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王道を走れば:幻想にて

作者:Duegion
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第三章、その1の3:方々に咲く企み


 薄氷のように空に雲が掛かっている。季節外れの涼やかな風が王都を撫で付けて人々の安眠を誘っていた。遠い昔に幾つもの石により高々と築かれた王都の白き塔、神聖なる儀式の時を告げる鐘、王国の聖鐘(せいしょう)は月明かりを受けて静かに聳え立っていた。
 塔の背後にある宮殿にも一つの静けさが広まっており、既に主たる政務は全て終わっているようだ。宮殿の出口に近き中庭にて、慧卓はコーデリアと共に夜風を愉しんでいた。

「今宵は有難う御座いました。お陰でとても楽しい思いをさせていただく事が出来ました」
「いいえいいえ!此方こそ有難う御座います、王女様!晩餐会が終わったと思うと、なんか急に疲れてきまして・・・」
「あらあら?先程までの凛々しき戦士殿は何処へやら、ですね」
「あ、あれは演技です。一度吹っ切れると開き直ったみたいにですね、風評とか見劣りとか、如何でもよくなっちゃうんです」

 広間で装った気障な貴族面を剥いだ開放感からか何時も以上に慧卓は疲れを覚えていた。足もステップを踏みすぎて底の方ががちがちと重くなっている。
 疲労感でぐったりしている彼とは違い、コーデリアは晴れやかな表情のままだ。随分と踊り慣れているらしく足取りも軽やかなままである。

「でも、貴方が吹っ切れてくれたお陰で私はとても嬉しかったですよ」
「なんとなく分かります。貴族のお偉方が近付いて来なかったから、ですか?」
「ふふ、半分当たりです。皆私がまだ独り身なのをいい事に、彼方此方から変な視線ばかり送ってくるのですよ?」
「ああ、そういえば踊っている最中でも見てましたよね・・・やだやだ、あんな老骨、体力もなくなって来てる癖して如何して強欲面を貼り付けているんだか」
「御老人方は皆欲張りなんですよ。老いれば老いるほど、そういうものになってしまうんです」

 昔を思い出すように笑んでコーデリアは答えた。慧卓はそれを見遣りながら続ける。

「それで、半分は分かりました。後の半分というのはなんですか?」
「そ、それはですね・・・」
「それは?」

 問うた途端にコーデリアは恥らうように目を背けた。なんとなくその理由を察して早漏ながら心が浮き足立つのを感じつつ、慧卓は答えを辛抱強く待つ。コーデリアは搾り声で言おうとした。

「・・・それはーーー」
『そ、そんな!如何して通して下さらないのです!?』
「・・・なんでしょうか?」
「・・・キーラ?」

 ふと中庭を駆け抜けた声に疑問が漏れる。聞くからにそれは裏門の方から発されたようだ。
 其処へ足を運んだ二人が見たのは、慎ましい桜色のドレスを召して水色の髪をした女性と、同情しながらもその女性の入門を拒む二人の衛兵の姿であった。

『わ、私はブランチャード男爵の娘、キーラです!貴方々でも分かるでしょう?通して下さいな!晩餐会に遅れてしまいますわ!』
『御言葉ですが、キーラ様。我等衛兵は招待状の拝見無しには如何なるお人をお通しする権利は認められておりません。例え貴女がブランチャード男爵様の唯一の御息女であるとしても』
『し、招待状?私、そのようなものが要るとは聞いておりません・・・常はそうだったでしょう?』
『そうです、キーラ様。而して今宵は山賊討伐隊の無事なる帰還を、国王陛下自らが祝う神聖なる会に御座います。申し訳ありませぬが、陛下直々のお誘いを受けぬ者はお通しする事が・・・』
『・・・加えて申し訳ありませぬが、晩餐会は既に閉会しておりますゆえ、どうかお引取りを』
『・・・な、なんで・・・こんな・・・』

 不条理な現実の流れに戸惑いを隠せなかった彼女は、徐々に諦めを認識していったのか、打ちひしがれた様子で呆然とする。そっと伸ばした手がゆっくりと戻され、拳を作りながらふるふると震えていた。
 衛兵等は口を噤んでこの打ちひしがれた御令嬢をどうするべきか逡巡し始める。其処へ彼らを助けるかのようにコーデリアが声を掛けた。

「如何なされたのです、騒がしいですよ?」
「!コーデリア王女殿下!それに、異界の戦士殿!」
「敬礼は宜しい。職務を続けていなさい、厳粛に・・・キーラ、此方へ」
「しかし姫様!この方は晩餐会へ招かれておりませぬ故ーーー」
「中に入って私と話をするくらいなら大丈夫でしょう?さぁ、早く此方へ」
「は、はい・・・」

 衛兵の間を重い足取りでキーラは歩き、俯きがちにコーデリアの方へ向かっていった。

「如何したのキーラ、こんな遅くに。まさか、晩餐会の時間を間違えて?」
「いいえ、そうではありません。・・・お恥ずかしながら、私、今宵の会に招待状が要るとは知らず・・・」
「それで何時もの時間に?」
 
 こくりと頷く彼女の瞳には悲哀と悔しさが相混じった涙が浮かんでいた。衛兵の視線が無いと気付いたコーデリアはさっと彼女を抱き、その目端の涙を己のドレスに吸わせた。

「キーラ、国王陛下の気紛れは今に始まった事じゃないでしょう?哀しんでは駄目とは言わないけど、一つ一つを真剣に受け取りすぎては駄目。貴方の涙はあの方を想って流すには勿体無いものよ」
「・・・っ、コーデリア様・・・」
「さぁ涙を拭って、私の最愛の友人よ。今日は私と夜風の下に、美しく咲き誇る庭園の花々を愉しみましょう」

 キーラは少し遅れて首肯し、その目に溜まった涙を静かに拭った。コーデリアは彼女を導くよう先へと進む。向かう先には所在なさげに佇んでいる慧卓が居り、彼はコーデリアに問う。    

「コーデリア様、其方の方は?」
「ケイタク様、御紹介致します。此方、ブランチャード男爵の御息女、キーラ=ブランチャードです」
「男爵?っと、初めまして、キーラ様。ケイタク=ミジョーと申します。異界より『セラム』の方へと参りました」
「は、初めまして。私、キーラと申します・・・」

 落ち込み気味で拙さが見える礼を出す彼女に、慧卓はどうやって始めの言葉を掛ければよいか思いつかず口を噤んでしまう。だが沈黙を生み出さぬよう、敬語も交えぬ親しげな口調でコーデリアが彼女に話し掛けた。

「・・・思えば、随分久しぶりな気がするね。最後に晩餐会に出たのは何時だったっけ?」
「た、確か、三月ほど前になります・・・それ以来、私の家は会に出るほどの余裕が無くなりまして・・・」
「昔はそうではなかったのに・・・覚えている?私が十歳の頃、踊りを覚えるために侍従長から貴女が宛がわれたのを?」
「えぇ、今でも覚えております。最初は私達、ずっと躓いたり、転んだりしてましたね」
「そうそう、侍従長からのお叱りがまた怖くってね。『殿方の足を傷つけるなど、婦女にあるまじき失態です!』とか言われてね」
「言われましたね・・・それで御説教が怖くて怖くて、何度も泣いたりして・・・」
(えーなにこれ。俺、空気じゃなーい・・・)

 昔語りをする女性陣二人は実に愉しげでとても邪魔できるような雰囲気ではない。自然と男であり共通の思い出も無い慧卓は唐突に唯の木偶の坊と化した。

「それに歌の練習!声が直ぐに裏返って咳き込んだりしてね!」
「はい、ありましたね。足を運びながら歌声を出すのがあんなに難しいとは思いもしませんでした・・・」
「舞踏と歌唱は乙女の嗜みとはいうけど、あそこまで厳しく何度も続けては流石に身体が持つわけないわ」
「ですがその甲斐あって今の貴女が居るのですよ。侍従長の先見の明には感謝して然るべきだと思います」
「うーん。先行投資が重過ぎるなぁ・・・」
(ま、いっか。こういう時に我慢するのも男の務めだしな。でも長いのは簡便してくれ・・・)

 慧卓の願いを他所に嬉々としたガールズトークは続いていく。ぼうっと突っ立つ慧卓は一つの区切りがつくまで只管に耐え、凡そ二十分近く夜風を寂しげに愉しんでいた。 
 話に区切りがつくと、キーラは少しばかり曇りの消えた笑みを浮かべていた。

「・・・コーデリア様。今宵は有難う御座います。久方ぶりに友達に遭えて、心が少し晴れました」
「キーラ・・・」

 だがその色は寒風の中で今にも消えかけている霜のように儚げで、もしやすると葬礼を決め込む死人の雰囲気に似ているような気もするのであった。
 此処で彼女の気を晴らさねば、此処ではない彼岸の花園で草枕に臥すやもしれない。一種の危機感を感じ取った慧卓は、感覚が告げるままに彼女に話し掛けた。

「キーラ様、少し宜しいですか?」
「ケイタク様?」
「あ、あの、ケイタク様・・・私になにか?」
「お話をお聞きしておりました所、キーラ様はご幼少の頃より踊りや歌を磨き、今では見事な腕前になっているとお聞き致しましたので、つい御声を掛けさせていただきたく思ったのです」
「み、見事だなんてそんな・・・私は、唯上手な方々の真似をしていただけです・・・」
「それでも素晴らしい事です。唯一つの事に其処まで心身を費やし、そして研鑽の末に見事な美を手にしたのですから。ねぇ、王女様?」
「わ、私もですか?そんな私なんて、夫人方に比べて見劣りしますよ・・・絶対」
「それでもどうか述べさせて下さい。お二人とも、紛う事無き傾城の美をお持ちです。口にするのもおこがましく聞こえますが、どうぞお聞き入れ下さい」

 口からするすると飛び出す言葉は普段の彼から見れば違和感しか感じられぬほど過度に丁寧である。だがその言葉には嘘偽りはない。月光の中庭の中に佇み髪をさらさらとひらめかせる二人の姿は、それこそ麗しき純情可憐の若花である。
 慧卓の言葉が届いたのか、付き合いがあるコーデリアは傍目になりつつ妙に口を尖らせている。彼女なりの照れであろう。対してコーデリアは暗い中でもはっきりと分かるほど頬を紅潮させていた。初々しき反応に気を良くして慧卓は続ける。
 
「そしてその麗しき美と、此処で別れの手を振るのは実に惜しいのです。ですからどうか、此処で一つ、私と舞踊に興じて頂けませんか、キーラ様?」
「え、ええっ!?」
(俺、なんでこんなノリノリなんだろ・・・後で絶対後悔するぞ)

 自分から見れば余りにも気障に振舞いすぎて痛々しい程。確実に後悔の思い出として刻まれるが、今の状況から見れば相応しい態度である。若き紳士として振舞った彼の労は無事に報われた。

「いいじゃない、踊りなさい。折角此処まで足を運んだのに、何の思い出も残さずに唯家路につくというのは、とても寂しい事よ」
「コーデリア様まで・・・分かりました。恐縮では在りますがケイタク様との舞踊、慎んでお受け致します」

 ドレスの端を持ち上げて礼をするキーラ。慧卓もまた礼を交わし、彼女の華奢な手に向かってそっと己の手を差し伸べた。キーラはそれにゆっくりと手を載せて慧卓の下へ近付く。薄暗闇から徐々に近づいていく明眸皓歯の姿に慧卓は思わず感嘆の息を漏らした。桜色のドレスに、清流のような慎ましさと神の御告げのような神秘さを併せ持った水色の長髪が美しく踊り、宝玉のような翠の瞳が上目遣いに見遣ってきたのだ。

「綺麗だ」
「っっっ、は、恥ずかしいです・・・」
「ご、ごめん、つい・・・」

 赤らみを増すキーラに慧卓は思わず謝罪を述べた。二人は目をついと逸らしながら、互いの腰に手を宛がって繋いでいる手をそっと横に伸ばした。そして風が一つリュートのように軽やかに靡いた時、二人は自然と足を運んでいく。中庭の石畳から足が離れ、手入れをされた芝の上をそっと踏みしめていく。綿のように姿を留めぬ雲の陰から差し込む月明かりに、キーラの赤い美顔が映し出された。愁いと帯びていた表情は今や晴れており、秀麗で可憐な笑みを浮かべていた。

(・・・お父様。私、少し勇気が出てきました)

 くるくると円を描くように踊るキーラは、思いと共に瞳を慧卓に注いだ。真摯的でありながらも羞恥を覚えている黒眼と視線が合い、キーラの心が焚火を点けたかのように温まった。
 彼女は本当ならば舞踏会に誘われて欲の余りを弄ぶ高貴な方々に媚を売らねばならなかった。場合によっては既成事実を作る事もまた視野の一つに入れざるも得なかった。だが今となっては詮無き事であり、その代償として名誉も身分も知れぬ新参の異界人と舞踊をするのみ。しかしそれでもキーラの心を諦めの境地から拾い上げ、小さな希望を残すには充分なものであった。

(だから今日だけでいいですから、約束を破るのを、お許しください)

 それとなく自らの諦観を払った青年、御条慧卓という異界人に感謝しつつ、キーラは心の中で父君に謝罪を述べた。
 その二人の様子をコーデリアは温かな表情で見守っている。彼女は友人が元気付けられた事に喜びを抱いていたのだが、キーラの晴れやかで何処か男心を燻るような笑みを見た時、自分の胸の奥に痛みにも似た不満を浮かべている事に気付いた。

(・・・なにかしら、この胸の中の、もやもや)

 笑みが俄かに曇って華の内から小さな棘が生えていき、それが幸いな事に風に運ばれた雲の影が隠していく。心の移り変わりに気付かぬ舞踊の二人は、先よりも漠然と縮まった距離を保ってステップを刻み、互いの瞳を見詰め合っていた。





 がらがらがりごりと、寝静まった都に似つかわしき不穏な音が鳴っている。まるで鉄格子が無理にも外されかかっているかのような乱暴な音である。事実その通りであった。

「よいしょぉぉっと・・・ぁぁああっ、やっと着いたぁぁ!」
「お前っ、声を抑えろ、この馬鹿っ!あんぽんたん!」
「ちょ、ちょっと!折角此処まで案内してきたってのにそりゃないですよ、御主人!」

 金属音にも比例するくらい大きな諍いの声が響き、家屋の石壁に反響した。そろそろと顔を出して通りを窺ったのは、女盗賊パウリナであった。夜間警備につく憲兵に捕まれば命を取る序でに乱暴を働かされる恐れがある。幸いにも憲兵はおろか、家屋の住人にも気付かれた様子はなかった。
 彼女の後ろからもう一つ、人の影形が顕となった。茶褐色のロープに生臭さの漂う剣を隠した体格の良い男だ。彼は王都の中央に聳え立つ、奥ゆかしくも堂々とした闇を月光より隠す、王都の聖鐘を見据えていた。

(・・・あれが王都の聖鐘。王宮の正門広場に聳える塔。それが月の方に見えるという事は・・・)
「此処は王都中心部にある、東住民地区の一角ですよ、御主人」
「思考をよむな」
「へ?」
「いや、なんでもない」

 男は頭を振って疑問を言葉にした。

「妙だな。記憶によれば、この辺りは確か王国軍の宿舎が置いてあった筈だが」
「それ何時の話です?今じゃ王都は人口の増加で、中央東地区は軒並み臣民の住宅に置き換えられていますよ。まぁ一部軍施設が残っている所もありますけど、大半が北部に集約されています」
「王都も随分と変わったものだ」
「玉座を囲む連中は今も健在ですけど」

 皮肉っぽい口調で言うパウリナ。彼女は暫し主人のロープに隠された横顔を見詰めて、意を決したように話し掛けた。

「で、どうします、御主人?思うにそろそろあたしら、別れた方が良いんじゃないですか?」
「・・・如何いう事だ」
「あたしはちょいと今から、自分の塒に戻って仕事準備に取り掛かろうとしていまして。ほら、盗みのやつです。ですから御主人の仕事には付き合えそうにも無いんですよ。だからいっその事、互いに迷惑を掛けないように此処からは別行動って事にはーーー」
「断る」
「へっ!?な、なんでですか!?」
「お前がいきなり饒舌に話し掛けるからだ。疑わしさ満載だぞ。そんなに俺が嫌いか?」

 うっ、と言葉に詰まるパウリナは目を泳がせながら彼女にとっての上手い言い訳を探していく。うんうんと唸りながら彼女が遊泳中の目に留めたのは、男の腰に携えられた一振りの剣であった。幼さと凛々しさが相混じった顔が歪む。

「だ、だって御主人、それ持ってくるって事は何時か使う時が来るって事ですよね?」
「あぁ、一応その心算だが」
「・・・つまり、やるって事ですか?」
「・・・血は嫌いか?」
「っ!」

 嫌悪感に浸っていた顔をパウリナは驚かせる。そして不思議な事に、今までまともに目を合わせた事のない主人の瞳にがっしりと視線を捕えられた。鳶色の鋭い、研ぎ澄まされた槍の矛先のような瞳が彼女の心中を射抜いている。

「エルザ。お前も盗賊の端くれならば一度は見た事が在る筈だ。赤く迸る血や、剣筋にまとわりつく人の肉を。この時勢、いや、時勢は関係ない。人間であるならば、身体に通う赤い血が体外へ流れるのを何度も見なければならない。己のか?他人のか?どちらのものであっても、俺達は流血無しに生きられないんだ」
「・・・まぁ、そうですね」
「・・・嫌いな言葉で表すがな、諍いや偶然で血を流す事は決して逃れられない運命のようなものだ。俺達定命の者では如何する事の出来ん問題だ。・・・だからこそ俺達はこれから逃れてはならないのだ。これこそが俺達が生きる道に潜む、棘のような代償なのだからな」

 夜闇に潜められた声は男の低い声も手伝ってか、一顧して心に残るほどの重々しさと哲学的な知見を湛えており、パウリナの心に圧し掛かった。男は小さく息を吐く。

「・・・迷惑をかけてすまん。だが此処は是非にも、お前に折れて欲しいのだ」
「・・・・・・最小限ですよ?」
「約束しよう」

 逡巡もなく放たれた力強き言葉にパウリナは溜息を吐きながらも、仕方ないとばかりに仄かな苦笑を浮かべた。

「・・・案内します。私の塒です」
「感謝する」

 通りの端の暗闇を選ぶように歩きながら、二人は王都に潜む一人の盗賊の塒へと向かっていく。油断なく周囲を警戒しつつ歩く男の顔には、唯の剣閃や魔法の煌き如きでは怯まぬほどの荘厳な決意が秘められていた。

(直ぐにだ。直ぐに結果が分かる)

 心中の思いは他人には分からぬほどに潜められているが男には分かる。それは常に灼熱の溶岩の如く熱を発し、心臓の奥底から魔獣にも似た人外の力を引き摺り出すに相応しき力を秘めているのだ。
 ふと、目の前でパウリナが苦笑気味に振り返ってきた。

「そういえば御主人」
「なんだ?」
「あの、これだけ旅に付き合った挙句今更な質問なんですけど・・・御主人の名前は?」
「・・・ああ、そういえばそうだったな」

 釣られて男もまた笑みを作り、確りとした口調で告げる。

「俺の名はユミルという。これからはそれで構わんぞ」
「了解です、御主人!」
「・・・呼んでもいいんだぞ・・・」
「わかってますよ、御主人!」
「もういいよ・・・」

 力無く吐かれた息に揺らされたロープの中からやや細目、やや垂れ眉の物怖じしないような厳しい顔付きの男が見えた。だが常の逞しさとは打って変わり、この時に限って何処か打ちのめされたかのように凹んでいるようであった。 





 王都の中央南地区。宮殿の正門が構えられているだけあって治安に非常に煩い地区である。
 この地区に足を踏み入れる事が叶った浮浪者の臭いとて此処では劇毒ものであり、即座に強権好きの憲兵により牢屋へ叩き込まれるだろう。文句を言ってはならない。何故ならば憲兵の背後には燦燦たる赤百合の旗を掲げる、王都臣民に悪名高き神言教の神官達が居るからだ。改革の精神は何処へやら、今では祈りを捧げるよりも、悪徳に身を窶して手っ取り早く金銭を稼ぐ者の方が多いという事態が起こっている様であり、純真無垢な臣民の祈りは形だけのものとなってしまっている。
 その様子を改善すべき王都の宮廷は順風に煽られる麦のように穏やかなままであり、知らぬ存ぜぬの態度を決め込んでいた。臣民の啜り泣きを王都の聖鐘がぶっきらぼうに見下ろしていた。
 そんな南地区の一角には一つの用水路が形成されている。荷物の運搬の迅速化を目指したこの水路には幾つもの小舟が浮かべられており、普段は長い竿で舟を漕ぐ男達が目立っている。一方で寝静まった時間帯には静けさ以外は存在しない、とても優美な場所となる。

「・・・ふむふむっ。ふむふむっ!そうかそうかっ!!」
 
 用水路の近くに軒を置く二階建ての石造りの宿屋、『キールの麦』の二階のバルコニーから一つの高い声が響いた。声の持ち主は若さと情熱が溢れる二十前半の若者であり、吟遊詩人のようなゆったりとした服を纏い、手に持った紙の内容と聖鐘を見比べてはうんうんと頷いていた。

「見よっ、あれがかの名高き、王都の聖鐘だよっ!!王国に輝ける主神の威光を伝え、臣民の心の拠り所となる鐘なのだよ!!見れば見るほど不貞腐れた外見をしていると思わないかね!?」
「そりゃ見れば分かるってんだ。でぇっ、本当にあるんだなぁ?」
「んん?おぉ、そうだな、君の願いと私の崇高なる願いは別物であったな!うむうむ、確かにあるぞ!王国、否、『セラム』随一の秘宝、『黒檀の義眼』の隠し場所を記す地図がなっ!」

 問いかけられた強い問いに、若者は紙を外にぽいっと捨てて部屋の中へ戻る。中にはこの者以外に二人の男が居た。
 一人は獣の皮を剥いで作った蛮人風の衣服を纏い、顔立ちや体躯が虎のように勇猛に鍛え上げられており、腕や頸周りに深い渦模様のタトゥーを彫っている男である。貴族が住まう地区に関わらずボロが目立つベッドに腰掛ている。質問をしたのはこの男だ。
 もう一人は、目元をすっぽりと覆うフードが付いた灰色の外套を纏っており、臙脂色をした軽装の革鎧を下に着ていた。フードから露出した顎以外の外皮は人目を避けるかのように隠されており、その顎に至っては深い碧をした鱗のようなものがある。否、事実トカゲのようなざらざらの鱗が顔に生えており、壁に寄り掛かって若者を冷静に見ている。

「約束は履行しよう!君達にはそれ相応の対価を支払うぞ」
「そうこなくっちゃ!そうでなきゃ、俺ぁあんたの頸を切って金目の物毟れるだけ毟りとって廃棄してたぜ」
「・・・よく其処までノ情報を掴んだナ?義眼は国ノ宝というノニ」

 鱗の男はごろごろとした訛りが抜けきれていない声で問う。若者は得意げな笑みを浮かべて言う。

「ふふふっ、私には君等には無い伝手があるのだよぉ!そうっ、君等下賎の者には無い、確実な伝手がねっ」
「へぇぇ?んじゃ俺等にちょいとばかり、そいつを話すってのも駄目なのかい?」
「いやいや、話してやるとも!面白い話だからね。実を言うとだねっ、この情報っ、くふふっ・・・なんとだね!地図の管理者直々に教えてくれたのだよっ、ハハハハっ!!」

 若者のもったいぶった口調から一気に快活な大笑いが毀れた。他の二人は呆れたように口を開けて視線を合わせていた。

「・・・そいつ、阿呆ではないカ?」
「阿呆だよなぁ」
「阿呆だよっ!実際に隠し場所まで案内してくれるほどのねっ!聖鐘を見給え!あれの最上階、鐘の下側に落し戸が一つ在り、その下にもう一つ隠し戸がある。其処に『黒檀の義眼』の地図は安置されているのさ」

 若者の指は王都の象徴である聖鐘を、正確を期すならばそのやや下の辺り、二重戸の中にある地図を真っ直ぐに指差していた。

「残念ながら実物は見せてもらえなかったよ。如何にも開けるには一苦労いるようだからね。だが落し戸の中にあるのは間違いないさ。『探知』の魔術で調べてある」
「・・・解セヌ。何故、我等のような信頼モ何モ無い者共ニ国家の秘宝の在り処ヲ・・・」
「知るものかっ。教会の人間なんてどいつもこいつも腐りきっている!況や、その末端の人間の腐り具合といったら酷いものだ。知っているかね!?此処の教会の人間は商人共や賊共と釣るんで、幼子の売買まで手を掛けているのだよっ!これを酷いと言わずしてなんと呼ぶんだい!?」

 言葉を紡ぐ彼の顔からは笑みは大分消えており、代わりに明瞭な義憤の赤らみが浮かんでいた。真剣みのある瞳をした若者は好戦的な笑みを取り戻し、演説をするかのように語り始める。

「最早名誉も誇りも無い彼等に、況や王国に遠慮はいらぬだろう?彼らの威厳を潰し、剣を叩き折り、王冠を踏み潰すっっ!そしてっ、その後背に聳え立つ樫の木を、真実の業火に包み込むのだっ!!全てを破却したその後に、我等の栄華の王国が築かれる事であろう!!」

 熱く語った彼は再び宮廷の方へと身体の向きを変えて、その中枢に眠っている敵の者達を睨み据えた。一方で他の二人はしらけた表情で小さな本音を交し合った。

(・・・ってあいつは言うけどよぉ、如何する?俺は宝以外興味ないんだけどさ)
(私モ、他のものに用ガある。秘宝の在り処などニ興味は無いシ、まして王国の興廃など、眼中に無い)
(あ、そう。ってぇ事は俺等の用事が終わり次第、直ぐに手を引くって事でいいか?)
(あぁ、それが良かろう)

 小さく利得のままに頷きあう二人を他所に、若者はどんどんと演説のボルテージを上昇させていった。

「ふははははっ!!待っていろ、帝国の傀儡共ぉ!!この義賊、チェスター・ザ・ソードが、貴様達の淪落非道の夢幻を静謐冥府の地の底まで叩き落してその腹に眠る欲得の腸を三寸刻みに裁断して一つ一つを業火に熱して、うぅっげほっげほっ、げほっ!!!」
「あーあ、難しい事を言い続けるから・・・」
「馬鹿だナ」

 肺活量の限界に達して咳き込むチェスターに呆れるように二人は肩を竦めて、それぞれの思いで聖鐘を見詰めた。
 虎の体躯を持つ男は笑みを一つ浮かべる。

(・・・わくわくするねぇ)

 にやりと歪んだそれは、野蛮な獣に追い詰められて絶望の淵に立たされる狩人を見下すような、嗜虐的で挑発的な笑みであった。その心もまた、鍛造(たんぞう)直後の鉄剣のように興奮していた。
 そして隣に立つ鱗の男は顔を俄かに上げて、狼のように研ぎ澄まされた鋭利な感覚で大いなる自然の律動を感じる。

(・・・風が、吹ク)

 ぼぉっと、砂塵のように強く吹きつけた風が王都の石壁を叩き、男達が居る部屋の中へも侵入して空気を循環させる。その勢いで鱗の男のフードがばっと脱げた。顕になったその肌は森林のような碧を湛え、顔全体に葉の絨毯のように鱗が生えている。三白眼の瞳からは人にあらざる、表裏の無い赤い瞳孔が煌いており、顔に弧を描く戦化粧も併せてとても印象的である。
 男は人にあらざる、獣の類であった。だがその引き締まった容姿は例え人から見たものとしても、非常に整ったものであった。
 風が一つ、王都を駆け抜けた。

 
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