逆さの砂時計
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Side Story
無限不調和なカンタータ 7
透き通るような金色だ。
透明な器いっぱいに集めたハチミツを思わせる、滑らかな黄金色。
二つ並んだハチミツ玉が、無表情な私を正面から静かに映してる。
私が微動だにせず、続きを促すように無言でいるからか。
怒られてなさそうだと安心したらしいカールが、更に言葉を重ねた。
「僕ね。グリディナさんに、この森に留まれって言われた時、村に戻らない言い訳としてちょうど良いかなあって、頭のどこかで逃げ道にしてたんだ。でも、自分の世話くらいは自分でしろって言ってくれたから、今までの僕がどれだけ周りの人達に負担を掛けていたのか、考えるようになったの」
そこで一旦、区切り。
心拍を落ち着ける為か、思いっきり息を吸って、吐いて。
「そしたら、僕がまず最初にやるべきは娯楽で楽しませるとかじゃなくて、人間としてきちんと生活した上で、周りからの手助けに恩を返すことだって気付いたんだ」
決意を誤りなく伝えようと、必死に、丁寧に続ける。
「僕は今も情けないままだけど。それでも、帰って皆に謝りたい。謝って、村で自分を立て直したい。昨夜、メレテーさんが不慣れなこの世界で人間と同じ生活をしてたって聴いて、やっぱり今のままじゃダメだと思ったんだ」
……まあ、ね。
自信と生き方を教えれば、いつかは言い出すと思ってたわよ。
こいつは人間だもの。
予想よりはかなり早いけど、最終的には人間の世界へ戻りたがって当然。
だからこそ私から離れたがらないように丸め込んでおきたかったんだし。
今更そこに驚くほど、私はバカでも察しが悪いわけでもない。
問題は
「だったら、どうして私の手を握っているのかしら?」
カールが村へ帰ると言った直後。
私の右手は何故か、カールの両手に攫われていた。
壊れ物を包み込むように、恐る恐る自身の胸元まで運んだかと思えば。
緊張感丸出しで、ぎゅうっと強く握り締められた。
「僕が帰ったら多分、すぐに誰かと結婚させられる。村には女の人のほうが多いから、未婚の男とあればきっと、村長様達が放置してくれない。
もしそうなったらグリディナさんと一緒に居るのは難しくなっちゃうし、僕の相手として選ばれた女の人も可哀想だ。
昨日言った通り、婚約者は別の誰かと結婚してると思うから、その場合の候補者は多分、僕より年下の子ばかりで。精神面でも、生活面でも、不要な苦労を押し付けちゃうのは目に見えてる。
それに、僕自身が、顔も知らない、好意も無い誰かと家庭を築くなんて、想像もできない」
ちょっと待て。
「だからね。その……」
おい、こら。
あんまり考えたくないが、まさか、この流れは。
「僕……じゃなくて。私と、結婚してくれませんか?」
やっぱりかあぁああ!!
「私が一緒に行く前提で話してるから何かおかしいと思ったら! あんた、私が悪魔だってこと忘れてるんじゃないの!? 人間にとって有害な異種族を故郷に連れ込んでどうすんのよ!」
「あ。そこは深く考えてなかった」
おぉいっ!
「でも、村の皆にはちゃんと恩を返したいし。僕自身が、グリディナさんとずっと一緒に居たいって思ったから」
そりゃ、そうなれと企んでたのは私だけど。
それは、あくまでも人形師と人形、師匠と弟子的な意味合いであって。
たった一日や二日で、現実逃避から結婚願望までいくとか!
いくらなんでも飛躍しすぎでしょ!? こいつの思考!
そもそも!
村に帰してもらえると思ってる辺り、どんだけ坊っちゃん脳なのよ!
この世間知らずめ!
「やっぱり……僕じゃ、嫌?」
小首を傾げるな、小首を!
「嫌とかダメとか、そういう問題じゃない! あんた、自分の為だけに私を人間の枠へ押し込めるつもり!?」
「そんなつもりは」
「じゃあ、どういうつもりなのよ! 仮にあんたと結婚したとして、私にはどんな利益があるっての? 言っとくけど、一緒に居るだけならこの森でも十分だし、村の皆への恩返しとやらに私は全然関係ない。私は今のあり方を変えたいだなんて微塵も考えてないし、悪魔としての自由を棄ててまで人間世界に混じるなんてまっぴらよ! それでも連れて行きたいって言うなら、私が納得できる理由と有益性を、この場できっちり提示して見せなさい!」
「僕との結婚で得られる、グリディナさんの利益?」
「そうよ……」
ぴぴぴぴぴっ! ……って、なに笑ってんのよ、アオイデー!
『お前面白いな、グリディナ! 悪魔でも人間相手に照れたりするのか!』
「はあ!? 誰がっ」
『顔。真っ赤だぞ』
「っ!?」
思わずカールから奪い返した手で、自分の顔を触って確認してしまった。
頬が、バカみたいに熱い。
「く……っ!」
アホか、私は!
こんな行動を取ったら余計……
ぴぴぴぴぴっ!
「ああもう! その笑い声、本っ当に腹立つ! 内臓を丁寧に部位分けして串焼きにしてやろうか!?」
『ここで虚勢を張ってやるな。嬉しいなら嬉しいと、素直に応えれば良い。悪魔が人間と睦んだとて、魔王は咎めたりしないだろう?』
「魔王なんか、顔も声も影も知らないわよ! 睦むとか言うな! つーか、堕天したからって、曲がりなりにも特性や性質の拡散に反対してる女神が、異種族間の婚姻を推奨するな!!」
『いや、私自身は別に反対してないが?』
「言い訳は……っ !」
ピーチクパーチクさえずる小鳥を黙らせようと、左手を伸ばした瞬間。
私を見つめるカールの視線をバッチリ捉えてしまった。
……なに?
妙にまっすぐな目で見られてる?
「グリディナさん、言ってたよね。命の使い方を熟知してるから、ためらう必要なんかないんだって」
「? ……ああ、食事の話ね。言ったわよ? で?」
なんとなくゆっくり退いた左手を。
またしてもカールの両手が柔く包み込み、自身の胸元へと引き寄せる。
「僕は、初めて私を必要としてくれた貴女の為に、この命を使いたいです。私の歌で貴女を癒せるのなら、声が続く限り貴女の傍で歌い続けましょう。
ですが、私は貴女と違い脆く頼りない人間です。限りある時間を少しでも長く生きるには、健康体として生活していける環境が必要不可欠。しかし、残念ですが、私の体では、たとえ貴女の庇護があっても、この森での生活に長期間耐えられる自信がありません。
だから、私を村で、人間として生かしてください。
集団生活で多少なり保証される生存日数と、いつ途切れるとも知れない、不確かな森での時間。貴女から見ればわずかな差でしかないと思いますが、その時間差分を含めて、私の歌を……私のすべてを、貴女の物にすること。
許していただけますか? グリディナさん」
「……………………っ!!」
信じらんない……こいつ、自分で自分を道具にしやがった!
私が求めてるものを正確に理解して、取引に利用してる!
確かに、この森で無力なカールを長く生かすのは難しいわ。
物理的な傷害からだったら、体を護るのは簡単だけど。
人間は軟弱で、種々様々あらゆる病気になりやすい。
病気になる原因の大半は、人体にとって有害な菌や微生物の侵入に対する防御や拒絶反応が主で。実際のところ、人間と侵入者、どちらも正常だから引き起こされるもの。『音』や『波』で正せる歪みとは違う。
大量に入り込んだそれらだけを狙って変質させるのはさすがに難しいし。
ある程度の予防や症状の緩和くらいはできるとしても。
根本的な治療となると、私じゃ手に負えない。
だからって、ヘタにカールの体を作り変えるのもダメだ。
特性じゃないカールの歌は、何をきっかけに失われるか分からない。
今日明日にでも何かしらの疫病を拾って倒れたら、その時点で終わりだ。
加えて、森の中には毒性の植物が多い。
こいつの様子からして、ちょっと目を離した隙に、食料認定した毒生物をパクッとか……
やりかねない。
本気でやりかねない!
ここじゃ危険が多いのは事実だ。
いろんな意味で!
「あと、これは可能性の話なんですが……」
握る手に力が入ったかと思えば、急に目線が泳ぎ出した。
頬が、今まで見た中で一番、赤く染まってる。
「………の、……ら……」
「? はっきり言いなさいよ」
何をためらってるのか。
もごもご小さく唇を動かしても、発音しなきゃ聴こえないっての!
どうせ、こういう時のこいつはくだらないことを考えてるんだろうけど。
大方、性的な
「僕とグリディナさんの子供だったら、僕達と同じ、音の力や歌声を持って産まれそうだなって。それなら、僕に何かあっても、その子が……」
………………………………。
「グリディナさん?」
「…………あんたねぇ……」
空いてる右手で額を押さえつつ、目蓋を伏せ。
心の奥底から深く長く盛大に息を吐き捨てて。
カールの手をパシッと払い除ける。
目で確認するまでもなく、動揺した気配。
ったく、軟弱男め!
「素手で素肌に触るのも恥ずかしがってるクセに、私を孕ませられるの? そーいうのは、最低でも胸を鷲掴みにして平然と揉みしだくくらいの度胸を身に付けてから言いなさい!」
「は、はらまっ!? わ、わし……っ!?」
「伐った木!」
パッと顔を上げ、左手の甲を腰に当て。
右手の人差し指を、怯むカールの鼻先にビシッと突きつける。
「一本も残さず持ち運べる大きさに裁断しなさい。その作業が終わるまでに私を説得できたら、帰郷の付き添いでも結婚でも、全部受け入れてやるわ。でも、あんたにそうするだけの価値は無いと判断したら村には帰さないし、結婚もしない。生きる時間の長さに拘らず、歌えなくなるまでこの森からは一歩も出さないから! 解った!?」
「え……、えぇ……っ!?」
『お前、そんな声高に、口説いて欲しいとか言わなくても……っ』
「違う! 説得って言ってんでしょ、説得って!」
おろおろと両手を上げ下げするカールの肩の上で。
ふるふると全身を小刻みに震わせるアオイデー。
わりと本気で殺気を込めて睨んでるのに、笑ってんじゃないわよ!
つくづく腹立たしいヤツ!
「えー、っと……うん。解った。木を切りながら、グリディナさんと一緒に帰りたいって説得すれば良いんだね。あ、でも、胸を鷲掴み、……とかは、その……ちょっと……」
「それは良いから。」
私の鎖骨辺りをチラッと見てすぐに逸らした視線が、逆に痛々しい。
こんなんでよく、子供がどうのと口走れたものね?
情けない!
……まあ、『カールの歌なり私の特性なりを継いだ子供』に揺らいだのは否定しないけど。
自我を持つ前にあれこれと仕込んでおけば、私の頭痛止め第二号として、それなりに期待できそうだし?
私とカールの外見を合わせたら、悪魔寄りでも人間寄りでも、男女問わずかなりの美形になりそ…………
じゃない!
「せいぜい頑張ってみれば? 私は絶対頷かないつもりでいるけどね!!」
ふんっ! と横向く私の耳を打つのは、ムカつく小鳥の笑い声。
それと
「……はい」
いつもより一段低く落ち着いた、カールの真剣な声。
思わず え? と振り向いた先で。
至近距離のハチミツ玉に映る自分と目が合った。
「貴女と長く共に在る為に頑張らせてください。私も、絶対に退きません」
口調とは裏腹に真っ赤な顔を寄せ、私の額と自身の額を軽くぶつける。
それから、にこっと可愛らしく笑った。
「大好きです。グリディナさん」
「……あんた、ある意味、アオイデーよりもよっぽど鳥っぽいわね。初めて必要としてくれたから好きになったとか。まるで、孵りたてのヒナが親鳥を認識してるみたいだわ」
「ヒナは親に求婚しませんよ?」
「そういう違いは理解してるってワケ?」
「もちろんです。万が一、グリディナさんが親だったら、私は……悲嘆して獣のエサになるか、人間世界で罪人として裁かれていたかも知れません」
「は?」
「いえ、なんでもないです」
一歩下がったカールの両手が、私の両手をやんわり包んで。
今度は、カールの口元まで持ち上げた。
私の手とカールの手の隙間に呼気が忍び込んで、熱い。
「貴女と居たいから、必ず貴女を説得します」
淀みも揺るぎもない金色に透き通った眼差しが、私をヒタリと見据える。
「……ふぅん?」
これは、カールの挑戦だ。
死んでも良いと現実逃避していた不器用な男が。
多分本当に、今初めて、他人に挑もうとしてる。
面白い。
面白いわよ、カール。
これを乗り越えたあんたの歌は、さぞかし耳に心地好いでしょうね。
でも!
「望むところだわ。私も負けてやらない。あんたは死ぬまで、私の為だけの歌い手でいれば良いのよ!」
私が見つけた、どんな雑音も軽減させる便利な人間。
他のどんなやつにも、少しだって譲らない!
そうして、互いに笑顔のまま睨み合う私達は。
『まったく同じことを言いながら、何の勝負をしてるんだ? お前達は』
呆れたアオイデーの言葉など、まるっきり、一音も聴いてなかった。
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