王道を走れば:幻想にて
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第二章、その1:門出
どれほどの時間が経ったか分からない。慧卓はぼやぼやとした頭の中に、光のように明快とした意識の流れを呼び戻し始める。閉ざされた瞼の中からでも日光の眩きを感じる。何時の間にか一日が跨いでいたようだ。耳を打つ小鳥の囁きが煩わしく感じて、慧卓はベッドに顔を埋めた。
「...んん...」
「...タク殿...い、朝...ぞ」
何処か懐かしい、凛とした鈴のような女性の声が聞こえる。だが寝起きの彼にはそれすらも滝行の水流の如く厳しいものであった。彼は己に掛かっていた布団を顔に引き寄せて隠れる。
「ケイタク殿、暁だ。起床の時間だぞ」
「んん......待って...あと五時間...」
「幾らなんでも寝過ぎだっ!!」
裂帛の勢いを伴った声が、ばっと布団を捲り取った。外気に流れる冷ややかさを感じて慧卓は漸く眠気を払い始めた。目を擦りながら彼が見遣ったのは、硬直した表情で一点を見詰めるアリッサであった。彼女の瑞々しい顔に赤みを帯びている。
「......」
「ふわぁぁ...おはよう...ってあれ、アリッサさん?」
漸く慧卓が異変に気付き、アリッサの顔を、ついでその視線の下へと目を配った。視線の先とは、慧卓の股間。生理のために屹立とした男の象徴が、衣服越しにて己を主張していた。アリッサが口から詰まったような声を漏らす。
「...は」
「は?」
「破廉恥よぉっっっ!!!!!」
「グボォァっ!?」
恥じらい気味に炸裂した鉄火の拳底を顎に受け、慧卓は清清しい朝を『セラム』にて迎えられたと自覚した。
ーーーーーーーーーー
「なんか朝っぱらから酷い目に遭った気がする」
ひりひりと痛む顎を擦りながら慧卓は村の外気を浴びていた。まるで山間の秘境の如き新鮮で、晴れ晴れとした空気が存在しているのが分かり、慧卓はそれを吸い込む。都会では味わえぬ、清涼感に溢れた味であった。既に村中では兵士達が出立の用意を整え始めており、慧卓らの朝餉が終る頃には大半が完了していそうだ。
慧卓がコーデリア等が泊まっている村長の本邸へと足を運んでいると、後ろからずっしりとした足音が鳴ってきた。振り返るまでもない、熊美だ。
「お早う、ケイタク君」
「お早う御座います、熊美さん。って服、着替え......どうしたんすか、頭」
振り返ってその衣服を見やれば、熊美は王国兵らが着込んでいる軽装の鉄鎧を纏っており、上から茶褐色のマントをはらりと背負っている。腰帯に差されているのは、護身用の一振りの長剣だ。化粧も落されている様子であり、女々しい口調さえ除けば、精悍な一兵士に見えなくもない。だがそれ以上に、毛根のみが残るスキンヘッドが目に付いた。それはもう見事なまでの軍人ヘアーである。じょりじょりとと、残り僅かな毛根が黒点を浮かばせていた。
「動いていると邪魔だからね。一気に切ったのよ」
「だからって全部は無いでしょう...すいません、熊美さんって何歳でしたっけ?」
「レディーに歳を聞くなんてデリカシーの無い子ね」
「レディーじゃなくて、漢なんでしょ?何歳です?」
「52よ」
「あぁ...成程。どうりで地獄の監獄を制圧する英雄の様な風貌をしていると思ったわ...」
「あらやだ。私まだまだイケるって事じゃない」
二人は歩みを進めながら話す。
「それと服装なんだけど、こっちの世界に合わせたのよ。貴方も成るべく早く服装を整えた方が良いわよ?」
「えっ、なんでです?これ結構動きやすくて良いんですよ?」
「残念ながら、それでは少々問題なのです」
二人がその声に目を向ける。本邸の扉の前に、コーデリアが礼儀正しく立っていた。熊美が頭を垂れて挨拶を述べる。
「王女殿下、お早う御座います」
「お早う御座います、クマ様」
コーデリアは晴れやかな笑みでそれに返し、より深い笑みを浮かべて慧卓を見詰めた。ぞくりと、慧卓の背筋が冷ややかな視線に凍てつく。
「昨日は、とてもとても、お楽しみのご様子でしたね、ケイタク様?」
「...あれ?王女様、何か怒っていらっしゃいます?」
「あら、何の事でしょうか?昨夜の宴で心愉しませる事はあれど怒るような事などありませんよ?それとも、ケイタク殿に何か心当たりがあるのでしょうか?お酒を沢山飲んでいらしたから、まぁ一つや二つはやってしまったのでしょうね...うふふふふ」
「いっ、いいえ!昨夜は本当に愉しい宴でしたねー!あははは...」
乾いた笑みを浮かべた慧卓は目の前の女に恐れ戦いて彼方に視線を飛ばす。その女性はまるで雪原の吹雪の如き冷ややかな瞳で慧卓を反目で見据えていた。決して睨んでいる訳ではない。見詰めているだけだ。だが慧卓にとってそれは睥睨以上の何者でもなかった。
慧卓は話題を逸らそうと気丈を振る舞う。
「で、な、何が問題なんでしょうか?」
「そうですね、クマ殿は大体察しているでしょうが、これから我が軍は王都の方へと帰還しなくてはならないのです」
「えっ、もうですか?まだ山賊退治から一日しか経ってないんじゃ...」
「いえ、山賊の実態を探るのに此処を拠点として既に一週間は経っているのです。これ以上村に駐屯の負担を強いる事は認可出来ませんし、何より兵達の心に欲求不満が溜まる頃合です。宴で少しは解消しましたけど、それでも早く家に帰らせてあげないと」
「仰る通りです。慧卓君、分かりやすく言えば、任務が終わって饗宴でストレスを吐出したから、もう帰りましょうって事よ」
「は、はぁ...そういうもんなのですか。てっきりもっと長く居るかと...」
理解出来なくはない考えだが、些か唐突過ぎると慧卓個人は感じていた。正しく昨日突然召還されたばかりのにこの話であったのだから。もう少しは村の雰囲気を愉しみたかったというのが、彼の本音でもあった。
コーデリアが確りとした口調で言う。
「王都に帰還した際には、事の詳細を国王陛下を始めとして並居る諸将や宦官の方達に報告せねばなりません。彼らは国王や貴族の方々と共に宮殿に居る...もうお分かりですよね?」
「其処まで言っていただければ分かります。流石にこの形じゃ、幾らなんでも無礼に値するか...」
慧卓が着ているのは此方側に来訪した時と同じ服、白のポロシャツに青のジーンズ。此方ではさぞや珍しがられる事請負であり、同時に一発でラフな格好と見受けられるものであった。国の中枢に足を進めるとあっては、身形はきちんと整えなければならないようだ。
「今着替えを用意するという訳にも参りませんから、途中に立ち寄る町で正装を用意すると致しましょう」
「後、道中で一通りの礼儀作法と一般常識を叩き込んでおかないと成りませんね?失礼に値しますから」
「うわっ...俺大丈夫かな?」
「人間、その気になればなんでも出来るぞ、ケイタク殿」
本邸の扉が開き、アリッサが姿を現した。熊美に続いて慧卓が申し訳無さそうに頭を垂れた。
「お早う、アリッサ」
「あっ、お早う御座います、朝はなんかすいません、アリッサさん」
「お早う御座います、クマ殿、ケイタク殿。あのな、ケイタク殿。気にする必要は無い。あれは、あー、ただの事件だ、不可抗力だものな、此方こそ殴ってすまん」
アリッサは言葉を詰まらさせながらも慧卓を許そうとそれを紡ぐが、それでも心の何処かで彼を恨んでいるのか、事故ではなく事件と呼称していた。慧卓もそれに気付いており、力無い笑みを浮かべて許しを受ける。
アリッサはコーデリアに向き直り、常の凛々しき騎士の面立ちを浮かべる。
「殿下、朝食の用意が整いました」
「有難う御座います、アリッサ。ではクマ殿、ケイタク殿、御一緒に如何です?」
「喜んで御供させていただきます」
「此方こそ、お願いします。こっちに来てからまともな御飯は初めてな気がするな」
「あら?でしたらきっと驚くでしょうね。その優しい美味に」
四者は本邸の中に足を踏み入れ、現代でいうところのダイニングに向かった。淡い風合いの木の壁に囲まれて、四つの椅子を収めた食卓が部屋の真ん中に鎮座している。そしてその机上に、お目当ての朝食が並んでいた。
「これが、この村の伝統的な朝食です」
「うっほぉぉおおお......」
慧卓にとって、涎が自然を湧き出るような光景であった。
仄かに湯気を立てて狐色に焼かれた食パン。白綿のようにふんわりと生地が裂かれ、波を幾重にも描いている。備付けのバターや、或いは苺のジャムを塗れば更に美味となるに違いない。そして郷土料理らしい、切り刻んだ野菜と宴で余った肉を混ぜ合わせたスープ。具材の出汁を存分に吸ってか、色の良い膜が水面に上がっている。此方も香りを嗅ぐだけで食欲が誘われる。極み付けは新鮮な果実そのものだ。水気を肌に浮かせて山と積まれているそれは、手を伸ばして頬張れば病み付きになる事請負であろう。
慧卓はこれらを用意してくれた、村一番の大女将、村長の奥方に対して、心の底からの感謝の念を抱き、そして料理の具材を作ってくれた村の人々に、『セラム』の雄大なる自然に対して感謝の念を抱く。世界を違えど、食べ物に対する感謝だけは絶対に忘れたりはしない。それが慧卓の心得であった。後は肉を抵抗無く食べれれば無問題なのだが、それは置いておく。
四人が席に座ると、コーデリアが先んじて声を出す。
「では、いただきましょうか」
「そうですね、では...」
『いただきます』
慧卓はその唱和に呆気を取られ、思わず問う。
「えっ、あれ?こっちでも有るんですか?」
「ふふ、クマ殿のお陰だよ」
「いやいや、私は切欠に過ぎん。皆の真心あっての流行さ」
流行の仕掛け人は朗らかな笑みを浮かべてパンを齧る。まるで縋りつくようにもっちりとして生地が裂かれる様子を見て慧卓は空腹を改めて覚え、パンに齧りついた。瞬間、咥内に豊満なパンの香りと弾力が伝わり、彼の顔に満面の笑みを浮かばせた。コーデリアは自慢するように笑みを見せる。
「どうです?美味しいでしょう?」
「...美味しいです!...このパンの食感と風味っ...まさに嗜好の一品ですよ!!!」
「うふふ、お気に召した様で何よりです。後で料理をなされた方に感謝の言葉をいってあげて下さいね」
「はいっ、それは勿論ですよ!」
途端に無我夢中と見れるほどに食事を食べ始める慧卓。まるで食い意地を張る幼子のような光景に、コーデリア等は顔を見合わせてくすりと笑みを浮かべる。胸に宿るのは、王国の小さな村に伝わる料理を心行くまで堪能してくれる慧卓に対する感謝、そして異界の者の心を捉えた料理に対する誇りであった。
ちゅんちゅんと、小鳥が囀る。朝日の眩さは天を登り、村の外れに聳え立つ欅(けやき)に向かって燦燦と光を落としていた。
慧卓等の食事が終わり、時刻は現代でいう09:30といったところか。慌しく村の出口にて出立の最終点検をしている真摯な兵達と打って変わって、二人の兵士が背嚢を下ろし、其の上に腰掛けて冗談を飛ばしあってる。雀斑(そばかす)が目立つ二十台後半近くの男が、髪を短く刈り込んだ同年代の男に対して朗らかに言った。
「ってな訳で俺はそいつの顔をぶん殴ったって訳だっ!オラっってよ、ハハハ!!」
「ハハっ、お前も粋な奴だよ!!おっとぉ、やべやべ、指揮官来たぜ!」
二人の視線の先、村の中央からのっしりと指揮官が歩いてくる。兵達の行動を見遣りながら激を飛ばす様は、正に指揮官たる威風を堂々と見せ付けるものであった。
「兵士諸君、間も無く出立の時間だ!それぞれ最終準備を怠るな!それとミシェル、パック!私が来るなり準備し始めるな!もっと早くからして置けばよいだろうに!」
「うわっ、朝っぱらから説教節だよ...何処の母様だっていうんだよ」
「全く、俺の母ちゃんでもあそこまでガミガミ言わないぜ?あれ将来絶対に禿るわ。俺の父ちゃんがそれを証明してる」
「聞いているのかっ!さっさと準備しろ!!」
『いっ、イエッサー!!!』
駄弁っていた二人はいそいそと背嚢を背負い、慌しく部隊の方へと駆けて行った。口元に『またやっちまったぜ』とばかりに浮かべられた、不敵な笑みを携えて。
一方で慧卓といえば、村長の邸宅にて出立を見送ってくれる村長夫妻に頭を垂れて、慇懃に礼を述べていた。歳は四十を越えていないであろう若く逞しい村長と、恰幅の良い奥方は晴れ晴れとした笑みを浮かべて慧卓を見詰めていた。
「宴の御飯と朝食、ご馳走様でした!本当に美味しかったです!」
「いいさいいさ!上手い飯しかこの村には取り柄が無いからな!尤もっ、昨日でそれともお別れだったしな!」
「全くだよ。あんたたちのお陰で、村にまた一つ面白い話種が出来たよ。ありがとさん、若い異界の人」
「はっ、ははは...もう俺が異界の人間だって広まってるし」
「まぁ狭い村だしなっ、噂は結構早く広まるもんだぜ!兄ちゃんのっ、大活躍もその一つよ!ははははっ!」
軽やかにばんばんと肩を叩かれる慧卓。苦笑をはららと浮かべていると、彼の服、王国兵より借りた服、をぐいぐいと小さく引っ張られる。彼の後ろには、村の小さな子供達が輪を成して彼の顔を懇願するように見詰めていた。
「兄ちゃん、もう行くの?」
「そうだよ、もっと留まっていっていいんだよ?」
「もっと色んなお話聞きたいー!」
「そうだよー!ヤマンバのお話の続き聞きたいー!」
きらきらと輝く期待の光に慧卓は罪悪感を覚える。暇だとばかりに子供達に捏造脚色なんでもありの御伽噺を聞かせるものではなかったと後悔しつつ、彼らに視線を合わせるように腰を下ろして優しく話しかけた。
「悪いな。俺も色々と面白い話をしてやりたいんだが、それをやってるとあの女性の騎士さんが色々とガミガミ言ってきてくるからさーーー」
「誰がガミガミだっ、このお調子もん!!」
ガミガミの女性騎士、アリッサが膨れっ面で慧卓を見下ろす。兵達の様子を見てから、ここへと辿り着いたらしい。彼女は村長夫妻に軽く頭を下げて、礼を述べた。
「御主人、女将殿、世話になり申した。そろそろ御暇させていただくため、御挨拶にと」
「いやいや、此方こそ。樫の花を背負う立派な騎士さんを迎えられて本当に光栄でした。我が村の自慢の料理は如何でしたかな?」
「大変素晴らしい美味で御座いました。王都でも、あのような料理は中々に回り逢えぬものです」
「嗚呼、それは嬉しい!騎士様、またどうぞ御縁がありましたらお留まり下さいませ。我等村の者共、何時でも、歓迎致します」
「はい、必ずやまた参りましょうぞ。では、ケイタク殿」
「分かりました。...どうもお世話になりました。またなっ、皆!!」
遂に慧卓は腰を上げ、手を振りながら子供達に別れを告げる。子供等は寂しさを紛らわせるように、大きく、強く声を上げて二人の背中を見送った。温かな別れに小さく微笑み、アリッサは慧卓に言った。
「随分と好かれていたな、ケイタク殿?子供の世話は得意分野だったか?」
「まぁそこらへんはちょっとは慣れてるんで、ん?」
ふと一方を見詰めた慧卓の視線に合わせてアリッサも見遣る。貯水塔の陰に隠れるように、栗色の髪の毛をした可愛らしい少女が慧卓等を熱い瞳で見詰めていたのだ。少女は視線に気付くとはっと慌てて、益々に身体を塔に隠す。いじらしい態度にアリッサはにやにやと笑み、からかうような口調で慧卓の肘を己の肘で突いた。
「...ほぉ?随分と可憐な少女だったな?まるで恋に落ちた少女のようだったぞ、色男」
「色男って...いやいや、あれは俺相手の視線じゃありませんよ。アリッサさんに惚れている瞳でしたよ、間違いなく」
「ちょっ、ちょっと待て!なんで同じ女である私なんだ!?あれは明らかにお前だろ!」
「馬鹿言わんで下さい!あんな可愛い子が俺みたいな駄目男に惚れるだなんて有り得ませんって!絶対にあれはアリッサさんに恋してます!マジで落ちちゃう五秒前の目でしたよ!!」
「その自信は何処から出てるのだ、お前は!?」
互いに大声で言い合いながら二人は肩を並べて歩いていく。近くで準備をしていた兵達は呆れ、そして微笑ましい光景を見守るかのように微苦笑を浮かべていた。
所変わり村の出口にて、出立の準備を整え、清廉で輝かしい貴族の鎧に身を包んだコーデリアが待機していた。既に彼女は騎乗しており、後は指揮官の出立の号令を待つだけとなっていた。其処へ指揮官が現れ、からかう様に深まっている笑みを見せて彼女に言う。
「王女殿下、出立の用意が委細整いまして御座います。後は、殿下の号令だけです」
「もう、貴方が指揮官でしょうに。胸を張って号令を掛けてもよいのですよ?」
「誠に恐れ入りますが、兵士共や村の方々も御期待されているので」
「...もう、皆して」
コーデリアは一つ諦めたように声を漏らし、馬首を村の方へと向かわせた。彼女の視界の中で、互いを大声でからかう慧卓とアリッサが見えて来た。熊美が嘆息を漏らし、跨っていた馬を彼らへと近づけていく。
「全く、とんだお調子もんめがっ!」
「そりゃアリッサさんも似たような感じですよ!」
「何処がだ!?私の何処がそうなんだっ!!」
「酒飲んだら一気にキャラ崩壊する所とかでしょ!?」
「あっ、あれはだなぁ、不可抗力というかーーー」
「二人とも、最後くらいきりっとしなさい、王女殿下の御言葉よ」
二人は口を噤んでその歩みを熊美の近く、村の出口の間近にて止まらせる。
コーデリアは並居る兵達の視線を一身に浴び、そして村人の見送りの瞳を受けて、堂々と胸を張って馬を進める。そして、衆目を集めるように村の中央部分まで進んで、大声を張り上げて謝辞を述べた。
「村の皆様っ、長きに渡り我々と共に日々を過ごしていただきまして、このコーデリア=マイン、そして兵士共々、誠に感謝しております!!これより我等は王都へと帰還致しますが、皆様と過ごした尊き日々は決して忘れません!!本当に有難う御座いました!!!」
『ええってことよおおおお!!!!!』
『また来てねぇぇっ、王女様ぁぁぁっっっ!!!』
『御達者でぇぇぇっっ!!!』
村の人々の叫びに、一切の害意も見て取れない。若きも老いた者達も手を振り、口々に惜別の言葉を木霊させた。寂しさを紛らわすような朗らかな笑み、そしてそれ以上に王女を慕う温かな笑みを浮かべて、彼らは真っ直ぐにコーデリアを見詰めていた。コーデリアは言葉を返さず、大きく手を翳して言葉を受け止める。彼女の顔にも、村の人達の温厚な見送りに喜びを募らせて、優しげな色が浮かばれていた。
そして彼女はそのまま馬首を返し、指揮官に向かって大きく手を振り下ろした。
「出立です!!!!角笛を鳴らしなさいっっ!!!!!」
指揮官の傍に控えていた兵が、白地の角笛を手にとって大きく息を吹き込む。途端に、まるで龍の咆哮のように雄雄しい重い音が宙空に大きく広がる。耳を打つのではなく、身体を揺さぶるような音である。
その音と共に、兵達が一糸乱れぬ動作で以って身体を村の出口へと向けて、指揮官の先導の下、泰然とした行軍を始めた。彼らの出立に合わせて、村の者達が今まで以上に声を張り上げて別れの言葉を掛けていく。兵の幾人かがこれに応え、叫び染みた返答を返している。
慧卓等も出立しようと、己の足を準備していた。アリッサは澱みの無い動作で馬に跨り、周囲を困惑して見渡す慧卓に向かって鋭く言う。
「さっさと準備しろっ、置いて行くぞ!」
「おっ、おい!俺馬乗れないぞ!どうしろっていうんだよ!」
「じゃぁ私の後ろに乗りなさい、ほらっ、急いでいるんだから」
「ちょっ!?襟首掴まないで下さい!」
服の襟首をむんずと掴まれ、慧卓は熊美の背中へと落とされた。這い蹲るように馬の背に乗っかった彼を気にせず、熊美とアリッサはいよいよを以って馬を進めた。慧卓は和やかな笑みを伴い、別れの手を村に向かって振り続ける。幼子の元気の良い声が彼の背を見送り、静寂に潜んでいた小鳥達を空へと飛ばしていく。可憐な囀りを上空に頂きながら、兵達は確りと地に足を着けて、規則正しく肩を並べて街道を歩いていく。
こうして、慧卓にとっての、最初の小さな旅路が始まった。
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