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逆さの砂時計

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Side Story
  少女怪盗と仮面の神父

 こんな筈じゃなかった。

 真ん丸な月が純白に輝く、夜の海辺。
 ミートリッテは、不規則に揺れる船の中で密かに奥歯を噛み締めた。
 目の前には、後ろへ傾けた椅子の背もたれに寄り掛かり、テーブルの上で両足を組み替えながら酒瓶を(あお)る、厳つい筋肉剥き出しの強面(こわもて)男が一人。
 両脇と背後には、正面の彼とそっくりな体型の男達がそれぞれ二人ずつ、閉じた扉の前に立って退路を塞いでいる。
 ミートリッテがどれだけ速い足を持っていても、狭い室内で七人の大男に囲まれていては、まったく役立ちそうにない。

 そもそも、この男達に自分の正体や家を知られている以上、仮にここから逃げ出せたとしても、事態は更に悪化するだけ。
 状況は絶望的だ。

「なあ、怪盗さんよ。アンタにとっちゃ、なんも難しい話じゃねえだろ? 村の教会に隠しといたお宝をちゃちゃっと取ってきて欲しいだけなんだよ。それさえ手に入れば、俺達は本当にすぐバーデルへ戻るし、アンタの正体は海に誓って絶対誰にも言わねぇ。アンタの大事な大事なオネェサマだって、今後も綺麗な身体のまま何も知らずに生活していけるんだ。ここはむしろ、『まあ! そんな簡単な条件一つだけで見逃してくれるなんて嘘みたい! ありがとうございますぅ』って、泣きながら喜んで頷く場面だろ? な?」
「違ぇねぇ! 俺だったら感謝のあまり裸踊りでも披露したくなるわー!」
「お前の裸なんぞ汚くて見たくねぇっての、バーカ!」
「いやいや。断ってくれたって良いんだよ? (ちまた)を賑わす怪盗様の正体だ。自警団の詰所に紙切れの一枚でも放り込んでおけば、奴ら目ん玉血走らせて飛んでくるだろうし。罪を償えば、堂々とカタギの職に就けて万々歳さね。ま、その前に俺達で二人共たぁーっぷりと可愛がってやるけどなぁあ?」

 けひゃひゃっと、一斉に笑い出す男達。
 下品極まりない言動の端々に、怒りと嫌悪感が湧いて止まらないが。
 それらが冗談で済まされないことは、既に証明されていた。

「や、ゃあっ! も、やめ……!」

 右手側の扉から微かに洩れ聞こえる女性の掠れた悲鳴は、ミートリッテがここに連れ込まれた時からずっと、限界を訴え続けている。
 物音の感じや、複数聞こえてくる男達の笑い声からして、壁一枚を隔てた隣の空間は最悪な絵面であろう。
 想像するだけでも気分が悪い。吐き気と目眩で倒れそうだ。

 だというのに。
 こんな酷い暴力を、ミートリッテの大切な人にも押し付けてやるぞと。
 嫌なら俺達に従え、などと、笑いながら言うのだ。
 この、下卑て腐り果てた男達は。

「…………っ」

 どこでどう間違えたのか、何を失敗したのか。
 なんて、考えるだけ無駄だ。
 現実として、男達は自分を知っている。
 ミートリッテの身辺を調べ尽くした上で、眠っているタイミングを狙って家に侵入し、船上へと拉致した末に、こうやって脅しているのだから。

 本心では、ねじ切れるくらい首を横に振っていても。
 大切な人の安全を思うなら、今は大人しく男達に従うより他にない。

「……何を、持ってこいって……?」

 精一杯絞り出した声はあまりにも小さく、震えていた。
 笑う男達の耳に届いたかどうか、一瞬不安になったが。
 了承の意を汲んだらしい目の前の男が突然真顔になり、空になった酒瓶を床へ放り投げ、両足を降ろして上半身を軽く乗り出してきた。

「指輪だ」
「……どんな?」
「銀の台座に丸型の小さな青い石が付いてる。隠し場所は礼拝堂の正面奥、でかい女神像の左手首」
「手首? 指輪なのに?」
「鎖を通して腕輪にしたのさ。まさかって所に隠すのが本業(プロ)技術(ワザ)ってな。ああ、独学素人上がりのアンタにゃ想像もできねぇか?」

 さすがにキレた。窃盗行為なんかに学びも素人も本業もあるものか。
 大体、好きでこんな道を選んだわけじゃない。
 他に方法が見つからなかっただけだ。

「その独学素人上がりに盗みを強要してんのは誰よ。自分自身のうっかりを他人に拭わせるヘボ海賊の分際で、上から目線はやめてくれる?」
「はは。威勢が良いのは大いに結構! だが、時と場所と状況は、常に頭で押さえときな。今すぐその可愛いネグリジェを引き裂いて精神が壊れるまでヤっても、俺達にゃ不利益はまったく無ぇんだぜ。アンタは仕事が速いから使おうと思っただけ。別のヤツに任せても一向に構わないがな。その場合はオネェサマの無事も保障外だ。さて、……どうする?」

 テーブルの上で両肘を立て、重ねた両手の甲に顎を乗せる男。
 黒い目がギラリと不気味に光るのを見たミートリッテは、口惜しさ紛れに小さな声で「クソ野郎」と吐き捨てるのがやっとだった。

「隣の女の人。これ以上、彼女に乱暴な真似しないで。本当、男って最低。品性の欠片もありゃしない」
「理知を気取るなよ、泥棒女。アンタも所詮は動物と同じ。ヤることヤって産むモノ産んで、悦楽と自己満足に浸るケダモノだろぉが」
「胸クソ悪い。それが女の在り方だと思ってんなら、今すぐ魚に食われて、海の底で白骨化してくんない? あとね。自分を支えるので手一杯だから、子供なんかは一生産まないわ。背負い切れないと分かってるものを望むほどバカでも無責任でもないの、私」
「……責任、ねぇ?」

 ふんっ! と横向いた少女の耳に、男の含み笑いが滑り込む。
 男自身への嘲笑ともミートリッテに対する(あざけ)りとも受け取れるため息に、わずかな疑問を持って振り返るが。
 目蓋を伏せた男の感情は読み取れない。

「まあ良いさ。受け渡しは五日後の今頃に、この場所で。よろしく頼むぜ、アルスエルナ王国の怪盗、シャムロックさん」

 背後に立つ二人の男が、頭を下げながら扉を開き、左右に避けた。
 室外には見慣れた女物の靴が一足、ご丁寧に(かかと)を揃えて置かれている。
 話は終わりか。

 行きは堆肥(たいひ)のように袋詰めにして抱えてきたクセに。
 帰りはまるで、貴族のお嬢様のお見送りだ。
 それならいっそ送迎用の馬車くらいは用意しておけば良いものを。
 女一人をカンテラの一つも持たせずに夜の闇へと放り出す、この無神経。
 つくづく(しゃく)に障る男達だ。

 ミートリッテは不機嫌を隠さず、酒瓶の男に背を向け

「アンタが戻ってくるまで、オネェサマは俺達が大事に見守っててやるよ。大事に、な」
「…………っ!」

 怒りに肩を震わせながら、船床に穴を空ける勢いで一歩目を踏み出した。



 シャムロックは、アルスエルナ王国の南方領を中心に活動する義賊だ。
 約五年前に突然現れてからというもの、鍛え抜かれた騎士すらも翻弄する素早い動きと、何重にも警戒線を敷く獲物の周辺を事前に調べ尽くしていたとしか思えない手腕で、貴族達には『山猫』、一般民には『シャムロック』と呼ばれ、恐れられている。

 当然だが、これまでに顔どころか性別だって、誰にも知られた(ためし)は無い。
 侵入の痕跡は髪の毛一本すらも残さない、を徹底していたのに、わざわざ隣国から来たらしい海賊は、どうやってミートリッテに行き着いたのか。
 不意打ちすぎて、してやられた感が半端なかった。

 しかも目的の物を手に入れたら解放してやる的なセリフを吐いていたが、仕事を無事に終わらせたとしても、弱味を握られている事実は変わらない。
 使えるカードを一度で捨てる(やから)じゃないのは、傍目にも明らかだろう。
 今回の仕事を成功させれば、絶対に次がある。
 次を成功させれば、また次、更に次。
 その都度、人質の将来的な安否を匂わせて。
 完全な泥沼路線だ。
 冗談じゃない。

「根性汚い盗人共の手足になりたくて始めたんじゃないっての。バーデルの領海に沈んじゃえ、クソったれ!」

 昨夜の海賊を思い浮かべながら、茹でたポテトを力の限り潰しまくる。
 金物のボウルが、調理台の上でガタゴト忙しく躍動した。
 すると。

「おはよー……なぁに? ずいぶん荒れてるのね、ミートリッテ」

 暁の手前頃に仕事から帰ってきて、二階の自室で就寝していた同居人が、寝惚け顔をひょこっと覗かせた。
 左肩で巻いた金色の髪が柔らかく弾み。
 大人な色気を(かも)し出している群青色の虹彩が、ミートリッテを見て瞬く。

「あ。おはよう、ハウィス。ごめん。うるさかった?」
「んーにゃ。ちょっとお腹が空いただけよ」

 もう朝食の時間かと、慌てて換気用の窓を確認すれば。
 ガラスの向こうに広がった空はすっかり青く染まっている。
 回想に気を取られて、調理がおざなりになっていたようだ。
 急いでテーブルの準備もしなければ、一日の予定が狂ってしまう。

「もう少し待ってて。今日は贅沢に、トースト二枚とポテトサラダ、しかもオニオンスープ付きよ!」
「ぅわお、素敵! でも、大丈夫? 今月のお給料……」
「お金の話は無ーしっ! 働き盛りの可愛い娘に、全部お任せなさいな」

 からから笑ってウィンクを一つ。
 何かを言われる前に、手早く盛りつけを始めた。

 ハウィスには、シャムロックの正体を話してない。
 万が一同居人が犯罪者であると知られたら、間違いなく彼女や村の人達に多大な迷惑が掛かるからだ。

 七年前、自身の生活も危ういのに、行く当てもなくさ迷うミートリッテを快く拾ってくれた、優しい女性。
 薄汚い子供を笑顔で受け入れてくれた、温かい村の人達。
 『怪盗シャムロック』は、困窮(こんきゅう)する彼らの助けになりたくて勝手に始めた裏稼業。巻き込んでしまっては意味がない。

 なので、日中は自分と怪盗の無縁を装う為、村の果樹園で仮働きをさせてもらい、すずめの涙な報酬を必死に掻き集めて生活費に充当している。
 その報酬も、ほぼ全額二人分の食費に消えていくと知るハウィスがたまに表情を曇らせるのは心苦しいが。
 良くも悪くも、現状が未成年の自分にできる限界だ。
 まだまだ足りないけど、この程度の恩返しはさせて欲しい。
 言葉にこそ表さないが、ミートリッテの行動原理はいつでも、ハウィスを筆頭とした恩人達への感謝にあった。

「あ、ハウィス。帰りは遅くなりそうだから、夕飯は先に食べちゃってね」

 木製のテーブルに二人分の朝食を並べ、向かい合わせで椅子に座る。
 自然の恵みと村人達の労働に手を合わせてから頬張った料理は、贅沢した甲斐があってどれも美味しい。特にスープは、じっくり煮込んだおかげで、とろりと溶けるオニオンの舌触りが絶妙。
 独特の刺激も、びっくりするほどの甘味に変わっていて、薄切りした時に目を痛めた辛みはどこへ消えたのかと、首をひねりたくなった。

「え? 夕食より後の時間まで? もしかして、観光?」
「ん……。今回は散歩みたいな距離だけど」

 観光とは、シャムロックが各地で下見に奔走する為の、表向きの口実だ。

 怪盗になろうと決めた当初は、十日以上家を空ける場合もあるし、路銀は二年分のへそくりでなんとかなるけど、未成年の行動にしては唐突すぎて、許可を得るのは難しいかとも思っていたのだが。
 見聞を広めて自分の(かて)にしたいと言ったら、あっさり承諾してくれた。
 実際、勉強してる面もあるので、嘘は言ってない。
 言ってないが、黙っていることへの罪悪感は大きい。

「良いわよー。世界を知るには、目と足の実感が肝心だもんね。どんっどん出歩きなさい。でも、不貞の輩には十分気を付けるのよ? ミートリッテはとびきり可愛いんだから。怪しい男には絶対! ついていっちゃダメ!」

 昨夜、この家で拉致されたよ。
 とは、言えない。

「もう! 私、ちっちゃな子供じゃないんだよ。ハウィスこそ、酒場で暴力男に絡まれないでね。海の男は黒いしでかいし、粗暴者ばかりで嫌いよ」
「あはは! 残念ね、色白で控えめで頼りない王子様が南方領に居なくて」
「……訂正する。男は全員嫌い。」
「ふふ。ミートリッテ、かーわいいっ!」

 女という生き物は、どうしてこう、男と女をくっつけたがるのか。
 隙あらば恋愛話に持ち込もうとする性質が不思議でならない。
 ハウィスの場合は、仕事で毎日夕方から深夜まで海の男ばかり相手に酒や料理を提供してるから、女の華やぎ成分が足りてないのかも知れないが。
 そういったものを自分に期待しないで欲しいと。
 ミートリッテは日々、切実に思っている。

「とにかく、夕飯の時間まで家のことはお願いね」

 朝食最後の一口をよく噛んで喉に流し、逃げるように席を立つ。

「はいな。遅刻ギリギリでしょ? 洗い物もやっとくわ。急いで支度して、行ってらっしゃい」
「ありがと! じゃ、今度何かあったら代わるね。行ってきます!」
「気を付けてねえ~」

 使った食器を洗い場に置き。
 二階に与えられている部屋で素早く作業服に着替えて、果樹園へと走る。

 午前中は摘果(てきか)作業が中心の予定だ。
 昼食までに終わったら、ジャム作りのほうも少し手伝って。
 それが済んだら、とりあえず果樹園での仕事は片付く。

 問題は、その後。
 目指すは昨日の朝まで通う人がほとんどいなかった、村の南端に位置する崖上の小さな教会。
 先日、新しい神父が着任したらしいと、風の噂で聞いてはいたが。
 前任の神父と比べると、相当人気が高そうだ。
 傍若無人(ぼうじゃくぶじん)な海賊が立ち寄るのを拒絶しちゃうくらいには。

「私だって、人が多く集まる場所にはあんまり行きたくないんだけどなあ。まったく! 衆人環視(しゅうじんかんし)に飛び込む仕事の、何が簡単なんだっての!」

 どこへ向かうにも不便な地形。故に入らぬ通らぬ、人と物。
 それでも課される高い税……など、様々な難事情により、真っ当な仕事が極端に少ない、アルスエルナ王国南方領南西部の、更に南西端。
 海と山脈と国境に囲まれた、正真正銘『行き止まりの村』ネアウィック。

 さて。
 午後を迎えて、ヒマを持て余した女衆がどんだけ集まっているのやら。

 先月十八歳になったばかりの少女は。
 痛む頭を抱えつつ、半ばヤケクソ気味で、二つの仕事を開始する。


 
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