逆さの砂時計
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
Side Story
少女怪盗と仮面の神父 11
「お疲れ様でしたー!」
「おぉ。すまなかったな、こんな時間まで残業させて」
「いいえ、まだ足りないくらいです。力不足ですみません……」
ミートリッテは不満そうに答えるが、昼食の為に三十分程度の休憩を挟んだ以外は、ほぼ保管庫の虫と化していた。結果、外は既に夜の一歩手前だ。
「他の従業員と合わせれば二日分くらいの十分な量を確保できてる。休み明け早々に残業の連続を強制する心配が無くなって、こっちとしては大助かりさ。それより、ちゃんと食べれたみたいだな。昼飯」
完熟オレンジの量に忙殺されて食べる余裕も無いと思っていたのだろう。お昼前後は別の仕事で園外に出ていたピッシュが、ミートリッテの作業服のポケットを一瞥して安心したように頷く。
「はい! とーっても美味しかったです、マーマレード! 甘いけどベタベタした感じは無くて、皮まで柔らかくて、口に含んで鼻に抜ける香りも瑞々しくて! ああ……もっとゆっくり味わいたかったぁ」
作業の進行状況としては僅かな移動時間も惜しかったのだが、崩れやすいビスケットを保管庫内で食べる訳にはいかなかった。仕方なくジャム作りを手伝う倉庫脇でオレンジ畑を見渡しながら頂いたマーマレードは、まさに絶品。それはもう、食べている間だけは昨日の不運を綺麗さっぱり忘れられるほどの、超一級品だった。
「マーマレードは魚料理にも合うからな。夕飯に使ってみれば良い。まだ三分の一くらいは残してるだろ?」
「え……。ええっ!? なんで実物を見てないのに量まで判るんですか!?」
「秘密。」
元々細い目が更に細くなって、緩やかな曲線を描いた。得意満面とまでは行かないものの、何処か誇らしげな笑みだ。
(秘密って言われると却って気になるっ! 本当に、どうやって見極めてるんだろ)
「ありがとな。ミーや姐さんみたいに素直な感想を真っ直ぐぶつけてくれる相手が居ると、作り手としても甲斐があるし、もっと旨い物を作りたいって、自然にやる気が出るよ。休み明けも大変になると思うが、よろしく頼む」
「え? は、はい! 此方こそ!」
ピッシュの手が嬉しそうにミートリッテの前髪をクシャッと撫でるので、ミートリッテも嬉しくなって元気一杯の笑顔を返した。秘密にされてしまった内容はとても気になるけど、いずれ折を見て改めて尋いてみよう。
「では、また!」
「おお。またな」
ペコリと頭を下げ、慌ただしく農園の外へ走る。
途中、保管庫を横目に、選別し切れなかった完熟オレンジ達の行く末を案じてしまったが……ピッシュの見立ては、摘果時期にしても搬出時期にしても、毎回的確だった。今回もきっと大丈夫だと雇い主の采配を信じ、自分は自分で抱えた問題を解決させる為に家路を急ぐ。
そう……家にまで押し掛けると宣った神父の野望を退けるという問題を解決させなければ、二進も三進もできないのだ。時間的にはとっくに着いていてもおかしくない。
酒場で働くハウィスなら男のあしらい方にも精通しているだろう。
しかし、今回の相手は人の話を全ッ然聴かない、強引を地で行くあの悪質(決め付け)な神父・アーレストだ。二人を一対一で会わせるには不安が大きい。
よもやハウィスにまで勧誘の牙を向けていたら……絶対赦さん! 万死に値するッ!
なんて、まるで娘さんを嫁に下さいと挨拶に来た男を威嚇する父親の気分で、夕暮れの坂道を駆け下りる。
(……っ!?)
住宅区に入った瞬間、壮絶な悪寒が背筋を駆け上がった。
足裏が地面に貼り付いたように動かなくなる。
(なに、これ……。なんで)
誰かに見られている。
それも、全身を舐め回すいやらしい視線。頭の天辺から足の爪先までじっとりと絡み付く……蛇みたいだ。
「だ、れ?」
なんとか動かせる上半身を捻って辺りを見渡すが、視線の主らしき姿は無い。というか、人影そのものが無い。
「気持ち悪い……!」
長年怪盗なんて続けていれば当然、各所で様々な感情に遭遇する。
一般民には不審がられたり感謝されたり。貴族には恐れられ怒りをぶつけられ……時には彼らを護る騎士やら傭兵やらに殺気を向けられたりもした。
いずれもシャムロックの正体を知らないと解っていたから、別段気にしてはいなかったが。
この視線には、そういった強い感情が無い。
見定められている。ただ、見てるだけ。
だが……意図が読めない分、恐い。気持ち悪い。嫌な汗が噴き出す。
「……あ……」
焦燥感に速まる鼓動を抑えようと右手を上げた途端、柔らかな風が耳を撫でた。昼間よりも少しだけ冷たい感触が、不思議と落ち着きを与えてくれる。
(…………歌?)
もう一度周囲を確認するが、やはり誰もいない。
吹き抜けるのは、海からの風と波の音、僅かな物音だけ。
どうしてそれらを歌だと思ったのか……ミートリッテは自分の思考に首を傾げ、いつの間にか視線を感じなくなっていた事に気付く。
足は……動いた。汗も引いた。体全体に自由を取り戻してる。悪寒も無い。
「……なんだったの?」
冷静になってみれば、ほんの数秒の違和感。気の所為だったと思うには鮮明すぎる恐怖。海賊達と対面した時の比じゃなかった。
けれど、何度確認したって周りには人間も動物もいない。隠れられる場所も特には無い。
「用心だけはしとくか」
いないものはいないのだ。幾らおかしいと思ったって、いないものには対処できない。
なら、どうするべきか。今、優先すべきは何か。
上げた右手で襟元を掴み……そのまま家へ直行する。
「げ。」
その光景は、予想できる範囲内の筈だった。
しかし、昨日のミートリッテはコロコロ転がりまくる事情に翻弄され、其処まで深く考えが及んでなかったと言わざるを得ない。
「よお、ミートリッテ! お前、アリア信仰に入るんだって?」
顔見知りの男が立ち尽くすミートリッテを見付けて、面白そうに声を掛けてきた。その声にいち早く反応したのが……家を取り囲む何十人もの女。
ザッ! と、一斉に振り向く鬼の形相達。
(ひぃっ)
腰が抜けてもおかしくない場面だが、なんとか一歩退いただけで堪えた。
「ミートリッテ、アリア信仰に興味あったんだねー」
無い。そんなものは断じて無い。
「意外だわー。あぁでも、昨日は教会に居たっけねぇー」
はい。居ました。その点は認めます。でも決してやまし……いえ、やましくないとは言えませんが(目的は泥棒だし)、神父様に用は……いえ用はありましたけど(妨害対策の意味で)! お姉さま方に微笑まれながら殺気で刺されるほどの物じゃありません! なのでどうか、視殺は勘弁してくれませんか!
「ねぇねぇ、アリア信仰のどんな所に惹かれたのー?」
「私達にくわしぃーく教えて欲しーなーぁ?」
(いぃやぁああっ)
にじにじと包囲網を狭める女衆の気迫ときたら、拳をベキベキ鳴らしながら絡んでくるゴロツキにそっくりだ。それ以上かも知れない。
大失敗……大敗北だった。
女衆の目的はアーレストであって、教会じゃない。
アーレストが教会を出歩くなら、女衆も一緒に動く。人の気配がある内にアーレストが家まで来るとはつまり、女衆が家の周りに集まるという事で。
即ち、「ミートリッテがアリア信仰に云々」が村中に拡散する事を意味する。
涙目で狼狽していると、女衆の壁の向こうに並び立つ美しい男女が見えた。揃ってミートリッテに足先を向け、群青色の虹彩を目蓋で隠した女性がそっと両手を合わせて頭を下げたかと思うと、琥珀に近い金色の目を細めた男性が……
すっごく黒い笑みを浮かべた。
どう好意的に見ても真っ黒だった。
(そ……外堀を埋めやがったあぁ!)
神父に熱中している女衆。神父に近寄る女に嫉妬しつつも、ミートリッテが「嫌です嘘ですお断りです!」と猛反発すれば、神父たっての誘い(此処が重要)を断るとは何事か! と逆ギレしかねません。
だって「神父様命!」状態ですから。
理不尽ですが、前しか見えない人ってのはそんなもんです。
しかも保護者様、匙、投げてましたね。
思いっ切り頭を下げられて、「ごめん。無理。」って幻聴まで聴こえました。
そりゃそうだ。数十人対二人。多勢に無勢なんだから。
まさかの取り巻き攻撃により、未成年の盾……呆気無く崩壊。
「ややや、ちょっ、あ、あのね、みんな! 一旦落ち着……」
「うんー? なぁにー?」
「聴こえなーい」
笑顔が怖い。嫉妬と殺気を隠してない女衆の笑顔が怖い。
(たった一人を勧誘する為に此処までするの!? 信じらんない! アーレスト神父の卑怯者ーッ!)
「すみません、皆さん。ミートリッテさんとハウィスさんに込み入ったお話がありますので、一時彼女達をお借りしてもよろしいでしょうか?」
「「「勿論です!」」」
ミートリッテを押し潰す勢いで迫っていた女達が ずぁっ と二手に分かれ、彼女とアーレストとの間に一本の道を作った。
軍隊の整列さながらの動きに、事態を見守っていた数少ない男達の表情が強張る。
冷静でいられた者は全員、寸分違わず同じ瞬間に同じ言葉を思い浮かべただろう。
なんじゃこりゃ……と。
「改めてお話しましょうか。ね? ミートリッテさん」
優雅な足取りでミートリッテの前に立ち、呆然自失の彼女の手を引いて、ハウィスと共に家の中へ入っていくアーレスト。扉を閉める直前、女衆へ向けて「皆さんも暗闇は危険ですから、お早めにご帰宅なさってくださいね。貴女方に何かあっては、心配で夜も眠れません」と、笑顔付きの声掛けも忘れない。
黄色い悲鳴が外で響くのを、ミートリッテは頭を抱えながら聴いていた。
「ごめん……ね」
申し訳なさそうなハウィスの震える言葉に顔を上げれば
「……そんな心無い謝罪は要らないよっ」
口元を押さえてふるふると肩を揺らすハウィスに、なんかもう……脱力するしかなかった。
本人は堪えてるつもりかも知れないが、頬を真っ赤に染めて完っ璧に笑ってる。
「すみません。こんな状況になるとは思ってなくて」
(嘘つけーッ! わざとでしょ! 絶対わざとでしょおーッ!)
ハウィスに謝罪するアーレストの背中へ飛び蹴りを噛ましたくなるのは、ごく自然な感情の流れだと思いたい。
「仕方ないわ。こうなってしまったら、私にはどうにもできない。彼女達に説明したって、どうせ受け付けてくれないもの。ミートリッテ自身でなんとかしてね」
「なんとかできるなら、こんな事にはなってないよぉ……」
「まぁまぁ。いきなり入信、即刻修行とは言いません。社会勉強のつもりで歴史や背景を軽くなぞっていただいて、どうしても駄目だと思ったら、それ以上の無理強いはしませんから」
その軽いなぞり期間が極めて大迷惑なのだが。
大体、無理強いはしないってのも嘘だよね。諦めるつもり、全然無いよね。
一発殴りたい。
「今日はもう暗いです。自警団の方々のお仕事もありますから、このまま出歩かないほうが良いでしょう。明日、教会でお待ちしていますね」
「決定なの!? ねぇ、決定なの!? 私の意思は尊重してくれないの!?」
「良いじゃない。元々教会で使われてる物に興味があったんでしょう? 何かは知らないけど、ついでにじっくり観察してきたら?」
(そうだけど! それ、今此処で言わないでハウィス! 釣り人に餌を渡さないでー!)
「おや、そうなんですか? 構いませんよ。何処をどんな風に見ていただいても。ゆっくりご案内します。ゆぅーっくりと、ね」
釣り針に餌、装着。
「ああ。私から勧誘しているのですから、勿論、関係者しか入れない場所にも出入り自由ですけど……」
どうします? と、投げ入れられた極上の撒き餌。
ミートリッテの奥歯が ギシ と鳴った。
「……っ」
神父公認で指輪に堂々と接触できる、千載一遇の機会。
例え今以上の厄介が待ち受ける罠だと解っていても。
例え、聖職者が類い稀なる冷酷な悪人面で笑ってるのが心底腹立たしいとしても。
これを逃すのは愚かだ。
(ハウィスの安全第一……ハウィスの安全第一……!)
内部抗争への参加には猶予がある。
でも、『依頼』の期日は待ってくれない。
「……よろ、しく……」
抵抗感から精一杯絞り出した掠れ声に、アーレストは
「此方こそ」
聖者の微笑みを湛えながら応じた。
ページ上へ戻る