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王道を走れば:幻想にて

作者:Duegion
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第一章、その5:門の正しい壊し方

 慧卓が足早に地下牢を出でてから数分、熊美は何をするわけでもなく、壁に寄り掛かりながらじっとその場で目を伏せて待機していた。今から為す事の騒々しさを考慮すれば、彼には遠くへ行ってもらわねばならいからだ。さもなくば、駆けつけてくる賊徒達の視界に入って敢無く御用という事も考えられる。

(さて、あの子はもう遠くへ行ったかしらね?)

 熊美は目を開いて、鉄格子の反対側の壁の前に立つ。その凸凹とした土壁を触って感触を確かめる。ひんやりとして、ざらざらとした土の感触だ。ちょっとやそっとの震動では崩れないであろう。 

(久しぶりに、弩派手なのを打ちますかね...)

 熊美は己の骨肉を解すように肩を鳴らし、手首足首を回す。小気味の良い音が響く。肩を何度か回して身体の具合を確かめると、熊美は半身を開いて右手を己の腰に当てて、左手を土壁にそっと添える。さらりと紅のドレスが靡いて、筋骨逞しい両脚が覗かれた。 

「すーーーーーーっ、こぉぉぉぉぉぉ......」

 深く深呼吸をして己の心を溶かしていく。頭の中に蔓延していた意識が溶解していき、まるで無色の海が広がっていくように、彼女の頭の中を澄み渡らせていく。塵屑のように散らばっていた雑念が払いのけられていき、どきどきと鳴り響く心臓の鼓動が熊美の身体を支配していく。
 これより行う事に、雑念も意識も無用の長物である。ただ己の心を体躯に溶かし、その脈動の赴くままに気を放つのみ。色褪せて消えて行った雑念の中で、その思いだけが虚心の身体を昂ぶらせていった。体躯には一分たりとも無用な力が込められておらず、熊美はただ自然体に凛として構えを作っている。左手の指先に感じる土の冷たさを過敏に感じ、身体の中を這い巡る血流の熱を感じる。心が体に溶けて、技に魂を宿らせていく。其の姿は、当に古今東西の戦士があるべき、泰然自若とした達人の構えであった。

 瞬間、熊美はくわっと瞠目し、全身全霊を込めて足を踏ん張り、腰を捻り、左手に拳を作り上げて壁に打ち込んだ。

「っっらぁぁああああ!!!!!!!」

 裂帛の一声に続き、爆発したかのような破砕音が鳴り響いてその一声に被さる。悠々と己を誇っていた土壁が、槌が打ち付けられたかのように大きく皹を入れて破砕して粉塵を生み出し、砕け散った破片が牢屋の中へと転がり込む。地面を転がった破片が白骨に当たり、人の形を保っていた頭蓋をぽろりと零した。
 震動が収まり、立ち込めていた煙が晴れ渡っていく。熊美が未だ形を残してた土壁を蹴りつけると、ぼろぼろと壁が崩れ落ちて壁の意味を失くしている。人一人が自由に入れそうなほどの大きな穴が出来上がった。其処から顔を覗かせれば、下方には嵐に削り取られたかのように聳える奈落の崖が見え、上方にはほぼ直角に近いほどの急斜面を背中として屹立している砦の姿が見えた。普通の人間であれば背部からの襲来は不可能な地形。成程、この砦は確かに難攻不落の要害であるらしい。普通の人間であれば、の話だが。

「ふん、この程度で、私は妨げられないわよ」

 熊美は獰猛な笑みを浮かべるなり、大きく開いた穴より身体を出して、断崖に所々に生えている岩の出っ張り掴み、一気に外に出ていく。

「よっと!!」

 僅かな浮遊感を覚え、ついで靴底に確りと岩のごつごつとした硬さを感じた。両手で確りと岩の出っ張りを掴み、崖に足を着けている状態だ。熊美は聳え立つ絶壁の頂上に向かって、まるでフリークライミングの要領で一気に登り始める。岩の出っ張りも窪みも利用して手で掴み、足先を嵌め込み、身体をどんどんと持ち上げていく。その意気旺盛な瞳の中、砦の姿は全く揺らぐ事は無かった。


 さて、時は僅かに遡る。
 熊美の救出の対象となっているアリッサといえば、冷徹な地下牢より連行された後、奇妙な歓待を受けて戸惑っていた。場所は砦内で設けられた一際大きい大広間。壇のように僅かに出っ張った岩に追い遣られ、その彼女の周りを山賊達が輪をなして取り囲んでいた。彼らの瞳には、無邪気な尊敬と喜びの色が現れていた。それを猪面の山賊が苦虫を噛み潰すかのような表情で見下す。
 
『クウィス様、クウィス男爵様!!!』
『見ろよ、あの方と目元が瓜二つだぜ!!きっと剣の腕も継いでいるに違いないさ!!』
『あぁ、それに飛びっきりの美人だぜ!!もう神の祝福を受けてるとかそんなちゃちな話じゃないね!!!』
『男爵様万歳!!王家万歳!!!!』

 次々に歓喜と礼讃の声を口走って山賊達は叫ぶ。ただ一時を以って目の前に現れたアリッサに彼らは心を奪われていた。老いも若きも皆彼女を褒めそやし、彼女が使える王家を讃えた。歓声は彼女の其の端麗な容姿を褒め称えるものではない。ただ純粋に、追い求めていた存在が目の前に現れた、その事実に喜びを顕にする声であった。アリッサもその気持ちを受け取ってか、心の底からとはいえないが、小さく笑みを浮かべて彼らを見遣っていた。
 猪面の男が苛苛とした溜息を一つついてアリッサに鋭く声を掛けた。

「来い、時間だ」
「分かっている。...ではな、諸君。また会おうぞ」
『おおおおおおおおお!!!!!』

 再び巻き上がる歓喜を背に受け、男が屈辱に耐えるかのように歯を噛み締める。この歓声、男にとっては決して心地の良い代物とはいえなさそうである。両者は大広間の奥、隅に設けられた通路の方へと姿を消していく。ひっそりと他者の視線から身を隠すかのように穴を開けた通路には松明の明かりが届かず、陰鬱な暗闇が広がっている。その闇の中で、男が零す愚痴にも似た恨み言が良く響き、アリッサの耳を騒がした。

「俺はこの国が嫌いだ、騎士様よぉ」
「......」
「ちっこい国の癖して威厳だけはたっぷりだし、何処に行っても四季が巡って来るし、おまけに飯はレパートリーが少ないしよ」

 通路が途中より坂に変わった。石を均(なら)して緩やかな坂へと変貌させているのだ。賊の革作りの靴が地を踏みしめ、アリッサのグリーヴが地を踏み鳴らす。  

「此処のやつらも嫌いだ。どいつもこいつもあこぎに成り切れない半端な連中だ。民衆を狙わず、同じあこぎな商人や神官を狙って行動する。お陰で、妙に稼ぎが良い。こいつも気にいらねぇ!山賊なら相手を選ばず略奪するものなのによ!!」

 僅かな距離を経て、坂の最深部にある鉄扉の前に二人は着いた。男は懐から一つの鍵を取り出して鉄扉の錠を開く。中に足を踏み入れた途端、鼻孔をへし曲げるかのような強烈な血の臭いが出迎えてくる。アリッサが思わず眉を顰めて中に入ると、其処に広げられていた凄惨な光景に思わず納得の意を抱き、そしてその演出者である猪面の男に嫌悪感を抱く。
 扉の中にあったのは、一つの部屋であった。高さは6メートルほど、奥行きも相当であり、壁には換気の為に作られたであろう横広の穴が開けられている。だがその換気というのは唯の気休め程度のものであったらしい。部屋全体に斑点のように飛び散って付着している、夥しい量の血痕から放たれる醜悪な臭いがそれを象徴している。部屋の中央には手術台のような一つの机が鎮座しており、元の茶褐色に赤黒い色彩を混ぜていた。部屋の所彼処の壁には、殺伐とした見た目をしている多種多様な道具が掛けられており、何れの道具の使用部分がどっぷりと穢れている。それが何の為か、今更問い質すもお節介というもの。この部屋は、生粋の拷問部屋であるのだから。

「それにあいつら、クウィス男爵を崇拝してやがる!クウィスだ!!三十年前に俺達盗賊を都合よく使って、国内平定に漕ぎ着けたクウィス男爵。俺はあいつが特に嫌いだ。名前を聞くたびにむかついてくる」

 乱暴に言葉を吐き捨て、アリッサを机の上へと押し倒す。四肢を動かせぬように荒縄で縛り、机の脚へと繋いでいく。男もまた屈強な体躯とはいえ、アリッサが抵抗して倒せぬほどの者では無かった。だがアリッサは口々に男が紡ぐ言葉に惹かれ、男がいわんとしている事を聞くために為すがままとなっていた。
 男の扉の鍵を閉めると、部屋の片隅に立て掛けられていた、拷問部屋に似合わぬほどの美麗さを保つ一振りの剣を掴んだ。それは、牢獄内にてアリッサから奪われた剣であった。未だ穢れを知らぬ刀身は壁の穴から漏れ出す光を反射して、きらきらと光沢を湛えている。それを疎ましく思うかのように、男が剣の柄をひしりと握り締めた。

「何が英雄だよ!!人の事を散々弄んで利用しまくった挙句、其の後に俺達を裏切った卑劣漢じゃねぇか!!!」
「...私の父は、戦の最中に数多の者達を味方につけ、訓練を積ませ、王国の誉れある兵士として登用した。其の中には、世から疎まれ嫌われていた賊徒の者達も含まれている。卑劣漢と一方的に蔑むのは如何なものではないか?」
「卑劣だね!!!あの時、俺はいつも先陣を切って戦っていたんだぞ!?いっつもあの人の背中を守ろうと、恩を返そうと、懸命に大地を走っていた!!!なのにっ...」

 猪の瞳が爛々と怒りに猛り、アリッサの視線を噛み合う。その瞳に宿るそれを見て、アリッサは思わず憐憫の念を禁じえなかった。瞳の表面を覆い隠すかのように、愁いを抱いた潤いが満ちている。それは涙であった。怒りの余り、というには不自然なほど潤んでいる。まるで絶望的な現実を前に挫折する、一人の子供のように。アリッサは男が漏らした言葉に心当たりがあるのか、複雑な表情をしたまま男を見詰めていた。
 男は何度か頭を振り、瞳の熱を段々と沈静化させていく。色が消え失せて、虚心を抱こうと必死に激情を治めようとしていた。

「...いや、何でもない。遠い昔の話だ。俺は唯の賊徒、唯の拷問官。生贄の仔牛の腸を開き、神に捧げる唯の信徒」
「己を非情で飾るか。それで己の心は消せたりはしないのだがな...」
「生贄は言葉を発せない。唯、鉄斧の前に屠られるだけ」

 男が剣先を見詰めて、煌かせるように横に倒す。刃の腹に、アリッサの憐憫の瞳が映りこむ。内心を見透かされているような気がして、男が激情に顔を赤らめ、瞳に殺意が沸き始めた。ひしと握られた柄がわなわなと震えて音を立てている、

「...クウィス、アリッサ=クウィス、ティムール=クウィス...覚悟しろっ...」
「...過ぎた怨念は己に帰るぞ」
「喧しいっっっ!!!!!!!!」

 男が一気に剣を振り被り、アリッサのその瞳を切り刻まんと振り下ろそうとした瞬間ーーー。

『っっらぁぁああああ!!!!!!!』
「は!?」

 耳を疑うかのような咆哮と轟音、そして地を震わせる揺れに驚愕して男がたたらを踏む。半ば呆然とした表情で、男は換気の穴へと近寄って外を見詰める。咆哮は確かに、この穴から突き抜けてきたのだ。心成しか岩を蹴りつけるような音が男の耳に入っていく。それは下方より生じているようで、段々と近付いてきているようにも思えた。

「なっ、なんなんーーー」

 突然、穴の外より唸り声が聞こえて男が耳を疑い、直後に体躯を襲う強烈な衝撃と粉塵に、後ろのめりに吹き飛ばされた。ごろごろと床を転がった後に顔を上げて彼が見たものとは、大きな穴を開けてぼろぼろと崩れた壁。そして其の穴から這い登って屋内へと侵入する、一人の悪鬼の姿であった。悪鬼は煌く日光を後光のように背負い、体躯を覆う血のようなドレスから土埃を払い落とすと、地面に転がり呆然としている男を見詰め、にやりと獰猛な微笑を浮かべた。

「久しぶりだな、童。覚悟は良いか?」
「...ったく、なんで天は賤しきを見捨てるんだか。くそったれ」

 そう投げ遣りに悲嘆に暮れた言葉を漏らすと同時に、猪面の男に鉄拳が突き刺さり、男の意識を暗闇の中へと叩き落して身体を壁に叩き付けた。悪鬼、熊美は一転して朗らかな笑みを浮かべると、机に縛り付けられているアリッサに顔を向けた。

「大丈夫?何か乱暴されなかった?」
「...えぇ、それをされる前に貴方が現れたから」
「そう...縄を解くわね」

 熊美は男の手から毀れた剣を掴むと、その切っ先を素早く閃かせて瞬く間にアリッサの四肢を括っていた縄を断ち切る。その腕捌きに改めて感服の念をアリッサは抱いた。流石、世に名高き豪刃であると。縛り付けられていた部分を擦りながら、アリッサは熊美に聞く。。

「一つ聞いてもいいですか?」
「えぇ、いいわよ」
「三十年前、父を守ろうとした者達は、どれほどの数だったのでしょうか?」
「...どうだったかしらね。良く覚えていないわ。老いも若きも、貴きも賤しきも、皆あの人を守ろうと命を燃やしていたから、数なんて...」
「...詰まらぬ事を聞きました。お許しを...」

 何処か考えに耽るように沈黙を抱くアリッサ。部屋の中に立ち込めていた土煙が外気に撒かれて穴から噴出し、心成しか血臭も薄れたような気がする。新鮮な空気と風が吹き込む中、両者は言葉を噤んでいた。 
 其の時、部屋の扉を勢い良く叩く音が聞こえ、ついで大きく声を掛けられる。

『おい、どうした!?なにかあったのか!?』
「流石にこの大音量はばれるわよね」

 先の壁の破壊により、上階の者が気付いたらしい。熊美は周囲を見渡して言葉を漏らす。

「幸いにして此処は拷問部屋のようね。武器だけはふんだんにあるわ。...ほら、これは貴女の剣じゃないの?」
「えぇ、有難う御座います...」

 アリッサは剣を受け取って地に足を着ける。確かめるように両手で柄を握り、緩やかに振り被って一気に振り落とす。胸の前で確りと振りを止めて刀身を真剣に見詰めた。

「...冴えは消えてないか。クマ殿、貴方はーーー」
「いい武器だわぁぁ、これぇ」

 ぶおんっ、と空気が二つに切り裂かれて烈風が部屋に吹き荒び、アリッサの髪をばさりと揺らす。眼前に広がる光景に、アリッサはあんぐりと口を開く。熊美のその手の中に握られていたのは、刀身が大人の頭部から腹部まである、巨大な両刃な大剣であった。剣先は鋭く尖り、剣の腹は拳大ほどに幅広であり、それだけで人の胸骨が粉砕できそうなほどに力強く鍛え上げられている事が手に取るように分かる。装飾の類が一つたりとて見られぬ、無骨な見た目の巨剣である。
 その外観通りの常識外れの重量のために使用されていなかったのか刀身の穢れは些細なものであり、それでいて手入れだけはされていたのであろう、刀身に錆一つ、刃毀れ一つ現れていない。まるで血に塗れる事を今か今かと待ち構え焦れているように、太陽の煌きを受けて鈍く反射している。常人ならば持つだけで精一杯、否、振り上げる事すら一介の力自慢でも不可能であろう。而して其処は伝説と呼ばれ畏怖された羆。その体躯に相応しき尋常ならざる怪力を以ってして、握ったその瞬間から巨剣を玩具の如く容易く操っていた。当に、天賦の才能と弛み無き努力の結晶である。

「うん、軽いから振りやすいわね...どうしたの?」
「...いや、己の見識と世界の摂理との格差の大きさに、改めて閉口していただけです」
「口開いてたけど」

 だからといって軽いは無いだろう。私の血の滲む様な鍛錬はなんだったのだ。無性に敗北感が込み上げてアリッサは力無く愚痴を零す。
 ドンッ、ドンッ、と扉を強く叩く音が二人の意識を奪う。部屋の外より響く男の声は無くなったが、返事が無い事に痺れを切らしたのか、扉を無理に開けようとしていた。早々に破られる事は無いが、それでも覚悟を決めなければならない。
 熊美は倒れた男から鍵を奪い取ると、扉の錠に鍵を差し込む。これを捻れば錠が外れ、扉が開く。即ち、実力行使の脱走劇の始まりだ。両者は瞳を合わせ、互いの戦意を確かめる。

「準備は良い、近衛騎士さん?死者の念に囚われてはいないでしょうね?」
「死骸には、私、用は無いので。我が愛しの乙女が、待っているので」
「...良い覚悟だ」

 戸を揺らされる音が更に激しくなる。二人は顔を見合わせて一つ、確りと頷き合う。アリッサの剣の切っ先が扉の先に居る男の頸下を狙いに定める。息を零し、胸の内に宿る緊張を瑞々しく高めていく。

「往くぞ!!」「応っ!!」

 熊美の声と共に錠が外され、扉が開く。たたらを踏むように部屋へと入ってきた男が驚きの表情を浮かべ、瞬間、その剥き出しの喉首にアリッサの剣が深々と突き刺さった。




「なんだ...これ...」

 一方で晴れて砦より屋外へと出でた慧卓。彼は長い通路を経て砦の二階部分、木壁の上へと姿を現し、底で周囲の状況の急激な変化に戸惑いと驚きを隠せず、呆けた表情をしながら周囲を窺っていた。
 砦の外側より矢が弧を描きながら飛び込み、鏃をきらりと光らせて落下していく。それに刺さり死に至る者こそ居ないが、身体の肉を抉られて悲鳴を漏らし、鮮血をぼたぼたと地面に撒くものは居た。反撃せんとばかりに木壁に隠れながら山賊達が矢を次々に射っているようだが、彼らが放つ以上に放たれる矢の雨には耐えられず、反撃の矢も疎らとなっている。そして砦の門は外側より破城槌による突撃を幾度も幾度も受けて、その度に大きく軋む音が響き渡る。
 肝を冷やした男達が口々に叫ぶ。

『門を抑えろぉお!!破城槌に抜かせるな!!』
『射手が足りんっ!!手が空いている奴を回せぇ!!!』
『さっさとアレを準備しろ!もう一刻の猶予も無いんだ!』

 吐き出される蛮声に混じって矢が飛来する高調子が混ざり、男達の生命を危機に曝していく。  

「すげぇな...本当に戦争だよ...!」

 慧卓は、自らも傷つくかもしれぬという状況において尚、感動の念を覚えていた。ゲームの中でしか見た事が無い映像が、或いは様々な教科書でしか知り得なかった知識。実際に学ぶ事も見る事も出来ないそれは、一抹の憧れの泡となり、何時かは弾け飛んで消えてゆくものと思っていた。それが今、現実と姿を変えて慧卓の胸を弾ませていた。
 だが慧卓は思い出したかのように頭を振ってその念を払いのける。すぐに真剣みのある表情を浮かべて、砦を見渡した。

「...さってと、何処に隠れるか」

 本来の目的を忘れたりはしない。この場において自分は武器は力も持たぬ唯の一般人なのだから、無闇に修羅場に飛び込もうとしてはいけない。そんな思いの下に己を隠すのに相応しい場所を探している其の時、がらがらと車輪が重苦しく成る音が彼の耳に入る。
 ふと其方へと視線を送れば、一人の男がゆっくりと荷車を引き、木壁の上を進んでいた。四方を柵で囲んでいる荷車の中には、何やら黒く丸いものが大量に積まれていた。男は粗野な瞳に慧卓を捉えて言う。

「ん?おいお前、そこでなにやってる!!」
「えっ!?あ、いや、俺はだなーーー」
「今火急の事態だってのが分かるだろ!?手を貸せ、王国兵にやられる前に、こっちがやるんだ!」

 如何やら自分を山賊の一人と誤認しているらしい。僅かに安堵した慧卓は唯々諾々と男に従い、荷車の後ろに回りこんでそれを押していく。がらごろと車輪が木壁の上を回る中、慧卓は荷車に積まれた幾十もの物体に疑問符を浮かべる。

「これはなんなんだ?」
「お頭が貴族の旦那から買ってきた火薬とかあんだろ?あれを詰めて作り上げた奴だよ。お頭は、『手榴弾』っていってたな」

 成程、いわれて見れば『手榴弾』に似てなくも無い。黒光りとするそれは鉄を溶かして固め、成型したものなのであろう。鉄球の頂上には蓋のようなものが嵌め込まれており、その中央に10センチほどの導火線が伸びている。着火して爆発するまでには、かなりの猶予があるようだ。

「火薬をたんまりと、そして鉄の破片に硫黄を混ぜて中に詰めてあるからな。後は火を点けて兵隊どもにぶん投げれば、忽ち地獄を具現化できるってわけだ」
「...威力も凄いんだな?」
「あたぼうよ!!一個でもやべぇけど、今荷台に詰めてある奴を一気に爆発させたら、此処の門なんか一撃で吹き飛ぶぜ!!それくらいやばい代物だって事よ、気を付けて扱え!」

 そうこう言っている間に二人の荷車は門の近くへと近付き、足を止めた。木壁の外をちらりと見遣ると、険しい大地に幾多もの兵士達が敷き詰めているのが見えた。大盾を地面に突き刺し、それに身体を隠しながら兵達が次々と石弓を放っている。門の外には破城槌の後姿が見え、突撃の己の切っ先を門へと突っ込ませていた。
 荷車を引っ張ってきた男は小さく不敵な笑みを零すと、手榴弾を二つ掴み取り、一つを慧卓に渡す。案外、ずしりとくる重さである。拳大の大きさのそれに、砲丸投げの球ほどの大きさを感じた。
 
「良いな?俺が最初に投げるから、お前はそれを真似して投げるんだ!」
「...分かった」

 男は手榴弾の導火線に松明の火を移す。バチバチと導火線が火花を燃やし、男はそれを投擲するように腕を振り被った。

「せぇぇのっっっ!!!」
「ふんっ!!!」

 瞬間、慧卓は握り締めた手榴弾を男の頭部へと全力で叩き付ける。敢無く、後頭部に走る衝撃で意識を落した男の手から手榴弾が毀れ、木壁の外へと転がり落ちていく。誰も立っていない岸壁の上を転がって森の中へと姿を消し、数秒が経ってからぼんっと勢いのある音が弾けた。言葉通り、威力も中々のものらしい。
 慧卓は白目を剥いて気絶する男に意地悪い笑みで謝罪した。

「悪いな、おじさん。今度会ったらステーキでも奢るよ。俺食わないから」

 慧卓はそういって手榴弾を荷車へと放り投げる。そして荷車が向いている先にある木壁に上る為の階段に目をつける。丁度階段の最初の段を降りれば、そのまま門へと降り立つ事が出来る配置である。
 慧卓は纏っていた山賊の服を脱ぐと、手榴弾の束の上へと掛ける。そして荷車を引くために位置についた。

「ふんぬぉおおおおっ......」

 掛け声にも似た唸りを口から零し、慧卓は懸命に荷車を引く。手榴弾が幾十も詰まれたそれを牽引するのは、男としてみても華奢な体躯の持ち主である慧卓にとっては難儀を極めたのである。

「くそっ、本当にタダ働きかよっ...んがああああああ!!!!」

 しかし慧卓は気迫を吐いてそれをゆっくりと引っ張っていく。車輪が重苦しい音を立てながら一歩一歩、慧卓の懸命の歩みと共に前進する。全力を込めて引っ張る彼の腕に血管が浮き出て、顔が一気に赤らんでいく。息を大きく切らせながらも慧卓は荷車を進ませていく。木壁を盾にして歩く慧卓の頭上を、石弓の矢が飛び交っていく。賊の者もちらりと彼を見遣るが、手榴弾をより近くより投擲しようとしているのだと勝手に納得して、それぞれの対応に集中していく
 己をも勝る重量と格闘し続ける事数分。漸くにして、階段の一歩手前に慧卓が足を進ませた。取っ手を下ろすと荷車が前に傾く。足を動かして後方からそれを見遣る。力強い蹴りを一発叩き込めば、勢いと己の体重のままに一気に階段を駆け抜けて行きそうだ。

「ぜぇ、へぇ、はぁっ......ははは...」

 肩を荒く上下させながら慧卓は小さく笑みを零した。汗まみれの顔を順風が撫で、熱の心地良さを意識させる。これからやる事は、いわば慧卓からこの世界への挨拶というもの。ならば景気良く、思いっきりやらなねばならない。
 慧卓は松明を手榴弾の上に掛かった服に投げ込む。引火した服がばちばちと炎を巻き上げ、それを燃焼材として手榴弾の導火線が火花を散らし始めた。その炎の中に、慧卓は手招きをするおぼろげな手付きを垣間見る。それはきっと、この世界の神の手なのであろう。慧卓を死地へと招く、死を司る神の手だ。

「ハロー、死神っ!」

 その手を嘲笑うように慧卓が荷車に本気の蹴りを叩き込んだ。荷車が僅かに身を乗り出し、そして大地に惹かれる様に階段の上を転がり始めていった。車輪ががたがたと悲鳴を上げ、其の度に荷車を包み始める炎が揺れる。導火線の半ばより炎が飛び移り、その寿命を一気に縮めた。
 ふと扉を押さえつけていた男達が不意に耳に飛び込んできた震動音に目を向けた。階段から転がり落ちるように灼熱の炎に包まれた荷車が自分達に向かって降りてくる。朧に揺れる炎の中に積まれていたのは、山賊達の秘密兵器、数多の手榴弾であった。男達は一瞬それが理解出来ずに硬直していたが、徐々に恐怖の表情を浮かべていく。

『にっ、逃げろおおおおお!!!』
『うわあああああっっっ!?!?』

 一人の声を皮切りに男達が蜂の子を散らすように四散する。その悲鳴に疑問符を浮かべ、兵達が攻勢の手を止めた。慧卓は門から逃げるように全力で木壁の上を走っていく。
 荷車が階段から降り立ち門前へと差し掛かった瞬間、天地を轟かせるような轟音と爆炎が発せられ、砦の門を文字通り木っ端微塵に吹き飛ばした。黒煙を背に受けながら幾多大小の木屑が空を舞い、ひゅんひゅんと鉄片が空間を薙いで行く音が響いた。爆発の勢いはそれに留まらず、大きな衝撃波を伴って大地を駆け抜け、広場に居た者達は顔を庇うように腕を翳す。ばたばたと風に髪が揺らされ、頬を風が叩いていく。逃げ切れぬ者達が爆発の暴風に巻き込まれ、泳ぐように手をばたつかせて空を泳いだ。
 黒煙が晴れていくと、門があった場所の惨状が明らかになる。まるで抉られたかのように門が姿を消し、残った木屑が炭のように黒焦げとなっている。地面もまた爆発により窪んでおり、爆心地はが炎に舐められて黒ずんでいた。空を舞っていた木屑が大地へと降り注ぎ、からからと妙に小気味良い音を立てていた。
 慧卓は爆発に合わせてその場に伏せて頭部を守るように両手を組む。空に舞っていた木屑がぽろぽろと落下していき、大地へと降り注いでいく。腕の合間からその様子を見ていた慧卓はふと思う。まるで枝垂桜を模した花火ようだ。だからであろう、この言葉を零してしまうのは。

「かーぎやー...」

 その言葉の瞬間、空を舞っていた一際大きな木屑が彼の元へと飛来する。木屑は弧を描くように回転しながら、慧卓の瞳の数寸先へと突き刺さる。まるで慧卓に抗議するかのように木屑ががたがたと震え、幾多の鋭利な尖りを強調している。

「た、たーまやー」

 贔屓はいけないなと、慧卓は真理を胸中に抱いた。
 一方で突然眼前に聳えていた門が消失したのを目の当たりにした兵士達は、暫くの間瞠目を湛えて現状を理解できないでいたが、叱咤するように駆け巡る指揮官の声に意気を取り戻す。

『門が破壊された!!全軍、一気果敢に攻めたてよ!山賊の砦を制圧しろぉ!!!』
『大お大オオおおおおおっっっっ!!!!!!!!』

 咆哮が大地に鳴り響き、そして轟くような足音と震動が大地を震わす。最早大盾に身を隠さずとも良い。兵士達は剣に槍に斧を手に取り、一気果敢に砦の中へと雪崩れ込んでいく。山賊達が慌てふためき、剣を手にとってこれを防ごうと門へ集結していく。人の波と波が正面からぶつかり、剣戟の音と怒号が重なり、地を奮わせ始める。
 其の時、砦の内側より喧騒が伝わってくるのを耳にする。視線を其処へ向けた直後、一階部分の扉が吹き飛ばされるような勢いで開き、中から熊美が、ついでアリッサが広場へと入ってきた。無事に脱獄できた事を悟ると、慧卓は安堵で胸を撫で下ろす。
 アリッサは広場の中に視線を巡らせて、とある者を見遣るとまっしぐらに其処へ向けて駆けて行く。走駆を妨げようと剣を振り上げた賊の腕を二つに裂き、別の賊の足を斬り捨てる。呻き声と血潮を漏らして地面に倒れ込む男達、それを兵士らの得物が止めをさせていく。アリッサは広場の中を、剣戟の嵐の中を只管に駆け抜けて行き、門の外まで辿り着く。其処に彼女は己が主、コーデリア王女の姿を見遣った。彼女は脱出時に纏っていたローブ姿ではなく、凛々しく華々しく整えられた純白の軽装の鎧をして馬に騎乗しており、王国兵の指揮官と馬を並べていた。アリッサは急いで彼女らに駆け寄ると、コーデリアが声を掛けてきた。

「アリッサ、無事ですか!?」
「コーデリア様、何故このような危ない場所に!!」
「私とて王家の娘、貴族の一人です!戦の前線に身を置いて指揮をするのは当然ではありませんか!それに、貴方が何時まで経っても現れないから此処まで来たんですよ!少しは反省しなさい!」
「も、申し訳ありません!!...しかしだからといって、敵の弓兵の射程距離内に身を置かないで下さい!危なっかしくてみていられない!今後は慎んでください!」
「えぇ!もし出過ぎてしまったら確りと止めて下さいね!」

 コーデリアの朗らかな笑みを見てアリッサは安堵を抱いていたが、横に並び立つ指揮官の呆れ色の瞳を見て羞恥を覚え、堪らず視線を逸らした。 
 慧卓といえば、木壁より足をぶらぶらと垂らし、眼下で巻き起こる剣戟の嵐を興味深げに観察していた。ゲーム内で自分がプログラム上で行っていた事がより細部を極めて現実に起こっていると考えれば、興味を触発されないわけにはいかなかった。その彼に一つの声が掛けられる。

「随分とやってくれたじゃねぇか、坊主」
「...やられっぱなしは気に食わない性分でな、山賊の親玉さん」

 山賊、鉄斧のカルタスが悠然として慧卓の下へと近付いていく。その分厚い手に握られていたのは、3メートルに及ぼうかというほどの大きさを誇る、一振りの斧槍であった。
 慧卓はの齧った程度の歴史知識であるならば、この武器はハルバードの部類に入るのであろう。槍の穂先は鋭利に尖っており、刃は三日月を描くように丸みを帯び、その反対側には突起がついている。斬る、突く、引っ掛ける、叩く。どの部分においても人の肉ならば容易く裁断し、命の水流を撒き散らすに相応しい見た目であった。カルタス自身の隆々とした逞しい体躯が尚一層、武器の凶悪さを際立たせていた。
 しかし不思議と慧卓は緊張感を覚えずにいられていた。それは、カルタスの顔に浮かべらた修羅場に似合わぬ和やかな笑みのためでもあり、緊張感の欠けた言葉の調子のためでもあった。
 カルタスは見事に粉砕され、元の姿を留めていない門を見てくつくつと笑う。

「成程な。火薬は小出しに使わず、一気に弩派手に使うものか...死に際に勉強になったわ」
「あなたは、一戦交えずして死ぬ気か?大層な得物持ってる割には、随分と弱気だな?」
「はははははっ、坊主と戦うために此処に来たんじゃないんだよ!!これはいわば、末期の挨拶ってやつさ。俺が相手をするのはなぁ...」

 途端に、カルタスの視線が一気に鋭くなり、体躯全体から沸き出ているかと錯覚してしまうほどの、強い戦意が感じられる。その様は先までに見られた朗らかな雰囲気を完全に滅失させ、彼を本来の姿、即ち血と闘志に猛る一人の戦士へと変貌させた。飢えた獣のような凄惨な笑みを浮かべて見詰める先には、大剣を縦横無尽に振り回して賊徒らを軽く圧する熊美の姿があった。

「あの豪傑、豪刃の羆だ...!!!」

 カルタスの幼き戦乱の記憶が告げていた。あの姿は、紛う事なき豪刃の姿であると。歳をとって尚豪腕を振るうほどの芸当を出来るのは、彼の者を置いて他にいないと。だからこそであろう、戦士たる自分がそれを剣戟を交えたいと願うのは。
 慧卓はカルタスの表情の変化に僅かながらの怯えを抱いていたが、それ以上に敬服にも似た感心を抱いていた。矢張り、どの世界においても戦士の血は変わらないのだ。

「...こっちを牢屋にぶち込めた奴に言うのは癪だが、一応言っておくぞ。...武運を」
「ありがとよ、坊主」

 カルタスは木壁から飛び降りて、地面に足を着ける。悠然として歩みだす彼に周りの者は気付かない。ただ互いを斬捨て、その骸を晒してやろうと殺意を振り回すだけである。カルタスは衆目を浴びるように両手を高々と掲げ、鼓膜を割らんが如き大声を吐いた。

『皆の者、聞けっっ!!!我が名は鉄斧山賊団、棟梁、カルタス=ジ=アックス!!!』

 砦中にカルタスの蛮声が響き渡り、鉄の得物を打ち合わせていた者達が、砦内を制圧をしようと走っていた者達が、血を流して壁に寄り掛かる者が一様にカルタスを見遣る。衆目の中心となったカルタスは満足げに笑みを湛え、血気盛んに吼え立てた。

『我が武勇と山賊の誇りを賭けて、豪刃の羆殿と、尋常なる一騎討ちを願いたいっっ!!!!』

 闘気に溢れた一声に、人々は驚きを湛え、慧卓はにやりと笑みを浮かべる。闘争の一幕を見られるだけでなく、決闘の一幕をも観覧出来るとは想像だにしていなかった。慧卓ぽつりと声を漏らす。

「今日は本当に運に恵まれているな...」

 天上では、血の臭いに食欲を沸かした一羽のハゲタカが自由気ままに泳いでいる。燦燦とした日光を浴びて、地面に漏れ出した鮮血が生臭い香りを漂わせてながら乾いていった。 
 
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