王道を走れば:幻想にて
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第二章、その5:衣装変え、気品な方角
「すっかり忘れていました」
「何がです?」
「貴方の服を買う事」
「あー・・・」
祭りを終えた次の日の朝、朝の紅茶を取りながらコーデリアはふと思い出した。宮殿にて必要となるであろう、慧卓の紳士服を用意していない事を。慧卓は腰の辺りの倦怠感を気に留めつつ、それを思い出した。
「祭りに浮かれてうっかり忘れてしまいました・・・あのアップルパイ、美味しかったな・・・」
「・・・また食べに行きますか?」
「い、いいえっ!また食べたら絶対食べすぎちゃいます!宮殿でドレスが着れなくなります!太るのだけは嫌っ!」
嫌悪するような目付きで紅茶の湖面を睨むコーデリア。その勢いに圧されて慧卓は微苦笑を浮かべ、すすと紅茶を啜った。檸檬の果汁が入っているのか、茶の深みの中にそっと浮かぶ程好い酸味が寝起きの舌に染み渡る。
「さ、さぁ!今日こそはちゃんと目的を果たしに行きますよ。紅茶を飲んだら行きましょう、ケイタク様」
「了解です。して王女様、何処の御店に向かうのですか?」
「この街で一番の仕立て屋、『ウールムール』です。昔は私のドレスも、何着かあそこで作っていただきました」
「王族の方も御贔屓にされているならば、きっと素晴らしい衣服を仕立てていただけるでしょうね」
「きっとじゃなくて、必ずですよ。あの人の腕前は、王国一ですからね」
少し誇らしげに語るコーデリアの顔を肴に、慧卓は紅茶の残りを嚥下していく。小鳥の高らかな囀りが耳を和らげていき、慧卓はこれからの愉しみに一層の期待を寄せていった。
その二人を離れた座席にて、二人の高貴な身分の者がちらちらと窺っていた。
「・・・ワーグナー殿」
「・・・アリッサ殿」
一人、暇を持て余すアリッサ。もう一人、職務を放り出すワーグナー。思慮深げに視線を交わして二人は囁きあう。
「聞きましたか?『ウールムール』ですぞ」
「あぁ聞いたぞ。確かにあそこは貴族の衣服やドレスを仕立てる衣料店、老舗中の老舗だ。だが裏では・・・」
「えぇ・・・しかし裏では」
『ふひひひ・・・』
両者は表情に似合わぬ下賎な含み笑いを零す。貴き者に相応しき美顔と威風ある顔立ちが、一瞬にして洞窟の盗賊が略奪した銭を数える時のそれとほとんど同じ顔となった。
「これは千載一遇の好機ですぞ。慧卓殿の紳士服姿というのも興味をそそられますが、本命は矢張り王女殿下・・・」
「あぁ、コーデリア王女も、あの店では唯のうら若き絶世の美少女となる」
「さて、どんな物をお好みになるのか、どんな姿になっていただけるのか、楽しみで仕方ないですな」
「全くだよ・・・ふふふふ」
「ふははは・・・」
『ふはははははっ!!』
耐え切れぬように高笑いを漏らす二人。宿屋にいる者達が一瞬彼らを見遣るが、二人が浮かべていた清清しい笑みを察してか、各々の納得を浮かべながらそれぞれの日常へと戻っていく。而して中には例外が居た。王女の護衛を承った王国兵、ミシェルとバックがそれであった。雀斑をぽっくり歪めながらミシェルが相方に話し掛ける。
「あの人達、宛がわれた仕事とかしないのかよ?」
「しなくても、結構な高笑いをすれば給料出るんだろ」
「なんて羨ましい。俺も何時かそんな職に就きたいぜ」
「就いて三日で戦死だから止めとけ」
「なんで死ぬのよ?」
「主任務が、前線で変態相手に剣を振るうばっかか、それか書類の山に頭突っ込むばっかだから」
「あっそ。なら俺、一生兵士のマンマでいいや」
「つまり一生底辺身分か、御愁傷様」
「お前も序でに引っ張り込むからな」
「やめろし」
そういうなり、二人は意気が合ったかのように紅茶をずずずと啜った。因みに二人が飲んでいるのは檸檬の果汁入りではない。蜂蜜入りの紅茶である。
朝餉も終わり、街をゆったりと歩く慧卓とコーデリア。手と手が触れ合わないギリギリの距離と保ちながら、未だに続く祭りの様を眺めていた。昨日のそれと比べて四割方少なくなっている人の群れ、そして幾つか畳まれた店の跡に人が集い、肴を片手に語り合っている。が、矢張り祭事の初日と比べれば寧ろゆとりがある風景といえた。
「流石に二日連続、というのは無理がありましたね。勢いが下火となっています」
「はは、寧ろこれくらいが丁度良いのかもしれないですよ」
「?それは如何いう事でしょう?」
「だって、通りに人が沢山混んでいたら自由に動けないじゃないですか。露店には沢山の商品があって、沢山の行楽が待ち構えています。けれど近くで見てみたいのに人の波が邪魔をして一行に辿り着けない。寧ろ此方が人々の邪魔になっている気さえしてくる。そういうのって疲れますし、嫌になっちゃいますよ」
今彼の脳裏に浮かぶのは、祭事の日々に羊の如く群れを色とりどりの群集である。屋台が所狭しと並び、その間を縫うようにして人の波があっちにこっちに行ったり来たり。踊りに混じろうとも、御籤を引こうとも一向に微動だにせぬ人並み。急けば人並みを崩して舌打ちをされ、遅ければ無言のプレッシャーを当てられる。
それに辟易とするように慧卓は溜息を零し、コーデリアに言う。
「王女様の言うとおりです。祭りは愉しくなければ、愉しめなければ損。だったらそれに参加する人達はたった一つの事さえ気をつければいいんです」
「・・・それは?」
「『人に迷惑を掛けない』!この真心さえあれば、御祭りは人々の記憶の中に、愉しい思い出として残り、後に生まれる人達にその記憶を伝える事が出来ます。そして未来でも、御祭りが生きていくんです」
だが慧卓は思う。自分が思っている不快は、きっと周りの人達も同じである。不快だからといって自分だけ周りの波を崩す格好で突出してしまったら、それこそ周りの人々により強い不快感を与えてしまう。だからこそ波を崩さぬ余裕を持って、何事にも臨むのだ。それに祭りとなればそんなもの敢えて崩さなくても充分に楽しめるものだ。目の前のその光景がそれを物語っている。
「だから王女様も、楽々気分で愉しんでいいんですよ、友達と踊りでもするみたいな気分で。あっ、ほら!あの蜂蜜が塗られた御菓子、美味しそうですよ!ん?うっそ、あれパイナップル?此処って結構南方寄りなのか?」
「・・・」
「王女様?」
悩むようにコーデリアは俯き加減で歩いていく。慧卓はその憂いを陰に置いた横顔を眺め、おずおずと問いかけた。
「あの・・・俺何か変な事言いましたか?」
「いえ、そうではないのです。ただ、友達という言葉を聞いて、ちょっと思い出した事があって。
「はぁ・・・」
雰囲気が変わった目の前の乙女に頸を捻りながら、慧卓は言葉を待つ。コーデリアはゆっくりと、心の声を紡いでいった。
「今まで分からなかった事があるんです。何故、人々は知り合って間もない者に対してただ友達になったからという理由だけで、あんなに易々と心を開けるのか。ずっとそれが疑問でした」
「・・・それはまた、如何してそのような疑問が?」
「私、貴方が思うような、友達が居ませんから」
「・・・・・・」
気まずげに慧卓は視線を逸らす。その彼の気を解すように、コーデリアは何処か明るさを装った声で言う。
「私、王家の中でも鷹派の部類に入るらしいんですよ?だから鳩派が多い宮殿内では除け者扱いをされていて、気を許せる者が居なかったんです。同年代では皆無。年上で近しい者は、アリッサくらいだったんです。だから、気を許せる人とはどんな者なのか、その者、友とはどんな会話をするべきか、ずっと分からなかった・・・」
陰惨な宮廷模様に生まれながらにして身を置き其処で育ってきたコーデリアの苦悩を、自分は無遠慮に踏み抜いてしまったのか。慧卓は己の無神経さに対して、表情を崩さす苛立ちを抱いた。
而してコーデリアは慧卓の苛苛を晴らすように、一転して爽やかな微笑を浮かべながら言葉を続けた。
「でも昨日と今日の経験で、それが少し分かった気がします。ケイタク様と一緒に歩いていると、凄く軽やかな気分になれるんです。垣根を飛び越えるような感じがして、今とても気が楽になっているんです」
「・・・気が楽、ですか」
「はいっ、皆と同じ気持ちです!空を飛んでいるみたいに、足が軽いんです」
本当に飛んだ事なんて無いんですけど、とコーデリアは冗談めかしく笑みを零した。その歩みは深き悩みを感じさせぬ、まるで快晴の空を仰ぐような軽やかなものだ。淡い蒼髪が彼女の心の軽さを顕すように、ひらりと服の上を踊った。
(でも、なんか違うよな・・・)
一方で慧卓は一つもやもやとした疑問を浮かべて、コーデリアのような気分を抱けずにいた。友達という事に関して一つ、彼の中で違和感を感じたのだ。彼の中の友人同士では畢竟在り得ないような、そんな事を自分達は行っている。一見深さを思わせる疑問であったが、慧卓は直ぐに答えを見つけて納得した。
(・・・そっか、言葉や態度が、まだ堅苦しいんだ)
彼の中の友達とは、少なくとも敬語を使って話し合ったりはしない。互いに敬意を表したりはしても、若々しい者が丁寧語や尊敬語を乱発したり、或いは着飾った高貴な所作をしたりなど、気に掛けもしないものだ。
一向に返事をせぬ慧卓を見て、コーデリアは疑わしげに問う。
「ケイタク殿?如何されました?」
「・・・コーデリア、手を出して」
「へ?あ、はい・・・」
一瞬呆気に取られながらもコーデリアは手を差し出す。その柔らかな珠玉の手を慧卓は緊張で強張った手で握り締め、歩を共にする。
「あ、あの、ケイタク殿?」
「とっ、友達なら、手を繋いで買い物するもんだっ!」
「・・・そうなのですか?」
「そうだっ!ついでにいえば敬語も不要だったりする!」
「は、はぁ、分かりました」
「敬語要らない!!」
「わ、分かった!・・・これでいいの?」
「お、おう」
戸惑いつつもコーデリアは敬語を捨てる。慧卓は視線を泳がせながら、急に積極的となった自分自身に内心で驚いていた。
(何やってるんだ俺!?大丈夫なのかよ、相手は王族だぞっ!!)
特段の考慮無く無礼な事を及んでしまったと後から悔やみ、慧卓は急いで手を離そうとする。而してその手をコーデリアがぎゅっと握り返してきて驚く。ふと彼女の顔を見れば、僅かに顔を赤らんだものにしながら慧卓から視線を離し、何気と無く通りの賑わいを見遣っている。所謂照れ隠しという奴であろうか。
(・・・あったかいなぁ)
唐突に相手の手を握る失態に釈明を入れたくなるどころか、逆に慧卓は掌から伝わる相手の温かみにほっとしてくる有様であった。思った以上に単純で感覚的な自身に呆れながら、慧卓は通りの中を歩いていった。
その二人の様子を、背後から四つの眼の光が睨むように見据えていた。通りの裏陰から顔だけを覗かせるのは、アリッサとワーグナーである。
「なんてけしからん奴っ!王女様の絹の肌に触れ、あまつさえ握り締めるとは、なんてうらやま...いやけしからん!!!」
「ほう...あ奴め、案外手馴れた様子...さては異界で女子を二・三は手懐けているな」
感心する素振りを見せるワーグナーを、アリッサは蛇をも萎縮させるような目つきで睨み据える。それを一切気にせぬ様子で、ワーグナーは確信の息を漏らしながら眼を見開いた。
「あの通りに入ったという事は、矢張り『ウールムール』だな・・・準備は良いか、近衛よ?」
「無論ですとも、ワーグナー殿!」
満を応じて両者は威風堂々たる様で通りへと姿を現した。町を流離う吟遊詩人のような大地の色をした軽い衣服に身を纏うワーグナー、雇われの侍従のように質素な衣服に身を包んだアリッサ。普段の高貴さ、そして威厳さをみずほらしい衣服が見事に掻き消している。加えて努力を重ねる学生のような、額が太い眼鏡を二人揃って着用している。
これこそが苦心の末に導き出された変装であり、絶対に見破られはしないという自信すら沸いてくるものがあった。だからこそであろう、彼らが妙に自信有り気なしたり顔をしているのは。
『この変装、見破れるものならば、見破ってみよ!』
「あれワーグナー造営官じゃない?」
「本当だわっ。なんであんなに目深な帽子を被っているのかしら?」
「おいおい、ありゃ近衛の美人さんじゃないか!あんな趣味あったのかよ!?」
「うほっ、いいポーズ。ほいほいついていきそうだぜ」
「・・・・・・・・・行こうか」
「・・・はい」
堂々たる態度を打ち崩し、とぼとぼと慧卓らを追従する両者。そりゃ服を変えても顔は変えられない、というありふれた論理の前には、高名な彼らの稚拙な小細工は通じぬであった。
さて彼らが追う先。所々で建物の影が道を覆う、まるで路地のような狭い通りを歩く慧卓とコーデリアであったが、数分もしないうちにその苦労から解き放たれる。民家と民家の間、他の家屋より一回り大きな石造りの建物に出くわして歩を緩めていった。家の標識代わりであろうか木の看板に、『セラム』の文字で何か流流と書き連ねられている。
「ケイタク殿。此処が、『ウールムール』です」
「ほー・・・あ、敬語」
「あぅ、流石に御店の人の前では、ね?」
「あっ、そう言われれば・・・ごめん」
「い、いいえ!こちらこそ・・・」
何処となく恥じらい気味の二人は手を離し、その目的の家屋へと近付く。そしてコーデリアは、看板の近くの石壁に掛けられていた小鈴をちりんと鳴らす。
「ん?トニア、御客さんがいらしたようだ。御出迎えをお願いしてもよいかな?」
「はい、分かりました!」
店内よりその鈴の音を、幼さが抜けぬ雀斑の少女、トニアが聞き入れ、扉へうきうきと歩を進ませた。
(ふふふっ、記念すべき第一号の御客様ねっ!)
祭事に浮かれて散財したなけなしの金銭を、今こそ取り戻すときが来たのだ。労働万歳、財貨万歳。心の中で喝采を叫ぶ労働の妖精の声に押されるように、彼女は満面の笑みを湛えて扉を開けた。
「いらっしゃいまぶほぉっ!?」
瞬間、その扉の向こうに立っていた人物に驚き、噴出す。ぱくぱくと金魚のように口を開閉させ、大声で驚きを表そうとする。
「お、おおおお、おおおおおおおっ、王女さむぐぅっ!?」
「大きな声を出すんじゃないっ!!周囲に迷惑でしょうが!!!!」
「ケイタク殿の声が一番大きいです・・・」
驚愕から戻ってきたトニアは、しどろもどろとなりながらも、真っ白となった思考から御店の定番文句を必死に取り戻そうとしていた。
「えっ、えっとぉ、改めまして、ようこそ『ウールムール』へ!本日はお日柄もよく~、えっとぉ・・・」
「最初はお日柄云々じゃないよ、トニア」
「おっ、おじいさん・・・」
トニアが肩を縮こまらせながら横へ退くと、口周りに薄らと白髭を生やした老人が現れてきた。茶褐色のローブに身を包んだその老人は、不思議と耄碌した様子を感じさせぬ瞳でコーデリアを見詰め、好感の持てる穏やかな声を掛けた。
「ようこそ、『ウールムール』へ。華麗な衣服より素朴な真心まで揃える、万世一系の仕立て屋で御座います。・・・久方ぶりですな、コーデリア様。最後にお会いした時から数えて、五年ばかりとなりましょうか。とても美しくなられたようで」
「お久しぶりです、キニーさん。あの時はまだ、見習いだったと記憶しておりますが」
「ははは・・・今では念願叶いまして漸く、此処、『ウールムール』の店主ですよ。そしてお隣に負わすは異界の方、ケイタク殿ではありませんか。ようこそ、私の店へ」
「えっ、もしかしてその異界のなんたらっていう噂、もう街に広まってたりします?」
「はい、広まっておりますよ。『異界の若人、大らかな祝祭にて、人々を沸かす』とね」
「あ、あはははは・・・誰がそんな噂を流したんだろうなぁ・・・」
口端を苦く歪めた彼が咄嗟に想起したのは、ひらひらと手を揺らしておどける、自称コーデリアを愛でる会の若き王国兵の二人であった。
老人は続けて問う。
「さてコーデリア様、本日はどのような服をお求めでしょうか?昔通り、宮殿に相応しき華麗なドレスですかな?それとも清廉さと美麗さを調和させた私服でしょうか?」
「あの、実は必要なのは自分で」
「成る程、異界の方がご入用でしたか。それで、何がお求めですかな?」
「自分、今度王都の宮殿の中に入る事になっているのですが、それに相応しい服装が入用なのです。貴族の方々に失礼の無いような服が」
「承知致しました。では此方へどうぞ。段差にはお気をつけを」
老キニーの後に続く慧卓は、振り返ってコーデリアに手を差し伸べる。彼女がそれを掴んだと確かめてから、段差を乗り越えて店内へと入り、彼女の入店を助けた。
御礼の首肯をする彼女に向けて、慧卓は気軽に話しかける。
「王女様、よかったら服を見て回って大丈夫ですよ?」
「えっ?でっ、でも、今日は貴方の服を見に来ただけですから、私も手伝わないといけませんし・・・」
「大丈夫ですって!ちょっと時間が掛かりそうですから、俺の事なんて気にしなくてもいいですよ!それより俺、コーデリア様が着るようなドレスも見たいなーとか思っているんです。買わなくとも、試着とかしてもいいですって!」
「試着・・・分かりました。御好意に甘えさせていただきます」
「では、王女様、奥の方へ御案内しますね」
店の中へと戻ってきたトニアが、ささとコーデリアを案内していく。コーデリアは振り返り、『いいのか』と表情だけで尋ねてきた。慧卓が一つ頷くと可憐な笑みを見せ、トニアに引かれるままに店の奥へと消えて行った。
改めて慧卓は店内を見渡す。汚れ一つ見当たらぬまでに清楚に磨かれた大鏡が壁に掛けられ、フロアもまた埃一つ目立たない。その中央に人数人分の空間を挟みこむように二つの店棚が置かれている。左右に段々と段差を開いたその棚の上には衣服ではなく、その着用に花を添える様々な道具が置かれていた。やれピアスやネックレス、ブレスレット等がそうである。またフロアの片隅には手製の等身大の木人形が威厳のある紳士服や華麗なドレスを召して佇んでおり、その近くには畳まれた衣服を置いた店棚と、厚手のカーテンで仕切られた別のスペースが幾つか備付けられていた。現代でいうマネキンや試着室の走りを此処で見られるとは予想だにしていなかった。慧卓は以外にも先進的な店主の発想に感心の意を抱いていた。
其の時、老キニーが革製の確りとしたメジャーを持って来た。
「では、採寸を取らせていただきます」
「お願いします」
「では先ず胴回りから失礼を」
手馴れた動作でキニーは慧卓にメジャーを押し当て、回し、身体のサイズを測っていく。身長、胴の大きさ、腕の長さ、足の長さ、等々。
「鼻の穴もですか?」
「はい、大切ですから」
本当に必要なのか不可解な部分も幾つか測られたが、それは長年の経験によるものであろうと慧卓は己を納得させた。
「・・・これでよしと。測り終えましたぞ。ではケイタク様、此方に。サイズに似合った服を揃えて御座います故、そちらから気に入ったものをお選び下さいませ」
「はい、分かりました」
キニーに導かれるままに慧卓は店の奥へと消えて行った。
無言のままに数分がさがさと衣服が擦れ合う音が響き、僅かに緊張感のある空気が漂っていた。其の時、再び店前の鈴がちりんと鳴らされた。
「トニア、代わりに出てくれるかな?今手が離せない」
「はーい、只今!じゃぁ王女様、後は此処を通すだけですから、お任せ致しますね」
そそくさとトニアがフロアを駆けていき、入り口の戸を開けた。
「あっ、御客様?いらっしゃいま・・・・・・」
そして彼女は硬直する。目の前に佇む質素な服を纏った二人の男女の顔を知っていたからこそ、その二人が高貴な身分の御方であるからこそ、彼女は再び頭を真っ白にしてしまった。男は問う。
「む?どうかされたかな?」
「いいいいいいい、いえいえいえいえいえ、ようこそいらっしゃいました!華麗な衣服より素朴な真心まで揃える、『ウールムール』への御来店、誠に有難う御座いますっ!!ささっ、どうぞ中へ!」
「うむ、そうさせてもらおう・・・良かったな、バレてないぞ」
「えぇ、そのようです。この変装も案外頼りになります」
トニアに聞こえぬ小さな声で男女が囁きあう。さも年齢差のある恋人同士を演じる二人を後ろ目で見ながらトニアは思う。
(あわわわ、来たぁぁっ!造営官が来ちゃったぁああ!!デート!?アリッサ様とデートなの!?)
狼狽するトニアを横目に『ウールムール』へと来店したアリッサとワーグナーは言い合う。
「ふむ、矢張り『ウールムール』に来たとなれば、あれだな?」
「えぇ、あれですね」
一直線に彼らが向かうのは、試着室の隣に設えられた店棚である。其処に畳まれて置かれていた正装をワーグナーは広げ、端々にまで目を通して感嘆の笑みを漏らす。
「ふふふふっ、矢張りこれは良いっ!これこそが魅惑の仮装、『ウールムール』の真髄よ!流石の腕前だ、キニー」
「・・・これ、このふりふり・・・凄く可愛い」
アリッサはアリッサで、木人形に着せられた、桃色と黄色を組み合わせた御伽噺のような可憐なドレスに目を奪われていた。
「よしっ、ちょっと試着してみるか」
「・・・私も、そうしよっかな」
そそくさと両名は好みの服を掴み取ると、それぞれ別々のスペースへと消えて行った。その様子を見届けてからトニアもまたフロアの奥へと消えてゆく。
幾許も時が経たぬ内に、先にアリッサ等がカーテンを開けて新たな己を御披露目した。ワーグナーが着用しているのは、恰幅のよさを強調した上質の黒い衣服だ。袈裟懸けに質感の良いそれを纏って腰辺りでベルトで締め上げ、その上から鷲の刺繍を施した赤いマントをさらりと羽織っている。元々の威厳のある風体が衣服との相乗効果により、より端然としたものとなっていた。
「ふふふっ・・・素晴らしいぞっ。この二段腹さえも美点となりおったわ!」
「・・・・・・何時かこういうの、もっと着たいなぁ」
対してアリッサが身に着けたのは、可憐さを一字に顕したかの如きドレスである。木人形が召しているような鮮やかな色をしてはいないが、それでも薄らとした桜色がドレスに散りばめまられ、まるで少女の淡い恋心を象徴しているかのようである。項から肩口近くまで露出して、腕の袖口とドレスの端にひらひらをあしらったそれは宮廷で召すような気品ある衣装とはいえず、寧ろ乙女心燻られるようなゴスロリと言った方が正確であろう。
ワーグナーがアリッサの正面に立ち、その衣装をじっとりと見詰める。
「ほぉ?流石は美麗と名高いクウィス殿だ。見事なまでに似合っておる。まるで野に可憐に咲く一輪の「ちょっときつくないですか?」っとぉ!?」
「きゃっ!!」
突然に近寄ってきた声に驚いて、ワーグナーはアリッサを押し込めるような勢いで試着室へと入り込み、カーテンを閉める。息を殺す二人の近くで、店の奥から戻ってきたであろう慧卓らの声が聞こえて来た。
「ふむ。採寸通りの服が合って幸運でしたな。身体に確りとあっていますぞ、ケイタク殿」
「でもそれが逆にきついっていうか...腰周りと足が締め付けられる感じがするんです」
「貴方は元々引き締まった体躯でおられます。肢体を強調する服装を着込めば、『セラム』には見られぬ容姿も合わさって周りと一線を画す、端麗にして堂々たる姿となりましょう。逆に身体を大きく見せるような服を着られては、稚児のような印象を受ける事は逃れません。そうなれば宮殿内では否応にも下に見られます。そうならぬためにも多少の苦労も必要ですぞ」
「・・・俺、其処まで自分の顔が良いとは思ってないんだけどな・・・」
「ふふ、そうですか・・・さて、コーデリア様。そろそろお姿をお見せになっては如何でしょうか?」
キニーの言葉に数秒遅れて、恥じらい気味で消えかけるような言葉が紡がれる。
「・・・でもキニー。やっぱりこれは恥ずかしいです・・・流石にその、皆の前に見せるにはーーー」
「っ!コーデリア!」
「はっ、はい?」
「俺、コーデリアが選んだ服が見たい。どんな風にコーデリアが綺麗になっているか、近くで見てみたい。駄目かな?」
「・・・・・・わかりました」
こつこつと、フロアを靴が叩く音が響く。そして静謐に包まれた空間の中で、コーデリアの透き通った声が伝わった。
「・・・どう、でしょう、か」
「・・・とても綺麗だ。太陽の煌きも、水面の美しさも霞むくらい、凄く綺麗だ」
「・・・・・・そう」
感嘆の言葉を率直に表す慧卓に、コーデリアは満更でもないように喜色を浮かべながら言葉を紡いだ。両者が何を着ているか気になったアリッサとワーグナーは、顔だけをカーテンより覗かせて、思わず二人の姿に見蕩れてしまった。
慧卓が召しているのは、すらりとした外観を更に引き立てるような紳士服である。純白のブレザーのような服には袖口と二の腕近くに赤い曲線が走り、襟を確りと折っている。その内には淡い茶色のカーディガンに純白のシャツ。頸下には凛然とした雰囲気のある赤い宝玉を飾ったネックレスを掛けている。下半身には黒の上質の脚絆に、上等物の革靴。外観だけでいうなれば、これは寧ろ貴族の衣服という代物とはいえず、現代で言う学生服に似たような感じがしている。唯この世界においては貴族が召すような格好、というものであろう。慧卓の体躯にぴったりと適うそれは、正に慧卓の凛々しき魅力を引き立てるのに絶好の得物といえよう。乙女心を燻るような引き締まった雰囲気を、今の慧卓は自然と発していた。
だがそれ以上に目を奪うのは、矢張り何といっても王国随一の美しき少女、コーデリア=マインの衣装である。淡い蒼髪が良く映える純白のドレス。飾り気は少なく、唯着た者の純真な美貌をより引き立てるだけである。否、寧ろ不要な飾りを取り払ったために、コーデリア自身の可憐さと清楚さが前面に押し出される形となっている。きらきらと輝く星空の中ではその白は一際強く衆目を集め、美しさをより絢爛とさせるであろう。そんな思いをさせるまでに見事な造りをしたドレスだ。少々恥ずかしいのかいじらしくも頬を赤く染め、琥珀色の瞳に水気を帯びさせるコーデリアは、正に大陸一の美女に相応しき美麗な姿であった。
故に、アリッサが鼻息をはぁはぁと荒げるのも無理はない。可憐な姿が台無しである。
「はぁ、はぁ、はあっ。素晴らしいっ!流石殿下だ、月も恥らう可憐な姿。あっっっはぁぁ、陶酔してしまうっ」
「・・・アリッサ殿。この世の天使は此処におったのだな・・・。私、年甲斐もなく感動してしまったよ・・・」
「そうでしょうそうでしょうとも!コーデリア様の可憐さは人類の禁忌を越えるレベルですともぉ、っと!?」
「あっ、拙い」
アリッサが息を詰まらせ、ワーグナーもまた硬直する。頭だけを露出させた間抜けな彼らを、フロアの奥から戻ってきたトニアが目敏く見つけてしまったのだ。彼女は一瞬硬直した後、にやけ面でアリッサ等に近付く。
「うおっ、こっちに来おったっ!?詰めろ、ちょっとそっち詰めろ!!」
「ちょっとっ!?そんな押されたら拙いですってっ!はみ出る、身体がはみ出ますって!!」
どたばたと慌てる二人。元々一人分のスペースに二人も、しかも床面積を取る衣装を着ているだけにアリッサの方は幾分か苦しそうである。ワーグナーもまたしかりで、ドレスの裾を踏んづけて転ばないかひやひやとしている。
(すっ、滑るぞっ!このひらひら結構滑るってっっ、うおお!?!?)
「おおおおおおっ!?」「うわあああっ!」
危惧通りにワーグナーは滑り、咄嗟に掴み取ったアリッサの腕を引っ張る。哀れアリッサは抵抗の術無く態勢を崩し、間抜けな二人はカーテンを割って床へ転げた。
『あっ』
皆が皆、呆気に取られた声を出し、暫し目を合わせて硬直する。そして戸惑い声で慧卓が声をかけた。
「・・・アリッサさんに、ワーグナー造営官?」
「こっ、こんにちは・・・ケイタク殿、それに、殿下?」
「は、ははは、本日はお日柄もよく・・・」
「・・・店主」
「はい、此方に」
目を据わらせたコーデリアが厳かに命を下し、キニーはそれに合わせて一つの細長い木箱を何処からか取り出し、蓋を開けて差し出す。コーデリアが其処から掴み取ったのは、乗馬用の細い鞭であった。
「貴方達、跪きなさい」
(・・・結構似合ってるな)
(アリッサ御姉様、なんて可憐な瞳・・・今夜はこれね)
慧卓は他人行儀で感心しながら、トニアは怯える美女の姿に心ときめかせて、その悲惨な成行きを見守っていった。風情ある老舗の中から二つ、野蛮な悲鳴が木霊した。
天気、雲疎らなれど晴天也。気分、馬酔いしないで結構気楽。だが緊張。身体の前面から感じる小さくも温かな女性の香りと、顔に背筋にひしりひしりと注がれる嫉妬と怨嗟が入り混じった視線に。
様々な催しを通した後、慧卓は漸くにして『ロプスマ』の街から外へと出でて、コーデリアと同じ馬を共にする形で行軍をしている。数日の間に起きた様々な出来事を経て仲が友人のレベルに達したとはいえど、同じ馬に乗って行軍するというのは正直予想外だ。自転車ニケツすら経験していない慧卓にとっては、胸がどぎまぎしてならぬ代物である。
だが変われるものならば変わって欲しいといえば即座に志願者が殺到するのが、この雰囲気だ。後背から注がれる兵士達の視線など、最早殺気が篭るレベルである。
「仲良いよな、あいつと王女様」
「そうだな、祭りの後から一気に距離が縮まった気がするぜ・・・結構進歩してるよな?王女様の後ろに乗るだなんて」
「・・・ごめん、ミシェル。もう一回言ってくれ」
「?王女様の後ろに乗る、だけど」
「・・・・・・ふぅ」
「どうして賢者みたいな面構えをしているんだよ!!」
諍いを始める二人の兵士を横目に、馬に揺れるアリッサは心底羨ましそうな視線を慧卓に注ぎつつも、一方で自重の精神を抱いていた。流石に尾行はやり過ぎたといったところである。
(暫くは、王女様の御愛好を控えるか・・・)
しかし、それでも愛の心を抱き続けるのが忠義の騎士である。彼女にとって、それを言葉に出せるような立場で無いのが口惜しい。
(それにしても、私を踏みつけるときの顔といったら・・・)
「可愛かったなぁ・・・コーデリア王女」
アリッサが心底同意しそうな言葉を、『ロプスマ』の造営官の館にて、ワーグナーが漏らした。立派な机に頬をつけながらぶつぶつと言う。
「誰か此の私の気持ちを解せる理解者はおらんだろうか?」
「はいはい、分かっていますから、さっさとこれに目を通して下さい」
財務官のジョンソンがどさっと、ワーグナーの顔の近くに書類の束を落した。財務報告に治安報告、それの加えて市民からの陳情書等、読まなければならぬものが大量にある。
「・・・なぁジョンソン」
「なんですか?」
「実は此処に王女殿下の似顔絵があるのだが、見たいか?」
机の下からひらひらと、ワーグナーは一枚の紙切れを取り出した。くすんだ褐色のそれに、黒インクが卵のような形をして染み込んでいるのが裏から見える。
「あ、貴方という人は!!誰に書かせたんですか!?」
「息子だ。将来大成するぞ」
「・・・はぁぁぁ、絶対将来に碌でもない方向に成功しますって・・・・・・見せてください」
「よしきたっ!!破かないように注意しろよ!では私はこれにてーーー」
「あぁ、これ追加の分です。昼餉の時にまた別の分を持ってきますから、それまで此処でやっておいて下さい。私はこれを見てますから」
そういうなり新たな書類の束をどさりと積み上げる。それを睨み据えて硬直するワーグナーを他所に、ジョンソンは己の執務室へと消えて行った。残されたワーグナーは力尽きたように顔を机に貼り付けてごちる。
「・・・・・・欝だ」
「・・・上手いな、この絵」
ジョンソンが執務室の机に広げたその絵は、果たして羞恥を覚えながらも華のような可憐な笑みを見せる、コーデリアを美しく描いていた。
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