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王道を走れば:幻想にて

作者:Duegion
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第三章、その1の2:社交的舞踏会


「・・・そうか、時間をとってすまなかったな」
「いえいえ。またいらして下さいね、旦那さん。今度はもっといいもん用意しときますので」
「あぁ、また来よう」

 気さくな商人に礼を告げて茶褐色のロープを纏った男は、ざわざわと活況を呈する王都の街中を歩いていく。男の手に握られた布切れには幾つかの所在地や名称らしき綴りが走っており、魚の鱗のように広がる雲から注ぐ茜光に照らされて、線の中の粒子がきらきらと煌いていた。男はその一文を木炭の黒でびっと塗り潰す。 

「此処も外れか・・・」
「おーい、御主人よぉぉぃ!!」
「む?パウリナか」

 鬱蒼とした林のような人混みの中を、実に楽々と擦り抜けながらパウリナが姿を現した。暑さにやられたか、健康な汗を額に掻いていた。  

「向こうも周って来たんですけど、さっぱり当たりませんよ!本当にこの情報は合っているんすか?」
「・・・俺の記憶ではそうなんだがな」
「でも十年前の話なんすよね?其の時に結構な活躍をしてた方なんだから、今頃は地方で頑張っているか、若しくはあそこじゃないですか?人探しってのは楽じゃありませんよねー」

 彼女が指差す先に建立されているのは王都の宮殿。区画ごと高い内壁に囲まれているに関わらず、丘陵の上に立っている為か盛り上がって見えていた。宮殿は赤い光を受けて、その純白を更に美しく、気高く彩っている。男は不満の息を漏らした。

「・・・民草の中に混じって生活を営んでいると思っていたが、夕刻近くまで都を練り歩き、掴んだ情報が皆無となれば最早あそこしか考えられないかのか・・・?」
「まっ、あたし達じゃ正面から入れませんけどね。騎士連中は堅苦しいし、壁は高いし、おまけに税金高いし」
「最後はいらんだろう」
「貴族になるのも大変ですよね~」

 飄々としたパウリナの態度が苦労を重ねてきた男に僅かな苛立ちを与える。 

「なぁパウリナよ。手詰まりに近い状態なのにお前は随分と余裕そうだな。何か考えでもあるか?」
「ええ勿論。でも御主人から聞かせてもらえますか?」
「・・・正面突破だ。衛兵を切倒す」
「ちょっ!?極悪人になる心算ですか!?止めて下さいよ、血生臭いっ!!」
「だが俺はこれしか、一辺倒な武技しか能が無い。他に如何しろというのだ」
「はぁ・・・御主人って、案外脳味噌が筋肉だらけなんすね」

 肩を竦めてやれやれと苦笑を漏らす彼女の態度がやけに気に障る。彼女はひらひらと手招きをして歩いていく。

「まぁ付いて来て下さいよ。明日中には入れるようになりますから」
「・・・期待しよう」

 赤髪の美女に釣られるままに男は歩いていく。向かう先は外壁に聳える外門の直ぐ近く。宮殿に背にする形で歩く彼らに、赤い西日が差し込んで頬を染め上げた。




 その宮殿では今、貴族による、貴族のための豪勢と気品を極めた宴が催される寸前であった。 
 宴の場は宮殿の王の間。普段は国王に対して政務の報告をしたり、様々な儀式が行われる神聖にして厳粛な間である。それが今や、王国随一の職人の手により絢爛な宴会場へと変化を遂げていた。

『やぁ、久しぶりだな。奥方は御一緒ではないようだが、息災かな?』
『ああ、格段の病も無く床についているよ。この調子であれば、来月辺りにでも次の子が安泰に生まれるだろう』
『そうか!これで二児の父親となるな、おめでとう』
『有難う』
『もし生まれて首が座る様になったら、是非私の妻にも抱かせてくれないか?あれももうじき、子を宿しているかどうか分かる時期だからな・・・それに俺も父親になる決意というものを確かめてみたいんだ』
『構わないさ。何せ朋友の頼みだからな』

 キラキラと輝くシャンデリアの傘の下には、栄耀栄華を字に顕したかのような人々が話しの華をがやがやと咲かせている。
 男達の表情は自信に満ち溢れており、階位の上方に座す者としての責務を負った漢の顔をしている。背に羽織るマントやそれを留める金銀の飾り紐が美麗であり、中には小洒落た感じの鳥の羽を付けた帽子を着るものもいた。
 女性陣は赤に黄・青・白など、目もあやな綺麗なドレスを身に纏っている。若きほど純真さと優美さを描く白や水色が好まれ、歳嵩を積むほどに美麗さと妖艶さを描く赤や紫などが好まれているようだ。優雅に話し込む彼女達の姿は、まるで一枚の中世の絵画そのものとも思えるほど。

『・・・辺境は随分と荒れているようだ。ドワーフは大人しいのだが、北のエルフ共はな・・・なんとかならぬものか』 
『今奴らに表立って反撃すればそれこそド壺に嵌るというもの。武で解決できぬ以上は、対話による解決こそ、王国の第一の利益ではないか』
『ふん、いけ好かぬ!力に依って奴らを押せば良いではないか。それこそ、三十年前と同様にな』
『それを行ってヨーゼフ国王は兵を大いに失ったのだぞ。奴らの軍事的才覚を侮るな』
『むぅ・・・昔は昔ではないか』

 広間の中央に大きな空間を設けており、人々は其処で話し込んだりしているようだ。宴は社交場。故に此処では手塩にかけて美を育んで来た貴族の娘達も参列しており、彼女達は老を重ねつつある男達に向かって瑞々しき色香を放っていた。 

『今宵は娘さんも御一緒なの?昔以上に綺麗になったわね』
『えぇ、今年で十八となりますわ。我が娘ながら、月下の百合に勝るとも劣らぬ美しさですわ。御覧なさい、男達の視線を釘付けとしておりますわ』
『ふふふ、純朴な方々ですこと。見目は貴方にそっくりね。百合とは、中々に御上手な喩えではないですか』
『あら?何処か他意があるかのような口振りですこと。何か気になる事があって?』
『そのような事などありませぬわ。強いて申せば、百合の花の臭いは、慣れぬまでが大変と思い出したまで・・・』
『うふふ、面白い事を言いますわね・・・』

 華の間に飛び交う毒牙もまた社交の愉しみの一つである。大扉の隙間からその光景を覗いている熊美はにやにやと笑みを浮かべていた。

「大分盛り上がっているわね。準備はいいかしら慧たーーー」
「無理ぃ!!!無理無理無理無理、無理ですって!!!」

 盛大にてんぱる様子を見せる慧卓。余裕の一字も感じられぬ表情をしており、学ランにも似た貴族の正装が醸し出す気品を台無しとしている。
 彼の他に扉前に待機するのは数名。彼と同じく祝宴の華であるハボック、アリッサ、熊美。そして扉を警護する近衛騎士だけだ。男性と漢においては体格の良さを強調するように赤いマントを羽織り、下にはシンプルな黒い礼装を着用している。
 紅一点であるアリッサは女性である以上ドレスを着るのを予想していたが、今日の彼女は端麗さと凛々しさを強調した蒼を基調とした正装に身を包んでいるようだ。それは女性が望む白馬の王子のようでもあり、中性的な美を顕す彫像のようでもあり、或いは女性歌劇団の男役ともとれる美しさであった。
 そんな彼女は今、近衛騎士の前で緊張と焦燥でにっちもさっちもいかなくなっている慧卓をジト目で見据えていた。 

「貴方は・・・昼時の威勢は何処に行かれた?」
「そそそそ、そんなものお空の彼方にダイビングですよ!!だって見てよ、あの人達のヤバイ顔付き!!」
「・・・別段、変わった顔をされている方は居りませぬぞ」
「瞳です、瞳!心の底から愉快げな人なんて誰一人としていないでしょう!?」
「それは・・・言われてみれば確かにそうだが・・・今此処で気にすべき事ではないだろう?」
「観念なさい、慧卓君。何時も通りに開き直って、堂々と構えれば良いのよ」
「そうですぞ。此処に来て一々細かい所を気になさるよりも凛然となさるべきだ。待つべきものは全て待っている。後は貴方の決意次第なのだ」
「そう言われてもなぁ・・・」

 身体を伸ばしたり縮めたりして扉の隙間から広間を覗きながら話す四者の姿はそれはそれで間抜けな格好であり、騎士等が遠い目で警護に当たっていた。 

『紳士淑女の皆様方、ご静粛にされたい』
「っ、始まりましたな」

 四者は扉からさっと離れて身嗜みを整え始める。部屋の中では玉座の近くに立った執政長官が衆目に時を告げていた。

『国王陛下の御入場であらせられる』
『ニムル=サリヴァン国王陛下、御入場!』

 一拍を置いて玉座の後ろ、臙脂色の幕の内から国王が姿を現す。出席者等が温かな拍手万雷で出迎える。幾秒かそれを受け取った国王が、手を翳して拍手を制した。

「皆、良くぞ集まった。今宵は宴だ。愉しく慎ましく行おうではないか」
「・・・陛下、あの方々を」
「ん?おお、そうであったな。今宵は諸君等に紹介したい者達が居る・・・あぁ、レイモンド、頼むぞ」

 王はふかふかの玉座へと座り込んで黙する。レイモンドは一瞬彼を見遣った後、賓客等に向き直って言う。

「皆様方は既に御存知だと思うが、一月前に王都を出立した鉄斧山賊団討伐隊が、昨日の夕刻、無事に王都に帰参した。そしてその目的通り、下賎なる山賊団は王国の威光と栄誉の前に、そして主神の御覧の下、為す術も無く撃滅された。我等は王国に更なる栄華と平和を齎したのだ」

 言葉を一度切って、レイモンドは大扉の向こうに目をくれた。

「今宵の宴はその類稀な活躍を為された武人等をお招きし、その勇気を讃えたい。紹介しよう、ハボック=ドルイド第三歩兵団大隊長殿、アリッサ=クウィス近衛騎士殿」
「気合だぞ、ケイタク殿!」
「雰囲気に飲まれぬよう、お気をつけを」

 両名はそう告げた後、開門する大扉の内側に広がる、魑魅魍魎の綺羅綺羅とした世界へ足を進めていく。大きな拍手と、そして何故かうら若き黄色い悲鳴が聞こえて来た。 

「流石所帯持ちね、いい余裕っぷり」
『そしてその折、この『セラム』に顕現された異界の方々も御紹介したい。豪刃の羆、クマミ=ヤガシラ殿』
「じゃぁ、お先に失礼」

 熊美はそう言うと、歳相応の渋みのある精悍な表情を作って扉の内へと消える。聞こえてきたのはどよめきと歓迎の声。王国の羆の風貌と威風は貴族をも驚かすものであるようだ。
 レイモンドは最後に残った慧卓を見て、それまで以上に張りのある声で言う。

『そして、異界の若人、ケイタク=ミジョー殿』
「ぁぁぁっっ、もう如何にもなっちまえ!」
 
 自分の両頬を軽く叩いて、慧卓は開き直って王の間へと入っていく。方々から注がれる視線はまるで槍衾のような鋭さを湛え、無遠慮なまでに慧卓の肌をちりちりとさせている。

『ほう、あれが件の者か・・・未熟そうな目付きだな』
『どうかな。執政長官殿や陛下の視線を受けて動じる素振りも見せておらん・・・中々に豪胆な奴ではないか』
『・・・お母様、あの人は?あの若い御方は?』
『異界の若き戦士殿です。興味が沸きましたか?』
『・・・えぇ、少なからずは沸きましたわ』
『不遜な顔付きよ、まるで悪戯好きの童ではないか・・・矢張り異界の者は好かんわ!』
『・・・・・・綺麗な黒眼・・・素敵』

 色々と囁かれているようだが慧卓ははっきりと聞いていなかった。彼の意識は既に玉座の前にて貴族側を向いて整列しているアリッサ等を通り越し、玉座の国王とその脇に控える執政長官に向けられていた。能面である一方で厭に光を湛えているように見える国王の顔付きと、半ば同情気味に細目を遣る執政長官の顔。それがやけに印象的で目が離せなかったのだ。
 慧卓が熊美の隣に立って貴族等の方へと向き直り、胸に手を当てて軽やかに一礼をした。それを見てからレイモンドは言う。

「陛下」
「うむ。では皆、杯を持て」

 貴族等は一斉に銀色のゴブレットを掲げる。今宵は給仕として務めるクィニが慧卓等にゴブレットを運んできた。紫色の湖面が美しく揺れている。

「今宵の宴、大いに愉しむが良い。乾杯」
『乾杯』

 音頭に合わせてそれを口に含む。驚いた事に中のそれは葡萄酒ではなく、豊潤な味わいの葡萄のジュースであった。クィニが気を利かせてくれたお陰で、今宵は失態を晒さなくても良いらしい。 
 リュートを使った静かで上品な演奏が流れる中、参列者は徐々に会話の華を、社交の宴を始めていった。熊美は慧卓を見遣ってにやける。

「堂々と歩く様、いけていたわよ。中々やるじゃない」
「有難う御座います、熊美さん」

 常に無い冷静さと余裕を見せる返事に熊美は苦笑を浮かべた。

「今日はずっとそのキャラなのね?」
「えぇ。一度態度を崩すとなし崩しにボロが出ますので。ですから今日は凛々しく構えていってみようかと思います・・・如何でしょうか、アリッサさん」
「・・・えっ?あっ、あの、凛々しくて、格好良かった、ぞ」

 一瞬答えに窮しながらもアリッサはどこか彼方へ目を遣りながら応えた。彼女の返答に照れた様子で慧卓は応えた。 

「あ、有難う御座います・・・アリッサさん」
「あ、あぁ」

 視線を合わせぬ言葉の交わしあいに熊美が胸焼けを起こしている中、一人の男が熊美に言葉を掛けた。カイゼル髭がよく似合う紳士的な大柄の男性であり、顔に幾筋も深い皺が刻み込まれている。

「・・・失礼致す。クマ、俺の事を覚えているかな?」
「む?おお、お前は・・・」

 熊美はその男の顔を見詰め、ぱっと顔を晴らして二人で肩を叩き合った。

「久しいではないか、オルヴァ!!」
「ああ、三十年振りだ!!はははっ、相変わらず厳しい面構えだ!」
「放っておけ!なんだお前、髭を生やしていたのか!?随分と似合っているではないか!其の分老衰したか?」
「それこそ放っておけ!」

 快活に笑いあう二人を見て慧卓は疑問符を浮かべ、アリッサにそれを尋ねた。 

「何方です?」
「オルヴァ==マッキンガー子爵。王国近衛騎士団の総長だ」
「そっ、総長ですと?しかも爵位付きって・・・」
「戦乱時のクマ殿の朋友らしいぞ。山賊の身分から成り上がり、今では王国の歴史上初めて、貴族以外の近衛騎士団の総長だ」

 両者は破顔しながら徐々に会場の壁際へと移動していく。壁沿いにはテーブルが幾つも並べられて、食欲を誘惑するような美味の数々が並べられていた。大柄の二人に掛かれば料理の大半が胃袋に消えてしまうであろう。 
 そんな思いを巡らせていると、葡萄酒を啜るだけであったハボックに一人の女性が親しげに近付いてきた。慎ましい海色のドレスが似合う、温厚そうな顔立ちの女性だ。心成しか、腹部あたりが俄かに盛り上がっているようである。

「此の度は御生還、おめでとう御座います、バッカス様」
「ああ、有難う。君に会うのも随分久しぶりな気がするよ」
「ふふ、私もですわ。たった一月なのに、私こんなに苦しめるなんて、罪な方・・・バッカス様、話の続きはあちらにて」
「そうだな・・・ではケイタク殿、アリッサ殿。私はこれで・・・」
「失礼致します、異界の戦士様、近衛騎士様」

 睦まじき仲を見せ付けながら二人は人垣の中をそろそろと歩いていく。艶治な瞳で貴族の婦人方がハボックをちらと見遣るが、その度にバッカス夫人の言葉にいえぬ威圧感に視線をさっと逸らしていた。

「あの人、所帯持ちだったんですね」
「そうだぞ。奥方殿は二人目を既に授かっている。後で聞いてみるといい」
「そうですね・・・アリッサさん、若い御令嬢方が来られたのですが・・・」
「・・・・・・やばいわ」

 力無く小さな嘆息を零してアリッサが慧卓が見遣る方向へと目を向けた。いつぞや見た赤髪のサイドテールの麗人に連れられるように、慧卓よりも二つか三つほど歳が若い、六分咲きの華のような美少女達が群れていた。
 赤髪の麗人が同情気味に苦笑を浮かべる中、一人の少女が彼女の横から声を掛けた。

「アリッサ御姉様・・・お待ちしておりました」
「お、お前達・・・どうしたのかな?」

 引き気味になりながらも笑みを浮かべるアリッサ。見た目からして明らかにげんなりとしているのに、少女達からは憧れの女性が自分達を心配して小さく笑んでいるとしか見えないのだ。 

「私達、ずっとずっと御姉様の御無事をお祈りしておりました・・・」
「御姉様の事を思う度に、胸が締め付けられるかのようで・・・この一月は、とても辛い日々でありました」
「ですが今では御姉様はこうして御無事な姿を私達の前に見せている・・・それを見れば私共は、歓喜に胸を震わせてしまうのです・・・」
「ですから御姉様!」
『御姉様!!!』
「わ、分かった分かった!お前達は良く耐えた!だから、今宵の宴はお前達に付き合ってやる・・・」
『きゃあああああっ!!!』

 黄色い悲鳴が鼓膜を震わせる。周囲の諸人は呆れ紛れの表情で頸を横に振り、それを露知らず若きの至り全開の少女等は手を取り合って喜んでいるようだ。肩をがっくりとさせるアリッサに対し、赤髪の女性が声を掛けた。

「最後までお付き合いします、姉上」
「すまない・・・また迷惑を掛けてしまったな」
「何を仰るやら。私は何時でも姉上の味方ですよ」

 淡い笑みを零して語り掛ける女性に元気を取り戻したか、アリッサは常の凛とした笑みを作って慧卓に振り返った。 

「では慧卓殿、私は行ってくるぞ」
「頑張って下さい・・・アリッサさん」
「あぁ・・・お前もな」

 喜色溢れる少女等の波に足を踏み入れる彼女の背中は、矢張り何処か苦労気味な雲が纏わりついているような気がした。

「失礼致しますわ。貴方が、異界の戦士様?」

 背中から聞こえて来た甘い声に背筋がびっと立ち、一拍の中に緊張を押さえ込みながら、慧卓は凛然とした立ち居振る舞いで振り返り礼をした。 

「・・・はい。御初に御目に掛かります、御嬢様方。私は御条慧卓。此方では、ケイタクと皆に呼ばれております。どうぞ、お見知り置きを」

 顔を向けた彼の前に、三つの美麗な華が咲き誇っていた。一つは豊満な体躯を妖艶な真紅で覆い、一つは気品の溢れる淡い青で己を飾り、一つは綺麗な薄緑で女性的な肉体を隠していた。皆が皆、人並み外れる程の秀麗な美人であり、倫理の箍を外すのを躊躇わせない魅力に溢れているように見えた。
 赤の美女から始まり、青、緑の順で言葉を掛けられる。

「初めまして、ケイタク様。ミシェラン侯爵が次女のユラに御座います。今宵の宴を共に出来まして、嬉しく思います」
「私はシンシア。ロックウェル伯爵の長女であります。お会い出来て光栄ですわ」
「デュジャルダン子爵が長女、オレリアで御座います。噂に違わぬ黒髪に黒眼、とても凛々しいですわよ」
「有難う御座います、オレリア様。貴女の琥珀の瞳こそ、とても綺麗だ。海に浮かぶ月のようです」
「まぁ、お上手です事」

 取って着けたようなあからさまな褒め言葉とて社交辞令の一つなのかオレリアは可憐な笑みで受け取ってくれた。周りの貴族等も幾つか好機の視線を注いでいたが、三つの華が香らせる威圧感に押されたか、はたまた最初からその気がないのか彼女らに混ざろうともしない。その情景に慧卓は一つの謀略の薫りを嗅いだ。

(矢張り狙ってきたか、貴族達?)

 とはいえこれは唯の深読みに過ぎない。爵位のある父君を持つ女性達の言葉を妨げるほど勇気が沸いて来ないというのが、周りの者達の本音であろう。 
 高領の華君は続けた。

「ケイタク様、どうかお聞かせ下さいな。異界の風景やこれまでの旅筋を。そして、ケイタク様の事を」
「ははは、全て語るには今宵一晩だけでは足りませんよ。もっと多くの日数が必要だ」
「ならば私達にお任せあれ。貴族の名誉を掛けて、必ずやケイタク様がお喜びに成られるような饗宴を御用意致しますわ」
「えぇ、楽しみにしております。宴を催される時には是非にも、私をお呼び下さい」
(こうして絶世の美女を侍るのも、結構良いもんだなぁ・・・古(いにしえ)で何でハーレムが流行ったか、理解できそう)

 謀略に身を揺らされるとはいえ、男たる者このような機会は是非にも歓迎すべきである。心地が良くなったか口も滑りやすくなって来た。

「そうですね・・・異界とこの世界に共通する事に、一つ確実に言える事があります」
「それは、どんな事でしょう?」
「傾城の美しき方々を肴に飲む酒は最高、という事です」
「ふふっ。世辞と思えど、とても嬉しいですわ」

 まるでめしべを色付かせるような艶っぽい色気を出してユラが撫で声を出した。背骨に沿って身体を伝う神経が、知らぬうちにぞくっと来てしまう。声すらも利用して心を愉しませるか、そんな風に錯覚してしまうほどだ。 
 会話が更に弾もうとした瞬間、シンシサが目を玉座の方へやって言った。

「あら、ケイタク様、無粋な方がお呼びのようですわよ?」
「?何方でしょうか?」
「冷血の執政長官殿ですわ」
「まぁ・・・御注意下さい、ケイタク様。あの者は人と蚊の区別がつかぬ男。加減抜きで、貴方を害するやもしれない・・・」

 オレリアが真っ先に言葉を掛けて、慧卓の左手を己の両手の中に包み込んだ。他の二つの華の視線の中、慧卓は彼女の両手に右手を乗せた。

「御心配有難う御座います、オレリア様。貴方の思いがあれば、私は冷酷な雷雨の中であろうと、確りと地に足を着けて立っていられる。執政長官殿との対談一つで臆するほど、私は弱くはありませんよ」
「ケイタク様・・・」

 喜色を浮かべて微笑んでくれる彼女を、ユラとシンシアは俄かに瞳孔を細めて見遣る。慧卓は肝を冷やして彼女らにも声を掛けた。

「勿論、貴方々とも杯を交わせたのは誠に喜ばしい事でした、ユラ様、シンシア様。また何れ、機会があれば必ずや共に宴を開きましょう。もっと長く、暖かな場所で星々の美しさを愉しめるくらいに」
「えぇ、期待してお待ちしておりますわ、ケイタク様」
「これからの御武運を我等三人、純真にお祈り致しております。貴方に、主神の御加護がありますよう」
「有難う御座います・・・皆様との会談、とても愉しきものでありました。では、失礼」

 礼を交わしてさっと背を向ける慧卓。やけに煩く聞こえるリュートの弦音が冷汗が伝う背中を慰めてくれた。一瞬でも見てしまった高領の華の冷めた視線がやけに威圧的で弱ったのだ。
 三つの美麗な華が心配げに見詰めくれるのを感じながら、慧卓は玉座の近くにて唯独り孤立していたレイモンドへと近寄った。寒々とした藍の瞳は、今宵に限り俄かに温情を湛えているように見える。
 ちなみに国王は既に玉座から離れて奥の部屋へと戻ってしまった。音頭さえ取れればそれで良かったらしい。

「如何かな、ケイタク殿よ。あの娘等は大層な美人であろう?」
「ええ・・・正直、胸が弾みっぱなしで落ち着いていられないくらいでした。あんな群を抜いた美女は生まれてこの方初めて見た気がします・・・コーデリア王女やアリッサさんを除いて」
「そうか。なら正面から言ってやれ。デュジャルダンの娘辺りなら確実に落ちるぞ。あれは最初から本気のようだからな」
「あ、あははは・・・それは雰囲気で分かります・・・」

 ちらと振り返り彼女を見遣る。胸元に手を当てて無意識に双丘を引き寄せている格好をしており、胸奥の火を焚き付けるものがあった。 

「だが本気なのはあの者だけではないぞ。ミシェランの娘もロックウェルの娘も、お前を射止めようと色香を放っておるわ」
「・・・親の命を受けて唯々諾々、といった風には見えないんですが」
「当然ではないか、知らんのか?あ奴らとて栄誉と富に溢れた貴族の娘ぞ?己が果たすべき義務や背負うべき責務の重さなど、とうの昔に知っておる。あ奴らはそれを、恋路を交えて果たそうとしているだけだ」
「・・・恋路ですと?」
「お前、案外鈍感だな。周りの者共を見てみよ」

 常と変わらぬ冷ややかな声と共に彼は命を下す。慧卓が会場内を改めて見渡した。親しみを持って多くの貴き人々が会話を弾ませ、美酒を口に運んでいる。年嵩を重ねた男に色とりどりの美の数々が侍り、気分を盛り上げているようだ。
 其処で漸く慧卓ははっとした。男達に圧倒的に若さが足りていない。

「聡いお前ならば分かるな?若い男が少ないであろう?」
「・・・もしかしてこの宴、男の場合は参加するまでには幾多もの壁があると?差し詰め、功績の差や、階級の差とか」
「ふん、やっと分かったか。・・・そうだ。此処に参加する男達は皆、それぞれの責務を長年全うした者であり、或いは短期に著しい栄達を重ねた数少なき者達だ。前者は言うに及ばず、後者に至っても、既に身を固めている事が多い。だからこそ、若く、そして独り身のお前に様々な色を乗せて目を送る。極自然な事だ」
「ぇぇぇ・・・責任重大だなぁ・・・」

 厭な気分を飲み込むように葡萄のジュースを啜る。芳醇な香りを楽しむ慧卓の顔には言葉ほどに切羽詰ったような感情は表れては居らず、寧ろ気楽さすら見えている。 

「・・・そういう割には、随分と落ち着いた様子だな?あ奴らでは食指が動かんか?」
「いや結構動いてます・・・正直、あのまま乗せられるのもありかなって思っていました。もしあの人達の誰かと結ばれたら、それが誰であろうと幸せな生活を築いたいとは思っています・・・けど、なんかしっくりこないんですよね」
「・・・」
「言葉には出来ない思いっていうか・・・そうですね、ぴったりと嵌る感じの、相性って奴です。それを俺は、此処には居ないあの人に感じたんです。・・・まっ、唯の一目惚れか、唯の気の迷いかもしれないですけどね」
『コーデリア王女殿下、御入場で御座います』

 息を呑む声が多く聞こえる方に目を向ける。役者の中の主役、酒宴の中の主演が漸く現れたようだ。
 大扉よりゆっくりと、静かな美しさを湛えてコーデリアが姿を見せた。まるで薄氷の湖面を歩くタンチョウ鶴を思わせるが如き、優美で軽やかな白のドレスと変じて纏っている。頸元には樫の花をイメージして作られた黄色のアミュレットが煌き、薄らと乗せられた綺麗な化粧と併せて彼女の魅力を引き立てる。髪は小さなポニーで纏め上げられ、普段以上に項が見えているようだ。それが通な好みを持つ男達の視線を惹き付けているのは言うまでも無い。
 色目を送る老人達には目もくれず、コーデリアは真っ直ぐに玉座の国王を、そして慧卓を見据えた。静かな水面のような蒼の髪と琥珀色の瞳がドレスと神秘的な調和をし、遠目から見ても、決して色褪せる事の無い魅惑を放っていた。

「やっとか、コーデリア」
「・・・そうか。矢張りお前もまだまだ青臭い男子だな・・・正直、その愚直さが羨ましい」
「そうお思いでしたら、執政長官殿も、御一緒に馬鹿をやりませんか?」
「はは・・・もう私はそんな歳ではないさ。それに愉悦を感じるほど、心も若くない。・・・行って来い。餞別に、良い思い出にしてやろう」
「・・・はい。それでは閣下、失礼します」

 礼を一つして慧卓は真っ直ぐにコーデリアを出迎えに行く。レイモンドはそれを静かに見遣りながら、既に謀略の網を張り巡らせている貴族等の顔を思い浮かべていた。その網に掛かり茫然とする異界の獲物がナイフによって捌かれる光景もまた想像出来た。

(奴には悪いが確定事項なのでな。せめて今だけは歓待してやろう)

 レイモンドは思い一つを巡らせて、足音を立てぬ歩きでリュート弾きの下へと向かっていく。
 一方で慧卓は、先に会話をした三つの華もあっさりと無視をして、真っ直ぐにコーデリアの下へと辿り着いた。丁度広間の中央部分、衆目の中心の中で両者は足を止める。黒い正装と白きドレスは傍目から見れば、まるでタキシードとウェンディングドレスを来た初々しき婚約者達のような印象も持てなくはなかった。 

「ど、どうでしょうか...ケイタク様・・・その、『ウールムール』で買ったものを選んで来たのですけど・・・」
「・・・今まで一番綺麗な姿です・・・本当、天使みたいです」
「ぁぅ・・・あんまり、じっくり見ないで下さい。恥ずかしい、ですから・・・」

 眉を困らせながら頼み込む様は慧卓の心をぐらっと揺らすものがあった。場所が場所でなければ抱き締めていたかもしれない。或いは、接吻をせがんでいたか。
 そんな思いをさせぬのは、拍子の刻みが早くなり調子よくなってきたリュートの音色の為である。何時の間にか人々が広間の中央から壁際へと寄り、中央がぽかんと空く。其処へ群れるよう、男女二組となって多くの者達が進んでいき、互いの腰を抱いて音色に合わせて軽やかに足を運んでいく。

「・・・粋な事をするな。あの人も」
「これは・・・舞踏ですか?そんな・・・此の服、まだ慣れていないのにっ」

 焦燥を覚える彼女を抑えるように、慧卓はその華奢な腰を右手で優しく引き寄せる。途端に接近した琥珀の愛らしき瞳は驚き、そして照れるような色で瞬きをした。  

「っ、ケイタク様?」
「踊りましょう、コーデリア様」
「そっ、それは凄く嬉しいのですが・・・踊れるのですか?」
「え、えっとぉ、実はちょっと自信が無かったり・・・でもあの踊りなら、昔学校でやった事があるから・・・」

 見るからにその踊り、宮廷舞踏会であるようなボールルームダンスそのものである。社交界にて必須なものとして大成されたそれは、幸運な事に慧卓の学校ではフォークダンスとして幾度かやった事があったのだ。錬度は全くといって良いほど良いものではないが。
 内心の窮が判り易かったのか、コーデリアは小さく嘆息した。

「もぉ、貴方って人は何時も何時も猪突猛進なんだから・・・それで今までどのくらいの人が困り、呆れてきたと思っているんですか?」
「うぐ・・・」
「・・・けど、有難う御座います。ちょっと、緊張が解れてきました」

 曇りの無い笑みを見せ、コーデリアは慧卓の腰を左手でぐっと引き寄せる。更に近付く絶世の美貌にどぎまぎとしながらも慧卓はなんとか相手の腰を抱き、空いた左手でコーデリアの右手を優しく包み込むように握った。

「さぁ、踊りましょう。私がリード致します」
「はい、宜しくお願いします」

 二人は笑みを交わし、耳を和らげる美しき音色の下に足を運んでいく。かつかつと広間中に大理石を叩く音が響くのが難ではあるが、優美な姿で密着してくれるコーデリアが居るだけで、ましてや彼女と拙きものではあるが舞踊を出来る名誉に預かるとなれば、慧卓はそれだけで胸が幸福で満ち満ちていくのを感じた。コーデリアもまた、ペースを乱さぬようにしながらも足を合わせて踊ってくれる慧卓に喜びと和みを感じ、自然と笑みを零してしまう。

「愉しげだな、あの方々は」
「えぇ・・・私も昔は、あんな感じで踊りをしていたような気がしますわ・・・誰と一緒にかも、もしかしたら忘れてしまったかもしれません」
「それならば、僭越ながら私がその美しき記憶を思い出させてあげよう」
「お願いしますわ、旦那様」

 広間の中央にくるくると胡桃を割る人形のように踊る二人に釣れられるように、年嵩重ねた男達が物言う花を連れて舞踊の輪を広げていく。

「ふん。純情な奴らだ。見てるこっちが胸焼けしてくる」
「全くよ・・・口直しに酒が欲しくなるわ」
「お前は絶対に飲むな!!」
「分かってる分かってる。では果汁のジュースでも一杯」
「俺も付き合おう」

 その光景はまるで御伽噺のようであり、定型からはみ出さぬオペラのよう。直向で邪な思いが無い分、飽和にも似た甘さが感じられ、踊りに興味を持たぬ者はずいずいと杯を煽っていく。
 一部では、踊りに興味を持ちつつもそれが出来ぬ哀れな者も居るようであるが。

「・・・いいなぁ、コーデリア様」
「御姉様、続きを聞かせてくださいませ!」
「そうです!踊りも音楽も素晴らしいですが、私共は今、御姉様しか見えていないのですから!」
「わ、分かったから!そう騒ぎ立てるな!!」

 黄色き悲鳴が再び木霊し、白き王の宴場に右往左往と響き渡った。かつかつ鳴り止まぬ大理石の演奏に、詩人は更に機嫌良くリュートの弦をぽろぽろと弾いていく。白壁に寄り掛かって葡萄酒を啜るレイモンドの瞳には、普段人には見せぬ、小さな羨望の情が沸いていた。
 
 
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