逆さの砂時計
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Side Story
無限不調和なカンタータ 7
滑らかな金色の目が、無表情な女を静かに映してる。
やや間を置いても何も言わない私に「怒られてない」と安心したのか、カールは更に言葉を重ねた。
「僕、グリディナさんに暫く此処に居ろって言われた時、村へ帰るのを躊躇ってたでしょ? 引き留められたのは、戻らない言い訳に丁度良いかなって……頭の何処かで逃げ道にしてた。でも、自分の世話くらい自分でちゃんとしろって言ってくれたから、これまでの僕がどれだけ周りに負担を掛けていたのか考えるようになったの。そしたら、僕がまずやるべきは娯楽で楽しませるとかじゃなくて、人としてきちんと生活した上で、周りの人達に恩返しする事だって気付いた。直ぐに帰っても結局何もできないし、情けないままで呆れさせるだけだろうけど……それでも、帰って皆に謝りたい。謝って、しっかりした生活を村で立て直したい。昨夜、メレテーさんが不慣れなこの世界で人間と同じ生活をしてたって聴いて、やっぱり今のままじゃ駄目だと改めて思ったんだ」
……まぁ、ね。
自信と生き方を教えれば、いつかは言い出すと思ってたわよ。こいつは人間だもの。予想よりかなり早いけど、最終的には人間世界へ戻りたがって当然。
だからこそ私から離れたがらないように、さっさと丸め込んでおきたかったんだし。
今更其処に驚くほど、私は莫迦でも察しが悪い訳でもない。
問題は……
「だったら、どうして私の手を握っているのかしら?」
村へ帰ると言った直後にカールの両手が掴んだのは、何故か私の右手。
包み込む形で恐る恐る自身の胸元まで運んだかと思えば、緊張感丸出しでぎゅーっと強く握り締められた。
「僕が帰ったら多分、直ぐに誰かと結婚させられる。村には女の人のほうが多くて、未婚の男とあればきっと、村長様達が放置してくれない。でも、もしそうなったらグリディナさんと一緒に居るのは難しくなっちゃうし、相手として選ばれた女の人も可哀想だ。昨日言った通り、婚約者は別の人と結婚してると思うから、その場合候補者は僕より年下の子ばかりで。精神面でも生活面でも不要な苦労を押し付けちゃうのは目に見えてる。それに……僕自身、顔も知らない好意も無い誰かと家庭を築くなんて、想像もできない」
…………ちょっと待て。
「だからね。その……」
おいこら。
あんまり考えたくないが、まさかこの流れは。
「僕、じゃなくて……私と結婚してくれませんか?」
やっぱりかあぁああッ!
「私が一緒に行く前提で話してるからおかしいと思ったら! あんた、私が悪魔だって忘れてるんじゃない!? 人間にとって有害な異種族を連れ込んでどうすんのよ!」
「あ。其処は深く考えてなかった」
おぉいッ!
「でも、村の皆に恩を返したいし……僕自身がグリディナさんとずっと一緒に居たいって思ったから」
そりゃ、そうなれと企んでたのは私だけど。
それは、あくまでも人形師と人形、師匠と弟子的な意味合いであって。
たった一日二日で現実逃避から結婚願望まで行くとか、ぶっ飛び過ぎでしょ!? こいつの思考!
そもそも、村に帰してもらえると本気で思ってる辺り、どんだけ坊っちゃん脳なのよ! この世間知らず!
「やっぱり僕じゃ……嫌?」
小首を傾げるな小首を!
「嫌とか駄目とかそういう問題じゃない! あんた、自分の為に私を人間の枠へ押し込めるつもり!?」
「そんなつもりは」
「じゃあ、どういうつもりなのよ! 仮にあんたと結婚したとして、私にどんな利益が齎されるっての? 言っとくけど、一緒に居るだけならこの森でも十分だし、村への恩返しとやらに私は全然関係無い。私は今の在り方を変えたいとは微塵も考えてないし、悪魔としての自由を棄ててまで人間世界に混じるなんてまっぴらよ! それでも連れて行きたいって言うんなら、私が納得できる理由と有益性を、この場できっちり提示して見せなさい!」
「僕との結婚で得られるグリディナさんの利益?」
「そうよ……」
ぴぴぴぴぴっ! って、なに笑ってんのよアオイデー!
『面白いなグリディナ! 悪魔でも人間相手に照れるのか』
「はぁ!? 誰が」
『顔。真っ赤だぞ』
「ッ!」
思わずカールから奪い返した手で顔を触って確認してしまった。
頬が、バカみたいに熱い。
「く……っ!」
アホか私は! こんな行動取ったら余計……
ぴぴぴぴぴっ!
「ああもう、その笑い声本当に腹立つ! 内臓を丁寧に部位分けして串焼きにしてやろうか!?」
『此処で虚勢を張ってやるな。嬉しいなら嬉しいと素直に応えれば良い。悪魔が人間と睦んだとて、魔王は咎めたりしないだろう?』
「魔王なんか顔も声も影も知らないわよ! 睦むとか言うな! つーか、堕天したからって、特性拡散反対派の神が異種族間婚姻を推奨するなッ!」
『いや、私は別に反対派では』
「言い訳は……っ !」
ぴーちくぱーちくさえずる小鳥を黙らせようと左手を伸ばした瞬間、俯くカールの視線をバッチリ捉えてしまった。
……なに? 妙に真っ直ぐな目で見られてる?
「……グリディナさん、言ってたよね。命の使い方を熟知してるから躊躇う必要なんか無いんだって」
「? ……あぁ、食事の話ね。言ったわよ。で?」
なんとなくゆっくり退いた左手を、またしてもカールの両手が胸元で包む。
今度は緊張してないのか、握る力が弱い。
「僕は……初めて私を必要としてくれた貴女の為に、この命を使いたいです。私の歌で貴女を癒せると言うのなら、声が続く限り貴女の傍で歌い続けましょう。ですが、私は貴女と違って脆く頼りない人間です。限り有る時間を少しでも長く生きるには、健康体として生活していける環境が必要不可欠。しかし残念ながら、私の体では例え貴女に庇護されていてもこの森での生活に長期間耐えられる自信がありません。だから、私を村で人間として生かしてください。集団生活で多少なり保証される生存日数と、いつ途切れるとも知れない不確かな森での時間。貴女から見れば僅かな差でしかないと思いますが、その時間差分を含めて私の歌を……私の総てを貴女の物にする事。許していただけますか? グリディナさん」
「……っ!」
信じらんない……。
こいつ、自分で自分を道具にしやがった!
私が求めてるものを正確に理解して、取引に利用してる!
確かに、この森で無力なカールを長く生かすのは難しいわ。
傷害から体を護るのは簡単だけど、人間は種種様様あらゆる病気になりやすい。病因の大半は人体にとって有害な菌や微生物の侵入に対する防御や拒絶反応が主で、実際のところ体と侵入者「どちらも正常だから」引き起こされるもの。音で正せる歪みとは違う。
大量に入り込んだそれらだけを狙って変質させるのはさすがに難しいし、ある程度の予防や症状の緩和くらいはできるとしても、根本的な治療となると私じゃ手に負えない。
だからって下手にカールの体を変えるのも駄目だ。特性じゃないカールの歌は、何を切っ掛けに失われるか判らない。
今日明日にでも何かしらの疫病を拾って倒れたら、その時点で終わりだ。
加えて、森の中には毒性植物が多い。
こいつの様子からして、ちょっと目を離した隙に食料認定でパクッとか……やりかねない。本気でやりかねない!
此処じゃ危険が多いのは事実だ。
いろんな意味で!
「あと、これは可能性の話なんですが……」
握る手に力が入ったかと思えば、急に目線が泳ぎ出した。頬が今まで見た中で一番赤く染まってる。
「………の……ら……」
「はっきり言いなさいよ」
何を躊躇ってるのか……もごもご小さく唇を動かしても、発音しなきゃ聴こえないっての!
どうせ、こういう時のこいつはくだらない事を考えてるんだろうけど。
大方、性的な……
「僕とグリディナさんの子供だったら、同じ力を持って産まれそうだなって。それなら、僕に何かあってもその子が……」
………………………………。
「グリディナさん?」
「…………あんたねぇ……」
空いてる右手で額を押さえつつ目蓋を伏せ、心の奥底から深く長く盛大に息を吐き捨てて。
カールの手をパシッと払い除ける。
目で確認するまでもなく、動揺した気配。
……ったく、軟弱男め!
「肌に直接触るのも恥ずかしがってるクセに、私を孕ませられるの? そーいうのは最低でも胸を鷲掴みにして平然と揉みしだく度胸を身に付けてから言いなさい!」
「は!? わ、わしづ……ッ!?」
「伐った木ッ!」
パッと顔を上げ、左手の甲を腰に当て。
右手の人差し指を、怯むカールの鼻先にビシッと突き付ける。
「一本も残さず、持ち運べる大きさに裁断しなさい。作業が終わるまでに私を説得できたら、帰郷の付き添いでも結婚でも全部受け入れてやるわよ。でも、あんたにその価値無しと判断したら村には帰さないし、結婚もしない。生きる時間の長さに拘らず、歌えなくなるまで森からは一歩も出さないから! 解った!?」
「え……えぇ……!?」
『お前、そんな声高に、口説いて欲しいと言わなくても……っ』
「違う! 説得って言ってんでしょ、説得って!」
おろおろと両手を上げ下げするカールの肩で、全身を小刻みに震わせるアオイデー。
割りと本気で殺気を込めて睨んでるのに、笑ってんじゃないわよ!
つくづく腹立たしいヤツ!
「えー、と……うん。解った。木を切りながら、グリディナさんと一緒に帰りたいって説得すれば良いんだね。あ、で……でも、胸を鷲掴み……とかは、ちょっと……」
「それは良いから。」
鎖骨辺りをチラッと見て、直ぐに逸らした視線が逆に痛々しい。
こんなんでよく子供がどうのと口走れたものね? 情けない!
……まぁ「カールの歌なり私の特性なりを継いだ子供」に揺らいだのは否定しないけど。
自我を持つ前にあれこれ仕込めば私の頭痛止め第二号として期待できそうだし、私とカールの外見を合わせたら、悪魔寄りでも人間寄りでも、男女問わずかなりの美形になりそ……じゃないッ!
「精々頑張ってみれば? 私は絶対頷かないつもりでいるけどねッ!」
ふんっ! と横向く私の耳を打つのは、ムカつく小鳥の笑い声。
それと
「……はい」
いつもより一段低く落ち着いた真剣なカールの声。
思わず え? と振り向いた先で、至近距離のハチミツ玉に映る自分と目が合った。
「貴女と長く共に在る為に、頑張らせてください。私も絶対退きませんから」
口調とは裏腹に真っ赤な顔を寄せ、私の額に自身の額を軽くぶつける。
それから、にこっと可愛らしく笑った。
「大好きです。グリディナさん」
「……あんた、ある意味アオイデーより鳥っぽいわね。初めて必要としてくれたから好きになったとか、まるで孵りたての雛が親を認識してるみたいだわ」
「雛は親に求婚しませんよ?」
「そういう違いは理解してるってワケ?」
「勿論です。グリディナさんが親だったら、私は悲嘆して獣の餌になるか……人間世界で罪人として裁かれていたかも知れません」
「は?」
「いえ、なんでもないです」
一歩下がったカールの両手が、私の両手をやんわり包んで……今度は口元まで持ち上げた。
手と手の隙間に呼気が滑り込んで、熱い。
「貴女と居たいから、必ず貴女を説得します」
淀み無く。揺るぎも無く。金色に透き通った眼差しが私をヒタリと見据える。
……これは、カールの挑戦だ。
死んでも良いと現実逃避していた不器用な男が、多分本当に今初めて、他人に挑もうとしてる。
面白い。
面白いわよ、カール。
これを乗り越えたあんたの歌は、さぞかし耳に心地好いでしょうね。
でも!
「望むところだわ。私も負けてやらない。あんたは死ぬまで私だけの歌い手でいれば良いのよ!」
私が見付けた、どんな雑音も軽減させる便利な人間。
他のどんなやつにも、少しだって譲らない!
互いに笑顔のまま睨み合う私達は、
『全く同じ事を言いながら何の勝負をしてるんだ、お前達……』
呆れたアオイデーの言葉など、まるっきり一音も聴いてなかった。
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