逆さの砂時計
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Side Story
無限不調和なカンタータ 4
おかしい。
カールが立っていた場所に突然現れた穴。大の男を三人並べても すとん と落とせる円幅の奥からは、確かに昨夜と同じ焦燥を掻き立てる「カールへ向けられた強烈な殺意」が溢れ出してるのに。入り込んだ風以外の物音が全然聴こえない。
穴の周りには土塊も何も無い。ってことは、空いた部分の土やら石やらは内部に崩落してる筈。
どれだけ奥深くても、その音が拾えないのは不自然だわ。
何より、気配を漂わせる者が其処に居るのに。
音を特性に生まれ持ったこの私の耳が、魂の揺らぎどころか呼吸や脈拍、移動音すらも感じ取れないなんて。
絶対におかしい!
「あんた、一体何を連れて来てたの!?」
鋭く尖った無数の小針を全身に隈無く押し付けてくるような圧力に警戒しつつ、念の為と背後を窺えば
「へ? 僕?」
きょとん と瞬き、首を傾げられた。
「………ええ、ごめんなさい。尋いた私が愚かですよネ。」
そうよねそりゃそうよね。これまでの様子じゃ、何かしらの厄介事に巻き込まれてる意識はまるっきり無かったものね。
でも、それならこの殺気は……
「! カール! 私にしがみ付きなさい!」
「ひゃい!?」
「いちいち赤面しなくて良い! 緊急事態なのよ、早く!」
「は、ふぁいっ」
私より頭一つデカイ図体してるクセに「失礼します……」とか、めっちゃくちゃ弱々しい声で物凄く遠慮がちに肩を抱いてきた。
それじゃ落ちるっての!
えーい、仕方ない!
回された両腕を右手で強めに押さえ、前方に高く跳ぶ。
私が昨夜寝床にした枝へ足裏を降ろし、パッと振り返れば……一つ目と並ぶ大きさの穴が、隣接して「二つ」増えていた。
……へぇええ。カールのみならず、私も殺そうっての?
何者か知らないけど、いい度胸してんじゃない。
売られた喧嘩はもれなく買い取ってやるわよ? 身の程知らずの無礼者め!
「グリディナさん」
「なによ」
「僕、邪魔?」
「は?」
不躾な相手をどう料理しようかと考える私の耳元で、カールが珍しく真面目な声色を出した。
見れば、顔付きも真剣だ。
「えっと。ほら、なんとなく僕が狙われてるっぽいし。僕を穴に突き落とすとかその辺に放置すれば、君はもっと自由に動けるんじゃないかと」
……この野郎。
「ええ、そうね。荷物を減らせば、多少は動作の振幅も増えるわ。でも、却下。」
「どうして?」
「私にはあんたが必要だからよ!」
正確にはあんたの歌が、だけどね!
てか、悪魔の私がヒョロヒョロでなよっちぃ男一人に足を引っ張られるワケないっての!
こいつもこいつで失礼だわ!
「あんたは黙って私に付いて来れば良いの! 解った!?」
ギッ! と横目に睨み付けたら
「え、あ……はい、です。」
何故か赤く染まった頬を、あさっての方向に逸らされた。耳も微妙に赤い。
……余計な行動されても困るし、従順な態度は歓迎するけど……時々見せる意味不明な反応は何なのかしら。今、視線を逸らすところだった? ローブがずり落ちてるんでもないのに、変なの。
「じゃ、とりあえず…… !」
追い掛けて来るだろう攻撃を避けるつもりで隣の木へ飛び移った直後、微かに空気が揺れた。
これは自然の動きじゃない。不快だった森の雑音に近い波だ。
目に映る変化は無いかと周辺を見渡せば、寝床だった枝が粉になって散る画をほんの一瞬捉えた。
忽然と消失した木の根元には、やはり音も無く現れた深い穴。
「……なるほどね」
突然穿たれる穴。粉になって消えた木。どちらも音が聴こえない理由。もしかしたら、カールを殺そうとしてる理由も。大体予想が付いた。
「ちょっと遠くへ跳ぶわ。口をしっかり閉じてなさい。じゃないと、舌を噛むわよ!」
「え? んにょわっ!?」
せっかく警告したのに奇声を上げないでよね! 気が抜ける!
攻撃の時機と移動距離、速度を計算。強めに跳躍し、離れ過ぎず程好く近い地点の木に降下。天辺近くの細い枝にカールを立たせる。
「わっ、わっ……」
足場の高さと頼りなさの所為か、さすがに不安そうね。
こいつくらいの重さなら簡単には折れないだろうけど、油断して滑り落ちないでよ?
「此処で暫く、耳を塞ぎながら歌ってて。全身全霊を掛けた大音量で」
「歌? 今?」
「今」
不思議そうなカールに頷き、私は地面へ飛び下りた。
枝や葉っぱを絡ませた髪が肩に落ちたと同時に、透き通った波動が黒くなり始めた夕方の森に広がる。
音の書き換え、か。
本質をもっと正しく表現するなら……「調律」。個々の生命が持つ音を、寸分の狂いも残さず本来の音色に矯正する力。
「だから、あいつを殺したいの? 冗談でしょ? そんなの、私が許さない!」
離れた気配が急速に近付いて来るのを感じ、片膝を突いた姿勢で両手のひらを地面に乗せる。
口を大きく開き、大量の空気を体内に取り入れ……足下へ放つ!
アンタが予想通りの力を使ってるなら、これで相殺できる筈。
さぁ、やれるものならやってごらん。
カールには、その汚い振動一つ、届けさせてやらないよ!
「 !」
昨日近くに居た時は多分、私が警戒して音を消したから、正確な位置を絞れなくて諦めた。攻撃も、一撃の範囲をかなり限定してる。手当たり次第に森を破壊するつもりは無いって事だ。
じゃあ、狙った場所に攻撃が通用しなかったら?
殺したい相手を前に、手が届かないアンタは
「……ァァアアアアアーーーッ!」
表に出るしかない!
「単純でありがとう、もぐらさん! って、うわぁー……」
カールの歌声に匹敵する大絶叫を上げながら、十数歩先正面の地盤を突き破って現れたその姿は……
「えぐいッ!」
ひしゃげた真っ黒な翼を背に生やした上半身は辛うじて人型を保ってるけど、腰下は微塵切りにした生肉とあらゆる塵を丹念に捏ね回して泥を塗した団子に、チョロッと蛇の尾を足した感じ。
いや、蛞蝓か。見た目にヌメヌメしてるし。
「ウルサイうるさい煩い! その歌を止めろぉオオおっッ!!」
鉤状に長く伸びた指先でぷっくり膨れた後頭部とボサボサの黒髪を掻き乱し、殆ど骨と皮だけで動く不気味な顔を苦痛に歪める。
紡ぐ言葉は何処までも鈍く、くぐもった雑音……此処まで来たら騒音か。
「なんつー耳障りな……ッ!」
超重たい鈍器で力一杯耳を殴打される錯覚。
濁り方が今までの比じゃない!
「アンタやっぱり、音で存在を改変してるわね!?」
世界のあらゆるものは、それぞれが異なる音を奏でる楽器だ。
体や精神の不調が音色に影響するように……また、その逆もあるように。
音そのものと器の形状は、切っても切れない関係にある。
コイツは、この雑音を出す為にカールの力とは真逆の方向で自身の器を無理矢理捻じ曲げた、「音を特性に持つ」「何か」だ。
森の不快な雑音も、歪みに歪んだコイツが地中を徘徊して周辺の振動を狂わせてた所為。
なんって迷惑な奴!
「つーか、グチャグチャ過ぎ! 音以前に、生物の外形としてどうなのよ、それぇッ!?」
醜い醜い醜い醜い! 悪魔の感覚じゃ、視界混入・即・滅殺対象よ!?
要するに神なんでしょうけど、嫌よ私! こんなのが創世期来私達を脅かしてる天敵の一員だなんて!
仮にも悪魔の敵なら、敵らしく美しい容姿とそれに相応しい気位の高さを要求するッ!
「せめて手足くらいは整えて出直しなさい! 不味そうな肉団子と戦っても全然楽しくないのよ!」
「煩い喋るな歌うな黙れ人間と悪魔ぁ! 消えろキエロキエロ! 美しい音は例外無く総て消えてしまえぇええーッ!」
堪え切れなくなったのか。顎を外す勢いでガバッと口を開き、私に向けて不快な振動を飛ばす。
「喧しいのはそっちでしょうが! 神の出来損ないめ!」
敢えて乱された波調。これを回避するには同じ波を返して打ち消すか、上回る物量で壁を作るしかない。
で、こんなのと同調なんて死んでもお断りだから、私が取るべき行動は一つ。
波に含まれた害を私の耳が受容し切る前に、声を張り上げる!
「! ゃめ……やめろ! 止めろぉおおォーッ!!」
森中に拡がる清浄な二つの波。
醜い肉塊が両耳を押さえて悶え、仰け反る。
私の歌で増幅させたカールの「調律」……狂った身体によぉく効くでしょう? カールが歌ってから現れた所を見ると、私には使えないと思ってたのかしら。
残念ね。自分でやるのが頗る面倒臭いってだけ!
アンタの音、きっちり元に戻してあげる。料理はそれからよ!
「いやだ! 美しい音は嫌だぁあ!!」
ぐわんぐわんと反発する振動を連発させても無駄。カールの歌は空気の揺らぎも整える力よ? 歪みなんかはうってつけの獲物だわ。
ほら、アンタの本当の姿が少しずつ輪郭を取り戻してる。
元はちゃんと白かったのね、翼。
良いじゃない? 薄く桃色が混じる白金色の髪なんて滅多に無い美しさよ。鮮血の赤が似合う白い肌も、とっても柔らかそう。
人間年齢なら二十代前半の若々しい身体、幼さを残す顔立ち。白銀の雪を思わせる目は、冷たい色の割りに可愛い部類の丸型ね。
肉団子にしておくのは勿体無い、深みがある鈴の音が響き出す。
「いやだ……戻りたくない! 神なんかに戻りたくないッ!」
「! 危な……っ!?」
全裸で蹲まった女神が、ほぼ元通りになった翼を広げ、振動で烈風を叩き付けてきた。
吹っ飛ばされるギリギリで踏み留まったのは良いとして、カールに届いてないでしょうね!? こんな圧力、揺れやすい木の先端に居たら、もろに影響が……無さそうだ。歌はまだ続いてる。
「おのれ……おのれ、悪魔と人間! よくも私の力を…… ッ!?」
血の涙でも流すかってくらい鋭い視線がいきなり緩み、ふっと上向いた。
その先に
「へ? ちょっ……カール?」
厳かで流麗な調べをがらりと衣替えして、子供向けの能天気な歌を弾むように口ずさむカール。
落ちない工夫なのか、幹寄りに座って足をぷらぷらと遊ばせ、陽気な手拍子付きで体を揺らしてる。
「手を繋いで踊ろう、僕と君で踊ろう。ほらごらんよ皆も、楽しそうに笑うよ」
ぱん、ぱぱん。ぱん、ぱぱん。
軽快な拍子でにこにこと嬉しそうに……ってこら!
歌には違いないけど、そういうんじゃなくッ!
「声を合わせ歌おう、皆共に歌おう。犬も鳥も兎も、楽しくなきゃ損でしょ」
損得の話じゃねぇッ!
「……ふざけてるのか?」
女神が呆然としてる。
あー……すっかり元通りになってるわね。
やっぱり視界に入れるなら、醜いより美しいとか可愛いほうが断然良いわー……でもないッ!
「カール! あんた、その歌、何!?」
「えー? だってその人、美しい音は嫌いって言うからー。楽しい歌なら良いのかなーって思ってー」
「誰がコイツの要望を聞き入れて歌えと言ったのよ、バカーッ!」
今はそんな呑気な場面じゃなかったでしょうが!
空気を読め、空気をッ!
「……真面目、だったのか……」
「ええ。あれは素で大真面目だと思うわよ」
なんか再開してるし。
人の話を聞けよ!
いや、私は悪魔だけど!
「楽しそうだな」
楽しそうにしてて良いのかと、全力でツッコミを入れたい。
「楽師を目指した理由が、故郷に娯楽を……らしいから。あいつの方向性としてはブレちゃいないんでしょうね」
ただ、時と場面は選べ。
にっこにこと本当に……さっき見せた真剣な表情は何処へ消えたッ!
「……あの子もそうだった。ただ皆で一緒に笑っていたくて、地上へ降りて。なのに、神々は言い分も聴かず、ならぬならぬの一点張りで。しまいには親友の私に、無理矢理あの子を殺させた……ッ!」
カールを見上げる目に憎しみが宿る。
零れ落ちた涙と言葉で察するにコイツ、元は堕天使を殺す神々の使者か。
「赦さぬ……仲間を殺して何が秩序か! 美しい音など、滅び絶えれば良いのだ!」
女神の周りに歪んだ風が集まる。
ああもう、厄介な……
「でもー、滅ぼしちゃったらその親友さん、悲しむと思うんだけどー」
死んだ奴に悲しみも喜びもあるもんかーッ! 火に油を注ぐなぁ!
「お前にあの子の何が解るか!」
「解らないよー。でも今、君の中の親友さんは笑ってるー?」
はぁ? なにを……って……
……風が、止まった……?
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