逆さの砂時計
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
Side Story
少女怪盗と仮面の神父 3
(今日は夕方にもう一回来て、暗闇での距離感を測ったら終わり。細かい詰めは明日にしよう)
一先ず礼拝堂内の要所を押さえたミートリッテは、祈る振りを止めて祭壇に背を向けた。
正面入口まで続く真っ直ぐな通路には、相変わらず解散するつもりが全然無い恐怖の女集団と、彼女達に捧げられた生贄が一名。
本当は中心部から見える天井の高さや各柱の傷なんかも確認したいのだが、めくるめく乙女の異常世界を堂々と突っ切って行く度胸など持ち合わせてはいない。
入って来た時とは反対側に足先を向け、そそくさと入口へ進む。勿論、壁の状態を目で追うのは忘れずに。
途中で窺った女性達の目線は、しっかりと神父の顔に絡み付いていた。帰りは穏やかに済みそうだ……と、息を吐いたのも束の間。
「すみません。少々よろしいでしょうか」
入口の扉に手を伸ばした瞬間、背後から神父が声を掛けてきた。
「……はい?」
何故話し掛けてくるのか。不審がられるような動きはしてない筈だが、知らず知らずの内に礼儀や作法に反する事でもやってしまったのか。それとも、アリア信仰では行き帰りに必ず何かしらの挨拶や会話が必要なのか。なんて面倒なんだアリア信仰。普通に帰らせてください。マジで。
だが。どんな理由であれ、この場所でこの相手を無視するなんて不自然さは絶対に見せてはいけない。ヘタな言動で顔や特徴を覚えられたら、怪盗の仕事がやり難くなるだけだ。
今の自分は一般民。ただ礼拝に訪れただけの、何処にでもいる平凡な年頃の女。それらしく振る舞わなくては。
そう自分に言い聞かせつつも、神父にとっては大切な教会で良からぬ考えを巡らせていた後ろめたさと、既に背中を突き刺しまくっている女衆の殺気立った目線で内心冷や汗だらだらになりながら、ゆっくり振り返る。
神父はいつの間にか分厚い輪を抜け出し、ミートリッテの数歩後ろに立っていた。
……入る時にも思ったが……あれだけの人数に囲まれていて、どうすればこんなにも容易く移動できるのだろうか。隙間抜けの特技でもあるのか? だとしたらちょっと羨ましい。自分にもそれが使えたなら、まさに今此処で使って颯爽と立ち去れるのに。
「なにかございましたか? 神父様」
視線だけで穴が空くのなら、ミートリッテは今頃エメンタールチーズもびっくりの風穴仕様になっている。せめて女性達の鬼気迫る表情だけは視界に入れまいと閉じた目蓋を、にっこり微笑んで誤魔化した。
「はい。差し出がましいのは承知の上でお尋ねします。貴女は今、とても大きな悩みを抱えていらっしゃるのではありませんか?」
「…………は?」
「ご気分を害してしまったのなら、どうかお赦しください。先程祈っていた後ろ姿があまりにも懸命だったので、気になってしまったのです」
凄まじい人集りの中心から、わざわざミートリッテを見ていたと言う神父。不審者扱いではなかったと安心する一方で予想外の言葉に驚き、思わず目を瞬かせてしまう。
「女神アリアに仕える者としても人間としても未熟な私ですが、相談してくださいませんか? 身近な間柄ではないからこそ、何かのお役に立てるかも知れません」
「あ……えっと……」
ミートリッテは困った顔で視線を落とした。
仕事熱心なのは良いが、その矛先をよりによって自分に向けないでほしい。
悩みは確かにあるけれど、原因の半分くらいは女性受けしすぎな貴方の容姿です。貴方が昨日着任しなければ、女性の群れに恐れをなした海賊が怪盗に盗みを強要するという、ちゃらんぽらんな事態にはならなかったでしょう……などと、言えるわけがないのだから。
「すみません……とても神父様にお話しできる内容ではありませんので」
ぺこりと頭を下げると、神父は軽く首を傾げ……透明感に満ちた笑顔をミートリッテの目に刻み付けた。
「そうですか……分かりました。ですが、私達はいつでも貴女方を見守っています。困った時には遠慮無く頼ってください。微力ながら、解決へ向けたお手伝いを約束致します」
眩しい。厚意が目に痛い。
背後に充満する真っ黒な霧や彼の領域を荒らす事への罪悪感が無ければ、ステンドグラスが魅力を引き立てる女神像にも劣らない芸術的な画だと、暢気に観賞していただろう。
「……ありがとう、ございます」
(私の死因は、女の一方的な嫉妬……か。短く儚い人生だったけど、まぁ悪くはなかったよ。うん)
いろいろ諦めたミートリッテは、引き攣った笑顔でもう一度神父に頭を下げ、転身しようとして
「あ。それと、もう一つ」
またしても神父に呼び止められた。
これ以上縮められる寿命は無いのだが。
「私は、先日よりネアウィック村の教会での勤めを任されている神父・アーレストと申します。貴女のお名前を伺ってもよろしいでしょうか」
アリア信仰流の挨拶か、左手を自身の胸元に添えて腰を折るアーレスト。
「……ミートリッテです」
ネアウィック村に「ミートリッテ」は一人だけ。裏稼業の都合上他人にほいほい教えたくはないが、女性達の手前こうも礼儀正しくされては無下にもできない。
「ミートリッテさん、ですね。ありがとうございます。貴女に女神アリアの祝福が舞い降りますように……またおいでください。お待ちしています」
別れの句だ。漸く女衆の無言攻撃から解放される……と、心からの喜びが笑顔に変わる。
「ありがとうございます。失礼しました」
嬉しそうなミートリッテに、ほんの少し目を丸くする神父。
「……?」
何か変だっただろうか?
と思う前に、表情を戻したアーレストが扉に歩み寄って外への道を開いた。
「お気を付けて」
扉がきっちり閉まるまで見送りを受けたミートリッテは、首を捻りながらも何食わぬ顔で十数歩分外門に近付き……突然 ハッ! と顔を上げ、教会の裏手へ走り出した。
芝生を蹴る音は風が消してくれる。誰かに見付かる前に、敷地内の様子と崖の高さを把握しておかなければ。
「よくよく考えてみたら、これってすっごく良い機会じゃない? まさかネアウィックで……とは思わなかったけど!」
全身を刺す物騒な視線が無くなり、呼吸が楽になったおかげか。外へ出た途端、ずっと前から試してみたかった事を思い出したのだ。
それは、怪盗になりたての頃。
舞台劇の存在を初めて知ったミートリッテがハウィスに劇話の詳細を尋くと、彼女は笑ってこう答えた。
『大半は崖から落ちて終わるわね』
犯罪者を追い詰めても落ちる。愛し合う男女二人組を追いかけても落ちる。例え幻想世界の住民であっても、最終的にはやっぱり落ちる。
とにかく落ちて終わる劇話の舞台。
それが役者の聖地、『崖』。
劇話の説明としてはなんだかいろいろ端折られた気もするが、其処に到る経緯や結末よりも、無謀としか思えないその危険な行為ただ一点が、ミートリッテの心を異常なまでに魅了した。
断崖絶壁から海への落下。
通称「崖ドボーン」。
村民として実行すれば確実に怒られ、心配を掛けてしまう。
でも、怪盗としてなら?
怪盗の仕事場は常にネアウィック村より内陸部。崖はあっても、下は地面か良くて川だった。
でも、此処はちゃんとした海。どう見ても海だ。
自分が住む村で泥棒なんてしたくはないが、こんなにも好条件が揃っていては期待を膨らませるなというほうが無理な話。
押し返す風と整列する木々の間を全力で駆け抜け、教会をぐるりと囲う白石の土台に突き立てられた鉄柵を掴む。一本一本はそれほど太くないが、間隔は片腕を通すのがやっと。高さは教会の半分くらいか。これなら、近くの木によじ登れば飛び越えられる。
崖先はどうかと柵の向こうを見れば、人間一人を支えるには十分な足場があった。
「素敵! あそこから覗いてみたいなぁ、崖下」
ちょっとだけなら……いや、今は駄目だ。昼間の海岸には人が多い。万が一見付かってしまったら騒ぎになる。夕方以降じゃないと。
「むー……。明るい内は見上げるに留めるしかないか」
名残惜しいが鉄柵を離し、細長く切り取られた空と海の輝きを目に焼き付け、敷地内をじっくり観察してから素早く立ち去る。
次に目指すは、この崖の下。
砂浜だ。
ページ上へ戻る