逆さの砂時計
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Side Story
少女怪盗と仮面の神父 9
「へ?」
一瞬、我が耳を疑い。
口をカパッと開いて固まってしまったミートリッテに。
満面の笑みでトドメを刺すアーレスト。
「一石二鳥とはまさにこのこと。ここで繋がった縁も天啓でありましょう。基礎知識となる古代史から、現代における行儀作法まで。王都に上がっても恥ずかしくない司教候補として、徹底的に教育させていただきますからね。時間が許す限り、教会にいらっしゃってください」
「なっ……!?」
(バレてる! 私が信徒じゃないって、とっくにバレてた! いつから!? 最初から!? でも、ごく普通に対応してたよね、この人! アリア信仰は、信徒じゃない相手にもああなの!? ……って、そこじゃない!)
「なんでですか!?」
「素質があると思ったからですよ」
司教の?
嘘だあ。
「いや、そうじゃなくて! どうして私が信徒じゃないって!」
「ああ……それは、」
ふと目線を落とし、顎に指先を当て。
ややして顔を上げる。
「貴女が私を見て『女の神父』と形容したからです。男性に比べると女性は役職に就いている人数が少ないので一般の方には聞き慣れないでしょうが、本物の信徒であれば、女性が就く神父相当の役職を『女司祭』と表します」
女の神父?
いつ言ったんだっけ?
と、一日を振り返り……
愕然とした。
(初手の初手でつまづいてたあああああ────っ!)
つまり。
初対面で思わず見た目の感想を呟いてしまったあの瞬間に、信徒の演技は無駄だと確定していたのだ。
帰り際に声をかけてきたのは、信徒じゃないけど女神の恩恵にすがりたい何かがあるのか? と、疑問に思ったからかも知れない。
(危なかった。むしろめちゃくちゃ危なかった! 用意した演技をそのまま続行してたら私、完全に言い逃れ不可能な不審者だったんだ! 自分の手で首を絞めるどころか、切断する一歩手前だった!)
これまでのシャムロックには考えられなかった大失敗が、一転して救いの余地を与えてくれたらしい。
だが。
ミートリッテは安心するよりもまず、己の浅識に頭を抱えたくなった。
宗教方面に首を突っ込む日が来ると思ってなかったとはいえ。
最低限、役職名だけでも叩き込んでおくべきだった。
どこまで間抜けなのか。
情けない。
今回の仕事は、失敗から始まって、ずっと失敗続きだ。
地元で、期限付きだからと焦っているにしても。
長く活動してきた怪盗のクセに、驚くほど手際が悪い。
……けれど。
「ミートリッテさん?」
突然うつむいて黙り込んだからか、アーレストが怪訝な顔で覗いてきた。
そのアーレストを見上げ、わざとらしく小首を傾げる。
「神父様が仰る通り、私はアリア信仰の信徒ではありません。身内に信徒が居るということもありませんし、教会に足を運んだのも今日が初めてです。女神アリア……厳密に言うと人間には不可能不可解な現象や存在そのものを信じてないのです。なのに、こうして自分が苦しい時だけは都合良く救いを求めてしまう。誰かの幸せにあやかりたいとそんなことばかり考えている。こんなにも礼に欠けている私が、信徒になっても良いのですか?」
臨機応変。
バレてるならバレてるで、手段を変えるだけの話だ。
「良いんじゃないでしょうか。初めから特定の信仰心を持って生まれてくる者などいません。私も、幼少の頃は信徒ではありませんでしたし。私が知る王都の修行徒達も似たようなものですよ」
「そう……、なんですか?」
(良いんじゃないでしょうかって。そんな軽いノリで良いのか、宗教団体)
「信仰心とは、予備知識と習慣に伴う実感をもって自然に積み重なる想い。解りやすく一言でまとめるなら、『感謝』なのです」
「……感謝?」
「ええ。貴女にもある筈です。自分一人では、決して叶えられなかった夢。絶対無理だと思っていたことが、不思議と達成できた瞬間。どれだけ足掻きもがいても抜け出せなかった苦境から救ってくれた、奇蹟のような出会い」
ミートリッテの肩が微かに揺れる。
「万に一つの偶然。いつもなら思い付きもしない何か。私達は、日常にふと訪れるそうした差異を神の祝福と考え、感謝しているのです。すべての宗教関係者が同じとは言えませんが、少なくとも私自身は、アリア信仰が唱える教えの根幹を『生かされている事実への感謝』であると信じています」
「感謝、ですか……」
なるほど、そう言われれば確かに解りやすい。
生まれつき持っているものではないが。
きっと誰もが知っている、誰にでもある身近な気持ち。
ミートリッテの行動原理だ。
だが。
それは、温もりをくれたハウィスや村の人達に向けられた想いであって、女神アリアへの感謝なんかは欠片も持ち合わせてない。
神は居ると言われてるだけで、実際に何かしてくれたわけじゃないから。
宗教なんて、人間の弱さが作り上げた、ただの精神的象徴。
願おうが祈ろうが道の一本も示してくれない、お飾りだ。
いや。
アーレストが言う通り、ハウィスとの出会いを女神の祝福だとするなら、二人が海岸で出会うまでの、それぞれの経験や感情や人格まで、何もかもが女神の仕込みだったということになってしまう。
ミートリッテは、両親との酷い死別と後悔が無ければ、国境を越えるほど遠くにまで来なかっただろうし、あの日ハウィスに会わなければ怪盗になる理由はなく、当然、海賊からの依頼も受けてなかった。
あの日あの場所に当時の二人が揃ったからこそ、祝福は成り立ったのだ。
ならば、女神がミートリッテに両親の手を避けさせたのか?
ハウィスを悲しませる何かを仕掛けて、同じ時刻・同じ海岸へ行くように仕向けたと?
だとしたら、飾り物よりもっとずっと悪質だ。
世界そのものが、女神の遊び道具扱いになってしまう。
そんなバカな話があってたまるか。
(私があの時二人の手を取らなかったのは、自分の心の弱さと醜さのせいだ。何かに傷付いてたハウィスとの出会いを女神の祝福だと喜び、後悔を誰かの責任にするのなら、私は私を今まで以上に軽蔑する! それに)
アーレストの言い分は、本来ならある筈がなかった生活苦を背負ってまでミートリッテを生かしたハウィスの優しさと決断……手を差し伸べてくれた強さや、彼女の人格を形成する背景までもが、女神の手駒であると貶めた。
正直、底抜けに気分が悪い。
しかし。
怒りのままアーレストに噛み付いて、万が一にも不興を買ってしまえば、今後教会の敷地内に入るのは難しくなるだろう。
女神像に触れる機会を手放してしまったら、依頼が果たせなくなる。
ハウィスへの冒涜に怒って彼女を危険に晒すなど、本末転倒だ。
腹の底から湧き上がってくる罵詈雑言を必死で呑み込み。
腕に力を入れて、小刻みに震える拳を抑えた。
「神父様の言葉が女神アリアの本意だとしたら、やっぱり私に信徒の資格は無いと思います。私が感謝を捧げるのは、私に触れたすべてのものと、私の糧になったすべての命です。女神アリアが私に何らかの希望や結果を与えてくれた覚えはありませんし、偶然や出会いが、女神の祝福……救いだなんて考えられない。それじゃ何があっても女神のおかげになってしまうし、一人一人の思考や行動まで、あらかじめ決められているみたいで、すっごく嫌。そんな考え方自体が、誰かの意思と自分自身の人生に対して凄く失礼だし、無責任だわ。私は自分で選んで自分の足でここまで来たのよ。女神アリアのお導きなんかじゃない!」
本当は、なんのかんのごねても「私で良いなら」と頷くつもりだった。
アーレストのほうから仕事場に招いてくれるというなら、こんな美味しい話を逃す手はない。
何を教えられても自分がアリア信仰に傾倒する姿なんて想像できないし、仕事さえ終わらせれば、適当な理由を作って縁を切るだけだ。
たとえば、女性達の目が怖くて耐えられない……とか。
うん。これは偽造じゃない。
(でも、無理。この人は、ハウィスをバカにした。私の一番大切な恩人を、女神の人形扱いした。絶対に赦せない! 宗教関係者なんか大っ嫌いだ! 誰が頷くもんか!)
誘いを断るなら、教会に堂々と出入りするのは不自然。
盗みに入ろうとしても、内外で難易度急上昇中。
シャムロックとしては明らかに悪手だ。
それでも、アーレストには歩み寄りたくない。
厄介でも面倒でも別の手段を……と、新しい策を探っていると
「素晴らしい!」
「…………は?」
アーレストが両手を叩いて賞賛を寄越した。
「そうなんです。信徒の多くは『偶然や奇蹟を女神アリアの祝福とするならそこに至るまでの経緯も彼女の業である』と考えています。何故なら人間は意思、個性、自我を持つ考える生き物だから。常に直感やなんとなくだけで行動できる人間はいません。どこかに理由があるから動ける。だからこそ、祝福は用意されていたものであると解釈してしまうのですね。そして貴女も考えた通り、すべては女神アリアがお導きくださった結果であると誤認し、その時点から思考を停止させてしまう。この意味が解りますか?」
「……骨抜き?」
「そう! 何をしてもしなくても、生きていても死んでしまっても、結果はすべて女神アリアのお導き。個々人の主張や思考を蔑ろにする心理状態。一般の方々がよく耳にする『狂信的な信者』の出来上がりですね。一度でもこうなってしまったら、アリア信仰を代表する教皇猊下のように、なかなか目を覚ましてくれません。仕方ないと言えば仕方ないのですが……私には、それが正しい信仰のあり方だとはどうしても思えない。ミートリッテさん。これはあくまでも私個人の考えなのですが、女神アリアは基本的に放任主義ではないかと推測しています」
「放任主義?」
「ええ。全世界を見守り、救いを求める数多の声をお聴きになりながらも、過度の干渉はされない。どうしても見ていられなくなった時だけ……ほんの少しだけ、助けてくださっているのではないかと思うのです」
柔らかく細めた目で、女神像を見上げるアーレスト。
灯りに揺れる横顔が優しげで。
ミートリッテの心に渦巻いていた毒気が急速にしぼんでいく。
爆発寸前だった感情が、徐々に落ち着きを取り戻していく。
(あらかじめ出会いを用意していたんじゃなくて、偶然近くに居た二人を、互いに気付かせた。それが、アーレスト神父が考えている『祝福』。でも、多くの信徒は…… うん? ちょっと待て。この人……)
飛び出した不穏な単語の数々で、ミートリッテの背中に冷たい汗が一筋、つつーっと伝い落ちる。
「あの……先ほどの素質がどうとかって……もしかして、女神信仰に対する姿勢の話ですか?」
「はい」
(あっさり爽やか、にこやかに肯定しやがったーっ!)
「いやいやいや! 無理です! できません! 絶対無理! 一般民に何を期待してんですか! 発想がおかしいでしょう!」
両手を前面に突き出し、ぶんぶんと首を横に振るミートリッテ。
その反応を見た神父は、美しい顔をあからさまな喜びで満たした。
「頭の回転も速い! やはり貴女は逸材ですね、ミートリッテさん!」
「勘弁してください! 普通に考えなくたって、無謀だって解るでしょ!? 絶っ対、無理!」
「大丈夫! 私と私の仲間達が全力で共闘します!」
「そんな勧誘文句、聞いたことないーっ!」
「為せば成ります、何事も!」
「だったら関係者だけで完結してください!」
「ですから関係者に!」
「お断りします!」
「諦めません!」
「お願い挫けて!」
「お断りします!」
「私のセリフを盗るなあーっ!」
無茶苦茶だ。
この神父、遊び人以上の危険人物だった。
(最高責任者である教皇を含め、多くの信徒は女神に人生を丸投げしてる。もうどうにでもなれ軍団の中で、この人は教義の見解を違えていて、仲間もいるっちゃいるけど少数派。私を引き込んで、王都でも通用する司教候補の教育を施したいときたら、これ絶対、アリア信仰の内部抗争じゃないか!! このくそ忙しい時に、ややこしい事態へ巻き込むなーっ! 忙しくなくても迷惑だあーっ!)
初対面の時から妙に興味を持たれてる感じだったのは。
ただ単に、内部抗争で使えそうな人材を見つけたからか。
屋内の薄暗さをものともせず瞳をキラキラと輝かせているアーレストは、自分の野望を押し通す気満々だ。
女衆とは別の意味で、命の危険を漂わせている。
(酷い。昨日から私の周りが酷すぎる。いったい私にどうしろっていうの、この状況!)
「無ー理ーだーっ!」
どこかで見ている海賊達。
背後に迫るバーデル軍人。
両横で控えている村の人(女)達、ネアウィック村の自警団、バーデルの国境警備隊。
前からは、本気で命懸けなアリア信仰への勧誘。
……完璧な手詰まりだった。
「ミートリッテさんは未成年ですよね。保護者の方にもご挨拶しなければ」
「私の選択権はどこへ消えた!?」
「明日から楽しみですね」
「聴けぇえええー!」
初日の深夜を迎えて、残りは四日。
ミートリッテの悲痛な叫びを拾ってくれる、親切で心優しい救世主は……
いない。
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