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王道を走れば:幻想にて

作者:Duegion
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第一章、その2:三者仲良く...

 
前書き
タイトル変更:その3→その2 

 
 黒革の天上を貼り付けた大地、『セラム』。この世界の夜は常に危険な静謐さで満たされている。それには二つの原因が存在している、人と獣だ。
 人は夜闇を好み悪事を働く。昼間において大っぴらに謀を巡らせ、或いは手癖の悪さを発揮する事は如何せん人目に付くのである。太陽の燦燦とした光に陰惨な表情は似合わず、まして他者の油断を突く様にその懐に手を忍び込ませるのは断じて許される事ではない。そこで誰が考えたか知らないが、夜闇の中に紛れて悪事を巡らせる事が流行りだした。この中であれば、顔の陰影ははっきりとはせず、音を出さぬよう気をつければ不道徳な手付きを見られずに済むというもの。最も、それを見越して闇の到来を待つ者もまた、世間には確実にいるのだが。
 そして獣は夜闇の中で飢えを凌ぐ。人間の世界以上に、獣の世界は世知辛く、そして合理的なのだ。明るみに己を顕す事は、即ち天敵に己の姿を視認させるも同じ。逆も然り。また、太陽の熱線を浴びれば不用意に水分と体力を消耗し、気が付けば碌に歩けなくなる有様。まるで己を食べて下さいともいうべき、無用心な姿である事は間違い無い。よってこれらの獣は己の活動時間を逆転させる事を是とした。即ち、夜の冷え込みに己を曝して体温の消耗を防ぎ、闇のベールに己を潜めて獲物を狙う。彼らに共通するは唯一つ、生き残るという事なのだ。
 この大きな闇の中では、万物を平等に一つの事象の如く見下す神の叡智も、或いは『セラム』にて産み落とされた人知の叡智の結晶も、等しく無意味なものとなってしまう。唯徒に、泰然とした現実を前にして意気を落とし、壊されていってしまう。
 そして壊されるものの中には、当然として人の希望や、期待も含まれていた。
 天上より降り注ぐ闇の中にひっそりと佇む森林にて、アリッサはがくりと項垂れて落胆する。地面に突き刺された人智の結晶、『召還の器』からは、本来ならば『豪刃の羆』と謳われ畏敬の念を集めた、クマと呼ばれる猛者が顕れる筈であった。其の者は大男の体躯ほどの大剣を手に取り、戦地を歩む度に人の身体を文字通りに切り裂き、叩き潰す、今生屈指の猛者として名高き戦士。『セラム』に生きる者ならば、其の名を知らぬものは居ないと言うほどの猛者。召喚すれば、この一つの危機を打開するのはいとも容易いことであろう。そのような期待を抱きつつ、アリッサは召喚に臨んだのだ。
 而して現実はどうであろう。顕現した者は、体躯こそ非常にがっしりとしたものである。かなり鍛え抜かれているのであろう、首周りは太く、足は丸太のように太い。胸板も非常にがっしりとしている。が、其の者は高名な戦士の衣装とは程遠い、紅の妙に扇情的な女性用の衣装に身を包んでおり、終いには美麗な薄化粧を張っている。

(コレはなんなのだ......?)

 目の前に生きる大きな人間が理解できない。がたいからして男なのだが、目付きが妙に女くさい。くりくりと瞳を丸めて周囲を窺う姿など、まるで少女の如き無垢な姿である。思わず胸中に吐き気が生じる。 加えてその男の背には、何処か甚振られた様子である青年が一人おぶられているではないか。見た事もない造りをした、白い上着に青の脚絆を履いており、こちらも同様に現状が理解出来ないでいるのか、周囲に聳え立つ木々を見て瞠目していた。
 アリッサの胸中の落胆はますます色濃くなり、彼女の柳眉が情けなく八の字を描いていく。
 
 (これは...主神から下された私への罪なのか...畏れ多くも殿下の所有物に勝手な狼藉を働いた、私への罪なのか...)

 思い余って殿下の所有物を地面に串刺したのが、そんなに悪い事だったとは。その所有物に秘められた神聖なる力を横合いより濫用した事が、そんなに悪い事だったとは。胸に宿る負の感情が新たな負の感情を呼び、彼女の心を締め付けていく。

「........あらぁ、此処ってどこかしら?」」

 其処でこんな暢気な言葉を漏らされては、アリッサでなくてもぷつりと来てしまう。心に芽生えた苛立ちを吐き出すように、アリッサは小さな声で呟いた。

「......ケダモノって、こういう意味じゃない...」
「おいてめぇぇ!?今ケダモノっつったかぁぁ!?!?!?」
「ひぃ!?」「うげっ!!」

 突如として面妖な風体をした者がアリッサに迫る。其の背におぶさっていた青年、御条慧卓は勢いについていけず、地面に無様に投げ落され、腹を抑えて呻き始めた。そして面妖な者、熊美はその一見無垢な中年の面構えを、烈火の如き憤怒を持った般若のそれへと変容させ、鬼気迫った様子で捲し立てた。

「私はなぁ、人に言われて腹が立つ事が三つあるんだよぉ!!一つは忘恩の輩、一つはオカマ、もう一つはケダモノだぁぁ!!」
「すっ、すみませんでしたぁ!!謝りますっ、ごめんなさい、ごめんなさいっ!!」
「いいかぁ!?私はなぁ、漢でもあり、漢女なんだっ!今度間違ってケダモノ呼ばわりしたらてめぇの頭を粉砕してやるからな!!!!」
「はひぃいい、もう間違えませんっ!!!」

 眼前に迫った般若の容貌のその恐ろしさといったら、大地を攫う海の波濤も、笑顔で怒る母の形相もいたく小さなものとなってしまう。アリッサは思わず涙目となり、言葉を噛みながらも必死に謝罪する。常の凛とした涼やかな声に情けなさが混じり、熊美の蛮声と混じって木々の間を駆け抜けた。熊美は暫く無言のまま彼女を睨んでいたが、やがて己の背中から消えた重みに気付いたのか、地面で腹を押さえて蹲る慧卓を見遣り、心配げに声を掛けた。

「大丈夫かしら、坊や?」
「んな訳ねぇだろぉがぁっ、諸に腹に響いたわこん畜生めっ!!」
「あらあら、意外とタフなのね。安心したわ。」

 朗らかな笑みを一つ浮かべた後、熊美は般若のものではない真剣な眼差しをしてアリッサを見据えた。アリッサもまた目端に浮いた涙を払い、熊美を見返す。

「で、私をいきなり呼びつけるなんてどういう事かしら?ここは『セラム』なんでしょう?あっ、私熊美っていうんだけど、貴女は?」
「私は...私はマイン王国の近衛騎士、アリッサ=クウィスだ。前国王陛下が頼りに成った、『豪刃の羆』と呼ばれた屈指の武臣を、この髪飾りで呼んだ筈なのだが、貴方がそうなのか?」
「...全く、あの色ボケ爺ったら、とっくにくたばっていたのね。大事な時に使えって言ったのに」

 懐かしむような瞳に寂寥の色を浮かべて熊美は一つ息を零す。アリッサは熊美がぽつりと零したその言葉に思わず瞠目せざるを得なかった。大陸に君臨する二大国家の一つ、マイン王国の前国王をボケ爺と呼び捨てた熊美の不遜な言葉は、彼女が想像だにしない言葉であったからだ。王国内でそのような呼び名を吐いてしまえば、『不敬罪』で牢屋行きになってもおかしくないと言うのに。

「確かにそうよ。私は王国の前国王、ヨーゼフ=マインに仕えていた一戦士だったわ」
「...信じ難いな。無論貴方は武臣に相応しき立派な体躯はしておられるようだが、その、容貌が、な...」

 アリッサが戸惑うように熊美の顔を見詰めた。確かに武臣が持つような顔ではないと思い熊美は苦笑いで応える。

「まぁ初めて会ったらそう思うわよね。昔は野性味溢れる立派な好漢だったから、私。あの頃はやんちゃだったわぁ。斬りかかる敵を斬り捨ては殴り、斬り捨ては殴り「おーい、なんか燃えてるぞ」...って燃えてる?」

 ふと、後方から掛けられた声に熊美は怪訝な表情で振り返った。先程まで蹲っていた慧卓が何時の間にか起き上がっており、木々の間に向かって指を差している。彼の指差す方向には、まるで人魂のように明るい点々が揺らめき、場違いな赤い光を宿していた。そう、まるで火の玉のように。

「ほら、なんか木々の間から「伏せろ!!!!」っ!?」「ふんっ!!」

 木々の間から皓々とした赤点が飛来する。瞬間、アリッサは慧卓を地面に押し倒し、静謐の森林を襲う高調子の波から身を避けた。樹木の幾つかにその波が鋭く突き立ち、火花を散らす音が聞こえ始める。
 熊美はというと、木陰に隠れながら飛来した点の一つを掴み取っていた。熊美が掴み取ったもの、それは鏃に炎を燈した火矢であった。鏑の孔の部分に油紙を詰めて火を点けており、まるで鏃自体が燃え盛っているかのように火を噴いている。だが熊美は矢の半ばを掴んでいる事により、事無きを得ているのだ。瞬きの間に幾間もの距離を飛来するそれを掴むその技は、常人が為し得る技ではなかった。

「...大体事情が飲み込めたわ。追われてるって事ね?」
「...矢を素手で掴むとは...矢張り、貴方は本物であるらしい。先程の無礼をお許しください、クマ殿。そして重ねて申し訳ありませんが、来訪して早々貴方を頼る事に成ります。本来なら私とクマ殿、二人力を合わせて敵に当たる筈だったのですが...」
「おいっ、無理矢理俺を連れて来て足手まとい呼ばわりか!?確かに今の俺の状態じゃそうだけど、貴女がそれを言うか!?」
「...すまん、この通りだ」

 押し倒された状態で怒声を放つ慧卓に、申し訳無さそうにアリッサは頭を下げた。慧卓は怒りを表情に顕にしながらも、それを前面に出さずに取り繕う。押し倒したアリッサから離れようと起き上がりつつ、彼は言う。

「...納得できませんよ、いきなり頭を下げられても!」
「怒るのは後よ、慧卓君。今私達は命の危機に瀕しているんだから」
「はっ、危機ですって、熊美さん!?あんなの、どうせ唯の玩具だーーー」

 瞬間、火矢の第二斉射が木々の間を駆け抜けた。顔を上げかけた慧卓の顔の直ぐ横、樹木のごつごつとした樹皮に火矢が突き刺さった。矢がぷるぷると震えて、火がもやもやと揺れる。突然、眼前に出現した威圧的な炎を目にして慧卓は瞠目し、急に生真面目な表情をして再びアリッサに顔を寄せた。

「如何なさいます、お姉様」
「あ、ああ、そうだな...(こいつ、環境に対する適応力が凄まじいな)。豪傑として腕を鳴らしたクマ殿が先陣を切って敵を強襲。察するに、君は何かしら武術を修めている様子でもない。なればその郷愁の隙に私が君と共に教会の下に在る地下道を通じて此処を離れ、近隣の村へと逃げ込もう。流石に賊徒共も兵士が詰める村までは追ってはこないさ」
「概要は分かったわ。私は何時まで戦えばいいかしら?」
「僅かの間で構いません。私達が教会に逃げ込んで幾許か経ったら、頃合を見てクマ殿は教会右方へとお逃げ下さい、別の入り口があります。墓地に備えられた井戸の横です」
「死者の寝台に生者の逃げ道を作るとはね、中々欲深いじゃない」

 熊美のからかうような口振りに、アリッサは複雑な表情を浮かべた。
 其の時、教会側の方向より迫り来る幾つかの野蛮な声を耳にする。目を凝らして態々確認せずとも見当がつく。その野蛮な声色は紛れもない害意と、剥き出しの戦意が易々と滲んで出ている。殺意を持って此方に火矢を放った者達だ。枯葉と折れ木の絨毯を踏み躙り、一歩一歩、己が見定めた獲物へと近付いていく。

「じゃぁ、そろそろ行ってくるわね。幸運を、アリッサちゃん」
「ちゃっ、ちゃん付けは止めて下さい!...御武運を、豪刃殿っ!!」

 熊美は単純な男女の境を越えて共通する、頼りげのある精悍な笑みを浮かべ、身を低く屈めて草むらの茂みに己を隠しながら、野蛮な者達へと向かっていった。
 それを確認した後にアリッサは慧卓に声を掛けて起き上がる。髪飾りを回収するのも忘れない。

「さっ、行くぞ少年」
「...いきなり連れて来られて頭こんがらがって良く分かりませんが、宜しく頼みます、アリッサさん。俺は、御条慧卓っていいます」
「みじ...?すまん、名前はどっちだ?」
「ケイタクです」
「分かった、ケイタク殿。確りついて来いよ...」

 一つ深く息を吸い込み、心を和らげるように吐き出す。アリッサは身を前に乗り出して、自然体に両手を垂らす。彼女の常の走駆の態勢だ。

「結構速いからなっっ!!!」

 裂帛の如き一声を合図に、両者は一気に疾駆し始めた。アリッサが鬱蒼とした木々の中を駆け巡り、慧卓を先導する。疾風の如き走りに合わせて、地面にばらばらと撒かれている枯葉の絨毯が強く踏みつけられ、風が靡くようにふわりと宙に浮かされる。アリッサは野蛮な者達を回避するために、大きく回り込むように道なき道を走っていき、それを慧卓が必死に追従していく。慧卓自身『セラム』においてでも充分軽装な部類に値する服装を纏っており、そしてその華奢な華奢な体躯に似合わず平均以上の身体能力をクラス内では誇っていたのだが、長年重装鎧を着けて鍛錬を怠らなかったアリッサの疾駆には付いて行くのがやっとの程であった。己の脚力を自慢するようにアリッサが声を掛ける。

「どうだっ、中々私も鍛えているだろう!?」
「もしかして、熊美さんに対抗心抱いていたんですか!?」
「当たり前だ!!生ける伝説を眼前にして、騎士として対抗心と向上心を抱かずしてどうする!!コーデリア様がどこぞの馬の骨に目移りしないよう、私はもっと研鑽を積んでーーー」
「アリッサさん、弓矢っ!!」「っ!!」

 二人の心臓を追い縋るように木々の間を駆け抜ける高調子が鳴り響き、今し方二人が駆け抜けた場所を鋭く通過していく。まで弓矢で狙われている。その事実に思わず歯噛みして、アリッサは鋭く声を漏らした。

「何故だっ、ちゃんと死角に入り込んでいる筈なのに!!」
『いたぞ、あれだ!!あの白いやつを狙え!!』
『狙ええぇ、どんどん射れぇ!!!』
「「......」」

 白いやつ。慧卓は走りながら自分の服装をまじまじと見詰める。白く、清潔な感じが似合うポロシャツだ。ちなみに一着で¥3000である。

(あぁ、今日はそういえば白のポロシャツだったなぁ。じゃぁ白いのって俺か)

 彼が顔を上げると、疾駆を続けながらも呆然とした様子のアリッサと目が合う。後方を振り返りながらも全く木にぶつかる様子がないのは、流石異界の騎士といったところか。アリッサは新緑のような綺麗な瞳を怒らせて罵声を放つ。 

「おっ、お前ぇぇ、なんで白い服なんて着ているんだ!!バレバレじゃないか、駄目駄目じゃないか!!!」
「やかましいわっ!なんで人のファッションまで駄目だしされなきゃいけないんだ、アリッサこの野朗!!」

 互いを心のままに罵倒しながら両者は木々の間をより速く駆け抜けていく。その二人を追い掛けるように、野蛮な者達が己の弓矢で以ってこれを仕留めんとひうと矢を次々と放っていく。幾本は樹木の厚さに阻まれて突き刺さり、葉を何枚も貫きながら当てずっぽうに森林の中へと消えていく。而して幾本は着実にアリッサ達の後を捉え、彼女達の足跡を射抜くように夜闇を駆け抜けていった。

「さっきより狙いが正確になったじゃないか!!なんて事をしてくれたんだ、お前はぁ!!」
「そんなに俺の服のセンスを罵倒したいのか!?夏なんだから清潔感出したっていいじゃないか!?」

 更に互いを罵倒し合おうとした瞬間、鬱蒼とした森林に立ち込める陰鬱感を払うように、闇の中を突き抜ける一際大きな雄叫びが鳴り響き、直後、悲惨な悲鳴が木霊していく。

『アオオオオオオオオオオオっっっっ!!!!!!』
『ぎゃあああああああああっ!!!!』
『ひいいっ、熊がぁあっ、熊があいつの尻をおおおお!?』
『は、速すぎるっ、くっ、くるなあああああああ!!!!!!』

 悲鳴の連続を皮切りに、木々の間を駆け抜ける弓矢はついぞ消えて失せた。アリッサ達の走駆を引き止めようとする者達の声一つ響かない。熊美が野蛮な者達をもう制圧したのであろうか。

「流石はクマ殿...!荒ぶる羆の伝承は本物だったのか!!」
「......尻って、なに?」

 背筋を悪寒で震わせ、慧卓はアリッサの方へと向き直った。
 二人の足は既に森林の絨毯を越えて、教会の外縁部に辿り着いていた。獣避けの柵を越えて、敷地内へと足を踏み入れる。入って直ぐに敷き詰められた小さな庭園、小さなポピーの花が色鮮やかに咲いていた、を急ぎ駆け抜ける。古びれた木の扉を開けると、其処は教会の聖堂であった。広々とした聖堂内には多くの椅子が何列も陳列していたが、何年も使用されていないのかすっかりと埃を被っており、床にも薄ら灰色の埃の塊が転がっている。本来の入り口である大扉は風化に堪え切れず、扉の表面には皹が幾本も入っていた。聖壇の方向に顔を向ければ、其処にあるべき筈の清廉な参列者を祝福するように大きく手を広げられた聖像が悠々と聳え立っていた。像の高さは人二人分といったところか。如何にも為政者らしい厳粛な顔付きの男であるが、其の顔には似合わずゆったりとした司祭服を纏っている。為政者にして聖者。政治と宗教。現代の価値観から見ればその男は矛盾の存在と同列に見えていたが、男の神聖さを強調するように煌びやかなステンドグラスが像の背部に飾られていた。きらきらと夜光に光るそれは、黄色の樫の花であった。
 その美麗な風景に目も遣らず、アリッサは急いで聖壇の下へと駆け寄っており、慧卓も慌てて彼女の後を追う。椅子の列が途切れると三段ほどの階段があり、その正面に厳粛な風体をした聖壇が置かれている。階段から壇の下方には赤い絨毯が敷かれていた。アリッサが身を屈め、何かを探るように絨毯に手を這わせた。そして彼女は、立った状態では見つけ難いほど小さな出っ張りを指で掴む。

「此処だ、ケイタク殿。頭を気をつけーーー」
『ガツンッ』
「あたあああっ!?」「...すまん、遅かった」

 出っ張りを引き上げた瞬間、絨毯の下から長いレバーが伸びて慧卓の頭部を直撃した。悲鳴を漏らした慧卓に詫びを入れ、アリッサはレバーを引き倒す。其の瞬間、聖壇へと繋がる階段が陥没し、聖壇がずずずと重苦しい音を立てながら巨像の方へ後退する。其処に現れたのは、薄暗闇を纏い下方へと続く新たな階段であった。大人一人、身を屈めずとも入れそうな大きさである。

「此処だ」

 一つ声を掛けてアリッサが先導して中へと降りて行く。慧卓は頭を何度か擦りながらも彼女の追従していく。聖壇の下にあったのは石造りの階段であった。明るみの源一つ無く、不安げに足元を確かめながら降りていく慧卓に対して、アリッサの方は迷い無く降りていっている。かつかつと鉄靴とバンズが石段を踏み鳴らす音が、狭苦しい階段の中に響き、慧卓の不安を煽るように反響していく。空間に蔓延る冷たい空気もまた一入である。
 段々と階段を降りて行くと、途中からその冷たい足音が反響しなくなり、変わりに柔かな感触を靴底に感じた。同時に下方へと降りていく感触が無くなり、靴の爪先にも柔らかな感触を感じた。明るみがほとんど無い為視認できないが、どうやら土であるらしい。そして階段が一本道へと切り替わっている事も確かなようだ。アリッサの駆け音が先の方角から壁の中を反響しながら聞こえてくる。慧卓はただ地下道を真っ直ぐに走っていく。
 更に数分を掛けて闇の中を進むと、ふと小さな灯火が遠方より近付いていくのが見えた。それは一本道の壁の燭台に掲げられた松明であり、その麓にアリッサが此方を見やって待機していた。彼女は慧卓が近付いてい来るのを確認すると燭台から松明を取り、再び小走りに通路を先導していく。松明に燈す明るい赤火が、暗闇が支配する道を照らしていた。二人は無言のまま地下道を疾駆する。
 暫く走っているうちに、ふと慧卓が腹部に強い違和感を覚えて鈍い声を漏らした。

「っ、いっつぅ...」
「どうした?あっ、やっぱり頭は結構痛かったか?すまない...」
「そうじゃなくてですね、こっち来る前に怪我をしてて...」
「!見せてみろ」

 通り掛かった三寸路にて二人は一度止まる。丁度三方から道が合流しているだけに、この部分だけ幅広に道が広がっていた。三寸路の一方は奥地、山中へと通じる道だろう。もう片方は墓地より通じる逃げ道か。
 壁に寄り掛かった慧卓の服を上げてアリッサは松明の明るみを頼りに彼の腹部を観察する。僅かに割れた腹筋に、紫がかった痣が斑点のように広がっていた。それに指をやって感触を確かめると、慧卓が苦痛を口から漏らしかけた。暴漢らの暴行は、それ相応に彼に傷を与えていたようだ。

「...酷いな」
「えぇ、そう思うでしょーーー」
「肋骨に皹が入っている。今治療しないと後に響くな」
「はいぃいい!?!?アッッ、いたたたたっ、なんか意識し始めたら急に痛み始めてきたっ!」
「まっ、待て待て!!今ポーションを飲ませてやるから!!」

 突如として思い出したように苦しみだした慧卓に慌てて、アリッサはスカートの内側に隠されたベルトより小さな薬瓶を取り出した。中には透明な液体が入っている。

「即効性の回復効果のあるポーションだ。肋骨の皹程度なら直ぐに治る。さぁ...」
「どうもっ...んん!?げほっげほっ、にげぇぇぇ!?」
「良薬口に苦しだ。我慢しろ」

 味覚を襲う強烈な苦味。後年彼が言うには、『焼き焦がして数年海岸沿いのゴミ箱で放置したソーセージ』との事だ。誰だそんなものを食べるのであろうか。
 顔を歪めながら慧卓はそれを飲もうとするも、矢張りその苦味に悩まされて、弱音を零した。

「うえぇぇっ...味きつ過ぎて飲めないってこれ。もっとマシな味をーーー」
「さっさと飲まんか!!!!」
「んぐっっっっ!?!?!?」

 痺れを切らしたアリッサが無理矢理薬瓶の口を彼に咥えさせ、中身を注いでいく。咥内に蔓延していく劇毒に目を思いっきり瞠目して慧卓は声無き悲鳴を漏らしていく。そして遂に諦めたのか、表情を大いに歪めながら慧卓は中身を嚥下していく。その最後の一滴を喉の奥へと押し通すと、慧卓は薬瓶から口を離して大きく咳き込んだ。

「げほっ、がはっ!これで本当に治るんですか?」
「痣を見てみろ」

 慧卓は疑わしげに己の服を捲って腹部を見遣り、そして驚く。先程まで痛々しげに広がっていた青痣が完全に無くなっている。指を遣って押してみても、其の部分から痛みが感じる事は無い。この最低な味をした液体状の薬により、彼の傷は治癒されていた。

「おおおっ、おおおお!!!!...ん?」

 慧卓は僅かに違和感を感じて腹部を擦る。アリッサは己の変化に戸惑いを隠せていない慧卓を見て笑みを零し、声を掛けた。

「なっ?治っただろ?」
「俺ってこんなに腹筋割れてたか?」
「えぇぇぇ...」

 それは腹筋が割れているとはいわない、肋骨が浮き上がっているだけである。彼の現代の友人ならば必ずそう言葉を漏らすであろう。普段から精の出る食品や身体に肉をつける食品を食べておらず、それに反比例して活発に動き回っているためか妙に体躯が引き締まり、結果として肋骨が強調されているだけなのだ。無論アリッサとて一騎士の端くれ。そんな事実など華奢な体躯を触ったその一瞬で見抜いていたが、而して今は逃走中である。突っ込みたくなる心を抑えて立ち上がり、山中へと続く道へと向き直った。

「さっ、気を取り直して、再び地下道を走るとしようぞ」
「そうですね、これなら俺も大丈夫です」
「そうか。では、ケイタク殿...」
「はいっ、アリッサさん!」
『走るぞ|(走りましょうっ)!!!』

 意気を旺盛にした二人が駆け出した瞬間、地下道の天上から鉄柵がガシャンと勢い良く降り注ぎ、一瞬にして二人を包囲した。罠である。
 気まずい沈黙が立ち込めて、二人は硬直する。慧卓は己の足元を見やって、沈黙を耐えようとしていた。居た堪れない沈黙から発した硬直から回復したアリッサが鉄柵を力強く揺らしてみるが、鉄柵はびくともせずに金属音を鳴らすだけである。地下道内に、鉄が揺らされる無機質な音が冷ややかに反響した。

「......」
「...待て待て待て待て、アリッサ落ち着いて。親衛隊の騎士がこんな簡単に捕まっていいの?」
「ごめん、なんか罠のスイッチっぽいの踏んだっぽい」
「えっ、あ、そうなの...」

 思わずアリッサは素の言葉を漏らしてしまう。だが今更怒る気にもなれず、アリッサが慧卓に目を遣って再び沈黙を抱く。かくいう慧卓も無表情のままに彼女を見返した。二人は無言のまま見詰め合う。冷たい空気が熱気を帯びた身体を纏い、汗の冷たさを自覚させていく。
 沈黙を掻き消すように、妙に溌剌とした声で慧卓が言った。

「此処は我慢です!!」
「...我慢だな?」
「えぇ、そうです!直に熊美さんが駆けつけてくれます!其の時にあの人に鉄柵を破壊してもらいましょう!これぞ『プランB(BRAKE)』!」

 自身有り気に他人を頼る姿に何も言えず、アリッサは微妙な表情で唯頷くより他なかった。
 其の時、つんざめくような蛮声が三寸路の一方から聞こえて来た。墓地の方角からだ。

『NOおおおおおオオおおおおおおおっっっっっっ!!!!!!!!』

 三寸路の一方からまるで猪のような猛烈とした勢いで熊身が爆走して来た。熊美はその勢いを殺しきれずに壁に勢い良く衝突し、同時に叫び声が途切れる。情けなく大の字に両手を広げた、人の形をした等身大の穴が出来上がった。アリッサが呆然としてその穴を見詰める。
 熊美は穴に身体を植え込みながらも、顔だけを其処から引っこ抜き、晴れ晴れとした表情で慧卓達を見遣った。美麗であった薄化粧が土に塗れて剥がれ落ち、汗の粒が化粧の仮面を拭い落としている。

「はっ、ハァィ、二人とも」
「ほらっ、プランB!!」

 己の考えの正しさを強調するように、鷹揚に慧卓が頷いた。
 その慧卓の意気を挫かんと、三寸路の三方全てから大勢の野蛮な者達が現れていき、瞬く間に包囲陣を完成させていった。誰の手にも無骨な剣や弓矢が握られており、また明るみを生み出すために松明を掲げていた。男達の幾人かは妙に痛々しげに尻を抑えており、まるで親の敵でも見るかのような憎憎しい目付きで熊美を睨んでいた。

「動くなよっ、カマ野朗!!」
「だからオカマじゃないって言ってんだろっっっ!!!!!!!!!!!!!」
「ひいいいっ!!!牙を剥かないで下さい、お願いします!!!!」

 再び般若の表情を浮かべた熊美に男の一人が泣きそうになりながら慇懃に命令する。目の前に広がる混沌とした、理不尽な現状にアリッサは情けなく口をあんぐりと開けるままだ。慧卓は何度か瞬きをして投やりに言う。

「.........プランCとかあります?」
「えぇっ?持ってるわけないでしょう...?」
「ちぇっ」

 ほんの一瞬素の自分を出したアリッサに気付く事鳴く、慧卓は力無く舌を鳴らした。ほんのりと明るい地下道の中、嫌に舌打ちが反響したように感じた。


 
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