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王道を走れば:幻想にて

作者:Duegion
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第二章、その3:御勉強です、確りなさい

 先まで天を覆っていた、まるで神が怒っているかのような怒涛の雷雨。今では小雨と相成り、稲光も小さいものとなっている。雲は相変わらず絵の具を注いで乾かしたかのようなどんより黒色であるが、それでも夕暮れを意識させるような涼やかな臭いを感じさせる。唯の通り雨を凌いだ人々は思い思いに安堵の息を零し、夕餉の支度に精を出していく。
 それは此処、『ロプスマ』という名の街でも同じであった。いわんやその街の一角、とある街一番の宿屋でも同じ光景が広がっているのは自然であった。

「ぁぁぁ......疲れたぁぁぁ....」

 よてよてと生まれ立ての馬のようなぎこちない足取りをする者。服も身体もずぶ濡れとなった慧卓がげっそり顔で歩き、木の椅子に腰掛けた。豪雨に急かされた行軍は彼の体力を削り、馬の揺れが更に身体に鞭を打っていた。ただ、急いで行軍していたお陰で速めに街に辿り着けたのが、彼にとって何よりの幸運であった。

(野宿とかマジで嫌だ...あぁ...疲れたなぁ)
「落ちるにはまだ早いぞ、ケイタク殿」

 寝床の老人のようにぼぉっとしていた慧卓に声が掛かる。アリッサだ。此方も身体を雨粒に濡らしており、ぽつぽつと床に水滴を落していた。それを見て若々しい宿屋のウェイターが悩ましげに頭を振った。御愁傷様である。
 アリッサは続ける。

「まだ夜更けまで時間がある。今の内に知ってもらわねばならぬ事があるのだ」
「それって...授業みたいなもんですか?」
「大当たり。歴史の授業だ」
「うわ...疲れてなきゃバッチグーなんですが」

 疲れている時に頭を使う話をされては眠くなる一方である。せめて暇にならぬようぶらぶらしながら聞こうと、慧卓は心を決めた。
 その時、こつこつと床を軍靴で鳴らして、行軍を指揮していた王国兵の指揮官の男が歩いてくる。行軍の間常にヘルムを被っていたためか、頭皮が濡れいておらず短めの金髪は乾いたままでいた。ちなみに名をハボックという。

「お二人とも、此方が部屋の鍵です、失くさぬように。ケイタク殿は一番奥の部屋、クマ殿の隣の部屋です。アリッサ殿と王女殿下はその向かい側になります」
「有難う御座います。熊美さんは如何されました?」
「先に休みに行かれたようですよ」
「...ハボック殿、貴方も休んだら如何だ?行軍の疲れが残っているだろう?」
「はは...お気持ちは有難いのですが、私はこれから説教せねばならぬ者達が居るのですよ...」
「?誰かな?」

 慧卓が確かめるように親指を後ろにくいくいと指す。窓辺に寄り掛かっていたコーデリア王女を挟み込むように、企み顔で笑みを笑みを浮かべているミシェルとパック両名が其処に居た。

「王女様知ってます?此処って王都の中でも有数の交通の要衝で、物資が一気に集まりやすいんですよ」
「詰まりですよ!色んな商品も街に広まっているって事です!刀剣然り、防具然り、馬用の藁に調度品、果ては甘味まで!」
「...甘味...ですか」
「そうです!きっと王女様のお気に召すものも此の街にありますよ!美味しくクリーミーなおっぱ、ン''ン''ッ、ゲフンゲンフン、クリーミーなパイとかね!」
「というわけで王女様!俺達二人がエスコート致しますゆえ、雨の街中でデートと洒落込もうではありませんか!」
「ミシェル、パック」
『はい?』

 瞬く間に彼らに近寄ったハボックはむんずとばかりに両腕を伸ばす。その腕の先、確りと握り締められた拳は容赦なくにやけ面の二人の頭を殴りぬいた。二人は衝撃のままに壁に倒れ込み、ずるずると床に突っ伏す。ハボックは苦笑を浮かべてコーデリアに礼をした。

「部下が大変な失礼を働き申し訳御座いませぬ、王女様。私めがきつーーーく叱り付けて置きますゆえ、どうぞ御容赦をッ」
「あ...はい、大丈夫です。お勤め、御苦労様です」
「有難う御座います...では失礼して...」

 突っ伏した二人の頭を掴んで、それを引き摺りながらハボックは宿屋の一階、彼らの宿泊先の部屋へと向かっていく。他の兵は街の集兵施設内にある兵棟に泊り込んでいるか色町に出かけている。この三名は、云わば王女等の護衛といったところか。

「ほらケイタク殿、行くぞ」
「はいはーい」

 彼らに対してアリッサ達は二階への階段を登って行く。彼女等の泊まる部屋は二階にあるのだ。店主曰く、二階部分の部屋の方が広く、一階のものと比較して豪華であるらしい。
 ぎしりと、靴が木の階段を踏みしめる音が鳴る。年季の入った壁を擦れ、冷ややかでそれでいて滑らかな感触が伝わってきた。両名は二階通路を進み、一番奥の部屋の前にてそれぞれの鍵を握る。 

「先ずは着替えよう。こんなずぶ濡れでは話すに話せない。中に着替えがあるらしいから、それに着替えてくれ」
「ふーん、アリッサさんも着替えるんですよね...ニヤリ」
「き、気持ちを口に出すな、意識してしまうだろう...。普通の格好だから、あまり期待はするなよ?」
「それでも俺には超新鮮です。期待してます」
「ったく...お調子者め...」

 言葉を言うなりアリッサは照れを隠すように早々に部屋の中へと消えて行った。慧卓もまた戸の鍵を開けて部屋の中へと入り込み、その中身を見渡す。
 彼を待っていたのは四畳半程度の広さの部屋。部屋の三分の一ほどを硬そうな外観をした木のベッドが占領しており、戸の向かい側には50センチ四方の両開きの窓がついている。窓の近くに小さなキャビネットが置かれており、台の上にタオルと着替えらしきものを詰めた籠が載せられている。

(普通だなー。本当にファンタジー)

 慧卓は戸を閉めて、ずぶ濡れの身体をタオルで拭いていく。予想外にも、現代のそれと遜色の無い触り心地の良いタオルであった。ベッドを触ってみたが、マットレスはまるで石ころのように硬い。寝たら確実に筋肉痛になる硬さだ。

(ベッド硬過ぎだって...ってか窓狭いよ...まぁ此処じゃガラス窓がついているだけでも裕福なんだろうけど、それでもねぇ...ブツブツ)
 
 不平不満を抱きつつ、慧卓は着替えをベッドにぶちまけて、ずぶ濡れの服を脱ぎ捨てて籠に詰め込む。衣服類は全て水気でいっぱいだ。
 水気を確りとふき取り、ぶちまけた着替えを広げて見る。如何にも中世ファンタジー世界の一般的な服装といった感じのものだ。竜退治に出かける勇者一行を見送る、村人Aといった感じのもの。そそくさとそれに着替えて、窓に己の姿を映そうと窓の曇りを拭く。流線形の鏡に、何処にでも居そうな地味な風貌の若い村人が移りこんだ。、

「...うん」

 外見の地味さに凹みつつ、慧卓は部屋を出る。向かいの部屋の戸をとんとんと鳴らして、アリッサを催促した。

「アリッサさん、入っても大丈夫ですか?」
「ちょ、ちょっと待て!まだ入るな!!......似合ってる、よね?」

 慌て声に続いて自分しか聞こえぬ程度の小声が紡がれた、気がする。

「い、いいぞ」
「失礼します」

 間を置いて許しが得られた。慧卓が中に入り込んで戸を閉め、アリッサに向き直って彼女を真っ直ぐに見詰めた。
 硬めの寝台に腰を下ろし、無骨な鎧を脱ぎ捨てて清楚な私服に着込んだ、栗色ストレーヘアーの美女が其処に居た。足首まで伸びる白く優美なスカート、可憐さを顕すように服袖がひらひらと織り込まれている水色長袖の上着。単色の重ね合わせではあるが、アリッサの清廉さと美麗な顔立ちをより彩るにはこの上ない衣服であった。衣服の下から盛り上がった女性的な起伏もまた、魅力的である。

「......じ、じっとしてないで、何か言えよ...」
「......」
「おいっ、何か言えっっ!!」
「...アリッサさん本当に可愛いなぁ...綺麗だなぁ...」
「ぁ...ぅぅ.....もっ、もういい!授業に移るぞっ!其処に座れ!」
「う~、照れなくてもいいのに~」
「いいから座りなさいっ!!」

 にやけ面の慧卓を、アリッサは赤らんだ照れ顔で睨みつける。迫力の無い可憐な瞳に益々と愉悦を覚えて慧卓は内心で高笑いをあげていた。
 その内心を露知らず、アリッサは羞恥を隠すように溜息を零し、話題の転換を図る。

「はぁ...『セラム』について語ろう」
「あっ、御茶入れときますね...ニヤニヤ」
「...ぅぅぅっ...」

 瞳を細めて睨みを利かせるアリッサをにやけ面で見届けながら、慧卓はキャビネットの上に載っていたティーセットに目をつけて、そそくさと茶の準備を始める。お湯と茶葉を用意してくれている辺り、店主は中々に気遣いのきく人間だ。
 アリッサはジト目で彼の背を見遣り、そして寝台に両手を突いて、足をぶらぶらさせながら話出す。スルメ味の歴史談義だ。

「古くは数百年近く前、この世界で最初の王朝が誕生したといわれている。その確たる証拠が無い。だが成立当時の遺物らしきものが大陸の彼方此方で発見されている事から、最初の王朝はかなり大規模に支配を広げていたのが明らかとなっている」
「そして、何時の間にか分裂する羽目になってしまうんだとさ」
「まぁ、簡単にいえばな。情けない話だろう?」
「いえ、俺達の世界でも昔っから似たようなもんですから。同じ人間ですよ?」

 教科書の中でも、小説やゲームの中でも、ましてや今の現実でも同じだ。どんな理由があるかはちっとも知らないが、集団は大きくなっては分裂してを繰り返す。どこでも世界はそういうもんだと、慧卓は気楽に考えながらほろ苦い色をした茶葉を茶漉しに入れる。

「...ケイタク殿の言う通り、王朝は幾度となく分裂し、時を置いては結合し、そして分裂、結合...その流れを繰り返す。そして七十年前に二つの国家が成立する。それがマイン王国、そして神聖マイン帝国だ」
「何故二つともマインを名乗っているんです?」
「マインとは『セラム』で最初の王朝を築き上げたとされている、グスタフ卿の名字なのだ。それに肖(あやか)って最初にマイン王国が、序で『我こそが真の統治者である』と神聖マイン王国が建国された」
「成程、両者とも建国の土台は同じ訳ですか...」
「其の上に築かれたものは大いに違うな。前に言ったが、神聖マイン王国の奴らは邪教の群れだ」

 ぶらぶら加減の足を止めて、アリッサはベッドの上で胡坐を組む。 

「私が彼らを邪教と呼のには大きな理由がある。宗教だ」
「...国家間で、宗教対立とかあるんですか?」
「...紅牙大陸には大きな宗教が根を張っている。『神言教』だ」

 アリッサは静かに語っていく。眉間の皺が知らず知らずに内に寄せられているのは、この問題が彼女の頭を酷く悩ませているからであった。

「グスタフ卿が建国の宣誓をなされた時、彼は主神、『イサク』の心を己の心臓と脳髄に宿し、その偉大なる御心を広場で叫んだという伝説がある。以来国王の口から出る言葉は、主神の御言葉と同じであり、人々は王を通して主神を崇拝するようになった。これが神言教の始まりだ」
「成程。民衆が崇め奉る主神の言葉を国王が発し、民衆は国王の其の言葉を崇拝する...それはいわば神と国王の言葉を同一と見る事に相違ない。故に、王の権利は神から付与されたと同じ...王権親授か」
「其の通りだ。だが直ぐにその欠点が露呈する。グスタフ卿の孫の代、つまり三代目の国王が神の言葉として王が自らの権利を濫用して臣民を甚振ったのだ。そして臣民がこれに激怒して叛乱を起こす。結果として王朝は壊滅し、新たな王朝の下、政治と宗教を切り離す目的で教会が設立された。神言教会だ」

 慧卓は僅かな驚きを覚えながらカップに芳しい茶を注ぎ始めた。中世というとても閉鎖的で強権的な国家社会では、必然といってもいい形で国の中央に権力が集中して、他の層にある人間を弾圧するものだとばかりに思っていた。況や、此処が西洋中世紀に似た世界であれば王朝こそがその主導者であるとばかりに...。
 だが此の世界は慧卓が知るよりも遥か昔に絶対王政を打破し、政教分離という実現の難易度が高い政治戦略に着手していたのだ。それを行う臣民の心に、慧卓は畏敬の念を思わずにはいられない。
 これが、『そのまま世界は平和に続きました』となるのがハッピーエンドな展開なのだが、アリッサの口振りは依然として重い。待ち受けていた事実は、ハッピーな展開には程遠いらしい。

「設立以来、教会では厳粛に神言教の理念を説いていた。といっても、説教に近い言葉だがな。『盗みは悪である』、『他人を理解せよ』、『己をこそ守るべし』と」
「...教会は初め、確かに民衆の理解と畏敬の念を集めていたんでしょうね」
「あぁ、歴史から読み取る限りではそうなっている。だが時代と共に権力と権益が教会に実っていき、それに悪意を宿す者達が集っていく。切り離された筈の宗教は政治と再び結合し始め、人々への虐げが再来していった。当然、かの巨大な組織に蔓延する歪んだ理念と構造に反旗を翻す者達も現れるが悉く弾圧され、処刑されていった...。しかし七十年前、ついに彼らは大々的な行動を起こす。それが、マイン王国の建国だ」

 慧卓は彼なりの納得を覚える。成程。組織改革に対する進言や行動を疎ましく思うが如く立続けに弾圧を受けてきた改革者達は業を煮やし、遂には武装蜂起すら起こしたという事か。少なくとも政治と密接に関わっていた教会を相手取るとなればそれ相応の覚悟と武装、そして流血は必須であったに違いない。その場に召喚されなくて良かった。

「偉大なる建国者達、そしてそれに続く今の王国臣民は、いわば『革新派』だ。冷えた溶岩の如く硬直してボロボロとなった教会の理念を正そうとして、彼らから独立し、大陸の東側に国家を形成している。主神の御言葉を曲解して広げる不敬者を正す、正統なる国家だ」
「あー、そういう事ですか。とすると、大陸の西側にある神聖マイン王国は、いわば腐敗した『保守派』の集まりですか?」
「聡いな、其の通りだ。奴らは未だに教会の権益と権威に依存し、ふざけた事に己を神聖と名乗っている。神の聖なる御言葉を発する、正統な国家とな。冗談ではないよ...」

 ぎりっと歯軋りをするほどにアリッサの口振りは熱を増していっている。国を憂える状況になれば、自然と沸騰マシンになるようだ。議論に向かない性格である。

「今でも奴らは教会の権威を振り翳して帝国の臣民を蹂躙しているのだ。仮にも敵国民である王国臣民ですら知っている話だぞ...『セラム』の歴史に、奴らは泥を塗りたくっている...!」
「アリッサさん、熱くなり過ぎですよ。...あっ、これお茶です」
「あ、あぁ、すまん」

 丁度良いタイミングで最後の一滴まで茶が注ぎ終わった。慧卓が差し出したソーサー付カップを受け取り、アリッサは口調の熱を冷ますように茶を啜る。ちなみに中に入っているのは、夕暮れのような色に澄み渡った香りの高い紅茶である。
 ほっと一息吐いた彼女は、先程までの熱を零して幾分か落ち着いているように見えた。慧卓がここぞとばかりに話をまとめにかかる。

「何はともあれ、纏めるとこうなりますね?『大陸の歴史は政治と宗教の対立と発展、そして腐敗の歴史である。それは、王国と帝国に別れた現在であっても通じる事だ』、合ってます?」
「...私の感情的な話で良く其処まで理解出来たな...」
「いえいえ、アリッサさんの話が理路整然としていてとても理解しやすかったから、俺も纏めやすかったです。アリッサさんって、もしかしたら子供育てるの上手かも」
「なっ、何故其処に辿り着くのだ!?」
「俺の勝手な考えなんですが、子供に向かってちゃんと何が駄目で何が良いかを、理由をつけて説明出来る親というのが、俺の中では理想の親ですから」

 何処か昔の記憶を懐かしむような優しい目付きを彼は浮かべ、ソーサーを受け皿に静かに紅茶を嚥下した。アリッサは僅かに弾んだ胸の鼓動を押さえつつ言う。

「...時折お前はとんでもない事を言う。正直な所、いまいちお前の事が理解できん」
「じゃぁゆっくり時間を掛けて理解して下さい。俺もアリッサさんの事、もっと良く知りたいですから」
「...そっ、そうだな。相互理解は確かに大切だ。改めて、よろしく頼むぞ、ケイタク殿」
「言われなくても!よろしくお願いします、アリッサさん」

 なんとなしにペースを握られ続けるアリッサ。普段の彼女であれば男相手にこのような失態を受け続けるのは、正直悔やみの一つでも浮かべて当然であった。

(...なぜだろうな。悪くはない気持ちだ...)

 だが異界の者独特の雰囲気故であろうか、慧卓の飄々とした会話の為であろうか。それとも、彼女の胸の奥でどきりとなった、名も知らぬ感情の為か。アリッサは不満も不平も抱く事無く、慧卓に朗らかな微笑を浮かべていた。
 慧卓がふと窓を見遣り、アリッサも視線を向かわせる。窓をぽつぽつと叩いていた雨音は何時の間にか止んでいた。慧卓を窓をそっと開けて空そ見上げる。厚底の雲間から深海を思わせる深い青の空が覗いていた。

「...晴れてきたな?...雨が続かなければ三日後の朝には出発出来そうだ」
「三日後?...あぁ、そうでした。雨で土がぬかるんで泥沼みたいになってるからですね?」
「そうだ。あんな地面では流石に進軍が出来ん。しかも進軍途中にある地帯は一度大雨が降れば大きな池が出来てしまう。迂回を試みれば魔獣が蔓延る森林地帯に足を踏み入れなければならん」
「此処までの道程が順調なだけに、流石にそんなのは御免被るって感じですよねー」
「全くだ。...池が消えるには二日掛かる。それまで此処で待たねばなるまいて」
「了解です...それでは、授業の続きはまた今度という事で」
「あぁ、みっちり叩き込んでやるから、覚悟しておけ」

 其の時、こんこんと戸を優しく叩く音が鳴った。二人は紅茶を一度キャビネットに置く。 

「どうぞ」

 ぎぃっと戸が開いた。戸を叩いたのはコーデリアであった。アリッサは声を掛ける。

「殿下、雨が上がりましたぞ。これで今夜は雨音に悩まされずに、久方ぶりの温かな寝台に眠る事が出来るでしょう」
「えぇ..そうなのですが...」
「どうなされました、殿下?何かご懸念でも?」
「...っ、強いてあげれば、まぁ、そうなのですけど...」

 僅かに躊躇いを見せた口調を慧卓は初めて聞いた気がする。彼女は今、何処か悩んでいるようにハの字の愁眉を描いていた。アリッサは心配げに問う。言葉の端々に、親身になって心を動かすアリッサの温かみが感じられた。

「殿下、私は殿下に偽りなき、心よりの忠誠を誓った騎士であります。殿下の悩みは、私の苦しみでもあるのです。どうかその可憐な喉で悩みを隠さず、私に打ち明けていただけませんか?」
「王女様、俺からもお願いします。皆、王女様には笑顔でいてもらいたい筈なんです。だから、どうかその悩みの解決を、お手伝いさせてもらえませんか?」

 そして慧卓は和やかな笑みを浮かべてコーデリアの表情の曇りを取ろうとする。彼にとってコーデリアの悩みは最早他人事では無い。彼女の言葉一つで慧卓の此の世界での待遇が決まるため、なるべく好感度を上げておきたいというのが一つ。そしてそれ以上に、目の前で悩み苦しんでいる姿を見せられては黙っていられないというのが大きな理由であった。
 コーデリアは恥らうように両手を背中に回した。

「......分かりました。貴方達を信頼して、これを打ち明けましょう」
「はっ!」「はい!」

 コーデリアは俯き加減の顔をひょいと小さく上げる。頬が赤みを帯びており、視線も慧卓らを合わせようとせずにゆっくりと泳いでいる。訝しい態度に慧卓が疑問符を浮かべた。

「...この」
『...この?』
「...まっ、まち、街の...」
『...街の?』
「甘味処に行ってみたいんです!!!」
『......はああっ!?』

 いうなりコーデリアは顔を垂れて、顔をつやつやと光る髪の毛で隠す。髪の合間から羞恥に赤みを覚えた頬が垣間見れる。そして其処から覗かれた、一種の妖艶さをも醸し出すように潤んだ琥珀色の瞳を見遣って、慧卓はどきりと胸の高鳴りを覚えた。




「どうしようか...」
「どうしましょう...」

 コーデリアが一気に込み上げた羞恥心から逃れるように部屋を足早に出て行った後、アリッサ等は冷えた紅茶を啜りながら考える。
 慧卓の瞼の裏では、可憐な恥じらいの華を咲かせたコーデリアの表情が何度もフラッシュバックし、彼の心をがっちりと握り締めていた。普段凛々しく装うだけに、そのギャップときたら言葉にできないほどであった。

「まさか王女様にも、あんなに可愛い一面があるとは...結構グラッときましたよ、アリッサさん...」
「あぁ、そうだろう、そうだろう!...幼少の頃はもっと凄かったんだぞ。『ありっしゃ、高いのやってー』とかな...うへへへ...」
「アリッサさん、涎、涎」
「おっと、すまん」

 最早慧卓も慣れたものである。興奮に涎をだらしなく垂らすアリッサに実に自然な動作でハンカチを渡すと、彼女はえもいわれぬ気色悪い笑みをハンカチで拭い去る。涎つきのハンカチなど最早不要だ。

「まぁ、兵士達も欲求を発散するという名目で今日は街に出て行っている。それに山賊攻略が予想の他上手くいったから、日数に余裕があるのも確かだ。特段帰還を慌てる必要もない。だがな...」
「そうですよね...」
『殿下|(王女様)に合うような甘味処って、何処にあるんだ(あるんでしょう)?』

 悩ましく思考を巡らす二人。慧卓は先ず真っ先に現代の甘露、即ちスイーツを想像する。ケーキや、チョコレートなどなど。 

「アリッサさん、この世界の甘味ってどんなのがあるんです?ケーキとか、チョコとか...」
「ちょ、ちょこ?後者の方は全く分からんが、前者なら少しは分かるな...あれだ、パサパサしてて、こんぐらいの丸っこい奴だろ」
「それってパウンドケーキ...?」

 腕の前で小さく作られた円を見て、慧卓は徐々に不安を覚えた。どうも此の世界、甘味らしい甘味に恵まれていないようだ。現代の感覚からいえばそうである。パッサパサのパウンドケーキが甘露に入る時点で、正直慧卓は頭を捻る思いであった。その思考回路、既にお菓子メーカーの陰謀に毒されていると知らずに。

「思ったより事態は難航しそうですね...もしかして王女様って箱入り娘だったりします?」
「箱入りか...コーデリア様は幼少の頃は教会にて修行に励まれ、成長した後は宮殿内にて帝王学等を学ばれていた...故にあの方は普段街に出る事が少ない。恐らく、宮殿内外の実情の差を余り理解されていないのかも」
「って事は、王女様は街の中に宮殿の食卓に並ぶものと同じくらい、美味なものがあると想像されている可能性も否めない...」
「拙いな...ハードルが一つ上がってしまったぞ」
「えぇ...拙いですね」

 再び思考を巡らす二人。だがうんうんと悩み唸るだけで碌にアイディア一つ浮かんでこない。内心で立案一つ出来ぬ自分に苛立ちを募らせたアリッサが、思い出したかのようにはっと面を上げた。

「こうなっては我等だけでは解決出来ん!応援を呼ぼう!」
「賛成です!...ところで、応援とは?」
「うむ、こいつ等だ」

 アリッサは戸に向かって、大きくぱんぱんと手を叩く。まるでそれが開幕の合図であるかのように、扉越しに傾き者の如く着飾った名乗りが、聞いた事のある声で吠え立てられた。

「セラムに宿る華一輪、絢爛なれと咲きましてぇ、色を運ぶは修羅の道ぃ!!」
「然れば我等は歌いませう、乙女に薫るうら若き、絶佳の華の恋模様!!」
「誰が呼んだか悪戯者、馬鹿と阿呆と呼ばれるも、真っ直ぐ迷わず進みます、気障で一途な男道ぃ!!」
(......あ、こいつら)

 それを誰か言わんとした時、戸がばんっと勢い良く開けられて、一見クールでその実滑稽なポーズを凛然と決める三人の男が現れた。左右に鶴の如く身体を広げるミシェルとパック。そして中央には獅子の如く手足を伸ばして爪を描く男。それはあろう事か、王国兵の指揮官たるハボックその人であった。ノリノリに腕を構えて笑みを浮かべている。

『天下を轟々騒がします、コーデリア王女愛好会たぁ、俺達の事よぉ!!!』

 凛々しき王女を兵として敬い、可愛らしい王女を全身全霊を掛けて応援して彼女の願いの成就を目指す。王女を陰より応援する地下組織、それがコーデリア王女愛好会だ。未だ隊員三者の小さき組織は、此処に凛然と召還された。
 だが名乗りが終わった途端、慧卓は破壊する勢いで戸を閉め直し、彼らの姿が消え去る。慧卓は信じられぬ光景を見て目を真ん丸としており、驚き呆れるような表情でアリッサに向き直った。

「一軍の指揮官や兵があんな事してて大丈夫なんですか!?」
「頭抱えさせる事言わないでよ...」

 アリッサでさえ素を露呈して頭を抱える。瞬間、再び戸が勢い良く開け放たれ、真面目軍人キャラを完全に吹き飛ばす言葉をハボックは言い放つ。

「話は聞かせてもらったぞ!!このままでは王朝は滅亡する!!!!」
『な、なんだってーーー!?!?』
「するわけないでしょ...」
「なんでこのノリが此処にもあるんだよ...」

 最早突っ込む気にもなれない。頭を振って諦める慧卓を他所に、ハボックは己の胸に手を当てて、寝台に座り込んで頭を抱えるアリッサに視線を合わせた。

「近衛殿、どうか我等に御任せいただきたい!この騎士バッカス、神をも惑わす腹案が御座います!!」
(ふ、不安だ...これ絶対碌でもないアイディアだろ...)
「...事此処に至ってはないもの強請りは出来ん...聞くぞ」
(えっ、聞くの!?)

 思わずぎょっとしてアリッサを見詰める慧卓であったが、即座に返された有無を言わせぬ鋭い視線に窮して、納得出来ぬ気持ちを抑えようと紅茶を一気に飲み干した。
 それに慧卓は驚きだけではなく、僅かな希望もまた持ち合わせていたのだ。彼をそう思わせる不敵な笑みを浮かべたハボックは、その表情のままに告げる。 

「近衛殿、話を聞くに殿下は街で甘味をお探しと聞き受けます。殿下の舌と心を溶かすような、至高の甘味であると」
「あぁ、さっきからそう言っておる」
「なれば話は早い!街一番の料理職人を一箇所に集わせ、至高の甘味を作ればよいのです!」
(なにいってやがりますかねぇ、このクリティカルイディオットは)

 突拍子の無い言葉は、慧卓の希望を軽くスルーするに等しき荒唐無稽なものであった。ハボックは続ける。

「殿下のお口に合う甘味となれば、それを作る職人は当に至高の調理師!!故に、一人や二人ではなく、より多くの数の職人を集めれば、どんな食材でも忽ちーーー」
「あの、貴方が想像している甘味って、数日内で作れるものなんですか?」
「えっ」
「普通はですよ?料理は献立を決めるのから始めて、材料を選んだり調理器具の事前の準備で、其の後で調理でしょう?」
「......おぉ」
「ましてやこの街で新鮮な食材を、しかも甘味に関わる物を扱っている商人は少ないのでは?そんな状況下で街で料理の腕を振るう方々に、才能と努力を結集した至高の甘味を作らせるなんて、難易度高すぎますって」

 慧卓は我慢できずに口を挟んでしまう。このままこれを実行されたら誰も得をしない、そう思ったからか、話は自然と説教染みたものに変貌していった。
 答えを返せずにいたハボックは、後ろに控えている仲間に助けを求める。

「おっ、お前らも、なんとか言ったらどうなんだ!ほら!」
「食べられないのか...チェリーパイ」
「食べたかったなぁ...アップルパイ」
「お、おい、お前らぁ!!」

 早々に諦めに走った二人を見てアリッサは唖然としている。一方で慧卓は聞き慣れた単語を耳にして、頭の上に電灯を燈して尋ねる。  

「あの、今言った、チェリーパイというのは?」
「俺達の故郷じゃこういうモンをおやつとかに出してくれたのさ...まぁ、食糧が余分に余った時しか作ってくれなかったけど、それでも甘くて上手いんだぜ?」
「一流の職人が作ったもんなら滅茶苦茶上手いと踏んで付いて来たんだが、こいうのは上手くいかないもんだよなぁ...」
「お、お前ら、それでもコーデリア王女愛好会の一員かぁ!?溢れ出る愛情と熱意はどうした!!」
『それはそれ、これはこれ』

 あっさりと態度を覆したミシェルとパック。唯食欲の充足に釣られた二人はそれが適わぬと見れば即座に掌を返したのだ。余りの身の移しの早さにハボックが呆れ、そして嘆くように膝を突く。

「ど、どうすれば良いのだ...私達は唯...殿下に、王女様に喜んでもらいたかっただけなのに...」
「......だったら、前提を捨てましょう」
「えっ?」
「...如何いう事だ?」

 唖然とした心から帰来したアリッサが問う。問いかけられた慧卓はばつが悪そうに佇まいを直しながらも確りとした口調で話す。

「王女様の言葉を思い出して下さい。あの人は唯、『街の甘味処に行ってみたい』、そう言ってらした」
「...そうだ」
「そして、俺にも責は大いにありますが、俺達はその言葉に、『一番の』という飾りをつけてしまった。だから難易度が跳ね上がったんです」
「しかし、王女様が喜ぶような甘味でなければならないというのは変わりがないぜ。どうするんだ?」

 ミシェルの言葉に王国の二馬鹿は最もだといわんばかりに頷き、アリッサもまた首肯をする。皆それぞれの思いを抱いているようだが、しかし一様に理解している。ようはコーデリアが可憐な笑顔ではにかんで満足してくれるなら、必要以上の拘りを見せなくてもいいのだと。だが王女という高位の方に御奉仕する以上、自然と肩に力が篭ってしまうのだ。慧卓もまた其の一人。自らよりも社会的地位が高い者を前にすれば、自然と身体が畏まってしまうのだ。その相手がベテランの先生や校長であろうとも、いわんや王女であっても同じ事である。
 だがコーデリアは女の子だ。それも自分と同じくらいの歳であり、第三者である慧卓から見れば彼女は、王女という位に身を寄せて己を必死に守るいたいけな少女にも映るのだ。世界を知らぬ純真さを、冷徹な王族の気品で隠している少女。あの若さであれば夢も恋も抱いて当然の話であるのに彼女はそれを感じさせる素振りも見せない。その気丈さが慧卓にとって何よりも胸を締め付けるものがあった。
 無責任な話ではあるが、唯一日だけでもいいから彼女に歳相応の笑みを、未だ蕾のままでありながらも成長の香りを漂わせる可憐な花弁を咲かす、そんな華のような笑みを浮かばせて遣りたかったのだ。
 慧卓は腕組みをして壁に寄り掛かりながら話す。
 
「...馬鹿な考えかもしれませんが、俺に提案があります」
「馬鹿でも構わん!聞こう」

 慧卓は己の心に思い浮かんだ一つのプランを話し出す。話が進むうちに、皆の表情がどんどんと驚きに変貌していき、一通りの話が終わった時にパックが問いかけた。

「おいおい、正気かよ?」
「俺はこれ以外に手段は無いと思います」
「...私は賛成だ。ケイタク殿が提案した策の規模を考えるに、成功すればこの街の繁栄に大きく貢献する事になる。...無論、王女殿下の心を掴むのが最重要課題だがな」
「加えてこの計画を鑑みるに、割と簡単に準備が出来そうだ。この街には余剰食糧がふんだんに蓄積しているし、交通の要衝だから商人も集結している...いけるかもしれんな」
「上手い飯がいっぱい食えるってんなら大賛成だ。ミシェル、お前はどうよ」
「ん~...まっ、いいんじゃないか?お祭り事ってくれば、皆結構乗り気になってくれそうだし」

 大きな利益を思いつく者、現状と照らし合わせる者、愉快に生を謳歌する者。皆が皆それぞれの納得を示しながら慧卓に向かって首肯を落す。慧卓は爽やかな笑みを見せる。

「では、決定という事で?」
「あぁ。となれば時を無駄には出来ん!早速街の造営官と財務官の下に行ってみるとしよう」
「では、私はこの街の商人ギルドの長に当たります。お前達は手の空いた者を率いて商人館と色町に行け!大量の人と物資が動くと聞けば、商人達は絶対にこれを看過しない筈だ!」
「合点承知!」
「小隊長も引っ張って行きますよ!!」

 いうなり若き二人の兵は足早に部屋を去っていく。どかどかと廊下を駆ける音を背後に、アリッサらは最後に言う。

「ではケイタク殿、我等はこれにて。殿下を足止めしておいてくれよ?」
「くれぐれも、殿下には内密にお願い致しますぞ...」
「えぇ、承知しました!皆さん、お願いします!!」

 頼り甲斐のある精悍な笑みを見せて、アリッサとハボックもまた廊下へと飛び出した。軍靴ががたがたと廊下を鳴らす音は流石に騒々しいものだ。
 隣人も同じ気持ちであるのか、コーデリアが訝しげに顔を見せてきた。

「ケイタク様、皆さんはどうしたのですか?何やら慌てふためいて外へ飛び出していきましたが」
「あ、ああ!あれはですね、今天気が晴れているでしょ!?だから雨が降らない内に自分に必要な物資を買おうと突っ走っているだけですよ!」
「?そういうものなのですか?寧ろ皆さん、階段を駆け下りる時、まるで何かを企んでいるような笑みを浮かべていた気がするのですがーーー」
「さぁ姫様!!知識の勉強だけでは流石に俺もぐったりしちゃいますから、今度は礼儀作法でも教えてくださいな!貴方にまで恥を掻かせては俺情けなくて死んじゃいそうですから!」
「わ、分かりましたから!背中を押さないで下さい、もうっ!」

 露骨に話を逸らす慧卓の勢いに押されつつ、コーデリアは己の部屋へと彼を招きいれた。
 向かいの部屋で寝台に横たわりながら一部始終を聞いていた熊美は、溜息を零す代わりに寝返りを打った。 

(......やれやれ、とんでもない事に発展していってるわね...まぁ、好きにやらせますか。私もいいアイディア、一つ思いついちゃったし)

 若き者達の壮大な企みに便乗する気満々の熊美は、声に出さずにひししと笑みを殺していた。向かいの部屋から凛々しき叱咤の声が響いてくる。礼儀所作に厳しき鬼教師にたじたじとなる慧卓を想像して、熊美は愉快な気分を重ねながら瞳を閉じた。
  
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