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王道を走れば:幻想にて

作者:Duegion
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第一章、その1:どうしてこうなった

 
 例えばの話。もしも、もし地球の文明とは違う、全く独自の文化を形成している異世界があるとしたら、そこはどのようなものになっているのだろうか。山々が大小問わず噴火しているのだろうか。海が全ての山を飲み込んで、地平の彼方から足元まで底なしの水が満ち溢れているのだろうか。或は数少なき大地を神と悪魔が争うという、新興宗教活動家が狂喜せんばかりの光景が広がっているのだろうか。
 答えは簡単である。『全く予想がつかない』。そこに何があるのかは誰も知らないし、その存在も証明しようが無い。だからそこに何があるのか、何が無いのかを想像するのは個人によって様々である。
 例えば、どこかの世界が一つの繋がりを頼りに、地球の文明と瞬間的な交流を果たしたとしても、それはその人にとっては極自然な発想なのである。


ーーーーーーーーーー


 漠然として遠い未来。
 子供の頃に夢見た其の世界では、人々は妙に身体にフィットした衣装を身に纏い、空では最先端の技術を突き詰めた飛行体が飛び交っていた。食べ物は皆新鮮で且つ種類も豊富。歩道は自動で動くようになり、地を走る車は僅かに浮遊している。ちょっとやそっとの自然現象では、並び立つ高層の建物はびくともせず、さながらバビルの塔の如く立派に聳え立っている。買い物の時には携帯型の端末から自動でお金が引き落とされるようになり、現金の姿など稀になっていた。嘗て地上と空を支配していた原油の姿は無くなり、自然の生態系を破壊しない、全く新しいエネルギー資源に取って代わられている。
 無論其の世界でも思想、イデオロギーの対立から人々は衝突するが、だがそれ以上に夢と理想の甘い蜜で満たされた世界であった。夢を見るたびに心が安らかとなり、理想を抱く度に高揚心が沸く。
 だがそんな事、ただの空虚な想像であったと知ったのは案外早いものであり、それは中学生になる前であった。己が地球に生まれた時から世界は何時だって、目には分からぬ変化しかしていない。青年はそう思って教室で惰眠を貪るのだ。

「......今挙げたような経緯を経たお陰で、1648年、ウェストファリア条約が締結された。世界初の国際会議における、世界初の多国間条約であり、また一分界隈では神聖ローマ帝国の死亡証明書とも言われており...」

 からからと青褪めた天上から蝉を蒸し焦がすような熱線が放たれている。夏影一つ、月曜の億劫な空気を醸し出す機械の大地に降り立つ事もない。
 世間に煙のように蔓延るクールビズの風潮は勢いを増す。陽射は真上へと差し掛かり、街を闊歩するリーマンの方々はその暑苦しさと汗の蒸れに悲鳴を漏らしている頃合であろう。
 だが生憎、教室内ではクーラーの心地良い冷気が巻かれているために苦しさを覚える事はない。自動温度調整が利いている為、熱くも無く涼し過ぎる訳でもない、機械的な心地良さだ。
 代わりに生徒らを襲うのは、純真な眠気と退屈であった。教室内ではだらだらとした者達が半分以上を占めており、後の半分は身体に鞭打ってペンを握っているという有様だ。
 興味のない歴史を学んだ所で、一体なんの役に立つのだか。そのような生徒の正直な感想が教室内にうっすらと広まっているが、中年の男教師は教鞭を振るって生徒に無理矢理ペンを持たせていた。教室に備付けられた大型の電子ボードには見事なまでに見易く、達筆な字の羅列が走っている。それが逆に生徒の眠気を誘うと知らずに。

「...補足だが、これにより事実上死亡判定を下された帝国を後年に解体し、帝国を消し去った英傑が居る。それが誰かを言えるのもはぁ...御条(みじょう)」
「......ンん...グー」

 中年太り且つ河童の如く髪を消耗させた教師が窓際中程の生徒を指名する。が、其の者は艶光りを放つ机に頬杖を突き、頭を揺り篭のように揺らして健やかな寝息を立てている。舟を漕いでいるように頭が揺れ、王道を走る黒髪のショートヘアがさらりに揺れた。

「御条慧卓!」
「でゃい!?」

 奇声を漏らして生徒が起き上がった。慌てたためであろうか、頬杖の手が机上よりずり落ち、もう片方の手が不自然に顔の前で構えられた。まるで前屈みに拍手している時に静止したかのような、若しくは目の前に飛び交う蝿を叩き潰さんと気を上げた態勢。
 教室内の生徒らが視線を交わし、くすくすと小さい笑い声を立てて生徒を見守る。その者、御条慧卓は羞恥心に頬を僅かに赤らめ、教壇の先生の言葉に答える。

「聞いていたか?」
「は、はい?」
「また聞いていなかったなっ?授業中の居眠りは今学期で何度目だ?」
「...六回目です」
「はぁ、其処だけは覚えているのか...じゃぁこいつに代わってだな...三沢、言ってみろ」

 代わりに指名された慧卓の一つ後ろの女子生徒は慌てて起立し、教科書のページに視線を落して答えた。

「あ、はい。えっとぉ、確か神聖ローマ帝国を解体したのはナポレオンだったような気が」
「其の通りだ。思い出したか御条?皆、此処は後日詳しくやるから今の内にノートの端にでも書いておけ。さて、条約の中身だがな...」

 三沢がくりっとした瞳に安堵の色を浮かべ、静かに席に腰を落としてノートにペンを走らせた。慧卓は周囲を窺うように視線を巡らせ、そして己のノートを開いていく。
 いざ筆記を始めんと気を奮わせた時、背中をつんつんと指で突かれ、慧卓は頸だけで振り向いた。三沢が苦笑気味にノートの切れ端を折ったものを渡してくる。慧卓はそれを受け取って開く。

『馬鹿っぽい反応で面白かったぞ、ねぼすけ』
(こ、こいつ!)

 驚きの視線を三沢に戻すが、彼女はにへらと口角と眉を曲げて斜め後ろの席を指差した。無造作に立体感を出した髪形をした男子生徒が、裏ピースをしてほくそ笑んでいる。UK流『ファッキューサイン』である。ざまぁみろとでも言いたいのか。
 慧卓は引き攣った笑みを零して己のノートに向き直る。その頬には、くっきりと指先の痕が残っていた。



 定刻のチャイムが高らかと鳴り響き、校舎の中から疲れ気味のざわめきが生まれ出す。午後三時、空から降り頻る熱線は然程弱くはなっていない。街行く人々の群れに、本日の用を校舎で費やした生徒らの群れが合流していく。
 これからが本番だと言いたげな活気溢れる生徒らの声が校舎内で生まれ始める中、勤木市立勤木高等学校の重量感の欠片のない校門から、生徒の一人である慧卓も人の波に混ざっていく。
 高校の周囲に立つのは小さな商業ビル、そしてしがなきコンビニの店舗やこれまた小さな居酒屋くらいだ。街路樹の下方の影には、例によって暑さを逃れに人々が其処を歩こうとして、妙な混雑を生んでいた。お客周りを早々に終えたのであろうか、年代問わず男多めの人群れが通りを歩き、車道を車のエンジンの喧騒が覆っていく。
 慧卓はズボンのポケットに両手を突っ込み、スクールバックを背負って一人通りを歩いていく。『さっさと暑さを緩和するスーツでも作ればいいのに』とリーマンの汗だくの姿を見て思い、慧卓は街を歩いていく。

「うっす。ねぼすけ」

 背中をひょいと軽く叩き、勤木高校の控え目な制服に身を包んだ生徒が慧卓の顔を覗き込む。

「ねぼすけいうな。これにはちゃんとした理由があってだな・・・」
「どうせまたゲームなんだろ?猪村君は分かっていますよ」

 勤木高校の一生徒、猪村は慧卓の横について通りを歩き始める。無造作に切り分けられた髪が初夏の暑い日差しを迎えてちらほらと煌く。切れ長の瞳はやはり暑苦しさを覚えているのであろうか、億劫げに細められ、額に小さな汗粒が浮かんでいた。

「ちゃんとした歴史戦略ゲームだぞ?教養にいいんだぞ!」
「はいはい、参考になりますよっと。ったく、最近の若いモンはんな頭使うようなゲームなんかやらねぇっての。『フューズ』の、ほら、この前出た自分の体感と立体映像上の演出を同期させるていうやつ、それのアクションゲーとかやってるって。お前いい加減中毒ゲーから離れたらどうだよ?寝る暇惜しんでやっているから先生に指されたんだろ?」」

 近年世界のゲーム業界を支配するかもしれないと目される、掌サイズの体感型ゲーム機を持ち出す猪村。彼の半ば諭すような口調に、慧卓は手をポケットに突っ込んだまま言う。

「ふん。ちゃんと先生も分かって指したんだよ。俺はゲームを通じて歴史を予習してきている、だから安心して寝ているってさ。でなきゃあの先生の事だ、あの後も嫌味を捲くし立てただろうね」
「ま、それはあるな、あの『ハゲイロ』なら」

 ハゲで同僚に色目を使うデブ、略してハゲイロ。本人もその直接的で不愉快極まる渾名を知っているのか、生徒らに目を光らせて、それを口走った者に大量の宿題を課す事をささやかな復讐としている。だが生徒達にとっては、『ハゲデブにしないだけまだましと思え』との認識であるため、改善の余地は一向に無い。
 話を混ぜつつ通りを二・三も跨いで歩けば、自然に人波も疎らとなり、日は早くも西に傾き始めた。
 しぶとい繁盛っぷりを見せる昔ながらの商店街の入り口を通り過ぎれば、閑静な住宅街へと差し掛かる。市の外れの方に位置するこの地域では小さな一軒家が多く立ち並び、中には昭和の薫りを残す家屋すらある。彼らの未来を生きる現代人はその家屋に言い知れない郷愁を感じるのであろうか、例を漏れず御条も視線をつい走らせてしまう。
 己よりも背を伸ばした影が揺れ、緩やかな坂道を上る二人にのっぺりと追従する。

「御条、この後用事は?俺家で着替えたら三沢達と一緒に中心街に遊びに、ほら、ボーリングとかビリヤードやりに行くんだけど」
「お前も大概おっさん趣味だな。今日びの若いモンはんな渋い遊びなんかやらないっての」
「若い奴は『今日び』って言葉自体使わないって」
「違いねぇや」

 猪村は制服のポケットから長方形の掌程の電子タブレットを取り出す。茜色の陽射に橙色のカバーを嵌めたタブレットが反射する。緑色の空間モニターを展開してメールの確認の指を走らせて猪村は言う。

「人の趣味嗜好にはある程度の自由があるのさ。で、どうよ?」
「悪い、今日はちょっと用事があって行けそうにも無いわ」
「そうか、珍しいな?最近バイト止めてから暇してたんだろ?てっきり時間に融通が利くって思っていたんだけど」
「まぁ、な。でもこればっかは駄目だ、悪い」

 若干真剣味を帯びた慧卓の顔を僅かに見遣り、猪村はタブレットをしまい直しながら言う。

「・・・ま、俺は詮索したりはしないさ。好きにしたら?」
「サンキュ。何時か埋め合わせをするからさ」
「あいよ、期待して待っている。んじゃ俺はこっちだから」
「あぁ、また明日!」「またな」

 十字路を右に曲り、猪村は住宅街を足早に駆け抜けていった。慧卓はその後姿を僅かに眺め、己の帰路へと足を向けた。
 坂を上り終わる頃には、茜色の空が天上に広がっており、我が子を自慢する鴉の鳴き声が駆け抜けていった。
 慧卓が向かうは住宅街の一角。その一角に身を置いた小さなマンションの中に慧卓は入り込んだ。エレベーターの五階のスイッチを押し、着いて左に曲って二十歩。彼の家だ。

「...ただいま」

 それに答える者は居ない。一人家族から離れてマンションに住まう者の侘しい光景だ。慧卓は部屋に上がって私服に着替える。また出掛ける事となっているため、下はジーンズ、上はポロシャツだ。そして菓子パンと登校前に作っておいた野菜炒めをテーブルに持ち運び、食前の挨拶抜きに食し始めた。
 部屋の片隅には本棚が置かれ、戦史や歴史上の出来事を扱った小説や新書、そして学校の教科書やノートがずらりと身を納めている。壁に身を寄せたローボードには多種多様のゲームのパッケージが乱雑に置かれていた。『大砲の咆哮』、『ビーコンⅢ』、『Age of Kingdom Ⅱ』などの歴戦ものが多い。だが『ほふれ、○ッキー!』、『オカマ熊の撃鉄』とはなんなのか。
 気紛れに、久しく見ていないテレビを付けてみようと思った彼は、モニターを展開し、つんと起動ボタンに触れた。ローボードの頭上に、大型のモニターが軽快な音楽と共に投影される。

ピッ『これが、今大評判大流行の新型タブレット、ブレイントレイナーです!!貴方の脳波をチェックして、今一番やりたい事に周波数を合わせ頭に向かってスイッチを押せば、なんと数秒足らずで自動で脳がその状態に移行するという、大変優れものに御座います!!!睡眠不足の貴方、日々の癒しを求める貴方にぴったり!これがあれば、快適な睡眠やリラックスを何時でも受けられます!!今なら税込み価格、送料が無料で、』

ピッ『警視庁の纏めでは、タブレットスペースのECD、脳波移行装置を悪用した国内の刑法犯の認知件数は、前年比で凡そ二万件増加しているという事であり、これによりECDを利用した犯罪件数は全犯罪件数の10%を占める事になりました。この事を受けて警視庁では更なる取締り強化に努めるという事で』

ピッ『Weekly Music、お送りしたのは今話題のトランスミュージシャン、EISUKEさんで『グッデイ・エイリアン』でした。さて次にお送りするのは懐かしい昔を思い出させる優雅で美麗な音楽を奏でるピアニスト、ジェフ=マクドナルドさんで、ドヴォルザークの『新世界』Piano Version.です』

ピッ『今日未明、留守中の家宅に野生の熊が侵入したとの通報があり警察が猟友会メンバーと共に駆けつけましたが、熊は家宅で数時間寛いだ後、そのまま山中へと帰ったようです』

ピッ『ロスじゃ日常茶飯事だぜ!』ピッ


 静謐の中、パンと野菜を咀嚼して飲み込む音だけが良く響いた。
 軽い食事を終えて慧卓は食事の後を片付けると、ボディバッグに貴重品類を詰め込んで玄関へと向かう。

「行ってきます」

 答えの無い家を後にして、慧卓はマンションを出でて住宅街を歩いていく。数分掛けて歩けば最寄のバス停だ。更に数分待ち時間に調子の良い鼻歌を歌い、バスの揺れに眠気を触発され、そして勤木市の中心街へと降り立った。
 時は既に五つを越えている。市の中心に広がるは、活気漲る歓楽の光景であった。古き時勢を過ぎて建替えた高層ビル群は、早くもネオンの光を放っている。勤務を定刻通りに終えた者達が大通りを歩き、己が欲を発散せんと歩いていく。駆け抜けていく車の列を越して、ゲームセンターの狂音や賑やかな人々の喧騒、若者達の笑い声が通りを鳴り響いた。
 慧卓はそれらの光景を一瞥して街を歩いていく。客引きの声に耳を貸さず、ティッシュ配りの美人に会釈をして通り過ぎる。車の近道となっている細道へと身体を滑らせ、その脇に佇む建物の裏口の網膜・指紋セキュリティーを解除し、扉を開けた。

「おぉ、待っていたぞ、若いの」

 妙に演義臭いしわがれ声と胡散臭い語り口で、ロングスカートのメイド服を着た若い女性が慧卓を出迎えた。色白の肌は女性の艶を瑞々しく光らせている。長い黒髪は後ろに束ねられ、前髪は可愛らしい兎のヘアピンで留められている。藍色の瞳がきらきらと悪戯げに輝き、頬を緩めて女性は続けた。

「この世は事情は奇奇怪怪。真の仁義は真の外道、誠の心は真の容喙。流れる金貨に表裏無く、唯悪意と恣意が蔓延り踊る。その闇に善意の光は注ぐ事無く、無碍に光は消え去るのみ」

 女性は風を受け止めるように腕を広げる。女性らしさを象った身体を広げ、まるで己の言葉が神の言葉と等しきものと言うが如く、女性は鷹揚に続けた。

「而して臆する事勿れ。深遠を覗く我が慧眼と千里眼を以ってすれば、汝を覆う闇は忽ち掃われる事であろう。さぁ委ねよ。その無用な衣服を取り払い、無垢で逞しい肉体を露出させーーー」
「てゐ」「たはー!」

 小気味良く軽い叩きに、女性は思わずそれに合わせて軽い声を出してしまう。慌てて声をしわがらせて女性は言う。

「な、なにをするか、若いの!これは神聖な儀式なのであるぞよぉ!」
「(ぞよ?)人の身体を露出させるのが神聖だと?実晴(みはる)、自分が露出できないからって人にさせるのはーーー」
「馬鹿にするでない!こう見えてわしは着痩せするだけじゃ!!露出できないほど貧相な身体をしておらんわ!」
「いや、其処まで言ってないんですけど」

 若干口を尖らせて言う女性、実晴の勢いを宥めつつ慧卓は屋内を歩んでいく。バックルームに辿り着くと、己のロッカーの引き戸を開けて上着を着替え始める。

「兎も角、仕事はしっかりこなしてくれ。ほれほれ、はよぅ着替えろ着替えろ、客は待ってはくれんぞぉ」
「分かってるからその卑猥な手付きをやめろ!」

 ついて来た実晴が僅かにいやらしさを滲ませた笑顔で指先をせわしなく蠢かせる。学校でプールの授業が始まっているために羞恥心を覚える事は無いが、それでも抵抗感は出る。実晴から距離を取って着替える慧卓は早々に上着を脱ぎ、肌を顕にした。
 若さの特権であろうか、華奢に見える体躯は見詰め直せばちゃんと筋肉で引き締まっている事が分かり、肌の艶も色あせる事など在り得ない。だが実晴は眉を顰めて言う。

「若いの、また痩せたな?」
「な、何言ってんだよお前?」
「惚けるでない。此処をこうして抓めばだなぁ...」
「ほひぃっ!?」

 蟹の様に冷たく鋭い指先が容赦なく慧卓の腹の肉を摘んだ。素っ頓狂な声を上げて慧卓が飛び上がり、肌を服で隠して喚く。

「この卑猥星の卑猥人!!何時も何時もセクハラしやがってぇ!」
「ひ、人を性癖倒錯著しい犯罪者予備軍みたいに罵倒するでない!其処までこの老体は飢えに苦しんでいると見えるか!?あたしはショタしか興味ないのよっ!」
「まるっきり飢えた犯罪者予備軍じゃねぇか!!」

 実晴は声を上げ、露骨な欲で以って演義の壁を突き破った。溜息を一つ零し、彼女はロッカーに寄り掛かって言う。

「やめよ、やめ。もうこのキャラ疲れるわぁ...」
「そりゃ無駄にしわがれ声を演じてたしな」
「で、続きなんだけど慧卓、貴方此処最近まともな料理作った事ある?」
「......」

 最近の食事。パン、パン、野菜炒め、野菜炒め、オムライス、野菜炒め、パン、フレンチトースト、ミートソーススパゲッティ、野菜炒めetc,etc。簡単に作れる男の料理、且つお店で安く売られる商品のみ。其処に複雑極まる調理法と、肉の存在は無かった。

「いや、ないな。最近は野菜炒めとか菓子パン中心だし」
「栄養偏りすぎよ、それも草食系統に。お肉食べなさい。そんなんだからお腹の肉の厚みが消えるのよ...好きだったのに」
「好きって何さ...俺肉苦手だな...なんか脂っぽいし、肉汁が気持ち悪いし...」
「そんなんだから何時まで経っても貧弱なの!お肉と脂肪は体の資本!食べないとよくないの!」
「えー...?」
「えーも何も無い!!!ちゃんとお肉料理を作って、ちゃんと二十回噛むようにして食べなさい!じゃないと、本当に栄養失調になるわよ」

 どこぞの逆転弁護士の如く、指をきりっと突きつけて実晴は鋭く命令する。何が悲しくて嫌いなものを食べなくてはならないのか。嘆きを胸中に仕舞う慧卓に、彼女は手を鳴らして言葉を紡いだ。

「さ、今日のお客様方は人一倍大変よ!!さっさと準備をおし!」
「...待て、お前今、様方って言わなかったか?つまり相手は複数だと?」
「そうよ、悪い?」
「...一人ならまだしも複数となるとな、正直自信が無い」

 ワイシャツに身を通してネクタイを締める。後はベストを身にすればそれでお終い。だが気持ちは曇り空。一度に複数人を相手にした体験は経験上極僅か。心配の念が募る。明るい声を伴った実晴が、元気付けるように彼の肩を叩く。

「そう心配しないでも大丈夫よ、慧卓。私も一緒に今日のお客さん達の相手をするから」
「...分かった、実晴。なるべく頼るようにする」
「そうそう!!泥船を漕ぐ様な気持ちでいなさい!」
(沈んだら意味ないんじゃ..)
「木の船が腐っていたらそっちの方が大変だけどね」
「心を読むな。あと、下も着替えるから出ていってくれ」
「はいはい、覗いたりしませんよっと」

 軽口を置いて実晴が出て行くのを確認して後、慧卓はズボンを正装のそれに着替え始めた。
 正装に身を包んだ彼は実晴と共に店内へと歩いていく。通路を抜ければ、其処は彼と彼女の戦場だ。二人で深呼吸をすると、実晴が先に躍り出た。

「さ、お客様方!うちの若い男の子が出勤してきましたよ!」
「いらっしゃいませ、お客様方。本日は当店にお越しいた、だ、き......」

 愛想よく、自然な笑顔で。店長より口酸っぱく言われている事を彼は実践しようとし、瞬間、ソファに座り込むそのお客様方の容貌を見て凍りついた。

「あらぁ?中々いける男の子ですわ。特にあの胸板とか、正に好み...ジュルジュルジュルっ」

 奇奇怪怪。

「ほんとに、ゴンザエ子さん?でも良く見たら、あの子、いい面構えをしていして好みだわぁ」

 理解不能。

「あら熊美さん、ああいうのはベッドの上では攻めなのよ?百戦錬磨の譲子が言うんだから間違いないわ」

 面妖。

「ぼくぅ、そんなところに立っていないで、この私の、竜子の膝の上にお・い・で」

 様々な熾烈な言葉で表せない程の恐怖と驚嘆が慧卓を襲う。ソファに座るは四匹の色鮮やかなゴリラ・・・もとい四人の複雑な人間だ。女性らしい厚く艶やかな化粧に肌を包み、男らしく広がった肩幅を隠すように御淑やかな女性用の和服を纏っている。
 手の甲に繁る毛を際立たせるように、竜子がドスの利いた低い声と共に手招きをする。
 譲子が紅色の唇を指先で撫で、己の歪な美しさをするりと強調する。
 熊美は静かに色目を利かせた視線を御条の瞳に注いでいた。纏め上げた髪の毛に差された、樫の花を象ったかんざしがきらりと光る。
 そしてゴンザエ子は舌を獣の如く鳴らし、露骨なまでに倒錯的な表情を浮かべて慧卓に挑発をした。

「............」
「じゃ、じゃぁ慧卓、私は後ろでおつまみ作っているから、がんばれぇー」
「逃げんじゃねぇぞ......お前も付き合えよ、実晴?」
「ら、ラジャー」

 逃げ出そうとした実晴の肩を掴み、己の地獄巡りに無理に付き合わせると、慧卓は開き直って果汁ジュースとグラスと取り出して、今度こそ朗らかな笑みを浮かべた。
 御条慧卓の友達にもいえぬ掛け持ちバイト。酒飲み嫌い、下戸の方々に救いの手を差し伸べる、BAR『カシス・グラス』。その店は、勤木市の中心街、ネオンの煌きを放つ街中でひっそりと、そのささやかで賑やかな営業を始めた。



ーーーーーーーーーー


 人は度々、可能性の中に存在する希少な選択肢を引き当てて、それをもって人々を大いに驚嘆させ、畏敬の念を獲得する事がある。国家成立の際、建国の宣言において、神の如き勇壮にして神々しき様を見た者は、その壇上に威風堂々と立つ男を見てこう叫んだ。『あれなるは神の寵愛を受けし者ぞ』。『神の言葉を宿した、聖なる者ぞ』。人々は熱気はやがて臣民を動かし、やがて一つの王朝を誕生させた。王朝の名を知る者はいないが、しかし王朝は幾度となく分裂と結合を重ね、やがてその世界に生きる人々にとって大切な、一つの国家を誕生させた。
 『マイン王国』 。それがそう、今窮地の立場に立っている騎士、アリッサ=クウィスが忠誠を誓う国家の名前であった。


 夜の帳が降りている。
 漆黒の空には明るい色を放った星星が散らばっており、流麗な絨毯を其処に描いていた。赤、青、黄、緑。様々な星が別の星と肩を並べており、幾多ものそれを直線で結ぶと、驚く事に一つの雄大な絵画が出来上がってしまう。まるで空の彼方にも偉大なる芸術家が居たかのようであり、大いなる自然の崇高なる摂理を人々に思わせるものであった。 
 その美麗なる光景とは対照的に、大地には鬱蒼とした闇が立ち込めている。その闇の中では、常ならば獣の遠吠えが僅かに響いているだけであり、其処に人声など聞き受けられるはずが無かった。
 だが実際には違った。人里から遠く離れた山中、小さな森林の中に位置する寂れた教会において、荒っぽい蛮声が聞こえてくる。それに混じって一つ、断末魔のような悲痛な叫び声が教会の中に反響した。
 寂れた教会の中を野蛮な風体の男達が駆け抜けていく。手に持っているのは錆付いた剣、或いは手製の弓矢である。暗闇を照らすためにもう片方の手には松明が握られており、電気の光が通わぬ世界の中、必死に何かを探し出すように疾駆していた。

「居たか!?」
「神父が居たんで殺しただけだ、女はまだ見つけてないっ。そっちはどうだ!?」
「駄目だ、まだ見つからん!他を探すぞ!!」

 男達が息を切らして教会内部の通路を走っていく。その足音が階段下の物置き部屋から遠ざかった時、部屋の戸が音を立てぬよう僅かに開かれた。扉の隙間から深緑の瞳が覗かれ、周囲を窺う。
 戸がゆっくりと開いていき、瞳の持ち主の容貌が明らかとなった。切れ長で深緑の瞳を覆うように、ざっくばらんに切り揃えられた焦げ茶色の髪がひらひらと隠している。きりっ引き締められた口元と見目麗しい鼻筋により、女性の凛々しさが前面に現れていた。
 だが彼女が纏う服装が、その凛々しさを唯の女性自身んの可憐さ故のものとしていない。無骨な鈍い銀色の鎧が油断無く上半身を覆っている。鉄のスカートの下には僅かに太腿が覗かれているが、直ぐにその肌を隠すように無機質な色をしたブーツを履いている。
 そして何よりも目を引くのが鞘に収まって腰に挿された、一振りの剣であった。刀身はレイピアよりも僅かに幅広であろうか。だがそれ以外は通常の両刃の剣と相違は無い。持ち手を守るべく横に引き伸ばされた鍔も、握りを良くする為に柄に巻かれた布も、柄頭も、他の剣と同じである。だがこの女性が持つとなればこの剣は一段と違った意味を持つ事となる。騎士の名誉をその身に顕す、かけがえのない戦友と変わるのだ。

「...此方です」

 女性の騎士が、戸の中潜んでいたもう一人の手を掴んで廊下を走っていく。その手は華奢で、余計な皺も澱みも見られぬ、女神の如き美麗な手であった。騎士の背に纏われている純白のマントが、頭と全身をすっぽりとローブで隠したもう一人の者を守るように、ひらひらと揺れている。マントには、葡萄のように垂下する黄色の樫の花が描かれていた。

「静かにっ!」

 鈴のような凛とした声を出すと、騎士はローブの者を引き寄せ、急いで柱の陰に身を潜めた。彼女らが向かおうとした、通路の奥にあるT字路を男達が駆け抜けていく。
 女性の騎士は一つ小さな息を零すと、周囲に警戒を配りながらローブの者に目を向けた。 

「此処まで侵入してきたとは...迂闊でした。警戒の怠り、申し訳ありません、コーデリア様」
「過ぎたる事を責めても致し方ありません。今為すべき事は、直ぐにでも此処を離れる事でしょう。違いませんか?」
「はっ。騎士アリッサ、樫の花を背負う者として、己の任を果たす事を、主神への信仰と、剣の誇りに誓います。我が主、コーデリア=マイン殿下」

 まるで妖精のものかと錯覚してしまいそうな気品に溢れ、しかれども幼さが残る声がローブの中から漏れた。それに応えるように、アリッサと名乗った騎士はローブの者に対して恭しく礼をする。騎士より僅かに背が低い、コーデリアとよばれた者はローブの中から可憐な笑みを零し、僅かの間だけだがその琥珀色の瞳を和らげた。
 アリッサが通路奥へと向き直り、其処に立ち込める男達の野蛮な気配の有無を確かめていく。

(...感じられんな、ならば)
「今です」

 アリッサがコーデリアの手を引いて再び疾駆していく。T字路を右に曲って少し進めば、其処は教会の裏口である。二人が寂れた雰囲気を醸し出す教会を駆け抜け裏口に辿り着くと、其処に在った光景に思わず居た堪れなぬ表情を浮かべた。
 この山中の小さな教会に足しげく通って唯一度の怠り無く教会の管理を担っていた、清廉なる神父が胸を深く切り裂かれていたのだ。彼は瞳に絶望を宿し、息絶えた状態で身を冷たい床に伏せていた。紛う事無き、神聖なる場所を穢す事に躊躇いを覚えぬ、野蛮なる賊徒共の仕業である。

「...惨い。人は神罰を恐れぬと何処までも落ちるものなのですね」
「今、彼らの目には唯私利私欲のみが渦巻いております。だからこそ彼らは躊躇無く神聖なる教会を荒らす。ですが御安心あれ。このアリッサ=クウィスの剣閃の前には、彼ら野蛮な賊徒如きなど一捻りです」
「えぇ、頼りにしております」

 無垢なる神父に魂の救済を。そう胸中に言葉を漏らすと、両者は神父の横を抜けて裏口を抜けていく。
 緊迫した教会を抜けた二人を冷たい夜風が覆っていく。その冷ややかさに、服装の下に濡らした汗がより冷たく感じられた。
 走る最中、勢いに押されて頭部を覆うローブが払われ、コーデリアの容貌が顔立ちとなる。一級の研磨師により磨かれた宝玉の如く、美麗な琥珀色をした丸い瞳。淡白の蒼い髪の毛は気品を見せ付けるようにすらりと伸びており、その瑞々しく滑らかな肌は陶磁器のよう。意志の強さを感じられるきりっとした柳眉。紅牙大陸に顕現するこの王国を隈なく探したところで、この域に達するまでの美麗な女性に逢う事はそうそう有得る話ではなかった。
 二人は無言のまま木々の間を擦り抜けていき、やがて教会から幾許かの距離を開け、森林の中に敷かれた山道より僅かに逸れた場所に留めてあった己の馬の下に辿り着いた。背後では、教会での捜索を終えたであろう野党達の荒々しい声が、少しずつ、着実に近付きつつあった。

「矢張り馬を此処に留めていたのは正解でした、賊徒共が気付いた様子は無い。閣下はこれに乗馬なさり、一刻も早く近隣の村へ、王国兵の下へとお逃げ下さい」
「しかしアリッサ!貴女は一体如何なさる積りですか?...まさか」

 コーデリアははっとしてアリッサに向き直る。彼女はその凛々しき口元に、するりと笑みを浮かべた。

 「私も騎士の端くれ、刃を交えずして賊徒に背を向けて逃げるは、騎士として最大の恥なのです。どうかご理解を」
「駄目ですアリッサ!此処で死のうとしてはなりません!騎士の名誉は、生きてこそ成就するものです!私にそう教えたのはアリッサではありませんか!?」

 コーデリアは懇願するように声を荒げてアリッサに訴える。アリッサは彼女を安心させるように笑みを和まる。

「ふふふ...何も死に逝くような事ではありませぬ。一戦交えたら、教会の地下道を走り抜けて逃げますよ。ですから御安心を。賊徒を軽くあしらって、必ず戻ります」
「...ならせめて」

 コーデリアは俯きがちにアリッサの厚い鎧の上に、ゆっくりと己の身体を預ける。言葉にできぬ不安を浮かべた彼女をあやす様に、アリッサが鉄のグローブ越しではあるが、優しく彼女の髪を撫でていく。

「御武運を、アリッサ。待っていますから」
「えぇ、コーデリア様。...ふふ、まだこの髪飾りをしてらっしゃるとは」

 アリッサは腕の中で身動ぎ一つせず抱擁を甘受するコーデリアを愛おしく想い、その柔らかな髪を留めてある樫の花を象った髪飾りに指を触れる。数年前にアリッサがコーデリアと初めて顔を合わせた時より、常にこの小さな髪飾りを身にしてあった。亡き父君、ヨーゼフ=マイン前国王より授かりしこの髪留めは、いわば彼女と父を結びつける思い出の品。片時も彼女はこれを離さず、身に着けているのだ。
 コーデリアはその柔らかな手付きに暫し瞳を閉じていたが、直ぐにはっとした表情で抱擁から抜け出し、髪留めを解いてコーデリアに差し出した。

「アリッサ、これを!私では駄目ですが、これなら貴女を助ける筈!」
「?ただの髪飾りでは?」
「父上から譲り受けた『召還の媒介』です!強く念じてこれを使えば、黒衛騎士団のクマ殿が召喚されます!!」
「かの豪傑、『豪刃の羆』を!?」

 羆という者の名を聞いた瞬間、アリッサは瞠目してコーデリアを見詰める。その眼に嘘偽りの色が無い事を確かめると髪飾りを受け取り、覇気が混じった言葉を紡いだ。 

「...分かりました。援軍にお父君側近の猛者の援軍とあれば百人力です。これと共に戦い、直ぐにお戻りしましょう」
「...気をつけて。アリッサ。まだ貴女のアップルパイが食べたいのです」
「はははは、えぇ、帰ったら沢山作って差し上げますとも。.,,では殿下、往って参ります!」

 アリッサは背を向けて教会の方へと走り出す。賊徒達がどのような手段で森林を駆け抜けるか分からぬ以上、足止めをする必要がある。コーデリアは数秒、その颯爽たる背中を見詰めた後、馬の手綱を強く打って山道を駆け抜けていく。 
 アリッサは森林の只中を暫し走り、深く生い茂った草むらに囲まれた大樹に背を預ける。

「...此処ならばよいか。......何と念じれば良いのだ?」

 グローブの中で髪飾りは枝木の間に差し込んでくる月光を浴び、不思議な光を反射していた。その面妖さに、アリッサは大きな期待と確信を抱き、意気を込めて凛々しく言う。

「大いなる意思を持ちたる英傑よ、その神聖なる御魂を以って顕現せよっ!!」

 静寂。
 無反応。
 居た堪れない静寂に耐え切れず、アリッサは髪飾りを見詰めなおした。何の反応もせず、ただきらきらと反射しているだけ。

「えっ、えっとぉ...しょ、召喚されたまーえ、豪刃の羆よッッ!!」

 深閑として、虫の囀りだけが鳴っている。
 この念じでも駄目だったのか。ならば如何すれば良い?...はっちゃければいいのか。
 込み上げてくる羞恥心に僅かに頬を染め、弱り気味にアリッサは周囲を窺った。其処に誰の存在が無い事を、何度も何度も確かめた後に、抵抗感を無理矢理払うように声を上擦らせながらもそれを言う。

「ううっ、うわ~~~タラヒラ~マヤパ~、異界の扉よぉ、開くのだぁぁぁ!」

 閑静。
 無音。
 アリッサは苛立ちを募らせてぶんぶんと髪飾りを振って叫ぶ。

「顕現せよっ!!召喚しなさい!!出ろって言ってるでしょっっ!!」

 彼女の思いも虚しく、手の中で揺さぶられる髪飾りは、まるで彼女を嘲笑うかのように月光に己を煌びやかせていた。

(散々に羞恥心を覚えた挙句この結果だと!?こんのぉぉ、素直に言う事を聞かぬ熊めぇ!!!!!)
「さっさと出んか、このケダモノがぁぁ!!」

 思わずアリッサは腕を振り被り、髪飾りを思いっきり地面に投げつけた。
 ぐさりと髪飾りが地面に突き刺さった瞬間、眩いばかりの白光が放たれ、その中心より小さな蒼い粒が浮かび上がる。そして大気を吸収しながら目にも留まらぬ勢いで粒が膨張して、人二人分が入り込めそうなほどの大きな球体と変じる。周囲の大気を巻き込む勢いは嵐の強風のそれと同じであり、思わずアリッサは腕で顔を覆って己を守る。足が球体に引き込まれそうになり、ずるずると地面を滑っていく。だがアリッサは瞳を閉じ、歯を食いしばってそれに懸命に耐える。
 やがて、始めは純真であった蒼の粒の中に黒い斑点が浮かび上がり、そして煌びやかさを侵食するようにどんどんと球体が黒ずんでいく。その黒ずみが球体全体を侵食した瞬間、球体が弾け飛んで、収縮された大気が放たれた。アリッサは身体を襲う空気の烈波を耐え抜き、閉じていた瞳を開けて、其処にある光景に瞠目した。

「......あらぁ、此処ってどこかしら?」
「......ケダモノって、こういう意味じゃない...」

 未開土人の如きごつい風貌を薄化粧と淡い口紅、そして華麗な服装に身と包んだオカマが立っている。其の大きな背にぐったりと、何処か疲弊して苦痛を抑え込む様に眉を顰めている男子、御条慧卓の姿があった。
 意味の分からぬ光景に途轍もない徒労感と落胆を感じ、情けなくアリッサは弱音を吐いたのであった。 
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