんだ?今はどうしているんだ?」
「元気、とマデは行かんナ。薬の乱用デ、一時は骨ガ透けて見えるまでゲッソリと痩セタよ。その後ハ運び屋トシテ各地を回っていた。・・・今は仲間ト仕事で此処に居ル・・・が、もう付き合うノモ止めにする気ダ」
「どうして、とは聞かんぞ。答えなど明白だからな」

 すっと瞳を窄めてユミルは眼前の男を見据える。胸の内で押さえ込まれていた燻りが、此処にきて一気に沸騰してくるのを感じた。

「俺が此処に居る理由を理解しているな?」
「・・・分かるサ」
「なら問わせてもらおう!あの時お前は何処に居たっ?十年前っ、夜のタイグース樹林でっ、お前は一体何処で何をしていたんだ!・・・あの時お前が居れば・・・俺はとっくにっ・・・!!」

 強きの言動に思いを滲ませながらユミルは叫ぶ。想起する記憶の数々が、心の荒波を更に逆立てるようであった。

「応えろ、ビーラ!この拳は直ぐに飛ぶぞ!!」
「・・・・・・ユミル、アノ時はーーー」

 その時、木目が裂ける様なばきばきとした不穏な音が、ビーラの背後から走る。その瞬間にビーラは目を見開き、咄嗟にその方向へ向けて疾走する。

「っっ、ビーラっ!!!!」

 それが逃亡に見えたユミルは怒りを更に湧かせて追従する。通りの人混みに消えたビーラの背中を追おうと走駆を早めようとした時、頭上より再びその不穏な音が響き、ユミルは思わず上を仰ぎ見た。
 先に通りがかったバルコニーの底が奇妙に近くに見え、それが瞬きの間に一気に近付いた。 
 
『離れろっっっ!!!!』

 破裂するかのような叫びに遅れる事無く、地を震わすような轟きが空間を埋め尽くし、人々のどよめきを誘った。人々の衆目を集める中でバルコニーが破砕した姿で現れ、そして何を見たのか、群衆の間から悲鳴が走り始めた。  
 和気藹々としていた通りに生まれた狂騒は、其処から俄かに離れた場所に位置する教会の方にも直ぐに見て取れた。昼食の満腹感を覚えていた慧卓は驚きで目を見開く。

「な、なんだ?」
「どうしたんです!何が起きたのです!?」

 彼らの問いに答えるように、騒ぎの方向から慌てて憲兵が駆け寄ってきた。彼は驚愕と焦燥を貼り付けた顔で報告する。

「も、申し上げます!!麦酒の屋台を出していた木造家屋の二階バルコニーが、その、丸ごと外れてしまったようで・・・」
「はい!?欠陥住宅過ぎるでしょう!!あの家、もしかして老朽化とかしてました!?」
「い、いいえ、あの家はつい三年前建てられたばかりの新築の家屋ですっ。老朽化などありえません!目撃者によれば、いきなりガタンと落ちてしまったようでしてっ」
「じゃぁ支柱が腐っていたとか!?害虫とかに食われていたとか、誰かが柱を削ったとかーーー」
「ミルカ、もういい!!憲兵!!」
『はっっ!!』
「現場に急行して、事故の負傷者の捜索と手当てを最優先に行うんだ!医術や回復魔法に心得のある奴が居たら誰でもいい、現場に急行させろ!!それと野次馬もすぐに散らして秩序を回復して!!急いで!!」
『はっっ!!』

 慧卓の凛然とした命に憲兵達は敬礼を返し、野次馬が集り始める現場へと足を向かわせた。

「ミルカ、悪いが現場で指揮を頼む!騎士の命令なら周りの奴は楯突かないし、信頼もしてくれる!」
「分かりました!教会の警護は任せましたよっ!!・・・もしこの状況を作るのが狙いだとしたら、隙を突くなら今しかありませんからね!」

 言葉を掛けて、ミルカは急ぎ足で向かう。騎士の鎧に相通じる颯爽とした背中である。
 残された慧卓はミルカが去り際に残した言葉を気にかけていた。
 
(・・・隙を突く、か)

 教会の黒い扉に背を凭れさせながら慧卓は道端の塵に視点を置いて考え込む。仮にミツカの言った事が本当の事だとしよう。即ち騒ぎを起こして周辺区域を巡回する憲兵達や警備兵の注意を惹くのが目的。となればその隙に何かをやったり、或いは何処かに行こうととするのが自然だ。教会は無い、自分が見張っている。宝物を収めた倉庫の方も、何があっても警備兵は離れたりしない。では一体何処か。
 ふと、目端に何か黒い影が走るのが見えた。急いで目を遣るが、其処には群集でごった返した通りと屋台、そして聖鐘へと続く階段の入り戸しか存在しない。

(今何か通ったような・・・)

 疑念に頭を振って再び視線を戻そうとした時、「ばたんっ」と扉が閉まる音が響いた。慌てて目を遣る。その音は聖鐘へと続く入り戸の方から響いたのだ。
 急ぎ足で慧卓が近寄り、慧卓は戸の中へを身を進ませる。陰気な雰囲気を醸す螺旋階段の奥へ意識を遣った時、痛烈な殴打の音と悲鳴が聞こえて来た。

『・・・っっ、ぁぁっ!!』
「!!やっぱり誰か居るな!!」

 慧卓は急いで階段を登り始める。上階の方でも駆け足気味の音が聞こえて来た。矢張り何者かが侵入したようだ。
 悲鳴の発生源へと近付くと、其処には一人の警備兵が、階段の壁に凭れる様に倒れていた。顎から口端にかけて紫に腫れ上がっており、唇が血で滲んでいる。

「おい、確りしろ!!誰にやられた!!」
「わ、若い男だっ・・・っぐ、魔道杖を持っていた!」
「ちっ!魔法の対処なんてわからねぇよっ!!兎に角俺はあいつを止めに行くから、貴方は出来るだけ早く下に降りて援軍を要請してくれ!!」
「分かったっ・・・杖さえ奪えば後は物理でなんとか出来るぞっ!」
「ありがとう!」

 慧卓は声を掛けて階段を再び登り始めた。何処までも続くような高々とした階段が今は恨めしい。最初は疾駆していた足も段々と重たくなり、胸も荒げて弾んでくる。

「よ、よりによってぇっ!ぜぇ・・・なんでっ、聖鐘なんだっ、よぉっ!!!」

 壁に手を置きながら、慧卓はどんどんと階段を登る。まだ見ぬ侵入者に恨みを募らせて、周りに立ち込める石段の反響を頼りに慧卓は必死に足を動かしていく。
 数分にも及ばんかという格闘の末、漸く最奥の扉へと辿り着く。息を整えずに慧卓は扉をぐっと押し開いた。高所故のぶおっと吹き抜ける風が紅潮した頬を冷ましてくれる。
 そして慧卓はその視線の先に、片方の手に杖を持ち、もう片方の手を聖鐘に当ててそれを仰ぎ見る、一人の男の姿を捉えた。

「おい''お前っ!其処を動くんじゃな''い''!!」
「・・・誰かね、君は!」

 激しき声に男は振り向く。不遜に睨み据えて来る男は若く、それでいて理想に燃える瞳をしていた。男はその杖を慧卓へと力強く向ける。禍々しき光を帯びていく杖の赤い宝玉。
 慧卓は思わず、自らが手ぶらで得物が無い状態にある事を後悔した。だが既に引くには引けない状況だ。そっと腰を落として身構える。後はもう、なるようになるしかない。やけっぱちの精神を見せながら、慧卓は眼前の敵を油断無く睨み据えた。
  
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