| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

逆さの砂時計

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

Side Story
  少女怪盗と仮面の神父

 こんな筈じゃなかった。
 真ん丸な月が輝く夜の海辺。不規則に揺れる船の中で、ミートリッテは密かに奥歯を噛み締めた。
 目の前には、背凭れに寄り掛かって椅子を傾け、組んだ両足をテーブルの上に乗せて酒瓶を呻る、厳つい筋肉剥き出しの強面男が一人。両脇と背後には彼とそっくりな体型の男がそれぞれ二人ずつ、閉じた扉の前に立って退路を塞いでいる。
 ミートリッテがどれだけ速い足を持っていても、狭い室内で七人もの大男に囲まれていては役立ちそうにない。そもそも男達に正体を知られている以上、此処からは逃げられない。
 状況は絶望的だ。
 「なぁ、怪盗さんよ。難しい話じゃねぇだろ? 村の教会に隠しといたお宝を、ちゃちゃっと取りに行って欲しいだけなんだって。それさえ手に入れば俺達は本当に即バーデルへ戻るし、アンタの正体は海に誓って誰にも言わねぇ。アンタの大事な大事なオネェサマも、綺麗な身体のまま何も知らずに生活していけるんだ。此処は寧ろ「そんな簡単な条件で隠してくれるなんて嘘みたい! ありがとうございますぅー」って、泣きながら喜んで頷く場面だろ? な?」
 「違ぇねぇ! 俺だったら、感謝するあまり裸踊りでも披露したくなるわー!」
 「お前の裸なんぞ汚くて見たくねぇっての、バーカ!」
 「いやいや。断っても良いんだよ? 巷を賑わす怪盗の正体だ。自警団の詰所に書の一つでも放り込めば、奴ら目ん玉血走らせて飛んで来るだろうし。罪を償えば、堂々と堅気の職に就けて万々歳さね。ま、その前に俺達で二人共たぁーっぷりと可愛がってやるけどなぁ?」
 けひゃひゃと一斉に笑い出す男達。
 下品極まりない言動の端々に怒りと嫌悪感が止まらないが、それらが冗談で済まされない事は、既に証明されていた。
 「……や、ゃあっ! も、やめ……!」
 右側の扉から洩れ聞こえる女性の悲鳴は、もうずっと限界を訴え続けている。物音の感じや、複数聞こえる男の笑い声……壁一枚隔てた隣の空間は最悪な絵面であろう。想像するだけでも気分が悪い。吐き気と目眩で倒れそうだ。
 なのに、こんな酷い暴力をミートリッテの大切な人に押し付けてやると。嫌なら従えと言うのだ。この下卑て腐り果てた男達は。
 「……っ」
 何処でどう間違えたのか。何を失敗したのか。
 なんて、考えるだけ無駄だ。
 現実として、男達は自分を知っている。
 身の周りを調べた上で睡眠時を狙って家に侵入し、拉致した末にこうやって脅しているのだから。
 本心では捩じ切れるくらい首を横に振っていても、大切な人の安全を思うなら……今は、従うしか、ない。
 「……何を、持って来いって……?」
 精一杯絞り出した声は掠れて、震えていた。
 笑う男達の耳に届いたかどうか一瞬不安になったが……了承の意を汲んだらしい目の前の男が突然真顔になり、空になった酒瓶を床へ放り投げ、足を降ろして上半身を軽く乗り出す。
 「指輪だ」
 「……どんな?」
 「銀の台座に丸型の青い石が付いてる。場所は礼拝堂正面、でかい女神像の左手首」
 「手首……? 指輪なのに?」
 「鎖を通して腕輪にしたのさ。まさかって所に隠すのが本業の技なんだよ。……ああ、独学素人上がりのアンタにゃ解んねぇか」
 さすがにキレた。
 盗みに学びも素人も本業もあるものか。
 大体、好きでこんな道を選んだ訳じゃない。他に方法が見付からなかっただけだ。
 「その独学素人上がりに盗みを強要してんのは誰よ。自分自身のうっかりを他人に拭わせるヘボ海賊の分際で、上から目線は止めてくれる?」
 「はは。威勢が良いのは大いに結構! だが、時と場所と状況は常に頭で押さえときな。今直ぐその可愛いネグリジェを引き裂いて壊れるまでヤっても、俺達に不利益は全く無ぇんだぜ。アンタは仕事が速いから使おうと思っただけ。別のヤツに任せても一向に構わないが、その場合はオネェサマの無事も保障外だ。……どうする?」
 テーブルの上に肘を立て、重ねた両手の甲に顎を乗せる男。
 黒い瞳がギラリと不気味に光るのを見たミートリッテは、口惜しさ紛れに小さな声で「クソ野郎」と吐き捨てるのがやっとだった。
 「隣の女の人。これ以上乱暴しないで。本当、男って最低。品性の欠片もありゃしない」
 「理知を気取るなよ泥棒女。アンタも所詮は動物と同じ。やる事ヤって産むモノ産んで、悦楽と自己満足に浸る獣だろぉが」
 「胸糞悪い。それが女の在り方だと思ってんなら、今直ぐ魚に食われて海の底で白骨化してくんない? あとね。自分を支えるので手一杯だから、子供なんかは一生産まないわ。背負い切れないものを望むほど、莫迦でも無責任でもないの、私」
 「……責任……ねぇ?」
 ふんっ! と横向いた少女の耳に、男の含み笑いが滑り込む。
 自嘲ともミートリッテに対する嘲りとも取れる溜め息に僅かな疑問を持って振り返るが、目蓋を伏せた男の表情は読み取れない。
 「まぁ良いさ。受け渡しは五日後の今頃に、この場所で。よろしく頼むぜ、アルスエルナ王国の怪盗・シャムロックさん」
 背後の二人が扉を開いて左右に避けた。外側の床には見慣れた女物の靴が一足、ご丁寧に踵を揃えて置かれている。
 話は終わりか。
 ミートリッテは不機嫌を隠さず、酒瓶の男に背を向ける。
 「アンタが戻って来るまで、オネェサマは俺達が大事に見守っててやるよ。大事に、な」
 「……っ!」
 怒りに肩を震わせる怪盗は、床に穴を空ける勢いで、不本意な一歩目を踏み出した。



 怪盗シャムロックは、アルスエルナ王国南方領を中心に活動する義賊だ。
 五年前に突如として現れてからというもの、鍛え抜かれた騎士すらも翻弄する素早い動きと、何重にも警戒線を敷く獲物周辺をどうやってか事前に調べ尽くしていたとしか思えない手腕で、貴族達に「山猫」と恐れられている。
 当たり前だが、これまでに顔どころか性別だって誰にも知られた例は無い。「痕跡は髪一本も残さない」を徹底していたのに、海賊達はどうやってミートリッテに行き着いたのか……不意打ち過ぎて、してやられた感が半端無かった。
 しかも、目的の物を手に入れたら解放してやるめいた台詞を吐いていたが、仕事を無事に終わらせたとしても弱味を握られた事実は変わらない。使えるカードを一度きりで捨てる輩じゃないのは、傍目にも明らかだろう。
 今回の仕事を成功させれば、絶対に次がある。次を成功させればまた次、更に次。
 その都度、人質の将来的な安否を匂わせて……完全な泥沼路線だ。冗談じゃない。
 「根性汚い盗人共の手足になりたくて始めたんじゃないっての。バーデルの領海に沈んじゃえ。くそったれ!」
 昨夜の海賊達を思い浮かべながら、茹でたポテトを力の限りザシザシと潰しまくる。金物のボウルが調理台の上でガタゴト忙しく躍動した。
 すると
 「おはよー……なぁに? 随分荒れてるのね、ミートリッテ」
 暁の手前頃に仕事から帰って二階の自室で就寝していた同居人が、寝惚け顔をひょこっと覗かせた。
 左肩で巻いた金色の髪が柔らかく弾んで、大人な色気を釀し出す群青色の虹彩が瞬く。
 「あ。おはよう、ハウィス。ごめん。煩かった?」
 「んーにゃ。ちょっとお腹が空いただけよ」
 もう朝食の時間かと慌てて換気用の窓を確認すれば、硝子の向こうに広がった空はすっかり青く染まっている。回想に気を取られて調理がおざなりになっていたようだ。
 急いでテーブルの準備もしなければ、一日の予定が狂ってしまう。
 「もう少し待ってて。今日は贅沢に、トースト二枚とポテトサラダとオニオンスープよ!」
 「ぅわお素敵! でも、大丈夫? 今月のお給料……」
 「お金の話は無ーしッ! 働き盛りの可愛い娘に、全部お任せなさいな」
 からから笑ってウィンクを一つ。
 何かを言われる前に、手早く盛り付けを始めた。
 ハウィスにはシャムロックの正体を話してない。万が一同居人が犯罪者であると知られたら、間違いなく彼女に迷惑が掛かるからだ。
 七年前、自分自身の生活も危ういのに、行く当ても無くさ迷うミートリッテを快く拾ってくれた優しい女性。汚い子供を笑顔で受け入れてくれた温かい村の人達。「怪盗シャムロック」は、困窮する彼らの助けになりたくて勝手に始めた裏稼業。巻き込んでしまっては意味がない。
 なので、日中は自分と怪盗の無縁を装う為に村の果樹園で仮働きさせてもらい、雀の涙な報酬を必死に掻き集めて生活費に充当している。
 ほぼ全額二人分の食費に消えていくと知るハウィスがたまに表情を曇らせるのは心苦しいが、良くも悪くも、現状が未成年の自分にできる限界だ。まだまだ足りないけど、この程度の恩返しはさせて欲しい。
 言葉にこそ表さないが、ミートリッテの行動原理はいつでも、ハウィスを筆頭とした恩人達への感謝にあった。
 「帰りは遅くなりそうだから、夕飯は先に食べちゃってね」
 木製のテーブルに二人分の朝食を並べ、向かい合わせで椅子に座る。
 自然の恵みと村人達の労働に手を合わせてから頬張った料理は、贅沢した甲斐あってどれも美味しい。
 特にスープは、じっくり煮込んだおかげでとろりと溶けるオニオンの舌触りが絶妙。独特の刺激もびっくりするほどの甘味に変わっていて、薄切りした時に目を痛めた辛みは何処へ消えたのかと首を捻りたくなった。
 「夕食より後の時間まで? もしかして、観光?」
 「ん………今回は散歩みたいな距離だけど」
 観光とは、シャムロックが各地で下見に奔走する為の、表向きの口実だ。
 怪盗になると決めた当初は、十日以上家を空ける場合もあるし、路銀は二年分のへそくりでなんとかなるけど、未成年の行動にしては唐突で、許可を得るのは難しいかとも思ったのだが……見聞を広めて自分の糧にしたいと言ったら、あっさり承諾してくれた。
 実際勉強してる面もあるので、嘘は言ってない。
 言ってないが……罪悪感は大きい。
 「良いわよー。世界を知るには目と足が肝心だもんね。どんっどん出歩きなさい。でも、不貞の輩には十分気を付けるのよ? ミートリッテはとびきり可愛いんだから。怪しい男には絶対! 付いて行っちゃ駄目!」
 昨夜、拉致されたよ……とは言えない。
 「もう! 私、ちっちゃな子供じゃないんだよ。ハウィスこそ、酒場で暴力男に絡まれないでね。海の男は黒いしでかいし、粗暴者ばかりで嫌いよ」
 「あはは! 残念ねぇ? 色白で控えめで頼りない王子様が南方領に居なくって。」
 「……訂正する。男は全員嫌い。」
 「ふふ。ミートリッテ、かーわいいっ!」
 女という生き物はどうしてこう、男と女をくっ付けたがるのか。隙あらば恋愛話に持ち込もうとする性質が、ミートリッテには不思議でならない。
 ハウィスの場合は、仕事で毎日夕方から深夜まで男ばかり相手に酒や料理を提供してるから、女の華やぎ成分が足りてないのかも知れないが……そういったものを自分に期待しないで欲しいと、切実に思った。
 朝食最後の一口をよく噛んで喉に流し、逃げるように席を立つ。
 「とにかく、夕飯の時間まで家の事はお願い」
 「はいな。遅刻ギリギリでしょ? 洗い物もやっとくわ。支度して行ってらっしゃい」
 「ありがと! じゃ、今度何かあったら代わるね。行ってきます!」
 「気をつけてねー」
 使った食器を洗い場に置き、二階に与えられた部屋で素早く作業服に着替えて果樹園へ走る。
 午前中は摘果作業が中心の予定だ。昼食までに終わったらジャム作りも手伝って、とりあえず果樹園での仕事は片付く。
 問題はその後。
 目指すは昨日の朝まで通う人が殆どいなかった、村の南端に位置する崖上の小さな教会。
 新しい神父が着任したとは聞いていたが、前任の神父に比べると相当人気が高そうだ。海賊が立ち寄るのを拒絶しちゃうくらいには。
 「私も、人が多い所には行きたくないんだけどなぁ……ったく、衆人環視に飛び込む仕事の、何が簡単なんだっての!」
 何処へ向かうにも不便な地形。故に入らぬ通らぬ人と物。それでも課される高い税……等、様々な難事情により真っ当な仕事が極端に少ないアルスエルナ王国南方領南西部の、更に南西端。
 海と山脈と国境に囲まれた、正真正銘『行き止まり』の村・ネアウィック。
 さて、午後を迎えて暇を持て余す女衆がどんだけ集まっているのやら……。
 先月十八歳になったばかりの少女は、痛む頭を抱えつつ、半ばやけくそ気味に二つの仕事を開始する。

 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

感想を書く

この話の感想を書きましょう!




 
 
全て感想を見る:感想一覧